ウイーン 中欧・花の都

2019年8月 2日 (金)

音楽の都ウイーン・ 皇妃エリザベートが絶世の美女だったので・・

ウイーンは 音楽の都だ。  ハプスブルク家の宮廷文化を礎として

多くの音楽家が活躍した。   また そのハプスブルク家が輩出した

絶世の美女 皇妃エリザベートを敬愛する熱は未だに冷めない。





 

01.    ワルツ王 「 ヨハンシュトラウス二世像 」  市立公園

この金ぴかの像を見ると ウイーンにやって来たという実感が沸く。

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02.    ト音記号の花壇と 「 モーツアルト像 」  ブルク公園


ハイドン シューベルト そしてモーツアルトは オーストリア生まれだが

ベートーヴェン(独)やマーラー(チェコ)なども ウイーンで活躍した。

 


ウイーン最古の 「 カフェ フラウエンフーバー 」 で 1788年

モーツアルトがヘンデルのパストラーレ (牧歌的な曲) を演奏し、 


1797年にはベートーヴェンも 

4つの管楽器とピアノフォルテの為の 五重奏を演奏したと書いてある。

(ピアノは強・弱両方の音を表現出来るので 当時はこう呼ばれた)

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03.     「 国立オペラ座 Staatsoper 」  1869年

モーツァルトのドン・ジョバンニでこけら落としが行われた。 
 

オペラ座前で コカ・コーラ・ゼロ を無料で配っていた。 

勿論私ももらって ひと時 のどを潤し暑さを凌いだ ・・

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04.       オペラ座見学ガイドツアー 約40分

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05.    ウイーンでは気軽に楽しめる、言い換えれば 観光客用の

ナイトコンサートが 市内の至る所で毎夜開催される。  



オペラ座 楽友協会 コンツェルトハウス シェーンブルン、

ペータース教会 カールス教会 聖アンナ教会 アクアハウス等の

有名どころから 中小のホール カフェなど、 選ぶのに困るほどだ。 

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06.      オペラ座前、カラヤン広場では  昼間から 

モーツアルト時代の衣装を着た売り手が 熱心に勧誘していた。


( 因みに 私は旅先ではコンサ―トに行かない。  )

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07.   さて、ここは 「 カールス教会 Kariskirche 」 1713年

神聖ローマ皇帝カール6世が ペスト撲滅を祈願して建てたもの。

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08.    大理石の柱や壁画の美しさが抜きん出ている。 壁画は

長らく修復中だが、  パノラマ・エレベーターと名付けられた足場が

組まれており、 それで登ると 間近で天井壁画が見られる ! 

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09.    足場から堂内の華麗な装飾も楽しめるが、 天窓からは

正月にニューイヤーコンサートが行われる 「 ウイーン楽友協会

Wiener Musikverein 」  の赤い建物も見ることが出来る。

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 *    *    *

 

 


10.     さて 皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の皇妃エリザベートは

バイエルン王家の次女として1837年に生まれたが、 当初は平凡な

顔立ちで フランス語も話せなかったので 縁談話が全く来なかった。



フランス語は 各国の宮廷内での公用語として また

国際的な外交用語として 欧州広域で何百年も用いられて来た。 


それはフランス語が上品で優雅だから という理由より寧ろ、 

それぞれの国で話される民族語は 下賤の農民・庶民が使うもので

貴族階級の言語とは 区別・差別しておく必要があったからだ。




平凡な幼稚園の先生だった英国のダイアナ妃が ある日美貌を

開花させた様に、 16歳になったエリザベートにも輝きが訪れ

皇帝のハートは激しく揺さぶられ 一目惚れ結婚するに至った。

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( 星のドレスと呼ばれる舞踏会衣装を着た最も有名な肖像画 )






 

11.   美に生涯を捧げたと言われるエリザベートは 身長172cm

体重47kg ウエスト50cm (毎日コルセットでの締め上げに1時間)  

透明な白い肌と 5kgもの重量があったという 踝まで届く長い髪 

(朝夕 侍女がくしけずり結い上げた)  を持っていた。

 

