ゴッホが 南フランスのアルルで生活したのは 1888年2月から1889年5月まで、
短い滞在でしたが 今日のアルルには 大きな財産を残したと言えそうです
生涯に1000点以上の作品を残したゴッホでしたが
アルルでは ひまわりや糸杉ばかりでなく 彼が触れあった人物の絵も描いています
01. 「 郵便夫 ジョゼフ・ルーラン Portrait de Joseph Roulin assis 」
ルーラン夫婦については それぞれをモデルとして 複数の絵を描いていますが
ゴッホは ジョゼフの風貌がソクラテスのようで気に入ったらしく、ジョゼフの方も 後に 入院したゴッホを見舞っている

02. 「 ラ・ムスメ La Mousme 」 ピエール・ロティの小説「 お菊さん 」から
発想したタイトルだが、 ’ むすめ ’ という日本語に ゴッホは フランス語に翻訳できない 可愛らしさ
優しい快活さなどのニュアンスを感じ取ったらしい

03. 当時の「 アルル市立病院 」 を そっくり復元したもので、 今は ゴッホのメモリアル、
「 エスパス・ヴァン・ゴッホ Espace Van Gogh 」 と呼ばれている

04. 1888年12月23日、 ゴッホは 例の 自らの耳たぶを切り落とす事件を起したあと
アルル市立病院に収容される。 12月30日の地方紙「 ル・フォロム・レピュブリカン 」は、
「 先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が 娼家1号に現れ、
ラシェルという女を呼び ” この品を大事に取っておいてくれ ” と言って自分の耳を渡し姿を消した 」と報じた

05. 他方、ゴーギャンは ゴッホの弟テオに 来て欲しいと電報を打ってから パリに帰る。
想像を越えるような事件の勃発に ホトホト嫌気が差したであろうが、 ゴーギャンは 友人として
やるべき最低限の義務を果たして アルルを去った ・・

06. 「 アルルの病院の中庭 Jardin de l’ Hopital a Arles 」
ゴッホが入院していた当時の病院は 16世紀以来 Hotel-Dieu Saint-Espirit と呼ばれていた。
しかし 医療の近代化に伴い 診療機能が徐々に他に移され 1986年には この病院は完全に閉鎖され、
ゴッホ絵画センターとして ゴッホの絵を参考に 当時の病院の姿が再現されたのは つい最近のことになります

07. ゴッホが アルル時代後半に住んだ 「 黄色い家 」 は 現在は跡形もないが、
「 夜のカフェテラス Terrasse du cafe le soir 」 に描かれた 当のカフェ、
Cafe Van Gogh の方は これまた彼の絵そっくりに 1990年に再現されました

08. ゴッホの跳ね橋も 病院も カフェも 平たく言えば 観光客誘致のため再建されたとは思うが、
わずかな滞在期間だったにも拘らず ゴッホが来てくれたことで ’ゴッホの町’ という大きな価値を得たアルルが
そうしたメモリアルを再建するのは 市民にとっても意味あることに違いない

09. それに付けても 当時の新聞に 「 オランダ人風景画家が精神能力に狂いをきたし、
過度の飲酒で異常な興奮状態になり、住民、ことに婦女子に恐怖を与えている 」 などと報じられたゴッホが
後年、世界中で知らない人がいないような 偉人画家として 再びアルルに富をもたらすことになるとは
いったい誰が想像しただろうか ・・ ゴッホゆかりの建物などが 保存されなかったのも当然でしょう !

( 「 古代劇場 Theatre antique 」 紀元前1C )
10. さて その後 ゴッホは アルルの北東20kmにある サン・レミの精神病院に移される。
サン・レミへは プラタナスの並木道が延々と続く ・・ もともと フランスの田舎の風景は
並木道と切り離せないが、 この長い並木道は とりわけ美しく、 心に響くものでした

11. さて 先ほどの小説 「 お菊さん Madame Chrysantheme 」を書いた
ピエール・ロティ Pierre Loti は、 1885年と1900年に 実際日本に来ている
小説は 長崎で3か月暮らした 海軍士官が うら若い日本人の娘と生活した模様を 日記風に書いたものだそうだ
っと、 ここで思い出されるのが 「 蝶々夫人 Madame Butterfly 」
実際 蝶々夫人は 「 お菊さん 」が 巷で大流行したのを踏まえて、 その10年後に作られたものだ
「 お菊さん マダム・クリザンテーム 」のオペラの一部を 私は FM放送で聞いたことがあるが
「 マダム・バタフライ 」 共々、
一種のジャポニズムの流行が こうした作品を生み出したことは間違いないでしょう

12. ロティは 必ずしも日本を賛美だけしている訳でなく、 一部侮蔑の感情もあったらしいが
浮世絵などを通して日本の美に傾倒していたゴッホは、 小説「 お菊さん 」から 未だ見ぬ日本への憧れを
一層強くし、 油絵で 可愛いお菊さん ” ラ・ムスメ ” を描いてみようとしたと言う。
アルルの光や色は 日本の版画のように美しいと言ったゴッホが 本当に日本に来たらどう思ったかは別として、
日本人としては ゴッホにそんなに憧れられたことは 嬉しいような、、、 気恥ずかしいような、、、

さて、 ツールーズ・ロートレックが ゴッホのポートレイトを描いている
南フランス風の光と色に染まったゴッホですが
心の中に潜む病根と頑固さもちゃんと表現されていますね ・・