南フランス アルル・ニーム・アヴィニョン

2021年7月 2日 (金)

南仏 サクランボジャム パスツールの低温殺菌法

サクランボジャムには 長期保存できるタイプと 

数週間のうちに食べきるタイプとがある。


今回は さらに 少しタイプの異なる作り方を 

友人に教えてもらった。

 

 

 


01. サクランボは種を付けたまま 少々の水・

砂糖と共に 密閉ガラス瓶に入れる。

M1

 

 


02. 圧力鍋に、 それぞれぶつかり合って

壊れないよう 瓶を綿の布巾でくるんで並べ、 

鍋の底に水を少々入れたあと 20分弱煮る。

M2

 

 

 

03.  出来上がった状態。 

このまま 平温で 一年弱保存できる。

 

冷蔵庫も冷凍庫も無かった時代 こうして

人々は 殺菌を施した

M3

 

 

 

04. これが世に言う ’低温殺菌法’ だ。


瓶の中のサクランボは 百度に達しない状態で

殺菌され、美味しく保存される。  仏語では

 


Pasteurisation パスタリザシヨンと言い、

1866年に これを発明したルイ・パスツール 

Pasteur の名に由来している。

M4

 

 

 

05. 当時 ワインが腐敗することが度々起こり

パスツールは、 アルコールを飛ばさず、風味も

損なわず、 微生物も完全には死滅させずに

ワインを殺菌する方法はないものかと 

研究を重ね 発明に至ったのだ。

 


今日日本でも 低温殺菌牛乳でお馴染みだが、


日本酒の酒蔵では パスツールより300年も前に

この方法を考案していたそうだから

日本人の知恵は 本当にすごい !

M5

 

 


06. サクランボジャムの この作り方を

教えてくれたミレイユは  サクランボが

たくさん採れる南フランスに住んでいる。

 

彼女の年季が入ったデノワイヨター、

サクランボの種抜き器。

 


ミレイユは このあと サクランボ焼き菓子・

クラフティを作ったそうだが、 美味しすぎて

写真を撮るよりケーキが胃袋に入る方が速かった、

まことにごめんなさい、と言って来た。

M6

 

 


パスツールは コレラ菌の発見者コッホと共に

「近代細菌学の開祖」 とされるが、 彼は

 

ニワトリコレラワクチン、狂犬病ワクチン等

ワクチンの予防接種を考案開発した学者でもある。

 


今日の 新型コロナワクチンも 様々な系譜の

元を辿れば パスツールたちの研究に行き着く。

 

 

パスツールの名言  ” 科学に国境はないが 

科学に祖国はある ” に従えば、 今や国境を

越えて必要とされるワクチンにも フランス

という研究の祖国がある、 と言えそうだ。

 

 

 


*   *   *   *   *

2021年6月18日 (金)

南仏 名産サクランボは ジャムとケーキになる 

今回の南仏旅行は 機中泊も入れて 13泊15日

くらいだったと思う。  旅には いわゆる観光の他 

私だけの ちっちゃな楽しみがあった。 

 

それはサクランボジャム!

 


フランスのサクランボは プロヴァンスからバスク

あたりの フランス南西部で 多く収穫される。

 

 

 

 


01. 日本で 梅や桜が 庭に一本はあるように、

サクランボ農家でなくても  その地域の家には 

だいたいサクランボの木 Cerisier が生えている。

01_20210618114101

 

 

 

 

02. こちらは 日本の公園にある普通の桜の木、

種類によっては ちゃんとサクランボが実る。


小さいけど甘くて美味しい。 ただし手が汚れるし

野鳥と競合するので ばい菌に気を付けねば ・・

02_20210618114101

 

 

 

 

03. さて フランス人はいろんな形で サクランボ

を食べるが、  その一つが サクランボジャム。

03_20210618114101

 

 

 

 

04.  サクランボの種を取る器具 デノワイヨター

の変遷は 日本での調理器具の工夫と同じことだ。


なるべく手を汚さずに済ませたい 狙いだが、

どうしたって 少しは ’血に染まる!’ って

フランスの友人は言っていた。

04_20210618114101

 

 

 


05. 保存するためのジャムは サクランボと

砂糖が同量、 水分が飛ぶまでよく煮詰め

瓶詰する。     一方  最近 家庭では

 

ダイエットの観点から 砂糖を控え 煮詰める

時間も10~15分、 それを瓶詰して 蓋を良く

締めてから 上下逆さにして保存する いわゆる

’コンフィチュール’ タイプのジャムが流行りだ。

 

日持ちはしないが 砂糖が少ない分

罪悪感も少なくて済むと言うわけ。

05_20210618114101

 

 

 


06. さて、こちらは フランスのホテルの朝食。


サクランボジャムが 大好物の私、 美味しい

フランスパンとバターと  ’サクランボジャム

Confiture de Cerises’  があれば 満足だ。

 

 

日本で 輸入品を買えばいい訳だけど、 毎朝

南仏のホテルで 色んな種類のジャムから

サクランボを見つけ出すのは とても楽しかった!

06_20210618114101

 

 

 

 

07. とは言え フランスの朝食は本当にシンプル! 

ハム類 野菜 スープなど 何もない。

ドイツや スペイン イタリア等と比べたら 

質素この上ない。  

 

昼食・夕食が 大きく正式な食事で 朝食はプチ

なんだ、 というフランスの食文化、 

頑固な誇りが垣間見える。 でも 情報化の時代、

いつまで その主義が通用して行くか見ものだ。

 

 

隣りのテーブルのドイツ人が 文句を言っていた

こともありました・・・

07_20210618114101

 

 

 

 

08. 本来 大きな食事のはずの 昼食だが、旅人は

貴重な昼の2時間を 浪費する訳にはいかない! 

 

ランチ用に フランスパンにバターとサクランボジャム

をべったり塗って バッグに忍ばせて出かけた日々

 

でした ・・    スーパーで ハムやフルーツを

買えば 最高のアウトドア・ランチとなるのです。

08_20210618114101  

 

 

 

 


09.  さて もう一つのサクランボの食べ方は

サクランボの焼き菓子だ。 様々な お洒落な

レシピがあるけれど、

 

’ クラフティ Clafoutis ’ という素朴なケーキ

こそ おふくろの味だ。

小麦粉 砂糖 バター 玉子 ミルクなど 

よくある材料で 30分程で焼き上げる。

 


サクランボは 種抜きも 種ありもある。

ブランデーやキルシュで漬け込んだものもある。

09_20210618114101

 

 

昔のこと、  料理がそれ程得意でないマダムが

( フランス人 全てが料理が上手い訳ではない ・・ )

 

 

クラフティだけは さっさと焼いて 出してくれたもの

でした。   彼女のは 種ありタイプだったが

 

種をしゃぶるのも 悪くなかった ・・

 

 

 

 

そうだ、 クラフティを焼こう !!

