南フランス マルセイユ・エクサンプロヴァンス

2014年7月18日 (金)

「セザンヌが愛したサントヴィクトワール山」ひと気もなくホテルもなく・・

エクサンプロヴァンスの東側に 画家 ポール・セザンヌが 40点余の作品を残した

「 サントヴィクトワール山 Montagne Sainte Victoire 」 がある






01.     エクスの街を出て 10分も走ると サントヴィクトワール山が見えてくる

斜めに傾いだ松の木が 早速 セザンヌの絵を彷彿とさせる

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02.     「 サントヴィクトワール山と大きな松の木 1885年 」  


この地域は風が強いのだろうか、 それとも 松の木の本性だろうか、 

枝先の自由奔放な暴れ方が 絵画のモチーフとして打ってつけだ ! 

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03.      白い石灰岩で出来た「 サントヴィクトワール山 」 は 幅5km 

方位的にもぴったり東西に18km連なっている。  この辺りが ほぼ 連山が始まる地点です

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04.    日の当たり方によって 白さがひと際輝く。    「 サントヴィクトワール山 」は

13世紀には 既に聖なる山として崇められ 山頂に教会が建てられた。 小さく十字架が見えますね

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05.    いつも驚かされるのだが、 ヨーロッパの山々や岩壁の どれほど孤絶した所にも 

あまねくキリスト教が触手を伸ばしている。  このサントヴィクトワール山も セザンヌ時代のずっと前から 

聖なる山だったことが  近づくと ひしひし実感として伝わって来る

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06.     ロバや馬などが 放牧されている     山脈はこの先も東へと続く ・・

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07.    セザンヌは 西側から見た 三角形の 横顔のサントヴィクトワール山を多く描いている

彼の時代には車は無かった訳で このあたりまでは 彼は殆ど来なかったのではないだろうか

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08.     先程の十字架が 遥か西側へ遠ざかり、光も逆光気味となって来た

高さ19mのこの 「 十字架 La Croix de Provence 」は 1875年に建てられたもの

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09.     さて、 この日は この付近で泊まろうと、ホテルを探した

世界に冠たるサントヴィクトワール山だ、 ホテルなど うじゃうじゃあるのではないかと想像していた ・・



ところが 山裾には ホテルどころか村も家もない。 

ようやく見つけた一軒のレストランで ボンジュールと声を張り上げたが シーンと応答がない

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10.     ところで セザンヌはりんごの絵も 60枚ほど描いている 

この絵でも りんごがテーブルから落ちそうだが 不思議な均衡が保たれている



「 自然の形を円筒と球と円錐とで処理せよ 」といった 彼の諸々の絵画技法の話は別として、  

一つだけ特筆するとしたら

右上の布の塊りは 紛れもなく彼の 「 サントヴィクトワール山 」だ と言うことだ



テーブルクロスとか 山高帽などに 彼はサントヴィクトワール山を 忍び込ませたらしい

セザンヌの絵を見る 小さな楽しみが見つかりそうですね ・・ 

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11.     さて、有名なサントヴィクトワール山付近が 何故 あのように閑散としていたのか・・



実は 山の向かい側には 「 高速増殖炉を持つ ラプソディー原子力発電所 Rapsodie 」があるのです !

1967年に初の臨界に達したあと 1983年に発電所は閉鎖され、  現在は 煙突から水蒸気の煙が

出ているだけで、 美しいラベンダー畑に囲まれ のんびりした様相を呈しているらしいが、 



いずれにせよ このあたりは 

もともと ” 観光地ではなく 原子力発電所用地として選ばれるような地域であった ” ということなのです・・ 

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サントヴィクトワール山の 少し高い所に登らないと発電所は見えないので、 参考として 

