花の都フィレンツェ

2015年7月 3日 (金)

「メディチ家の墓所は大理石とミケランジェロで出来ている」「美術の森ピッティ宮」

フィレンツェの繁栄と切っても切り離せないのが メディチ家の隆盛、 


そのメディチ家の人々が 終の棲家とした墓所は 

「 サン・ロレンツォ教会 」 に付属した とてつもなく立派で 異様な雰囲気の建物でした。







01.      「 メディチ家礼拝堂 Cappelle Medicee 」 と呼ばれる その墓所は 

八角形の筒状の建物で ちょうど高さ59mの井戸の底に居るような具合で、 目が慣れるまでは暗かった!



床と側面は 様々な色の高価な大理石と貴石で埋め尽くされ、 棺が八方に設えられている。

現在は 墓の中身は空で、 遺体は地下に収められているそうだ。 

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02.     メディチ家は初めから大豪族だった訳ではない。 フィレンツェ近郊の片田舎から

徐々にのし上がった一族で、 薬草を扱った薬問屋を手始めに 両替商 銀行家 ローマ教皇庁の財務管理者

政治家 そしてフィレンツェ共和国を統治する支配者まで上り詰めた。 




従って メディチ家の紋章にある幾つかの ’ 玉 ’ は 丸薬を象徴しているというのが有力な説だ。

そして、   医師・医学を表す名詞・形容詞が 

medico(メディコ 単数) Mmedici(メディチ 複数)だというのも興味深い事です。 

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03.     さて 礼拝堂の隣には 「 新聖具室 Sagrestia Nuova 」 という小霊廟がある。

こちらは 部屋の設計・配置 墓碑像など全てをミケランジェロが手掛けたという ゴージャスな墓所だ。



” 思索 というタイトルの付いた ロレンツォ・デ・メディチ の墓碑 ” には

 ” 黄昏 Crepuscolo ” (左) と ” 曙 Aurora ” (右) という 二つの寓意像が乗っている。

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 04.     真向いには ” 行動 というタイトルが付いた ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑 ” がある。

これには ” 夜 Notte ” と ” 昼 Giorno ” という 寓意像が乗っている。



さすがミケランジェロ、 凄い迫力だ !            面白いことに

4体とも 寓意の男性名詞・女性名詞通りに 男女の姿で表現されていて、 ポーズの取り方もそれぞれ絶妙だ。



例えば  右腕を左太ももに置くといったひねりは 

同じくひねったポーズの ’ 考える人 ’ を作ったロダンが見た時 どう思っただろうか ・・・

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05.     サン・ロレンツォ教会 (1420年着工) の未完の外観には 少し驚かされた。


外構もミケランジェロが手掛けるはずだったが 1534年 ミケランジェロがフィレンツェを去ったため

未完に終わっている。 しかし彼の所為ばかりでなく 資金の欠乏だって もしかしてあったかも知れない。



いずれにせよ、 このギザギザ段状に 大理石の板を嵌めて作っていく過程が見えて面白い。

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06.       さて、次は 「 ピッティ宮 Palazzo Pitti 」 にまいります。  


巨大な石壁にずらりと並ぶ窓、横長の堂々たる建物は メディチ家の競争相手 ピッティ家の館でした。

後に 結局はメディチ家のものとなり、 現在は メディチ家が所有していた 膨大な美術品が展示されている。



威風堂々たる館を眺めるには それなりに 後ずさるための大きな広場が必要だと見えますね ・・

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07.        このピッティ宮は ボッティチェリの絵があるウフィツィ美術館と 

アルノ川を挟んで  バーザーリの回廊で結ばれている。  

当時の政治的意図は別として、 現在では 正に ” 黄金の絵画鑑賞回廊ルート ” ですね !



館内は ” 美術の森 ” を 次から次へと かき分けて進む感じです ~

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08.       「 大公の聖母  」 画面奥下「 トンマーゾ・インギラーミの肖像 」

「 アニョロ・ドーニの肖像 」 など ラファエロの有名作品が 普通に飾られている。

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09.       「 小椅子の聖母 ラファエロ 」 「 ヴェールの女 ラファエロ 」

「戦争の恐怖 ルーベンス 」 「 悔悛するマグダラのマリア ティツィアーノ 」 等々 ・・

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10.     さて、 ピッティ宮の3階部分は 18~20Cの作品を集めた「 近代美術館 」となっている。


風景そのものが主役となる前の時代、 主題も庶民的で ホッとさせられる絵が多い。

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11.          巨匠たちの歴史画や宗教画の 奥深い森を抜け、 

普通の女性が描かれた こんな絵に出会った時 何故か数倍も新鮮に感じられました ~~

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12.       さて 外に出て 少し町をお散歩。    イタリアの焼き物はカラフルで元気です。



あとになってから 写真を見てみたら  ’ No Photo ’ の張り紙がありました!