こうした美貌は 健康的に痩身を維持する過酷なダイエット食生活、 

器械体操 強行軍の散歩 水泳 乗馬などの運動、 冷水浴や

マッサージなど、 涙ぐましい究極の自己管理により維持された。



しかしながら 誰しも老いからは逃れられない。 50歳代になると

関節の痛みや 栄養失調、 シミやしわ・美貌の衰えに襲われ、 

彼女は 傘や扇 黒いベールで顔を隠して歩くようになったと言う。

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12.    エリザベートの美貌が完璧であればあるほど 人は欠点を

何とか見出そうとするものだ。  鼻の穴が大き過ぎる 極端ななで肩だ

腕が丸太のように太い 歯並びが悪くて黄色い あごがしゃくれている ・・

 

また 彼女は堅苦しい宮廷生活を嫌い 贅を尽くした豪華旅行を好み、

特に お気に入りのハンガリーで過ごすことが多かった。  

( シシイと言う愛称も 人気のハンガリーで付けられたものだ )




そこで 外見ばかりでなくその生活ぶりについても、


皇后・妻・母としての役目を果たすことを一切放棄し

法外な額の買い物をするなど 欲望のままに放縦な生活を送った皇妃

といった 辛辣な批判と最低の評価が投げかけられた。

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13.     彼女は3人の子を産んだが  息子ルドルフ皇太子は

恋人と心中し、 自身も 旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで 

イタリア人の無政府主義者に短剣のようなヤスリで心臓を一突きされ

61歳で 1898年9月10日その生涯を閉じた。




しかしながら 百年以上経った今日、 ウイーンに行ってみれば 

未だ 彼女は熱烈に愛され、 肖像画がお菓子の缶になっている。



どっちみち人はいずれ歳を取るものだし、 

窮屈な宮廷生活と そりの合わない姑から 宮廷の外に抜け出て行く

行動力も自立心もあった 現代風の女性だったと言える。



美貌をそのままに 現代に蘇ったエリザベートは ある意味勝者だろう。


( 私が 彼女のカレンダーをお土産に買ったのも 

美のサンプルとして 私のダイエットの励みとしたいからだ  ^&^ ) 

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上の教会は 「 アウグスティノ派聖堂 Augstinarkirche 」


白くシンプルな作りだが、  マリアテレジア  マリーアントワネット

かのナポレオン  そして美貌のエリザベート  彼らの結婚式は 

みなここで挙行された 由緒正しき教会だ。  






彫刻は マリアテレジアの四女 マリアクリスティーナの死を悼む

家族の葬列。      美貌のエリザベートが 暗殺された時も 

こんな風に悲しむ人々がいたに違いない ・・・






 

*    *    *    *    *    *    *

2019年7月26日 (金)

王宮で白馬の古典馬術・ウイーン少年合唱団 シェーンブルンの庭園


ハプスブルク家が 13世紀後半から20世紀前半まで 600年間

暮らした 「 王宮 Hofburg 」 は、 代替わりの度増改築され 

今や 18の棟が入り組む一つの街のようになっている。




 

01.     全体では2500室以上に及ぶ宮殿だが、 

皇帝の部屋などコースで見学する部分と、 

博物館や乗馬学校・国立図書館・王宮礼拝堂など 

個別に訪ねる部分とがある。  



王宮の外壁を飾る芸術作品、 アートの腕を磨く絶好のオブジェだ!

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02.     街と王宮は境めが無いので  王宮の広場を斜めに

ショートカットすれば ウイーンっ子達も早めに家路に着けるかも ・・・

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03.   「 スペイン乗馬学校 Spanische Reitschule 」 1572年

マリアテレジアの父親が作った 世界最古の乗馬学校。 

強靭なスペイン種馬を導入したことからこの名が付いたと言う。

 

白馬がワルツのメロディに乗って 古典馬術の演技を披露する

公演がある。     VIPのお客様はシャンパンでお出迎え !?

