「ル・ピュイ」は巡礼路の起点・溶岩峰のてっぺんに礼拝堂!
フランス中南部、リヨンの南西130km辺りに 「 ル・ピュイ アン ヴレ Le Puy En Velay 」がある
その町の特異な景観は 一度目にした 誰しもの脳裏に 忘れ難い印象を残すに違いありません
01. 山道を進むと、 ドンジョンと城壁がぐるりと取り囲む玄武岩の台地が現れた。 まるで舞台装置のようだ!
これは 「 ル・ピュイ 」の北西5kmにある 「 ポリニャック城 Chateau de Polignac 」
ボルヌ川の浸食で削り取られた台地が 周囲の平野より100mも高く すっくと突き出ている
02. そのあと 「 ル・ピュイ 」に着き 高台から見渡すと
てっぺんに礼拝堂や像を頂く岩山が 台地のあちこちから ニョキニョキと生え出ている
まず、 向かって左側の 「 コルネイユ岩山 Rocher Corneille 」 に登ることにした
03. 岩山の頂上には 「 ノートルダム・ド・フランシス像 」 が建っている。 高さ16mの
この赤い像は、19世紀中頃 クリミア戦争の戦利品として手に入れた213基の大砲を 溶かして作ったのだそうだ
道理でちょっと新しく、 ちょっと奇抜な造りでした ~
像の内部を 螺旋階段で登ると 一面の落書きが ~ ! 観光地の宿命みたいなものでしょうか・・
04. さて、 フランスにも火山があることを知ってる人は 数少ないかも知れないが、
ル・ピュイを含むオーベルニュ地方は 火山のデパート、 色々な時代の火山が揃っており
独特な観光地巡りを楽しめます・・
このあたりにも火道が通っており、 かつての火山活動が そそり立つ尖峰や陥没盆地やらを生み出したのです
赤い像の小窓から見えるのが 「 ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame 」
創建は430年で、かなりの歴史を誇っている。 次はこの大聖堂を訪ねます
05. この大聖堂、 実は スペインの ” サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路 ” の
出発点として 今日でも多くの巡礼者を集めている。 彼らは 聖堂正面のポルタイユから始まる大階段を降り
門前町を通って コンポステーラへの歩みを始めるのです
06. ル・ピュイは 司教座所在都市として 11世紀には既に繁栄していましたが、 大挙して
やって来る巡礼者がもたらす莫大な税収などを巡り 近隣諸侯との争いが絶えず、 この大聖堂を要塞化せざるを得なくなる
聖堂界隈には 石垣がめぐらされ、 教会・回廊・居住部などの建物の窓には鉄枠が付き、 出入り口は細く狭く、
聖堂を頂く玄武岩の小山全体が 厳めしい石の砦となった所以です
07. 大聖堂を頂点に 町のあらゆる個所が急峻な坂道になっているので、 観光は一苦労でした !
でも、学生さんたちにとっては 甘酸っぱい青春のシーンは 常に 坂道と共に記憶されることになるのでしょうね ・・
08. ノートルダム大聖堂の「 黒マリア 」、 抱かれている幼子キリストの首が衣から出ている姿が印象的。
聖祭などで 違う色の聖衣をまとうのですが、 聖衣の下 幼子をどのように抱いているか、と 裸像が気になります!
サンチャゴ・デ・コンポステーラの守護神、「 聖ヤコブ 」 も 出発する巡礼者たちを見守っている。
帽子のホタテ印しで ヤコブだということがわかりますよ
09. 最後が 「 サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂 Chapelle St-Michel d’Aiguilhe 」
礼拝堂を頂く 高さ82mのこの溶岩峰の姿は まさに奇景、 ” ル・ピュイの顔 ” と言える風景です
268段の石段をよじ登って 礼拝堂に到着。 創建は969年、 生活が不便で素朴だったかつての時代、
礼拝堂を作る石を運び上げた時も ここで祈りを捧げた時も 幾多の困難が待ち受けていたことでしょう ・・
10. この礼拝堂は 1、034もあるフランスの文化遺産の中でも 19世紀末 最初の選考リストに載せられた
と言うことですから、 その人気の程と重要度がわかります
礼拝堂入口のアーチは エキゾチックな ビザンチン様式のアラベスク模様とモザイク石で彩られている
内部は素朴なロマネスク様式で、 天井などの壁画は薄れてはいるけれど 古びた色合いが魅力的でした
11. 登るにも降りるにも かなりの勾配で 足を踏み外したら大変なことになりそうです !
12. さて ル・ピュイは 巡礼の人々の祈りを受け入れる厳粛な町ではあるけれど 町は普通に明るい。
’ 聖母の被昇天祭 ’ ’ 鳥撃ち競技会の仮装フェスティバル ’ など 人々の熱気が爆発する機会も多々あると言う
覚悟を決めた立派な巡礼者でなくとも、 私のように 物見胡散で出かけても
十分に感動を味わえること間違いなしでしょう!