イタリア ウンブリア地方 アッシジなど

2015年8月14日 (金)

アッシジのフランチェスコに生涯を捧げた聖女「 サンタ・キアラ 」

アッシジには 小鳥に説教した 「 サン・フランチェスコ 」 と もう一人、 フランチェスコに帰依し 

女性修道会を開いた 「 サンタ・キアラ 」 という美しき修道女がおりました。






01.           光差す 朝のアッシジの町

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02.      古代ローマ時代にも 市民が集まっていたこの広場、 「 コムーネ広場 」 に 

アッシジという町の歴史の古さを物語る 「 ミネルヴァの神殿 Tempio di Minerva 」 が建っている。  
 



かのゲーテが アッシジの中で最も気に入った建物だったそうだ。 内部は現在は教会となっているが

正面にコリントス様式の列柱が6本残っており、 保存状態の良さは イタリアでも一二のギリシャ神殿だという。

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 03.      サン・フランチェスコ聖堂へ通じる 「 サン・フランチェスコ通り 」 の両側には

中世・ルネサンス期の家屋が建ち並び 風情を醸し出している。  



とりわけ 所どころ枝分かれする階段道は  まるで別世界に通じているかのようだ !

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04.      「 巡礼の礼拝堂 Oratorio de Pellegrini 」 の壁には 15世紀のフレスコ画が残っており

静かに現代生活を見守っている。

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05.       坂道のサン・フランチェスコ通りに 観光客の列は絶えない。   その名の由来となった

アメリカの サン・フランシスコからも きっと 毎年 大勢の人々が来ているに違いない !

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06.     さて ここが 「 サン・フランチェスコ聖堂 Basilica di San Francesco 1253年~ 」 


丘の中腹から見えている部分が  ’ 上のバシリカ Basilica superiore ’ で 

この下に  ’ 下のバシリカ Basilica inferiore ’ がある。

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07.       下のバシリカの内部は採光が少なく天井が低い。 薄暗い中にフレスコ画が並ぶが 

作者不詳の この 「 小鳥たちに語りかける聖フランチェスコ 」 が見つかれば 来た甲斐があるというものだ ・・

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                                     (  上左は 聖フランチェスコの墓 Tomba di Francesco )







08.      上のバシリカは ゴシック様式らしい姿だ。 身廊の天井が高く 高い窓から光が注ぎ、

入口付近から チマブエやジョットの シックな色合いの ドラマチックなフレスコ画が続く。 

その物語は 信者の胸には感動を沸き起こし、  私のような部外者には 聖書の勉強の題材となる。 

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                                        (   回廊に出ると 明るい日差しが溢れ 気持ち良い   )






09.      さてアッシジには、 聖フランチェスコの弟子であり同志であった 一人の美しき女性がいた。



「 サンタ・キアラ Santa Chiara d'Assisi 1194~1253年 」 は アッシジの名門に生まれ、 

順当に行けば裕福な貴族と結婚したはずだが、  16歳のある日 路上で聖フランチェスコの説法を聞くという 

運命の出会いがあった。   心を動かされた彼女は 彼の元に走り、 修道生活に入ってしまう。



初期の家族の奪還作戦も空しく、 結局彼女は サン・フランチェスコ会の尼僧院長まで上り詰めることになる。

それどころか 後に母親 妹たち 叔母なども修道生活に入ったというから どれ程の影響力があったことか! 

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                                (   上のバシリカと下のバシリカを行き来する 外階段   )





10.     こちらの 「 サンタ・キアラ教会 Dhiesa di Santa Chiara 」 は 

バラ色と白の石灰岩の縞模様が美しく、 いかにも 聖女サンタ・キアラに相応しい外観です。



ところで、フランチェスコたちが 説教や托鉢で国中を歩いて回ったのに対し、 

女性が粗末な衣服で外界を彷徨うなどはもっての外だし、 ” 清貧 貞節 従順 ” という尼僧規則にも準じ、   

キアラたちは 修道院の外に一歩たりとも出ることなく 祈りと院内労働で日々を過ごしたと言う。

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11.       サンタ・キアラの遺体は 760年余 教会内で静かに眠っている。 

キアラが自分で作った衣服   フランチェスコが履いたクツなども展示されているが、 

多くの女性聖人の例に似て 巻き毛が保管されていた。  その生々しさに 目が吸い寄せられた。



フランス・ルルドの、  35歳という若さで逝った 「 聖女ベルナデッタ 」 の場合、  

遺体は 蝋で作ったマスクが被せられ 美しい顔で眠っていた。


キアラは 59歳で病弱なその生涯を閉じている。 

飾ることなくありのままのお顔を晒すことも 聖女の在り様かも知れない。

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12.      ところで、 ものすごく下世話な勘繰りをすれば キアラとフランチェスコは お互い 

’ 惚れて ’ いただろうか ・・   類まれな美貌の持ち主だったというキアラと  いかなる困難にも

決然と立ち向かう強さと  動物にも心が通じるという優しさを持ち合わせていたフランチェスコ、

人間の男女として ある種の気の迷いを 少しくらいは持っていて欲しいところだが ・・・  !?




