チェコ チェスキー・クルムロフと骸骨教会

2020年6月19日 (金)

クトナー・ホラ 納骨礼拝堂 骸骨アート・人骨シャンデリア


「クトナー・ホラ」 はプラハから東へ65km、 

13~16世紀に繁栄した 世界遺産の古都だ。


街の東側にある 「セドレツ納骨礼拝堂」 では

4万人分もの人骨が 見事に飾り付けられていた。

 

 

 

01.  他のカタコンベで見たこともない

ユニークなデザインは 芸術的でさえあった !
 

チェロ型の紋章に 様々なオブジェが見える。

骨盤が骸骨の襟になっており、少女や花も見える。

01_20200618135601

 

 

02.    人骨シャンデリア。

骸骨で出来た 天国への天使の階段。 

02_20200618135601

 

 

03.  入り口の十字架飾り、 見事な大型盃、

松葉杖や子供の人形も見える。

骸骨も 幼児から大人まで大きさを揃えているようだ。


ロープ状の骸骨レース飾りの先端にも

骨タッセルが下がっている。

03_20200618135601

 

 


04.  納骨堂はこの墓地教会に付随している。

この辺りは 何百年間も 戦争や疫病で亡くなった

人達の共同墓地だった。     ある時


どんどん広がる墓地の整理の一環として

人骨の分類分け 飾り付けが始まったと言う。

04_20200618135601

 

 

05.  骸骨には殺傷痕、手術の跡なども

見受けられる。   何万体の骨の山から 


同じ部位を集め  鉄籠に整然と積み重ね、

あるものには 芸術的なオブジェとなる運命を与え、


そうした作業には どれほどの

時間とエネルギーが必要だったことだろう !

05_20200618135601

 

 


06. 教会の後見 シュヴァルツェンベルク家の

依頼で 発掘 仕分けが始まったと言うが、 


多くの根気強い作業者に加えて、 活動の中心に

とてつもなくオリジナルな芸術的才能を持つ
 
’ 骸骨アーティスト ’ がいたに違いない!

06_20200618135601

 

 


07.   地下の納骨堂には 臨時に架けたと

いう風な 木の渡り板を歩いて入った。

たまたま 何かの工事中だったかと思いきや、

 

まだまだ 辺りに夥しい人骨が埋まっており

当分は 発掘作業が続くのだと言う。


百年後には  またデザインの異なる 

別のホールが出来てるかも知れない。

07_20200618135601

 

 

*    *    *

 

 


08.    次は街の東側にある

「 聖バルバラ教会 1388年創建 」 に移動。

 

クトナー・ホラは 13Cに良質の銀が発見されてから

繁栄が始まり、  王立造幣局が設立され、

国王がしばしば滞在するほどの立派な街となった。


この教会も プラハに負けじと対抗して建てられたものだ。

08_20200618135601

 

 


09.    天井に描かれた絵も美しいが、 


豪華祭壇の中心に据えられた ’最後の晩餐’ の

食卓を囲むイエスや使徒達の 見事な銀の衣装は

さすが 銀の特産地ならではの重厚感を放っていた。

09_20200618135601

 

 


10.   教会から 街の美しい風景が望めた。


左側は 旧イエズス会大学、  画面の奥には

鉱山博物館がある。  当時の銀鉱跡も保存され

ガイドツアーで見学できる。

10_20200618135601

 

 

 

11.  教会内には 17Cの炭鉱労働者像や

貨幣鋳造職人たちの フレスコ画があった。


聖バルバラは 石工 消防士 鉱夫など 鉱山や

火を扱う危険な場所で働く人々の守護聖人だ。

 


プラハに次ぐほどの栄華を築いたクトナー・ホラも 

16Cに銀が枯渇し始めると共に 街は衰退した。


銀の切れ目が 街の繁栄の切れ目だった ・・

11_20200618135601

 

 

 

12.  教会の外は 相変わらずの好天だ。 緑地に

何やら 高級そうなワンちゃん達が集って来ていた。 

12_20200618135601

 

 


13.  私・日本人に対してはとても好意的だったが

いかんせん 犬種についての会話はチンプンカンプン、


ボルゾイなど 頭が小さく 痩身で 脚が長く 背が高い

要するに 人間で言ったらスーパーモデルみたいな

カッコいい高級犬種の 特別なお集まりだったらしい。

13_20200618135601

 


カタコンベにも 色々な作り方があって、 

旅行先で それらを見て歩くのも 一興だ。

 