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04.    ワルツが響くと 豪華なシャンデリアが青くライトアップされ 

上昇する。   そして馬たちが登場。 ( 演技は写真NG )



美しいメロディをバックに人馬一体でステップを踏む。 

これぞ 歴史と訓練が育んだ 優雅な貴族文化そのものだ。

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05.   「 国立図書館プルンクザール Nationalbibliothek Prunksaal 」

20万冊以上の蔵書を持つ 豪華絢爛 ” 世界一美しい図書館 ”。



天井の華麗なフレスコ画には 迫力ある群像 絵に描いた!バルコニー

今にも落っこちそうな人々、     だまし絵の面白さ満載だ。

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06.   図書館ホールの中央部に立つ神聖ローマ皇帝カール6世像。


オスマントルコ戦争関係 ・ マルティン・ルターの宗教改革関係の蔵書、

豊かな印刷技術を示すカラフルな挿絵付き楽譜 など

さすがハプスブルク家、 貴重且つ膨大な収蔵品の数々だ。

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07.    「 王宮礼拝堂 Burgkapelle 」 でのミサコンサート。

王宮礼拝堂のミサで ウイーン少年合唱団が歌うというので 

取りあえず 最前列の切符を買った。


ウイーン少年合唱団は 1498年創設と言うから 相当な歴史だ。

現在は東洋系の子も数人在籍している。

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08.     しかし 注意すべきだったことは、 これはあくまで

ミサであってコンサートではないという点だ。  少年たちは4階の

天井桟敷から文字通り天使の様に歌うばかりで 姿は見えなかった。



正面祭壇では ずっと国立オペラ座合唱団のおじ?さんたちが歌い、

やっとミサの一番最後に 

少年たちが ’ 地上に ’ 降りて来て一曲歌ってくれた。



ご覧の通り 指揮者も 4階と連携を取りながらの熱演だった !

もし少年合唱団が目当てなら 4階の切符を買うと良いらしい ・・

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 *    *    *



 


09.    さて次は 「 シェーンブルン宮殿 Schloss Schonbrunn 」


市街の南西部に建つこの宮殿は 17世紀に離宮として建てられ 

18世紀中ごろ マリアテレジアの肝いりで 最高に美しく仕上げられた。

 

マリーアントワネットもフランスに嫁ぐ15歳までここで生活し      

6歳のモーツアルトもここで 女帝に演奏を披露したと言う。

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10.     宮殿の部屋数は1441室もある。 模型の部分だけでも

馬鹿でかいが、 この何十倍と言う広さの庭園に囲まれている。



宮殿内は写真はNGだったが 豪華と言う点ではベルサイユと同じだ・・

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11.  宮殿南側に ネプチューンの泉と軍事的記念碑・グロリエッテ

が聳えている。    丘を登って行くにも30分はかかる広大さだ。

植物園など経由で 観光プチトレインで回るのもいいだろう。



この日、   腰まで届くウエーブの金髪に白い肌、

何とも形容しがたい 一風変わった女性が 丘から降りて来た。


豊かな毛量とスカートの中に尻尾を隠し持つ 摩訶不思議な

森の妖精フルドラが思い出され、 眼を離すことが出来なかった !

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12.      庭園の一角に 華やかなバラのアーチがある。


”  自撮り姫  ”

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13.      「  シェーンブルン動物園 Tiergarten 」 1752年

マリアテレジアの夫フランツ一世が作った 世界最古の動物園。


当時は  庶民の、でなく 皇帝夫妻のための動物園だった。

中央には夫妻が動物を眺めながら朝食を取ったパビリオンがある。 



しかし今では パンダもいるし、 展示方法に工夫があり

ヨーロッパのベスト動物園に選ばれ人気だと言う。   

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多分 動物園としては 質量共に上野動物園の勝ちだろうが

何はともあれ ハプスブルク家宮殿の庭にある動物園だ。



マリアテレジアのご威光には 

さすがの上野動物園も負けるかも知れない ・・・・・ ^&^

 





 

*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

2019年7月19日 (金)

カプツィーナ皇帝納骨所 仲良き夫と眠るマリアテレジアの豪華な棺


ウイーンのカプツィーナ教会の地下にある ハプスブルク家の墓所、 

「 カプツィーナ皇帝納骨所 Kaputinergruft 」 には 


12人の歴代皇帝・18人の皇后を含む138体の棺と 

4つの遺灰壺  5つの心臓壺が安置されている。





 

