アッシジのフランチェスコに生涯を捧げた聖女「 サンタ・キアラ 」
アッシジには 小鳥に説教した 「 サン・フランチェスコ 」 と もう一人、 フランチェスコに帰依し
女性修道会を開いた 「 サンタ・キアラ 」 という美しき修道女がおりました。
01. 光差す 朝のアッシジの町
02. 古代ローマ時代にも 市民が集まっていたこの広場、 「 コムーネ広場 」 に
アッシジという町の歴史の古さを物語る 「 ミネルヴァの神殿 Tempio di Minerva 」 が建っている。
かのゲーテが アッシジの中で最も気に入った建物だったそうだ。 内部は現在は教会となっているが
正面にコリントス様式の列柱が6本残っており、 保存状態の良さは イタリアでも一二のギリシャ神殿だという。
03. サン・フランチェスコ聖堂へ通じる 「 サン・フランチェスコ通り 」 の両側には
中世・ルネサンス期の家屋が建ち並び 風情を醸し出している。
とりわけ 所どころ枝分かれする階段道は まるで別世界に通じているかのようだ !
04. 「 巡礼の礼拝堂 Oratorio de Pellegrini 」 の壁には 15世紀のフレスコ画が残っており
静かに現代生活を見守っている。
05. 坂道のサン・フランチェスコ通りに 観光客の列は絶えない。 その名の由来となった
アメリカの サン・フランシスコからも きっと 毎年 大勢の人々が来ているに違いない !
06. さて ここが 「 サン・フランチェスコ聖堂 Basilica di San Francesco 1253年~ 」
丘の中腹から見えている部分が ’ 上のバシリカ Basilica superiore ’ で
この下に ’ 下のバシリカ Basilica inferiore ’ がある。
07. 下のバシリカの内部は採光が少なく天井が低い。 薄暗い中にフレスコ画が並ぶが
作者不詳の この 「 小鳥たちに語りかける聖フランチェスコ 」 が見つかれば 来た甲斐があるというものだ ・・
( 上左は 聖フランチェスコの墓 Tomba di Francesco )
08. 上のバシリカは ゴシック様式らしい姿だ。 身廊の天井が高く 高い窓から光が注ぎ、
入口付近から チマブエやジョットの シックな色合いの ドラマチックなフレスコ画が続く。
その物語は 信者の胸には感動を沸き起こし、 私のような部外者には 聖書の勉強の題材となる。
( 回廊に出ると 明るい日差しが溢れ 気持ち良い )
09. さてアッシジには、 聖フランチェスコの弟子であり同志であった 一人の美しき女性がいた。
「 サンタ・キアラ Santa Chiara d'Assisi 1194~1253年 」 は アッシジの名門に生まれ、
順当に行けば裕福な貴族と結婚したはずだが、 16歳のある日 路上で聖フランチェスコの説法を聞くという
運命の出会いがあった。 心を動かされた彼女は 彼の元に走り、 修道生活に入ってしまう。
初期の家族の奪還作戦も空しく、 結局彼女は サン・フランチェスコ会の尼僧院長まで上り詰めることになる。
それどころか 後に母親 妹たち 叔母なども修道生活に入ったというから どれ程の影響力があったことか!
( 上のバシリカと下のバシリカを行き来する 外階段 )
10. こちらの 「 サンタ・キアラ教会 Dhiesa di Santa Chiara 」 は
バラ色と白の石灰岩の縞模様が美しく、 いかにも 聖女サンタ・キアラに相応しい外観です。
ところで、フランチェスコたちが 説教や托鉢で国中を歩いて回ったのに対し、
女性が粗末な衣服で外界を彷徨うなどはもっての外だし、 ” 清貧 貞節 従順 ” という尼僧規則にも準じ、
キアラたちは 修道院の外に一歩たりとも出ることなく 祈りと院内労働で日々を過ごしたと言う。
11. サンタ・キアラの遺体は 760年余 教会内で静かに眠っている。
キアラが自分で作った衣服 フランチェスコが履いたクツなども展示されているが、
多くの女性聖人の例に似て 巻き毛が保管されていた。 その生々しさに 目が吸い寄せられた。
フランス・ルルドの、 35歳という若さで逝った 「 聖女ベルナデッタ 」 の場合、
遺体は 蝋で作ったマスクが被せられ 美しい顔で眠っていた。
キアラは 59歳で病弱なその生涯を閉じている。
飾ることなくありのままのお顔を晒すことも 聖女の在り様かも知れない。
12. ところで、 ものすごく下世話な勘繰りをすれば キアラとフランチェスコは お互い
’ 惚れて ’ いただろうか ・・ 類まれな美貌の持ち主だったというキアラと いかなる困難にも
決然と立ち向かう強さと 動物にも心が通じるという優しさを持ち合わせていたフランチェスコ、
人間の男女として ある種の気の迷いを 少しくらいは持っていて欲しいところだが ・・・ !?
実際のところ、 数々の 宗教上の苦難を分かち合い、 命懸けで 修道会の発展に共に尽した彼らは
生涯 真の同志だったに違いない。
しかし 病に伏したフランチェスコが 1226年に亡くなるまで、 その看病を誰にも任せず
一手に引き受けたキアラ、 その期間 彼女は もしかして人生最良の日々を過ごしたかも知れない ・・・
( サンタ・キアラ教会前の広場にて
白い羽の生えた年増の?エンジェルは 水晶と生年月日による 簡単な占いをしているようでした ~ )
13. サン・フランチェスコの足跡を訪ねてやって来た アッシジでしたが
「 サンタ・キアラという聖女 」 の存在に触れ、 バラ色の教会と共に 思いがけない
こころのお土産を頂きました ~
教会前でお昼を食べる可愛い子供たち、 将来 どんな人生を歩むのカナ。
大人になったら キアラさんのような人生も 理解できるようになるのカナ ・・
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