ポルトガル リスボン周辺・魅力の歴史古都

2016年5月20日 (金)

「ロカ岬」 西の果て、海は滝となりて奈落に落ちゆく


巨大なユーラシア大陸の西の果て、「 カポ・ダ・ロカ Capo da Roca 」 こう呼ばれるロカ岬、


激しい潮風に吹かれながら いにしえの人々の気分を想像した。





01.          くっきりと断崖が 海に切れ込んでいる。

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02.         一筋の雲が 人々を大西洋の彼方に誘うようだ ・・

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03.     大昔 人々は大海原の突端で 海水がダァ~っと奈落に流れ落ちる と信じていた。


つまり、 海とは魔界であり 恐ろしいものだったのだ。

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04.         ポルトガルの詩人 カモンイスの詩を刻んだ石碑

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05.         ロカ岬 「 ここに地果て 海始まる 」  ヨーロッパ大陸最西端の地 



遠くに見える灯台は海抜165mの断崖に、1772年に建てられたもの。

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06.      ” シントラ市管轄  北緯38度47分 西経9度30分度 海抜140m ”

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07.        アコーディオンが 物悲しいメロディーを 奏でていた。

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08.          断崖の真下は 危険で覗くことは出来ないが、

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09.          横から 荒々しい断崖と切り立つ岩を 見ることが出来る。

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10.          ポルトガルのお嬢さん

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11.      ところで 大航海時代、ポルトガルは破竹の勢いで各地を征服して行った。

アフリカのセウタを征服したのが1415年、 喜望峰を発見したのが1488年、

ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達したのが1498年だ。



しかし 当時彼らにとって 地中海の外に出ることは恐怖そのもので、  こうした航海も 

西方の奈落に落ちないよう、  恐る恐る アフリカ大陸に着かず離れず南下して行ったのだ。

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12.    地球が丸いという信念があったコロンブスが 大西洋を西に真っ直ぐ進み 

偶然アメリカまで到達したのが1492年。  怖がる水夫たちの暴動も起きかねなかったし

コロンブス自身も内心ハラハラだった、と何かに書いてあった。 

 従って 1524年に生まれた ポルトガルの詩人・カモンイスの言葉

 ” ここに地果て 海始まる ” は、 ポルトガルが世界を征服しかけた ’ 上げ潮の時期の海 ’ 

’ 征服と富をもたらす輝かしい海 ’ を意味していたのか


 

それとも、 情報は何十年も遅れて伝わったことだろう、   西に行ったら大変と、、

相変わらず恐怖と畏敬の海だったのかは 計り知れない所です・・

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13.     でも もう一度、 古代人の気持ちで 畏怖の念で海を見つめてみませんか ・・



この水平線の彼方まで行くと ドヮ~~っと イグアスより何百倍も大きな滝に巻き込まれ

奈落に落ちて行くのだと   想像しながら ・・・・・・

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特に 重要なことは   それが 単なる海の果て、地の果て、 なのではなく 

 ” この世がそこで終わる ” と 人々が思っていた点だと言えるでしょう ・・







・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2016年5月13日 (金)

「シントラ」この世のエデン若しくは起伏の激しいディズニーランド

ポルトガル、リスボンの西28kmにある世界遺産の古都 「 シントラ Sintra 」 は

かつては 王侯貴族の別荘地として 豪華で風変わりな城館があちこちに建てられ華やいでいた。



そして 今日では リスボンからのワンデイ・エクスカーションの地として人気が高く 

街はいつも観光客で賑わっている。







01.     王宮は 起伏の激しい地域の 小高い山の上にあるが、 その王宮の広場から

さらに高い稜線上に 「ムーアの城壁 」 と 「 ペーナ宮殿 」 が見える。

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                                 (  王宮から2つを見上げる   )







02.            従って 街じゅうが坂道だらけで 

あちこちに点在する宮殿など 見るべきものへの移動は一苦労だ。

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03.      観光用に 乗り降り自由の巡回バスがあるが、 馬車やプチトレインも楽しい。

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04.      「 王宮 Palacio Nacional de Sintra 」。    かつてイスラム教徒が支配していた

なごりの城を ポルトガルの王たちが15~16世紀までに 改造・再建していったもの。



二本の円錐形煙突は 厨房から出ているが 多分暖房の役割も果たしたのではないだろうか。

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05.         改築を重ねた結果 王宮には色々な様式が混在して来たが


とりわけイスラム様式は温存され、  1755年のリスボン地震で宮殿全体が損傷した際も 

意識的に ” 古風に ” 修復されたと言う話は 実に納得のいくことだ。

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06.         ’ アズレージョ ’ や ’ アラビアン幾何学模様 ’ が魅力的 !


