「ウズベキスタン」 サマルカンドとタシケント

2017年1月13日 (金)

タシケント 旧日本兵が建てたナヴォイ劇場は地震に耐えた! そして彼らの墓

  
ウズベキスタンを巡る旅、  最後に首都タシケントにやって来た。



タシケントは  シルクロードの東西交易で繁栄する傍ら  数々の敵対勢力による

侵略を受けるなど 2000年余の波乱の歴史を有する街だ。







01.     現在のタシケントは 人口218万人の中央アジア最大の近代都市。


街は新しく 整然と明るい雰囲気だが、 実は1966年に 直下型大地震に見舞われ 

壊滅的な被害を受けている。    これが 半世紀を経た復興の姿なのだ。
 
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02.     ウズベキスタンは1867年にロシアに併合され 1991年に旧ソ連から

独立した経緯があり、  首都タシケントには中央アジア唯一の地下鉄が走っている。 



ソ連時代の情報統制の名残か 豪華な地下鉄構内の撮影は 厳しく禁止されている。
 
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(  写真は 世界の切手サイト、 ウイキペディアなどから  )






03.      広々とした 「 ムスタキリク独立広場 」 の柵や装飾もソヴィエト的だ。

昔 モニュメントには レーニンか誰かの像が建っていたが

現在は 母子像に置き換えられている。



新市街の北部にあるテレビ塔の高さは 東京タワー(333m)より高い 375mだ。

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04.      一方、 旧市街にある 「 ハズラティ・イマーム広場 」 には

「 バラク・ハン・メドレセ 16世紀 」 や 「 ハズラティ・イマーム・モスク 16世紀 」

など 貴重な遺構もちゃんと残っている。



ソ連時代には メドレセに 行政機関が置かれていたそうだ。   現在 遺構群は 

現役のモスクとして復活したり、 博物館となったりしている。

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05.      現役のモスクの内部を窓から覗いてみた。  中心に メッカの方を

向いた祭壇があり  ひれ伏し祈るための絨毯が敷かれてる。 



「 ジャミー・モスク 15世紀 」(写真下) 新しそうに見えるが 震災後修復された姿だ。
 
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06.       バザールで売っている ウズベキスタン版のナン ( パン )。

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07.       サマルカンド、タシケントなどのパンは 丸いのが特徴だ。

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08.      「 ナヴォイ劇場 」 1947年に完成した1500人収容のオペラハウス。

第二次世界大戦後 極東から強制移送された数百名の旧日本兵が

この建設に携わった。



1966年の大地震の際、  劇場周辺の建物が 全て倒壊した中、

堅牢なナヴォイ劇場はびくともせず 逆に避難者の受け入れの場となった。

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09.      その仕事の確かさと素晴らしさは ウズベキスタンの人々の心を打ち、

日本人への評価と親愛の情を一気に高める結果となった。


2015年 安倍首相が訪問した際も ここで記念コンサートが開かれたそうだ。

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10.      ムスリム墓地の一角に その旧日本兵達の 「 日本人墓地 」 がある。  


写真右手の茶色い石碑に 79名の氏名と  福島 広島 熊本 香川 

東京 神奈川など    ほぼ全国からの出身地名が刻まれていた。    




この墓地は あるイスラム教徒の家族によって代々守られている。 

国に尽してくれた日本人を敬うのは当たり前、との信条らしい。    


画面にホースが写っているが    この日も 

日本人が来ると言うので 掃除をしていたと言うことだ。

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11.       別の石碑には133名と記されている。   劇場建設以外でも

厳しい抑留生活の中  それぞれ何らかの技術を発揮した人がいただろう。



いずれにせよ 狂おしいほどの望郷の念を抱きつつ 持てる知識と技術の全てを

劇場建設にかけた日本人の 優秀さには 改めて誇りを感じる ・・

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12.      敗者の連合国側、 ドイツ人捕虜の墓もあった。  

こちらは 墓石に名前が彫られている。



タシケントの一般人の墓所では 丸い墓石が連なっていた。

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13.      エキゾチックなウズベキスタンの旅は、 文明の輝きに感動しつつ

最後に 同胞日本人の魂に触れ 一層感慨深いものとなり、



飛行機の窓から眺めた中国の天山山脈も 悠久の時間を感じさせた・・



ところで 空港バスで出会った女性は カザフスタン人。 

早稲田大学への留学生で、 ふと現代の時空へ呼び戻される感があった。

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中央アジアの国々は  ’ ・・・スタン ’ など  似た名前が多く、 

その国情も詳しくは分からないが



少なくとも ウズベキスタンという国が 忘れ難いものになったことは確かでした !










