ポルトガル中部・ナザレ ファティマ トマール

2018年3月16日 (金)

ポルトガル・ファティマ 「記録写真が示す聖母マリアの奇跡!」

 
1917年、 ポルトガル中部の寒村 「 ファティマ Fatima 」 で 

3人の子供達の前に 聖母マリアが出現するという奇跡が起こった。


中世の話でなく、  まだ生々しい 20世紀の出来事だ ・・






01.      6月のある日 

私達は不思議な雲に導かれてファティマに近づいた。

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02.     奇跡の始まりは1917年5月13日、 聖母 「第1回目の出現」


10歳の少女ルチア、 そのいとこ 9歳の男の子フランシスコ、

7歳の女の子ヤシンタの 3人がいつものように 丘の上で羊番をしていると

正午頃 突然つむじ風が巻き起こり 強い稲光が差し、

純白のドレスの聖母マリアらしき貴婦人が現われた。    彼女は



「 何も怖れることはありません。 今後は毎日ロザリオの祈りを唱えなさい。

これから5ヶ月間 毎月13日の同じ時刻に この場所に現れます 」 と

告げると  光に包まれた雲と共に去った。

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  ( ルチア、 フランシスコ、 ヤシンタ  )






03.       6月13日 「第2回目の出現」


3人の子供達と噂を聞きつけた村人の前に、 聖母は 約束どおり

現れるが、 人々には その姿も見えず声も聞こえない。


ただ ルチアには 「 よく勉強して早く字が読めるようになるように 」 、  

ヤシンタとフランシスコには 「 あなたたちは 間もなく天国に

召されるでしょう 」 と告げた。

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04.     聖母が預言したとおり、 

フランシスコは1年10ヶ月後の1919年4月4日、 

ヤシンタも 2年8ヶ月後の 1920年2月20日に死去している。  



フランシスコは 病気になってからも不満を口にせず 満ち足りた面持ちで

聖母様がぼくを連れて行く、 と言い続け 

肺炎で その短い一生を終えた。



ヤシンタは 体の左側に 膿のあるコブができ、 

実際ドナ・エトテファニア病院に入院、 手術をしたものの

甲斐なく、 やがて兄の待つ天国へと召された。

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    ( 人々は ろうそくを灯し 祈りを捧げる )






05.        7月13日 「第3回目の出現」


7000人に膨れ上がった見物人には 相変わらず何も見えないが、

ルチアには  10月に大奇跡が行われることと、 後に

「 ファティマの大予言 」 と呼ばれる3つの予言が告げられた。



ルチア自身は 後に、カルメラ会に入会して修道女になったが、

この時の 聖母との対話の一部始終を記述した文書を 

1930年に作成している。

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( 聖母が現れた地点に建てられた バシリカ Basilica。

広場の収容人数は30万人 大祭の時は 人で埋め尽くされる。 )







