「メディチ家の墓所は大理石とミケランジェロで出来ている」「美術の森ピッティ宮」
フィレンツェの繁栄と切っても切り離せないのが メディチ家の隆盛、
そのメディチ家の人々が 終の棲家とした墓所は
「 サン・ロレンツォ教会 」 に付属した とてつもなく立派で 異様な雰囲気の建物でした。
01. 「 メディチ家礼拝堂 Cappelle Medicee 」 と呼ばれる その墓所は
八角形の筒状の建物で ちょうど高さ59mの井戸の底に居るような具合で、 目が慣れるまでは暗かった!
床と側面は 様々な色の高価な大理石と貴石で埋め尽くされ、 棺が八方に設えられている。
現在は 墓の中身は空で、 遺体は地下に収められているそうだ。
02. メディチ家は初めから大豪族だった訳ではない。 フィレンツェ近郊の片田舎から
徐々にのし上がった一族で、 薬草を扱った薬問屋を手始めに 両替商 銀行家 ローマ教皇庁の財務管理者
政治家 そしてフィレンツェ共和国を統治する支配者まで上り詰めた。
従って メディチ家の紋章にある幾つかの ’ 玉 ’ は 丸薬を象徴しているというのが有力な説だ。
そして、 医師・医学を表す名詞・形容詞が
medico(メディコ 単数) Mmedici(メディチ 複数)だというのも興味深い事です。
03. さて 礼拝堂の隣には 「 新聖具室 Sagrestia Nuova 」 という小霊廟がある。
こちらは 部屋の設計・配置 墓碑像など全てをミケランジェロが手掛けたという ゴージャスな墓所だ。
” 思索 というタイトルの付いた ロレンツォ・デ・メディチ の墓碑 ” には
” 黄昏 Crepuscolo ” (左) と ” 曙 Aurora ” (右) という 二つの寓意像が乗っている。
04. 真向いには ” 行動 というタイトルが付いた ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑 ” がある。
これには ” 夜 Notte ” と ” 昼 Giorno ” という 寓意像が乗っている。
さすがミケランジェロ、 凄い迫力だ ! 面白いことに
4体とも 寓意の男性名詞・女性名詞通りに 男女の姿で表現されていて、 ポーズの取り方もそれぞれ絶妙だ。
例えば 右腕を左太ももに置くといったひねりは
同じくひねったポーズの ’ 考える人 ’ を作ったロダンが見た時 どう思っただろうか ・・・
05. サン・ロレンツォ教会 (1420年着工) の未完の外観には 少し驚かされた。
外構もミケランジェロが手掛けるはずだったが 1534年 ミケランジェロがフィレンツェを去ったため
未完に終わっている。 しかし彼の所為ばかりでなく 資金の欠乏だって もしかしてあったかも知れない。
いずれにせよ、 このギザギザ段状に 大理石の板を嵌めて作っていく過程が見えて面白い。
06. さて、次は 「 ピッティ宮 Palazzo Pitti 」 にまいります。
巨大な石壁にずらりと並ぶ窓、横長の堂々たる建物は メディチ家の競争相手 ピッティ家の館でした。
後に 結局はメディチ家のものとなり、 現在は メディチ家が所有していた 膨大な美術品が展示されている。
威風堂々たる館を眺めるには それなりに 後ずさるための大きな広場が必要だと見えますね ・・
07. このピッティ宮は ボッティチェリの絵があるウフィツィ美術館と
アルノ川を挟んで バーザーリの回廊で結ばれている。
当時の政治的意図は別として、 現在では 正に ” 黄金の絵画鑑賞回廊ルート ” ですね !
館内は ” 美術の森 ” を 次から次へと かき分けて進む感じです ~
08. 「 大公の聖母 」 画面奥下「 トンマーゾ・インギラーミの肖像 」
「 アニョロ・ドーニの肖像 」 など ラファエロの有名作品が 普通に飾られている。
09. 「 小椅子の聖母 ラファエロ 」 「 ヴェールの女 ラファエロ 」
「戦争の恐怖 ルーベンス 」 「 悔悛するマグダラのマリア ティツィアーノ 」 等々 ・・
10. さて、 ピッティ宮の3階部分は 18~20Cの作品を集めた「 近代美術館 」となっている。
風景そのものが主役となる前の時代、 主題も庶民的で ホッとさせられる絵が多い。
11. 巨匠たちの歴史画や宗教画の 奥深い森を抜け、
普通の女性が描かれた こんな絵に出会った時 何故か数倍も新鮮に感じられました ~~
12. さて 外に出て 少し町をお散歩。 イタリアの焼き物はカラフルで元気です。
あとになってから 写真を見てみたら ’ No Photo ’ の張り紙がありました!
写真ばかり撮って、買っていかないと 店の人も腹が立ちますよね ・・
13. こちらのピノキオ君は カメラ 大いに推奨しています ^$^
今回で 4回分のフィレンツェの旅は 終了となります。
私の 旅の 率直な感想としては、
これだけ 莫大な過去の遺産に恵まれた街が それらの維持管理の義務に押し潰されず、
新しい 自分らしい生き方を見出していくのは 容易なことではないなあ、と
他人事ながら思ったものでした。
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