ドイツ 「ロマンチック街道」

2016年9月30日 (金)

ドイツ・ロマンチック街道の起点ヴュルツブルク ’朝市風景’

 

    ヴュルツブルクは 南ドイツ・ロマンチック街道の北側の起点となる街。


マイン河畔に発達したヴュルツブルクには 13世紀から歴代の領主司教が住み

城塞や宮殿など華やかな文化遺産が多く残されている。






01.     成田からフランクフルトに着いたのが午後4時ごろ、 レンタカーで

東に100kmほど走って 夕方 ヴュルツブルクに入った。


10月の夜7時頃  「 アルテマイン橋 Alte Mainbrucke 1543年 」

欄干の両側に居並ぶ12体の巨大な聖人像が 暗闇の中 異彩を放っていた。

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02.     一夜明け朝日が差すと 街の様相も一変、 マイン川の水面が光っていた。

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03.     マイン川流域のフランケン地方は 温暖で乾燥しており、 

中世初頭に 修道士たちにより 葡萄の栽培が導入された。 


今日4500haに及ぶぶどう畑から 優れたフランケンワインが 産出されている。

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04.       さて、 昨夜はうら寂しかった橋の上で 賑やかに朝市の準備が始まった !

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05.     毎度のこととは言え、聖人も 足元で繰り広げられる店づくり

どんな気持ちで見ているだろうか ・・

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06.         ふと 丘の上に目をやると  「 マリーエンべルク城塞 

Festung Marienberg 13世紀~ 」 が朝日に輝いていた。

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07.        歴代の司教が住居として来た この丘の上の中世の城は 

1650年以降は  神聖ローマ帝国の要塞として使われた。

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08.     マイン川、ヴュルツブルク市街、フランケンヴァルテ山などを一望出来る

ロケーションは、  敵を見張るには 願ってもない好条件だったでしょう。

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09.       アルテマイン橋の 朝市の賑わいが 遠目からもわかります!

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10.         橋の歩道の片側は 通行人用に空けてある。

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11.        野菜や日用品でなく アート志向の朝市だ。  旅の始まりで

荷物になるので 私は買う訳にはいかなかったが 綺麗な陶器類だった ・・

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12.      通り奥の 「 キーリアン大聖堂 Dom、 1040年建造 」 の

天高くそびえる4本の尖塔は  1945年の大空襲で破壊されたものの 

その後再建された。     豪華な歴史的内部はそのまま保たれている。


この尖塔は まさにヴュルツブルクのランドマークと言えそうです。

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13.     さて マリーエンべルク城塞の丘から 巨大な「 レジデンツ Residenz 」 が

見えた。   世の中の支配者は 治世が安定してくると 戦いに備える要塞山城から

平地に降りて 平和を享受する豪華絢爛な宮殿に住み始めるものだ。



1744年に完成を見た このレジデンツの皇帝の間や 他の部屋べやの設え、 

天井や壁のフレスコ画 彫刻 タピスリー そして庭園などは 

贅を極めた美しさだと言うが 

今回は訪れることが出来なかった。

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  (    レジデンツ内部      シーボルトの娘のおたくさん    シーボルト  )




その他 ヴュルツブルク生れで 日本に馴染み深いシーボルトの博物館も、

畳の部屋があったり 丁寧な日本語表示があったりするらしいが

日程の都合で 割愛せざるを得なかった。





という訳で 駆け足のヴュルツブルク見物ではありましたが 

ロマンチック街道の起点として 街を見ておいた意味は十分あったと言えそうです。









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2016年9月23日 (金)

「ウルム」 教会の尖塔はまるで鳥かご、 運河に傾く木組みの家

   

ドイツ ヴュルツブルク~フュッセン間には 昔の宿場町をつなぐロマンチック街道と

現代の動脈・高速道路A7と 二つの街道が南北に走っている。  


その高速アウトバーンのほぼ中間点あたりに ウルムという古都がある。 






01.     「 ウルム Ulm 」 は ドナウ川沿いに発達した街で、 ドナウ右岸からは

城壁内にある大聖堂や 美しい切妻屋根の家屋が織りなす見事な眺望が楽しめる。


この ドナウから水を引き込んだ運河の先には 「 漁師地区 」 がある。

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02.       「 漁師地区 Fischerviertel 」 には 昔は漁師やなめし皮業者が

住んでいた。  その中世の職人の家々が今では ホテルやレストランになっている。



川沿いのレストランのテラスで 折しも 多くの人が食事を楽しんでいます !

