「ウズベキスタン」 シルクロードのオアシス 

2016年11月25日 (金)

ウズベキスタン:ディナーは民族衣装の踊りとファッションショー


  ウズベキスタンの古都 ブハラには 「 タキ 」 と呼ばれるバザールが 幾つかあり、 

そこでは 宝石 毛皮 木工細工 陶器 絨毯 布地  帽子 スパイスなどが売られている。







01.       「 スザニ 」 は ザクロ・ブドウ・唐辛子・サソリ・鳥など

それぞれ意味がある図柄を絹糸で刺繍した布のこと。   


嫁入り道具などは 本来は心を込めて 刺繍だけで模様を表現するものだが

一般には プリント図柄の上に刺繍が施される。

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02.      焼き物は それぞれ地方ごとに特徴が異なるが 

このお皿は 周囲の ’ 砂漠色 ’ とは対照的な 鮮やかな緑色だ。

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03.      伝統的な図柄のこれらの絨毯は 栗の木やザクロなど

天然の草木を染料とした絹糸を用いて 手織りで仕上げられる。


こんな若くてチャーミングな女性が そんな根気と技術を持ち合わせて

いるとは 本当に素晴らしいことだ!

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04.      さて、オアシスの町ブハラには 近年まで 町中に運河が

張り巡らされ、 池 (ハウズ ) も200近く存在した。    しかし、

池で洗濯したり 汚物を流したり 不衛生であったため 疫病が流行し、

人々の平均寿命も32歳とかなり短かった。



今日では 整備された6つの池だけが残っている。   

写真の 「 ラビ ・ ハウズ 」 の水辺には 樹齢数百年の樹木が生い茂り 

木陰でお茶を飲んだり ボートを漕いだり 人々の憩いの場となっている。

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05.      こちらは 「 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ 」 の中庭。

民族舞踊のディナーショーが行われた。    土間に絨毯が敷かれている。

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06.       踊りのバックに 生演奏バンドが付いた。  

タンバリンのような打楽器 小太鼓 短いフルート、  そして

琵琶形のマンドリン、 膝立て型のヴァイオリン、そしてボーカル。    


やはり西洋音楽とは違う 民族調でアラビアンチックな旋律だ。

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07.      このショーは踊りや音楽、美女が目玉ではあるが  

ある種 民族衣装のファッションショーでもある。


ウズベキスタンの布地は 絹100%のものが 「 アトラス 」、

絹と木綿が50%づつのものが 「 アドラス 」 と呼ばれている。


いずれも 単調な砂漠の風景に抗うかのごとく カラフルで大胆な図柄だ !

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08.       ダンスは完璧とは言い難いが 選りすぐりの美女ばかりだ。

どの衣装も 帽子がポイント、 一段とムードを醸し出している。

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09.      ディナーはこんな感じ。   ウオーキングによるファッションショーもあった。 


モデルの多くが すらりとした 色白の ’ ロシア系美人 ’ だ。

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10.      伝統的なアトラス織シルク生地は 虹をイメージした七色の糸で

孔雀のように華やかに織り上げられるが、 時代ごと変化があって当然だろう。


ましてや ファッションショーならば シックなものも登場 !



しかし図柄だけは ” 矢絣模様 ” という矢羽をモチーフにした幾何学模様が

基本になっている。 日本の絣 (かすり) に似た懐かしさをちょっぴり感じます ~

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11.     今回のブハラ土産はコウノトリ型のハサミ。 メス型とオス型の

それぞれに私達夫婦のイニシャルを彫り 赤と青の袋に入れてもらった。


それにしても 売り口上を述べるこのおじさんの日本語の上手なこと!

