「立派だったバチカン市国」「想像が駆け巡った聖職者達の帰宅風景!」
バチカン市国は よく知られている通り 国土面積が0.44k㎡の世界最小の独立国で、
ローマ教皇庁が 国家運営の主軸をなしている。
そして バチカンは ’ その昔繁栄したキリスト教の国 ’ ではなく、
今まさに権力の頂点にあり 繁栄の只中にある国だけあって 見る物どれもが凄かった !
01. 「 サン・ピエトロ広場 Piazza San Pietro 」 は 合計284本の列柱からなる
円弧形の二つの腕に囲まれている。 その真ん中に 1世紀にエジプトから運ばれたオベリスクが立っている。
この広場には 30万人もの信者が収容出来るという。
02. 「 サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro 」
この大聖堂はもともと 紀元64年頃 ネロ帝によって逆さ十字に架けられ命を落としたピエトロ(聖ペテロ)
の遺体を埋葬すべく、 コンスタンティヌス帝が ここ殉教の地に聖堂を建てさせたのが始まりだ。
そして ピエトロ広場も大聖堂も 今日の形になったのは17世紀半ば。
ベルニーニ作の ねじれが加えられた4本の柱で支える 「 ブロンズの天蓋 」29m、
この真下に 「 聖ペテロの墓 Tomba di S.Pietro 」 があり、 最も神聖な場所とされている。
03. 聖堂内は とにかく豪華にして威風堂々、 あらゆる設え・装飾類は芸術性が高いと同時に、
信者を地にひれ伏させる威厳と 魂を天に昇華させる清らかな神聖さを併せ持つ 独特な異空間でした。
カトリック世界の総本山だけあって、 そんじょそこらの大聖堂とは比べ物にならないほど
お金が掛っているなあ、 手間が掛っているなあと 率直にそう思いました ・・
( ミケランジェロの 「ピエタ」、 地下にあるペテロの墓 )
04. 大聖堂の隣には フレスコ画が描かれた 「 ラファエロの間 Stanze di Raffaello 」 がある。
4室からなっており、 その第1室が 「 コンスタンティヌスの間 」
ラファエロの死後 弟子たちによって描かれた 「十字架の出現 」(左)と 「ミルヴィオ橋の戦い 」(右)
05. 第3室が 「 署名の間 」 ラファエロが最初に手掛けた部屋。
「 アテネの学堂 Scuola di Atene 1509年 」 では ソクラテス、プラトン、ヘラクレイトスなど
古代の哲学者や人文学者など 名だたる有名人が一堂に会している。 流石に、 有名なこの絵は一番人気でした!
06. アテネの学堂の興奮が冷めやらぬ間に 私は 「 システィーナ礼拝堂 Cappella Sistina 」 に入った。
実は この写真の下方では 足の踏み場も無いほど 人が押し合っている。
シャッターを1~2回切った時、 あなた知らないの No Photo よ! と 誰かに英語でたしなめられた。
後でわかったことだが、 聖職者達がこもり 次の法王を選ぶ ” コンクラーベ ” が行われるのがこの部屋だ。
審判を下す神の姿を背に執り行われるこの行事、 確かに 美術館ではなく 現実的に神聖な部屋でした !
何はともあれ、 ミケランジェロの「 最後の審判 」と 数々の天井画の前に 私は口を開けて立ってはいたが
本当は 有名過ぎて その前に立っているという現実感が乏しかった ・・
07. さて、 話は唐突に 日本の徳島県にある 「 大塚美術館 」に 変わります。
ここでは 世界の名画がそのままタイルで再現されている。 曖昧な ’模写’ではなく、写真を元にしているので
寸分違わぬ絵画が再現され かなりクオリティーが高い。
ここでなら 誰に咎められることなく 天井画の微細な写真を撮ることができるし、 ゆっくり勉強も出来る。
とにかく 一か所で 世界中の芸術作品に会える お勧めの美術館です !
08. 舞台は再びバチカンへ。 システィーナ礼拝堂を出ると 回廊も華やかでした。
「 地図のギャラリー 」「 タペストリーのギャラリー 」などが 120mにわたって続いていた。
09. 「 バチカン美術館 Musei Vaticani 」 には 絵画も豊富に収蔵されているが
特に彫刻作品やエジプト美術に特化した 「 ピオ・クレメンティーノ美術館 Museo Pio Clementino 」 が秀逸だ。
八角形の中庭のコーナーに 風雨に半分触れる形で 「 ラオコーン 」や「 ヴェルヴェデーレのアポロ 」
などが 惜しげもなく立っていた。
10. 「 バチカン美術館 」 の入口は バチカンとイタリアを隔てる堅固な城壁部にある。
( 上は 美術館内部の 螺旋階段 )
11. 今回私は サン・ピエトロ大聖堂を見学しているうちに 夕方6時の閉館時間を迎えてしまい
正面ではなく 裏口から出ることになった。 すると、
観光客が普段見かけることのない 聖職者たちの帰宅の場面に出くわした。
ミケランジェロがデザインしたと言うコスチュームを着たスイス人の傭兵がガードする傍らで
彼らが立ち話をしている! 何となく人間的だ !
12. 「 ローマ教皇庁 Curia Romana 」と「 バチカン市国 Citta del Vaticano 」 は
意味合いが少し違うが 表裏一体ではある。 バチカン市国は国である以上 行政や財政 法務や教育・厚生
外交や広報など どの国にもある組織がある一方 ローマ教皇庁としては キリスト教の教義や
聖職者の人事を扱う特殊な部門も持つことになるだろう。
結局 枢機卿や司教・司祭などは聖職者であると同時に 国のお役人・国家公務員と呼べるかも知れない。
立ち話する ’ お役人たちの ’ 帯や帽子の色が微妙に違う。
そして 彼らは これからどこに帰って行くのだろう ・・
13. 気になったので調べてみたら 彼らは確かにバチカンの城壁内に住んでいるらしい。
バチカンの人口は800人余。 市民の殆どがカトリックの修道者で、 教皇庁で働く3000人にものぼる
修道者以外の一般職員は だいたい市国外(すなわちイタリア)に居住し、そこから通勤しているそうだ。
⦅ 南米出身の現在のローマ法王フランシスコは 大聖堂を出る時、待ち受けていたリムジンを素通りし、
ほかの枢機卿たちを送迎するバスに乗り込んだ。 また、教皇はバチカン宮殿内の歴代の教皇が使用してきた
豪華な公邸ではなく 寝室が2室しかないバチカンの宿泊施設 カサ・サンタマルタを選んだ ⦆ という
産経ニュースのコラムも目にした。
立派な法衣を着た聖職者たちの 帰宅時間に遭遇したばかりに
いろんな想像や興味が頭の中を駆け巡った。
あの豪壮なサン・ピエトロ大聖堂や 有名なミケランジェロやラファエロの芸術に触れたと言うのに
最も印象的だったのが ” 坊さんたちの赤い帯と丸い帽子ーカロッタだった ” とは
我ながら面白いことでした!!
法王が信者に説教する サン・ピエトロ大聖堂のバルコニーを 振り返りつつ
イタリアとの国境を越え 帰路に着きました ・・・
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