南仏画家の町

2014年8月 1日 (金)

「ゴッホが入院したアルルの病院」と「ゴッホのお菊さん」

ゴッホが 南フランスのアルルで生活したのは 1888年2月から1889年5月まで、

短い滞在でしたが 今日のアルルには 大きな財産を残したと言えそうです




生涯に1000点以上の作品を残したゴッホでしたが 

アルルでは ひまわりや糸杉ばかりでなく 彼が触れあった人物の絵も描いています






01.    「 郵便夫 ジョゼフ・ルーラン Portrait de Joseph Roulin assis 」

ルーラン夫婦については それぞれをモデルとして 複数の絵を描いていますが



ゴッホは ジョゼフの風貌がソクラテスのようで気に入ったらしく、ジョゼフの方も 後に 入院したゴッホを見舞っている

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02.    「 ラ・ムスメ La Mousme 」  ピエール・ロティの小説「 お菊さん 」から


発想したタイトルだが、  ’ むすめ ’ という日本語に ゴッホは フランス語に翻訳できない 可愛らしさ 

優しい快活さなどのニュアンスを感じ取ったらしい

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03.     当時の「 アルル市立病院 」 を そっくり復元したもので、 今は ゴッホのメモリアル、

「 エスパス・ヴァン・ゴッホ Espace Van Gogh 」 と呼ばれている

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04.     1888年12月23日、 ゴッホは 例の 自らの耳たぶを切り落とす事件を起したあと

アルル市立病院に収容される。       12月30日の地方紙「 ル・フォロム・レピュブリカン 」は、



「 先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が 娼家1号に現れ、

ラシェルという女を呼び ” この品を大事に取っておいてくれ ” と言って自分の耳を渡し姿を消した 」と報じた

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05.     他方、ゴーギャンは ゴッホの弟テオに 来て欲しいと電報を打ってから パリに帰る。  


想像を越えるような事件の勃発に ホトホト嫌気が差したであろうが、  ゴーギャンは 友人として

やるべき最低限の義務を果たして アルルを去った ・・ 

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06.     「 アルルの病院の中庭 Jardin de l’ Hopital a Arles 」

ゴッホが入院していた当時の病院は 16世紀以来 Hotel-Dieu Saint-Espirit と呼ばれていた。



しかし 医療の近代化に伴い 診療機能が徐々に他に移され 1986年には この病院は完全に閉鎖され、 

ゴッホ絵画センターとして ゴッホの絵を参考に 当時の病院の姿が再現されたのは つい最近のことになります

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07.     ゴッホが アルル時代後半に住んだ 「 黄色い家 」 は 現在は跡形もないが、 



「 夜のカフェテラス Terrasse du cafe le soir 」 に描かれた 当のカフェ、

Cafe Van Gogh の方は これまた彼の絵そっくりに 1990年に再現されました

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08.    ゴッホの跳ね橋も 病院も カフェも 平たく言えば 観光客誘致のため再建されたとは思うが、


わずかな滞在期間だったにも拘らず ゴッホが来てくれたことで ’ゴッホの町’ という大きな価値を得たアルルが

そうしたメモリアルを再建するのは 市民にとっても意味あることに違いない

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09.     それに付けても 当時の新聞に 「 オランダ人風景画家が精神能力に狂いをきたし、

過度の飲酒で異常な興奮状態になり、住民、ことに婦女子に恐怖を与えている 」 などと報じられたゴッホが



後年、世界中で知らない人がいないような 偉人画家として 再びアルルに富をもたらすことになるとは

いったい誰が想像しただろうか ・・  ゴッホゆかりの建物などが 保存されなかったのも当然でしょう !

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(  「 古代劇場 Theatre antique 」 紀元前1C   )






10.    さて その後 ゴッホは アルルの北東20kmにある サン・レミの精神病院に移される。



サン・レミへは プラタナスの並木道が延々と続く ・・     もともと フランスの田舎の風景は 

並木道と切り離せないが、    この長い並木道は とりわけ美しく、 心に響くものでした

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11.     さて 先ほどの小説 「 お菊さん Madame Chrysantheme 」を書いた

ピエール・ロティ Pierre Loti は、 1885年と1900年に 実際日本に来ている


小説は 長崎で3か月暮らした 海軍士官が うら若い日本人の娘と生活した模様を 日記風に書いたものだそうだ





っと、 ここで思い出されるのが 「 蝶々夫人 Madame Butterfly 」

実際 蝶々夫人は 「 お菊さん 」が 巷で大流行したのを踏まえて、 その10年後に作られたものだ




「 お菊さん マダム・クリザンテーム 」のオペラの一部を 私は FM放送で聞いたことがあるが

「 マダム・バタフライ 」 共々、 

一種のジャポニズムの流行が こうした作品を生み出したことは間違いないでしょう

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12.     ロティは 必ずしも日本を賛美だけしている訳でなく、 一部侮蔑の感情もあったらしいが