写真ばかり撮って、買っていかないと 店の人も腹が立ちますよね ・・

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13.        こちらのピノキオ君は カメラ 大いに推奨しています  ^$^

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今回で 4回分のフィレンツェの旅は 終了となります。 




私の  旅の 率直な感想としては、 



これだけ 莫大な過去の遺産に恵まれた街が  それらの維持管理の義務に押し潰されず、 

新しい 自分らしい生き方を見出していくのは 容易なことではないなあ、と 

他人事ながら思ったものでした。





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・★゜

 

2015年6月26日 (金)

「フラ・アンジェリコの受胎告知」と「サヴォナローラは2回死ね」

受胎告知をテーマとした絵画は数多いが フィレンツェにある 「 フラ・アンジェリコの受胎告知 」 の

美しさは群を抜いている。   しかし、てっきり ’ 一枚の絵画作品 ’ だとばかり思っていた私にとって、 

絵ではなく 壁画で、  ’ 修道院という祈りの場全体を見守る精霊 ’ のように見えたことは驚きでした !





 

01.     「 サンマルコ美術館 Museo di San Marco 」の内部、2階に上がる階段の先に

居室外側の壁に描かれた 「 受胎告知 」 が現れた。  その有名なフレスコ画はガラスで保護されていた。01








02.     受胎告知が描かれた小部屋の内部にも 宗教画が描かれている。
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03.     ここは 昔 ドメニコ派の教会付属の修道院だったが 今はそのまま美術館になっている。
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04.     さて 2階には コの字型に修道士たちの小部屋がズラーッと並んでいて、 それぞれの部屋に 

「 フラ・アンジェリコ Fra' Angelico (1387~1455年)」 が宗教画を描いている。  



彼は名前の通り 天使のような修道士・画僧であったから、  彼の絵からにじみ出る信仰心と静謐な美しさは 

誰かに解説されるまでもなく  静かに見る者の心に沁み渡って来る。 

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05.     そして これらの小部屋の列の一番奥に 「 修道院長 サヴォナローラの部屋 」 がある。



「 ジローラモ・サヴォナローラ  Girolamo Savonarola (1452~1498年) 」 は 禁欲的で狂信的な

修道士だったため、 当時の メディチ家の支配を頂点とするフィレンツェの繁栄 即ち精神の堕落を批判し、 

贅沢な工芸品や美術品 楽器 詩集などを供出させ シニョーリア広場で燃やしてしまったのだ (1497年)。05

                                  (  サヴォナローラの椅子  )







06.     しかし 極端な締め付けは 往々にして大きな反発を招くもの。  

不満が鬱積した市民や 反対派の修道士からの反撃を受け 翌年 今度はサヴォナローラが拘束され、 

激しい拷問の末   教皇の意向が反映された裁判で 彼と主要人物の死刑が宣告された。



その処刑は ダビデ像が立つ このシニョーリア広場で行われた。  彼らの死の400年後、 処刑地点に

石のメモリアルプレートが設置されたが そこに書かれた言葉によると、  サヴォナローラと数人の修道士は

絞首台で吊るされたあと その足元に積まれた薪で焼かれたと言う。  彼らの遺骨は アルノ川に捨てられた !




つまり 絞首刑と火あぶりの刑と 2回死ねという宣告であり、彼らに対する憎しみの大きさが読み取れる。

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07.     さて、元修道院の小食堂には  ギルランダイオが描いた 「 最後の晩餐 」 がある。

弟子たちは整然と並び、その反対側に一人ユダが描かれ 裏切り者が誰なのかすぐわかる構図になっている。  



例えば 後代の ダ・ヴィンチの最後の晩餐では ’ 犯人 ’ が誰なのか 一見分からないし、 

弟子たちの配置・構図には 動きがあってダイナミックだ。 

そういう意味で、 良し悪しではなく 時代の変遷というものがよくわかる例と言えるのではないだろうか。

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08.     1階奥の方では 古書の修復作業が行われていた。  古書の傷みが激しい場合は

