南フランス コートダジュール

2014年6月20日 (金)

「イフ島」巌窟王の作者A・デュマは黒人奴隷の血を引いていた!

マルセイユの旧港から 南西に3km、シャトー・ディフ( Chateau d’If、イフ城 )行きの遊覧船が

出ている。   イフ島は 島全体が 要塞城となっているため そう呼ばれている







01.   片道20分ほどの航路だが、 船賃は往復で10ユーロ、城への入場料が5ユーロだ

6月の地中海、風を切って走る爽快さは ただ事ではない !

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02.    旧港の入江を抜けるあたりで 11Cに建てられたバシリカ聖堂や 二コラ要塞が

船の出入りに 睨みを利かせていた。    マルセイユはやはり 古い街なのだなあ、、、、

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03.    さて いよいよイフ島到着です。  イフ城は もともと 外敵からマルセイユの港を

守るため建てられたものでしたが、 やがて時を経て、 政治犯や宗教的犯罪者を収容する監獄という

役目を担うことになりました




潮の干満に合わせて出航する小舟の出口の鉄柵が 早くも牢獄をイメージさせる !

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04.    ところで このイフ島に降り立った観光客は十数人。 残りの大多数は 船を降りる気配がない。



満員の乗客に さすがイフ島は人気だなあと思いきや、 バカンスを楽しむ人々には 別の目的地があったのです

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05.     1531年に 要塞としての建設が完了した シャトー・ディフ(イフ城)でしたが、 

孤島という立地と 海流の複雑さから 脱獄が難しいと言う理由で、 牢獄となった訳ですが



ゴツゴツした白い岩肌と 無表情な石の城壁が 如何にもそれらしい雰囲気を醸し出していました ~

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06.     とりわけ この島が有名になったのは、1844年に出版された アレクサンドル・デュマの小説

「 モンテ・クリスト伯 (巌窟王)」に負うところが大きい。   主人公の 船乗りエドモン・ダンテスは 

無実の罪で この地下牢に 14年間も収監されたという設定になっている  

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07.     ダンテスは 獄中生活の中で 隣りの牢のファリャ神父に 学問と宝のありかを授けられる。 

神父の死後 島の脱走に成功したダンテスは 莫大な財宝を探し当て、 「モンテ・クリスト伯爵」と名を変え 

パリの社交界に登場する。    そして 復讐を開始するという痛快な筋立てになっている

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(  牢獄としての役割を終え、一般公開が始まったのが 1890年9月のこと  )






08.     ところで「 三銃士 」や「 モンテクリスト伯 」を書いたのが 大デュマ 

Alexandre Dumas,pere(父)であり、       「 椿姫 」を書いたのが 小デュマ

Alexandre Dumas,fils(息子)だ。      そして、 二人には

なんと 黒人奴隷の血が流れており、 特に 大デュマは 当時 ” 褐色の文豪 ” と呼ばれていた




侯爵として 身分も高かった彼の祖父だが、 ある時 西インド諸島に出かけ 農場経営に乗り出した。

その時 現地の黒人女奴隷との間に4人の子を設ける。その長男が 大デュマの父親だった、という経緯なのだ。 



西インド植民地生まれの白人を 一般にクレオール Creoleと言うが、 父親がまさにそれだった

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(  海溝を隔てて、 独特な形のマルセイユのシルエットが浮かんでいる  )








09.    世間的には 黒人奴隷の子孫として差別を受けた人生だったが、 一方で 大デュマは、 

190cmの上背があり 賢く 絶世の美男だった父親に 強い憧れと誇りを持っていた。 


アレクサンドル・デュマが 小説家・劇作家として成功を収めた陰には こうした弱点とも強みとも言える

人生の複雑なもろもろのファクターが 肥やしとなって 絡み合っていたのかも知れない 






因みに 高級娼婦を主人公とした 息子・小デュマの小説 「椿姫」も、 社会的成功者としての

華やかな側面と、 黒人・娼婦などへの 社会の差別を 身を以って経験したものが 土台となって

いたのかも知れない

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(   イフ島に別れを告げ 帰りの便に乗りました    )








10.     帰りは フリウル Frioul 諸島の別な島に立ち寄ってから マルセイユ港に戻った。



牢獄のイフ島とは異なり、  こちらの島は 海のレジャー施設が充実した 華やかなバカンス基地に

なっているのだろう。       ゾロゾロと 殆どの乗客が降りてしまった !