どこで日本語を覚えたのだろう ・・

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12.      さて、 ブハラを出て いよいよサマルカンドに向かったが、

途中 「 シャフリサーブス 」 に立ち寄った。  



後にティムール王国を築いた ティムールが生まれた町だ ( 1336年 )。

写真は 「 アク・サライ・宮殿跡 」 ( 1380年着工、1405年まで建設が続いた )

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13.      「 ドルッティロヴァット 建築群 」 ( ~1435年 ) 

” 瞑想の家 ” と呼ばれるティムールゆかりの建築群。



13世紀に出現したチンギス・ハーンの次々世代に現れたのがティムールで、

高校の世界史で よく勉強した人には憧れの人物らしい。


私は不勉強で 名前ぐらいしか知らないけれど ・・・!

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次はかつてのティムール王国 サマルカンドに向かいます。    







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2016年11月18日 (金)

ウズベキスタン: 「ブハラ」 チンギス・ハンに頭を下げさせた塔


ウズベキスタンの中央部にある古都 「 ブハラ 」 は イスラム教とその文化、

中央アジアの政治経済交易の中心地として 10世紀と16世紀に繁栄期があった。


1993年に世界遺産に登録された数々の遺跡が 街中に点在している。






01.    「 アルク城 」 ここが 2000年以上前の古代ブハラ発祥の地で、

歴代のブハラ・ハーンが拠点を置いて来た。


広大な内部は一つの町になっていて  これまで 敵の来襲で城が破壊されたり

また再建したりの繰り返しだったと言う。

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02.    「 イスマイール・サーマニ廟  943年 」 

ブハラの最初の繁栄期に建てられた 中央アジア最古のイスラム建築物。


日干し煉瓦による装飾が美しい。 建物を三周すると願いが叶うそうだ!

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03.     「 ミル・アラブ・メドレセ神学校 16世紀 」 (写真上 
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中央の巨大アーチには 青と白のモザイクタイルに 植物やアラビア文字の模様が

隙間なく描かれ、 その両側に2つの青いドームが聳える様子が印象的だ。



メドレセの向かい側に建つのが 「 カラーン・モスク 16世紀 」 (写真下 の右端)

一万人の信者が礼拝できる広さだが ソ連時代は倉庫となっていた。

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04.     カラーン・モスクの前に立つのが 「 カラーン・ミナレット 1127年 」

高さ46mのこの塔は 文字通りブハラのシンボルで 数々の伝説を持っている。



町中が破壊された大地震にもこの塔だけは無傷だったとか、


チンギス・ハーンが来襲した時、 塔を見上げたハーンの帽子が頭から落ち

それを拾おうと腰をかがめた彼が こう叫んだ。

” これは 私に頭を下げさせた立派な塔だ。 決して壊してはなるまいぞ ”

      こうして この塔は破壊を免れたとか、


18~19世紀になると 塔は死刑に用いられ、 袋に詰めた死刑囚が 

上から投げ落とされたので ’ 死の塔 ’ と呼ばれるようになったとか、
  

等々 ・・・

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05.     アクリル絵の具で 民族的な絵を描くアーチスト

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06.     色鮮やかな民族帽。   シルクロードは ’ 楽器ロード ’ でもあった。

色々な国をルーツに持っていそうな楽器たちだ。


弦楽器ラバブは 日本の琵琶とルーツが同じと言われている。

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07.      「 アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ 17世紀 」 


これも左右対称だが、 インドやトルコからの影響が加わり 

青と白ばかりでなく 豊かな色味で彩られている。

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08.      内部には アーケード状の部屋がある。 イスラム建築には珍しく

人の顔をした太陽 鳥や花など 模様も色使いも豊かなのが特徴だ。 

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09.      「 ウルグベク・メドレセ 1418年 」 ( 写真上 
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中央アジア最古の神学校で タイルの模様が一段と豪華だ。  扉に記された格言は

’ 知識欲こそ ムスリム (イスラム教徒) に無くてはならないものだ ’ 



「ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ 1622年 」 (写真左下)

( 当夜ここで民族舞踊のショーが行われ  多くの美女を眺めることになる )



「 神学者像 」 (写真右下) ナディール・メドレセは 当初キャラバンサライ 

( 隊商のための取引所や宿泊所 ) として建てられたが、

ハーンの怒りを買うのを恐れ メドレセ (神学校) とした経緯がある。

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10.      ナディール・メドレセの正面タイル
 

二羽の鳳凰が爪で白い鹿を掴み 顔の描かれた太陽に向かって飛ぶ図柄、

偶像崇拝を否定するイスラムの教義に反してはいるが お咎めなしだったらしい。


文化が円熟してくると ある種 鷹揚さが許されるのかも知れない。

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11.       大人もそうだが 子供たちは特に屈託なく明るい !

