シスレー と ミレー

2012年2月15日 (水)

黒田清輝と浅井忠 130年前の仏留学ってどんな感じ

パリの南東60km、「 グレシュルロワン Grez sur Loing 」は  ロワン川に面した 穏やかな小村です

 

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01.     パリ近郊の 魅力的な地域の中でも   昔から アメリカ、イギリス、北欧などの画家たちが 

この町に 芸術家のコロニーを作っていましたが、 

近くの 有名な フォンテンブローやバルビゾンになくて、 ここにあるものそれが この” 美しきロワン川 ”でした

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02.     切手にもなった「 湖畔 」という絵で有名な 黒田清輝(1866~1924)、           02_5  

 

彼は 1884年から9年間 フランスに留学しましたが、


そのうちの 2年間を過ごしたのが ここ 「 グレ 」 









03.     彼が渡仏したのが 若干18歳、 さすがに 遠く離れた異国から 日本へ

9年間に 相当な数の手紙を 書き送っていますが

 

薩摩藩士たる父親宛てには  お金の催促を含め ほぼ漢字で、

母親宛てには ほぼ平仮名で、 優しく生活の様子を伝えている

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驚くことに、グレには 「 黒田清輝通り Rue Kuroda 」がある 

知らないと 通り過ぎてしまいそうな 石畳の細い道です~

 

この小道を行き来する 黒田の心には 異国の生活を 努力で切り開いた満足感と 

切ない望郷の念が  いつも 渦巻いていたかも知れません・・・

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04.     当初  黒田は  川べりのホテルに滞在していましたが、

部屋代の他 食費やモデル代なども 相当かさんだため、  部屋を借りて自炊を始める


さらに、 フランス語に苦労する アメリカ人や英国人をしり目に 語学の達者な黒田は 

村じゅうに たくさんの知り合いを作り、 生活上の様々な便宜を 彼らから上手に引き出したという




   
海外で生活する上では 単なる語学力ばかりでなく そのような 総合的な 「人間力」というものが

必要なのかも知れません

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( グレでの傑作 「読書」 )

 

 

 

05.     「近代洋画の父 黒田清輝 ここに暮らす 」 彼が暮らした家の門には

こんなプレートが掲げられていました

 

グレでの 彼の住まいは 実は 母屋の隣にある ” 物置 ” で、 

寝室、台所、アトリエとして不便はなかったが、  トイレに大変不自由したという

 

原則、トイレは 近所に借りに行ったが、いつもいつもと言う訳にもいかない 

外にスケッチに出た時、藪や木陰でしゃがんで 用を足す

夜の暗闇の中も、雨や雪の時も 傘をさして場所を探す ・・・


 

こういう事が  まぎれもない 「 人間力 」というものかもしれません !

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06.     「 婦人図 ( 厨房 )」 「 編み物 」

黒田の借家の持ち主、 マリア ・ ビヨー Maria・Billaut 姉妹 をモデルとした傑作

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さて、 黒田清輝以降、 多くの日本人画家が グレに滞在しました 

岡田三郎助、児島虎次郎、安井曾太郎など 枚挙にいとまがない

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07.     中でも特筆すべきが 「 浅井忠 (1856~1907) 」でしょう 

東京美術学校の教授だった 44歳の浅井が フランスに渡ったのが1900年、パリ万博の年

 

彼は 若い頃 東京の美術学校で イタリア人画家フォンタネージに師事し

” 自然を師とすべし ” という理念のもと、   
日本の農村などに取材した

” 茶褐色をベースとした ” 滋味あふれる風景画を 描いていました

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( 浅井忠 「グレの教会」)

 

 

08.     ところが フランスから帰国した 黒田清輝が  東京美術学校西洋画科教授となり、

フランスで獲得した 明るい外光派の画風を披露すると、 若い画学生は 雪崩を打って 黒田になびいてしまう

 

日本の洋画界に 性急な交代が起こり、 浅井忠は 教授として 挫折の憂き目を見る

 

以後、黒田は「 新派 」 又は「 紫派 」  浅井は「 旧派 」 又は「 脂派(やに派) 」 と呼ばれ、  (注) 