01. 「 エリザベート・クリスティーネ Elizabeth Christine 1750没 」


マリアテレジアの母親の棺。 中央に彼女の肖像を掲げる天使、 

棺の四方に弔意を表す精霊が 配されている。   

中でも 深い悲しみをうかがわせるベールを被る像が印象的だ。

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02.      「 ヨーゼフ一世 Joseph I  1711没 」

マリアテレジの父親の棺。 骸骨が頂く王冠は権力の象徴。



10のセクションに分かれた地下納骨所の中で、  棺の装飾は

時代が新しくなるに連れシンプルになる。 しかし ハプスブルク家が 

勢力を拡大しつつあったこの時代の棺は 実に華やかだ。

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03.      時代は逆行するが、 この墓所で最も古いのが

「 アンナ・フォン・チロル 1618没 」 の獅子足型の棺。




続いては、 何度も 画家ヴェラスケスによって描かれた王女

「 マルガリータ・テレジア Margarita Teresa 1673没 」 の棺。  
 

マルガリータは 22歳で亡くなるまで 6子の妊娠・出産を経験し

身体はボロボロだったと言う。  黄色い花が手向けられた 彼女の

棺を前に 愛らしく幼い王女のその後の生涯に思いを馳せた。

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04. これが 「 マリアテレジア Maria・Theresa 1780没 」 の棺。 
 

想像を絶する豪華で華やかな棺だ!

棺という概念を超えており 芸術作品そのもの。

 

しかも興味深いのは、 王侯の身でありながら 一般庶民の夫婦のように

仲むつまじく一つの同じ墓に収まっている。 殆ど聞いた試しがない。

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05. 「フランツ一世 Franz・Stephan 1763没」 とマリアテレジア

は 当時珍しい恋愛結婚で結ばれ 夫婦仲もすこぶる良好だった。



男5人 女11人 合計16人もの子供を 毎年のように産み続け、

早死にする子もいたものの、  ブルボン家一族等との婚姻によって 

戦争によらず ハプスブルク帝国の勢力を広げる原動力と成したのだ。



マリアテレジアは 夫の死後も女帝として国政に関わる一方、

最後の十数年は 黒い喪服を着続けた。

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06.  子供達のうち15番目が かのマリーアントワネットだ (下)。


フランスに嫁いだあと 娘の生活態度や浪費癖について 頻繁に

心配の手紙を送ったマリアテレジア (上) だったが、 
 

娘の悲劇的最後を見ずして世を去ったことは 

不幸中の幸いだったかも知れない。

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07.   一方 「 Joseph 2世 1790没 」 の棺はシンプルだ。
 

母親マリアテレジアも かなり先進的な考え方の持ち主だったが

それを上回る ’変わり者’ つまり啓蒙専制君主と呼ばれたのが

長男・ヨーゼフ。


普通保守的であるはずの君主が自ら近代化を進め、 農奴を解放、

諸派の宗教上の平等を定め、 学校や病院を創設し、近代化に

努めたのだ。 飾り気のない棺はそんな彼に相応しいかも知れない。 

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08.        04.とは反対側から棺を見る。 


右手コーナーには マリアテレジアの家族たちの棺が並んでいる。

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09.    マリアテレジの第三子 「 Maria Caolina 1741年 」 


世継ぎとなる男子でなく 期待外れにも女子だったため 親は大変

がっかりしたというが、 この 1歳で旅立った愛らしい子の寝姿像には 

親の深い愛情が感じられ、    私はことさら胸打たれたものだ。


右下の小さな棺は マリアテレジアの第一子 Maria Elisabeth 7歳

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10.  ヨーゼフ2世の最初の妻 「 Maria Isabella 1763没 」(右)


ヨーゼフは美しい彼女に一目で恋に落ち、 義母マリアテレジアにも

ことさら気に入られたマリア・イザベラだったが

天然痘と出産の肥立ちにより 22歳の若さで亡くなった。



               *   *    *



ヨーゼフ2世の二番目の妻 「 Maria Josepha 1767没 」(左)