 

 

 


*   *   *   *   *

 

2021年6月11日 (金)

大渓谷 ミヨーの大橋 ゲーセンもコンビニも無いとしたら?


南仏にある 絶景の大渓谷

ゴルジュ デュ タルン ’Gorges du Tarn’ 、

谷幅と川幅が徐々に広がり 風景も変化していった。

 

 

 

 

01. タルン川 La Tarn は セヴェンヌ山脈中の

水源から アルビ方面まで 全長381kmある。

 


そのうち 

観光名所となる 絶景のゴルジュデュタルン大渓谷

は 80kmほどの区間だ。   フランス観光に 

こんな選択肢があったのか、と驚かされた。

01_20210610172401

 

 

 


02.    雄大な風景

02_20210610172401

 

 

 


03. アメリカのグランドキャニオンのスケール感は

ないが、 緑に覆われ 文化と人々の生活感がある

大渓谷は いかにもフランスらしい。
03_20210610172401  

 

 

 

 

04.  谷間の集落は いかにも不便そうだが、

それなりの 発祥の理由と物語がありそうな舞台だ・・

04_20210610172401

 

 

 

 

05.  岩壁も後退し 集落も現代的で 

渓谷の風景が明るい。   あの岩塊には

きっとニックネームがあるに違いない!

05_20210610172401

 

 

 

 

06.  村道わきで サクランボを売っていた。

休憩も兼ねて 覗いてみる。

06_20210610172401

 

 

 

 

07.  大安売り 1kgで5ユーロ (660円)、 


品種 産地 粒の大きさ・直径20~22mm、 

と 書かれていた。    1kg買ったが  


2~3日にわたって ドライブの良き友となった。

07_20210610172401

 

 

 

 

08.    絵葉書より綺麗 !?

08_20210610172401

 

 

 

 

09. やがてタルン川は 「ミヨー Millau」という街を

通過した。   そこに架けられた ”ミヨーの大鉄橋”

が凄かった!        この橋が出来るまでは 


タルン川を渡るのに 車は 300mの高原の山道を

上り下りしなければならなかったが、


2004年の開通以来 パリからのバカンス客等の

数珠繋ぎの渋滞の列が無くなった と言う。

 

 

 

橋の主塔は エッフェル塔や東京タワーより高い343m。

橋の長さは2460m、タルン川の川面からの高さ270m。


エッフェル社を始め 欧州各国の会社の知恵と技術を

結集した傑作だ。

09_20210610172401

 

 

 

 


10. さて その日の宿は アルビの手前30km

Albanという 街道筋の町で見つくろい、

夕飯は 町に出て 良さそうなレストランに入った。

 


そこでは 仏領諸島出身の女性が仕切っていた。 

室内とテーブルセッティング、

黄色と青のコーディネートは 彼女のアイディアだ。

10_20210610172401

 

 

 

 


11. 壁の売り絵 ’Jackie Bardy・22ユーロ’。 

お安めなので 多分リトグラフだったかも知れない。


これも彼女の企画で バカンス時期には

結構 作品の入れ替えもある、そうだ。

 

 

レストラン内は閑散としていて 拍子抜けしたが、 

実は 入店する時 前室のディスコバー部分は

驚く程 若い人達でごった返していた! 

11_20210610172501

 

 

 

 

 

12.  外のテーブルでいっぷく。 仕事の疲れを

癒すのは 肉屋さんと美容師。  お疲れ様です!


卓に重要アイテムが並ぶ。 車の鍵 部屋の鍵

たばことサムスン製の携帯 少々のアルコール。

グラス一杯までは 取り締まり OK・・

 

夕方のバーが どれほど 楽しみなことか!

 

 

若者文化が横溢する日本と違い フランスの若者が

たむろする場所は本当に限られている。 田舎町、


ゲーセンも コンビニも 遊べるスーパーも 

ドンキもガストも カラオケも 自販機コーナーも

ツタヤもゲオも 無いとしたら 、、 どうします、、
12_20210610172501  

 

 

 

 


13. 泊まったホテルは Hotel Bardyでした。

売り絵のBardyさんとの関係は 今や聞く術はない。

 


宿の主人の黒い衣装は 隣り街アルビの画家・

ロートレックの作品を 想起させてならなかった。


17歳だという犬は 足を通風で病んでいたが 

その黒さが 主人によく似ていた。  

13_20210610172501
                       ( ↑ ロートレックのポスター )

 

 

 


帰る時 ミヨーの大橋を 是非渡って行ってくれ、と

言われた。  前日渡って来ましたよ、と言ったが


大橋の自慢話が どんどんつい口を突いて出て来る。 

土地の人々にどれ程のインパクトがあったことか!

 

 

さすが、  フランスの人流やら物流やらに 

革命を起した橋だ。 古いものを愛するフランス人

ではあっても  一方で 時代時代の新しいもの、

革命を 起こして来た人々だ。

 

高さだけで言えば エッフェル塔が8基も並ぶと

想像したら、 やっぱりすごいと認めざるを得ない! 

 

 

 


この後の 旅のつづきは  

2017年11月の記事  カテゴリー

「南フランス ツールーズ アルビ カルカソンヌ」

につながります。 

 

 

 


*     *    *   *    *

 

2021年6月 4日 (金)

南仏・ ゴルジュデュタルン大渓谷 美しすぎる風景

南仏・ニームNimes の東側はプロヴァンス地方だが

一歩西側に出ると 「 セヴェンヌ Cevenne地方 」

という 美しい山岳地帯のある県域となる。

 

 

 

 

01. 前夜 ’セヴェンヌ地方への入口’ という名の

ホテルに泊まった。   夜中に激しい雷雨があって

何度か目が覚めたのだが、   翌朝 朝食の時

 

夜来の嵐の話を端緒に、 客同士で話が弾んだ。

01_20210602175101

 

 

 


02.  ニースの別荘から来たオランダ人夫婦

妻がメディカルカウンセラーのベルギー人 

 

杖をつく イスラエル人のモダンアート画家  

そして 仕事の手を休め メイドさんも加わった。

 

 

画家フェルメールの話になったが 発音が違う。


ヴェルメルとか ヴォルミエールとか 

それぞれ みんな自分の慣れた呼び方がある。


残念にもオランダ人は 早 部屋に引き上げていた・・

02_20210602175101

 

 

 


03. さて、 この日の行程は (1) コルニシュ 

デ セヴェンヌ ’Corniches des Cevennes’ と


(2) ゴルジュ デュ タルン ’Gorges du Tarn’ 

という二つの 絶景の渓谷を巡るものだ。 

 

 


タルヌ川の渓谷の底に眠れる廃墟 

「 カステルブー Castelbouc 村 」 は 

セヴェンヌ渓谷の珠玉の風景 !