何かにつけて 比較されることになったのです

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( 「 グレの橋 」 )

 

 

09.    しかし、浅井にとっても 2年間の フランス留学は  大いなる刺激となったことは 間違いありません



 
とりわけ 半年余のグレでの制作の期間に
 明るく軽妙な記念碑的作品を 数多く生み出し
 

” 自らの芸術の絶頂 ”を 極めたのです



 

中でも 不朽の名作「 グレの洗濯場 」は ↓

  
深い緑の木立と赤い屋根、水面にこぼれては揺らめく 光の描写など、 大変魅力的な作品です

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10.      私自身も ” ロワン川沿いの この洗濯場を見るために ”
 

わざわざ グレシュルロワンにやって来た訳ですが

 

ナマの風景は 浅井の絵よりは さすがに 明るく 現代的で 清々しい洗濯場で、

身も心も すっかり グレの緑色に染まって 大変幸せでした~ !  happy01

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11.     帰国後 浅井忠は  東京ではなく ただちに一家揃って京都に移住する

 

そして「 関西美術院の院長」 として 関西の洋画壇の発展に 全身全霊を注ぎ、 

以後関西からも 多くの優れた洋画家を輩出する

 

現在でも 弟子たちが献じた 京都南禅寺内の彼の墓には いつも明るい陽光が降り注いでいるという

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「 黒田清輝 」と比べて 「 浅井忠 」 の知名度は イマイチかもしれませんが、

日本画壇での  浅井の実績は 決して 見逃すことは出来ません

 

今日では 「 紫派 」 も 「 脂派 」も なく、 ” 黒田と浅井の等分の功績 ” が 

欧米に肩を並べる 素晴らしき 日本美術の礎となったのは 間違いのないことでしょう 



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(注)  「 紫派 」 とは 影の部分を 紫や青で描いたことを  
脂派の視点から 正岡子規が 揶揄したことによる

 

「 脂(やに)派 」 とは 褐色の色調の印象から そう呼ばれ、 脂派の絵は色彩感覚に乏しいものの、

溶剤に強く絵肌が美しく  耐久性に優れている


 

紫派の絵は 絵画を形成する技法より、画家の心持の表現の方に 重点が置かれ、 

結果、 傷み易く 保存に問題が起きがちだともいう

 

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どちらの側にも 基本的技術の問題がありながら、 それを克服しつつ、  

個性豊かな 日本の近代絵画が育ち 発展してきたと 言えそうです ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年2月 8日 (水)

フランス料理に七味唐辛子 シスレーの町 

前回に引き続き、 画家 A.シスレーの町、 モレ Moret sur Loing を 散策します

 

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11.      「 モレ シュル ロワン 」  by シスレー

夏の午後の日を浴びて輝く ロワン川とモレの街並み を描いています

 

シスレーは ルノワールに宛てて、  画家を夢中にさせる全ての要素を持っているから

モレは  ”  チョコレートの箱だ  ”  と書いている

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12.       上の絵と同じアングルですが ↓ 、 

シスレーの時代と比べて
 現在は 中州の木々が かなり育っていますね

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13.     昔の城壁の一部、
 

1950年代には まだ、 アーチをくぐって 女たちが 洗濯しに来ておりました (写真下)

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14.     シスレーSisleyは 名前からわかるように    パリ生まれの イギリス人

 

裕福な実業家の父親は 商売の都合上 英仏を行き来し、

フランスとイギリス 両方ともが まるで自国の様だったと言う

 

シスレーも 英語と商業の勉強のため 若い頃 数年間  ロンドンで暮らしましたが

 

その時 美術館で出会った ” ターナー ” の影響が  その後の 彼の絵の中に 見え隠れするのも  

大変面白いことです

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15.       シスレーや 多くの画家が キャンバスを立てた この場所は、

 
今日のアマチュアにとって、 そして もちろん プロにとっても  「 聖地 」です

この日も   たまたま 愛好家のグループが 来ておりました 

 

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速乾のアクリル絵の具で この場で仕上げてしまうという人や

まだ初心者ですから とってもお見せできませんよ、という人・・・

 