同じプロヴァンスにある 「 マルクール トリカスタン発電所 」の写真を掲載しました







12.    原子力発電大国のフランスには 数多くの発電所があるが、 興味深いのは 海沿いよりも

ローヌ川 ロワール川 ガロンヌ川 セーヌ川など 内陸の川沿いに多くの 原子力発電所があるということ。



技術的なことは難しくてよくわからないが、 日本とは地形が はなはだ異なっていることだけは確かだろう

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結局、 その日は さらに20数キロ東へ進み、 マグダラのマリアの遺骨が納められた

バシリカ聖堂がある 「 サン・マキシマン・ラ・サント・ボーム 」 という町の星付きホテル・レストランで 



これぞ伝統的フランス料理 ! というものを いただく結末と相成りました ~
    

2014年7月 4日 (金)

エクサンプロヴァンス こんなお洒落な「朝市」見たことない! 

「 エクサンプロヴァンス Aix-en Provence の朝市 」は 

毎週火木土の午前中  ミラボー大通りで開かれる



いかにも 南仏・プロヴァンスらしい 明るく華やか お洒落な朝市でした







01.    このミラボー通りは パリのシャンゼリゼー通りのお手本となったそうですが、

見事なプラタナスの並木にすっぽり覆われて、シャンゼリゼ通りより ずっと趣きがある



この噴水 ( 1734年 ) からは 34度の温泉が出ている。 

2000年前、ローマ人もその源泉の効能を認めたものだという

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02.     朝市が始まる地点で 顔を白塗りにする怪しい人物 !  一方、こちらは

ちょっぴりお酒臭い 赤ら顔のジャックなる人物。   彼の隣りで サンドイッチを食べた。   



シャンゼリゼ通りの手本という話は 実は彼から仕入れたもの ! セザンヌの話も聞きこんだ

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03.     ジャム屋さん  1瓶5ユーロだが 4瓶なら18ユーロ

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04.     ハーブなどが入った 匂い袋 「 サシェ 」 手描きの絵が とてもお洒落です

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05.       陶器  図柄も色も様々で どれも個性的、、  カラフル、、

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06.     帽子屋さん

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07.     プロヴァンスの布地は 昔から 麦、ラベンダー、セミなど 一定の伝統的な図柄が

決まっているが、 ここの布地は デザインがなんとなくモダンで新鮮で、 早速お買い上げ!




彼女自身がデザイナーでした。 日本の「With」という雑誌の取材を受け、9月号に載るのだとか!

( 後日談ですが 9月号にも10月号にも 載らなかったのです・・・  

’ 編集の都合 ’って事情が きっとあるのでしょうね  )

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08.     マルセイユ石鹸   こちらもお買い上げ!  でも少々荷物が重くなりました~

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09.     さて こちらは ’9筒の噴水’ 1691年   エクサンプロヴァンスは噴水の街



街中に様々な噴水がちりばめられている。  噴水の数だけロマンチックな恋物語があるかも知れません

中年カップルだって OKです!

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10.      噴水の傍で恋を語らったあと キラキラ ガラスの指輪を買うもよし、、

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11.     プロヴァンスの花々の香りが漂う香水を買うもよし、、

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12.      朝市の向こうの端っこまで行き  また踵を返した 

こんなお洒落な朝市は 滅多にお目にかかれないと、 すっかり興奮気味の私




戻って来たら 先ほどの白塗り仮面 壁に背をもたれ 日陰に座っていました~  楽ちんそう!?

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ミラボー通りは 17世紀に 四輪馬車を走らせるために 古い城壁を壊して作ったそうだ




この老プラタナスも貫録十分。   古女房のお尻に見えるなんて言わないでください!!
 

