スコットランド「 グレンコー渓谷 」ドラマチックな景観と大虐殺と
スコットランド北西部 ハイランド地方に、 もし「 ネス湖 」がなかったら
寒風が吹き荒む この北の大地に訪れる人々の数は もっともっと少なかったかも知れない
しかしながら 幸い「 ネス湖 」のお陰で、 今日私たちは 計らずも その道中で
雄大な 生のままの自然に触れるチャンスを 得ています
01. 「 スカイ島 」と本土の隙間に 深く入り込む「 アルシュ湾 Loch Alsh 」の入江に
「 エイリアン・ドナン城 Eilean Donan Castle」がある
スコットランドの 数ある古城の中でも 特にロマンチックで魅力的と言われ 映画007の舞台にもなったという
02. 13Cの築城だが 城につながる石橋は 20世紀になってから造られたもの
雪景色の厳冬期( パンフレットより )には 城の住人は 相当不便な生活を強いられたのではないでしょうか
03. ハイランド統治の拠点だった「 フォート・ウイリアム Fort Wiliam 」 には
かつて 城塞が築かれていたが(1635年)、 今 緑の芝に記念碑と大砲が残るだけ ・・
この 湖か海かわからないような 「 リニー湾 Loch Linnhe 」を 南へ 数十キロ下ると 北海に出る
逆に 写真の右手にある 「 カレドニアン運河 Caledonian Canal 」を
直線で約110km 北上すると 「 ネス湖 」や「 インヴァネス 」を経て 同じく 北海に出る
因みに、 < 湖 >も < 湾 >も < Loch >という単語が使われているが、 実際 両方とも
くねくねと 細長いナマコの様な形をしていて、 海水が 時々入ったり入らなかったり 区別が付けずらい
釣りについても < 湖 >なら入漁料が要るし、 < 湾 >なら タダ なのです !
04. 「 リニー湾 」 沿いには 別荘のような 洒落たB&B(民宿)が並んでいる
その中のひとつ、 白いシャツがお似合いの 素敵なご夫婦のハウスに1泊しました~
05. 朝食は 特別変わった素材ではありませんが マダムのお洒落な心意気を感じました~
夕食は 近くの魚料理専門店にて ~
06. さて 次は 「 グレンコー渓谷 Glencoe 」
緑の谷の両側に 標高1000m前後の山並みが連なり スコットランドを代表するドラマチックな景観が広がる
07. 別名 The Lost Valley、 木も生えない岩山の連続ではあるけれど
何故か 懐かしいスコットランド民謡の 穏やかなメロディが 心一杯に広がりました
” スコットランドの釣鐘草 ” ” アーニーローリイ ” ” 蛍の光 ” ” マイボーニー ”
” 故郷の空 ” などなど、 既に 日本の歌そのものと言ってもおかしくないものばかり
08. すると、 奇遇なことに 車寄せで ”バグパイプ ” のメロディが聞こえて来た
残念ながら 私たちの到着から程なく 彼は 楽器を仕舞い 帽子を脱いで 帰り支度に入りました
でもその時 中国人のバスが到着 ! すると 彼、 再び 帽子をかぶり、、 演奏を始めましたよ
09. いよいよ ここが 「 グレンコー渓谷 Glencoe 」 の ” 出口 ”
( グラスゴー方面から 北上した場合、 ”入り口 ” となる訳ですが ・・ )
観光バスのロゴではありませんが ” Wild & Sexy !! ”
大きくえぐられ 逆光の暗い谷間に 雲の切れ間からまばゆい光が走った瞬間は
一生忘れられない光景となりました
10. 「 グレンコーの大虐殺 Massacre of Glencoe 」 1692年2月
イングランドとスコットランドは 長く敵対関係にありましたが、 とりわけ 地理や言語など その特殊性から
ハイランド地方の平定に イングランドは 手を焼いていました
数々の複雑な経緯はさて置き、 ある時、ハイランドの氏族の中で イングランドに加担するものが現れる
それが 「 キャンベル一族 」・・ その領主 ロバート・キャンベルが 民族上は味方であるはずの
「 グレンコーのマクドナルド一族 」を だまし討ちの形で 殲滅しようとしたのです!
それが 世に言う 「 グレンコーの大虐殺 」
11. ロバート・キャンベルは 手勢120名を従えて グレンゴーに 2週間滞在する
不穏なものを感じながらも マクドナルド一族は 習慣にのっとり 客人に宿と食事を提供し 厚くもてなす
しかし、2月13日早朝、まだ人々が目覚める前、 虐殺が始まった ! 族長以下38名が刃にかけられ
家々には火が放たれ 子供を含む40人が焼死した。 逃亡したものの 凍死したり 餓死した者もいたという
( 大英帝国旗、ユニオンジャック は イングランド、スコットランド、アイルランドの 国旗が合体したもの )
12. 生き残った者から事件の顛末が口づてに広まり この事件は ついこのあいだまで 氏族間に強いしこりを残した
グレンコーや マクドナルド氏族系のパブなどの多くで 「 No Hawkers or Campbells ( 行商とキャンベルお断り )」
の札が掲げられ、キャンベルの子孫はひっそりとウイスキーを飲まなければならなかったという
さて この山岳地帯を抜けて スコットランド第一の都市、グラスゴーに近づくと 全てが一変する
文明が花開き、まるで 別な国に来たようにさえ感じましたし、
天候も もしかして南国なのではないかしらと、 錯覚さえ覚えたものでした