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03.         美しい木組みの建物の足元には 運河が流れ 

柳の葉が風になびき この上ない風情を醸し出している。

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04.      「 傾いた家 Schiefes Haus 1443年 」 と呼ばれる家が 

なめし皮業者用の運河に倒れかかるように建っている。     しかし 

しっかりバランスは取れていて、 現在はホテルとして立派に役目を果たしている。

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05.      「 市庁舎 Rathaus 1370年」  透かし彫りの切妻を持つ優美な建物だ。

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06.      壁一面に装飾模様のだまし絵と 歴史絵が描かれており 

それぞれ物語ごとに説明文が添えられている。


シュトゥットガルトとミュンヘンを結ぶ 東西に走る大動脈の中間点にも当たるウルムが

どれほど豊かな経済力を有して来たか 物語る豪華さだ。

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07.       さて、 ウルムには 地上からの高さが世界一 ( 161m )

という 「 大聖堂 Munster 礎石は1377年 」 が 街の中心に鎮座ましている。


てっぺんの尖塔からは ドナウ川を挟み 手前にアルト ウルム 

向こう側にノイ ウルム、 新旧の街並みが見渡せる。

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08.         いよいよ 尖塔部の最後の細い階段軸に入るところ。  

まるで 自分が 美しい唐草模様の鳥かごに入ったかのようだ。


坊や 腰が引けてますか ~ !

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09.        階段総数は768段。         眼下を見ると目が眩むが、 

ウルム市街 シュヴァーベン山地 アルプス山脈などのパノラマは 正に絶景です !

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10.        さて 当夜のディナーは当然ながら 漁師地区のレストランにて。

5月の夜8時半、 まだ薄明かりが差している。

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11.     料理の写真は ソーセージや豆など ドイツ的なものを選んでみた。



ビールの向こう側 緑の服のシニョールはイタリア人の コンピュータ技師。

彼のデザートは 食卓で炎を高く上げるりんごのブランデーフラッペだった。


下のマダム達は スイスに住んでいるフランス人と フランスに住んでいるスイス人が

ドイツで落ち合ったそうだ。  


みんなで 自分たちが注文した料理を見せ合った。  ドイツではみな気がゆるむ !

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12.      翌朝レストランをも一度パトロールした。  夜とはひと味違うのどけさだ。

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13.      ドナウ川の風景、、、      ママとベイビーと 鳩の隊列  

白鳥とみにくいアヒルの子!?   そして恋人たち 、、、



ウルムは結構な大都会だけれど   ビジネス街に足を向けなかったからか、

木組みの家や川や運河のお蔭か、 のんびりした清らかな思い出ばかりが心に蘇る。

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ロマンチック街道を巡る旅、 是非ウルムも加えてはいかがでしょうか ・・







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2016年9月 2日 (金)

「ネルトリンゲン印鑑みたいな丸い街」「幸せ運んで!コウノトリ」

ロマンチック街道にある円形の中世都市 「 ネルトリンゲン Nordlingen 」

こんな可愛らしい街は やっぱり見逃すことは出来ません。






01.     1870年のフランス軍との戦いを記念する 「 戦争の泉 Kriegerbrunnen 」  を背に 

市場が開かれていた。

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02.     ネルトリンゲンは ぐるりと丸く市壁に囲まれている。

5つある門のうち 北東側の 「 レプジンガー門 Lopsinger Tor 」 から入城。

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03.     ドイツらしい華やかな建物に囲まれた 「 マルクト広場 Marktplatz 」


左側の大きな木組みの館が 「 タンツハウス Tanzhaus 15C 」 

主に繊維産業の拠点だったが 名前の通り 街の集会場兼舞踏場でもあった。

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04.        写真(↓)の中央奥が 「 市庁舎 Rathaus 」 

土産物屋やカフェに囲まれ 結構楽しい広場でした~

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05.     さてこの街の観光のハイライトは  聖ゲオルク教会の塔に昇り

中世そのままの赤い屋根の街の姿を眺めることだ。

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06.     その塔は 「 ダニエル 」 と呼ばれている。


” ダニエルからの眺めを見たくて日本から来た ”  ” あまりの Nice View に

また昇ってきてしまった ”        ノートに書かれた日本人のメモ、 

とにかく すごく的を得ていたので つい引用させていただいちゃいました ~

書かれた方 ありがとう!