2014年6月27日 (金)

エクサンプロヴァンス「人嫌い・セザンヌのアトリエ」

南仏 「 エクサンプロヴァンス Aix-en Provence 」 は 紀元前からの歴史があり、

今日では 芸術・学術が盛んな プロヴァンス地方の中心都市となっています

特に 画家ポール・セザンヌ P.Cezanne の故郷として 多くの観光客が訪れている






01.    街には 樹齢数百年というプラタナスの並木が 涼やかな影を落とし、 

大聖堂や 古い貴族の館・大学が点在し 知的で端正な雰囲気を醸し出しています

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02.    セザンヌは 大変気難しく 人付き合いが悪かったので 人々から敬遠されていました

特に かれの女嫌いと潔癖症は有名で 女性とちょっとすれ違って洋服が触れただけでも 何度も拭ったという

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03.    後年 母親と妹と妻オルタンス、3人の女性が同居することになるが

この3人は折り合いが悪く いつも喧嘩ばかりしており、  険悪な家庭生活の中で 唯一の救いは

一人息子 ポールに向けた愛情だった

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(  サントヴィクトワール山が見える丘に通じる坂道と アトリエへの入口   )







04.    1897年 母親の死を契機に 妻との関係が修復するやにみえたが、 嵐のような日々が

収まることはなかった。 セザンヌは 1902年に、 財産の権利から妻を除外し 全てを

息子に与えるという遺言を書いた。  その時 妻オルタンスは 彼の母親の形見を燃やしてしまったらしい

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05.     そういう訳で ここレ・ローヴに建てたアトリエは セザンヌにとって単なる仕事場ではなく

妻を含む 様々な人間関係から逃れ、 心の安らぎを得るための聖域だったのです

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06.     セザンヌは 地方銀行家の息子でしたから 生活のために働く必要はありませんでした。

しかし、フェルト帽製造の事業でも成功した父親が、 当然のように 彼に跡継ぎを期待していたので

その気がないセザンヌにとって、 父親からの束縛感はかなりの重圧でした。  しかし 父親が死ぬと 



父が残した莫大な遺産により 経済的不安から解放され、 芸術活動に専念出来ることになったのです

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07.     さて、 安定した光と静けさの中にあったアトリエには  英語で 熱心に解説する

ガイドの声が響きました ・・ 日本人用には クリアファイルに入った日本語の解説文が置いてありましたよ

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08.     写真は当然禁止ですので、 ドアの外からパチリ!  

正面からのちゃんとした姿は 絵葉書を買うことになります ~  

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09.     セザンヌが描いた絵のあちこちに、テーブルなどアトリエの備品を発見することが出来ますが

棚の上のびん類などは 地震のない国でよかった! と 思わざるを得ません ・・

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10.     《 台所のテーブル 》 はdown 対象物を 一つの視点から そのまま正確に捉えるのでなく 

複数の視点から見たものを 一つの画面に再構成するという 新機軸を確立した有名な作品で、 後の 

多くの画家たちに 革命的な影響を与えたと言われています




我々がこのような絵を描くと ’ おい君、デッサンが狂ってるよ  ’ って 絶対言われそうです !

逆に言えば、’ セザンヌのように 複数の視点で描いているのよ ’ って 言い訳できそう !? 

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セザンヌの写真は 彼が心を許した数少ない人物の一人、後期印象派画家エミールベルナールが撮ったもの  up

 







11     上の作品では もう一つ 別な発見があるかも知れません。 それは 彼は絵のあちこちに

彼の愛した 「 サントヴィクトワール山 」の面影を描き込んだ ・・という お話です



白いナプキンやテーブルクロスの皴や重なり具合が まるでサントヴィクトワール山みたいに見えないでもない



次々回の記事で  白いサントヴィクトワール山を 訪ねますので 是非見比べてみて下さいね ・・ 

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12.    セザンヌの晩年には 彼の絵も評価され 高額で取引されるようになりましたが



糖尿病など健康状態が悪化し、精神状態も不安定になり、対人関係が一層困難となる中

1906年、ここ エクサンプロヴァンスで肺炎により死亡しました

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彼のアトリエは 緑と光にあふれ、 なるほど、傑作がバンバン生み出されるに相応しいところでした




そして、 人嫌いのセザンヌが 美しいプロヴァンスの自然と 魅力的なエクサンプロヴァンスの街に

どれほど助けられたことかということも 想像に難くありませんでした 

2014年6月20日 (金)

「イフ島」巌窟王の作者A・デュマは黒人奴隷の血を引いていた!