先生とおぼしき女性が みんなに指導する様子を つぶさに拝見させていただいた後

 「 先生でいらっしゃるのですね~?」と 尋ねると、   「 私は画家です 」とのお答え

   
多分  [ 先生 ] と [ 画家 ]は ニュアンスが違うのだと思う ・・・

 

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16.      豚肉、ハム、ソーセージなどを売る 「 シャルキュトリー Charcuterie 」

 簡単に言えば 「 肉屋 」ですが、  牛肉、馬肉、羊肉などを売るお店は

「 ブッシェリー Boucherie 」 と言います

さすが 肉食の国ですから 肉屋さんの 呼び名にもこだわりがあるのです ・・

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17.    さて 当夜泊まったのは シスレーの時代から有名な 「 黒馬 Cheval Noir 」というホテル

 

ディナーは なんと、 見た目も繊細、 味もお上品な ” ヌーベルキュイジン ( 新しいフランス料理 )  ” 

パレット型の黒い受け皿は別として、 材料や料理法などが かなり日本的でした !

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イチジクのソテーに 炒り胡麻、  青竹に入ったムースに 七味唐辛子、

 
口休めのスイーツには 赤唐辛子がかかっています~  ( 斬新なアイディアです! )

 

また、 玉子の黄身を 生で食べるなんて  フランス料理では 考えられないこと・・

 

昆布は 魚貝料理の盛り付け用に ヨーロッパで ごく 、たま~に見かけますが

日本の あの ” ワカメ ” が ソースの中で 泳いでる、、、

 「  ここは 日本デショ かァ~~!  」



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18.    思わず ボーイさんに 言った 「 まるで 日本でフランス料理を食べているようですよ~! 」

 

ボーイさん、 「  何言ってるのデスカ 」 ってな顔、  無理もありません、文化の伝承とは そういうものです

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一人の 有名なフランス人シェフが  京都の日本料理を フランス料理に持ち込んだのが40年前、



 
時を経て、人手を経て、( 昨今の流行や 健康志向もあり )  

ヌーベルキュイジンが どうやら 普通のレストランにまで 広く浸透して来たのが やっとこの頃、


 
町のレストランの人たちが アイディアの出所が日本料理だと 認識してなくても 
当然かも知れません・・・ !

 

 

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寿司とか ラーメンとか 一定の分野は別として  本当に美味しい 日本料理には 

滅多に出会えないことを思えば、 この フランス人の応用力は さすが 見事だと思いました~


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19.        シスレーの絵を 最後にもう一枚   「 春の小さな草地 」

セーヌのほとり、 12歳の娘 ジャンヌを配した 魅力的な絵です~

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20.      ロワン川の岸辺で 絵を描いていた先程のグループは

翌日は ” グレ ” という町に 移動すると言っていました

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こんな美しい丘を越えて 私も その ” グレ ”に 向います~

 

なにしろ、黒田清輝など  有名な日本人画家たちが 住んだ町ですから 

是非とも 訪ねない訳にいきません  ! 

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2012年2月 1日 (水)

シスレーの風景画を育んだ町 静かなるモレシュルロワン


今回は <<風景画家 シスレー A.Sisley>> の町、

 

パリの南東、約60km      モレ シュル ロワン Moret sur Loingを訪ねます

 

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01.           シスレーって どんな絵を描いた人?

 

まず挙げられるのが セーヌ川の氾濫を描いた シスレーの 不朽の名作、 「ポール マルリーの洪水」

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02.         それから、 「サン マメ 6月の朝」

 

シスレーの こうした 気負いのない 穏やかな風景画、 日本でもファンが多いようです~

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03.      さて、まずは 城門から モレの旧市内に入ります

 

シスレー(1839~1899)は 英国や パリ近郊で暮らした後 

1880年から 人生の後半の20年を     ここモレと その付近で過ごしました

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04.      彼の油彩画の半分、480枚が   この地域で描かれたと言うことですから

 

この町が 如何に豊かな芸術的インスピレーションを  シスレーに与えたか 想像に難くないところです

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( セーヌの支流、ロワン川 La Loing )