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07.      街の周囲に広がるのどかなリース盆地、   実は 1500万年前

ここに隕石が落ちたのだと言う。   隕石の激突の祭 広島に落された原爆の

25万倍のエネルギーが放出され 直径25km深さ4kmの穴が開いた。

しかし 何百万年の年月のうちに このようになだらかな丘となったのだそうだ。



ここの博物館では NASAから借り受けた165gの月の石も見ることが出来る。

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08.       さて これが空から見たネルトリンゲン。 

直径が1kmほどの 印鑑みたいな丸い街だ ! 


しかし実際のところ 

ヘリコプターにでも乗らないと 塔からこんな丸い姿がそっくり見える訳ではない。
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09.      その代わりと言ってはなんですが、  

「 ダニエル 」 から 思いがけなく ’ 丸いもの ’ を発見した。


そう コウノトリの巣 !   しかも卵まで !

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10.      コウノトリのこの巣は 広場に面したあのタンツハウスの屋根に

作られていました。

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11.      さて コウノトリはヨーロッパでは それ程珍しい鳥ではないとは言え

だからといって カラスのように どこででも見かける鳥ではない。



写真は いきなりスペインに飛びますが~   ひと山越えればスペインの南端

ジブラルタル海峡に到着する寸前のとある田舎町、

鉄塔に巣を作る たくさんのコウノトリに出会いました。

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12.      見渡せる範囲の鉄塔10数基ほどに コウノトリの巣が作られていたので、

とても興奮してしまい 写真を沢山撮りました。   


私にとっては これが初めてで しかも二度とないチャンスだったと思います。

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13.      ヨーロッパと言えど コウノトリが厚く分布するのは 

ドイツ 東欧 イベリア半島などが主で、 日本で言うコウノトリとは種類も違うらしい。

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こうして 仲睦まじいコウノトリの番をたくさん目にすることが出来たので

私にも何か幸せが来るでしょか ~~


少なくとも 赤ん坊が授かる歳ではないことだけは確かなのですが !!








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2016年8月19日 (金)

ロマンチック街道「ディンケルスビュール」生きて愛し笑う!

 

ドイツのロマンチック街道筋には 有名なローテンブルクと同じくらい

魅力的な街がいくつかあります。     今回は そのひとつ

「 ディンケルスビュール Dinkelsbuhl 」 を訪ねます。





01.   ディンケルスビュールは ぐるりと城壁に囲まれており、

東西南北に城門が4つ 攻防など様々な役割を持つ塔が15ある。


私達は 北側の 「 ローテンブルク門 Rothenburger Tor」 から

入城。    ドイツらしい 美しい木組みの街並みが待っていました。 

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02.    マルチン・ルター通り Dr.Martin-Luther Str.


千年以上の歴史があるこの街、 19~20世紀に 城壁や濠・洪水調整池などが

改築され 近代的に整備された部分と、   第二次大戦の戦火を逃れた 

貴重な歴史的建造物が中世の面影を見せる部分とが 美しく調和している。 

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03.     中心街 「 ワイン市場通り Weinmarkt 」


なんだか車が多いと感じるでしょうか・・   そう、 ここは観光地と言うよりは

ずっと実際に人々が暮らし続けてきた ’ 現実の街 ’ 。

車が入らなくては 人々の生活が成り立ちません。


つまりは 第二次大戦で壊滅したローテンブルクが 文化財保護の観点から

いわばディズニーランドのような観光エリアとして再生されたのとは 

全く訳が違うのです。

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04.     ワイン市場通りに面したホテルに一泊。  ドイツのホテルは

一般に フランス風ベッドメイキングでなく  日本に近いお布団の整え方。

私は 見かけでなく実利を取った こんなドイツのやり方が好き ! 