マルセイユの旧港から 南西に3km、シャトー・ディフ( Chateau d’If、イフ城 )行きの遊覧船が

出ている。   イフ島は 島全体が 要塞城となっているため そう呼ばれている







01.   片道20分ほどの航路だが、 船賃は往復で10ユーロ、城への入場料が5ユーロだ

6月の地中海、風を切って走る爽快さは ただ事ではない !

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02.    旧港の入江を抜けるあたりで 11Cに建てられたバシリカ聖堂や 二コラ要塞が

船の出入りに 睨みを利かせていた。    マルセイユはやはり 古い街なのだなあ、、、、

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03.    さて いよいよイフ島到着です。  イフ城は もともと 外敵からマルセイユの港を

守るため建てられたものでしたが、 やがて時を経て、 政治犯や宗教的犯罪者を収容する監獄という

役目を担うことになりました




潮の干満に合わせて出航する小舟の出口の鉄柵が 早くも牢獄をイメージさせる !

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04.    ところで このイフ島に降り立った観光客は十数人。 残りの大多数は 船を降りる気配がない。



満員の乗客に さすがイフ島は人気だなあと思いきや、 バカンスを楽しむ人々には 別の目的地があったのです

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05.     1531年に 要塞としての建設が完了した シャトー・ディフ(イフ城)でしたが、 

孤島という立地と 海流の複雑さから 脱獄が難しいと言う理由で、 牢獄となった訳ですが



ゴツゴツした白い岩肌と 無表情な石の城壁が 如何にもそれらしい雰囲気を醸し出していました ~

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06.     とりわけ この島が有名になったのは、1844年に出版された アレクサンドル・デュマの小説

「 モンテ・クリスト伯 (巌窟王)」に負うところが大きい。   主人公の 船乗りエドモン・ダンテスは 

無実の罪で この地下牢に 14年間も収監されたという設定になっている  

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07.     ダンテスは 獄中生活の中で 隣りの牢のファリャ神父に 学問と宝のありかを授けられる。 

神父の死後 島の脱走に成功したダンテスは 莫大な財宝を探し当て、 「モンテ・クリスト伯爵」と名を変え 

パリの社交界に登場する。    そして 復讐を開始するという痛快な筋立てになっている

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(  牢獄としての役割を終え、一般公開が始まったのが 1890年9月のこと  )






08.     ところで「 三銃士 」や「 モンテクリスト伯 」を書いたのが 大デュマ 

Alexandre Dumas,pere(父)であり、       「 椿姫 」を書いたのが 小デュマ

Alexandre Dumas,fils(息子)だ。      そして、 二人には

なんと 黒人奴隷の血が流れており、 特に 大デュマは 当時 ” 褐色の文豪 ” と呼ばれていた




侯爵として 身分も高かった彼の祖父だが、 ある時 西インド諸島に出かけ 農場経営に乗り出した。

その時 現地の黒人女奴隷との間に4人の子を設ける。その長男が 大デュマの父親だった、という経緯なのだ。 



西インド植民地生まれの白人を 一般にクレオール Creoleと言うが、 父親がまさにそれだった

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(  海溝を隔てて、 独特な形のマルセイユのシルエットが浮かんでいる  )








09.    世間的には 黒人奴隷の子孫として差別を受けた人生だったが、 一方で 大デュマは、 

190cmの上背があり 賢く 絶世の美男だった父親に 強い憧れと誇りを持っていた。 


アレクサンドル・デュマが 小説家・劇作家として成功を収めた陰には こうした弱点とも強みとも言える

人生の複雑なもろもろのファクターが 肥やしとなって 絡み合っていたのかも知れない 






因みに 高級娼婦を主人公とした 息子・小デュマの小説 「椿姫」も、 社会的成功者としての

華やかな側面と、 黒人・娼婦などへの 社会の差別を 身を以って経験したものが 土台となって

いたのかも知れない

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(   イフ島に別れを告げ 帰りの便に乗りました    )








10.     帰りは フリウル Frioul 諸島の別な島に立ち寄ってから マルセイユ港に戻った。



牢獄のイフ島とは異なり、  こちらの島は 海のレジャー施設が充実した 華やかなバカンス基地に

なっているのだろう。       ゾロゾロと 殆どの乗客が降りてしまった !