実際のところ、  数々の 宗教上の苦難を分かち合い、 命懸けで 修道会の発展に共に尽した彼らは 

生涯 真の同志だったに違いない。 



しかし  病に伏したフランチェスコが 1226年に亡くなるまで、 その看病を誰にも任せず 

一手に引き受けたキアラ、 その期間 彼女は もしかして人生最良の日々を過ごしたかも知れない ・・・

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(  サンタ・キアラ教会前の広場にて   

白い羽の生えた年増の?エンジェルは 水晶と生年月日による 簡単な占いをしているようでした ~   ) 






13.       サン・フランチェスコの足跡を訪ねてやって来た アッシジでしたが



「 サンタ・キアラという聖女 」 の存在に触れ、 バラ色の教会と共に 思いがけない 

こころのお土産を頂きました ~

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教会前でお昼を食べる可愛い子供たち、  将来 どんな人生を歩むのカナ。



大人になったら  キアラさんのような人生も  理解できるようになるのカナ ・・







★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2015年8月 7日 (金)

動物と心が通じた 「 アッシジの聖フランチェスコ 」 

アッシジは 「小鳥に説教した聖フランチェスコ」 の町として 世界にその名を知られている。


スパージオ山の斜面に白く輝く町の姿は 聖フランチェスコの高潔な心を そのまま表しているかのようでした。







01.      城壁で囲まれた「 アッシジ Assisi 」 の姿は  丁度 一艘の白い船の様で、

北西側の舳先に 「 サン・フランチェスコ聖堂 」、 南東側の艫に 「 サンタ・キアーラ教会 」がある。

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02.      アッシジの町本体に入る前に、  フランチェスコが初期の仲間と共に 

洞穴に寝泊まりしながら  祈りを捧げ瞑想した聖地を 訪ねてみることにした。 
        



それは アッシジの東4kmほどにある 「 カルチェリの庵 Eremo delle Carceri 」 という場所だ。 

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03.      山道に入ると ’ Zona Sacra 聖域 ’ という看板が出て、 何とはなしの緊張感が漂う。 



フランチェスコ会の修道士たちが洞穴前で 修行に励む姿が再現されていた。  それにしても ここには

観光客や普通の巡礼者に混じって 本物の?シスター達がたくさん 真剣な面持ちでやって来ていた。



聖フランチェスコへの信心深さと その人気の高さを  誰かに千回説明されるより 解り易かった。

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04.       ここが カルチェリの庵だが、  フランチェスコが こんな立派な隠棲所で

修行した訳ではなく、 建物は14Cに建てられたものだ。         しかし、



当初の フランチェスコたちが籠った洞穴 粗末な寝床 井戸などは 当時のままに保存されている。

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05.     さて アッシジの 裕福な毛織物商の息子に生まれた 「 フランチェスコ Francesco d'Assisi 

1182~1226年 」 は 何度かの戦争と大病を経験した後、 ある日  ” 行って私の教会を建て直しなさい ” 

という神の声を聞く。    その神秘体験を機に 世俗を捨て 修行の道へと入ったのだ。
 




その信条は 一切私物を持たず、 日々の食事も 労働もしくは托鉢で得、 当然金貨も銀貨も持たず、 

旅の荷物・衣服・履物・杖も持たない というものだ。 



結果 フランチェスコは靴を脱ぎ裸足となり、  皮のベルトを捨て縄を腰に巻く姿となった。

そう言う訳で  フランチェスコを描いた絵は 一目で彼と分かるのです ! 