生々しく悲壮な死と カタコンベの骸骨たちの間には

時間空間の隔たりと共に 大きな概念の差がある。 

 

 

どうせなら セドレツ納骨礼拝堂みたく

アーティスチックな装飾法も有りだろう ・・

 

 

*          *         *         *         *

 

 

 

 

2020年5月22日 (金)

チェスキークルムロフからプラハへ ヴルタヴァ川からモルダウ川へ

ヴルタヴァ川の蛇行のままに街が築かれた チェコ南部の

チェスキークルムロフ、  街の風景に名残を惜しみつつ

次に プラハに向かった。

 

 

 

01.     これほど奇抜な地形に形成された 

華やかな貴族たちの街を 私はこれまでに見たことが無い。

01_20200522101901

 

 

 

02.    岩壁の一部を側壁に溶け込ませた チェスキー・

クルムロフ城は 一見要塞城のようだが、

02_20200522101901

 

 

 

03.    城の内側は石積み模様が美しい居城となっている。

今日 内部全てを公開できる程は まだ整備されてないようだ。

03_20200522101901

 

 

 

04.      城を通り抜けて 街に出ると 

レストランのテラスで お客さんがお食事中。

04_20200522101901

 

 


05.      「 聖ヴィート教会 」  1300年

スヴォルノスティ広場の近くにある。 


様々な時代の建築様式を 採り入れた建物で 

特に スッと天に伸びた四角い塔が印象的。

05_20200522101901

 

 


06.     ヴルタヴァ川に架かる橋から

チェスキークルムロフ城の塔と 聖ヨシュタ教会の塔に

別れを告げた ・・・       

 

 

実はこのヴルタヴァ川は 次の目的地プラハに続いている。


プラハでのヴルタヴァ川は 

恐らく 別人のような顔を見せるに違いない。

06_20200522101901

 

 


*    *    * 

 

 

 

07.     さて、 プラハへとやって来た。

ここはプラハ市の南西に位置する 城壁の連なりが残る丘。

 


丘には教会があって、色々なレストランが寄り集まっている。

薔薇に包まれて 結婚パーティが開けそうなものもあった。

 

そして 何と言っても 街を一望できる見晴らしが秀逸で

折しも 多くの人々が集い来ていた。

07_20200522101901

 

 


08.  丘からプラハ城とヴルタヴァ川に架かる橋が見えた。

プラハ旧市街の8つの橋のうちの 幾つかが重なっている。 
 

観光的に最も有名なカレル橋を 望遠レンズで探すと、

人々が蟻の行列の如く数珠つなぎで  それと分かった。

08_20200522101901

 

 

 

09.     ところで ヴルタヴァ川は全長430km 

チェコ最長の川だが、この川は ” モルダウ川 ” とも言う。

 

チェコの作曲家スメタナの交響詩 我が祖国の第2曲モルダウ

で有名だ。  19C後半 ハプスグルク君主国統治下にあった

チェコではドイツ語が主流で、 この川はモルダウと呼ばれた。

09_20200522101901

 

 


10.   丘での夕食後、 いよいよ ”モルダウ河畔”

にやって来た。     日本人ですら 祖国愛を感じ

胸がキュンとする スメタナのあの旋律には


ゆったりとほの暗い水面と カレル橋を包む 

こんな夕暮れのひと時が とても良く似合う。

10_20200522101901

 

 


11.   「 チェコ軍団橋 」 からモルダウを望む。

11_20200522101901

 

 


12.  ヨーロッパの大きな河川では 時々こうして堰が

作られている。   段差を解消するための閘門だったり  

流れの一部を 発電の水車小屋をくぐらせたり 

段差で滝を作ることで水質を保全したり 目的は様々だ。

 

ここは何だろう・・     遊覧船がやって来た !  

12_20200522101901

 

 


13.    デッキで寛ぐ人々、  音楽を楽しむ人々、

こればっかりは 屋形船文化の日本には無い風習だ。 

 


それにしても チェコでも こんな風景が見られるのだなあ ・・

13_20200522101901

 


このあとドイツから黒海へ注ぐ このヴルタヴァ川はもとより

 

ドナウ川 ライン川 など 大きな河川が、 時には名前を

変えながら  ヨーロッパ大陸を貫いて流れるのだから

 


流域の異なる国々に  同じ 船内・船上での過ごし方・

楽しみ方が伝わるのは 当たり前のことだった ! 