 

 

 

05.        中世の ギルドホール

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06. 洗濯女たちの川岸 Quai des laveuses

 

昔は 洗濯女たちが 手押し車に洗濯物を乗せて   この岸辺にやって来ました

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07.      「 モレのプロヴァンシェの製粉所  」

 

ここは  06upと 同じ場所ですが、 様子が少し違います 

第二次世界大戦のさ中、ドイツ軍に   この製粉所や木橋は 破壊されてしまったのです

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ところで、 右手に チラッと 添え物のように描かれている ” お喋りしながら洗濯する女性たち ” 

なんて、他の画家であったら  恰好の画題になったでしょうに、 

 

シスレーは 人物は 風景の一部に配置するだけで、 極力 ” 風景の主役は風景 ” という考えに徹しました

 

同じ田園生活を描いた ” ピサロ ” の画面から  人間臭さが滲み出るのとは 対照的だと 言われています

 

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08.      「 モレの教会 ー 凍てつく天候 」

 

シスレーの ノートルダム教会 Eglise Notre Dameの連作は 14作品あります 

丁度同じころ モネも 「 ルアン大聖堂の連作 」を 描いていますが、

 

モネの作品が モダンアートを招来するような野心作として 世間で 圧倒的な評判を得たのに対して、 

内気で控えめなシスレーの作品は その陰に隠れた感がありました

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実際  シスレーは ルアンに行って モネが聖堂を描いた場所を見ていますし、 

対抗意識がなかった訳でもないようです

 

しかし、それでも彼は むしろ 自分らしい、  散文的詩情の漂う 内的表現法に こだわり続けたのです

 

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09.     教会の隣にある  「 大麦糖記念館  Musee du Sucre d’Orge 」

 

モレの修道女たちが 1638年から ここで  シュックルドルジュ ( 大麦糖 Sucre d’Orge )、 

大麦の煮汁に砂糖を混ぜ  煮詰めた棒状の菓子、 を 作っていました

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10.     ここが 「 シスレーの家 」
 

シスレーは 1899年1月、  この家で ’ 咽頭がん ’ のため亡くなりました 

 

実は 彼の妻ウジェニーも その3か月前、 1898年10月に ’ 舌がん ’のため亡くなっています

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当時は 戸籍と言うものに 差程こだわらなかったのか 

30年も連れ添ったウジェニーと 死の約2か月前、  やっと正式に結婚し
 

妻が亡くなるまで 献身的に看病したと言うことです

 

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その後、 彼の健康も急速に衰え、首を回すことすら困難となり  絵筆も取れなくなりました、、、    

その時、  彼は モネを呼び、子供の面倒をみてくれないかと 頼んだのです

 

( 以前、 私の モネに関する記事でも 触れましたが、 )

妻の多くの連れ子たちと 大らかに暮らしたモネのことですから

 

この寡黙な画家の 二人の子供たちの行く末にも きっと なにくれと気を配ったのではないでしょうか ・・・

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次回も  「 シスレーの モレシュルロワン 」    後半の記事がつづきます

2012年1月25日 (水)

「シャルトルブルー」と「バルビゾンの苦い思い出」

今回は   イールドフランス Ile-de-France ( パリ周辺地域 )の

 
シャルトル Chartresと バルビゾン Barbizonを 訪ねます

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01. シャルトルの 「 ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre Dame 」 は

 
大変ゴージャスで、見るべきものが多くありますが

 

”  bella流 見どころ ”を 3つほど・・・
 

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02.      まず <<シャルトルブルー>>

 

キリスト教に関する あらゆる場面を 網羅した 大編成のステンドグラス (12,13世紀) には  

約5000人の人物像が 登場します



 
研究者にとって その全ての人物と物語を研究するのは 一生かかろうかという 大仕事ですが
 

観光客としては とりあえず  満漢色の豪華なステンドグラスを仰ぎ見て、 

とりわけ ” シャルトルブルー ”を 堪能すれば  もう充分かもしれません !

