セビリアとコルドバ アンダルシアの華

2014年4月 4日 (金)

「コルドバのユダヤ人街」・「見て!アラビア風 結婚式の正装ドレス」

スペイン アンダルシア地方の「 コルドバ 」 には イスラムとキリスト教の文化が混在しているが

もう一つ、 旧ユダヤ人居住区に 独特な賑わいが見られます







01.   「 メスキータ 」 北側の 迷路のように小路が入り組んだ地域が 「 ユダヤ人街 」



世界に散らばったユダヤ人の多くがそうであるように、 商売に才覚があった ここのユダヤ人は 

コルドバを首都とした イスラム教徒の支配する 西カリフ帝国の歴代王に 厚遇されました

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02.     しかし、レコンキスタが終わり ユダヤ人は追放されたのですが、 その雰囲気は今日でも


十分感じ取ることができる。    花々が飾られた白い壁の小路に 様々な商品を扱う店が並び、 

メスキータの大聖堂の尖塔 「 ミナレット 」 が その屋根越しに また 小路の狭い隙間に現れる 

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03.     金銀の線条細工や鉄細工とともに  皮の打ち出し細工も名物です


何を買うでもなく  こんな通りをぶらつくのは 本当に楽しいこと ・・ !!

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04.      ここは 「 アルカサル Alcazar( 王城 )」 14C  


イスラム王の宮殿跡地に キリスト教のカスティーリア王が建設した城だが、 アラビックな雰囲気が

濃厚に漂っている。        そして なにやら  城門付近に 大勢の人々が並んでいる

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05.     やっぱり 結婚式でした !

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06.     花嫁とその父親  花婿とその母親 、  それぞれ お互いよく似ていますね

花嫁はアラブ風の顔立ちです ・・   

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07.     週末ともなれば   結婚式に出くわすことは よくあることですが、  

アラブの正装ドレスを見るのは初めて  ・・  

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08.     イスラム文化とキリスト教文化が融合した 独特の雰囲気があるイベリア半島ですが

こうして  明らかに血統の異なる 2つの家族の結婚式を目の当たりにすると 改めて感慨深いものがありました 

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09.       アルカサルの外側では 馬車が 観光客を待っています

” ねえ、 僕たちも 仲良くしようね  ”

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10.     さて 夜になって 「 メスキータ 」 に明かりが灯る頃、 街角で音楽会がありました



フラメンコとはちょっと違う スペインらしいメロディとリズムだったが、 

舞台脇で 子供たちが 自然に踊り出す姿も 印象的でした ~

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11.      音楽の歓び と 健康美 !!

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12.     さて最後に 蛇足ながら 日常の一コマを。    観光客の来ない 地元民専門のバールで   

床にポイポイゴミ捨て 。   公徳心がどうこうでなく ここだけの いかにも気楽なくつろぎ方に見えました ~ !

      



赤ちゃんを抱いた女性、  普通の若いお母さん に見えますか ・・

人とすれ違う瞬間に  右手の平を人に向けて  ” お金を下さい ” と、 意思表示しています

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海外旅行で よく聞く 深刻な被害の話は別として、 ’ 変わった人達 ’ は いくらでもいるものです
  






ライターや花束、 風船や小物を レストランのテーブルに売りに来る人


車が信号待ちで止まった瞬間 道路に飛び出し、フロントガラスにスプレーをシュッとひと吹き きれいにさせてとねだる人


史跡の入場ゲートの 一歩手前で 制服っぽいシャツ姿で現れ ” 車1台あたり20ユーロです ” とだまし取る人


エスカレータの非常ボタンを押し、急ストップの反動で転ぶ人を助けるふりをして ポケットをまさぐるスリグループ


・・・  etc  ・・





旅慣れていれば、 写真のジプシーの母親のように 遠くから見ただけで すぐそれと見分けられる場合もあれば  

気を抜いていた瞬間  まんまと騙される場合もある ・・  
  





なんだかだ言っても 日本は平和です     異文化では  ご用心!  ご用心!

2014年3月28日 (金)

コルドバの華「メスキータ」・「パティオ」と日差しの話 

スペイン アンダルシア地方の 「 コルドバ Cordoba 」 は、 500年間 その支配を受けた 

イスラム文明と  レコンキスタ後のキリスト教文化と  流浪の民ユダヤ人がもたらした経済的活況と 

三つ巴の 複雑な魅力を湛えた 美しい街で  一度は訪れてみたいところ  !     

