ゴッホ終焉の地

2011年8月31日 (水)

ゴッホの墓と麦畑

 ゴッホと 深いかかわりを持った ポール・ガシェ (Paul Gachet)は


パリで開業していた医者だったが、 1872年、たまたまオーヴェールAuversにも 居を構える

 彼は 精神病の研究も含めて、多様な分野で 経験豊かな医師でしたが、

 同時に 画家でもあり、版画家でもありました

そういう訳で、 美しいオワーズ川のほとりに、 ガシェの信望者や多くの印象派の画家が 

ゴッホが来る以前から より集まって来ていたのです

 

 

                                    

 

 

 01. ゴッホの北仏へ戻りたいという 強い要望を受け、弟テオが 

 八方手を尽くして探し出したのが この<ガシェ医師>

たまたま体調が良かったこともあるが、 

ゴッホ本人は 患者としてでなく ちゃんとした!友人として付き合い始めた(つもりでした)

 

実際、 食事に招かれたり、 ガシェの肖像画を描くなどして、

二人の関係は ほんのひと時、順調に滑り出した

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          ガシェ医師の家の庭                   ガシェの邸宅

 

 

 02、 しかし、アルルでのゴーギャンとの生活もそうだったが、

 破綻はすぐに訪れる

 

 

面白いことに ゴッホの見立てがふるっている

 「 ガシェは相当な変わり者だ、彼は少なくとも 

 僕と同じくらいひどいやつ(精神病)をやったに違いない

 医者だからなんとか病気を 持しているけど、 相当頭がいかれてる! 」

02

 

 うつろな目、ガシェの憂鬱さを強調して描いている  手には薬草となる花

 

 

 03. セザンヌも 3回 (1873年から1881年にかけて) ガシェ宅などに滞在し、

100点もの作品を描き 才能を開花させている

 

絵は 有名な<首吊りの家>

03

 

 

 04   当初、ガシェは何度か ゴッホを訪れ その制作ぶりをみている

 

ゴッホも 精力的に絵を描く

1ヵ月後に彼が自殺するなんて 誰にも思いもよらないことだった !

04villagestairs1

< 階段のあるオーヴェール村の風景 >

 

 

 05。   ゴッホの転地は どうやら成功した、と思われたが、

 ほどなく ガシェとゴッホは不仲となり

原因は不明だが、  ガシェは居留守を使って 彼を避けるようになる

ゴッホも 「 絶対 彼をあてにしてはならない 彼は僕より病気がひどい、

盲目が盲目を導けば 同じ穴に落ちる 」 と、 応酬する

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 <オーヴェールのヴュー>

 

 

06。  さて、 弟テオは生涯、献身的にゴッホを支えた、と 賛美されるが、

その ’献身’とは、一方では わが身を削ることと同じでした

テオにも人生があり、 妻と子・オランダの老母・妹達 支えなければならない家族は

山ほどいたのです ・・

    
経済的に楽であろうはずがなかった !!

しかしながら それでも、偏執的で独りよがり、発作を抱えた どうしようもない兄の 

生涯にわたる 精神的拠り所であり続けたのです・・


テオ自身だって おかしくならないはずがありませんでした !!

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                         < 薔薇とアネモネと日本の花瓶 >

 

 

07   とりわけ、テオが婚約、結婚して、 その妻ヨハンナが妊娠、男子が生まれると

二人の行き違いは 一層大きなものとなっていった ・・・

心の支え、命の綱、弟テオが 自分の手からすり抜けていく~~!

    
例えば、共に休暇を過そうと提案したのに、

テオは 妻の実家のオランダに行ってしまう (普通なら当たり前のことだが)

 

そんな些細なことでも ゴッホの心は 焦燥感で 激しくよじれる

07

 

 

 

 08、 そんな中 最後の日々に描いたとされる < 烏のいる麦畑 >

 

 

 黒いカラスの群れがかもし出す憂鬱なムードは 

確かに死を予見させる 不吉な絵と 言えなくもないが、

 

深い青と黄色の補色の効果が きっぱりと力強く、

農道や麦畑のうねり、カラスの羽ばたきが 躍動感を漲らせ、 実にイキイキした傑作だとも言える

08
    
    
    
    
    


    
 09 ゴッホの墓がある霊園

果てしなく広がるオーヴェールの麦畑の一角を   石塀で仕切った共同墓地の片隅に、

びっしりと蔦で覆われた ゴッホとその弟のささやかな墓がある

 

因みに、 有名になった後の<山下清>も ここを訪れており、

清は、ゴッホの墓より 他のきれいな墓たちに 目を奪われたと、語っている

09

 

