ポルトガル コインブラ バターリャ アルコバサ

2018年6月 8日 (金)

「バターリャとアルコバサ修道院」 復活後互いが見えるよう配置された棺!


ポルトガル中部に 有名な二つの修道院がある。


「 バターリャ修道院 」 と 「 アルコバサ修道院 」、  それぞれで

深き愛の形を示す 棺の物語がありました。






01.    「 バターリャ修道院 Monesterio de Batalha 1388~1515年」


王位を狙って攻めて来た 現スペインのカスティーリャ軍を打ち破り

ポルトガルの独立を守ったジョアン一世が 

聖母マリアに感謝を捧げるため 建立したのが この修道院。

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02.    「 ジョアン一世の回廊 」  レース模様の美しい透かし彫り。


修道院にしては珍しく 衛兵がいた。

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03.       ここには無名戦士の霊が祀られており、 

カッコいい衛兵が直立で守護していた。    


内部の博物館では 第一次世界大戦とアフリカの植民地争いで命を落とした 

無名戦士の遺品や武器 捧げものなどが展示されている。

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04.     さて、 これが ジョアン一世と王妃フィリバ・デ・ランカスターの棺。

下々の目線が届かぬ背の高い墓だが、 2人の像が並んで寝ているのは分かる。



戦いや歴史に翻弄されたとか  何人も側室がいたとか 

王と王妃が同じ墓に入るとは限らないのが世の常なのに 仲睦まじいことだ !

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05.      ジョアン一世は 夫婦仲もよく 9人の子沢山だったが 

子たちはいずれも優秀で それぞれポルトガルの発展に寄与した。   


下は エンリケ航海王子(天蓋付き)を 含めた4人の王子の墓。

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06.      修道院の全景。    この建物の裏側に回ると、

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07.     「 未完の礼拝堂 Capelas Imperfeitas 」 がある。


ジョアン一世から王位を引き継いだ 第3子ドゥアルテ一世により建設が

始まったが 100年程で工事は中断、 未だに未完だ。


色々理由はあった様だが、 日本の建物なら 何はともあれ屋根だけは

架けないと雨ざらし、、、     さすが石の文化だ !

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08.     こちらの貴人たちも 二人一緒で 仲睦まじいこと。

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09.    次は 初代ポルトガル王が キリスト教国地位固めのため建設した 

「 アルコバサ修道院 Monesterio deAlcobaca 1153~1222年 」



18Cの改装も加わり 白鳥が両翼を広げたような 優雅で美しい佇まいだ。

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10. ここには 有名な悲恋物語の主人公 ペドロ一世とイネス妃の棺がある。


カスティーリャ王国から輿入れした正妻に随行した侍女・絶世の美女イネス

と恋に落ちた王子ペドロ、  3人の子まで設けるが イネスは結局暗殺される。



ペドロは国王に即位した後 イネスの遺体を正式な王妃として迎え入れ 

手厚く葬る。      その二人が眠るのがここアルコバサ修道院なのだ。

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11.  イネスの死後10年 再婚することなく亡くなった国王 「ペドロの棺 」 


足元は 国王らしく6頭の獅子によって守られている。  

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 ( 横たわる王の石像とイネスの石像 ↓の 足の向きに注目 ! )







12.    「 イネスの棺 」    愛らしい天使に守られたイネスは 

石像ながらも 優雅な美しさを湛えている。


足元は 醜い獣に変えられた 暗殺に関わった6人の重臣とされる。

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13.     実はこの二人、  最後の審判の後 生き返った時

起き上がりすぐ互いの顔が見られるよう 向かい合って安置されている。



改めて この写真を見ながら   

起き上がった二人を想像しただけで  胸がキュンとする !  