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11.           マルセイユ旧港に戻ってホッとしました ・・         ところで、

白人と黒人の血が混じった ” クレオール ”、 アレクサンドル・デュマが どんな顔だったか気になりますよね





彼は今 パリ5区の フランスの偉人たちを祀る「パンテオン」に埋葬されている。 同じく 牢獄として使われた 

ノルマンディー地方の モンサンミッシェル島の素晴らしさを見い出し 世間に知らしめた 文豪ヴィクトール・ユゴーに

遅れること100年、 アレクサンドル・デュマは やっと 2002年、 ユゴーの隣に眠ることになったのだ。




彼の埋葬が遅れたのも 人種差別等が原因だったとは 自由の国フランスにしては驚きです

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12.    さて、 マルセイユでの その夜の食事は 旅行史上一番くらい お金がかかってしまった !

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ブイヤベースが さほど口に合わないのを知っていたばかりに、 結局 単品で高い注文を重ねてしまったのだ





海沿いだからと言って 海の幸が安いとは限らないって 知っていたはずでしたのにね !!    sweat01 
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2014年6月13日 (金)

「マルセイユの朝市」そして「仏国歌ラ・マルセイエーズ」

フランス第2の都市、 「 マルセイユ Marseille 」 は 地中海に面した港湾都市









01.     マルセイユは 様々なモノ、人種、文化 が出入りする まさに海の玄関口で、独特な活気に満ちている


大きな船が着く埠頭は外洋側にあり、  この ラキドン入江 Lakydon に作られた  歴史的な

「 マルセイユ旧港 Vieux Port 」 は 今や 観光や商売の拠点として賑わっている

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02.    写真の中央左、 小さな「 マルセイユ旧港 」が ちょうど円形劇場のような配置で 
街にぐるりと囲まれている


ギリシャ・ローマ時代には この入江はもっと奥まで続いていたが やがて土砂で埋まり、停泊の用をなさなくなる

しかし その後の十字軍の活動や ピサやジェノヴァとの勢力争いなどを経て、 
ルイ13世が 今日の原型の港を築いたという。



マルセイユは 地中海の要衝であっただけに その歴史は 結構古いのです 

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03.    さて今日のマルセイユは 治安があまりよくないという噂もあるが、確かに パトカーが常駐していた

’ 刺青屋 ’ も 出ていた。    「 オーストラリア製の 天然素材インクで 描きます  5ユーロから 」

どうやら 本格的刺青ではなく、 いずれは消えるファッション刺青のようだ



欧米では 刺青は 肉体による直接的な自己表現の手段として 人気があり、 必ずしも ’ 悪人 ’ とは結びつかない 



先の話かも知れないが  東京オリンピックへの 海外の ’ 刺青観光客や選手たち ’ について 

潔癖症の日本人の感覚と どう折り合いをつけるかは 悩みどころかも知れない ・・・

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( POLICE の字が 逆さ字となっていますが、 バックミラーで見ると まともに見えるのです 

パトカーが後ろから近づいた時  無言の警告を発する仕組みらしい    )






04.     「 マルセイユの朝市 」  文字通り ” 産地直送 ” で  この上ない新鮮さ !