03_20210602175101

 

 

 


04. 所々 岩をくり抜いたトンネルをくぐったり  

犬に挨拶したりしつつ、 フランスの最も美しい村登録


中世の町 「 サンテニミ Ste.Enimie 」 

(写真 ローマンブリッジのある町) を目指した。 

04_20210602175101

 

 

 


05. 渓谷沿いの 「プラド城 Chateau de Prades」 

も 絵になる風景だ。

 


このあと セヴェンヌ渓谷に別れを告げ

(2) のタルン渓谷 へと入って行った。

05_20210602175101

 

 

 


06. さて、サンテニミに着いた。 Ste. は 

女性形の聖人で、 この地に沸く清らかな水源で 

ハンセン病患者を癒した修道女の名前だ。


彼女の遺体が発見されたあと 彼女を聖人として

祀る村となり 多くの巡礼者が来たと言う。   

 

しかし今は村人250人という 極小の村だが・・

06_20210602175101

 

 

 

 

07. 小さなアーチを抜けると 古い石畳の小路

15~6世紀のハーフティンバーの家々、

12世紀のロマネスク教会が 静かに佇んでいた。

07_20210602175101

 

 

 

 

08.南北の両岸に およそ1000mの崖が続く。


セヴェンヌ渓谷では上から下を見下ろしたが、


タルン渓谷では 主に川沿いレベルを走るので、

谷から見上げることが多くなる。

08_20210602175101

 

 

 


09.    タルン川沿いの村。  

この静けさを 何と表現したら良いのだろう・・ 

 

ここは廃墟でなく、 人々が住む現役の村だ。

09_20210602175101

 

 

 

 

10.  谷間に三つの鐘が鳴る  ♫ ♫ ♫

10_20210602175101

 

 

 

 

11. ここは 中世の町 「ラ マレーネ La Malene 」


覆いかぶさる崖の 圧倒的な力強さ !

 


岩と一体となった建物は 15C建造の

「モンテスキューの館 La manoir de Montesquiou」


20世紀になって ホテルへ改築された。

11_20210602175201

 

 

 


12.  かの有名な 三権分立を唱え 「法の精神」

を著したモンテスキューとは 別系統だが、


こちらのモンテスキュー家も なかなかの名家らしい。

12_20210602175201

 

 

 

 

13.   横から見ても 見事な 四角い岩礁!

 

タルン渓谷は トレッキングは元より カヌーやボート

滝滑り、  そして 地下洞窟 鍾乳洞探検など

様々なレジャー・スポーツのメッカだ。

13_20210602175201

 


タルン渓谷は このあと 徐々に川幅を広げ

 

より壮大な景観を 呈して来る。

 

 

 

フランスには 有名な観光地、名だたる世界遺産

が多々あるけれど、  こんな大自然 大渓谷

 

コロナ禍、 見るだけでも 楽しんでみませんか ・・・

 

 

 

大渓谷 後半部 つづきます。

 

 

 

 

*     *    *   *    *

2018年1月12日 (金)

「南仏アヴィニョンの橋」「アヴィニョン捕囚」 疑問が解けました~


  アヴィニョンと言えば、  世界史で出た 「 アヴィニョン捕囚 」 と 

「 アヴィニョンの橋で輪になって踊ろ・・ 」 の歌が有名だ。    



しかし  私はと言えば、、     子供の頃は

教皇はアヴィニョンで囚われの身だったんだ 、、  と思ったり

アヴィニョンの橋で ” 鬼ダンス 鬼ダンス ” と 歌っていたふしがある。






01.    これがアヴィニョンの橋 「 サン・べネゼ橋 Pont St-Benezet 」。


全長900mあった橋は 1669年の大洪水で流され、 残った半身の姿を

今は 滔々と流れる夕映えのローヌ川に映している。

01








02.     そして これが 「 法王宮殿 Palais des Papes 」。


ぶ厚く高い壁、 窓を最小限に留めた要塞のような巨大宮殿。 

法王と言えど 敵対勢力の攻撃に備える必要があった時代だ。



遠景では 14Cに造られた旧宮殿と新宮殿、大聖堂などがズラリと居並び

城壁で囲まれた教皇都市が 相当大きかったことがわかる。

02








03.  美しいラヴェンダーの向こうにサン・べネゼ橋が見える (上段)。 

橋の下に今は環状道路が走っているが、     昔は ダンスをしたり

人々が集まるような ある程度のスペースがあったと目測される。 



城壁の一部には 「 ドンの岩山 Rocher des Doms 」 (中段) がある。


その岩山は ローヌ川やサン・べネゼ橋を見下ろす 

絶好のヴューポイントとなっている (下段)。

03








04.   旧市内は相当広く傾斜もあるので  ’ プチ ・ トラン Petit Train ’ 

で見物するのが便利だ。

04








05.   プチ ・ トランの発着所となる 法王宮広場には、 大勢の観光客

尼僧やミュージシャン 大道芸人などがいた ・・

05








06.     さて ” 鬼ダンス ” は ” On y dance 人々がそこで踊る ”

という歌だと やがて分かったのだが、   しかし


” 橋の上で輪になって踊る ” には橋が狭すぎるのでは ?!



これは ’ Sous le pont 橋の下で ’ という元歌詞が、 いつの間にか

’ Sur le pont 橋の上で ’ に変えられてしまったというのが真相らしい。



その方が如何にも楽しそうなシーンがイメージされるが、  実際は 広々した 

橋の下・たもとで 人々は集い踊り、 いろんなことをしたのではないだろか。

06








07.      プチ ・ トランではフランス人家族と相席となった。  

ぺぺ (じいじ) と メメ (ばあば) は 初孫が可愛くて仕方ない。


彼らのウキウキ感が伝わって来る。     間もなくすると、 

ペペが孫に聞かせようと 指先を振りながら あの歌を歌い出した !