城は一見新しく見えるが、 1910年に王宮が国の物になるまで 実際王家が使用していた

と言うのも その一因かもしれない。

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07.            街には 坂道と階段と土産物屋さんがいっぱいある。 

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08.       ” こんなに俗っぽい街とは 少しがっかりだ ” と 我がDannaさんは

言っていたが、   私は目がキラキラ ! 楽しくお買い物をいたしました ~


しかし、確かにレストランのボーイさんなどは 観光客擦れ!? していた感がありました ~

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09.       スペイン土産まで置いてあるこの店の 床のタイル装飾が個性的だった。

各国語で書いたコルクの看板、  いろいろな国のお客さんが来るのですね ~

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10.            「 レガレイラ宮殿 Palacio Quinta da Regaleira 」 


ポルトの 裕福な伯爵夫人の所有物だったこの館を 1892年に買い取ったブラジル人の富豪が

イタリア人の建築家に改装を依頼したもので、 

その富豪の名前から ’ 百万長者モンテイロの館 ’ というニックネームも付いている。



ポルトガル文化省の管轄になる前に  所有者が何代か変わったが 

その中に ’ 青木 ’ という日本人の名があるのが興味深い。

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11.           深い森に囲まれた領地には この立派な宮殿の他、 

小さいながら複数の階層を持つチャペル、 魅力的な石の装飾ベンチなどが随所に配置されている。 



とりわけ珍しいのが 螺旋階段井戸 洞窟やトンネルなどで 

その一部は 地中で複雑につながっているらしい。



別名 ’ 逆さタワー ’ とも呼ばれる 深さ27mの 「 螺旋階段井戸 Poco Iniciatico 」 

には、 水が張られたことはなく タロットを含む占いの儀式に使われたらしい。

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12.            王族・貴族の立派な居城や遺跡が主役のシントラだが

こんな ’ 庶民のやかた ’ にも また違った趣きがある ・・・

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13.            「 ペーナ宮殿 Palacio Nacional da Pena 」 


この宮殿は比較的新しい。 1755年のリスボン地震で荒廃したペーナ修道院を目の当たりにした

フェルナンド2世、 もともとロマン主義的な空想癖のあった彼は 

同じ場所に、  一風変わった異国風でロマンチックな城を再建しようとした (1836年着工)。


   
ロマンチストで変わり者と言えば かのノイシュヴァンシュタイン城を建てた (1869年着工)

ドイツのルートヴィッヒ2世を思い出す。 2つの城はほぼ同時期に完成した( 1885~6年)。




ところで 2つの城は両方とも 何となくディズニーランドを想起させる。 

もちろん本物と遊園地は 比べものにはならないが、

それだけ夢と発想力にあふれた 現実離れした城だとは言えそうです。

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しかしながら せっかく楽しみにしていたこの宮殿、  入場門の賑わいを確認しただけで

時間の都合で中に入ることは諦めた。    旅にはこんな心残りは付きものです。




後ろ髪を引かれつつ ヨーロッパ大陸の西の果て ロカ岬へと歩を進めました ~ 



・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆




因みに 英国の詩人バイロンは シントラを ” この世のエデン ” と称したそうだが


私には、 園内に 異国情緒たっぷりの宮殿や王宮や別荘、そして土産物屋が点在し、それらを

観光ミニトレインがつなぐ  ” 起伏の激しいディズニーランド ” のようだったな

と思われました ~~       






・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2016年5月 6日 (金)

