「 マッキントッシュの曲線 」・「 変貌したグラスゴー 」
さて、 前回に引き続き スコットランドの 建築家・画家・デザイナー 「 マッキントッシュ Mackintosh 」が
グラスゴーに残した足跡を訪ねます
01. マッキントッシュの 水彩画 「 Pinks 」 ( 1922年 )
02. 「 グラスゴー美術学校 Glasgow School of Art 」 1909年
マッキントッシュは 27歳の若さで、母校でもある グラスゴー美術学校の新校舎の 設計コンペに優勝し
彼の代表作といえる建築物を 手掛けることになりました この正面玄関をはじめ
建物の全体からディテールに至るまで あらゆるところにマッキントッシュらしさが現れている
03. 現在も 名門美術学校として、 デザイナーやアーティストとなった卒業生が 世界の舞台で活躍しているそうです
04. 校内の見学は 学生による ガイドツアーとなっていますが
学校行事優先ということでしょうか、 常時やっている訳ではありません
05. 正面玄関ばかりでなく、 ガイドツアーの受付や ショップの入り口がある 建物の側面や
通りの街灯のデザインにも マッキントッシュらしさが 感じられます
06. 彼が 英国における アールヌーヴォーの旗手と呼ばれるに ふさわしい作品 ( 1896年 )
スコットランド音楽のポスター 「 Poster for the Scottish Musical Review 」
装飾パネル 「 Part Seen, Imagined Part 」
芸術学校のポスター 「 Poster for the Glasgow Institute of Fine Arts 」
07. 「 グラスゴー大学 University of Glasgow 」 1451年開設
オックスフォード、ケンブリッジと並ぶ 560年余の歴史を持つ最優秀名門校
08. そのグラスゴー大学付属の 「 ハンタリアン美術館・博物館 Huntarian Art Gallery & Museum 」
では 折しも レンブラント展が開かれていて 素晴らしい展覧会でしたが、
なんと言っても ここの売りは マッキントッシュが 1906年から 1914年まで暮らした グラスゴー市内の自宅の
インテリアを再現した 「 マッキントッシュ・ハウス Mackintosh House 」
これも ガイドツアー形式になっています 時間が折り合わず 見ることは出来ませんでしたが
ハウス内部の写真を見ると 前述の 「 ヒル・ハウス 」と その雰囲気は似ています
09. 「 ステンド・グラス パネル 」と 「 ウイロウ ティールームの壁画 」( 1903~04年 )
ところで、 「 チャールズ・レニィ・マッキントッシュ 」 について 私が 事前に知っていたのは
例の背もたれの長い椅子 ” ラダーバックチェア ” だけ・・ したがって、 マッキントッシュは
” 直線のデザイナー ” つまり ” アール・デコ ” の芸術家 だとばかり思っていました !
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しかし、 「 ヒル・ハウス 」で目にした 草花の装飾や、 下のポスターやパネルの 薔薇や柳の枝などを連想させる図柄の
魅力的な曲線 に触れ、 マッキントッシュが ” 曲腺のデザイナー ”
つまり ” アール・ヌーヴォー ” の芸術家だった と思い知った訳です
10. ブリュッセルや フランス・ナンシーで起こった アールヌーヴォーという潮流は 1900年のパリ万博では
押しも押されぬ 立派な流行になっていました 年代的にも マッキントッシュが確立した
「 グラスゴー・スタイル 」は ” アール・ヌーヴォー ” 真っただ中の 英国版だった訳です
しかし 1910~30年と 寿命の短かった ” アール・デコ ” の潮流に マッキントッシュの芸術が
影響を及ぼさなかったとは 誰も言えないかも知れませんが ・・・
11. グラスゴーは 一大工業都市ですので 昔は 暗く不気味な大都会でしたが ここ10年で
音楽・ファッション・スポーツ・芸術活動などが盛んな 美しい町として 劇的な変貌を遂げたという
TVドキュメントを見て、 訪問を回避する予定を 変更した次第でした
日本女子サッカー ” なでしこチーム ” が 優勝したのも ここグラスゴー
12. 綿工業を中心とした産業が盛んだった グラスゴーは かつて 他の英国の街と同じく
石炭と鉄鉱石による工業化で 街は真っ黒なすすを被っていました しかし、今は ” すす ”の代わりに
使わなくなった ” ミシン ”が 床から天井まで びっしりウインドウを飾り 時の流れを物語っておりました
「 グラスゴー 」は 私の中では「 マッキントッシュ 」 と深く結びつき
芸術の街として しっかり心に刻まれたのです !