” Sur le pont d’Avignon on y dance, on y dance ・・・・ ”




当たり前ながら フランス人もあの歌を歌うのだ、、  しかも現場で、、、!

正に橋の下をくぐり抜けながら 私も一緒に歌った。  動画にも収めた。


また一つ 忘れられない思い出ができた瞬間でした ~

07

                          ( アヴィニョンの橋の橋脚は こんなに狭い )







08.      さて 「 アヴィニョン捕囚 」 は カトリック・ローマ法王の都が

ローマからアヴィニョンに移されていた時期 ( 1309年~1377年 ) を指す。



法王の都には あらゆる富と権力が集中する。   法王を奪われたローマに

とっては 確かに ”捕囚” であったが、   アヴィニョン側から見れば 

又とない好機、 湧きたつような我が世の春を謳歌した時代だった。       

08

           ( プチ・トランから ずっと街角の風景を見ながら 進みました ~ )






09.   当時は ドイツ皇帝やフランス王と ローマ法王との間で 教会領地

課税権 聖職者の任命権などについて 激しい権力争いが続いていた。



そんな中 フランス王フィリップ4世 ・ 美貌王は 自分の息のかかった

ボルドー大司教を法王に選出させることに成功。   それが  結局は 


’ キリスト教世界の首都 ’ をアヴィニョンに遷都することに繋がったのだ。

09

           ( 靴屋 右上 ”大量放出” ”出血価格” 日本と表現が同じ ! )






10.      法王が一人移動すると 役人や行政機関も移動する。

護衛や職人、コックも移動する。 医者や美容師 道化までついて行ったと言う。


もともとテーブルマナーやレース・装飾品などをフランスにもたらしたイタリアだ。

画家や建築家など あらゆる先進的なものをアヴィニョンに送り込んだと思う。


そして アヴィニョンは 各国の高位聖職者から普通の巡礼者まで 

多くの旅人が出入りするメッカとなった。



そうなると地元の手工業、 染色 織物 刺繍 金銀細工 宝石・ガラス細工

加えて農畜産業も、 ありとあらゆるものが活気づかないはずがなかった。

10








11.    さて 当夜は法王庁広場 赤いパラソルの辺りで食事をした。 


食卓の先 法王庁の灰色の壁をバックに 貧相な半ズボンの男が歌い出した。

が、 そのアリアは 意外なほど澄んで美しく 外見とのギャップに驚かされた。




テーブルは オートバイでやって来た2組、 イタリア人夫婦とオーストリア姉さんと

隣り合った。  カッコいい姉さん(写真右)は  イギリスでオートバイを買い

南仏 スイス ドイツ そして北仏をツーリング、英国でまたバイクを売るんだそう。



単身ユースホステルに泊まりながら  本を著すため旅日記を綴っているとか。


南仏エズ村の急勾配坂で転んで泣いた、、 と言う彼女に コモ湖から来た

イタリア人が ” バカ ” とつぶやいたのを 私は聞き洩らさなかった ・・

11








12.     ここは アヴィニョンのメインストリート レピュブリック大通り。

ホテルの窓から プラタナスの大樹とカフェ・レストランの朝の風景が見渡せた。



法王庁がローマに返されたあとも、 フランス大革命までは アヴィニョンは

法王領として華やかな繁栄が続いたというから、 この大道りも 時代ごとに

どれ程多種多様な人々が闊歩して来たことだろうか ・・

12








13.      サン・べネゼ橋は 夕方ゲートが閉まるので 日中行くとよい。

昔は洪水も多く、 手摺もなかったし 踊ったら危険でした~ 



法王庁など 内部はあまり見るべきものはない。   アヴィニョンは

街を訪れて おやまあ~とビックリする、   それで十分だと思う。

13


法王庁都市がもたらした繁栄とその余韻は どっちみち 思想や文化の

奥深い所に浸透してしまい、   簡単には見えないでしょうから ・・




それより ’ 鬼ダンス ’ や ’ 法王が本当に幽閉されていたのか ’

と言った馬鹿な疑問が解けて 本当にホッとしました。 




これこそ旅の醍醐味でしょうか !  









・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆    

2017年12月22日 (金)

「古代遺跡の街ニーム」 タイヤがパンク!お陰で色んな人に会いました

 
南フランス 「 ニーム Nimes 」 は 古代ローマ時代からの都市で 


今なお 数多くの遺跡が残っており 現代の街角に溶け込んでいる。







01.     「 円形劇場 Arenes 2C 」   世界遺産に登録。


完全にぴったりと切り揃えられ、 組み立てられたアーチや回廊は

見事と言う他ない。      車が行き来する大通りに面していて

今なお闘牛やコンサートに使われている現役だ。

01








02.       華やかな榎の並木の大通りの先、  そして広場に 

ローマ時代の門や神殿がひょっこり現れる。

02








03.    「 メゾン・カレ Maison Carree 前16C 」  現在は美術館。


あらゆるローマ神殿の中で 最も完璧な保存状態で残っている。

03








04.     一方、  街中では あちこちで道路工事が行われていた。

片側通行部でのすれ違い様、 女の子の鋭い視線が突き刺さった。



しかし、 この時突き刺さったのは 視線ばかりではなかった ・・・ !

04








05.     高校 Lycee 前、 丁度学生たちの下校時だった。  日本なら

普通は 制服姿だけれど 自由な私服だなァ などと思っていると 、、、



我々の車の 多分タイヤから 何か異常な音が聞こえて来た。

05

 






06.      取りあえず ガソリンスタンドに入った。  スタッフを探していると


このトラックの運転手夫婦が声をかけてくれた。

06








07.      あの付近で突き刺さったのは ’視線’ と ’ビス’ だった !  