 

 

 

さて翌日は  ピカピカの快晴の中

観光客で溢れかえるプラハの市内見物となった !

 

 

 

*    *    *    *    *

2020年5月15日 (金)

チェスキークルムロフ 川の湾曲に抱かれた町 シーレとコロナと

チェスキー・クルムロフは チェコ南部ボヘミア地方、

大きく蛇行する川の湾曲部に 赤い屋根が丸く寄り添う

中世そのままの古都だ。

 

 


01. ヴルタヴァ川の湾曲に抱かれたこの小さな町は

13世紀に 南ボヘミアの豪族ヴィートコフ家が

この地に城を築いたことから始まった。

01_20200515210801
  ( 写真左端が チェスキー・クルムロフ城 )

 

 

 

02.  16世紀の最盛期以降 この町は歴史から

取り残されてしまったが、1992年に世界文化遺産に

指定されると 急激に人々の注目を浴び始めた。


従って 観光地として有名になったのは比較的最近だ。

02_20200515210801

 

 

 

03.  丘の上の お城と庭園の間に見晴台がある。


ヴルタヴァ川の馬蹄形のベンドと その中の

おとぎ話のような赤い屋根の塊りを見下ろして 

歓声を上げない者は 一人もいない。

03_20200515210801

 

 

 

04.   この地方では バラの栽培も盛んだ。

04_20200515210801

 

 

 

05. 丘から下の町に行くには お城に沿って緩やかに

坂道を下るか 短兵急に丘をジグザグ転げ落ちるか? だ。 

05_20200515210801

 

 


06.  チェスキー・クルムロフ城はボヘミア地方では

プラハ城に次ぐ大きさで、町との面積比では相当でかい。


貴族たちもこんな風に水遊びをしたのだろうか・・

06_20200515210801

 

 


07.   中世の面影を残す賑やかな町並み。しかし

裏通りに入ると 特に 敷石や段差がデコボコで、 

観光地としてはまだ発展途上という感じだ。

 


事実 1945年の終戦以降 町は荒廃状態にあり 

一時無人となった時期もある。 共産主義化した為、

城など歴史的建造物が 封建時代の遺物とされ

価値を否定されたこともあった。

 

存在価値と美しさを 取り戻し始めたのは 

’プラハの春 ’ 以降のことだ。
07_20200515210801  

 

 

 

08.   支配者が代々変わり 300年余

増改築が繰り返されてきたお城だが、

この塔が備わる部分が 時代で言えば最も古い。

08_20200515210801

 

 

 

09.  この水車小屋は 今はカフェとなっている。


2002年にはヴルタヴァ川が 洪水で大氾濫を起こし

町じゅう大きな被害を受けたと言う。

09_20200515210801

 

 


10.   中心部の スヴォルノスティ広場


因みに、カメラを向けてはいないが 2019年の夏

広場を闊歩していた観光客の多くが 中国人の

団体ツアー客で  驚くような光景だった !

 


今年2020年 チェコでの新型コロナの流行は

どれ程だったのだろう。 ふと気になった ・・

10_20200515210801

 

 


11. 広場の裏手のレストランで昼食 地元の川魚。


お土産は チェコが誇る画家ミュシャの図柄の時計。

11_20200515210801

 

 


12.  町の一角に エゴンシーレ記念美術館がある。

結構大きな美術館だが 彼の主たる作品はそこには無い。


オーストリア生まれのシーレだが 母親の故郷である

この町に彼は度々滞在し 作品を描き残している。

12_20200515210801
           ( 絵はがき から )

 

 

 


13.   主に独特な人物画を残したシーレだが 

湾曲するヴルタヴァ川と家々の風景画も 

それらに劣らず個性的で 癖が強い。

 

エゴン・シーレは 第一次世界大戦が終わろうとする

1918年10月31日、 当時流行していた

スペイン風邪で 28歳という若さで命を落とした。


その3日前には妻エディートも シーレの子をお腹に

宿したまま、 同じスペイン風邪で亡くなっている。

13_20200515210801

 

3年間で 第1波第2波第3波と 流行を繰り返した

スペイン風邪、 3回の流行で 死者数は 

世界の未開の地も入れれば 八千万人近くと推定される。

 


始めは 米 英 仏 独等の主に軍隊内に蔓延した病が

大戦終了後の兵隊の帰還、鉄道の普及などで一般市民に、

そして全世界に波及。

致死率も第3波では5.3%に達した。

エゴン・シーレは 第2波に巻き込まれた形だ。

 


スペイン風邪という呼び名も 中立国だったスペインが

列強から押し付けられた形で、とても気の毒だ !