06    さて、第1の預言は、 間もなく第1次世界大戦が終結すること

第2の預言は、共産主義の台頭と 第2次世界大戦の勃発だった。

第3の予言の内容は 1960年までは 公に出来ないとされた。 



これらの予言は 聖母がそのような具体的な言葉を発したのではなく、

聖母がルチアに示した暗示と幻影と言葉から 読み解いたものだと言う。

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07       8月13日 「第4回目の出現」


ルチアたち3人は 出現の日を待たずして、人心をたぶらかす行為だ

として 当局に拘束されてしまったので、 約束の場所に行けなかった。

が、 そこには なんと約1万8000人もの群集が集まった。



群集はすさまじい雷鳴と閃光とともに 強烈なイナズマを目の当たりにする。 

地上には虹のような光が満ち、太陽の周囲の雲はさまざまな光を反射した。

聖母は そのような形で 群集に 自らの存在をほのめかせたのだ ・・



一方 子供達は どんなに脅されてもその落ち着いた態度は揺るがず

8月15日に 釈放された。

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08      9月13日  「第5回目の出現」


3人が当局に監禁された話も伝わり、  ますます人々の関心を呼び

群集は3万にも膨れあがる。



この奇跡の正体を暴こうと 司祭達もやって来たが、  彼らの前に 

光り輝く たまご型の球体が現れ ゆっくりと移動するのを目の当たりにすると


あれは天国の乗り物で、 聖母を玉座から この禁断の荒野へ運んできた

’ 聖母の乗り物 ’ だと、 感動しながら 認めてしまうあり様だった。

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09        10月13日 「最後の奇跡」


噂を聞いてヨーロッパ全土から集まった群衆は 7万人とも10万とも言われた。 

その中にはヨーロッパの主要な国の新聞記者、科学者、大学教授の顔もあり

単なるお伽噺で終わらない 多くの証拠写真が残ったのだ。



この日は早朝からの雨で 奇跡の場所コーワ・ダ・イリアは泥沼のようだった。

群集をかき分けながら ヤシンタは警官に抱かれていつもの場所に向かう。

固唾を呑んで見守る人々、、  奇跡なんて嘘だと揶揄する人々、、



正午ぴったり、ルチアが叫んだ。  「 あのお方がいらっしゃいました・・・ 」


先刻からの雨が止み、 黒い雲に覆われていた空が大きく割れると、

突然青空が現れ、太陽が姿を現わすと 奇妙な動きを見せ始めた。

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 (   現れた聖母に祈りを捧げる3人   警官に抱かれて進むヤシンタ 、


聖堂隣り、

奇跡や迫害などのシーンを人形などで物語るミュージアムもあった )







10      子供達にしか見えない聖母の姿 


「 聖母さま あなたがここにいらっしゃることを どうか他の人たちにも 

わかるようにしてください・・ 」   ルチアの要請に応じて 

聖母は 自らの存在を 太陽の変則的な動きで示し始めた。



太陽は 一瞬揺らめいたあと、花火の輪のように回転し、あらゆる色の

光線を振りまくと あたりは虹色に包まれ、幻想的な世界へと化した。


次に 太陽は水平に移動、元の位置に戻ると また回転を始める。

2度の小休止をはさんで 3度目の太陽の色彩放射は一番激しかった。



そして突然、目もくらむような太陽の急降下が始まる。

ジグザグに落下する太陽を見て、群集は凄まじい叫び声をあげ

パニックに陥り逃げ惑う。    しかし 突然太陽は落下を中止、

ジグザグに上昇し もとの位置に戻った。




この大スペクタクルが繰り広げられた時間は 約10分間、

群集は、今起きたことが信じられない様子で 放心状態のままだった・・

この現象は隣町でも見られたと言う。




聖母はこの時 この地に礼拝堂を建てるよう言い残した。

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11.     バチカンは長い時間をかけてこの事件を調査し、

13年後の1930年10月13日、司教書簡 「神の摂理」 の中で、

ファティマにおける聖母の出現は信じるに値し、

ファティマの聖母に対する信心を許可するという 異例の宣言を行った。




ところで 1935年9月12日、ヤシンタの遺体を村の共同墓地から

ファティマの聖堂の墓地に移すために棺を開くと、

遺体はまったく腐敗していなかった。



死後16年・・・ 人々は 不思議な力を感じずにいられなかった・・・

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12     ところで 第3の予言は 一人生き残ったルチアと 

法王のみが知っているとされたが、 2000年になって それは

1981年5月13日のヨハネ・パオロ2世の襲撃を予言したものだったと、

発表された。



九死に一生を得たヨハネ・パオロ2世は マリアの加護に感謝するため

翌年の5月13日 ファティマを訪れている。



しかし、 予言はそのことなのではなく 世界の終末の黙示ではないか、

ローマ法王庁は 教会に都合の悪いなにかを隠しているのではないか、  

といった憶測も 依然流れている。

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  ( バシリカの周りは ホテルやみやげ物屋がならんでいる。

              駐車場の柱の余りの細さにビックリ !  )








13      ルチアは カトリックの修道女として 2005年2月13日

コインブラのカルメル会修道院で  97歳で死去した。    



ルチアは 奇跡の紛れもない証人として 教会からも国からも 

認められた存在であり、葬儀の日は ポルトガルの国の休日となった。

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   (  60歳のルチアと 死後のルチア、  

襲撃後 1982年 マリア像に感謝を捧げるヨハネ・パオロ2世 )





                 



この日、

ファティマで私を迎えた素晴らしい光の雲は 単なる雲には違いないが、



ここポルトガルで、 ここファティマで、 聖母の奇跡があった、、、


ということを想像するに十分な 心に響く舞台装置となりました ~ !