タイヤからビスを抜くと 空気も抜けた。   ジャッキで車体を上げる。

タイヤを外して スペアタイヤを付けた。  一つだけ特殊なビスが足りないと言う。


そこで 専門のガレージに行くことになり、 トラックマダムが地図を書いてくれた。



ニームでパンクして、、   トラック夫婦に助けられ、、 
 

異国でトラブる。  やっぱり 楽しいばかりが旅ではありません ~

07

 






08.      さて、書いてくれた地図が実に大雑把。  

実はその後 ガレージを探し当てるまで 相当さ迷った。   

しかし  何とか閉店前に飛び込めて 本当にホッとした。



ガレージ・マダムは 凄いおしゃべり。  ビックリするほど早口でまくし立てた。


” 8月に スペインで3週間のバカンスが待っている。 日頃どこにも行かず

ひたすら ガレージで仕事をしているから 当然のご褒美よ ・・ ”  

08

  






09.      タイヤもすっかり治ってほっとした。  このガレージ夫婦、

フランソワ Francois と フランソワーズ Fransoise という名前だ。


よくある名ではあるが、 偶然の一致が嬉しく誇らし気なのが伝わって来た。



美容室に相当お金をかけてそうな 美しい金髪のフランソワーズ、  

相当なグラム数の 高そうな金鎖を付けたフランソワ、


会社が順調に回っていることがよく分かる。   良いバカンスを !!

09








10.     さて、 思わぬ時間を食ってしまったので  次の予定地に

辿り着けず、  街道筋のホテルに泊まることにした。    


長いスロープに プロヴァンスのラベンダーが咲いていた。

10








11.      特別有名だったり ミシュランの星が付いてたりしなくても

地元で支持されていれば フランスのホテルやレストランはたいていOKだ。

料理もワインも美味しかった。



隣のテーブルはオランダ人夫婦だった。 アムステルダム在住の彼らは

ニースに別荘を持っている。       年に2~3回やって来るが 

彼らの子供たちの方が より頻繁に別荘を使うと言う。   


別荘をベースに 南仏旅行に出ることもある。  とにかく素敵な人生だ!

11

      






12.     別のテーブルでは バスをチャーターしてやって来た 近隣の

町内会の団体さんが飲んでいた。   料理はほぼ済んだが 

みんな ワインを心ゆくまで楽しみ続ける。  



何と言っても ’ 会話がつまみ ’、    さすがフランス人だ !

12








13.     前日 道端の露店で買ったサクランボを ホテルできれいに洗い、

ドライブの道中で食べようと バスケットに用意した。  


プロヴァンスの人々は 手を真っ赤にして サクランボの種を抜き 

ジャムを作る。         甘酸っぱくて 最高に美味しいのだ !  

13


街道を行く 風力発電の 長~~~~~~いプロペラと 一緒になった。


こんな風に運ばれて行くのだなァ 



台車のタイヤが釘を踏んづけたりしないよう、 気を付けて進んでください。


プロペラ君、 よい旅を Bon Voyage !








♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

2017年12月15日 (金)

古代水道橋「ポンデュガール」 フランスの子供達によい歴史教材!


  世界遺産 「 ポンデュガール Pont du Gard 」 は 古代ローマ帝国が

紀元前19年頃造り上げた 水道橋の傑作だ。  






01.      「 ニーム Nime 」 という街が発展し、 水需要も増大したため  

ユゼスの水源からニームへ約50km、 2000年以上も前 導水路が建設された。
 

その水路が ガルドン川を渡る部分に造られたのが この水道橋だ。

01








02.     今日 有名な古代遺跡の多くには、 ちゃんと道路や駐車場があり

入口には厳重なゲート、 食堂や土産物屋 博物館なども整っている。 

ここには入場発券機もあった。

02








03.     従って、 日本のTV番組で レポーターの女優がやっとの思いで

遺跡に到達し、 感激の涙をこぼす、 なんていう構成はもう古いかも知れない。

03








04.      様々な年代のフランス人の子供たちが 代わり合ってやって来る。


6月はまだ夏休み前だが コロニー(林間学校)や 校外学習で来ているようだ。

こんな立派な歴史的教材が身近にあって 勉強に大いに役立つだろう ・・

04








05.    ポンデュガールの長さは275m、 高さは49m。 


川床に6つのアーチを持つ下層、  11のアーチを持つ中層

35のアーチを持つ 水路のある上層 からなっている。


1日の流水量は約2万立方m、  平均斜度は1kmあたり24.6cm。

05

 






06.     微妙な斜度と水路幅が計算され、 ローマ時代は清潔な飲料水が

600年ほど 順調に運ばれた。   が、4世紀以降はあまり手入れがなされず 


石灰質の堆積物がこびりつくようになり、  9世紀には使用不能となった。

06








07.     しかし、使われなくなってからも 1000年以上経っているとは驚きだ。 
 

廃墟となることもなく 堂々たる勇姿を保ち続けてきたポンデュガールは

まさに 石の文化の凄さを物語るヒーローと言えるだろう !

07








08.      橋の北側には 如何にも石灰質らしい白い岩が見える。

南側には水泳して楽しむ人々。   水遊びなどレジャー用のゲートは別にある。

08








09.      橋で使われた巨大な切石はモルタル無しで空積みされている。   


特にアーチ部の石の組み方など ローマ人の知恵と業には驚かされるばかりだ。

09

                                                   (  中層の柱の幅は4mある  )






10.      この辺りから最上層に行けるが、 いたずらや転落防止のため

ガイドツアーとなっている。  ツアー後 最上階通行証明書ももらえるのだが

今回は時間が合わず  残念ながら叶わなかった。 

10








11.      ところで この地方には 古代橋や円形闘技場などがあるが、


古代人が自然と共存して暮らした痕跡、 小麦やブドウ オリーブを用いた

食文化の証しみたいなものも そこかしこで発見されるという。

11

                                        (  上は ポンデュガールの街  )







12.       もう一度 北側から橋を眺めて 帰ることにした。


こちら側からは 三層の成り立ちがよく窺える。

12








13.      ゲートから どんどん 新たな観光客が入って来る。  



駐車場で 流暢な日本語で日本の婦人方を案内するガイドさんがいた。 


大都市からワンデイトリップで車を出すガイドが 登録されているので

こういう旅の仕方も便利かも知れない。

13


ポンデュガールを出た後、  近頃では珍しく ヒッチハイクする人たちがいた。   


その埃っぽい道路わきにも糸杉が立っていた。  やっぱり南仏だ ・・




水路がポンデュガールからニームに向かったように


私達も 一路ニームを目指した 。









.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

2014年8月 8日 (金)