 


01.     コルドバと言えば 「 メスキータ Mezquita 」

 正確には 「 Mezquita-Catedral メスキータ ・ 大聖堂 」 

 

つまり イスラム文明のモスクに キリスト教の大聖堂が 奇妙に共存している建物なのです

 眩い外光から 暗い堂内に入った瞬間、  850本の円柱の森に 迷い込んだ気分になる ・・

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02.      「 ミフラーブ Mihrab 」     この彼方に メッカがあり、 

信徒たちが導師に導かれて 祈りのために額ずく場所だ。   金地のモザイクは 怪しく豪華、 


アラベスク文様や コーランや碑文を書くアラビア語の書体で 覆われている 
 

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03.     四角い堂内は 785年 848年 961年 987年 と 造られた年代が分れるが、

最も初期の このあたりのアーチは  01.と 比べても いかにも古そうです

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04.     この四角いモスクの ど真ん中に キリスト教の大聖堂が建てられたのが 16世紀、

モスクの中央部の屋根を取り除き 高い円天井を設け、 袖廊や後陣 説教壇や聖職者席などをしつらえた


しかし この豪華絢爛な聖堂に 当時のカルロス5世は ” どこに行っても見られないものを破壊して

どこに行っても見られるものを造った ” と ご機嫌斜めだったそうだが、   今となっては



” どこに行っても見られないほど個性的なメスキータ ” が コルドバの宝となった と言えるでしょう

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05.        暗いからこその美しさ ・・・

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06.     メスキータの外側 、、   世界中からの観光客が 引きも切らない

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07.       メスキータの内側 、  「 オレンジの中庭 」

10月の初旬ですが 眩い日の光、   日向に出るのがためらわれる程の熱線です !

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08.     そういう訳で、 日光を遮り 涼しく過ごすために取り入れられているのが 「 パティオ 」

これは 泊まったホテルの中庭。   5月には パティオを始め 家々や小路を 花で飾るコンクールがある



40度に及ぶ夏の暑さをしのぐ パティオ、 体力を温存する シエスタ( 昼寝 )、  スペイン人が

 夜になると 急に元気が出て来て エネルギッシュに活動する理由が分かる気がします ~

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09.     パティオの天井は 天幕で調節 。    コルドバのパティオは スペインの中でも

その美しさで有名ですが、  ご当地産業の 手の込んだ鉄細工が一役買っていることは間違いないでしょう

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10.     「 グアダルキビル川 Guadalquivir 」は 豊かな水源を有するカルソラ山脈を

源とする アンダルシアの大河で、 ここコルドバ、 セビリアなどを通って 大西洋に注いでいる



例の 支倉常長の一行も 400年前 この大河を航行したという

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11.         「 ローマ橋 Puente Romano 」 


メスキータがある旧市街側には 「 プエンテ門 Puerta del Puente 」(左)が、 向こう岸には

14世紀にアラブ人が造った 「 カラオーラ塔 Torre de la Calahorra 」(右) がある

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12.     この橋の上、 日差しが強く とにかく暑い !  逃げ場がないだけに一層辛い !


いつも思うのだが、  私を含め 日本人の観光客は 10人いたら10人が 帽子を被っている

ツアーでは 恐らく 持ち物に ’ 帽子 ’ と 特筆されるだろう



一方 欧州の人たちは まず 帽子をかぶらない。    それだけ 日差しを欲しているのだろうか ・・

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日本では 昔は日を浴びないと病気になる、とされていたのに、  最近は 日差しは すっかり悪役になっている

 
例えばフランスでは 以前から 青っ白いと貧乏臭く、 日焼けはブルジョアの証しとされていたが

最近も その傾向は変わらないようだ。   日焼けは 余り気にしないと言う人もいる
     

 



日照時間とか メラニン色素の働きぶりとか 気分の問題とか、、  お国柄 いろいろ事情がありそうです !