夫のヨーゼフ2世は 悲しいかな 最初の妻・美女だったイザベラを 

生涯愛し続け、 背が低く太っていて不美人だったヨーゼファには

目もくれなかったと言う。


ヨーゼファも28歳で天然痘で亡くなったが 夫は葬式にも現れなかった。

この美しい棺からは想像もできないような 切ない悲話である ・・

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11.    さて 多くの皇帝の棺を通って 8番目のセクションへ。


ハプスブルク家の勢力地図も広がり、諸々の経緯でメキシコ皇帝となった 

「 マクシミリアン Maximilian 1867没 」、 


政情不安が渦巻くメキシコの治世に身を投じたものの 僅か3年で

メキシコ内戦の狭間で 共和国軍に捕らえられ銃殺されてしまった。 



メキシコから逃げ去らなかったロマンチストの皇帝に、 

労働者や農民・貧民にまつわる進歩的改革を果たしたマクシミリアンに、

今でも多くの花が供えられている。

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( マネによる絵が有名だ。 実際は 射手とはもう少し離れていた。)




 


12.      いよいよ近代に入り、  三人の家族のセクション、


「 かの美しき皇女エリザベート Elizabeth 1898没 」  

「 その夫フランツ・ヨーゼフ一世 Franz-Joseph I 1916没 」

そして息子の 「 皇太子ルドルフ Rudolph 1889没 」 が並んでいる。



三人の人生は それぞれ興味深い逸話に満ちており、

また 回を改めて出直した方が良いかも知れない。

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13.     美の追求に人生を掛けたエリザベートは 今日でも大人気。

花やリボン、 I love you などのメモ書きが添えられていた。 

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ハプスブルク家の歴史は偉大過ぎて  墓所を回ってもただため息が

出るばかりだった。  一族のあいだでも 似たような又は同じ名前が

繰り返し使われ 混乱することもある。



少々予習して来ても良いし またはぶっつけ本番でも

ウイーン来訪の折りは  この墓所だけは絶対見逃さないで欲しい ・・

 





*    *    *    *    *    *    *

 

2019年7月12日 (金)

ウイーン驚きのカフェ5選。 トルテ戦争・ザッハートルテのお味は!

ウイーンのカフェ文化は 19世紀半ばから花開き 今や

市内で 600軒を超えるカフェが 軒を連ねている。


カフェと言っても豪華絢爛、 かなりのカルチャーショックが味わえる。

 

今回は 特に有名どころ5軒のカフェを訪れて見た。




 


01.     💓  『 ザッハー Cafe Sacher 』


ザッハーに来たら取りあえず かの有名な ’ザッハー・トルテ’ を

食さねばならない。   ホイップクリームが添えられたトルテの 

中層部にアンズのママレードを挟んだものが正統的レシピだ。



コーヒーはホイップに砂糖を掛けて ジャリジャリと噛みしだく。

ナプキンとフォークの置き位置が独特だ。

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02.     オペラ座近くのザッハーには  今 常に観光客の

長い入店待ちの列ができるが、 当時も 大公や多くの音楽家が

足繁く通う大繁盛店だった。         しかし 



世界大戦後1930年代の不況時、店が傾きかけた際 ザッハーは 

なんと ライバルの カフェ・デーメルに援助を要請した。  

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 ( 新聞のスティックバインダーを模したメニューが有名だ )




 


03.       💓 『 デーメル Cafe Konditorei Demel 』


デーメルは 助ける代わりにデーメルでもザッハトルテを作る権利を

獲得する。       しかし やがて両家の代が替わると 

正統的 オリジナル・ザッハートルテをめぐり 裁判が起こされ、  



ザッハーとデーメルの間に ” トルテ戦争 ” なるものが

延々10年も 続いたのだ。

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04.      現在は 玉虫色の決着で 両者に製造・販売が

認められていて 互いは良きライバルであり続けているが、



かつて 皇妃エリザベートが 毎日のようにデーメルに使いを出し

ケーキを届けさせたことが縁で得た 

’宮廷御用達菓子商 K.u.K. Hofzuckerbacker ’ の看板は

とりわけ デーメルにとっての誇りだろう。

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  ( ザッハーを助けた時代の女主人 アンナ・デーメル考案の 

