南フランス アルル・ニーム・アヴィニョン

2018年1月12日 (金)

「南仏アヴィニョンの橋」「アヴィニョン捕囚」 疑問が解けました~


  アヴィニョンと言えば、  世界史で出た 「 アヴィニョン捕囚 」 と 

「 アヴィニョンの橋で輪になって踊ろ・・ 」 の歌が有名だ。    



しかし  私はと言えば、、     子供の頃は

教皇はアヴィニョンで囚われの身だったんだ 、、  と思ったり

アヴィニョンの橋で ” 鬼ダンス 鬼ダンス ” と 歌っていたふしがある。






01.    これがアヴィニョンの橋 「 サン・べネゼ橋 Pont St-Benezet 」。


全長900mあった橋は 1669年の大洪水で流され、 残った半身の姿を

今は 滔々と流れる夕映えのローヌ川に映している。

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02.     そして これが 「 法王宮殿 Palais des Papes 」。


ぶ厚く高い壁、 窓を最小限に留めた要塞のような巨大宮殿。 

法王と言えど 敵対勢力の攻撃に備える必要があった時代だ。



遠景では 14Cに造られた旧宮殿と新宮殿、大聖堂などがズラリと居並び

城壁で囲まれた教皇都市が 相当大きかったことがわかる。

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03.  美しいラヴェンダーの向こうにサン・べネゼ橋が見える (上段)。 

橋の下に今は環状道路が走っているが、     昔は ダンスをしたり

人々が集まるような ある程度のスペースがあったと目測される。 



城壁の一部には 「 ドンの岩山 Rocher des Doms 」 (中段) がある。


その岩山は ローヌ川やサン・べネゼ橋を見下ろす 

絶好のヴューポイントとなっている (下段)。

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04.   旧市内は相当広く傾斜もあるので  ’ プチ ・ トラン Petit Train ’ 

で見物するのが便利だ。

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05.   プチ ・ トランの発着所となる 法王宮広場には、 大勢の観光客

尼僧やミュージシャン 大道芸人などがいた ・・

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06.     さて ” 鬼ダンス ” は ” On y dance 人々がそこで踊る ”

という歌だと やがて分かったのだが、   しかし


” 橋の上で輪になって踊る ” には橋が狭すぎるのでは ?!



これは ’ Sous le pont 橋の下で ’ という元歌詞が、 いつの間にか

’ Sur le pont 橋の上で ’ に変えられてしまったというのが真相らしい。



その方が如何にも楽しそうなシーンがイメージされるが、  実際は 広々した 

橋の下・たもとで 人々は集い踊り、 いろんなことをしたのではないだろか。

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07.      プチ ・ トランではフランス人家族と相席となった。  

ぺぺ (じいじ) と メメ (ばあば) は 初孫が可愛くて仕方ない。


彼らのウキウキ感が伝わって来る。     間もなくすると、 

ペペが孫に聞かせようと 指先を振りながら あの歌を歌い出した !

” Sur le pont d’Avignon on y dance, on y dance ・・・・ ”




当たり前ながら フランス人もあの歌を歌うのだ、、  しかも現場で、、、!

正に橋の下をくぐり抜けながら 私も一緒に歌った。  動画にも収めた。


また一つ 忘れられない思い出ができた瞬間でした ~

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                          ( アヴィニョンの橋の橋脚は こんなに狭い )







08.      さて 「 アヴィニョン捕囚 」 は カトリック・ローマ法王の都が

ローマからアヴィニョンに移されていた時期 ( 1309年~1377年 ) を指す。



法王の都には あらゆる富と権力が集中する。   法王を奪われたローマに

とっては 確かに ”捕囚” であったが、   アヴィニョン側から見れば 

又とない好機、 湧きたつような我が世の春を謳歌した時代だった。       

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           ( プチ・トランから ずっと街角の風景を見ながら 進みました ~ )






09.   当時は ドイツ皇帝やフランス王と ローマ法王との間で 教会領地

課税権 聖職者の任命権などについて 激しい権力争いが続いていた。



そんな中 フランス王フィリップ4世 ・ 美貌王は 自分の息のかかった

ボルドー大司教を法王に選出させることに成功。   それが  結局は 


’ キリスト教世界の首都 ’ をアヴィニョンに遷都することに繋がったのだ。

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           ( 靴屋 右上 ”大量放出” ”出血価格” 日本と表現が同じ ! )






