金刀比羅宮「椿書院」 by 田窪恭治
ノルマンディで 「 林檎の礼拝堂 」 を修復したあと、
田窪恭治は 2005年から 香川県金刀比羅宮の書院で 襖に 「椿」の絵を描き始める
01. 私が金刀比羅宮を訪ねた時(2010年)、「奥書院」では 折しも 伊藤若冲の 「百花図」が 公開されていた
田窪が 高校生の頃、芸術的啓示を受けたのが この 上段の間に描かれた「百花図」だったと、聞くが
確かに、この和室が 意外と狭いだけに、
” 金色の小宇宙に浮かぶ花々が わが身に降り注ぐような 不思議 ”を 私も味わった
02. 「表書院」にも、それぞれの部屋ごと、丸山応挙の有名な絵が 鎮座ましていた
( レプリカは 作ってあるのだろうか・・・ 火事が心配・・・ )
( 絵の中の ほとばしる滝の流れが、 この部屋の左側に 造られた実際の池に
注ぎ入るという設定となっている )
03. 書院近くの休憩所の 内側と外側に、 田窪が描いた 「椿のタイル画」があった
サインは <隼人&恭治田窪>となっている ノルマンディで育った息子が、今や、画家となったのだろう
04. ポルトガルのあちこちで見られる タイル画 「 アズレージョ 」 ↓
古びたポルトガルの アズレージョと比べると 上の「 椿図 」は やや物足りなかったが
国により、 似合うものが違って 当然かもしれない
( ポルトにて )
05. 田窪によれば、 原生の藪椿の、 荒々しくも 素朴な群生を
そのまま シンプルに写し取りたかったという
成るほど、 ” シンプル ”こそ 日本文化の根底を流れる 基本概念かもしれない・・
06. さて、 渡り廊下で繫がる 建物を渡っていくと その先に
田窪が 製作中の 「 椿の障壁画 」がある 「 椿書院 」 があった
07. 正直に書きましょう、 ” 何と言う偉大な落書き! ”
もし、このパステル画が ちゃんと額縁に収まっていれば、 それはそれで 美しい絵 となるかもしれない
しかし、 藪椿は 木枠も壁もお構いなしに、 白い空間を 自由奔放に伸びていく、、、
08. ノルマンディでは、仕事が軌道に乗るまで 3年はかかったらしい
芸術上の構想が固まらないとか、お金の問題とか、、、
制作が進まない 手付かずの3年間は 地元の人たちの疑惑の白い目に晒されたという
この人に 本気のやる気が あるのだろうか・・・ と
( 椿の写真が 所々に貼ってある )
09. それと比べたら、 ここは何と言っても母国だし、多分 資金も潤沢だろう
金比羅宮に知り合いもいて、” 名士 ” として招聘されたことを思えば
自ずから 田窪さんの気分も 全く違うのではないだろうか・・
” 落書き ”と言ったけれど、 それは 多分 作家の 伸び伸びとした楽しげな気分が
絵を通してにじみ出ているからなのかもしれない
同時代人の感覚より 2~3歩先に行くのが芸術家、
百年ぐらい後には この椿図は国宝になっているかもしれない・・・
10. ここは 「椿書院」に面した庭、 遥か彼方に ” 讃岐富士 ”が見える
この襖絵、どこまで行ったら ’終了’を宣言するのか、田窪自身にもわからないという
確かに、描き足そうと思えば 重ねて描けばいいし、 これで終わり、と言えば
そうなのかも知れない
いつ終わるかは 神のみぞ、 いえ、 金比羅さんのみぞ知る、 デスネ!