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11.           マルセイユ旧港に戻ってホッとしました ・・         ところで、

白人と黒人の血が混じった ” クレオール ”、 アレクサンドル・デュマが どんな顔だったか気になりますよね





彼は今 パリ5区の フランスの偉人たちを祀る「パンテオン」に埋葬されている。 同じく 牢獄として使われた 

ノルマンディー地方の モンサンミッシェル島の素晴らしさを見い出し 世間に知らしめた 文豪ヴィクトール・ユゴーに

遅れること100年、 アレクサンドル・デュマは やっと 2002年、 ユゴーの隣に眠ることになったのだ。




彼の埋葬が遅れたのも 人種差別等が原因だったとは 自由の国フランスにしては驚きです

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12.    さて、 マルセイユでの その夜の食事は 旅行史上一番くらい お金がかかってしまった !

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ブイヤベースが さほど口に合わないのを知っていたばかりに、 結局 単品で高い注文を重ねてしまったのだ





海沿いだからと言って 海の幸が安いとは限らないって 知っていたはずでしたのにね !!    sweat01 
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2014年6月13日 (金)

「マルセイユの朝市」そして「仏国歌ラ・マルセイエーズ」

フランス第2の都市、 「 マルセイユ Marseille 」 は 地中海に面した港湾都市









01.     マルセイユは 様々なモノ、人種、文化 が出入りする まさに海の玄関口で、独特な活気に満ちている


大きな船が着く埠頭は外洋側にあり、  この ラキドン入江 Lakydon に作られた  歴史的な

「 マルセイユ旧港 Vieux Port 」 は 今や 観光や商売の拠点として賑わっている

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02.    写真の中央左、 小さな「 マルセイユ旧港 」が ちょうど円形劇場のような配置で 
街にぐるりと囲まれている


ギリシャ・ローマ時代には この入江はもっと奥まで続いていたが やがて土砂で埋まり、停泊の用をなさなくなる

しかし その後の十字軍の活動や ピサやジェノヴァとの勢力争いなどを経て、 
ルイ13世が 今日の原型の港を築いたという。



マルセイユは 地中海の要衝であっただけに その歴史は 結構古いのです 

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03.    さて今日のマルセイユは 治安があまりよくないという噂もあるが、確かに パトカーが常駐していた

’ 刺青屋 ’ も 出ていた。    「 オーストラリア製の 天然素材インクで 描きます  5ユーロから 」

どうやら 本格的刺青ではなく、 いずれは消えるファッション刺青のようだ



欧米では 刺青は 肉体による直接的な自己表現の手段として 人気があり、 必ずしも ’ 悪人 ’ とは結びつかない 



先の話かも知れないが  東京オリンピックへの 海外の ’ 刺青観光客や選手たち ’ について 

潔癖症の日本人の感覚と どう折り合いをつけるかは 悩みどころかも知れない ・・・

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( POLICE の字が 逆さ字となっていますが、 バックミラーで見ると まともに見えるのです 

パトカーが後ろから近づいた時  無言の警告を発する仕組みらしい    )






04.     「 マルセイユの朝市 」  文字通り ” 産地直送 ” で  この上ない新鮮さ !