’アンナ・トルテ’ 右上  )

 





05.     💓  『 カフェ・ツェントラル Cafe Central  』


かつてハプスブルク家の宮殿だった建物内にある 宮殿カフェ。 



高い天井、 幾重にも重なる梁のアーチ が美しい。  所どころに 

フランツ・ヨーゼフ皇帝と皇妃エリザベートの肖像が飾られている

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06.     世紀末思潮・芸術が流行した19世紀末 このカフェは 

レーニン ヒットラー トロツキー フロイト クリムトなど 

政治家・知識人・文化人等が 寄り合う場所だった。



ウィーンを代表する作家ぺーター・アルテンベルクは 

通いつめた挙句 郵便の宛先住所をこのカフェに変えてしまったと言う。 

今や人形となって 店の入口でお客を迎えている。

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07.      アルカーデンホフと呼ばれるヴェネチア風の中庭と 

階段の造作が美しい。   このカフェでは、多くの映画が撮影され

ウィーンを舞台にした映画 「クリムト」 でもここが出て来るそうだ。

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08.     💓 『 ゲルストナー Gerstner  』


ウィーン国立歌劇場横の カフェ・ゲルストナー、  かの

エリザベート王妃が こちらも大のお気に入りだったことから 1873年

’ K.u.K.宮廷御用達菓子店 ’ の称号が与えられている。

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09.     ふかふかの高級椅子で ケーキをいただく3階サロン、 

ガラステーブルには 天井の見事な寄木細工模様が映り込み、 

周囲は 金箔の宮廷装飾が施された豪華な柱や壁が取り囲む。

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10.     階段で1階に降りると ケーキの売店がある。

見るだけでも 目の保養になる。          ところで、


前出のウイーン菓子の代名詞 ザッハートルテのお味は ?!  

ちょっと濃いめ ・・・  やっぱり日本人はあっさり系がいいかも。

 

600軒のうちの5軒ではあるけど、    ウイーンでは 

ここゲルストナーのケーキが 一番美味しかったと言えそうだ。

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11. 💓 『 ウィーン美術史美術館内カフェ Kunsthistorisches Museum 』


世界で一番美しいカフェ と呼ばれている。
 

ホール席から 八角形のドーム天井を見上げたり、 女王様のように 

バルコニから見下ろせば、 どこもかしこも優雅な美しさに満ちていた。

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12.     美術館には ブリューゲルやフェルメール、アルチンボルト

クリムトなど 有名な絵が目白押しだ。    日本でなら行列必至の

フェルメールも 何気なく壁に架かっている。



それにしても 中世の豪華な設えは 絵の雰囲気にマッチしている!

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13.     この美術館内カフェは 08.の ゲルストナーがもともと

監修していたそうで、 今も ゲルストナーの味に近いと言う。

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シーズン中は どの有名カフェでも 時には中国人の長い行列

が出来ていたり、   観光客の喧騒が漏れたり、、

地元民は 別の隠れ家カフェに逃げ込んでいるかも知れない。





私も ウイーンのカフェを5か所も巡る悠長な旅はもうしないだろう。



観光シーズン前 ある年3月の旅、 

素晴らしいウインナーメモリーでした !

 



 

*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

 

 

2019年7月 5日 (金)

シュテファン寺院で石打ちの刑を偲ぶ。大観覧車で異臭の思い出。


ウイーンのランドマークと言えば 「 シュテファン寺院 」 だ。

近年一気に増えた観光客が 引っ切り無しに大聖堂の内外を

そぞろ歩く。     厳かな礼拝はいつ行われるのだろうか。







01.   聖堂ではちょうど 女声合唱隊が聖歌を披露していたが、


頭上6m辺りに 見たこともない不思議なオーナメントが 

吊り下げられていた !    雲か岩か 隕石か 、、、  
   

辺りの人に聞いてみたが 一向に埒が明かない。

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02.  結局 現地の詳細なウエブサイトで その秘密を探り当てた。 
 