 

 

 

2020年の新型コロナの 世界での大流行も

スペイン風邪から学ぶことがあるかも知れないし、、


スペイン風邪で夭折したエゴン・シーレ、、

中国人旅行者であふれていたチェスキー・クルムロフ、

 


今回は  記事を書くあいだ

いろんなことが 頭を駆け巡った次第でした ・・

 

 


*    *    *    *    *

 

 

 

 

その他のカテゴリー

bellaのアトリエ 「アメリカ国立公園」は雄大なり! 「ウズベキスタン」 シルクロードのオアシス  「ウズベキスタン」 サマルカンドとタシケント 「チロル地方」オーストリア やっぱり凄い モンサンミッシェル りんごの村 アメリカ サンフランシスコ アメリカ セコイア・キングスキャニオン国立公園 アメリカ ヨセミテ国立公園 アルザス・ロレーヌ アールヌーボー発祥の地 イギリス 植物王国 イタリア ウンブリア地方 アッシジなど イタリア エミリア.ロマーニャ地方 ボローニャなど イタリア トスカーナ地方 イタリア ヴェネト州 ヴェニス・ヴェローナなど イールドフランス ウイーン 中欧・花の都 オンフルールは画家の聖地 カナダ メープル紅葉便り カナダからの手紙 英国の香り カンボジア アンコール遺跡群の旅 グラスゴーは意外とお洒落な街! ゴッホ終焉の地 ゴーギャンのブルターニュ ゴージャス!「イタリア湖水地方」 シスレー と ミレー スコットランド 「古城街道」と「ウイスキー街道」 スコットランド エジンバラ スコットランド中東部 歴史ある古都巡り スペイン サラゴサとタラゴナ スペイン マドリッド・セゴビア・アビラ・サラマンカ スペイン 地中海・ピカソの町とジブラルタル スペインの「白い村」 スペイン中西部、遥かな地平と丘陵と スロバキア ブラチスラヴァ セビリアとコルドバ アンダルシアの華 チェコ チェスキー・クルムロフと骸骨教会 チェコ プラハ ドイツ 「ロマンチック街道」 ドイツ ドレスデン・マイセン ドイツ ベルリン・ポツダム ドイツ「 古城街道 」 ドイツ南端 「アルペン街道」 ネッシーとハイランド ノルマンディ(フランス) バカラ クリスタルの町 パンプローナとその周辺 ピレネー山脈・大自然とその文化 ピレネー山麓・フランス側も面白い! フランス・中世ロマネスクの旅 ブダペスト ドナウの真珠 ブルゴーニュ 美食の地 ブルターニュ どの町も個性的! ポルトガル 「リスボン 郷愁の都」 ポルトガル コインブラ バターリャ アルコバサ ポルトガル リスボン周辺・魅力の歴史古都 ポルトガル中部・ナザレ ファティマ トマール ポルトガル北部 ポルト ギマランイス ブラガ ポルトガル鷹の巣城 マカオ ”エキゾチックタウン” ミャンマー インレー湖 ミャンマー バガン・千の仏塔がある古都 ミャンマー ヤンゴンと郊外 ミャンマー・マンダレー ミュンヘン ” のん兵衛天国 ” モネの色彩を育んだ町 モントリオールとケベックシティ ”私は忘れない” リヨン、フランス第2の都市 ルノワールのセーヌ川 ローマ 永遠の都 信州の風 光のスイスアルプス 光のフランスアルプス 北アイルランド のん兵衛と宗教対立テロの国 北仏画家の町 北欧 スウェーデン・ストックホルム 北欧 ノールウェー オスロ 北欧 ノールウェー ベルゲン 北欧 ノールウェー 滝とフィヨルド 北欧 フィンランド・ヘルシンキ 南フランス アルル・ニーム・アヴィニョン 南フランス ツールーズ・アルビ・カルカソンヌ 南フランス マルセイユ・エクサンプロヴァンス 南仏画家の町 国内旅行 国内旅行 中国編 国内旅行 九州編 国内旅行 北海道編 国内旅行 北陸編 国内旅行 東北編 国内旅行 東海編 国内旅行 関東編 奇岩のイタリアアルプス 活気のバルセロナ 花の都フィレンツェ 香港 びっくり見物記 魅惑のパリ

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリー

リンク先

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック