「ポツダム会談」が開かれた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」の赤い星
ポツダム会議が開かれたことで有名な 「 ツェツィーリエンホーフ宮殿
Schloss Cecilienhof 」 は ポツダム郊外の ユングフェルン湖と
ハイリガ―湖に挟まれた 風光明媚な半島部にある。
01. ツェツィーリエンホーフ宮殿は 1917年に当時の皇太子
ヴィルヘルム・フォン・プロイセンが 自ら鍬入れをして建設が始まった。
この館には皇太子妃 ・ ツェツィーリエの名が 冠されている。
02. ウイルヘルムがツェツィーリエ妃と結婚したのが1905年、
ツェツィーリエは 1917年 工事がまだ完了してないこの宮殿に
6人目の子供を出産するため (2年に1度の出産!) 入城した。
03. しかし 以後二人は安泰でこの地に暮らした訳ではなく、
1918年の君主制崩壊によって ウイルヘルムは財産没収・抑留・
亡命・ 条件付き居住権の再獲得・ ヒットラーナチスへの傾倒など
変わりゆく時代の狭間で 流転の人生を送った。
ツェツィーリエ妃とはほぼ別居状態で 最後に二人が会ったのは
末っ子のツェツィーリエの結婚式だった。
04. 「 ポツダム会談 」 という戦後処理会議が
君主の愛の巣のはずだったこの宮殿の名を 歴史に刻んだのだ。
* *
ソ連のスターリン 米国のトルーマン 英国のチャーチル 三巨頭が
1945年7月17日 ツェツィーリエンホーフ宮殿に入り
以後13回に及ぶ会議 Potsdam Conference がスタートした。
05. 第二次大戦の戦後処理は 国土割譲や賠償金をめぐり
戦勝各国の思惑が交叉し、 ポツダム以前にも テヘラン会談
ヤルタ会談・ベルリン会議などで 幾度も協議が重ねられて来た。
メンバーも ヤルタ会談後 4月にルーズベルト大統領が病死した為
米国代表はトルーマンとなり、 チャーチルが7月の選挙で労働党に
敗北した為アトリーに代わった、 という経緯がある。
06. 会談の中心議題は 敗戦国ドイツの非ナチ化
ドイツからの賠償取り立て ドイツ東部国境画定などだったが、
特に 米英とソ連の意見が対立し、会議は難航を続けた。
一方 日本はこの時点でもまだ徹底抗戦の構えを貫いていた ・・
* *
逆船底のような梁天井を持つ この皇太子一家のサロンが
全体の会議場となり、 バロック様式の豪華な階段が
報道陣の格好の撮影場所となり、数々の歴史的写真が残された。
07. ところで、 会談に際して 3か国の代表団には
入口を別々にした領域が割りふられ、 計36部屋に必要な家具は
ベルリンやポツダムの諸宮殿や別荘から持ち込まれた。
ソ連の執務室は 赤いサロンと呼ばれる皇太子妃の書斎だった所。
ベルリンはソ連の占領地域内だったため ソ連はホスト国として
他に 皇太子妃の音楽サロンや洒落た船室型のサロンなど
米英よりは広い範囲を使いまわした。
08. イギリスの執務室は 皇太子の喫煙室だったところ。
喫煙の機能が備わった部屋だが、 パイプをくわえた姿が良く似合う
チャーチルが 選挙敗北後この部屋に現れることは無かった。
09. アメリカの執務室は 皇太子の図書室だったところ。
現在は暖炉の設えとシャンデリアが変わってしまっている。
10. 皇太子夫妻は この宮殿に住まう前 衛生管理が充分
行き届かない館に住んでいたと言う。 その為だろうか
皇太子の浴室 (左下)、 皇太子妃の浴室 (右下) には
気配りが行き届き 見るからに清潔・機能的な部屋となっている。
ベッドルーム (上段)、 朝食ルーム (中段)、 二階にある
これらのプライベートゾーンは 想像では 流石に会議中
代表団などによって浸食されなかったのではないだろうか。
会議の行われた一階部分には 充分な部屋数があったからだ ・・
11. 1945年7月26日に発表されたポツダム宣言では
日本に 軍隊の無条件降伏 武装解除 国土の占領 日本の領土を
4島に限定 戦争犯罪者の処罰 などの諸条件が突きつけられたが、
とりわけ 天皇制の維持に関する確証が得られなかったことで
日本側は それまで同様 無条件降伏の提案を無視した。
一方 既に実験を済ませ 軍事上の切り札として原爆を所有していた
アメリカは これらを受諾しなければ 即刻日本を全滅させると迫った。
12. 原爆使用については 7月24日 既にトルーマンから
許可が下りていた。 日本政府のポツダム宣言無視により
ついに 8月6日広島に、 9日長崎に、 原爆が投下されたのだ !
8月15日 日本の天皇は歴史上初めて 国民に向けて
降伏を宣言する玉音放送を行った ・・・
13. 日独伊降伏受け入れによって 第二次世界大戦の終戦
処理は済んだが、 実はポツダム会談自体は大きな失望のうちに終了した。
ヒットラーに抵抗するという共通基盤が無くなった時 米英ソは
互いの世界観や政治システムが全く異なっていることに気付いた ・・・
それは新たな冷戦の始まりだった。
ソビエト連邦をリーダーとする共産主義国と アメリカをリーダーとする
資本主義国との対立関係が鮮明となり、 これまで 何十年も
数々の危機的ニュースが世界中にもたらされて来た。
しかし 今や 世界はもっと恐ろしい これまでとは質の違う冷戦が
あちこちで起きている。
ツェツィーリエンホーフ宮殿中庭に輝く ゼラニウムの花が作る
ソ連の赤い星は まるで 古き良き時代の思い出のように見えた。
( 古い時代の写真は ツェツィーリエンホーフ宮殿内の展示物、
小冊子から引用しました。
入場料にエクストラのお金を払えば写真を撮ることが出来る。 )
* * * * * * *