10.      法王が一人移動すると 役人や行政機関も移動する。

護衛や職人、コックも移動する。 医者や美容師 道化までついて行ったと言う。


もともとテーブルマナーやレース・装飾品などをフランスにもたらしたイタリアだ。

画家や建築家など あらゆる先進的なものをアヴィニョンに送り込んだと思う。


そして アヴィニョンは 各国の高位聖職者から普通の巡礼者まで 

多くの旅人が出入りするメッカとなった。



そうなると地元の手工業、 染色 織物 刺繍 金銀細工 宝石・ガラス細工

加えて農畜産業も、 ありとあらゆるものが活気づかないはずがなかった。

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11.    さて 当夜は法王庁広場 赤いパラソルの辺りで食事をした。 


食卓の先 法王庁の灰色の壁をバックに 貧相な半ズボンの男が歌い出した。

が、 そのアリアは 意外なほど澄んで美しく 外見とのギャップに驚かされた。




テーブルは オートバイでやって来た2組、 イタリア人夫婦とオーストリア姉さんと

隣り合った。  カッコいい姉さん(写真右)は  イギリスでオートバイを買い

南仏 スイス ドイツ そして北仏をツーリング、英国でまたバイクを売るんだそう。



単身ユースホステルに泊まりながら  本を著すため旅日記を綴っているとか。


南仏エズ村の急勾配坂で転んで泣いた、、 と言う彼女に コモ湖から来た

イタリア人が ” バカ ” とつぶやいたのを 私は聞き洩らさなかった ・・

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12.     ここは アヴィニョンのメインストリート レピュブリック大通り。

ホテルの窓から プラタナスの大樹とカフェ・レストランの朝の風景が見渡せた。



法王庁がローマに返されたあとも、 フランス大革命までは アヴィニョンは

法王領として華やかな繁栄が続いたというから、 この大道りも 時代ごとに

どれ程多種多様な人々が闊歩して来たことだろうか ・・

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13.      サン・べネゼ橋は 夕方ゲートが閉まるので 日中行くとよい。

昔は洪水も多く、 手摺もなかったし 踊ったら危険でした~ 



法王庁など 内部はあまり見るべきものはない。   アヴィニョンは

街を訪れて おやまあ~とビックリする、   それで十分だと思う。

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法王庁都市がもたらした繁栄とその余韻は どっちみち 思想や文化の

奥深い所に浸透してしまい、   簡単には見えないでしょうから ・・




それより ’ 鬼ダンス ’ や ’ 法王が本当に幽閉されていたのか ’

と言った馬鹿な疑問が解けて 本当にホッとしました。 




これこそ旅の醍醐味でしょうか !  









・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆    

2017年12月22日 (金)

「古代遺跡の街ニーム」 タイヤがパンク!お陰で色んな人に会いました

 
南フランス 「 ニーム Nimes 」 は 古代ローマ時代からの都市で 


今なお 数多くの遺跡が残っており 現代の街角に溶け込んでいる。







01.     「 円形劇場 Arenes 2C 」   世界遺産に登録。


完全にぴったりと切り揃えられ、 組み立てられたアーチや回廊は

見事と言う他ない。      車が行き来する大通りに面していて

今なお闘牛やコンサートに使われている現役だ。

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02.       華やかな榎の並木の大通りの先、  そして広場に 

ローマ時代の門や神殿がひょっこり現れる。

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03.    「 メゾン・カレ Maison Carree 前16C 」  現在は美術館。


あらゆるローマ神殿の中で 最も完璧な保存状態で残っている。

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04.     一方、  街中では あちこちで道路工事が行われていた。

片側通行部でのすれ違い様、 女の子の鋭い視線が突き刺さった。



しかし、 この時突き刺さったのは 視線ばかりではなかった ・・・ !

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05.     高校 Lycee 前、 丁度学生たちの下校時だった。  日本なら

普通は 制服姿だけれど 自由な私服だなァ などと思っていると 、、、



我々の車の 多分タイヤから 何か異常な音が聞こえて来た。

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06.      取りあえず ガソリンスタンドに入った。  スタッフを探していると


このトラックの運転手夫婦が声をかけてくれた。

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07.      あの付近で突き刺さったのは ’視線’ と ’ビス’ だった !  