一旦全てをバラバラにして、 ’ 和紙 ’ の裏打ちなどで 丁寧に装丁し直すそうだ。 



ここでもきっと 和紙が珍重されているに違いない。   不思議と学芸員が日本人に見えてくる ・・
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09.        視線の先に ダビデ像を捉えつつ、 カフェで お茶を一杯 ・・・

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10.        ここは 「 新市場のロッジア Loggia del Mercato Nuovo 」 

革製品をはじめ 様々なモノが売られている。  迷路の探索のようで 中を巡るのは楽しかった !10







11.      さて この市場の一角に イノシシのブロンズ像が置いてある。  ご多分に漏れず 

鼻を触ると幸せになれるとかで 鼻先は金ぴかだが、 それだけでなく またがる人も沢山いる。


イノシシ君、 1640年頃の制作当時の愛称 仔豚を意味する  「 ポルチェッリーノ Porcellino 」

という名前で ずっと呼ばれて来ている。11







12.       しかし これもまた レプリカで、  本物は美術館送り!? となった。
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13.     イタリア人女性の立派なお尻は イノシシ君に全然負けてない ・・   

ふと足元に目を落とすと、 へびやカエル カメやカタツムリ 沼地の植物など リアルに表現されている。




いのししが生息するのは 雑草が繁茂する森林や草原だが、  ダニを落としたり 体温調節の為 

泥地でのたうって 体を擦り付けたり、 まともに泥水に飛び込んだりするらしい。13

 



イノシシ像の足元にこんな水場を描くなんて 作者はモノをよく知っているのだナア~




妙に感心しながら ’ 観光客の撮影会 ’ の様子も ニコニコしながら 眺め続けました ・・






★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年6月19日 (金)

「フィレンツェ」ドゥオーモは外側を・ダビデ像は横から見てみましょう!

フィレンツェの顔と言えば  3色の大理石で装飾された 巨大な大聖堂「 ドゥオーモ 」 と  

市庁舎の門前で りりしく立ちはだかる 「 ダビデ像 」 だと言えるでしょう。  





01.     この 「 花の聖母教会 Santa Maria del Fiore (建設は13C~15C) 」 と呼ばれる

ドゥオーモは 名前通りに華やかな立ち姿で、  私も開いた口が塞がりませんでした !01







02.     イタリアでは 主に正面側のみを大理石で装飾した教会は あちこちで見かけるが、 


白 緑 ピンク 3色の大理石を組み合せた 複雑な幾何学模様が 大聖堂の全面を覆い尽くす様は圧巻であり、

当時の自治都市フィレンツェの力の大きさを 如実に示しておりました。 

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03.      ところで、 中央の ’ クーポラ ’ と呼ばれる八角形のドームは  直径40m 

高さ50mもあり、 建設は至難の業とされました。  しかし1420年に 設計案を問うコンクールがあり、

ローマで古代建築の研究をして来た建築家ブルネレスキが選ばれ、 彼は見事にドームを建てて見せたのです。   



当時のフィレンツェは ’ 公募 ’ などと言う公平な仕組みを持つ 先進的な都市国家だったのです ・・ 

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04.     しかし 一歩堂内に入ると、  ある程度の装飾物は別として、  ’ 殆ど空っぽ ’

なことに驚きました。     床の大理石の模様だけが ひたすら空間を埋めている。   



民衆ないし支配階級が 真に神に救いを求め祈った場 と言うより、  シエナ ピサ ミラーノなどの

近隣都市国家に対し ’ フィレンツェが己の力を誇示するため造った大聖堂だった ’ ように私には見えました。



とにかく、 ドゥオーモは 中より外側ですね !

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05.     さて、 たまたま工事中で布に覆われた八角の建物 「 洗礼堂 Battistero 11~12C 」、



この扉の装飾にも コンクールがありました。 そして クーポラの公募でブルネレスキに敗れた ギベルティが 

こちらでは当選し、 旧約聖書の10の場面を題材とした物語を 銅板レリーフに表し 傑作を残したのです。

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06.      ミケランジェロが 後に ’ 天国の門 ’ と呼んで称賛したこの東門のレリーフ、 

一見金ピカに見えるが これは実はレプリカ。 それでも 多分 本モノから蝋でかたどったのでしょうから 

迫力は同じはず。  そのレプリカの制作は 日本の企業の援助で行われたそうですよ。  いずれにせよ



今日の建築や絵画 音楽などのコンクールの起源は 少なくともイタリア都市国家までは遡れそうですね ・・
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07.   次は 「 シニョーリア広場 Piazz della Signoria 」 に面した 「 ヴェッキオ宮 Plazzo Vecchio 」。


門前に 例のミケランジェロの 「 ダビデ像 」 のレプリカが立っている。

ここも 本当に大勢の観光客でいっぱいです !