。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚
 

2018年2月23日 (金)

「ナザレ」聖母マリア断崖の奇跡・巨大波サーフィン世界記録はナザレで 

 
  • ポルトガルの小さな漁村、ナザレには 崖の上と下とに街がある。


    今回は 崖の上の旧市街 オ・シーティオ地区を見てみよう。






    01.     海岸部のア・プライア地区から ケーブルカーが登り出した。


    両脇のアロエの茂みが南国的だ。 ナザレの緯度は 日本の秋田付近と

    同じだが、 ポルトガルには大西洋の暖流が流れている。

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    02.     広場では 早速 民族衣装のナッツ売りを見つけた。


    試食してみて、と 一つまみのピスタチオを渡された。

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    03.     広場の脇にあるのが 「 ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会 

    Igreja Nossa Senhora da Nazare 1377年建立、 現在のは17世紀 」



    ナザレという地名は 8世紀 ロマノという僧がガリラヤのナザレから 

    マリア像を携えてやって来たことに由来する。

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    04.      崖から望む 素晴らしいコスタ・デ・プラタ (銀海岸) 風景

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    05.     打ち寄せる波が織りなす 繊細な 白いレース模様 ・・



    ところで ガリラヤの僧が持ってきたマリア像は 崖の洞窟の中に隠され、

    468年後、 12世紀に羊飼い達に発見される。  すると ある奇跡が

    起き、 それによってこの地は聖地として一躍有名になった。

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    06.   『 1182年のある霧の朝、 ある城主が馬に乗って狩をしていた時、

      追っていた獲物の鹿が 岬の端でハタと姿を消す。 不意を食らった馬は 

    後ろ足のみで断崖で踏ん張るが 前足はすでに空を切る。 眼下の大海原に

    落ちんとしたまさにその時、 聖母マリアが現れ 馬を押し返した。 』



    九死に一生を得た城主は その加護に感謝して礼拝堂を建てたという。


    その 小さな礼拝堂の内部はアズレージョタイルで装飾されていた ・・

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    07.        「 メモリア礼拝堂 Capela da Memoria 」


    内部にイエスに乳を与えるマリア像があり、 外壁のアズレージョタイルには

      崖から落ちんとする騎馬を マリアが救う場面が描かれている。

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    08.     聖母マリアの奇跡、 その場面が目に浮かぶような断崖だ ・・

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    09.     聖母マリアの奇跡の後 巡礼者たちが押し寄せるようになり

    ナザレ村は大きく発展し 03.の 教会が建てられるほどになった訳だ。


    巡礼者の中には あの ヴァスコ・ダ・ガマもいたと言う。

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    10.      ナザレの女は働き者と定評があるが、  この老婦人も

    せっせとお客の対応に余念がなかった。

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    11.      一方 ナザレの男たち、 展望台で悠々と海を眺め

    話に興じていた。     飼い犬たちも オスに違いない !?

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    12.      さて 話は変わるが、 この青く輝く穏やかなナザレの海に

    冬場 巨大波が出現し、 冒険サーフィンのメッカとなることは 

    あまり知られてないかもしれない。



    2017年の1月、 Benjamin Sanchis というフランス人サーファーは ハワイで

    大きな波を待っていた。 しかし、 数日中にポルトガルのナザレで巨大波が起きる

    と言う天候予測をキャッチ、 急遽ポルトガルに向けて飛行機に乗り込んだ。 




    乗り換えなどで 2日間ろくに眠れないまま 何とかナザレにやって来た彼は 

    1月18日木曜日、彼のサーファー人生一の 25mの巨大波を制覇したのだ !

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    13.     その時の様子を伝える画像・動画などが ネットで紹介されている。


    見物人たちは 断崖の突端、今は灯台が立つ17世紀のサン・ミゲル要塞に

    集まった。  1月のこととて 皆冬服だ。



    因みに 2011年11月に 伝説のアメリカ人 Garrett McNamaraが 

    マークした当時の世界記録23.77mも ここナザレの大波がもたらしたものだ。

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    ’Ouest France ’ の情報記事は  『  65歳のパラシュート退役軍人は 

    見るだけでアドレナリンが身体じゅうに充満する、 彼は狂気のサーファーだ !