浮世絵などを通して日本の美に傾倒していたゴッホは、 小説「 お菊さん 」から 未だ見ぬ日本への憧れを

一層強くし、  油絵で 可愛いお菊さん ” ラ・ムスメ ” を描いてみようとしたと言う。




アルルの光や色は 日本の版画のように美しいと言ったゴッホが 本当に日本に来たらどう思ったかは別として、

日本人としては ゴッホにそんなに憧れられたことは  嬉しいような、、、 気恥ずかしいような、、、

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さて、 ツールーズ・ロートレックが ゴッホのポートレイトを描いている





南フランス風の光と色に染まったゴッホですが  

心の中に潜む病根と頑固さもちゃんと表現されていますね ・・

       
  

2014年7月25日 (金)

「ゴッホの跳ね橋」 そして美しく逞しい「アルルの女」

 
「 アルル Arles 」 は 伝統を守る南仏・プロヴァンス地方でも とりわけ個性的な街、




ビゼーの戯曲 「 アルルの女 」 や ゴッホの数々の名画などを思い出すが

町の歴史は非常に長く、 紀元前まで遡れる







01.   アルルは ローヌ川と地中海と風の作用によって生まれた「 カマルグ La Camargue 」

と呼ばれる 沖積平野の縁にある

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02.    「 円形闘技場 Arenes 」、  アルルがローマ時代の首都だった 紀元75年頃の建造



もう2000歳以上だという その石肌は 何とも言えない風合いだ 

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03.    アレーナの観客席は時代ごとに改修され 今も闘牛やフェスティヴァルに使われている。



因みに カマルグ式と呼ばれるアルルの闘牛は 牛を殺さず 牛の首から紐を外す競技だそうだが

他に ’ ちゃんと牛を殺す ’ スペイン式闘牛も 年に数回行われる

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(  アレーナの外側は 楕円形の道路に沿って  店屋などが 続いている   )







04.    「 ラングロア跳ね橋 Le Pont d’Langlois 」   

1912年当時の橋を 場所も変えて 再現したもの

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05.     ゴッホは弟のテオに    ” 様々な色の上着と帽子を身に着けた洗濯女たち、 

青い川の水と緑の草が生えるオレンジ色の土手、 橋を渡る小さな馬車が青い空にシルエットとなる、

そんな絵を 今日3月15日(1888年)描いた ”  と手紙を送っている

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06.     さて、 市庁舎では 2組の ’ アルルの女 ’ の結婚式がありました



花婿 花嫁 双方の両親を交えて記念写真 ・・

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07.      こちらは 父親が消防署関係でしょうか・・   カッコいいですね!

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08.     華やぐ広場の向こうは 「 サン・トロフィーム教会 Eglise St-Trophime 1080年 」


正面入口の 「 ポルタイユ Portail 」 は 12C末のプロヴァンスのロマネスク様式の傑作とされます

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09.     外の喧騒をよそに 「 内庭の回廊 Cloitre 1150年 」は 光と静けさに満たされて ・・

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10.     さて ” アルルの女 (Arlesienne アルルジエンヌ )” は 美人で有名です

特にアルルの「 衣装祭り 」では、 民族衣装に身を包んだ女性達が  さらに 一層の魅力を放つ !



このようなクラシカルな髪形やレース襟が 万人を美人に仕立てるのは間違いないようですが 

祭りの期間中 彼女らは このドレス姿で 馬に乗ることだってあるのです ! 




’ アルルの女 ’ の真髄は 単に美しいばかりでなく、普段着の女性たちのように 逞しいという側面もありそうです

(   折り畳みが出来る赤い麦わら帽は ローカル色があっていいですね ~!   )

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11.    ゴッホとゴーギャンも1888年11月に アルルの女、 ジヌー夫人 Madame Ginoux

を一緒に描いている。  ゴーギャンがマダムの向かって左側に ゴッホが右側にいたことがわかる。




ゴーギャンは その場でさっさとデッサンを仕上げて 後日油彩で仕上げたが、 

ゴッホは例によって  絵が完成するまで 現場で描いた

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12.    因みに ジヌー夫人は ゴッホが間借りしていた カフェドラガール Cafe de la Gareの