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2016年12月23日 (金)

サマルカンド ティムール帝国の巨大建造物と みんなの笑顔

 
サマルカンドの北西部にあった都が 13世紀に チンギス・ハーンによる 

壊滅の憂き目を見たあと、  14世紀後半から16世紀初頭にかけ


ティムールの指揮の元 優れた建築家、芸術家が集い  街の南西部に 

ティムール帝国の首都として  壮麗な青い建築物が幾つも建てられた。






01.     「 レギスタン広場 」  チンギスハーンの来襲でアフラシャブの丘の町

が壊滅したあと この広場がサマルカンドの商業の中心地になった。


メイン道路の交差点・公共の広場として 謁見式や閲兵、処刑なども行われた。

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02.     「 レギスタン広場 」 には メドレセ ( 神学校 ) が3つ 

コの字型に整然と建てられ 見事な調和を見せている。



正面は 「 ティラカリ・メドレセ 1660年 」  青いドームの下には礼拝所がある。

ティラカリ (金箔された) という名の通り 3kgもの金が使われ 豪華な内装だ。

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03.     「 ウルグ・ベク・メドレセ 1420年 」 (写真左側)  ティムールの孫

ウルグベクが教壇に立った神学校。  天文学に通じたウルグベクの嗜好を反映して

正面の門は 青い星をモチーフにしたタイル模様となっている。

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04.     「 シェルドル・メドレセ 1636年 」     正面アーチには

小鹿を追うライオンが 日輪を背にした人面と共に描かれている。



本来イスラームの文様は 偶像崇拝を否定し 人や動物をモチーフにはしない。

しかし 別名 ’ 神をも恐れぬメドレセ ’ と呼ばれる通り

支配者が自分の権力を誇示しようとした と言われている。

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05.         シェルドル・メドレセの中庭 

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06.      土産物屋   楽器ロードとも呼ばれたシルクロードの 民族楽器が

ずらりと並び、   主人が様々な楽器を次から次へ実演演奏してくれた。


素朴でノスタルジックな音だ 、、、 

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07.      中央アジアでは 民族によっては 成人の証しとして 

眉のあいだに刺青をいれたり 眉墨で染めたりする習慣がある。   この女性   


一見ギョッとするが、 よく見ると まっすぐで優しい人柄がにじんでいる。

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08.         皿やタイルなども ブルーが美しい。

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09.        若い女性の民族服は ある意味新鮮だ!

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10.      今や世界遺産となったサマルカンドの文化遺産だが 1991年の

ソ連解体に伴って独立するまでは 歴史的遺構はこのような状態だった。


共産主義は 原則宗教を否定するものだから モスクなどが本来の役割でなく

軍隊の駐留用や 倉庫用に使われたものもあったらしい。



因みに 現代生活のモスクは 観光地でなく普通の街中にあり こちらは

文字通り祈りの場であって 観光客は入れない。

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11.       「 ビビハニム・モスク 1404年 」  中央アジア最大のモスク


ティムールが 第一夫人のため 世界に類のない巨大なモスクを造ろうと

内外から多くの職人・労働者を集め 重い石板運搬用の象を95頭も集め 

突貫工事を押し進めたもの。


ティムールは現場に入り、 籠の上から 肉や貨幣を投げ入れ 人夫を鼓舞、

工事の進行を盛んに急がせた。



しかし、建設を急ぎ過ぎたこと、  サッカー場が収まる程 あまりにも巨大だった

ことなどから  完成数年から 崩壊が徐々に進み始めたと言う。

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12.       2015年10月 安倍首相がウズベキスタンを訪問し 

カリモフ大統領との会談で両国の友好関係が促進されたことで 

2016年4月から 成田⇔サマルカンドの直行便が飛ぶようになった。


可愛い女の子たちが大きくなる頃には 彼女たちが日本に来るかも知れない。

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13.      今後 美しくも巨大な文化遺産群を守っていくのは 君たちの役目ダネ。



とにかく みんなのはにかみながらの笑顔が印象的な街でした ・・

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次は ウズベキスタンの首都 中央アジア最大級の街 タシケントに移ります。  



ソ連時代は 当然ながら ソ連そのものだった街 


歴史と現代がどのように混在しているのだろうか ・・・
   








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2016年12月16日 (金)

