サティの失恋 オンフルール
芸術家たちの天国と呼ばれる オンフルール Honfleurが 魅了したのは 画家ばかりでなく、
文学者や音楽家も その例外ではありませんでした
「 エリック サティ Erik Satie 」も 1866年 ここで生まれている
01. サティと言えば、「 ジムノペヂィ 」、「 グノシェンヌ 」、「 お前が欲しい 」など、
曲名を知らなくても、 そのメロディは 一度は耳にしているはず ・・
( オンフルール 旧総督の館)
02. 透明感と静けさをたたえた サティの音楽は 日本人にも大人気です
日本画の あの<余白の趣き>にも似て、 饒舌でない彼の音楽には 癒しがあふれているからでしょうか
( 港と画家 )
03. 美しい この木組みの家で、サティは 12歳まで暮らしました
子供の頃 入り浸っていた教会で、まず、教会音楽の洗礼を受け、
その後 パリで 音楽の専門教育を受けるが、 アカデミズムが 肌に合わず、 すぐに挫折 !
以後、” 高等音楽院卒業 ” というレッテルを持たぬまま 人生の大半を、
カフェや酒場の ピアノ弾き で過ごしつつ、 独特なああした音楽を作曲していったのです
傘は サティのトレードマーク ( サティの生家 )
ところで、 当時にあっては 時代を先取りし過ぎた感のある サティの音楽は
批評家たちや ラヴェルなど ’全うな音楽家たち’の 恰好の攻撃の対象となりました
そうした事情から、
一見、 穏やかなはずの彼の音楽には、 実は 世間の無理解と嘲笑に対する
屈折した激しい自己主張が 悶々と のたうっていたのです・・・!
04. さて、サティの生家 (Rue Haute 90番地)での インスタレーションは
ちょっと 掴みどころのない モダンアート風の表現でしたが、
白いピアノ (YAMAHAマーク!)の自動演奏だけは サティの音楽を 確実に再現しておりました
( サティの生家での展示 絵は 恋人だった シュザンヌが描いたサティ )
彼が 屈折した人生を送ったことは 上で触れましたが、 因みに 彼の曲のタイトルを
目にしたら ビックリですよ~
「犬のためのぶよぶよした前奏曲」
「官僚的なソナチネ」
「社交界の名士のためのカンカン踊り」
「いんげん豆の王様の軍歌」
「小さなチューリップ姫のおっしゃること」
「なまこの胎児」
「干からびた胎児」
「不機嫌な囚人」
「夢見る魚」
「大きな頭の友達が羨ましい~」
「太った木の人形の素描と媚態」
「いやらしい気取りやの 3つの優雅なワルツ」
etc・・・
05. サティは まっとうな音楽教育を受けなかったが ” 女でも失敗したのです ”
彼に 大打撃を与えた女 それこそ シュザンヌ ヴァラドン Suzanne Valadon 1865~1938
言わずと知れた モーリス ユトリロ Maurice Utrillo の母親 !
洗濯女の私生児として生まれた彼女は 小さい頃から 独立心旺盛、
酒癖の悪い 一筋縄ではいかぬ 気の強い女でしたが、 個性的なその美貌も相まって
モデルとして モンマルトルの画家達に 芸術の養分を与え、また同時に スキャンダルの種を撒いた人物でした
( シュザンヌとユトリロ )
06. ルノワールの「都会のダンス」「ブージヴァルのダンス」のモデルが シュザンヌ
ユトリロが生まれたのは 丁度ルノワールと付き合いのあった頃で、
親子関係もささやかれるが、 今や DNAを調べるわけに行きませんし・・・
(ルノワール)
07. 彼女が「チビ」と呼んだ ロートレックも 恋人であり、 泥酔仲間であり、
お互いの芸術を認め合い、尊敬する同士でもありました
シュザンヌは モデルだけでなく 自らも絵を描いた女性ですが
たくさんの本を借り、芸術上の教養を与えてくれたのが ロートレックだと言われています
( ロートレックの描いた シュザンヌ )
08. シュザンヌ ヴァラドンは、 既に9歳の頃から 紙さえあれば 手当たり次第
それらをクロッキーで埋め尽くすような女の子でした
( 線の強い 活き活きとした 素晴らしいタッチではありませんか! ↓ )
デッサンを見た ドガも 一目で才能を見抜き、「あなたは我々の仲間です」と 手を差し出す
以後、ドガの手ほどきと 手厚い庇護を受け、 シュザンヌは 一人前の画家となっていく
( シュザンヌ ヴァラドンの デッサン )
09 ここで やっと、 エリック サティ Erik Satie の登場となります !
草臥れたコートと型崩れした黒い帽子、丸眼鏡、 手にはいつも雨傘
変人としか言いようの無い 風采の上がらぬサティと
シュザンヌが どうして付き合うことになったかは 定かではありませんが、
あっという間に シュザンヌの側に ” 倦怠の風が吹く ”
わずか 6ヶ月足らずの愛人関係でした !
( シュザンヌ ヴァラドン 「 ユッテルの家族 」 )
10. その半年に、 300通以上の 賛美と懇願のラブレターが サティからシュザンヌに送られたが、
その多くは 開封もされず、 歴史の闇に消えていきました
その時の サティの失意と苦悩は 如何ばかりとは思うが、
以後、サティは 一切 女体に触れることなく 生涯を閉じたほど それは 深い心の傷となりました
彼の臨終の時まで アパルトマンの彼の部屋に 誰一人、 友人すら足を踏み入れることはなかったと言う
( オンフルール)
サティにとっては シュザンヌ ヴァラドンとの恋は ” 世紀の大失恋 ” であったが、
シュザンヌにとっては ” かすり傷 ” みたいなものだったかも知れない
息子のユトリロが 長じたあとも、
シュザンヌは 息子より3歳若い、 息子の親友の画家と結婚し、 離婚する
そして、 死ぬまで 恋は続いた・・
とまれかくあれ、 シュザンヌは、恋多き人生から 力強い油絵の大作を 次々生み出し、、、
サティも 今日世界中でもてはやされるような 魅力的な音楽を世に残し 、、、
恋とは・・・ そして芸術とは・・・ いやはや なんと 甘くて にがいモノ!!