2014年2月 7日 (金)

日本人の末裔 ’ハポンさん’ が暮らすスペインの町でお喋りを



01.     セビリアの 大聖堂 Catedral には、 大航海時代の冒険家 

あの「 コロンブス Ch. Colombo 」の墓がある。  ただならぬ威厳を放つ 4人の棺の担ぎ手は、 



当時のスペインの レオン カスティーリャ ナバーラ そして アラゴン公国の王たち

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02.     モスクの名残りだという 奥行116m 幅76mの 四角に近い大聖堂には

高さ 97mの 「 ヒラルダの塔 Giralda 」が寄り添っている 
 



塔の先端には 高さ4m、重さ1288kgの ヒラルダ( 風見 )が付いていて   風で

微かに回転するそうだが、    同じものが 地上にも置かれている



こんな重いものを 一体どうやってあの先端に付けたのか 考えたら夜寝られなくなる・・!?

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(  右側のが 地上のレプリカ   同じものが 塔の先端にある  )







03.    「 ヒラルダの塔 」からは セビリアが一望でき、 奥に「 グアダルキビル川 」が見える



パリやロンドンのように、 内陸にある町が発展できたのは 川のお蔭で、  セビリアもその例だが

ここでは 本来の 「 グアダルキビル川 Rio Guadalquivir 」 から引いた ” 運河 ” が流れている

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04.      運河の建設は 12Cから始まったので  コロンブスがアメリカ大陸への航路を発見して後


15世紀から16世紀にかけて   新大陸との貿易が 盛んに行われた時代には

大都会 セビリアとの交易船が この運河を 激しく行き交ったことでしょう

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05.     川沿いの土産物屋で  可愛いワンちゃんの ’ カメラ目線 ’ を頂戴し


セビリアに別れを告げ、 次に  南へ12km 日本人の子孫が暮らすという町に 向かいました ~

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06.    「 グアダルキビル川 」 沿いにあるその町は 「 コリア・デル・リオ Coria del Rio 」

町に入ると 200mおきくらいに なにやら ” 侍の旗 ” が掲げられてる !

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07.     テレビ番組の取材であるなら ’ 日本人の子孫と思われるハポンさん達 ’ をざっと数十人

集めておくところでしょうが、 とにかく 何の手がかりもないまま 小さな町をうろうろした ・・



結局 グアダルキビル川の岸辺に 「 支倉常長 」の銅像が立っていることだけ突き止め 川岸に着くと

丁度 川で釣れた魚の売買が 済んだところ ・・  どんな魚が捕れるのか 見てみたかった !

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08.     さて、フランシスコ会の宣教師と 支倉常長が率いる ’ 慶長遣欧使節団 ’ が 現石巻港を

1613年10月出航し、 セビリアへの拠点 ここコリア・デル・リオに 到着したのが 1614年10月



今年でちょうど 400年 !    町中に掲げられた旗は その記念だったのです  

常長は スペイン国王との交易交渉、 宣教師派遣について ローマ法王への拝謁 という使命を帯びていた 



川岸には 1991年 宮城県より贈られた 鳥居と常長の銅像が 立っていて

鳥居わきの小さな四角の枠には 日本の皇太子が植樹した幼木が 植えられていました

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09.     この銅像は 数年前までは 泥が投げつけられ 落書きで汚れていたという 

「 アンダルシアの人々よ立ち上がれ ビールとロース肉、パンを要求するのだ ! 」 



銅像へのいたずらは万国共通だが、 上の文句は 反日というより スペインの経済情勢への不満に違いない



正面のプレートは剥がされたままだったが  慶長遣欧使節団についての説明パネルが 側面に付き

落書きが消され、   皇太子が来るということで !?  最大限に綺麗にした努力 は 感じられた ・・

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10.     今日 この町には 約800人のハポンさんが いると言う。 漁師のおっちゃんに

聞いたら ” そこらじゅうに ハポンがおるよ !  ” と 身振り交じりで答えてくれた 




ところで 使節団 30数名は、 メキシコ スペイン フランス イタリアなどを巡る 過酷な長旅の最中

日本で キリシタン禁止令が発布されたのを知る。  一行のうち帰国せず コリア・デル・リオに 

留まった者がいた。  信仰に身を捧げたのか はたまた 病気になり 帰国の体力を持ち得なかったのか ・・




研究者によると 1667年の洗礼台帳に 初めて「 ホアン・マルティン・ハポン 」 という名が載ったらしい

また ハポンさんの赤ちゃんの中には ’ 蒙古斑 ’ が出る子もいるらしい ・・

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(  この町に橋はなく、 渡船が活躍していて 眺めるだけでも楽しかった !  )
 








11.     さて 川辺には 一軒のカフェがある  カフェと言っても 粗末な金属椅子があるだけ。


マスターが 興奮気味に話してくれた  ” うちの この四角い敷地の周りを ナルヒト(日本の皇太子)が

歩いたんだ ! お付きの人たちが ぞろぞろ付いて 歩いたんだ ! ”  指差しながら3回も繰り返した



” そのあと 観光バスが 少し来るようになったんだよ 、、   っで 日本語教えてくれませんか ?