「エルヴァスの星形要塞」 国境だからの大きな文化・小さな文化

ユネスコ世界遺産に登録されている 古都 「 エルヴァス Elvas 」 は 

ポルトガル・アレンテージョ地方、 スペインとの国境 わずか12km地点にある。



ローマ軍による支配 イスラム勢力の台頭 キリスト教徒によるレコンキスタ ナポレオン軍の侵攻

スペイン・ポルトガル間の戦い、 エルヴァスは 常に様々な攻防戦の最前線にありました。







01.          戦いに備えることが宿命だった ” 国境防衛都市エルヴァス ” は 

町自体が世界最大と言う堅牢な星形城壁にがっちりと囲まれている上に  周囲の荒野にも


数々の要塞がちりばめられている。   町の一段高い所には ローマ人 イスラム人が作った

城があったが 今は城壁 13C だけが残っている。

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02.        現在 町を囲む荒涼たる台地には 7つの稜堡と2つの星形要塞がある。 

町自体もギザギザと角を持つ多角形の星形をしているが (写真右下)



全方位を守備範囲に入れるであろう 「 グラサ要塞 Forte de Nossa Senhora da Graca 1763~ 」

(写真上と左下)は 宇宙人にもアピールしそうな 見事な造形美です !

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 ( 左下の空撮写真は 世界遺産のサイトから )  




03.     町並みの向こうに見える 「 サンタ ・ ルジア要塞 Forte de Santa Luzia 1641~ 」

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04.           ポルトガルの美人さん   城山はデートコース !?



城門の下は防衛のための空堀になっている。

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05.     エルヴァスの歴史地区は 17Cに建造された ’ 塁壁(砦用の壁) ’ に囲まれている。


「 サンタ・クララ広場 Largo Santa Clara 」 に立つ柱 「 ペロリーニョ Pelourinho 16C 」

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06.        白壁に黄色のラインがアクセントとなっている ポルトガルらしい家並。


ヨーロッパではいずこも同じ、、  日中は年寄の姿が目に付きます ~

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07.       幾何学模様が美しい 町の中心地 「 レプブリカ広場 Pr. da Republica 」


画面手前には 「 ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会 」 が立っている。

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08.      お勧めなのが 別の教会 「 ノッサ・セニョーラ・ダ・コンソラサオン 16C 」 



知らないと通り過ぎてしまいそうな小さな教会だが  中では幻想的な雰囲気の小宇宙が待っている。

壁は17Cのアズレージョタイルで覆われ、 8本の柱にはグロテスク(唐草)模様が描かれていた。

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09.       変則的な八角形をしたドームが面白い。  訪ねたのは夕方5時過ぎ。



掃除も終え バッグを抱え帰宅しかかった若い係員が 教会の扉を親切にも開けてくれた。

文字通り ’ ノッサ・セニョーラ 我らが聖母 ’ でした!

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10.        「 アモレイラの水道橋 Aqueduto da Amoreira 1498~1622 」


4階建てのアーチ数800、地下構造が6m・地上の高さ31m、 全長7.5kmにも及ぶ

この水道橋は保存状態が良く、現役で使われているそうだ。



辺境の地で!? こんな立派な水道橋に出くわすとは 実は想像していなかった。 


しかも 古代ローマの文化なら別だが、 16・7世紀になって 何故こんな大層な

ものを造ったのかも、 不思議なことではありました ・・

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11.          水道橋の近くに エルヴァスの刑務所があった。    

面会の人達だと思う。  面会時間は ’ 内側の事情で ’ いつになるかは定かでなく、

長期戦で待つという鷹揚な覚悟が 外側の人達にある雰囲気だった。



道路っぷちで まさか 刑務所に出くわすとは これまた 想像外でした ・・・!

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12.          さて郊外の道路ぎわ ローカルなサービスエリアに寄ると 、、 

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13.        スペインとの国境だけあって スパニッシュ文化も混ざって 、、


絞った日付が書かれた 生オレンジジュース Sumo Laranja Natural のカップが並んでました。

お菓子は ポルトガル菓子 エッグ・タルトが 一番の売れ筋だったようですよ ~

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ポルトガル語を起源に持つ日本語は多いようですが

 ’ 相撲 sumo がジュース ’ だったとは 心の中でニコリとしました ~


  (  本当は スーモって発音するらしいですけどね ^&^  )





しかし フレッシュは素晴らしいと 生オレンジジュース 調子に乗って飲み過ぎると 


お腹には刺激がきつ過ぎる場合もありました ~   ご用心、 ご用心 !?