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03.      次に   <<マリアの聖衣>>

 

この布は、5世紀に 既にコンスタンチノープルで ” マリアのベール ”として 知られていた聖遺物を

 
ビザンチンの女王が 876年、 フランス王に  ギフトとして献上したもので
 

近年、「 これは 確かに1世紀のシルクに違いない」 と 専門家のお墨付きが出ています


 

今日では ステンドグラスを 見に来る人の方が 多いかもしれませんが、  昔は

何世紀にもわたり、 多くの巡礼者が この聖衣目当てに シャルトルにやって来た訳で

 

大聖堂が 再建に必要な 潤沢な資金を得て来たのも、この布のお蔭と言えそうです

まさに この布は シャルトルの ” 稼ぎ頭 ”だったのです !

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04.      3つめが   <<ラビリンス>>

 

人々が 迷路の上を 中心に向けて くねくねと辿り行いている ・・・ 

大聖堂の床に 「 迷宮 ( ラビリンス、13世紀 )」 が 現存しているのは フランスでは2か所だけ

 

迷宮の中心は 聖地エルサレムを象徴すると言われており、  中世の頃は 人々は 

実際の苦難の道のりを 体現するかのように、 靴を脱ぎ  跪きながら 祈りを唱えつつ
中心に向かったという

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シャルトルの場合、 残念ながら 中心に描かれていたものは 長年の巡礼者の足跡で

すっかり消されてしまっている 

日本にも お伊勢参りや 富士登山をしたことにする 富士講と言った ” 代用アイディア ” があるが 

人々の願いは いずこも同じなのですね !

 

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05.      さて 今回は お土産に 「 銅版画 」を買いました~

 

シャルトル大聖堂は 一部シートが掛けられたまま  長いこと 改修工事が続き、 

街も 観光客が 昔よりはずっと増え、本来の静謐さが やや失われて来ているように感じます

 
版画に描かれた こんな街角が ずっと残って欲しいですね ・・・

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06.        さて、次は バルビゾンに向かいます
      ここは

大通り Grande Rueが 1本通るだけの 本当に小さな町 

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07.     それぞれの画家たちに因んだ 家やスポットに  作品のパネルが出ています

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08.     「 ミレー Jean Francois Millet 」は ” 農民画家 ” の名の通り、

この家で 9人の子供と暮らし、 地味な人生のまま 亡くなりました

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09.       お土産に買った 「 銅版画 」、  
これは バルビゾン派の画家の一人、 

シャルル ジャックCharles Jacque の 孫、 マルセル ジャックMarcel Jaqueの作品  「 納屋を出る羊の群れ 」

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10.       さて ここは 「 ホテル バ ブレオ Hotellerie du Bas-Breau 」

小さな村ながら 今や屈指の観光地となった バルビゾン、  その中でも ここは 最高級のホテル

 しかし 私にとっては 苦い思い出のホテルとなりました sweat01

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入り口は小さいけど、奥のバルビゾンの森に 客室棟、レストラン、庭園、プールやテニスコートなどが 広々と展開し、


 
各国の要人や 有名人が泊まる、  映画のロケ地にもなるような 立派なホテルです

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実は  フランス旅行の計画の際、  ここ 「 ミレーのバルビゾン 」に 泊まろうか、

「 画家、シスレーの町、モレシュルロワン 」に 泊まろうか 
散々迷ったあげく、

決めきれず  とうとう 両方のホテルを予約しておいたのです

 

1週間前までなら ” キャンセル料は無料 ” でしたから ・・

 

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ところが、 結局 「 シスレーの町 」を 選んだあと、 なんと このバルビゾンのホテルを キャンセルするのを


すっかり忘れてしまったのです !

目の前まで来て、  「 ホテルバブレオ 」 の写真なんぞを のんびり撮っている場合ではありませんでした~

 

結果  ” No Show ” 無断キャンセルは 宿泊料の100% 没収!!  

トホホ~~ sweat01 sad

 

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翌月 カードから 幾ら 引き落とされてしまったかなんて 悔しくて とっても 言えません

 一生の不覚でした・・・       こんな失敗は 最後にしなくてはネ !! 

 

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次回は そのシスレーの町、モレシュルロワンです~
  
  

 

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