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  一つの棺に並んで眠る王と王妃、  


こうして向かい合って 復活の日を待つ 悲恋の王と王妃、  


二つの愛の形を見た修道院巡りとなりました。






★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2018年5月25日 (金)

コインブラ・学生の誇り高き黒マント 裾を切られ 地面に敷かれ

ポルトガル中部の 「 コインブラ Coimbra 」 は大学生の街だ。


学生がまとう 印象深い黒マントには 色々秘密がありそうです~






01.    市内バスでコインブラ大学のある丘に上がって来た。

通りに面して学舎がある。   街そのものがキャンパスのようだ。

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02.     まずはロマネスク様式の 「 旧カテドラル Se Velha 1162年 」 

を探訪。  レコンキスタの時代には要塞となっただけあり 重厚な佇まいだ。

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03.    13世紀の回廊から コインブラ大学の時計塔が見えた。


近いように見えても 経路によっては 大回りさせられることもある。


外に出て 大学への道を教えてもらおうと 一人の学生に声を掛けた。  


すると彼は 

今降りてきた道をわざわざ引き返し 大学まで案内してくれた。

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04.      時間は昼の12時半。 ” 少し前に起きたところなんですよ ”

  おや、試験勉強で徹夜でしたか 、、 ” いやあ~ 昨夜は飲みすぎまして・・・”



ところで 学生さん、 日本とポルトガルは とても深い関係にあるんですよ、

なにしろ日本人が 最初に接した西洋人は ポルトガル人なんですから 、、

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05.     ” 知ってますよ! ポルトガル人が 初めて日本に鉄砲を

持ち込んだのだけど、 日本人はその最初の2挺から 構造や作り方を研究して

あっという間に 何百挺にも増やしてしまったんでしょう! ”



どうやら 《 ポルトガルからの鉄砲伝来 》 が  ポルトガルでは

《 日本への鉄砲伝達 》 として教科書に載っているらしい!  
  
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( コインブラ大学 1308年 と カブラ(山羊)と呼ばれる時計塔 )







06.     それにつけても 学生たちの黒いスーツとマント姿がカッコいい !


昔 コインブラ大学の儀式などで用いたコスチュームが 日常の制服となり、 

やがて ポルトガルの他の大学にも浸透していった。



Tシャツとジーパンで過ごせば もっと楽なのに、 このスタイルが伝統的に

継承されて来たのは ひとえに 最高学府の学生としての誇りによるものだ。



日本でも有名校の制服を着て歩くのが誇らしいのと似ているかも知れない。

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07.      ウール製の重たい黒マント、 肩に掛けたり 腕で抱えたり

本当に荷物になりそうだ。      しかしこのお荷物マント、 飲み明かして

酔い潰れても くるまって路上で寝込むのに便利だそうだ !?



また今回実際に 八百屋の店先で 盗んだネギをマントに隠し 

逃げようとした学生が 店主にこっぴどく叱られるのを目撃した。


マントの効用は多種多様です !



さて、    彼女に付いて学内に入ってみた。

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08.       かつてラテン語で話すことが義務付けられていた  

「 ラテン回廊 Via Latina 」。



キャフェテリアには 普段着の学生も沢山いた。

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09.     さて、学生の黒マントの内側に ちらりとワッペンが見えることがある。

学生生活中 所属したグループの会員証や 成績優秀の賞 スポーツや特技で

獲得した称号などのワッペンが びっしりと縫い付けられる。



その上、 マントの裾は 進学や卒業など機会を得て 縦に切り割かれる。

右裾は家族によって、左裾は親友によって、背中は恋人によって切られるが

その際 ナイフではなく 手か歯で切るのがルールだと言う。



かくして ボロボロのマントは 単なる服でなく 

学生の人生の重さ・深さを 言い表すものとなって行く。

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( 帽子の間 Sala dos Capelos 学位授与などの儀式が行われる )







10.     こうして人生を共に過ごした ’ 愛しいマント ’ を

卒業生が 地面に敷いて先生を歩かせたり (写真右下 h.pから) 、 

レストランの入口で やって来たお客にマントを踏ませたりすることがある。



これは おもてなしの心を表す一つの表現法だと言う。

つまり 自分にとってこんなに大事なものを差し出すのだから 

これ以上ないおもてなし ・ 感謝だ、  というコンセプトになる。
 
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 ( ジョアニア図書館 Biblioteca Joania 1724年 30万の蔵書 )







11.      さて このカッコいい制服姿、 映画ハリーポッターで

採り入れられている、 と世間で噂されている。   著者 J・K ローリングは

1991年 ポルトで英語教師の職を得て 2年弱ポルトガル暮らしをしている。



彼女はポルトでハリーポッターを執筆し、 結婚 出産 離婚なども経験、

意味深い人生の傍ら  学生服にもきっと興味を持ったに違いない。 

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12.       大学の丘から モンデゴ川岸に降りて来た。
 
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13.      あちこちで 大学生に会った。


学校行事で 何かの役に扮装している学生もいれば、 

劇中人物にも見紛う 普通の!学生さんもいた。 
 
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コインブラは  ハリーポッターのホグワーツに劣らず 


素晴らしい学生の街でした ~








★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2018年5月18日 (金)

コインブラの黒マントの学生達・王子の悲恋(侍女が美女だったばかりに!)