こんにちは、と 有難う、と さよなら って 日本語でどう言うの ?! ”   



私も 3回繰り返して教えたが 、   今頃 ちゃんと役に立っているかしらぁ~~

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(   コーヒーは ここでも ガラスのコップ入りでした ~  )






12.     公園の掃除をしていたシニョールと  視線が合ったので しばらくおしゃべりをした    

なかなかインテリぽい語り口だったが

バカンスの話になると、 自分は今失業中で 時間はたくさんあるが バカンスなんかは夢だ、と語り



ついでのように 自分の4代前まで 苗字が ’ ハポン ’ だったと言った

極々薄い血だけれど ハポンさんの末裔に やっと出会えた !  




その時 彼の黒い髭が 日差しでキラキラ輝き 美しいと感じた ・・  撫でてもいいかしら ?   

勿論 !  少し身をかがめた彼の頬を そっと撫でた ・・   

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因みに 上の二人 少々フランス語が話せたので助かった。   スペインとフランスは地続きだから

出稼ぎには フランス語は重要な道具だろう。  語学とは 本来 実利があってこそ、のものかもしれない





400年前 ここに残留した ’ 初代ハポンさん ’ が、 切なる望郷の念にかられつつ 眺めたであろう

悠々たる 「 グアダルキビル 」 の 流れを前に、 私も 時間の許す限り そこに居り続けた ~

2014年1月31日 (金)

「 セビリア・アルカサル 」は 洗練されたイスラム様式の白い宮殿

南スペイン、 アンダルシア州都 セビリア Sevilla の中で 最も印象深かったのが

「 アルカサル宮殿 Reales Alcazares 」 





01.    レコンキスタの後 イスラム時代の城の跡地に、 1350年 キリスト教徒のペドロ一世が城を建て 

その後 歴代の王が それぞれの時代の建築様式を加えながら 今日の姿に至ったのが 「 アルカサル宮殿 」

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02.     ペドロ一世は わざわざグラナダから建築家を呼び寄せ、 イスラム建築の特徴を色濃く残す 

” ムハデル様式 ” の宮殿を造らせたと言うことですが、 

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03.    イスラム勢力を せっかく追い払ったのに、 高い水準を誇ったイスラム文化の魅力に嵌り 

それに固執した 支配者の気持ちは わからないでもありません     



長く英国の支配を受けた香港が   返還されたからと言って 翌日から

全てを中国風にやり直せる訳ではないのと 似ているかもしれません ・・ 

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04.    「 大使の間 Salon de Embajadores 」


漆喰細工を駆使した  白いアラベスク模様 ( スタッコ装飾 )が 意外なほど洗練されていて美しい ! 

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05.    日本の文化は ” 余白の美 ” であり、 ありとあらゆる場所を 模様で埋め尽くすイスラム文化は


一見 対極にあると言えそうですが、 白を基調としたアルカサルの文様は レースにも似て 意外なほどエレガント、


ヒマラヤ杉を用いた 木彫の円天井 (クーポール Cupula )も 仏教文化を彷彿とさせました

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06.     「 乙女の中庭 Patio de das Doncellas 」  2階部分は 16Cに付け加えられたものだが

均整の取れた構成となっている。  パラダイスを意味するこの中庭に植えられているのは 常緑のオレンジ

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07.      ところで、この中庭を見たら グラナダの 「 アルハンブラ宮殿 」の中庭を 思い出すに違いない

それもそのはず、 この宮殿自体 ぺデロ一世が 意識的にアルハンブラを模して造らせたものなのだ ・・



シエラネバダ山脈を背後に 小高い丘の上に建てられた アルハンブラ宮殿は 文字通り 赤褐色の ” 赤い山城 ” 

であるのに対し、  数十年遅く 街中の平地に作られた このアルカサルは ” 白い街城 ” と言えるでしょう

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08.      ところで 暑く乾燥した南スペインの 当時の支配者にとって、 ” 水と緑 ” の維持管理は 

