10月下旬 奥日光に出かけた。 せっかくのGo To~
なので 有名な金谷ホテルに泊まることにした。
01. 「中禅寺金谷ホテル」 1940年開業
1873開業の日本最古の西洋式ホテル 「日光金谷ホテル」
と同じく、 カナダ産の銘木をふんだんに使った名建築だ。

02. 日本に バカンスとか避暑 洋食・肉食といった
概念が余り無い時代から、 諸外国の高官・知識人を
もてなす独自の様式を作り上げて来た金谷ホテルだが、

03. 日本の観光・ホテル産業が これだけ成長
・円熟して 競争相手も多い中、 老舗ホテルの
立ち位置は どんな状況にあるのだろうか ・・?
その夜 夕食は お決まりのフレンチ・フルコース、
朝食はイングリッシュ ブレックファスト。
朝食のメインについて 玉子の調理法と、 ベーコン
・ハム・ソーセージのうち どれを選ぶか尋ねられ、
出てきたのが この可愛い2本のミニソーセージ。
バリっとした身なりの執事が 大げさに質素な朝食メニュー
の注文を取りに来る まさに英国風の流儀そのものだ!
wi-fiも故障中で使えなかったし、 価格との相対では
2度目の宿泊は無いかな・・・ と感じた。

04. 中禅寺湖展望台からの絶景、
手前の紅葉、、 遥かに白根山などを望む。

05. 半月山中腹から見る 男体山と中禅寺湖。

06. ニュースなどでよく見る 「八丁出島」 は
眼下の展望駐車場に車を置いて 「半月山」 に
登らないと 見られない。

07. 中禅寺湖畔に 「日光二荒山神社」 がある。
この神社の奥の宮の鳥居をくぐった所から 男体山の
登山道が始まり、 登山者は参拝しての出発となる。

08. 男体山は標高2486m、 奥の宮からは
標高差1200m 4kmの行程ではあるが、
登山道はひたすら垂直に上へと続く 非常に険しい
健脚者向けのコースだ。 なめてかかると
大変なことになる と経験者が言っていた。

09. 中禅寺湖の北側に開けるのが 「戦場ヶ原」。

10. 戦場ヶ原湿原は 最近は干ばつ化して 植生が
かなり変化して来ているが、 枯れ草の褐色と赤い実、
白樺と唐松林、 寂寞たる秋の日の夕暮れが物悲しい。

11. 物悲しい、と言えば、 若干16歳・旧制一高生
藤村操の 日光華厳の滝での投身自殺が思い出される。
1903年5月22日、 操は 傍らのミズナラの木に
’ 巖頭感’ をナイフで彫り残し 華厳の滝に投身した。
後を追う者も出たため 文面は削り取られ、さらに 木も
伐採されたと言う。 画鋲で止められたこの貼り紙も
10年以上前までは 華厳の滝の脇に立てられていたが、
最近は 影も形もない。 時代が変わったのだろう・・

12. ” 万有の真相は 曰く不可解 ”
” 嚴頭に立ちて 死を迎えるに 何ら不安無し。
大いなる悲観は 大いなる楽観に 一致することが
初めて分かった ” と操は言っている。
実は、 英国帰りの夏目漱石が 一高での英語の
授業中、 勉強態度を巡り 操を叱った翌日の
自殺だった為、 後に漱石の神経衰弱の一因とも
なったと言う。
なお遺体は40日後に発見された。 この一高生の
自殺と 「巖頭感」 は 当時のジャーナリズムや
インテリ層に かなりの 内的衝撃を与えたようだ。
因みに操の一族には 銀行の頭取、 三菱地所社長、
哲学者・学習院大学長・文部大臣を経た 安倍能成、
などがいる。

13. さて、この旅では 「地域共通クーポン」も
使った。 ただし紙クーポンと違い ネットクーポンは
使える店が限られ、 それを見つけるのに苦労した。
結局 日光市を抜けて 今市まで下ってしまったが、
お陰で 地酒の蔵元で 美味しい日本酒と
酒粕入り ほっぺが落ちるバウムクーヘンに出逢った。

3時過ぎとなった昼ご飯は 初体験のカツカレー。
ホテルの料理より ちょっぴり美味しかったカナ・・
店主が育てる ’大文字草’ も可愛かった !
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