ポルトガル中部の 「 コインブラ Coimbra 」 は リスボン、ポルトに次ぐ 

ポルトガル第3の街で、 1290年創設の大学を中心に広がる文教都市。






01.   10月のある日 街に入ると 早速バス停に大学生がいた。  


日本でなら ハロウィン? なんて言われかねない非日常的風景だ。

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02.     キラキラと青く輝くモンデゴ川 Rio Mondegoに面したコインブラ、

丘の上に大学がそびえ 下町にもそのキャンパスが広がる。 

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03.    サンタ・クルス修道院が面する 「 5月8日広場 」 は 

商店が並ぶ中心地だ。   大学のある丘への行き方を学生に尋ねると 

流暢な英語で 気持ちよく接してくれた。 

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04.       やっぱり ポルトガル、 


三輪オートバイを改造した焼き栗屋さんが 広場に出ていた。

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05.     古びたアズレージョタイルの Tabacaria 、 タバコ屋と言っても


タバコ 新聞 雑誌 ちょっとした飲み物 切手やロトくじ などを扱う雑貨店だ。

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06.    光と影、  モニュメントを描いた壁が街の風景画そのものに ・・

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07.       壁に描かれているのは  1308年コインブラに建設された 

「 旧大学 Velha Universidade 」 。 

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08.     日本で 旧制高校の学生が 学生帽・黒マント・高下駄で

街を闊歩したのは戦前のこと。          それが なんと・・


コインブラでは まだ 今日の日常風景なのです!

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09.      さて コインブラには有名な悲恋の物語がある。 


1340年ポルトガルのペドロ王子は カスティーリャ王国のコンスタンサと結婚する。

しかし彼は随行した妃の侍女、 その美しさから ’しらさぎの首’ と謳われた

美女イネス・デ・カストロと恋に落ちてしまう。



激怒した国王に 一旦は引き離されるが、 コンスタンサ妃の死後

ペドロはイネスを側室とし、 3人の子までもうける。     しかし、



カスティーリャ王国との友好関係にひびが入るのを恐れた国王は

イネスを宮廷から追放し その後イネスを処刑するよう3人の貴族に命じた。

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10.      1355年1月7日 サンタ・クララ修道院で捕らえられたイネスは

断首刑に処されてしまう。       失意のペドロだったが 1357年に王位に就くと

イネス・デ・カストロとは正式に結婚しており、彼女は王妃であると宣言する。



ペドロは既に葬られていた彼女の棺を掘り起こし、 宮廷へ王妃の礼を

持って運ばせ、 臣下らに 王妃の遺体の手に接吻し忠誠を示すよう命じた。

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(  モンデゴ川を挟んで コインブラの対岸にあるサンタ・クララ修道院。

彼女の石像は 永遠の愛を詩っているかのようだ。 )







11.     しばらく サンタ・クララ修道院にあったイネスの遺体は 王の死後

「 アルコバッサ修道院 」 へ移された。   最後の審判の後、生き返った時

起き上がりすぐ互いの顔が見られるよう 王の棺と向かい合って安置されている。






さて、 そうこうするうち

丘の上の大学に向かうバスが 焼き栗屋の向こうからやって来た。

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12.    歴史地区を走るバスは 観光用でもあるが 年寄など地元民にも

便利な足となっている。      バスの鼻先は地面を擦らんばかり !


とにかく 街の坂道の勾配は半端なく急峻だ。

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13.     バス道は この先 袖を擦るほどの細い道となって行く。


頂上には  古色蒼然たるコインブラ大学と 

劇中人物のようないでたちの大学生が待っていた !

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ヘドロ王子とイネスが葬られている アルコバッサ修道院へ

私は コインブラを出たのち 立ち寄ることにした。





侍女と言っても イネスは貴族の出だ。   現代生活にも当て嵌まるが


主役より美人な脇役が登場すると 何かの火種となることがある !?   




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