    69歳の漁師は この四分の一の高さの波だって 自分なら船を出さない、 

    彼は向こう見ずなヤツだと言うしかない。   しかし、

    彼のお蔭で ナザレは有名になったけどね ・・ 』  などと伝えている。





    ナザレで 巨大波が発生するのは10月から2月頃とされている。


    興味のある方はお出かけしては ・・  



    サーファーとしてか、 見物人としてか はお任せしますが !








    ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
       

2018年2月16日 (金)

ポルトガル 「ナザレの女」 何ともエキゾチック!


ポルトガルの 「 ナザレ Nazare 」 は 大西洋に面した 人気の観光地で、 

夏はビーチにパラソルの花が咲く。



しかし、今日でもなお伝統的な衣服で身を包む漁師の妻たちの 

エキゾチックな姿が 何と言っても ナザレの代名詞と言えるだろう。







01.     街角で普通に出会う ’ ナザレの女 ’。


スカーフで頭部を覆い 肩掛けを巻き、 7枚重ねのフランネルの

短めのスカートをはき、  金色の刺繍をほどこしたエプロンを巻き、

ハイソックスに突っ掛けで歩く。  丸っこくて印象的なシルエットだ。

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                           (  時期は 10月末  )






02.   コスタ・デ・プラタ (銀海岸) に面した海岸部がア・プライア地区、

崖の上の旧市街地区がオ・シーティオと呼ばれている。



季節によっては ここでアジなどの干物が干されたり    

海水浴客のデッキチェアや休憩小屋が びっしり建ち並ぶ。

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03.     若いジーパン姿の女性と 民族衣装のおばさん達が行き交う、


日常の街角風景だ ・・

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04.    全身黒ずくめは未亡人だが、 そうでなくとも地味な色合いだ。


スカートを重ね着するのは、 もともと 漁に出た夫が帰る7日前から 

1枚づつ脱いでいく という意味があるらしいが、   実質的には


寒い海風から 足腰を守る為ではないだろうか ・・

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05.     観光客相手やお祭り時の華やかな装いと違い 彼女らの

ありのままの日常の姿が見られて感慨深かった。    


また  ナザレが世界中に知られるようになった新しい時代でも

守るべきものを守る ファッションの古臭さにも 心惹かれた。

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06.      中央市場 ( メルカード Mercado Municipal ) は 

まだ 朝の開店準備中だったが 一回りしてみた。

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07.      売り手は殆ど女性たち。  夫が漁に出たあと 

商売と生活の全てを取り仕切るのが 働き者・ナザレの女だ。

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08.     一見恐そうに見えたおばちゃんだったが、 魚を持ってポーズを

取ってくれた。   そして去り際 私に ” リンダ ! ” と声をかけた。

歌の文句ではない。  綺麗、という意味だ。   



そんなバナナと、 どこかからクレームが出るに違いないが、 

怖そうなおばちゃんが発した意外な一言が 旅の土産となった ・・

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09.    さて、 男たちは 街角のあちこちで こうしてたむろしていた。


犬たちも自由気ままだった。

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10.       「 マヌエル・デ・アリアガ広場 」 に面したホテルに一泊。

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11.      夕食は街なかのレストランで ’ アローシュ・デ・マリシュコ ’

を食べた。  イカ、アサリ、カニ、白味魚など シーフード入りのリゾットだ。



隣り合ったのはドイツ人、  彼らから声を掛けてきた。

電子機器の会社の同僚、 ナザレで3日間、研究会があるとか・・

若い人は別として 日本人に興味を持つ西洋人は 誠に珍しい。



男性同士で年齢の当てっこをした後 ( エチケット上 私は除外! ) 

メアドを聞いて来た。    ” こうして 交換しても メール書くことって

ないですよね~ ”  などと つぶやきながら ・・    



因みに 手前の彼は55歳でした ~

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12.       大西洋の砂浜に面したア・プライア地区の北側に

岸壁がそそり立ち、 そこにオ・シーティオ地区がある。



翌朝 ケーブルカーに乗って 上の町に行くことにした。

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13.      1889年に造られたケーブルカーは 1989年に

百年祭を迎えました、 というプレートが貼られていた。 



青いポルトガルの海、赤い屋根と白い壁に輝くナザレの漁村は


果たして どのように見えるだろうか・・!

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幾重にも重ねたスカートと 手編みの肩掛けをまとった ’ ナザレの女達 ’

もたくさん乗り込んで来た。   生活に根差したケーブルカーだ。




観光客も来なかった百年以上前から 動いていたのだから ! 









