ブダペスト 事故直後だったけど ドナウクルーズ出かけました
ブダペスト市内の交通機関には
トラム 地下鉄 バスなど 色々あるが、
01. 市民の足・郷愁漂うトラム
02. 街のあちこちにある地下鉄への入り口
1896年開業の地下鉄1号線は ロンドン
イスタンブールに次いで 世界で3番目に古く、
世界遺産に指定されている。
車体も駅舎も 超レトロな1号線と比べ
近年開業の4号線はデザインが超モダンだ。
03. 鉄道 「ブダペスト東駅 1881年~」
西欧の重要な駅舎はだいたい大きくて立派だ。
都市生活 ・ 文明の拠り所でもあり
国威を見せつけるツールでもあるからだろう。
長らく 特に見せつける相手がいなかった日本の
駅舎とはマインドが全く違う。
04. さて もうすぐ日没だ。 ドナウ川の
サンセット トワイライト ライトアップを狙って
ドナウクルーズに出かけることにした。
05. ブダペストのオールドタウンには4つの橋が
架かっている。 そのうち1番北の「マルギット橋
(マーガレット橋)」 から 遊覧船がスタート。
2番目の 「くさり橋」 を越えた頃には 私は
もう シャンパンを片手に夕風に吹かれていた。
実はこの一週間ほど前に ここマルギット橋付近で
遊覧船が大型クルーズ船に衝突され 韓国人26人
が死亡するという事故があった (2019年夏)。
観光客には気になる事故で 私も大変不安だったが、
好奇心が勝った !
案の定 船はがら空きだった。
06. 3番目の 「エルジェーべト橋
(エリザベート橋)」 を過ぎて 西側に現れた
のがゲッレールトの丘。
丘の中腹に 聖ゲッレールト像がある。
彼は異教徒により 手押し車に張り付けられ
丘からドナウに落とされた。 西洋では 一体
何人の聖人が川に落とされれば済むのだろう!?
丘の上にそびえるのは シュラの葉を掲げる
「自由の像」。 ハンガリーをナチス・ドイツから
救ったソ連軍の慰霊碑だが、解放と同時にハンガリーを
支配した ソ連色を 今は取り除いている。
07. 4番目に現れたのが 「自由橋」。
ハンガリー建国1000年を記念して1896年に
造られた。 着工時 リベット用ハンマーのボタンを
押したのが 時の国王フランツ・ヨーゼフだった。
妻エリザベート橋の名は残ったが 夫ヨーゼフ橋
の名は 50年後に自由橋と改名されてしまう。
08. 自由橋を過ぎて しばらく走ったあと
遊覧船はUターン、再び くさり橋方面に戻った。
丁度その頃 ドナウの川幅いっぱいに
ほのかな灯りが 鎖となってつながった。
を頂く自由橋 )
09. そして 夜景のハイライトが国会議事堂。
全長268m、幅118m、総面積18、000㎡
中央ドームの高さが96m、 外壁に88人の
歴史上の人物像が立ち並んでいる。
10. イタリア的でもあり 北欧風でもあり
ドイツ的でもある。 内部は豪華なバロック様式。
1922年に完成した新しい建物だから
過去のあらゆる良きものが詰っているということだ。
11. ふと見上げるとくさり橋の真上に月が居た。
何事も起きず 無事 遊覧が終わりそう、、
お月さん ありがとう !
12. 出発地点のマルギット橋に戻った。
マルギット橋は1876年建造の ブダペストで
2番めに古い橋だが、 橋の落成当時
欄干から 多くの自殺者が出たそうだ。
19Cの社会背景があったことだろうが、
華やぐ最先端の橋の上で 絶望の淵にあった人間を
ドナウがおいで、おいでと誘ったのかも知れない。
13. ドナウの悠久の流れには 殉教の聖人
悲嘆にくれた市民 そして異国の多くの旅人、、
無数の命が呑み込まれて来た。
川でなくても、 何処で暮らしても、
人生の流れとはそういうものだけれど ・・・
今回は 市内の各所をゆっくり回ることが
出来なかったが、 昔の記憶を辿ってみても
ブダペストでは
このドナウの流れさえ見ておけば充分な気がする。
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