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08.      13C以来 フィレンツェ共和国の政庁だったこのヴェッキオ宮は 現在も市役所として現役です。

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09.     さて 本物のダビデ像は 1873年にアカデミア美術館内に収められるまで 

1504年からずっと この場所で風雨に晒されていましたが、 

ダビデ像になる前段階の素材としての大理石も さらにその前から野外にありました。



と言うのは、1466年に ある彫刻家が 四角い大理石に 脚と脚のあいだに当たる隙間を空けるところまでいじって

放棄したのを皮切りに、 その後 何度か荒削りされつつ 35年もの間 ただ ’ 高価な大理石として ’ 

役所のかたわらに 飾られていたのです。 



ミケランジェロが やっとこの困難な仕事を引き受けたのが1501年。  造形上 相当な制約があったにも拘わらず

ミケランジェロでなかったら こんな傑作は造り得なかったと言われている。

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10.     ヴェッキオ宮の隣、 多くの傑作(とレプリカ)が並ぶ 「 ランツィのロッシア Roggia 」。 



当初、ダビデ像を せめて屋根があるこの場所に置いた方がよいという意見もあったが、 

ミケランジェロが拒否した経緯がある。

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11.     既に人の手にかかった セコンドハンドの大理石の塊りに挑戦した ミケランジェロ、 結局は  

不朽の名作・ダビデ像を生み出した訳だが、  しかし 横から見ると 体全体の奥行に欠け やや迫力がない。



こちらからのアングルの写真・画像は なかなか見当たらないはずだ。

フィレンツェにお出かけの際は 是非 横からの姿にも 注目してみてはいかがでしょうか ~11

 







12.       ところで、メディチ家は 幾つかのダビデ像を発注している。    



こちらのダビデ像は ドナテッロ Donatello 作。 なんとも優美でたおやかだ。 これが ミケランジェと同じ

ダビデだろうか!      国歌の守護神として強く逞しい姿を表現したミケランジェロのダビデに対して、 

こちらは メディチ家が 自分たちの守護神として 邸宅内に置くことを前提としていた。

 



しかし 国家の英雄像を自宅に飾ることに対する非難に備えて ダビデではないと言い逃れできるよう、

様々な工夫が凝らされていると言う。     それはともかく、 このダビデ像が 余りに美しく 怪しいほどの

魅力を湛えているが故に  作者の怪しげな性的嗜好までささやかれたこともあった。

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13.      ここは 本物のダビデ像が待っているアカデミア美術館の入口で、 いつも長蛇の列が出来ている。
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イタリアでは 私も数多くの絵画作品に出会ったが、 とにかく 彫刻作品の素晴らしさに驚かされ続けた。




当たり前ではあるが 彫刻は 360度どこから見ても 作品が成立している。 なんと言うスゴ業だろうか !

イタリアに行ったら やっぱり 彫刻ですね !




そして、 ミケランジェロのダビデ像も 360度から ですね ! 




★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年6月12日 (金)

「ウフィツィ美術館」美しき修道女と駆け落ちした破戒僧リッピ

フィレンツェにある 「 ウフィツィ美術館 Galleria degli Uffizi 」 は 世界でも指折りの花形美術館です。  



建物は アルノ川に対してU字型に 二列に配されている。

その東翼と西翼の奥に 「 パラッツオヴェッキョ 」 と 「 ドゥオーモ 」 が見える。  



この建物 ちょっと校舎のように見えないでもないが、 実は昔 メディチ家の ’ オフィス ’ だったのです !