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12.        囲碁のような遊びにふける人

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13.      体重計で商売する男の子がいた 。


500ムスは 日本円で約24円相当、 高いのか安いのかわからないが

たまには体重を測る人もいるのだろうか。 

   
少なくとも日本人のように ダイエットなど気にしないだろうし

家に体重計なんて わざわざ置かないのかも知れない。

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「 ブハラ 」 つづきます。








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2016年11月11日 (金)

ウズベキスタン : 古都ヒヴァの奴隷市場とハーレム


               ここヒヴァには 昔、 中央アジアじゅうにその名がとどろく大きな奴隷市場があった。


               また 支配者・ハーンの華麗な私生活の場、ハーレムもあった。

           
               ’ シルクロードのハーレム ’ とは どんなものだろうか ・・・







  01.     「 パルヴァン・ダルヴァサ門 (東門) 」  ( 別名 奴隷の門 ) 


今はこのように 門前で日常品が売られているが、  かつては ここに 

中央アジアで最大の奴隷市場があった。     16世紀来 支配者が変わっても

300年間 奴隷市場の勢いは衰えることなく続いてきた。

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02.     ヒヴァのハーンは 近郊で住民や旅人を捕まえさせ 彼らを奴隷として

仕入れた。   市が立つと 門の内部から 鎖につながれた奴隷たちが引き出され、


カラクム砂漠を越えてやって来たトルコ人部族や

草原のカザフ族が 彼らを買ったと言う。

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              (  バザールで売られているのは お焼き? 餃子? )






03.      18世紀になると 南下して来た多くのロシア人が捉えられ奴隷となる。   

そこで ロシアは ロシア人奴隷の解放を口実に軍隊を派遣し、 

1873年 ヒヴァを全面降伏させた。     そして 奴隷市場もその幕を閉じる。



ガイドブックによると その当時 ロシア人の奴隷は3000人、それ以外が3万人。 


特に 健康で強靭なロシア人は 奴隷一人当たりラクダ4頭で売られたと言う。

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04.     さて ヒヴァの朝市バザール、  電気製品の修理屋さんがいた。 

モノは長く大切に使うのだろう。  


’ MOPC ’ は ロシアの飲料メーカーの飲み物だ。  

非炭酸飲料で クランベリーやブルーベリーなどから出来ている。  


独立したとは言え やはりロシア文化は浸透しているようだ。

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05.        「 タシュ・ハウリ宮殿 」 1838年建造


ヒヴァの中で 最も豪華なタイルや装飾品で飾られている ハーンの居城。

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06.      中庭には お客が来た時に ” ユルタ (移動式テント住居) ” を

建てる 丸い土台が出来ている。


お客時に限らず 中庭のユルタで過ごすのを好んだハーンもいたそうだが、 

その気持ち なんだかよくわかります ~~

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07.      さて 宮殿の一角に ” ハーレム ” がある。 

長方形の中庭を 二階建ての建物がぐるりと囲んでいる。 


この中には 執務室・ 宴会やお客を接待する部屋など 大小163もの

様々な役割の部屋があったが、  


メインは 左手の ハーンの執務室と正妻たちの部屋だ。

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08.        謁見や儀式が行われた最重要な部屋が 左側の部分。 

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09.      その天井は 木枠と赤い幾何学模様を組み合わせた豪華な造りだ。   


七宝焼きタイルの青い側壁と 装飾彫刻が施された茶褐色の木の柱の空間で

見慣れぬ赤が 一際異彩を放っている。

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10.      ところで 正妻と言っても 第一夫人から第四夫人までいて、 

儀式の間の右隣に 正妻の部屋が4つ並んでいる。 

それぞれの部屋に柱が1本、 計4部屋だ。    


奥さんが4人もいて、、 序列があって、、  なかなか大変な世界です。

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11.      しかし その上  中庭をはさんで 正妻たちの居室の向かい側に

側室 ( 又はその候補 ) たちの部屋がずらりと並んでいる !   