○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
   

2018年2月 2日 (金)

「ポルトガル・トマール」 騎士団の修道院・ポルトガルでユーカリの話


「 トマール Tomar 」 は ポルトガルの地図上ちょうど真ん中辺りにあり、

世界遺産登録のキリスト教修道院など 有名な歴史遺産を多々有している。



そんな中、 とりわけ ナバオン川の清らかな風景が魅力的だった。 







01.   ローマ時代からこのナバオン川を礎として発展して来た街だが、 

近代では川の水利を活かして 織物 製紙 鋳造 ガラス 絹 石鹸

などの工業が盛んだった。     



しかし、人口4万人ほどの小都市でもある

トマールは 世界遺産登録後は 観光産業が主となっているようだ。

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02.     街の高台に 「 トマール城 」 がそびえている。


中世時代 殆どの住民は この要塞城壁の内側で暮らしていた。

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03.     城壁は12世紀頃築かれた。 城内では急な登り坂が続くが

プチ・トランも利用できる。     子供たちが丁度帰るところだった。

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04.     「 キリスト教修道院の円堂 Convento de Cristo em Tomar 」

外観は16角形で 鐘楼もあるが、 内部は8角形という構造になっている。



もともと城塞として造られた建物だが  地下には修道院や回廊があり 

いわば教会でもある。    領地や財力を持ったキリスト教騎士団が

軍事と信仰を表裏一体となし、まるで国のような勢力誇った時代が見て取れる。

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05.     古くはエルサレムに遠征した十字軍に始まる騎士団だが、


ここでは 14Cのテンプル騎士団、  15C大航海時代のエンリケ航海王子

15C末のマヌエル一世などが率いた騎士団、  それぞれが増築・建設した

目を見張るような美しく壮大な構造物が 内部で複雑に絡み合っている。

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06.      城壁からの遠望も清々しく  深緑の糸杉や松林が美しい。

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07.      駐車場での露店。   バスの運転手さんもぶらりと・・


ヨーロッパの果物はだいたい見栄えが良くない。  日本では 果物は美しく 

甘く 美味しそうでないと市場でモテない。   それが普通だと思いきや


そんなことはない。   善し悪しは別として 日本人の繊細な感性や 

外見をおもんぱかる価値観、  改良の研究熱心さは格別だと思う。

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  • 08.      キリスト教修道院の西側の風景。  


    マヌエル様式の丸窓が見える。  オリーブの木が銀緑に輝いている。

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    09.      さて 「 トマールの水道橋 Pegoes Aqueduct 」 も有名だ。 


    12世紀頃 水を送るため 修道院建設と同調して造られたと言う。

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    10.     エンリケ航海王子の治水事業を受けた 全長66kmの

    ナバオン川。     豊かな水量が かつては流域の工場群を潤したが


    現在は 街の中心で どれほど市民の心を癒していることだろうか ・・

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    11.       鳥たちの楽園でもある ・・

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    12.     街を出ると ポルトガルでは だいたいすぐに田舎となり

    ロバの 辺りを憚らない大音量の鳴き声が 野原に響き渡ることもある。



    そして 県道や高速道路の両側には 延々とユーカリ林が続く。



    驚くことに ポルトガルではここ数十年 オーストラリアなどから輸入された

    ユーカリの木が多く栽培されている。    ユーカリは 成長が物凄く速く 

    パルプ、 特にトイレットペーパーなどの製紙業にピッタリの植物なのだ。

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    13.    しかし ユーカリは土地から多くの水分を吸い上げてしまうし、

    葉に油分が多いので ちょっとした摩擦で燃えたり 

    落雷によっても 山火事が起きやすい。       しかも



    ユーカリが植えてあった土地で 数年間は他の木が育ちにくく

    一旦持ち込まれた新種の動物の駆除が難しいのと同じような

    厄介な問題をはらんでいる。

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    しかし、 他国の産業政策に何をか言わんやだ。 


    日本だって言われたくないこともある。




    64名もの死者が出たという 昨年6月のポルトガル中部の山火事も、

    そこかしこで バサバサと枝を伸ばすユーカリの風景を思い出しながら 


    ニュースに耳を傾けた私でした。。。    









    ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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