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05.     ベラ、カサゴ、メバルなど 小型の磯魚をはじめ、 ウナギやアジ 鯛 まぐろなど 様々だ。



マルセイユの名物料理 「 ブイヤベース 」は、 もともとは見た目が悪かったり 毒針があって危険などの理由で

商品価値のない魚を、 大鍋でまとめて煮込んだことから始まった という話が 思い出される

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06.     観光客は 生魚を買う訳にもいかないから、  ただ興味深そうに 取り巻いている

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07.     それでも 店主は 愛想がいい。 自分の腕に巻き付いたタコもろとも 写真を撮らせている


(    隙を盗んで タコが スタコラと逃げ出しました ~  !   )

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08.     とにかく 凄い人出です !            ところで、


こちらの ” ヒトデ ” と ” サザエの目( 日本ではサザエの蓋 ) ” は お守り用だそうですよ


因みに サザエは 俗称Sainte Lucie 聖ルーシー、 ホタテはSaint Jacques 聖ヤコブと

聖人名で呼ばれるなんて 面白いことです ・・

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09.     「 ノートルダム ドラ ガルド教会 Notre Dame de la Garde 」 19C 



01.の写真で 丘の上に見えた教会です。  標高は162mですが  登り道は 数字以上にきつい勾配でした~   

しかし この丘からの眺めが 実に華やかな絶景で、 マルセイユ有数の 観光スポットだと言うことがよくわかりました




ここにいた 物乞いは ずっと 長い時間 この体勢のままで 、、、 

お金をもらうという目的以上に  自分に 何か課題を課しているかのようにも見えました ・・

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10.     この丘から見えるのが 「 イフ島 Chateau d’If 」  アレクサンドル デュマの小説

「 モンテクリスト伯 」 の舞台となった島、      後に訪ねることとなります

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11.     アラブ人街の マルシェ。   雑多な人種の 底知れないエネルギーが ムンムン !

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12.     さて蛇足ですが、フランス国歌は「 ラ・マルセイエーズ La Marseillaise 」でしたね



実は この歌は 当時敵対していたオーストリア軍を倒すべく フランス北東部 ライン川の西、 ストラスブールに

結集した フランスの部隊「 ライン軍 」 を鼓舞する目的で 作られた歌でした



軍人なのに 詩と作曲の才能に恵まれた ある工兵大尉が 1795年4月25日 一夜にして作った曲で、 

まさに天から降りてきた 空前絶後の名曲だったと言えそうです。

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魂が震えるような曲調がたちまち人々の心を捉え、 引く手あまた、 楽譜パンフレットが あちこちに配られました。 



中でも とりわけ、  首都・パリ防衛のため マルセイユを出発した「 マルセイユ義勇団 」 が 

パリに向かう道すがら 事あるごと、場所を選ばず、この歌を歌い広めたことから ” マルセイユ人達が歌う歌 ” 


と呼ばれ、  それが やがてフランス国歌 「 ラ・マルセイエーズ 」 となったのです





歌詞はと言えば 「 残忍な敵兵の雄叫びが聞こえるか、 彼らは やって来て 我らの子と妻の喉を掻き切るぞ !

武器を取れ市民らよ、 隊列を組め、 進め進め、 奴らの汚らわしき血が 我らの畑の畝を満たすまで !」  

実に血なまぐさい歌詞ですね ・・






ところで、  この曲が作られた 元々のきっかけは 外敵であったにせよ、 

実際は フランス革命やナポレオンの台頭 王政復古 共和制 などなどの

国内政情の変化にさらされつつ この「 ラ・マルセイエーズ 」は 生き残って来た訳です




soccer                soccer                 soccer





言葉の残忍さに 常に批判は絶えなかったようですが、  それでも 現代のフランス人が  ワールドカップで 

こんな国歌を歌ったら どれほど ’ やる気 ’ が起きるでしょうか 




” 石ころが 苔むすまで じっとそこに在らん ” なんていう歌詞の 君が代を歌っても、 ワールドカップなら

日本人の心に  静かなる闘志が むくむくと湧いてくるのですから  国歌って面白いものです




・‥…━━━☆   ・‥…━━━☆   ・‥…━━━☆





とりわけ勇猛果敢であったろう マルセイユ義勇兵たちとその風土に 思いを馳せながらの マルセイユ見物でした
  

 

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