南仏アルビ 「ロートレック美術館」 だってフランス人だもの!
南仏タルヌ県にある 「 アルビ Albi 」 は ローマ・カトリックと
厳格な規律を持つカタリ派との激しい宗教抗争が続いた時代、
十字軍の派遣などによる戦乱期、 などを経て
ルネッサンス期に 商業・産業の繁栄を謳歌した街だ。
01. 「 サント・セシル大聖堂 Cathedrale Ste.Cecile 13C 」
天に伸びる塔を持たない 城塞のような独特の外見だ。 これは
現実的権威と威光を 民衆や内外の諸勢力に見せ付けんと意図したもの。
創建の300年後に ベッドの天蓋みたいな入口ポーチが付け加えられた。
とにかく 全体が馬鹿でかい。
02. 傑作大壁画 「 最後の審判 16C 」
上段は 黄金の後光を持つ使徒、 すでに教会に迎えられた聖人
中段は 自分のこれまでの行いをまとめた報告書を持ち審判を待つ人々
下段は 地獄に落ち 罰を受ける人々
さて、 私なら どんな報告書を書くのだろう ・・・
聖堂内部は 全面美しい装飾模様が施されている。 個人的には
ストラスブールと並んで フランスの最も美しい聖堂の一つだ。
03. アルビに 種々の繁栄をもたらした 「 タルヌ川 Le Tarn 」
手前が 「 古代橋 Pont-Vieux 」、 向こうが 占領ドイツ軍が撤退した終戦の
記念として 名づけられた 「 1944年8月22日橋 Pont 22Aout 1944 」
ポン・ヴィユーや旧市街の町並みは アルビの司教都市として、
ユネスコの世界遺産に登録されている。
04. アルビの家々は タルヌ川流域で取れる粘土を原料としてつくる
バラ色の煉瓦で覆われている。 南仏の強い日差しにお似合いの色だ !
アルビ帽は アルビジョワ Albigeois 独特のムードを醸し出している。
05. さて ” 煉瓦色の肌 ” を持つこちらの男性は如何でしょ。
話しかけるのも恐ろしかったけれど、 彼は親切に道を教えてくれ
ちょっとした荷物を わざわざ階段下まで運んでくれました ~
06. 「 サン・サルヴィ回廊 Cloitre Saint-Salvy 」 清楚な白い花が
咲き乱れる中庭で遭遇したのが 熱狂的三島由紀夫ファン。
ミシマ!ミシマ! 彼はいいよ、凄いよ、 日本人なら知ってるだろー
しかし その人は相当酔っていた、、 絡まれそうだ、、 危ない、、
日本びいきのフランス人は ある種インテリだ。
でも ここでは 申し訳ない、 私は一目散に逃げました ~~
07. とある街角、 少々奥まった広場で 幼稚園の発表会
08. お兄ちゃんの発表会について来た弟くん。
今は ぬいぐるみなんかを抱いてるけど、 もうすぐ 可愛い女の子を
その腕に抱き寄せるに違いない。 だってフランス人だもの !
09. とある街角、 ワン公の落し物、 坊や 無事通り抜けました ~
10、 とある街角、 こちらでは 盆栽と盆栽本が売られていた。
少々 作りのあまい仕立てではあるけれど 日本人としては何だか嬉しい。
さらにロートレック美術館の入口にも 竹ささが植えられ灯篭が置かれていた。
11. 13世紀に建てられた司教館 「 ベルビー宮 Palais de la Berbie 」 が
今は その 「 ロートレック美術館 Musee Toulouse Lautrec 」 になっている。
12. さて、 美術館に入ったのが 11時25分。 昼休みがあるなんて
想像だにしなかったが、 11時55分には 追い出しをくらった!
あれよあれよという間に 行く手のドアが閉められ 通路に鎖が張られ
私達は出口へと誘導された。
ランチタイムは働くスタッフにとっての権利だし、 甘い顔をしていたら
観光客は永遠に出て行かないことを彼らは知っているのだろう。
きっちり合理的だ。 だってフランス人だもの !
13. この美術館に収蔵された 1060点の作品は ロートレックの母親
アデール伯爵夫人がアルビ市に寄贈したものだ。
ツールーズ伯爵家の跡継ぎとして 父親がロートレックに寄せた期待が大きかった分
不具となった息子への落胆ぶりは甚だしく、 父子はほぼ絶縁状態。
唯一母親が 陰ながらロートレックを支えたと言う。
有名な多くの絵画やポスターの中で 特に この母の像が私の心に残った。
ロートレックは あんなに小柄で 確かに不遇の人生だった。
でも パリでは絵を描き 人と交わり 美食にこだわり、
不幸の裏側で 濃密なバラ色の人生 La vie en rose を送ったかも知れない。
だってフランス人だもの !
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