彼女たちは 向かいの正妻達の部屋を眺めては 羨んだり 情勢の変化を

気にしたりしたと言う。



日本の大奥のように

この長方形のハーレムの世界にも 様々な物語が行き交ったことでしょう。

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12.       子供たちは地元の子ではなく 近隣から来た観光客。



左は コーランを置く木製の台を売る人。   日本人にコーランを推奨しても

仕方ないので、 本の他 スマホが置けるヨ、 iPadも置けるヨ、 と熱弁。


日本語数字を唱えつつ、9通りもの X型の木枠の組み方を実演して見せた。

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13.      さてここまで 世界遺産の古都ヒヴァの街を散策して来ました。 


ヒヴァの観光地としての整備は 今日でもまだ続いているようです。  



この遺構は単なる仕事場でしょうか・・

それとも 立派な宮殿に修復され いずれはここにも観光客が来るでしょうか・・

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次は 少し大きな都市ブハラへ向かいます。












゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。   

2016年11月 4日 (金)

ウズベキスタン : イスラームの聖都にロシア風美人が

 
    ウズベキスタンの古都 ヒヴァはアムダリア川流域下随一のイスラームの聖都


と称され、 その長い歴史の変遷を物語る建物が随所にある。       







01.    「 キョフナ アルク (古い宮殿) 」 17世紀に建てられたハーンの宮殿。  

新しい宮殿が建てられた後、 区別するために 古い宮殿と呼ばれるようになった。


3つの入口、 左側の庶民用から右側のハーン用へとドアの丈が高くなっていく。

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02.     ハーン用入口。   ところで チンギスハーンという名前はよく聞くが、 


” ハーン ” という名称は アジアの遊牧民の君主や有力者が名乗る称号で、  

ウズベキスタンも 13世紀にチンギス・ハーン、 16~18世紀にかけて

ブハラ・ハーン ヒヴァ・ハーン コーカンド・ハーン などに支配されている。

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03.      ’ ロシア風美人 ’、 顔つきも服装も土地の人とどこか違っている。

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04.      宮殿内にはモスクやハーレム、 ハーンの玉座の間などがあるが、

兵器庫、火薬工場、造幣所もあった。


絹のお札が作られた時代もあったという。

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05.      宮殿内では かまどを使ってモノを作る場面が再現されていた。 


宮殿の外に見えた 現代のパン焼き釜と比べて

差ほど大きな違いがないところが面白い。  文明の利器が発達しようが

この窯で焼いたパンほど美味しいものはないのかもしれない。

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06.       「 ジュマ・モスク 」 多柱式建築のモスク。


10世紀に建造され、18世紀まで改修が続き現在の姿になった。


約3mの間隔で 231本の木の柱が並んでいるのだが、天井の木組みも含め、

砂漠の国で見る木の仕様は 独特な異国情緒があるものだ。

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07.       柱の彫刻は 一つひとつ違っている。  幾何学模様、

綿花やチューリップの形、 魔除けの印しや仏陀を表すものもある。

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08.      左側は 最も古い柱 ( 10~11世紀 ) の神秘的な彫刻、  

右側は日本語を話すガイド。

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09.        「 パフラヴァン・マフムド廟 」 


ヒヴァの庇護者パフラヴァン・マフムド (1247~1326年) は毛皮職人だったが

同時に詩人・哲学者であり 武道にも優れていたため 人々から絶大な尊敬を得ていた。


従って 彼のそばに葬られると来世で幸せになれるという言い伝えがあり、 

周りに幾つもの墓がある。   もちろん身分の高い人々の世界での話だが ・・

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10.       「 イスラーム・ホジャ・メドレセ 」 1910年築の最も新しい建物