ところで たまたま
、 ホテルのパンフに詩みたいなのがありましたよ。

 
” 生きて 愛し そして笑う ”   いかにもビール腹の?ドイツ的な響き、、 

フランス人なら何と表現するだろう、、 イギリス人なら、、 日本人なら、、

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                  ( 右側が 泊まったホテル )







05.     私たちのホテルの左側の建物には 1800年代まで 聖人が

住んでいたらしい。  窓辺の老婦人も 生きて、愛し、笑って来たのカナ・・

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06.    当夜はホテルのレストランのテラス席で 軽くお食事。


ビールと白ワイン、そして私のお気に入り イタリアのスプリッツ・アペロール、

白ソーセージと白アスパラガス、 郷に入っては郷に従えといったディナーでした。 

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07.     「 マルクト広場 MarktPlatz 」 には

ディンケルスビュールの最盛期、15世紀頃の建物が並んでいる。

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08.    「 ドイチェス・ハウス Deutsches Haus 」

現在はホテルになっている。

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09.       明るい 暖色系の街並み

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10.    ディンケルスビュールは  17世紀初頭の 三十年戦争の時、

町を占領し破壊しようとしたスウェーデン軍の隊長に対して、町を救うよう懇願し

破壊から救った子供達を記念して行われる 夏の祭 「 キンダーツェヒェ 」 の

時期以外  観光客がどっと押しかけることは少ない。


従って 百パーセント観光客相手の土産物屋を探すのに苦労した。  本屋 洋服屋

カバン屋 菓子店 文具店などの片隅に それらしい品ものがあるという具合。

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    (  一階部分が 街の人が普通に買い物するお店屋さんになっている。 )


11.     祭りの期間ではなかったけど 大型観光馬車が闊歩してました ・・

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12.    4つの城門のうち 東側の 「 ヴェルニッツ門 Wornitz Tor 」


門を出てみると ヴェルニッツ川から水を引いたお堀がありました。

城壁に沿って水辺の散歩が出来るプロムナードは 静かで心地よかった。

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13.    ローテンブルクにも 3.25リットルのワインを一気飲みして

敵の破壊から街を救った市長さんの話がありました。 

同じバイエルン州の街ですから 似たようないきさつがあるのですね。 

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こちらの方面に行かれる方は、  ローテンブルクの次 

こんなロマンチックなディンケルスビュールに足を伸ばしてはいかがでしょうか。




生きて愛し、 そして幸せな気分になって 心から笑えるかも知れませんから!





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2016年8月12日 (金)

「フッガーライ」 モーツアルトの曾祖父も暮らした貧民の福祉住宅

ドイツの観光ルート ロマンティック街道沿いに点在する中世都市の中でも

主要な都市アウクスブルク。  今回はそこにある 「 社会福祉住宅 」 を訪ねてみた。







01.    「 アウクスブルク Augsburg 」 は カトリックと新教のあいだを取り持った

アウクスブルクの宗教和議 1555年 で有名ですが、  香辛料や銀などの貿易で 

巨万の富を得た大富豪フッガー家の隆盛も 街の歴史に大きな足跡を残している。

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02.      ここは 街の北東部にある 「 フッガーライ Fuggerei 」 と言う名の

集合住宅。    塀に囲まれ 幾つかの城門を持ち 一つの町を形作っている。
   

この集合住宅は 1521年 フッガー家の当主ヤーコプ・フッガー J.Fugger が

貧者のために建設した 世界最古の社会住宅です。

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03.   入居者は アウクスブルクゆかりの者で、 勤勉であるにもかかわらず貧しく 

生活に困っているものが対象となった。  一年間の家賃は 光熱費などは別として 

1ライン・グルデン (現在0.88ユーロ) を納めるだけでよい。


この金額は現在も同じで 変動してないところがスゴイ。

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 (  入場門から入るとガイドがお出迎え。  ガイドなしでも自由に見て回れる。  ) 







04.      尖った三角の赤い破風屋根、 オークルカラーの壁に青い蔦がからまり

清潔で美しい建物。    機能性ばかりでなく 装飾性にも気が配られている。

全部で67棟に区分される長屋に 140のアパルトメントがあると言う。

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05.       今日でも150人が実際に暮らしている。 何人か老人を見かけたが

毎日観光客がやって来る住居、  うるさいと感じるだろうか・・     それとも 

それが かえって励みとなり  誇らしいとも感じるだろうか ・・

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06.       ヤーコプ・フッガーの銅像が公園に設置されていた。  

肖像画は 彼がパトロンとして支援した画家デューラーが描いたもの。


ところで、16世紀 梅毒の治療として南米産の木のエキスに効能があるとされ

’ 木療法 ’ なるものが流行り、 その治療が 写真の木の家で行われたそうだ。


皇帝や枢機卿もその木をフッガー家に注文したというのも 面白い逸話です!