01.     イタリア語でオフィスを意味する ’ ufficio ウフィッチョ ’ の古形が ’ uffizio ’ で、

その複数形がウフィツィ、   ここが事務所のように見えるのも 当然かも知れない。 



1560年コジモ一世の治下で着工、  アルノ川に面した川沿いの砂地に 

基底部分は世界最初のコンクリート工法で 20年かけて建設されたと言う。

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02.      内部の 「 歩廊 corridoio 」 には  所どころベンチが配されているが、 

古代ローマ時代の像が惜しげもなく展示されているし、  頭上の美しい天井画も見逃せない。

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03.     ウフィツィ美術館と言えば イタリアルネッサンス絵画の殿堂だ。 その作品群のうち一点でも 

日本にやって来たら 大騒ぎになるという絵画が 何気ない様相でずらりと壁に掛っている。

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(  レオナルドダヴィンチの受胎告知、 カラヴァッジョの若きバッカス、 ミケランジェロの聖家族  )  







04.     ティツィアーノのウルビーノのビーナスや ラファエロのひわの聖母 ティツィアーノのフローラ

など 教科書で見たような絵が 次から次へと現れる。 

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05.     そうした至高の名画たちを凌いで ウフィツィで最も人気が高いのが 「 ボッティチェリ

Sandro Botticelli 」 の作品ではないだろうか ・・  ボッティチェリの部屋では 誰もが舞い上がっていた ! 



この 「 春 Primavera 」 と 06.の 「 ビーナスの誕生 La Nascita di Venere 」 は双璧だ。

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06.      実物がどれ位の大きさか 想像出来るよう 遠景からの写真を載せてみました ~06







07.     1445年 フィレンツェに生まれた ボッティチェリの生涯と画歴の話はさて置き、


彼が フィレンツェ・ルネッサンス絵画の頂点を極め  今日なお これだけの人気を博しているのは

何と言っても 人体表現の線のたおやかさ、 そして魅力的な顔の描写が 理由なのではないかと思う ・・  

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08.      ところで、そのボッティチェリが 大きな影響を受けたと思われる一人の画家がいる。

その名は 「 フィリッポ・リッピ Filippo Lippi 」 (1406年 フィレンツェの肉屋の子として生まれる )。 




私は  この 「 聖母子と二天使 」 に会うために ウフィツィ美術館にやって来たと言っても過言ではない。

ボッティチェリより やや古典的だが、 マドンナは 他の追従を許さない程美しい。

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09.    ボッティチェリは 19歳から3年余 リッピの工房で修行し、一時はリッピそっくりな絵を描いていた。

また リッピが この絵の背景に山河を描いた構図は ダヴィンチの「 モナリザ 」 にしっかり受け継がれている。   





ところでリッピの人生はと言えば、 幼くして両親を亡くした彼は カルメル会の修道院で育てられたが、 

気ままな乱暴者で周囲を手こずらせた。 そこで与えられた絵筆が 才能を拓き 画僧という生涯を歩むことになった。 

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10.      しかし 聖職者になったとは言え  ’ やんちゃ ’ な本性は 変わることがなく、

50歳の時 赴任先の サンタ・マルゲリータ修道院で見染めた 23歳の美しき修道女 

ルクレツィア・ブーティを祭礼から連れ出し、駆け落ちしてしまう。  見事な ” 破戒僧 ” となったのだ !10

 (   ボッティチェリ 「 マニフィカトの聖母 」    )







11.     神に背いた 破戒僧の運命は 誰が考えても 厳しいものだったはずだが、 なんと 

当時 権勢を誇り 芸術への援助を惜しまなかった  コジモ・デ・メディチの 教皇への取り成して、

’ 正式な結婚さえすれば許される ’ という寛大な裁定が下った。    




” 破戒僧リッピ ” が 命懸けで奪った 修道女ルクレツィアをモデルとして描いた 「 聖母子と二天使 」は

リッピが辿り着いた究極の美であり、 またある意味 ボッティチェリの芸術の出発点だったかも知れない ・・

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(  ボッティチェリ 「 パラスとケンタウロス 」、 2015年東京でのボッティチェリ展に出品された看板作品 )





12.           屋上テラス La Terrazza で一休み。   

U型回廊の突端からは アルノ川、  ポンテヴェッキョ、 カヌー水球の様子などが見えました12







13.        今回のブログで掲載できなかった作品は 山のようにありますが、 

名作は ネットやら画集でいつでも見ることが出来るでしょう。 

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最後に  bellaが選んだ 胸像を二つ。



作者名は見逃しましたが、 心の内面を映し出した 静かで趣きがある女性像でした ・・






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2015年6月 5日 (金)

フィレンツェ「ヴェッキョ橋の宝石店」店仕舞いは雨戸を降ろして

イタリア、花の都 フィレンツェ    見るべきものが多すぎて 観光も どこから手を付けたら良いか 

分からない程ですが、   今回は 手始めに 「 ヴェッキョ橋 」 を訪ねます。





01.       小高い丘の上にある 「 ミケランジェロ広場 Piazzale Michelangiolo 」 から 街を一望。

フィレンツェの街並が  一面 光り輝くように浮かび上がりました ・・

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02.      「 アルノ川 Arno 」 に架かる幾つかの橋のうち  建物が付着した 変な形の橋がある。

あれが 有名な 「 ポンテヴェッキョ Ponte Vecchio 」 ! 