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11.       内部には 民族衣装や道具類が展示されている。



イスラームの影響が色濃く残る ヒヴァの建造物や文化ではあるけれど

ウズベキスタンは 紀元前の古代ギリシアから 7世紀の中国 8世紀のアラブ 

10世紀のトルコ 13世紀チンギス・ハーンのモンゴル

そして ティムール、 ペルシャ、ロシアなど 様々な勢力の支配を受けて来た。



このような道具類にも いくつかの民族の名残が感じられる。

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12.      ウズベキスタンは 近代になると、1860年頃からロシア帝国に、

1924年頃からは ソヴィエト連邦に支配された経緯がある。


そして ソヴィエト連邦の崩壊に伴い 独立したのが ごく最近の1991年だ。  



130年ほどロシアの支配下にあった訳だから、 ロシアの文化も流入し

ロシア人との混血もあっただろう。



観光にやって来た女性たち、    アジアの面影があるようでもあり、、

またロシア風でもある。    服装はヒヴァの人たちより断然現代的でお洒落だ。

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13.      そして、 子供たちは明らかにロシア人的だ。



実は今回のウズベキスタン旅行は アフガニスタンの北側の国でもあるし 

テロなどがあるのではと心配した。         しかし、



1991年の独立まで ウズベキスタンなど中央アジアの国々は 

長く社会主義体制下にあった訳で、   結局のところ


警察権力が非常に強く、 かえって治安がよく保たれていて安心だ、

という 情報があり 旅行に踏み切った訳でした。 

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因みに ブログフレンドの方が 地図では


” ウズベキスタンは UZBEKSKAYA、北側のお隣のカザフスタンは KAZAKHSTAYA ” 

と出ていたと 調べて下さいました。



多分これも ロシア語表記の一環なのでは、 と想像しました 、、、










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2016年10月28日 (金)

ウズベキスタン:土着のバザール、逞しいボディラインに女の力が

 
    ウズベキスタン西部 世界遺産の町ヒヴァの朝市は とても興味深い。


実際の生活に根差した ’ 土着の匂い ’ がプンプンと漂っている。







01.    イチャン・カラ ( 城内 ) に入る東門 ( パルヴァン・ダルヴァザ ) 

前の広場で開かれる朝市 ( バザール )。   


砂漠気候の7月 一年でも一番気温が高い季節だが 

午前中のせいか 気になる程の暑さではない。 

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02.       まずは 強そうな女性たちの服に目がとまった。   


頭から被れる簡易服  ’ アッパッパ ’ スタイル、 

色も模様も様々で 逞しいボディラインに女の力がみなぎっている。

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03.       スイカ、  メロン ・・

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04.      日差しが強く雨が少なく 寒暖の差が大きいため 果実は甘みが強い。

ぶどう あんずなどのドライフルーツ ナッツ類も よいお土産となる。

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05.      ニンジン色の総菜、  

素材はよく分からないが 多分サフランなどで着色してると思う。

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06.      ニンニク、ニンジン、米などを売る女性


荷物を運ぶのが 軽トラかロバか はたまた荷車か足だけかわからないが

とにかく 力仕事であることは 女性の逞しいボディラインが物語っている。

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07.      自家製ホウキ

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08.      バザールにやって来る多くの人たちが サンダル履きだ。

サンダルの修理屋さん,  接着剤で剥がれた靴底をくっつけている。

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09.      イスラム教の国だが 羊肉ばかりでなく 牛肉 馬肉 鶏肉なども食べる。

シルクロードの東西交易の町だけあって 食文化にも多様性がある。

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10.      にわとりを抱く男性。    シャツと短パンにサンダルと、

女性に比べ 特に 若い男性たちの服装は民族色が薄いようだ。    


もしかして、 男性の方が 

風習を少々脱いで 手っ取り早く 現代的なものを取り入れやすいのだろうか。

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11.      ニワトリだけでなく カモや いろいろな雛も 売られていた。  