女主人で、 当初 大家と間借り人という事務的間柄でしかなかったが、 



ブルターニュのポンタヴェンから  ゴーギャンが到着した途端、その関係が一変する。

礼儀正しいゴーギャンの態度に マダムの心が 即打ち解け 絵のモデルになることも快諾したという次第。




絵の描き方でも人間関係でも 不器用で融通の利かないゴッホと 

一旦物事を ’ 形而上 ’ に置き換えて 再処理できるゴーギャンと 

うまく行くはずのない間柄だったなあと 今更ながら 思ったものでした

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街角で 主を待つ 自転車と編みかご。   ビニールやポリエステルに取って代わられない文化。




これぞアルル、 これぞプロヴァンス、  そして 絵に描いてみたいようなシーンでもありました ・・・





  bicycle                   bicycle                    bicycle

 

2014年7月18日 (金)

「セザンヌが愛したサントヴィクトワール山」ひと気もなくホテルもなく・・

エクサンプロヴァンスの東側に 画家 ポール・セザンヌが 40点余の作品を残した

「 サントヴィクトワール山 Montagne Sainte Victoire 」 がある






01.     エクスの街を出て 10分も走ると サントヴィクトワール山が見えてくる

斜めに傾いだ松の木が 早速 セザンヌの絵を彷彿とさせる

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02.     「 サントヴィクトワール山と大きな松の木 1885年 」  


この地域は風が強いのだろうか、 それとも 松の木の本性だろうか、 

枝先の自由奔放な暴れ方が 絵画のモチーフとして打ってつけだ ! 

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03.      白い石灰岩で出来た「 サントヴィクトワール山 」 は 幅5km 

方位的にもぴったり東西に18km連なっている。  この辺りが ほぼ 連山が始まる地点です

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04.    日の当たり方によって 白さがひと際輝く。    「 サントヴィクトワール山 」は

13世紀には 既に聖なる山として崇められ 山頂に教会が建てられた。 小さく十字架が見えますね

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05.    いつも驚かされるのだが、 ヨーロッパの山々や岩壁の どれほど孤絶した所にも 

あまねくキリスト教が触手を伸ばしている。  このサントヴィクトワール山も セザンヌ時代のずっと前から 

聖なる山だったことが  近づくと ひしひし実感として伝わって来る

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06.     ロバや馬などが 放牧されている     山脈はこの先も東へと続く ・・

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07.    セザンヌは 西側から見た 三角形の 横顔のサントヴィクトワール山を多く描いている

彼の時代には車は無かった訳で このあたりまでは 彼は殆ど来なかったのではないだろうか

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08.     先程の十字架が 遥か西側へ遠ざかり、光も逆光気味となって来た

高さ19mのこの 「 十字架 La Croix de Provence 」は 1875年に建てられたもの

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09.     さて、 この日は この付近で泊まろうと、ホテルを探した

世界に冠たるサントヴィクトワール山だ、 ホテルなど うじゃうじゃあるのではないかと想像していた ・・



ところが 山裾には ホテルどころか村も家もない。 

ようやく見つけた一軒のレストランで ボンジュールと声を張り上げたが シーンと応答がない

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10.     ところで セザンヌはりんごの絵も 60枚ほど描いている 

この絵でも りんごがテーブルから落ちそうだが 不思議な均衡が保たれている



「 自然の形を円筒と球と円錐とで処理せよ 」といった 彼の諸々の絵画技法の話は別として、  

一つだけ特筆するとしたら

右上の布の塊りは 紛れもなく彼の 「 サントヴィクトワール山 」だ と言うことだ



テーブルクロスとか 山高帽などに 彼はサントヴィクトワール山を 忍び込ませたらしい

セザンヌの絵を見る 小さな楽しみが見つかりそうですね ・・ 

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11.     さて、有名なサントヴィクトワール山付近が 何故 あのように閑散としていたのか・・



実は 山の向かい側には 「 高速増殖炉を持つ ラプソディー原子力発電所 Rapsodie 」があるのです !

1967年に初の臨界に達したあと 1983年に発電所は閉鎖され、  現在は 煙突から水蒸気の煙が

出ているだけで、 美しいラベンダー畑に囲まれ のんびりした様相を呈しているらしいが、 



いずれにせよ このあたりは 

もともと ” 観光地ではなく 原子力発電所用地として選ばれるような地域であった ” ということなのです・・ 

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サントヴィクトワール山の 少し高い所に登らないと発電所は見えないので、 参考として 

同じプロヴァンスにある 「 マルクール トリカスタン発電所 」の写真を掲載しました







12.    原子力発電大国のフランスには 数多くの発電所があるが、 興味深いのは 海沿いよりも

ローヌ川 ロワール川 ガロンヌ川 セーヌ川など 内陸の川沿いに多くの 原子力発電所があるということ。



技術的なことは難しくてよくわからないが、 日本とは地形が はなはだ異なっていることだけは確かだろう

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結局、 その日は さらに20数キロ東へ進み、 マグダラのマリアの遺骨が納められた