タイヤからビスを抜くと 空気も抜けた。   ジャッキで車体を上げる。

タイヤを外して スペアタイヤを付けた。  一つだけ特殊なビスが足りないと言う。


そこで 専門のガレージに行くことになり、 トラックマダムが地図を書いてくれた。



ニームでパンクして、、   トラック夫婦に助けられ、、 
 

異国でトラブる。  やっぱり 楽しいばかりが旅ではありません ~

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08.      さて、書いてくれた地図が実に大雑把。  

実はその後 ガレージを探し当てるまで 相当さ迷った。   

しかし  何とか閉店前に飛び込めて 本当にホッとした。



ガレージ・マダムは 凄いおしゃべり。  ビックリするほど早口でまくし立てた。


” 8月に スペインで3週間のバカンスが待っている。 日頃どこにも行かず

ひたすら ガレージで仕事をしているから 当然のご褒美よ ・・ ”  

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09.      タイヤもすっかり治ってほっとした。  このガレージ夫婦、

フランソワ Francois と フランソワーズ Fransoise という名前だ。


よくある名ではあるが、 偶然の一致が嬉しく誇らし気なのが伝わって来た。



美容室に相当お金をかけてそうな 美しい金髪のフランソワーズ、  

相当なグラム数の 高そうな金鎖を付けたフランソワ、


会社が順調に回っていることがよく分かる。   良いバカンスを !!

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10.     さて、 思わぬ時間を食ってしまったので  次の予定地に

辿り着けず、  街道筋のホテルに泊まることにした。    


長いスロープに プロヴァンスのラベンダーが咲いていた。

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11.      特別有名だったり ミシュランの星が付いてたりしなくても

地元で支持されていれば フランスのホテルやレストランはたいていOKだ。

料理もワインも美味しかった。



隣のテーブルはオランダ人夫婦だった。 アムステルダム在住の彼らは

ニースに別荘を持っている。       年に2~3回やって来るが 

彼らの子供たちの方が より頻繁に別荘を使うと言う。   


別荘をベースに 南仏旅行に出ることもある。  とにかく素敵な人生だ!

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12.     別のテーブルでは バスをチャーターしてやって来た 近隣の

町内会の団体さんが飲んでいた。   料理はほぼ済んだが 

みんな ワインを心ゆくまで楽しみ続ける。  



何と言っても ’ 会話がつまみ ’、    さすがフランス人だ !

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13.     前日 道端の露店で買ったサクランボを ホテルできれいに洗い、

ドライブの道中で食べようと バスケットに用意した。  


プロヴァンスの人々は 手を真っ赤にして サクランボの種を抜き 

ジャムを作る。         甘酸っぱくて 最高に美味しいのだ !  

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街道を行く 風力発電の 長~~~~~~いプロペラと 一緒になった。


こんな風に運ばれて行くのだなァ 



台車のタイヤが釘を踏んづけたりしないよう、 気を付けて進んでください。


プロペラ君、 よい旅を Bon Voyage !








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2017年12月15日 (金)

古代水道橋「ポンデュガール」 フランスの子供達によい歴史教材!


  世界遺産 「 ポンデュガール Pont du Gard 」 は 古代ローマ帝国が

紀元前19年頃造り上げた 水道橋の傑作だ。  






01.      「 ニーム Nime 」 という街が発展し、 水需要も増大したため  

ユゼスの水源からニームへ約50km、 2000年以上も前 導水路が建設された。
 

その水路が ガルドン川を渡る部分に造られたのが この水道橋だ。

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02.     今日 有名な古代遺跡の多くには、 ちゃんと道路や駐車場があり

入口には厳重なゲート、 食堂や土産物屋 博物館なども整っている。 

ここには入場発券機もあった。

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03.     従って、 日本のTV番組で レポーターの女優がやっとの思いで

遺跡に到達し、 感激の涙をこぼす、 なんていう構成はもう古いかも知れない。

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04.      様々な年代のフランス人の子供たちが 代わり合ってやって来る。


6月はまだ夏休み前だが コロニー(林間学校)や 校外学習で来ているようだ。

こんな立派な歴史的教材が身近にあって 勉強に大いに役立つだろう ・・

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05.    ポンデュガールの長さは275m、 高さは49m。 