彼らが動かずにいるのは 足元を縛られているから。

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12.       所変わって、 今は高級ホテルとなっている 

「 ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ 」 前にも  バザールが立っていた。


イスラム文化がもたらしたアラベスク模様のタイルも 美しい土産品だ。

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13.      民族衣装を着た操り人形や指人形の土産品、 


昔は 男も女もこんな格好だったのだろう。  祭りなど特別な場合は別として、

男たちにとって、 Tシャツにジーパンの方が動きやすいのは確かだ。

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日本に行ったら サムライと芸者ばかりがいる、などと思う外人は 

今日 さすがにいなくなったのと同じように、 



シルクロードの町々も 年々グローバル化しているのが

旅行するとわかるというものだ ・・・ 
 








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2016年10月21日 (金)

ウズベキスタン:オアシスの町ヒヴァ、羊の解体は生きた教育!


ウズベキスタンの首都タシケントの西 約1000kmにある 「 ヒヴァ 」 は

1990年 ウズベキスタンで最初にユネスコの世界文化遺産に登録された古都だ。


アムダリヤ川下流のオアシスに出来たこの町は 古代ペルシャ時代から

カラタム砂漠への出入り口として繁栄して来た。







01.   約420mx750mの長方形の城壁に囲まれた城内 ( イチャン・カラ ) には

新旧の宮殿 20のモスク 20のメドレセ (神学校) 6基のミナレット (塔) 等がある。


右奥のミナレットは ヒヴァでは最も新しく(1910年) 最も高い(44.5m) 塔だ。

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02.     ミナレットから見る町の風景は いかにも砂漠にある町だ。    


高さ約10m、厚さ約6m、全長2,250mの イチャン・カラを囲むこの城壁は  

日干し煉瓦造りで、 雨が降ったら どんどん水を吸い込んでしまうのではと想像するが、


殆ど雨は降らず 降っても ’ 焼け石に水 ’ 程度だと言う。

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03.      青いタイルで装飾された 「 アラクリ ・ ハン ・ メドレセ 」

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04.     霊廟には 墳墓がたくさん並んでいる。 丸い屋根の一つひとつが

墓のように見えるが、 棺そのものは地中に設置されている。


左上は
downwardleft お墓でなく ! パンを焼く炉。   上部の穴に種を貼り付けて焼く。



城壁もお墓も パン焼き炉も 同じ日干し煉瓦で出来ているところが面白い。。。

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05.      「 ゼロ 」 を発見した ヒヴァ生まれの学者ムハンマド・アル・ホレズミ 

( 783~850年 ) の像があった。

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06.         人懐っこい子供たち

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07.       明るい若いママたち 

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08.       牛乳を配ります ~

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09.       左側奥にあるのが パン焼き釜、  薪をくべてパンを焼く。


女性たちの 貴重な井戸端会議の場でもあるのでしょう ・・

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10.      ため池で釣りをする少年たち。


そもそもオアシスに出来た町だから 基本的に緑は結構ある。

しかし 貴重であることには違いない。 防虫剤が塗られた木もあった。

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11.       ’ 羊の解体 ’    手慣れた大人の主導のもと 

子供たちも 解体を手伝い 手順を覚えて行く。

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12.      つい今しがたまで 普通に生きていた羊の頭が 道傍に置かれている。

皮も剥がれ 足首も切り落とされた。



日本人には 軽くショックな場面ではあるけど、 これが 生きる ということであり

生きた教育 というものなのかも知れない。

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13.      真ん中の 「 カルタ・ミナル 」 は 青の彩釉タイル模様が美しい塔だが 

1855年に 高さ26mで工事が中断されたままの姿だ。 


この三倍くらいの高さを目指していたらしい。

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旅路の夕刻は ロマンチックでもあり 物悲しくもあるが 


未完の塔の向こうに夕日を眺めつつ 


ガイドブックで旅の続きの勉強をする ・・・









゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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2016年10月14日 (金)