この上なく重要な課題であり、 かつ 権力者として 最高の腕の見せ所だったかも知れません

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09.     アルカサル宮殿内には 数々のパティオ( 中庭 )や 噴水が作られていますが 

水と緑を配置した 見事な「 大庭園 Jardines 」も 見逃せません 



多湿な日本の夏と違い、 フライパンで乾煎りされるようなスペインの暑さは たとえ40度でも 日蔭に逃げれば

なんとか凌げるもので、 こんな緑のカーテンも きっと 随分 役に立ったことでしょう ・・

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10.    「 ライオンの噴水 」

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11.    温暖な地元の植物と エキゾチックな他国の木々とが入り混じる 豪華な庭園には 

築山、迷路、並木道 多くの噴水が配されている
 




時代時代の支配者たちの優雅な日々に 思いを馳せつつ 私は 静かな一時を過ごしましたが

この壁の向こうには セビリアという 世界に冠たる観光地の喧騒が 渦巻いているのです ~

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12.    町の中心 「 大聖堂 Catedral 」に入るには やっぱりこんな行列が必要です !

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因みに この白い宮殿の美しさを さらに一層 際立たせていたのが スペイン独特の 「 モザイクタイル 」、

カラフルで 洒落た図柄のタイルと 白い宮殿のコントラストが 時を超えた魅力の秘密に違いありません !



前回の 「 アルカサル宮殿 」のタイルについての記事も  併せて見ていただければ幸いです ~  

2014年1月24日 (金)

「 セビリア・アルカサル宮殿・モザイクタイル 」 見るだけで芸術家気分に! 

南スペイン、 アンダルシア州都 セビリア Sevilla にある 「 アルカサル Reales Alcazares 」 



イスラム文化の影響を残す ムハデル様式で作られたこの宮殿は、 漆喰を用いた 白いスタッコ装飾が特徴ですが

その 白亜の宮殿に 華を添えるのが カラフルなモザイクタイル !




5~600年も前のそのタイルたち、   いかにも スペインらしい 色と風合いは 

眺めているだけで 芸術家気分になれるかも ・・





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「 アルカサル宮殿 」 そのものについての記事も  次に続きますので 

併せてお読みいただければ幸いです
 

 

2014年1月17日 (金)

「セビリア」 闘牛とフラメンコ そして ’ 御者の子は御者 ’

「 セビリア Sevilla 」と言えば ” セビリアの理髪師 ” や ” カルメン ” の舞台として有名ですが

オペラが描けるくらい 多種多様の人間ドラマがあった、、 つまり セビリアは昔から大都会だったと言うこと ・・



実際 今日でも セビリアは  マドリード、バルセロナ、バレンシアに次ぐ スペイン第4の都会です  








01.    「 大聖堂 Catedral 」 イスラム寺院の取り壊しに際して(1401年)、 ” 後世の人々が 

我々を狂人扱いするほど 大きな教会を建てよう ” というスローガンのもと この聖堂が建設された
 



ここが まずは セビリア観光の中心 となります

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02.     ところで、  スペインの観光パンフレットには 

” 明るい陽光 、 熱狂の闘牛 、 情熱のフラメンコ ” と言ったうたい文句が躍っているが、  もしかして

スペインの 光がまばゆければまばゆいほど、 同じくらい その影は黒く濃いのかも知れない 

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03.     「 マエストランサ闘牛場 Plaza de Toros de la Maestranza 」



ローマ時代から 円形劇場での 人間対人間、人間対動物の殺し合いは 儀式という名を借りてはいても

凄惨を極めたものでした 。   ここスペインで  牛か闘牛士 どちらかが必ず死ぬ、という壮絶なショウが 

現代に至るまで続いたことには  それなりの理由があったに違いありません



最近では  闘牛を否定する傾向も出始め、 バルセロナでは 闘牛場が閉鎖され 跡地はスーパーになったらしい 

しかし、 南スペインで 闘牛の火が消えることは しばらくはなさそうです

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04.     一方 「 フラメンコ 」 も スペインにとって 重要な観光資源 ・・  


しかし いつもいつも 狭い酒場で 体の奥底から魂の叫びを表現してばかりいられない訳で  

より手軽で 大人数にアピールしやすい ’ 観光用のフラメンコ ’ が 増えている



ギターや歌の伴奏ばかりでなく、 オーケストラ版の ’ カルメン序曲 ’ をスピーカーで流したり、 

カスタネット以外の小道具を使用したり、 タンゴとは違い 男女は指一本触れないはずなのに

そうでなかったり ・・     お客を楽しませる工夫がいっぱいだ

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05.     今回は 闘牛場近くの 「 El  Patio  Sevillano 」 という劇場で フラメンコを見たが

「 タパス Tapas 」 と呼ばれる 小皿料理のコースを 食べながらの鑑賞で 時間の節約になった ! 