川床に6つのアーチを持つ下層、  11のアーチを持つ中層

35のアーチを持つ 水路のある上層 からなっている。


1日の流水量は約2万立方m、  平均斜度は1kmあたり24.6cm。

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06.     微妙な斜度と水路幅が計算され、 ローマ時代は清潔な飲料水が

600年ほど 順調に運ばれた。   が、4世紀以降はあまり手入れがなされず 


石灰質の堆積物がこびりつくようになり、  9世紀には使用不能となった。

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07.     しかし、使われなくなってからも 1000年以上経っているとは驚きだ。 
 

廃墟となることもなく 堂々たる勇姿を保ち続けてきたポンデュガールは

まさに 石の文化の凄さを物語るヒーローと言えるだろう !

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08.      橋の北側には 如何にも石灰質らしい白い岩が見える。

南側には水泳して楽しむ人々。   水遊びなどレジャー用のゲートは別にある。

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09.      橋で使われた巨大な切石はモルタル無しで空積みされている。   


特にアーチ部の石の組み方など ローマ人の知恵と業には驚かされるばかりだ。

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                                                   (  中層の柱の幅は4mある  )






10.      この辺りから最上層に行けるが、 いたずらや転落防止のため

ガイドツアーとなっている。  ツアー後 最上階通行証明書ももらえるのだが

今回は時間が合わず  残念ながら叶わなかった。 

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11.      ところで この地方には 古代橋や円形闘技場などがあるが、


古代人が自然と共存して暮らした痕跡、 小麦やブドウ オリーブを用いた

食文化の証しみたいなものも そこかしこで発見されるという。

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                                        (  上は ポンデュガールの街  )







12.       もう一度 北側から橋を眺めて 帰ることにした。


こちら側からは 三層の成り立ちがよく窺える。

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13.      ゲートから どんどん 新たな観光客が入って来る。  



駐車場で 流暢な日本語で日本の婦人方を案内するガイドさんがいた。 


大都市からワンデイトリップで車を出すガイドが 登録されているので

こういう旅の仕方も便利かも知れない。

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ポンデュガールを出た後、  近頃では珍しく ヒッチハイクする人たちがいた。   


その埃っぽい道路わきにも糸杉が立っていた。  やっぱり南仏だ ・・




水路がポンデュガールからニームに向かったように


私達も 一路ニームを目指した 。









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2014年8月 8日 (金)

「エーグ・モルト」海面がピンク色! そして可愛い子供たち

南仏プロヴァンス地方 地中海沿いに ” カマルグ Camargue ” と呼ばれる湿地帯がある

” プロヴァンス平野の父 ” と呼ばれるローヌ川が 土砂や泥土を押し流し、 56、000haという

塩分を含む 広大なデルタ地帯を形作ったのです








01.    アルルの南西30数km、そのカマルグの一角に 「 エーグ・モルト Aigues Mortes 」がある



城壁に囲まれた この四角い中世の町は 当時 海岸線まで3km、 

運河を通って 多くの船団が十字軍遠征に出発した 華やかなる港でもありました 
  


13C フランス聖王ルイの時代、 フランスは地中海沿いには一つも領土を持っておらず

商業上も 十字軍の派遣にも基地が必要であったため、  

国王は 沼地の中で 殆ど島になっていた小修道院の土地を
獲得し、 

その村に特権を与え 小城塞として発展させたのです

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02.    この四角い城塞は 13C末フィリップ美貌王の時代に造られ、 城壁には 防御のため 

20もの櫓が設けられた。  14Cには 15、000人の住民が この狭い空間にひしめいたと言う
  




ところで、海面が何やらピンク色に染まっています !

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(   空撮は 観光課のホームページから   )





03.     遠くに見える白い山は ’ 塩の山 ’ 。  エーグ・モルトの塩は LaBaleine という銘柄で

各地に出回っている。 そして、海面を一面ピンクに染めているもの その正体は 実は 塩分に適応した小エビなのです !