「エーグ・モルト」海面がピンク色! そして可愛い子供たち

南仏プロヴァンス地方 地中海沿いに ” カマルグ Camargue ” と呼ばれる湿地帯がある

” プロヴァンス平野の父 ” と呼ばれるローヌ川が 土砂や泥土を押し流し、 56、000haという

塩分を含む 広大なデルタ地帯を形作ったのです








01.    アルルの南西30数km、そのカマルグの一角に 「 エーグ・モルト Aigues Mortes 」がある



城壁に囲まれた この四角い中世の町は 当時 海岸線まで3km、 

運河を通って 多くの船団が十字軍遠征に出発した 華やかなる港でもありました 
  


13C フランス聖王ルイの時代、 フランスは地中海沿いには一つも領土を持っておらず

商業上も 十字軍の派遣にも基地が必要であったため、  

国王は 沼地の中で 殆ど島になっていた小修道院の土地を
獲得し、 

その村に特権を与え 小城塞として発展させたのです

01







02.    この四角い城塞は 13C末フィリップ美貌王の時代に造られ、 城壁には 防御のため 

20もの櫓が設けられた。  14Cには 15、000人の住民が この狭い空間にひしめいたと言う
  




ところで、海面が何やらピンク色に染まっています !

02

(   空撮は 観光課のホームページから   )





03.     遠くに見える白い山は ’ 塩の山 ’ 。  エーグ・モルトの塩は LaBaleine という銘柄で

各地に出回っている。 そして、海面を一面ピンクに染めているもの その正体は 実は 塩分に適応した小エビなのです !



カマルグに住むフラミンゴが このエビを食べるから 体が赤く染まるのだとか ・・

03







04.     さて、 ガルデット門 Porte de la Gardette から町に入ると

夕方、観光客と入れ替わるように 地元の人たちが 三々五々 繰り出している

04







05.    聖王ルイの銅像がある 「 サン・ルイ広場 」は 観光客の記念撮影が終わると、

やんちゃな子供たちの遊び場となる。     レストランがぐるりと この広場を取り囲んでいるが、


美味い店を引き当てるには 一種の勘と聞き込みが勝負となる

05







06.     地元のおばあ達が カフェにたむろしている。  ママが朝から仕事だということで 

孫の世話を任されているこのグランマ、 ’ 目に入れても痛くない ’ とは 世界共通の感情のようだ

06







07.     彼女は上の赤ちゃんのお姉ちゃん、 私は後にデッサンでもしてみたいと 10カット程写真を

撮らせてもらった。      子供たちと仲良くなるには 一緒に歌を歌えばOKです !

07







08.     日本ではこの夏 白が流行だというが、 この店は 海辺の町らしく 白が永遠のスタンダード !


「 ブラン デュ ニル、 ナイル綿の白 」  という屋号です ・・

08







09.     ” おっぱいのようなヌガー ” と言うべきか  ” ヌガーのようなおっぱい ” と言うべきか !?

09







10.     この町の小路には 下町情緒が溢れている。 未だ 濃密な人間関係が存在しているようだ


さて夕食は、先程の広場の片隅で パエリャを ’ 露天作り ’ していたレストランを見つけた

                           



最近は スペインでも これだ!と言う 美味しいパエリャに なかなかお目にかかっていない。 レストランでは

20分程お時間がかかります、と確認してくるので ちゃんと手作りはしているのだと思うが、 恐らく 厨房では

パエリャを手早く仕上げる 何らかの近代的な調理施設があるに違いないと想像している。  でないと

大勢のお客に一度に対応出来ないからだ。  大きなエビや魚介で飾れば 即 立派なパエリャに見えてしまうし・・

                         



ここのは 水分が適度に飛んで 美味しい旨みと香ばしさが 口いっぱいに広がり、

生涯でも 忘れ難いパエリャとなった !

10







11.    エーグ・モルトの ピンクの海の色に染められた? アイスクリーム屋さんの店先


” まず パパが舐めてからね、、、 ”    子供たちの可愛い表情がなんとも言えません

11







12.    さて 現在のエーグ・モルトは この四角い中世の町の外側に発展している



城塞脇の運河 Chenal Maritime には 旋回橋が架かっていて、   朝の通勤時間帯

人々は 足早に橋を渡って行く

12

ところで 14C以来、エーグ・モルトの停泊区と水路が ローヌ川の堆積により 徐々に埋まり、 

海岸線も大きく後退し 商業・軍事基地としての役割を果たせなくなった頃、 マルセイユがフランス領となり 

港の役割がそちらへ移ると、  エーグ・モルトは 完全にとどめを刺され 



その名の通り ” 死んだ水 ” となる。    そして、 歴史の外へ忘れ去られた ・・・




因みに 港の役割がなくなったあと、 この町は 長く牢獄として使われたと言う事です

西洋では 隔絶した場所は 多くが 修道院か牢獄になったんですね ・・・






ともあれ エーグ・モルトも 実に面白い町で、   わざわざ足を伸ばす価値があったと言うものでした



そして、城塞の狭い空間で出会った子供たち、 可愛いかったです ~ !

2014年8月 1日 (金)