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                                       (   食堂 ( じきどう )   )







06.     ところで 跡継ぎとして期待していた息子の変わりように 父親がどれほど深く絶望したかは

想像に難くない。 父親の商売ものを持ち出しては売り払い 教会に差しだす息子と口論になったのも当然だ。



最後に フランチェスコは服を脱いで裸となり ” 全てをお返しします ” と衣服を父に差し出し、

自分にとっての父は 「 天の父 」 だけだとして 親子の縁を切ってしまう。

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  (   着物を返すフランチェスコ 左     小鳥に説教するフランチェスコ 右    )







07.       当時 聖職者や修道士は托鉢を禁止されていたし、

司祭職でもない修行僧が説教を行うことも 許されてはいなかった。      そこで  

異端として弾圧されるのを恐れたフランチェスコたちは  ローマ法王に活動の許可を求めた。  



もちろん 当時 カトリックの中で 禁欲的会派が無かった訳ではないが 

痩せ細って、汚れたぼろを纏った彼らの姿は とりわけ衝撃的だったらしい。



一切の所有物を認めないのは厳しすぎるではないか、 と言う法王に  フランチェスコは 

” 何かを持つと それを守ろうとする気持ちが生じます ”  と答えたと言う。




免罪符の交付などで蓄財した聖職者たちの腐敗を抱え、  同じ教義を信条とするカトリックでも

これだけの振り幅があることに 実際 法王も苦悩したのではないだろうか ・・    


その時は 結局は フランチェスコ達は  ’ 仮免許 ’ のような形で 黙認されたらしい。

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                      (     カルチェリの庵がある丘から アッシジの町を望む    )





08.      さていよいよ アッシジの町 「 コムーネ広場 Piazza del Comune 」 に到着した。 

すると なんと 「 ポポロの塔 Torre del Popolo 」 に羽が生え、  歓迎してくれました ~08

 
(  たまたま 車のフロントガラスに 鳥の羽が貼りついたので 急いでシャッターを切りましたよ !   )





09.          街中では 当たり前のように  あちこち 聖職者が歩いておりました。

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10.         ところで フランチェスコの思想は 従順・清貧・貞潔に生きることで 

物質的な豊かさはもとより、 知的な豊かさも認めなかった。 




現代でも 経済的に豊かな者が 結局は知的な豊かさを得られる場合が多いし、   

知性を持つと 結局は 何かに対する疑問や不従順を生む場合が多い。



そんな思想を 現代版に置き換えると なにやら危険な思想にも見えてしまうが 、 

「 心貧しいことこそ神の御心にかなう 」 という フランチェスコの言葉は ’ 全能の神 ’ を旨としており

黙るしかないほど 的を得て正しい信条なのかもしれない。

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(  町から見上げる 「 ロッカ・マッジョーレ Rocca Mggiore 」 

最初の城塞はローマ時代に築かれたが   この大城塞は 15Cに完成したもの   )







11.         そういう意味では  フランチェスコは 邪念の多い人間に比べ  

神の創造物として 動物は上位にいると考えたのかも知れない。   オオカミに説教した話は 



このブログの 「 グッビオ編 」 で触れましたが、  その他 ジョットの絵で有名なハトばかりでなく 

ウサギ、セミ、キジ、ロバ、魚 などとも心が通じ よく語りかけたそうだ。

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12.        坂道の多い町、 時代を経た石の風合い、 どこを切り取っても 絵になります

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13.      美しい聖職者の町に  カラフルなお菓子を見つけて  ふと現実に呼び戻されました!




夜は美味しい料理をいただいて、 

明日の 「 フランチェスコ聖堂 」 訪問に備えることにいたしました ・・

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★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年7月17日 (金)

「ナカータの居たペルージャ」「狼伝説のグッビオで白トリュフのフルコース!」

地中海に突き出したイタリアにしては珍しく 海に面してない地域、ウンブリア州がある。

今回はその州都ペルージャと 古都グッビィオを訪ねます。





01.    「 ペルージャ Perugia 」 は 1998年から 中田英寿がサッカーチームに

在籍していたこともあり、 どんな町か知りたくて 短い時間だったが 寄ってみることにした。



「 11月4日広場 Piazza 4 Novembre 」 が街の中心で、 

周りに 自由都市時代の繁栄を物語る 13~14世紀の古めかしい建物が並んでいる。

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02.         広場の真ん中にあるこの 「 大噴水 Fontana Maggiore 1278年 」、

なんでこんなに立派な噴水が必要だったかと思わせるほど 豪華堅牢でした!

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03.   さて ペルージャは小高い丘に作られた町で 麓のトンネルに潜りくねくね進んで行かねばならない。

外国人にしては こんなルートをよく探り当てたものだと 我ながら思ったものでした ・・




駐車場からは 急峻なエスカレーターを乗り継ぎ、 どこもかしこも急坂の道をフーフー言いながら登り、

やっと 頂上部分にあたる 先ほどの広場に辿り着いた次第でした。

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04.          大芸術家を輩出した フィレンツェやローマ ミラノなどとは別に 

’ ウンブリア絵画 ’ が生まれた町だと聞いたが、 美術館に入る余裕は全くなかった。  


また ヒデトシ・ナカータ が生活を楽しんだ片鱗に触れてもみたかったが、そんな時間もなかった。

それでも 町はやはり魅力的ではありました ~~ !