バシリカ聖堂がある 「 サン・マキシマン・ラ・サント・ボーム 」 という町の星付きホテル・レストランで 



これぞ伝統的フランス料理 ! というものを いただく結末と相成りました ~
    

2014年6月27日 (金)

エクサンプロヴァンス「人嫌い・セザンヌのアトリエ」

南仏 「 エクサンプロヴァンス Aix-en Provence 」 は 紀元前からの歴史があり、

今日では 芸術・学術が盛んな プロヴァンス地方の中心都市となっています

特に 画家ポール・セザンヌ P.Cezanne の故郷として 多くの観光客が訪れている






01.    街には 樹齢数百年というプラタナスの並木が 涼やかな影を落とし、 

大聖堂や 古い貴族の館・大学が点在し 知的で端正な雰囲気を醸し出しています

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02.    セザンヌは 大変気難しく 人付き合いが悪かったので 人々から敬遠されていました

特に かれの女嫌いと潔癖症は有名で 女性とちょっとすれ違って洋服が触れただけでも 何度も拭ったという

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03.    後年 母親と妹と妻オルタンス、3人の女性が同居することになるが

この3人は折り合いが悪く いつも喧嘩ばかりしており、  険悪な家庭生活の中で 唯一の救いは

一人息子 ポールに向けた愛情だった

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(  サントヴィクトワール山が見える丘に通じる坂道と アトリエへの入口   )







04.    1897年 母親の死を契機に 妻との関係が修復するやにみえたが、 嵐のような日々が

収まることはなかった。 セザンヌは 1902年に、 財産の権利から妻を除外し 全てを

息子に与えるという遺言を書いた。  その時 妻オルタンスは 彼の母親の形見を燃やしてしまったらしい

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05.     そういう訳で ここレ・ローヴに建てたアトリエは セザンヌにとって単なる仕事場ではなく

妻を含む 様々な人間関係から逃れ、 心の安らぎを得るための聖域だったのです

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06.     セザンヌは 地方銀行家の息子でしたから 生活のために働く必要はありませんでした。

しかし、フェルト帽製造の事業でも成功した父親が、 当然のように 彼に跡継ぎを期待していたので

その気がないセザンヌにとって、 父親からの束縛感はかなりの重圧でした。  しかし 父親が死ぬと 



父が残した莫大な遺産により 経済的不安から解放され、 芸術活動に専念出来ることになったのです

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07.     さて、 安定した光と静けさの中にあったアトリエには  英語で 熱心に解説する

ガイドの声が響きました ・・ 日本人用には クリアファイルに入った日本語の解説文が置いてありましたよ

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08.     写真は当然禁止ですので、 ドアの外からパチリ!  

正面からのちゃんとした姿は 絵葉書を買うことになります ~  

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09.     セザンヌが描いた絵のあちこちに、テーブルなどアトリエの備品を発見することが出来ますが

棚の上のびん類などは 地震のない国でよかった! と 思わざるを得ません ・・

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10.     《 台所のテーブル 》 はdown 対象物を 一つの視点から そのまま正確に捉えるのでなく 

複数の視点から見たものを 一つの画面に再構成するという 新機軸を確立した有名な作品で、 後の 

多くの画家たちに 革命的な影響を与えたと言われています




我々がこのような絵を描くと ’ おい君、デッサンが狂ってるよ  ’ って 絶対言われそうです !

逆に言えば、’ セザンヌのように 複数の視点で描いているのよ ’ って 言い訳できそう !? 

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セザンヌの写真は 彼が心を許した数少ない人物の一人、後期印象派画家エミールベルナールが撮ったもの  up

 







11     上の作品では もう一つ 別な発見があるかも知れません。 それは 彼は絵のあちこちに

彼の愛した 「 サントヴィクトワール山 」の面影を描き込んだ ・・という お話です



白いナプキンやテーブルクロスの皴や重なり具合が まるでサントヴィクトワール山みたいに見えないでもない



次々回の記事で  白いサントヴィクトワール山を 訪ねますので 是非見比べてみて下さいね ・・ 

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12.    セザンヌの晩年には 彼の絵も評価され 高額で取引されるようになりましたが



糖尿病など健康状態が悪化し、精神状態も不安定になり、対人関係が一層困難となる中

1906年、ここ エクサンプロヴァンスで肺炎により死亡しました

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彼のアトリエは 緑と光にあふれ、 なるほど、傑作がバンバン生み出されるに相応しいところでした




そして、 人嫌いのセザンヌが 美しいプロヴァンスの自然と 魅力的なエクサンプロヴァンスの街に

どれほど助けられたことかということも 想像に難くありませんでした 

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