 

 

10、 ゴッホの家は もともと精神病がうかがわれる家系ではあったが、

フィンセントの死後、なんと テオも 間もなく病が昂じ、

故国オランダ・ユトレヒトの精神病院に送られ、そこで死亡する



なんと、兄の死から 僅か6ヶ月後のことだった

 

                      

実は フィンセントとテオ、二人の遺骨を ここに並べて埋葬したのは

テオの妻、ヨハンナだった

兄弟の書簡を整理している時、 ” 二人の絆がいかに強いか ”思い知らされた彼女は

フィンセントとテオ、 二人が共に眠るのが相応しいと判断し、

オランダから夫の遺骨を運んで来て フィンセントの傍らに安置したのだった

10
    

 

11、  ゴッホの死後、 今日のように 彼の絵が世に認められるようになったのも

ひとえに ヨハンナのお陰と言っていいかもしれない

 

ゴッホの作品が日の目を見る時まで、  バラ売りなどで散逸しないよう 手元に一括保管し、

 

ゴッホの奇行ばかりを取り上げる 無理解な世間へは 啓蒙に努め、

 

多くは一方的に 兄から弟へ宛てて送られた 数百通の書簡を整理、

日付のないものは判読し 正しい順に並べ換え、


24年がかりで 「フィンセントの 弟への書簡集」を刊行したのも ヨハンナでした

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ゴッホ博物館庭

 


今日、世界中で知らない人はいないであろう < ゴッホ >

 

その作品の魅力は 言わば ゴッホの ” 狂気の才能 ” から生まれ、


その人生の真実は 言わば 義妹の ” 冷静な思慮 ”から 守り・語り継がれることになった

と、 言えそうです

 

 

 次は モネ編です~~ 

 

 

2011年8月27日 (土)

ラヴー亭 ・ ゴッホの死んだ部屋

 

 1890年5月、南仏から オーヴェールにやって来たゴッホは 
 

7月までの 2ヶ月間に 76点の絵を描き残した

                        
           

 ほぼ3ヶ月おきに起こる精神の発作に苛まされたゴッホは

 病魔から逃れようと 一縷の望みを抱いて 北フランスに転地する

 

               

 

  01. ゴッホが滞在した ラヴー亭 (Auberge Ravoux)

このレストランの3階の部屋は 1日あたり3フラン50サンチーム                

いわゆるホテルと比べて、かなり手頃だった

01

 

 

 02.  1890年5月20日、ゴッホを迎えたラヴー亭の人々
 

店頭には、レストランの他、ワイン販売、家具付き部屋あり、と書かれている

 


中央、入り口にいるのが、この家の娘アドリーヌ 13歳、

 ゴッホは彼女の絵を3枚描いている

02

 

 

  03. 現在も レストラン内部は ほぼ当時のまま・・
 

 画面右端のドアから お客が出入りした

 



 天井からは ハエ取り紙も下がってました!
  ( 実際は ハエなんていませんよ~、とのこと )

03

 

 

 04  現在は 店の脇から入るようになっていて、 コックさんが 腕を振るうキッチンが見える

 

 「 あまりお腹が空いてないのだけど、一品しか食べなくてもいいかしら?」と、 

 

窓から聞くと、


コックさん、とりあえず、中に入って聞いて見て、とにこやか!

04

 

 

 05. これは 現在のスタッフの面々

 02。の写真があるからこその この写真の存在理由ですね!

05

 

 

 

 06. 私の席の右後ろ、 ただ一つ、ゴッホ時代のテーブルが残っている

 ( ボーイさんが教えてくれたが、人が座っていて残念! 写真は撮れなかった )

 



 さて、写真右側が、
 1890年7月27日、ピストルで撃たれたわき腹を抑えつつ

ゴッホが 部屋に戻って行った 3階への階段
    ( ガラス戸越しですが~ )

                 

06

 

 

07.  ゴッホはこのベッドで 2日間もだえ苦しんだあげく 息を引き取る

 

そもそもゴッホの自殺には 謎が多い

世事に疎く、お金にも困っていた ゴッホが どうやって ピストルを手に入れたのか、、、 

本当に死ぬ気だったのか、、、

 

その日は 平素の過ごし方と違い、

何か予定があったのか 外出の時間がいつもより早かったという

 ゴッホの体を貫いた ピストルの弾の角度が 自分で撃ったにしては不自然だとも言われる

 何故 歩いて帰って来たのか、、、本気なら 何故 第2弾を撃たなかったのかとか ・・・・

07

 

 