カマルグに住むフラミンゴが このエビを食べるから 体が赤く染まるのだとか ・・

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04.     さて、 ガルデット門 Porte de la Gardette から町に入ると

夕方、観光客と入れ替わるように 地元の人たちが 三々五々 繰り出している

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05.    聖王ルイの銅像がある 「 サン・ルイ広場 」は 観光客の記念撮影が終わると、

やんちゃな子供たちの遊び場となる。     レストランがぐるりと この広場を取り囲んでいるが、


美味い店を引き当てるには 一種の勘と聞き込みが勝負となる

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06.     地元のおばあ達が カフェにたむろしている。  ママが朝から仕事だということで 

孫の世話を任されているこのグランマ、 ’ 目に入れても痛くない ’ とは 世界共通の感情のようだ

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07.     彼女は上の赤ちゃんのお姉ちゃん、 私は後にデッサンでもしてみたいと 10カット程写真を

撮らせてもらった。      子供たちと仲良くなるには 一緒に歌を歌えばOKです !

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08.     日本ではこの夏 白が流行だというが、 この店は 海辺の町らしく 白が永遠のスタンダード !


「 ブラン デュ ニル、 ナイル綿の白 」  という屋号です ・・

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09.     ” おっぱいのようなヌガー ” と言うべきか  ” ヌガーのようなおっぱい ” と言うべきか !?

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10.     この町の小路には 下町情緒が溢れている。 未だ 濃密な人間関係が存在しているようだ


さて夕食は、先程の広場の片隅で パエリャを ’ 露天作り ’ していたレストランを見つけた

  restaurant                         restaurant



最近は スペインでも これだ!と言う 美味しいパエリャに なかなかお目にかかっていない。 レストランでは

20分程お時間がかかります、と確認してくるので ちゃんと手作りはしているのだと思うが、 恐らく 厨房では

パエリャを手早く仕上げる 何らかの近代的な調理施設があるに違いないと想像している。  でないと

大勢のお客に一度に対応出来ないからだ。  大きなエビや魚介で飾れば 即 立派なパエリャに見えてしまうし・・

  wine                       wine



ここのは 水分が適度に飛んで 美味しい旨みと香ばしさが 口いっぱいに広がり、

生涯でも 忘れ難いパエリャとなった !

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11.    エーグ・モルトの ピンクの海の色に染められた? アイスクリーム屋さんの店先


” まず パパが舐めてからね、、、 ”    子供たちの可愛い表情がなんとも言えません

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12.    さて 現在のエーグ・モルトは この四角い中世の町の外側に発展している



城塞脇の運河 Chenal Maritime には 旋回橋が架かっていて、   朝の通勤時間帯

人々は 足早に橋を渡って行く

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ところで 14C以来、エーグ・モルトの停泊区と水路が ローヌ川の堆積により 徐々に埋まり、 

海岸線も大きく後退し 商業・軍事基地としての役割を果たせなくなった頃、 マルセイユがフランス領となり 

港の役割がそちらへ移ると、  エーグ・モルトは 完全にとどめを刺され 



その名の通り ” 死んだ水 ” となる。    そして、 歴史の外へ忘れ去られた ・・・




因みに 港の役割がなくなったあと、 この町は 長く牢獄として使われたと言う事です

西洋では 隔絶した場所は 多くが 修道院か牢獄になったんですね ・・・






ともあれ エーグ・モルトも 実に面白い町で、   わざわざ足を伸ばす価値があったと言うものでした



そして、城塞の狭い空間で出会った子供たち、 可愛いかったです ~ !

2014年8月 1日 (金)

「ゴッホが入院したアルルの病院」と「ゴッホのお菊さん」

ゴッホが 南フランスのアルルで生活したのは 1888年2月から1889年5月まで、

短い滞在でしたが 今日のアルルには 大きな財産を残したと言えそうです




生涯に1000点以上の作品を残したゴッホでしたが 

アルルでは ひまわりや糸杉ばかりでなく 彼が触れあった人物の絵も描いています






01.    「 郵便夫 ジョゼフ・ルーラン Portrait de Joseph Roulin assis 」

ルーラン夫婦については それぞれをモデルとして 複数の絵を描いていますが



ゴッホは ジョゼフの風貌がソクラテスのようで気に入ったらしく、ジョゼフの方も 後に 入院したゴッホを見舞っている

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02.    「 ラ・ムスメ La Mousme 」  ピエール・ロティの小説「 お菊さん 」から


発想したタイトルだが、  ’ むすめ ’ という日本語に ゴッホは フランス語に翻訳できない 可愛らしさ 

優しい快活さなどのニュアンスを感じ取ったらしい

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03.     当時の「 アルル市立病院 」 を そっくり復元したもので、 今は ゴッホのメモリアル、