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05.    「 サン・ベルナルディーノ教会 Oratorio di San Bernardino 1461年 」 


ルネサンス期の建築の逸品で、 大理石の色合いと繊細な浮き彫りが醸し出すハーモニーが魅力的でした。

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06.        教会正面の 音楽を奏でる天使たちの浮彫は 他で類を見ないほど繊細でたおやかだ。

ウンブリア芸術は神秘的で穏やか、時として甘美すぎるほど優しいと評されるそうだが、 

これほど ピンクの大理石に似合う芸術もないのではないだろうか。




因みに ドライブの途中、道路工事で強制的に田舎道に迂回させられた。 っで たまたまピンクの石の

採掘現場を通った。  今もこんな石が採れるのだろうか。  時には迂回も悪くない!?

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07.       さて 夕方ペルージャを出て、 次は 同じウンブリア州の奥地 「 グッビオ Gubbio 」 

に進みました。  ここは インジーノ山 Monte Ingino の斜面にへばり付くように形成された町で

再び どこもかしこも坂道ばかりが待っておりました   sweat01

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08.     こうして町を見上げると ひとかたまりになって見える旧市街だが   幾層もの山道が

階段状に重なって 大聖堂や宮殿、公爵邸や塔、教会や広場、住居や職人の店などを構成させている。  



「 パラッツオ・コンソーリ 執政官邸 Plazzo dei Consoli  」(下の写真) は白く優美な建物だが

全体としては ゴツゴツとした 中世の城塞都市の厳しいムードが溢れる町でした。

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09.     長屋根付きの作業場 ロッジャLoggia (写真右側奥)は いくつかの伝統産業のうち 

羊毛産業用の作業場だったところだ。  その向こう側の教会が 「 サン・フランチェスコ教会 」。



小鳥に説教したとして有名な サン・フランチェスコは ペルージャにも そしてここグッビオにも

遥かな山並みを越えて アッシジから度々やって来たという。 

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10.     中世そのままのこんな通りでは、扉がすっかり塗り塞がれたものがある。 それは

「 死者の扉 Porta  di Morto 」 と呼ばれ そこから棺が運び出され 再び戻らぬよう塗り固められたものだ。



ここグッビオは 美食の町としても知られている。 地味な佇まいの山あいの町ではあるけれど、家畜肉 

ジビエ(野禽)  チーズ・サラミ 野草 オリーブなど 意外なほど多種な地元の食材に恵まれている。

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11.     そういうことで、 山から狼がしばしば降りて来て 動物や人間にかなりの悪さを

繰り返していた時代があったらしい。 そんな狼に説教をして悔悛させたのがアッシジの聖フランチェスコだ。



” そもそもお前が他者を襲うのも飢えの所為に違いない。 これまでの悪事を悔い 平和に暮らすことを

約束すれば ここの人々が 死ぬまでお前に食料を与え続けるだろう ”  と狼を諭すと  

狼は 脚を聖フランチェスコの手に置き  もう人を襲ったりしないと誓った。



人間の兄弟となった狼は 住民によって迎え入れられ その2年後の死まで 食料を与えられ続けたという。 

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12.     さて、 私は狼のように 悪さをしないと悔い改めた訳ではないが、 なんとグッビオで

” 白トリュフのフルコース ” を味わう 大チャンスに恵まれた!  



こんなにふんだんに 白トリュフがかかった料理は 恐らく人生で二度と食べられないかも知れない。

後になって写真を見て気付いたが、 料理類は  白トリュフのニュアンスを消さないよう 

ホワイトソースなどの 上品な薄味系の仕上げになっていた ・・

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13.       このレストランの名前は ” タベルナ デル ルポ Taverna del Lupo ” 

つまり狼レストランだ。  成る程 この町の狼伝説は こんな所でも生き続けていた ・・      




支配人とオーナーが出て来て いろいろ楽しい会話が続いた。 

トリュフをこんなに大盤振る舞いしていただき幸せでしたよ、と言うと 

この町、このレストラン、この時期(10月)だからこそ出来たことですよ、 と 笑って答えた。
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写真左側はupwardleft 悔い改めた狼が 聖フランチェスコの手に足を乗せている場面です。  



質素を旨とした聖フランチェスコの逸話は 多かれ少なかれの真実を含んだ史実であったに違いない。





・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆





 
アッシジを訪ね、是非 そんな謙虚な空気を感じてみたいと思った私でした ・・・・・






(   実際は 押すな押すなの観光客で ビックリでしたが   !!!   )





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