★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2016年4月29日 (金)

「エヴォラのポサーダに泊まる」 「エヴォラとエボラそしてファド」

リスボンの東 約150Km、アレンテージョ地方の中心都市 「 エヴォラ Evora 」 は 

長い歴史のある街で、 ローマ イスラム キリスト教 それぞれの特徴を持つ建物が

世界遺産に指定された狭いエリアに密集している。







01.      街をぐるりと囲む城壁の門のそれぞれに 一方通行などの標識があって 

私達は車での入城に少し手間取ってしまった。 


しかしながら 14世紀に造られたこの二重構造の城壁は 流石に立派なものでした ~

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                      ( 写真上は   城内に水を運んだ 「 水道橋 Aqueduto 」 16C )







02.         白壁に黄色い枠が印象的な 古めかしくも美しいエヴォラの街並。  

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03.           歴史地区のシンボル 「 ディアナ神殿 Templo de Diana 2C 」

コリントス様式の円柱など 1800年もよく保存されて来たものだ !



この辺りには大聖堂や由緒ある教会が固まっていて、 観光に便利だし 素晴らしい雰囲気も

楽しめるからと、 当日はディアナ神殿隣にあるポサーダ ( 国営ホテル ) を 予約しておいた。

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04.      「 ポサーダ Pousada dos Loios 」 は15世紀のロイオス修道院を改装したもので、

静謐な館内は白と黄色で統一され、 質実な雰囲気の客室に 修道士たちの厳粛な生活が偲ばれた。


しかし 中庭を囲む回廊がレストランになっていて ホッとする明るいムードだった。 

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05.       ジラルド広場に面した 「 サント・アンタニョ教会 Igreja de Santo Antao 16C 」

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06.         英雄の名前を冠した この 「 ジラルド広場 Praca do Giraldo 」 から

人々はだいたい観光をスタートさせることになる。

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07.       「 10月5日通り 」 には カフェや土産物屋などが並び 散歩するだけでも楽しい。

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08.        ポルトガルらしいお土産と言えば 何と言っても ’ コルク ’ でしょうか。

普通ワインの栓ぐらいしか思いつかないところだが ’ コルクのバッグ ’ もあった。  


ちょうど 和紙が洋服になったり バッグになったりするようなものかも知れない。 

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09.           さて 「 ロイオス教会 Igreja dos Loios 15C 」 にも 

ポルトガルらしい素晴らしいアズレージがある。

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10.       教会は ディアナ神殿や 元修道院だった例のポサーダに隣接している。


身廊は一面 聖ローレンスの生涯を描いたアズレージョで覆われていて 


一部タイルが剥げた所があったが、 かえって歴史の重みが感じられた ~

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11.       ところで 話は少し脱線するけど、 発音がよく似た ’ エボラ Ebola  ’ は

ザイールのエボラ川流域で発生した出血熱の名前、   こちらの ’ エヴォラ Evora ’ は


アレンテージョ地方の テージョ川 (貞女川? 冗談!) 流域の街の名前です ~~

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12.       「 カテドラル Se 12C 」 いかにも堅固な造りで まるで要塞の様だが

内部のバラ窓には聖母マリアのシンボルとして 明けの明星と神秘のバラが美しく描かれている。



さらに身廊上部にあるパイプオルガンは 1584年にエヴォラに到着した 日本の

天正遣欧少年使節団の4人が その音を聞いたとされるものだ。   パイプオルガンは


当時 ヨーロッパでも先進国だったポルトガルにあっても目新しい楽器だったから、

日本人ばかりでなく エヴォラの人達も みんなが高揚して聞き入ったに違いない。

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 13.      さて 宿泊したポサーダにも立派なレストランがあったが、 高いだろうし

格式ばっているかも知れないと、 街にくり出すことにした。  案の定、 レストランで働く


このおじさんとウマがあった。   何と彼は ポルトガルの演歌・ファドの歌手だった !