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05.     ベラ、カサゴ、メバルなど 小型の磯魚をはじめ、 ウナギやアジ 鯛 まぐろなど 様々だ。



マルセイユの名物料理 「 ブイヤベース 」は、 もともとは見た目が悪かったり 毒針があって危険などの理由で

商品価値のない魚を、 大鍋でまとめて煮込んだことから始まった という話が 思い出される

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06.     観光客は 生魚を買う訳にもいかないから、  ただ興味深そうに 取り巻いている

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07.     それでも 店主は 愛想がいい。 自分の腕に巻き付いたタコもろとも 写真を撮らせている


(    隙を盗んで タコが スタコラと逃げ出しました ~  !   )

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08.     とにかく 凄い人出です !            ところで、


こちらの ” ヒトデ ” と ” サザエの目( 日本ではサザエの蓋 ) ” は お守り用だそうですよ


因みに サザエは 俗称Sainte Lucie 聖ルーシー、 ホタテはSaint Jacques 聖ヤコブと

聖人名で呼ばれるなんて 面白いことです ・・

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09.     「 ノートルダム ドラ ガルド教会 Notre Dame de la Garde 」 19C 



01.の写真で 丘の上に見えた教会です。  標高は162mですが  登り道は 数字以上にきつい勾配でした~   

しかし この丘からの眺めが 実に華やかな絶景で、 マルセイユ有数の 観光スポットだと言うことがよくわかりました




ここにいた 物乞いは ずっと 長い時間 この体勢のままで 、、、 

お金をもらうという目的以上に  自分に 何か課題を課しているかのようにも見えました ・・

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10.     この丘から見えるのが 「 イフ島 Chateau d’If 」  アレクサンドル デュマの小説

「 モンテクリスト伯 」 の舞台となった島、      後に訪ねることとなります

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11.     アラブ人街の マルシェ。   雑多な人種の 底知れないエネルギーが ムンムン !

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12.     さて蛇足ですが、フランス国歌は「 ラ・マルセイエーズ La Marseillaise 」でしたね



実は この歌は 当時敵対していたオーストリア軍を倒すべく フランス北東部 ライン川の西、 ストラスブールに

結集した フランスの部隊「 ライン軍 」 を鼓舞する目的で 作られた歌でした



軍人なのに 詩と作曲の才能に恵まれた ある工兵大尉が 1795年4月25日 一夜にして作った曲で、 

まさに天から降りてきた 空前絶後の名曲だったと言えそうです。

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魂が震えるような曲調がたちまち人々の心を捉え、 引く手あまた、 楽譜パンフレットが あちこちに配られました。 



中でも とりわけ、  首都・パリ防衛のため マルセイユを出発した「 マルセイユ義勇団 」 が 

パリに向かう道すがら 事あるごと、場所を選ばず、この歌を歌い広めたことから ” マルセイユ人達が歌う歌 ” 


と呼ばれ、  それが やがてフランス国歌 「 ラ・マルセイエーズ 」 となったのです





歌詞はと言えば 「 残忍な敵兵の雄叫びが聞こえるか、 彼らは やって来て 我らの子と妻の喉を掻き切るぞ !

武器を取れ市民らよ、 隊列を組め、 進め進め、 奴らの汚らわしき血が 我らの畑の畝を満たすまで !」  

実に血なまぐさい歌詞ですね ・・






ところで、  この曲が作られた 元々のきっかけは 外敵であったにせよ、 

実際は フランス革命やナポレオンの台頭 王政復古 共和制 などなどの

国内政情の変化にさらされつつ この「 ラ・マルセイエーズ 」は 生き残って来た訳です




soccer                soccer                 soccer





言葉の残忍さに 常に批判は絶えなかったようですが、  それでも 現代のフランス人が  ワールドカップで 

こんな国歌を歌ったら どれほど ’ やる気 ’ が起きるでしょうか 




” 石ころが 苔むすまで じっとそこに在らん ” なんていう歌詞の 君が代を歌っても、 ワールドカップなら

日本人の心に  静かなる闘志が むくむくと湧いてくるのですから  国歌って面白いものです




・‥…━━━☆   ・‥…━━━☆   ・‥…━━━☆





とりわけ勇猛果敢であったろう マルセイユ義勇兵たちとその風土に 思いを馳せながらの マルセイユ見物でした
  

 

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