ウズベキスタン:砂漠の中で千数百年眠っていた廃墟遺跡


ウズベキスタンという国が どんな国でどのあたりにあるのか

的確に説明できる人は少ないかも知れない。   


最近 私の身近な人が旅行して来た。 

シルクロードの真っただ中にあるエキゾチックなこの国、 

せっかくですので、写真を中心に掲載させていただくことにいたしました。







01.  「 ウズベキスタン 」 は カザフスタン、キルギス、タジキスタン、

トルクメニスタンを含めた中央アジア5か国のうちの一つ。


ロシア 中国 中東の諸国に囲まれて 見るからに複雑な歴史を持っていそうだ。

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02.    旅行はウズベキスタン西部のカラカル・パクスタン自治共和国から始まった。


もともと 砂漠地帯の水資源やオアシスを巡っての争いがそのまま歴史となった地域で、

数々の王国の盛衰は このアムダリヤ川と切っても切れない関係にあった。

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                                      (   上は 農業用水路  )






03.    庶民にとってロバは 相変わらず大切な労働力。 


スイカとメロンは旅行者にとって 美味しくて貴重な生水の代用品ではあるが 

食卓に出るまでの過程で どうしても生水に触れるのかも知れない。

スイカのお陰で 旅行中ずっと下痢に悩まされた人もいた。

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04.     さて 当日の見物地 「 トプラク・カラ遺跡 」 紀元前1世紀~ 


13世紀に 勢力を拡大したチンギス・ハーンが アムダリヤ川を堰き止め、

流れの方向を変えたため この地域は水資源を失い 王国が滅亡したと言う。

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05.     現地ガイド  大学で日本語を学び 日本にも留学した二十歳代の女性。

日本語が流暢なだけでなく 説明が的確でとても頭のいいガイドだったそうだ。

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06.        住民の居住跡

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07.       昼食は ユルタと呼ばれる建物の中で。 

ビールも日本とは水質が 違うので ほどほどにしないと下痢の心配ありで 要注意。

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08.     ユルタの内部は興味深い。  移動に便利な組み立て方と 

砂漠の上に敷かれる絨毯が 民族的な香りを醸し出している。

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09.      次の見物地は 「 アヤズ・カラ遺跡 」 6~7世紀

砂漠の土くれにまみれた廃墟で 当時の繁栄を想像するよすがもない。

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10.    これらの遺跡群が観光ルートに組み込まれたのは最近のことらしく 

ガイドも 説明に足りる資料を持ち合わせていなかった。  


発見されたのが1930年だから 千数百年も砂漠で寝ていた城塞の方こそ

起こされてびっくりしているかも知れない。

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11.     観光バスに激しく揺られながらやって来たこの乾いた大地、

強烈な日差しを遮るユルタの有難さが分かろうと言うものだ。


山麓の ’ユルタキャンプ ’ には ユルタが12あり 

その中には 食事をしたり泊まることが出来るものもある ( 写真07,08 )。

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12.       観光用にラクダが待っていた。   

ラクダの背に乗り 近場を一周。 大回りしたところで 景色に変化はない !?

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13.     成田から首都タシケントに着いたあと 国内線でウルゲンチへ、

さらにバスでヒヴァという街にやって来て 上の二か所の廃墟を見物した訳だ。



ヒヴァのホテルに2泊。 案内書によれば ウズベキスタンの

ホテルは砂漠地帯に点在しているため、ホテルのグレードに関わらず 

水やお湯が出にくい場合があると言う。

今回は特段の支障はなかったが、、



ここはユルタでなくちゃんとした建物だが 床の絨毯がいかにも中央アジアだ!

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この後は 現存する宮殿や世界遺産の街を巡るので 

もっと ’ 色のある世界 ’ が見られるはずです ・・・





゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。



お断り :  このウズベキスタン旅行記は
bellaーDanna(旦那)さんの写真と談話から構成されています。  

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