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CDを何枚も出しているそうで 早速いろいろ持ってきた。

こうなるとやっぱり買わない訳にもいくまい。   ウマがあった、、にはこういう訳が !?





でも 売らんかなの 悪い人ではなかった・・           っで CDの中身は ・・・




五臓六腑に沁み渡る、、と言うほどではなかったけれど 人柄が感じられるよい歌でした~




★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2016年4月22日 (金)

「セトゥーバル」アズレージョを見るとやっぱりポルトガルだなあと思います!

「 セトゥーバル Setubal 」 は リスボンの南40km 大西洋に面した歴史都市で



古代ローマ時代から栄え、 中世には交易都市として、   又近代でも 

ポルトガル南部における 漁業 工業 観光業などの拠点として重要な位置を占めて来た。







01.      大西洋に面した港町、 ホテルのバルコニーから見る街は明るく気持ちいい。

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02.        西側の丘に 「 サン・フェリペ城 Castelo de Sao Filipe 」 が見える。

16Cにイギリス軍の攻撃に備えて造られた要塞だ。 



海岸沿いのプロムナードでは 大西洋のしぶきが間近に降りかかる !

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03.          固そうな石畳がピカピカ光る 西洋によくある街の風景ですが、

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04.           やっぱりここはポルトガル ! 

建物の外壁タイルの ’ アズレージョ azulejo ’ が 独特な雰囲気を醸し出している。

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05.      アズレージョは タイルに青い顔料で描かれることが多いので  私も初めは

’ azur 青い ’ から来てると、 誤解しましたが、

実際は アラビア語の ’ al zulayj 磨かれた石で ’ 
という言葉が語源だそうだ。 




こんな所にもあったんですね、       スペインやポルトガル ひいては

ヨーロッパ全体に及ぼしたアラビア文化の大きな影響力 !

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06.      アズレージョは 当初は ひたすら壁を覆うという実用的目的で用いられたが、

徐々に 床 天井 通路など ポルトガル建築の主要な構成体となっていく。



さらに絵画的要素も兼ね備えていたことから アズレージョは実用から芸術へと大きな変遷を遂げる。

教会や宮殿、駅舎などで見られる 宗教画 歴史画は 今やポルトガルの代名詞と言えるでしょう。

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07.          「 サン・ジュリアン教会 Igreja de Sao Juliao 」

内部のアズレージョには 聖ジュリアンの生涯が描かれている。  

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08.          9月末のこの日、 広場は既に落ち葉で覆われていたが、 

こんな大樹の陰でお茶を飲むのは 本当に気持ちいいことでしょう !

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09.          通りの石畳、 それぞれ模様がデザインされている。   


そう言えば 長くポルトガルの支配を受けたマカオでも 通りにはこんな装飾がありました ・・

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10.        ショッピング街 唐草模様の鉄柵も素敵です。

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11.      こんな ’ 洋服屋さんのジーパンオブジェ ’ 、 初めて目にしました !  


つい最前まで 通り雨が降ってましたから、 全天候型広告塔なんでしょうね。 

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12.      セトゥーバルは ポルトガルで リスボン ポルト コインブラに次ぐ第4の都市、

大きな工業都市には どこかしらに こんなうらぶれた!?家並があるものです。 



年月を経たボロ壁の共演を得て 落書きはこの上ない芸術作品に仕上がっていました。

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13.      セトゥーバルには メゾソプラノのオペラ歌手 ルイサ・トディ Luisa Todi の

モニュメントがある。     知らない名前だと思ったら なんと1753年生まれの人 !



彼女はリスボンという大都会を足掛かりとして世に出て、 最後にリスボンで死去。 

結婚相手はイタリア人 活動の本拠地はパリ、 演奏活動もイギリス ドイツ オーストリア 

イタリア そしてロシアなど 現在のオペラ歌手とほぼ変わらぬ生活ぶりだった。

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どこの国や街でも  地元の英雄が地元だけで活躍したとは限らない。  




セトゥーバルの誇るべき英雄 トディの白いモニュメントを眺めつつ 

後に訪ねるリスボンの 華やかな大都会ぶりに想像を巡らせました ・・・  




★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

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