つまり、 ’石打ちの刑’ で殉教した守護聖人シュテファンを偲んで 

天空を1332個の石のオブジェで埋め尽くしたのだと言う。



昨今の環境配慮に沿って プラスチックは使わず紙だけで作られた

このアートワークは  3月6日 ’灰の水曜日’ から 6月10日

’聖なる土曜日’ まで飾られ、 受難節やイースターなどの節目には 

紫や赤のライトアップがされたらしい。

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              ( 中央祭壇の右手で 男声合唱隊が出番を待っていた )




 


03.   そもそも キリスト教の聖人は 激しい苦痛と共に殉教した者が

多く、  サン・シュテファンはその最初の殉教者に列せられている。


矢によって射抜かれたセバスチャン、 ネロ帝の迫害により

逆さ十字架で殉教したペトロ、 火炙りの後刺殺されたポリュカルポス



彼らの死は 後世の信者たちの信仰のよすがとなり、 

絵画彫刻など 芸術の題材ともなって来た。  シュテファン寺院で

遭遇したオーナメントも   2000年も後世の信者たちの

殉教者への現代的敬愛の表現法だ と思うと大変興味深い ・・

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      ( 有名な石の説教壇 右下で身を乗り出しているのが作者本人)

 





04.       シュテファン寺院の印象的な外観

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05.       南塔は343段の階段で、 北塔はエレベーターで

登ることが出来る (当然こっち)。    色タイルで葺かれた屋根の

デザインが美しい。 左はオーストリアの国章 右はウイーン市の紋章。


1950年は第二次大戦後 教会が再建された年だ。

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06.       ウイーンは観光馬車の街 、、、  

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07.      6月のこの日 気温は35度。  焼けつく熱さだ。
  

馬だってやってられない!

御者が馬や道路に水を撒いて 暑さを凌いでいた。

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08.      ウイーンの馬車の職場です。

 馬たちの働きを見てあげて! 

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09.       私のウイーン来訪は3回目、  
 

失礼ながら 昔は自ら目立とうとしない田舎都会だったウイーンが 

今や晴れやかに観光都市を自認している感がある。 

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10.     パリ同様 ほぼ全世界の観光客が押し寄せてはいるが、

特に、 近場の日本から旅行先をシフトし始めた中国の人々に 

ウイーンも占拠されかかっているかのようだった。

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11.  シュテファン寺院界隈で 学生が街の絵地図を手描きしていた。

ウイーン名物 「 プラター大観覧車 」 を組み合わせる者もいた。



観覧車は 1897年 皇帝の即位50年を記念して建造されたもので、

オーソン・ウェルズの 「 第三の男 」 や ジェームス・ボンド映画

などの 重要な場面で登場している。

設備は当時のまま 何も変わっておらず 貴重な文化財だ。

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                              ( 映画  第三の男 から )






12.    大観覧車に付いているワゴンはかなり大型で 定員が16名。

私の昔の記憶によれば  確か 手すり際に立ったまま 

ウイーン市街やドナウ運河の眺望を楽しんだと思う。   



ただ、 その時乗り合わせた西洋のご婦人方の 脇の匂いが強烈で、

広々したワゴンではあったが  むせかえるような異臭だけが

大観覧車の思い出となって残っている ・・・!

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             ( ペスト記念柱 ペスト大流行終結を神に感謝して建設されたもの )





 

13.     ペスト記念柱の手前、 多くの観光客が水を汲んでいた。

5月は18度に届かぬ寒さだったそうだが、 6月は熱波が来て暑かった !

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ホテルや目抜き通りの店は別として そもそも冷房という概念が無い。


灼熱の街路から逃げ込んだレストランで 扇風機すらない密閉熱地獄、、

あちこちで経験した今回の 中欧旅行でした 。





( 因みに 中欧とは 昔、東欧と呼ばれた地域のこと。 
 

世界の勢力地図がどんどん変化し、 もっと東にヨーロッパが

広がったことが そのネーミングの理由らしい。 )

 






*    *    *    *    *    *    *

 

2019年6月28日 (金)