「 エスパス・ヴァン・ゴッホ Espace Van Gogh 」 と呼ばれている

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04.     1888年12月23日、 ゴッホは 例の 自らの耳たぶを切り落とす事件を起したあと

アルル市立病院に収容される。       12月30日の地方紙「 ル・フォロム・レピュブリカン 」は、



「 先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が 娼家1号に現れ、

ラシェルという女を呼び ” この品を大事に取っておいてくれ ” と言って自分の耳を渡し姿を消した 」と報じた

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05.     他方、ゴーギャンは ゴッホの弟テオに 来て欲しいと電報を打ってから パリに帰る。  


想像を越えるような事件の勃発に ホトホト嫌気が差したであろうが、  ゴーギャンは 友人として

やるべき最低限の義務を果たして アルルを去った ・・ 

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06.     「 アルルの病院の中庭 Jardin de l’ Hopital a Arles 」

ゴッホが入院していた当時の病院は 16世紀以来 Hotel-Dieu Saint-Espirit と呼ばれていた。



しかし 医療の近代化に伴い 診療機能が徐々に他に移され 1986年には この病院は完全に閉鎖され、 

ゴッホ絵画センターとして ゴッホの絵を参考に 当時の病院の姿が再現されたのは つい最近のことになります

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07.     ゴッホが アルル時代後半に住んだ 「 黄色い家 」 は 現在は跡形もないが、 



「 夜のカフェテラス Terrasse du cafe le soir 」 に描かれた 当のカフェ、

Cafe Van Gogh の方は これまた彼の絵そっくりに 1990年に再現されました

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08.    ゴッホの跳ね橋も 病院も カフェも 平たく言えば 観光客誘致のため再建されたとは思うが、


わずかな滞在期間だったにも拘らず ゴッホが来てくれたことで ’ゴッホの町’ という大きな価値を得たアルルが

そうしたメモリアルを再建するのは 市民にとっても意味あることに違いない

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09.     それに付けても 当時の新聞に 「 オランダ人風景画家が精神能力に狂いをきたし、

過度の飲酒で異常な興奮状態になり、住民、ことに婦女子に恐怖を与えている 」 などと報じられたゴッホが



後年、世界中で知らない人がいないような 偉人画家として 再びアルルに富をもたらすことになるとは

いったい誰が想像しただろうか ・・  ゴッホゆかりの建物などが 保存されなかったのも当然でしょう !

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(  「 古代劇場 Theatre antique 」 紀元前1C   )






10.    さて その後 ゴッホは アルルの北東20kmにある サン・レミの精神病院に移される。



サン・レミへは プラタナスの並木道が延々と続く ・・     もともと フランスの田舎の風景は 

並木道と切り離せないが、    この長い並木道は とりわけ美しく、 心に響くものでした

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11.     さて 先ほどの小説 「 お菊さん Madame Chrysantheme 」を書いた

ピエール・ロティ Pierre Loti は、 1885年と1900年に 実際日本に来ている


小説は 長崎で3か月暮らした 海軍士官が うら若い日本人の娘と生活した模様を 日記風に書いたものだそうだ





っと、 ここで思い出されるのが 「 蝶々夫人 Madame Butterfly 」

実際 蝶々夫人は 「 お菊さん 」が 巷で大流行したのを踏まえて、 その10年後に作られたものだ




「 お菊さん マダム・クリザンテーム 」のオペラの一部を 私は FM放送で聞いたことがあるが

「 マダム・バタフライ 」 共々、 

一種のジャポニズムの流行が こうした作品を生み出したことは間違いないでしょう

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12.     ロティは 必ずしも日本を賛美だけしている訳でなく、 一部侮蔑の感情もあったらしいが


浮世絵などを通して日本の美に傾倒していたゴッホは、 小説「 お菊さん 」から 未だ見ぬ日本への憧れを

一層強くし、  油絵で 可愛いお菊さん ” ラ・ムスメ ” を描いてみようとしたと言う。




アルルの光や色は 日本の版画のように美しいと言ったゴッホが 本当に日本に来たらどう思ったかは別として、

日本人としては ゴッホにそんなに憧れられたことは  嬉しいような、、、 気恥ずかしいような、、、

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さて、 ツールーズ・ロートレックが ゴッホのポートレイトを描いている