「ゴッホが入院したアルルの病院」と「ゴッホのお菊さん」

ゴッホが 南フランスのアルルで生活したのは 1888年2月から1889年5月まで、

短い滞在でしたが 今日のアルルには 大きな財産を残したと言えそうです




生涯に1000点以上の作品を残したゴッホでしたが 

アルルでは ひまわりや糸杉ばかりでなく 彼が触れあった人物の絵も描いています






01.    「 郵便夫 ジョゼフ・ルーラン Portrait de Joseph Roulin assis 」

ルーラン夫婦については それぞれをモデルとして 複数の絵を描いていますが



ゴッホは ジョゼフの風貌がソクラテスのようで気に入ったらしく、ジョゼフの方も 後に 入院したゴッホを見舞っている

01







02.    「 ラ・ムスメ La Mousme 」  ピエール・ロティの小説「 お菊さん 」から


発想したタイトルだが、  ’ むすめ ’ という日本語に ゴッホは フランス語に翻訳できない 可愛らしさ 

優しい快活さなどのニュアンスを感じ取ったらしい

02







03.     当時の「 アルル市立病院 」 を そっくり復元したもので、 今は ゴッホのメモリアル、

「 エスパス・ヴァン・ゴッホ Espace Van Gogh 」 と呼ばれている

03







04.     1888年12月23日、 ゴッホは 例の 自らの耳たぶを切り落とす事件を起したあと

アルル市立病院に収容される。       12月30日の地方紙「 ル・フォロム・レピュブリカン 」は、



「 先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が 娼家1号に現れ、

ラシェルという女を呼び ” この品を大事に取っておいてくれ ” と言って自分の耳を渡し姿を消した 」と報じた

04







05.     他方、ゴーギャンは ゴッホの弟テオに 来て欲しいと電報を打ってから パリに帰る。  


想像を越えるような事件の勃発に ホトホト嫌気が差したであろうが、  ゴーギャンは 友人として

やるべき最低限の義務を果たして アルルを去った ・・ 

05







06.     「 アルルの病院の中庭 Jardin de l’ Hopital a Arles 」

ゴッホが入院していた当時の病院は 16世紀以来 Hotel-Dieu Saint-Espirit と呼ばれていた。



しかし 医療の近代化に伴い 診療機能が徐々に他に移され 1986年には この病院は完全に閉鎖され、 

ゴッホ絵画センターとして ゴッホの絵を参考に 当時の病院の姿が再現されたのは つい最近のことになります

06







07.     ゴッホが アルル時代後半に住んだ 「 黄色い家 」 は 現在は跡形もないが、 



「 夜のカフェテラス Terrasse du cafe le soir 」 に描かれた 当のカフェ、

Cafe Van Gogh の方は これまた彼の絵そっくりに 1990年に再現されました

07







08.    ゴッホの跳ね橋も 病院も カフェも 平たく言えば 観光客誘致のため再建されたとは思うが、


わずかな滞在期間だったにも拘らず ゴッホが来てくれたことで ’ゴッホの町’ という大きな価値を得たアルルが

そうしたメモリアルを再建するのは 市民にとっても意味あることに違いない

08







09.     それに付けても 当時の新聞に 「 オランダ人風景画家が精神能力に狂いをきたし、

過度の飲酒で異常な興奮状態になり、住民、ことに婦女子に恐怖を与えている 」 などと報じられたゴッホが



後年、世界中で知らない人がいないような 偉人画家として 再びアルルに富をもたらすことになるとは

いったい誰が想像しただろうか ・・  ゴッホゆかりの建物などが 保存されなかったのも当然でしょう !

09

(  「 古代劇場 Theatre antique 」 紀元前1C   )






10.    さて その後 ゴッホは アルルの北東20kmにある サン・レミの精神病院に移される。



サン・レミへは プラタナスの並木道が延々と続く ・・     もともと フランスの田舎の風景は 

並木道と切り離せないが、    この長い並木道は とりわけ美しく、 心に響くものでした

10







11.     さて 先ほどの小説 「 お菊さん Madame Chrysantheme 」を書いた

ピエール・ロティ Pierre Loti は、 1885年と1900年に 実際日本に来ている


小説は 長崎で3か月暮らした 海軍士官が うら若い日本人の娘と生活した模様を 日記風に書いたものだそうだ





っと、 ここで思い出されるのが 「 蝶々夫人 Madame Butterfly 」

実際 蝶々夫人は 「 お菊さん 」が 巷で大流行したのを踏まえて、 その10年後に作られたものだ




「 お菊さん マダム・クリザンテーム 」のオペラの一部を 私は FM放送で聞いたことがあるが

「 マダム・バタフライ 」 共々、 

一種のジャポニズムの流行が こうした作品を生み出したことは間違いないでしょう

11







12.     ロティは 必ずしも日本を賛美だけしている訳でなく、 一部侮蔑の感情もあったらしいが


浮世絵などを通して日本の美に傾倒していたゴッホは、 小説「 お菊さん 」から 未だ見ぬ日本への憧れを

一層強くし、  油絵で 可愛いお菊さん ” ラ・ムスメ ” を描いてみようとしたと言う。




アルルの光や色は 日本の版画のように美しいと言ったゴッホが 本当に日本に来たらどう思ったかは別として、

日本人としては ゴッホにそんなに憧れられたことは  嬉しいような、、、 気恥ずかしいような、、、

12

さて、 ツールーズ・ロートレックが ゴッホのポートレイトを描いている





南フランス風の光と色に染まったゴッホですが  

心の中に潜む病根と頑固さもちゃんと表現されていますね ・・

       
  

2014年7月25日 (金)

「ゴッホの跳ね橋」 そして美しく逞しい「アルルの女」

 
「 アルル Arles 」 は 伝統を守る南仏・プロヴァンス地方でも とりわけ個性的な街、




ビゼーの戯曲 「 アルルの女 」 や ゴッホの数々の名画などを思い出すが

町の歴史は非常に長く、 紀元前まで遡れる







01.   アルルは ローヌ川と地中海と風の作用によって生まれた「 カマルグ La Camargue 」

と呼ばれる 沖積平野の縁にある

01






02.    「 円形闘技場 Arenes 」、  アルルがローマ時代の首都だった 紀元75年頃の建造



もう2000歳以上だという その石肌は 何とも言えない風合いだ 

02







03.    アレーナの観客席は時代ごとに改修され 今も闘牛やフェスティヴァルに使われている。



因みに カマルグ式と呼ばれるアルルの闘牛は 牛を殺さず 牛の首から紐を外す競技だそうだが

他に ’ ちゃんと牛を殺す ’ スペイン式闘牛も 年に数回行われる

03

(  アレーナの外側は 楕円形の道路に沿って  店屋などが 続いている   )







04.    「 ラングロア跳ね橋 Le Pont d’Langlois 」   

1912年当時の橋を 場所も変えて 再現したもの

04








05.     ゴッホは弟のテオに    ” 様々な色の上着と帽子を身に着けた洗濯女たち、 

青い川の水と緑の草が生えるオレンジ色の土手、 橋を渡る小さな馬車が青い空にシルエットとなる、

そんな絵を 今日3月15日(1888年)描いた ”  と手紙を送っている

05







06.     さて、 市庁舎では 2組の ’ アルルの女 ’ の結婚式がありました



花婿 花嫁 双方の両親を交えて記念写真 ・・

06







07.      こちらは 父親が消防署関係でしょうか・・   カッコいいですね!