殆どがツアー客だった。   中国人は ショーが始まってもしばらくは大声でしゃべりし続け  

用心深い日本人は 代わり合って頻繁にトイレに立ち、 ドイツ人は 料理を取らずにひたすら飲んでいた ・・

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06.     近くの フラメンコお土産やにて。   彼女は しばらく日本で空手の修行をしたという

とても自然体ですが 空手の 一ポーズを取ってくれていますよ ~

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07.     セビリア市内の 細い路地裏には フラメンコスタジオがたくさんあるが  

帰りの夜道の安全性も考慮した上で  こんな所にも出かけてみたいもの ・・




因みに 全く個人的な好みだが ” フラメンコは男性がいい ”  女は スカートやらなんやらがまとわりついて

本筋が見えずらい。  シンプルに 体のライン一本で勝負する男の姿は この世のものとも思えない程 セクシーだ !



さらに ” 女は年増がいい ”  若くて美人で踊りが上手いのは 確かに 目に楽しいが、   

化けて出そうな ベテランの凄味こそが フラメンコの魂のような気もするから ・・

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08.     さて、 馬車に乗って 夜風に吹かれてみたくなった    馬車はタクシーと同じで

待合いの場所も決まっていて 御者のライセンスもある。    ちゃんと値段を交渉して乗り込んだ 

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09.     ところが 御者が二人いる  大きい二つの背中が邪魔をして 馬が見えない 景色が見えない !

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10.     しかも 二人はおしゃべりに夢中で ほとんど案内らしい案内をしてくれない

” シニョール、 あの建物は何!? ”   ” シニョール、 この公園は何 !? ”  

聞けば ついでのように 教えてくれる !




それでも こんな馬の姿が美しかった ・・  夜空に リズミカルなひずめの音が響いて 心地よかった 

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11.     初めから終わりまで 話し続けた二人、  聞いてみたら 父親と15歳の息子だった !

仲がよくて いつもこんな調子で喋るのだろうか、 それとも 日頃のご無沙汰を 職場で埋めているのだろうか・・



怠慢なガイドだったけれど 何故か憎めなかった   寧ろ ほのぼのした ・・ 




スペイン語しか話さないオヤジさんだったが 息子はきっと英語ぐらいは勉強して 現代的な御者になるだろう

いずれにせよ ” 御者の子は御者 ” になるに違いない

痩せっぽの愛馬も 家庭で飼育しているという、  家族が生きていく為の 大切な ’ よすが ’ だ 

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12.     結局  もしかして、 イベリコハムも闘牛もフラメンコも ” スペインの影 ” の象徴かもしれない



スペインを旅すると  確かに海沿いの町の繁栄ぶりは 観光客が目にする通りだが、  全国的に見て 

いわゆる農地というものには 滅多にお目にかからない。 赤茶けた大地に オリーブや果樹があれば 寧ろいい方だ 

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15~17Cの ポルトガルと覇権を争った 大航海時代の繁栄は 植民地の産物を他の先進国へ売るというものだった

その富は 国内を素通りし 庶民は貧しいまま 何世紀も繁栄の蚊帳の外に置かれた



僅かに 牧畜は 輸出用毛織物などに有用だったため 牧場設営が奨励されたが 

いつの世も 国の豊かさを象徴する 「 農地 」の開発は すっかり遅れたのだ 




スペインが 今の欧州の繁栄に取り残されたのは 近代に至っても フランコの内戦が続いたからでもある

1939年まで続いた内戦で フランコ側 共和国側合わせて 20数万人ものスペイン人が 命を落としている





国を覆う暗い影、国として発展し損なったスペインの 人々の鬱積する不満のはけ口として( 支配者側にとっても ) 

闘牛やフラメンコは この上なく重要なものだったに違いない 





” 光のスペイン ” を旅する時 ” 影のスペイン ” に 少しばかり 思いを馳せると

イベリコハムも 一層味わい深く思えるかもしれません ・・

 

 

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