08. 後見人たるガシェ医師は 傷口に包帯を巻いただけで 大病院に連絡もせず退散してしまう   


直前に 口論してケンカ別れをした 弟テオにも すぐには連絡がつかない

 

 この辺の ’不思議’ については 多くの研究がなされていて

「 ゴッホは殺された!?」なんていう学者もいる

 

真相は闇の中だ

 

 ただ、 この部屋で 孤独の中 息を引き取ったゴッホが 

結局は 長く深い苦しみから 抜け出て、 死によって やっと救われ、 

平安の境地に至ったことだけは 確かなような気がする・・・

08

 

 

 09   ラヴー亭の娘、アドリーヌは こう回想している

 


「 彼は 我が家ではとても尊敬されていて、 ムッシューヴァンサン、

と親しみを込めて呼ばれていました

 

平素は正午ごろ、絵を描いていた戸外から 昼食のため 帰って来て、

メニューはだいたい 肉と野菜、サラダ、そしてデザートでした


いつも 自分で皿を戻し、 とても 協力的だったのです 」

                       

09  
    
    

 





10. 身辺整理をした 弟テオは 死んだ兄の着衣から 1通の手紙を発見する

テオに書かれた第652番目の手紙だった  

 

 

 二人が交わした膨大な文通の記録があったため、  ゴッホが死んだ後も、

フィンセントとテオの 愛と確執の物語が、今日まで長く語り継がれることになる

 

 

日本人の大好きなゴ ッホの絵と人生の本質は 「絵を見るばかりでなく」、「手紙も読む」、

その両方で、一層 深く理解されるのかもしれない

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 次回は この二人の兄弟、フィンセントとテオのお墓を 訪れます

2011年8月24日 (水)

炎の画家ゴッホ 終焉の地、 フランス<オーベール>

   ゴッホが 人生の最期の70日間を過ごしたことで 

図らずも美術史に永遠の名を留めることになった

  オーヴェール シュル オワーズ (Auvers sur Oise) 

  パリの北西30km、 早速、この小さな町を訪ねて参りましょう

 

                                    

 

   01. ゴッホばかりでなく   多くの画家に インスピレーションを与えた美しいオワーズ川

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    02. 手前には オワーズ川の橋の欄干、     中段には 町並みが連なり、

       画面奥、小高い丘に ゴッホが描いた有名なノートルダム教会が!

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03. オーヴェールは

 ゴッホが生まれたオランダの田舎町ズンデルト(zundert)と友好都市

 


 自分の人生の’始まりと終わり’が手をつなぐとは、 ゴッホも想像だにしなかったのでは・・ 
   

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      04. ゴッホのお陰で   この人口7000の小さな町、 

 

        これからも観光地としては ずっと安泰でしょうね?!

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    05. オーヴェール、 昔、むかし・・・

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      06. ゴッホが描いた<町役場> 

 

      画家達が作品のモチーフとした それぞれの場所に、 

 

      パネルが置いてあって、見比べるのが楽しかったデスヨ

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  07. 実は オーヴェールは、ゴッホばかりでなく 

  セザンヌ、ピサロ、ルノワール、ブラマンクなど  多くの画家を魅了した町・・   

    特に、ドービニーは 町の誇り!

    銅像が建ち、アトリエ(右上)や美術館(右下)なども立派です

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   08. 私が泊った 北ホテル(Hostellerie du Nord)

 

   今は 外観は少し変ってますが  窓からゴッホの教会が見えました~

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     09. さて、これが 件のノートルダム教会 (Eglise Notre-Dame)

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     10. 手前の12世紀の内陣と その後ろに控える鐘楼が 

         安定感のある 見事な構成美を醸し出しています

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 ここにも、ゴッホの有名な絵のパネルが 掲げられておりました

 

 

  夜の8時近いというのに 未だ光に満ちた6月のノートルダムの丘、 

 ゴッホが座って 祈ったかも知れない教会の内部、
    

 ゴッホが見下ろしたかも知れない 崖下の緑の町、

 狂気と正気の間をさ迷いながら 死に至ったゴッホの気持を 思い測りつつ

          私もノートルダムの丘を 逍遥してまいりました~~

 

                         

 

 次のブログは ゴッホが滞在し そこで最期の時を迎えた 

”ラヴー亭 Auberge Ravoux” 、

 

 さらに ゴッホのお墓と麦畑、 へとつづきます

 

                

 

   ところで、今回が ココログ初投稿となります

   レイアウトなど不慣れで、面くらいました~   

 

    全然 思うようにいきませんでしたが      ^&^    

 

 

 

   これからも よろしくお願いします~    

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