サマルカンドは ’ サマルカンド・ブルー’ に染まっていた

 
  古都サマルカンドは ウズベキスタンの東部 タジキスタンとの国境近くにある。


その名には 何故か郷愁を誘う響きがあり、   そのいにしえの都は

’ サマルカンド・ブルー ’ という神秘的な色に染まっていた。 






01.      「 シャーヒズィンダ廟群 」


町の北東部 アフラシャブの丘の南麓には  ティムール王国ゆかりの人々の

霊廟が約20棟  通りの両側に ほぼ一直線に並んでいて


 色合いから ’ 青い迷宮 ’ と呼ばれている。

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02.       サマルカンドは 紀元前4世紀からずっと シルクロードの要衝として

繁栄して来た。  しかし 1220年 チンギス・ハーンのモンゴル軍の攻撃を受け


町の人口の4分の3が殺されるという壊滅的な被害を被ると同時に

このアフラシャブの丘にあった町も徹底的に破壊し尽された。

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03.     しかし14世紀、軍事的天才と称されるティムールが彗星の如く現れる。


ティムールは 勢力を拡大する傍ら 帝国各地から職人や建築家を連れ帰り 

強さと美しさを兼ね備えた 壮大な建築群の建設に登用した。   


そして イスラム世界の宝石と呼ばれる ティムール帝国の首都サマルカンドの

復興を成し遂げた。

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04.    そのティムールゆかりの人々が この霊廟群に祀られている。

ティムールの部下 ティムールの妻 ティムールの乳母 ティムールの妹や姪 等々だ。


ここは装飾の多様性 色の美しさで 中央アジア屈指の霊廟と呼ばれている。

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05.      廟が並ぶ丘に登る階段。   この階段を上る時、

また下りる時、 その数えた段数が同じだったら 天国に行けると言われている。


確か36段だったが、 その数が正解かどうかはわからない ・・

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06.     さて、 現在のアフラシャブの丘の大半は枯れ草が覆う荒地となっている。


かつては華やかなサマルカンドの都が 何代もそこにあり続けた訳だが、    

発掘調査によると 文化の痕跡が 11層も積み重なっていると分かったそうだ。



現在は 丘の一部は 市民の墓地となっている。

中には写真入りの墓石が幾つも並んでいた。 墓標はキリル文字だ。
 
キリル文字は 厳密にはいろいろあるが

ロシア語文字と近いとみなされている。

ウズベキスタンが 近年までソ連の支配下にあったことがわかる。

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07.      サマルカンドのお嬢さん   若さと穏やかな品の良さが漂っている。

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08.      「 アミール・ティムール廟 」   

ここには ティムールとその息子 孫 ひ孫たちが眠っている。

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09.      中央の黒い墓石がティムールの墓


ここには ティムールの孫ウルグベクの墓もある。  近年の墓の発掘調査で 

彼は断首され 亡くなったことが分かったそうだ。    ( ※ 文末につづく )

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10.      「 バザール 」   ナッツ類やドライフルーツは お土産に便利だ。   

少年が売る香辛料が入った袋は 元は 日本のデジタル製品が入っていたもの。

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11.      多分 羊乳のバターを売っているのではないだろうか ・・

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12.      大きな体を包む ゆったりワンピースの大きな模様、 

民族衣装は 本当に魅力的だ。       観光客との対比が面白い。


因みに 手のひらが赤いのは 何かのまじないをしているだそうだ。

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13.       学校の先生も民族衣装だ。    この子たちが大きくなった頃も

生活が西洋化せず しぶとく民族的であって欲しいと ふと思った。。。。

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次回も サマルカンドの青い遺跡群を巡ります。







※   ガイドブックによると、  


「 ティムールの孫 ウルグベク (1394~1440) は 勇猛な為政者

ティムールと違い 自ら教鞭を執り 学問の高揚に努めた学者だった。



天文学 詩 音楽 神学 歴史学などに造詣が深く 彼の指示で 

多くの神学校やモスクが建てられ、 

’花咲けるサマルカンド ’ の名が世界にとどろくことになった。



特に彼の指導の下 天文学が発達し 天文表が作られ、 

後にヨーロッパにも伝えられるまでになる。  




しかし こうしたことが保守的なイスラームの指導者の反発を買い、

彼らは ウルグベクの息子をだまし その父親に刺客を向けさせた。

そして ウルグベクは55歳の非業の死を遂げてしまった。



当時はまだ宗教が科学に優先していて 彼の天文学は

到底受け入れられるものではなかった。


ウルグベクの百年後に現れたガリレオでさえ 地動説を唱えたことで

宗教裁判にかけられたのだから ・・   」







当時のサマルカンドが如何に文化都市であったか 物語る話として

大変興味深く感じました ~
   









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