07







08.     華やぐ広場の向こうは 「 サン・トロフィーム教会 Eglise St-Trophime 1080年 」


正面入口の 「 ポルタイユ Portail 」 は 12C末のプロヴァンスのロマネスク様式の傑作とされます

08







09.     外の喧騒をよそに 「 内庭の回廊 Cloitre 1150年 」は 光と静けさに満たされて ・・

09








10.     さて ” アルルの女 (Arlesienne アルルジエンヌ )” は 美人で有名です

特にアルルの「 衣装祭り 」では、 民族衣装に身を包んだ女性達が  さらに 一層の魅力を放つ !



このようなクラシカルな髪形やレース襟が 万人を美人に仕立てるのは間違いないようですが 

祭りの期間中 彼女らは このドレス姿で 馬に乗ることだってあるのです ! 




’ アルルの女 ’ の真髄は 単に美しいばかりでなく、普段着の女性たちのように 逞しいという側面もありそうです

(   折り畳みが出来る赤い麦わら帽は ローカル色があっていいですね ~!   )

10







11.    ゴッホとゴーギャンも1888年11月に アルルの女、 ジヌー夫人 Madame Ginoux

を一緒に描いている。  ゴーギャンがマダムの向かって左側に ゴッホが右側にいたことがわかる。




ゴーギャンは その場でさっさとデッサンを仕上げて 後日油彩で仕上げたが、 

ゴッホは例によって  絵が完成するまで 現場で描いた

11







12.    因みに ジヌー夫人は ゴッホが間借りしていた カフェドラガール Cafe de la Gareの

女主人で、 当初 大家と間借り人という事務的間柄でしかなかったが、 



ブルターニュのポンタヴェンから  ゴーギャンが到着した途端、その関係が一変する。

礼儀正しいゴーギャンの態度に マダムの心が 即打ち解け 絵のモデルになることも快諾したという次第。




絵の描き方でも人間関係でも 不器用で融通の利かないゴッホと 

一旦物事を ’ 形而上 ’ に置き換えて 再処理できるゴーギャンと 

うまく行くはずのない間柄だったなあと 今更ながら 思ったものでした

12

街角で 主を待つ 自転車と編みかご。   ビニールやポリエステルに取って代わられない文化。




これぞアルル、 これぞプロヴァンス、  そして 絵に描いてみたいようなシーンでもありました ・・・



                                         

 

その他のカテゴリー

スペイン サンチャゴ・デ・コンポステーラ bellaのアトリエ 「アメリカ国立公園」は雄大なり! 「ウズベキスタン」 シルクロードのオアシス  「ウズベキスタン」 サマルカンドとタシケント 「チロル地方」オーストリア やっぱり凄い モンサンミッシェル りんごの村 アムステルダム アメリカ サンフランシスコ アメリカ セコイア・キングスキャニオン国立公園 アメリカ ヨセミテ国立公園 アルザス・ロレーヌ アールヌーボー発祥の地 イギリス 植物王国 イタリア ウンブリア地方 アッシジなど イタリア エミリア.ロマーニャ地方 ボローニャなど イタリア トスカーナ地方 イタリア ヴェネト州 ヴェニス・ヴェローナなど イールドフランス ウイーン 中欧・花の都 オンフルールは画家の聖地 カナダ メープル紅葉便り カナダからの手紙 英国の香り カンボジア アンコール遺跡群の旅 グラスゴーは意外とお洒落な街! ゴッホ終焉の地 ゴーギャンのブルターニュ ゴージャス!「イタリア湖水地方」 シスレー と ミレー スコットランド 「古城街道」と「ウイスキー街道」 スコットランド エジンバラ スコットランド ネッシーとハイランド スコットランド中東部 歴史ある古都巡り スペイン サラゴサとタラゴナ スペイン サンチャゴ・デ・コンポステーラ スペイン マドリッド・セゴビア・アビラ・サラマンカ スペイン 地中海・ピカソの町とジブラルタル スペインの「白い村」 スペイン中西部、遥かな地平と丘陵と スロバキア ブラチスラヴァ セビリアとコルドバ アンダルシアの華 チェコ チェスキー・クルムロフと骸骨教会 チェコ プラハ チベット自治区・ラサ ダライ・ラマの宮殿 ドイツ 「ロマンチック街道」 ドイツ ドレスデン・マイセン ドイツ ベルリン・ポツダム ドイツ「 古城街道 」 ドイツ南端 「アルペン街道」 ノルマンディ(フランス) バカラ クリスタルの町 パンプローナとその周辺 ピレネー山脈・大自然とその文化 ピレネー山麓・フランス側も面白い! フランス・中世ロマネスクの旅 ブダペスト ドナウの真珠 ブルゴーニュ 美食の地 ブルターニュ どの町も個性的! ベルギー ブラッセル ポルトガル 「リスボン 郷愁の都」 ポルトガル コインブラ バターリャ アルコバサ ポルトガル リスボン周辺・魅力の歴史古都 ポルトガル中部・ナザレ ファティマ トマール ポルトガル北部 ポルト ギマランイス ブラガ ポルトガル鷹の巣城 マカオ ”エキゾチックタウン” ミャンマー インレー湖 ミャンマー バガン・千の仏塔がある古都 ミャンマー ヤンゴンと郊外 ミャンマー・マンダレー ミュンヘン ” のん兵衛天国 ” モネの色彩を育んだ町 モントリオールとケベックシティ ”私は忘れない” リヨン、フランス第2の都市 ルノワールのセーヌ川 ローマ 永遠の都 信州の風 光のスイスアルプス 光のフランスアルプス 北アイルランド のん兵衛と宗教対立テロの国 北仏画家の町 北欧 スウェーデン・ストックホルム 北欧 ノールウェー オスロ 北欧 ノールウェー ベルゲン 北欧 ノールウェー 滝とフィヨルド 北欧 フィンランド・ヘルシンキ 南フランス これぞ憧れのプロヴァンス 南フランス アルル・ニーム・アヴィニョン 南フランス カンヌ グラス 南フランス ツールーズ・アルビ・カルカソンヌ 南フランス マルセイユ・エクサンプロヴァンス 南フランス ヴェルドン大渓谷 ムスティエ 南仏画家の町 台湾 異国情緒と懐かしさと 国内旅行 国内旅行 中国編 国内旅行 九州編 国内旅行 北海道編 国内旅行 北陸編 国内旅行 千葉の旅 国内旅行 東北編 国内旅行 東海編 国内旅行 沖縄編 国内旅行 関東編 奇岩のイタリアアルプス 活気のバルセロナ 花の都フィレンツェ 香港 びっくり見物記 魅惑のパリ

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

リンク先

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

ココログフレンド