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03.        世界に名だたる ポンテヴェッキョ、 

橋の上は元より   橋に続く北側の通りも 南側の通りにも人が溢れている。




東京には ” 新橋 ” という地名があるけれど、  「 ポンテヴェッキョ Ponte Vecchio 」 は

文字通り ” 古橋 ” という意味で、  フィレンツェ最古  先の大戦でも焼失を免れた唯一の橋なのです。



現在の橋は 1345年に再建されたものだから  やっぱりかなり古い!

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04.       ところで 橋の上には 「 パラッツオ ベッキョ 」 と 「 パラッツオ ピッティ 」

という2つの宮殿を結ぶ 1km程の 「 ヴァザーリ回廊 Corridoio Vasariano 」が 張り巡らされている。



暗殺を恐れたメディチ家の人々が 一度も路上に降りることなく 安全に宮殿を行き来するための通路でした。 

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05.        さらに 橋の欄干からはみ出すようにひしめく 金細工師たちの宝飾店の四角い箱(家)が 

ポンテヴェッキョらしい 独特な景観を作っている。

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06.       ところで、 ここの宝飾店は  観光客相手の手軽な店、と思ったら大間違いで、 

500年以上も続く フィレンツェの金細工の歴史を守り育てて来た 老舗ばかりが 軒を連ねている。



勿論、手を出しやすい価格帯の品もないと 客を呼べないが、     いずれにせよ

浅草の仲見世のような感覚では お買い物が出来ないかもしれない ・・

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07.     フィレンツェの金細工は、 ルネサンス後期の伝説の彫刻家チェリーニを源流とした 

古風なデザインを踏襲する傾向が基本的と言われている。  昔、私がここで買った ヒスイと繊細な金細工の 

揺れる大ぶりのイヤリングは   パーティなどではすごく活躍してくれたものでした。   しかし、



そうした ちょっとアンティークなデザインの一方で   ニューヨークあたりを発祥とする新しい風が

ポンテヴェッキョにも吹いているらしいので、 じっくり選ぶには やはり時間の余裕とお金が必要そうですね。  

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08.       もちろん宝飾店ばかりでなく イタリアンカラーの いろいろな楽しいお店も並んでいる。


イタリアの長靴型のリキュール、 お洒落なデザインですね !   

私は、 ビンは結構重たいので 旅が終わり 出国前に ローマで同じものを買いましたよ ~

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09.       ジェラートで有名なイタリア、  さらに その発祥の地と言われるフィレンツェには

ジェラートの有名店が 多数あります。    ディスプレイの方法も なんだかお洒落です ・・

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10.       さて、 ポンテヴェッキョの中央の小広場に  ルネッサンス時代の伝説の金細工師 

チェッリーニの銅像が建っている。    夜も7時頃  観光客の熱気は まだまだ収まらない。

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11.           そして7時半頃、 宝飾店の店仕舞いが始まる。  

小屋根代わりの板雨戸を 棒で引き降ろし、 ガッチリと錠前を掛ける。  



何百年も続いてきただろう 彼らの店仕舞いのやり方に 思わず 見入ってしまいました ~
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12.        ポンテヴェッキョの宝石屋、 昼の喧騒を逃れ ホッと一息つきました。

2階に住居部分があります。        このあと さらに灯りが半分落ちる頃、



金銀財宝をしまい込んだ四角い家並は 何とも言えない 一層の古ぼけた趣きを醸し出すのです ・・

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13.      街角で オペラ歌手のたまごが、 痩せてはいても 見事な声量でカルメンのアリアを歌いました。



カーディガンをしっかり着込んでいた彼女でしたが、 歌うにあたり カーディガンのボタンを上から下へ外し、

胸を一杯に広げて歌い始めました。    チップを沢山もらう為、と言えばそうかもしれないが、

やっぱり 胸の鎖骨が見えたら オペラらしく、 ムードが出ましたよ ・・・ !    



芸術は 中身ばかりでなく  ’ かたち ’  も大切ですね   ^&^

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引き続き フィレンツェを巡ります。  紹介させていただきたい場所や絵画が多すぎますが

なるべく 厳選したいと思っています ~





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