「ラ・アルベルカ」 イベリコハムと豚アントン君の運命!
ここは スペイン中西部、 ポルトガルとの国境近い 「 ペーニャ・デ・フランシア山脈 」の端にある村
「 ラ・アルベルカ La Alberca 」、 時の流れに取り残された 独特な雰囲気が漂っている
01. スペインだというのに、 この 何とも言えない寂寥感は 曇天の所為ばかりでない ・・
長く道路網が整備されず 村が孤絶していたことで、 結果 他に例を見ない 昔日の趣きが残ったのです
02. もともと 深いマリア信仰がみられるイベリア半島ですが、 1434年にマリア像が発見されて以来
ここ 「 ラ・アルベルカ 」 は聖地となり、 中世期には 多くの巡礼者が訪れる土地柄でした
03. 実は この村は イベリコハムの珠玉の名品 ” ベロッタ・ベロッタ ” の名産地 !
’ ハモン・イベリコの原木(太ももと足と) ’ が ヒズメを上にして 吊り下げられている
この原木の解体は マグロの解体のように、 骨や筋、脂肪などの構造を熟知した人間が ’ ハモネロ ’ という
台座の助けを借りて、 怪我をしないよう 特別な手袋をはめ 手作業でカットするのが正式だ
当然 ハムのスライスは不揃いだが そこが最高なのだ !
04. 昔 あるバルで、 出された ハモン・イベリコの皿に ナイフも楊枝もなくて戸惑っていたら
” 手で食べるものだよ! ” と指示されたことがあった。 文字通り ” おつまみ ” というところかも !
美味しいイベリコハムは とろける様にしっとりして お皿に張り付くので 皿をを立てても落っこちない ・・
05. さて 「 聖母昇天教会 Ig. Parroquial 」 前で 一匹のイベリコ豚に会いました
’ 野良ブタ ’ かと思いきや、、 この村では 年に1頭 選び出した豚を 「 聖アントンの豚 」と称し
牧場ではなく 村の中で自由気ままに過ごさせ 皆で可愛がって 育てると言う 、、 まさに 選ばれし豚なのです !
06. 教会前に設置された ’ イベリコ豚の石像 ’ と同じ格好で 溜まった雨水を飲んでいる
通りがかりの人たちも 撫でたり 眺めたり、 時には自分が歩く方向に アントン君をいざなったりしている
07. しかし、幸せな このアントン君を待っているのが、 12月に このマヨール広場で開かれる
「 マタンサ Matanza 」 だ 、、 マタンサとは 豚の屠殺・解体祭のこと
普段地味な暮らしの当地、3月の復活祭 8月の被昇天の聖母祭 そして この12月のマタンサに 爆発する
住民のエネルギーは半端ない !
08. 着飾った人々の熱気と 広場の賑わいは、 私が見たうら寂しい風景からは 到底想像がつかないが
ラ・アルベルカ村の ホームページ www.laalberca.com/ で 、
祭りの様子、歴史など 動画も含めて 詳しく紹介されている
09. 自動車が近寄っても アントン君はのんびり動じない。 この日は10月31日、
あと6週間程の命だが このチョロッと巻いた尻尾が 切なく可愛い ・・
10. 人口900人程の 小さな集落の外側には、 どんぐりを付ける西洋ぶなや 栗の林が広がり、
高地らしい気候の中 昔ながらの製法を守って ハモン・イベリコを作る事業所がたくさんある
しかしながら 村は見るからに 豊かとは言えない。 農作物の切れる冬場の食糧の代役として
飼育している豚を 冬場に順次つぶして 肉にし、 春場まで食いつなぐというサイクルが
「 マタンサ祭 」 を生んだ素地となっている
11. ところで、 そのような気候の事情のほか、 大航海時代の 莫大な富から無関係に捨て置かれた
大部分の庶民に、 唯一 牧畜だけが 生活の糧を得る道筋足り得たという事情があったが
それらに加えて、 キリスト教徒によるイスラム勢力への抵抗運動( レコンキスタ )の副産物として、
豚肉を食べないイスラム教徒に対して ” 彼らとの差異を意識的に示す 豚を食べる文化 ” が
広まったという説がある
たかが ハモン・イベリコ されど ハモン・イベリコ、 スペインの歴史と文化を
あの ” 太もも ” が物語っているのです !
12. 石造りと木造を組み合わせた こんな町の風景は フランスやドイツで これまでたくさん
見てきたが、どこかが違う ・・ 豊かに満たされた生活の中 あえて 昔の物を美しく大切に守っている、
というのでなく、、、 本当に 昔と言う時代を まだ生きている といった感覚 ・・・
それに 同じスペインでも あの眩い光がきらめく 「 アンダルシアの白い村 」 と比べたら
ここは 「 サラマンカ(県)の灰茶の村 」 とでも 申したらよいのでしょうか 、、、
スペインの多様性を また一つ 見た思いでした