ウイーンと東京でクリムト・シーレを観る。ウイーンで菩提樹に遭う。


ウイーンの 「 ベルべデーレ宮殿 Schloss Belvedere 」 は

フランス人貴族によって1723年に建設された後 ハプスブルク家の

夏の離宮となり、 華やかな歴史を紡いで来たバロック様式の宮殿だ。 





 

01.    1903年に宮殿の一部が美術館となって以来、

国家買い上げの クリムトの 「 接吻 」 は 超目玉作品として 

ずっと同じ位置に君臨している。

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02.    近年のクリムト人気で 美術館はいつも長蛇の列

季節によっては 何十分も 順番待ちしなければならない。 



門扉からの景色が オーストリアの20セントユーロコインの

デザインとなっている。    ユーロは国毎に裏面のデザインが

違うので 気を付けて見てみたい。

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03.     折しも 2019年夏 日本とオーストリアの国交樹立

150年を記念して 東京都美術館と国立新美術館 両方で 

クリムト、シーレなどの展覧会があった。         実は肝心の



ウイーンで クリムト作品が手薄になっていたらどうしようと 心配も

したが 杞憂だった。  少々の作品放出で本家が貧するはずもなかった。

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                    (  フリッツア・リドラーの肖像 )





04.       館内は写真OK。 入場数制限のお陰で 

思いの外ゆっくり見られたが、  小学生や青年達の校外学習は 

欧州各国の例に似て  相変わらず盛況だった。

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05.     グスタフ・クリムト (1862~1918 ) の芸術と生涯

については 多くが語られているので ここでは遠慮するが、



このように 顔などは写実的に、 それ以外は装飾的なデザインで

描くのが 正にクリムト的と言える。

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                          「 花嫁 」






06.     「 アダムとエヴァ 」 (左)    美人さんもパチリ!  

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      🎨           🎨



07.   次は エゴン・シーレ (1890~1918)。  彼はクリムトを

師として、  魂をえぐる様な 錯綜的・独特な絵を描いた画家だ。

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                    「 エディス・シーレの肖像 」

 




08.     シーレは スペイン風邪によって28歳で早世するまで、

性病で亡くなった父 後年正気を失った母、 のようになるのでは

ないかという恐怖に 常に苛まれていた ・・

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      「 抱擁 」 (上)   「 編集者 Edua 」 (下左)

 




09.    ベルべデーレ美術館では クリムトへの期待が大きかったが

想像以上に エゴン・シーレの大作が充実していた !



因みに 小品はさらに魅力的なのだが 世界最大のエゴン・シーレ

コレクションを持つ レオポルド美術館は 残念ながら定休日だった ~

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                        「 死と乙女 」





10.      実に暗く汚れた色だが、 

それがまた とてつもない迫力を放っていた。

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              「 家族 」   「 二人の子と母」 

 




11.     さて 私は クリムトとシーレの熱狂的な!?ファンの一人

であるが、   実は 二人の風景画が ことのほか大好きだ。  



根暗なシーレの風景画 、  楽天的なクリムトの風景画 、、 

自分のスクリーンセーバーはクリムト版で 作ってある。

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                       「 シェーンブルン公園 」




 

12.     キラキラ輝く緑の木々、 細かい筆致で蒔き放たれる

色の点、    クリムトにとっての原風景は 一体何なのか、 

私は6月のウイーンを訪れて、 もしかしてこれ? っと気が付いた。

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                                  「 公園 」




 

13.      それは 街や公園のそこかしこに植えられていて 

6月に黄色い花を付ける ” 西洋菩提樹 ” だ。 



丸い葉っぱが 一粒ひとつぶの筆致で、 そこから漏れる幾千の

光の粒と影の集合体が クリムトの風景画の原点ではないだろうか。



お釈迦様のインド菩提樹とは違う  ” ウイーンの菩提樹 ” だ

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今回 あるオーストリア人が言っていた。

” 菩提樹は 我々オーストリア人の魂の樹です ”   と。

 




6月に 上野と六本木とウイーンを訪れ クリムトとシーレの絵を

存分に鑑賞出来て大変幸せだったが、  私にとって最高の歓びは 

 

黄色い花を咲かせた 光り輝く6月の菩提樹に巡り合ったことだった。






 

*    *    *    *    *    *    *

 

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