南フランス風の光と色に染まったゴッホですが  

心の中に潜む病根と頑固さもちゃんと表現されていますね ・・

       
  

2014年7月25日 (金)

「ゴッホの跳ね橋」 そして美しく逞しい「アルルの女」

 
「 アルル Arles 」 は 伝統を守る南仏・プロヴァンス地方でも とりわけ個性的な街、




ビゼーの戯曲 「 アルルの女 」 や ゴッホの数々の名画などを思い出すが

町の歴史は非常に長く、 紀元前まで遡れる







01.   アルルは ローヌ川と地中海と風の作用によって生まれた「 カマルグ La Camargue 」

と呼ばれる 沖積平野の縁にある

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02.    「 円形闘技場 Arenes 」、  アルルがローマ時代の首都だった 紀元75年頃の建造



もう2000歳以上だという その石肌は 何とも言えない風合いだ 

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03.    アレーナの観客席は時代ごとに改修され 今も闘牛やフェスティヴァルに使われている。



因みに カマルグ式と呼ばれるアルルの闘牛は 牛を殺さず 牛の首から紐を外す競技だそうだが

他に ’ ちゃんと牛を殺す ’ スペイン式闘牛も 年に数回行われる

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(  アレーナの外側は 楕円形の道路に沿って  店屋などが 続いている   )







04.    「 ラングロア跳ね橋 Le Pont d’Langlois 」   

1912年当時の橋を 場所も変えて 再現したもの

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05.     ゴッホは弟のテオに    ” 様々な色の上着と帽子を身に着けた洗濯女たち、 

青い川の水と緑の草が生えるオレンジ色の土手、 橋を渡る小さな馬車が青い空にシルエットとなる、

そんな絵を 今日3月15日(1888年)描いた ”  と手紙を送っている

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06.     さて、 市庁舎では 2組の ’ アルルの女 ’ の結婚式がありました



花婿 花嫁 双方の両親を交えて記念写真 ・・

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07.      こちらは 父親が消防署関係でしょうか・・   カッコいいですね!

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08.     華やぐ広場の向こうは 「 サン・トロフィーム教会 Eglise St-Trophime 1080年 」


正面入口の 「 ポルタイユ Portail 」 は 12C末のプロヴァンスのロマネスク様式の傑作とされます

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09.     外の喧騒をよそに 「 内庭の回廊 Cloitre 1150年 」は 光と静けさに満たされて ・・

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10.     さて ” アルルの女 (Arlesienne アルルジエンヌ )” は 美人で有名です

特にアルルの「 衣装祭り 」では、 民族衣装に身を包んだ女性達が  さらに 一層の魅力を放つ !



このようなクラシカルな髪形やレース襟が 万人を美人に仕立てるのは間違いないようですが 

祭りの期間中 彼女らは このドレス姿で 馬に乗ることだってあるのです ! 




’ アルルの女 ’ の真髄は 単に美しいばかりでなく、普段着の女性たちのように 逞しいという側面もありそうです

(   折り畳みが出来る赤い麦わら帽は ローカル色があっていいですね ~!   )

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11.    ゴッホとゴーギャンも1888年11月に アルルの女、 ジヌー夫人 Madame Ginoux

を一緒に描いている。  ゴーギャンがマダムの向かって左側に ゴッホが右側にいたことがわかる。




ゴーギャンは その場でさっさとデッサンを仕上げて 後日油彩で仕上げたが、 

ゴッホは例によって  絵が完成するまで 現場で描いた

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12.    因みに ジヌー夫人は ゴッホが間借りしていた カフェドラガール Cafe de la Gareの

女主人で、 当初 大家と間借り人という事務的間柄でしかなかったが、 



ブルターニュのポンタヴェンから  ゴーギャンが到着した途端、その関係が一変する。

礼儀正しいゴーギャンの態度に マダムの心が 即打ち解け 絵のモデルになることも快諾したという次第。




絵の描き方でも人間関係でも 不器用で融通の利かないゴッホと 

一旦物事を ’ 形而上 ’ に置き換えて 再処理できるゴーギャンと 

うまく行くはずのない間柄だったなあと 今更ながら 思ったものでした

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街角で 主を待つ 自転車と編みかご。   ビニールやポリエステルに取って代わられない文化。




これぞアルル、 これぞプロヴァンス、  そして 絵に描いてみたいようなシーンでもありました ・・・



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