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07.     さて タダにも等しいここの家賃だが そこにはもう一つ重要な条件が

付けられていた。 日に何度か 神と創設者フッガー家に対して祈りを捧げることだ。


フッガー家に対する恩義を忘れさせない狙いも 一部あったかも知れないが、

人々が敬虔で勤勉で真面目な暮らしを送りつつ 自立して行って欲しいという

フッガーの真摯な狙いもあったような気もする。         いずれにせよ



こんな穏やかな日々を過ごせるなら 自然と感謝の気持ちも湧くのではないだろうか・・

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08.        創立当時の室内の様子を再現した部屋

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09.       さて、 真ん中のプレートが掲げられた部屋には 

かのモーツアルトのひいおじいさん フランツ・モーツアルトが 1681年から

1694年に亡くなるまで住んでいた。


フランツは左官職人だったそうだが、  その息子ヨハンは製本師、 

モーツァルトの父親レオポルトは宮廷音楽師。 

そして、モーツアルトは天才ピアニストにして天才作曲家。  興味深い変遷だ。



モーツアルトの才能は 祖先たちの血とここアウクスブルクが源泉かも知れない。

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10.       現代はこんな住まい方をしています ~

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11.       フッガーライには 百を越える煙突が立っている。    本来

暖房兼キッチンの数だけ煙突がある訳だが 今はガス調理・暖房になっている。



玄関ベルの取っ手は どれも違う形をしている。 街灯も玄関燈もなかった時代

真っ暗闇の中でも 触れば自分の玄関がわかる仕組みとなっていたのだとか ・・

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12.       「 聖マルクス教会 」   

花は生花でしたから 近日中に結婚式があったはずです。

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13.      こちらはアウクスブルク市内の 「 聖ウルリヒおよび聖アフラ・バシリカ教会 」

いかにも豪華な造りだ。  こうした豊かな富の一部を貧者の厚生に向けるという発想は

確かにある意味宗教的な発想には違いありません。 



しかし 今日まで500年も連綿と 無事運営が続いてきたことをみると、 

お慈悲を与えるといった宗教行為と言うよりは  ドイツ人のクールで知的な社会学に

ぴったりはまる運営思想が この社会住宅にあったと言えるでしょう。

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イタリアには 身寄りのない音楽家,

 ピアニストやヴァイオリニスト 声楽家たちが入る老人ホームがある。


あのオペラ作曲家 ジョゼッペ・ヴェルディが設立した 「 カーサ ・ ヴェルディ 」 だ。

音楽家たちは 素晴らしい環境で 

最後まで自分たちの昔取った杵柄を大切に 暮らすことが出来る。






世界には 実に いろいろな発想 ・ お金の使い方があるものですね ・・・ 








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2014年5月 2日 (金)

「ノイシュヴァンシュタイン城」「リンダーホーフ城」 美男王の狂気の産物!

南ドイツ「 フッセン Fussen 」 という町は ドイツロマンチック街道の終着点として有名ですが

むしろ アルプスの山裾に位置する 「 ドイツアルペン街道 花形の町 」と言う方が相応しいかも知れない




フッセン郊外の小高い丘には、 世界中の観光客がやって来る バイエルン王宮の二つの城があります







01.    「 ホーエンシュヴァンガウ城 Schloss Hohenschwangau 」

一見 ホテルかなとも思えるほど 新しく 整っている城で ( 1832~1836年築 )、 

その足元は 押し寄せる多くの観光客用の 駐車場になっていました 

 



マクシミリアン2世が 12Cの廃墟城のあとに 建てたものだが、  彼の長男 世に名高い

 
” ワーグナーに執着した ルートヴィヒ2世 ” が 夢見がちな少年時代の大半を過ごしたのもここ

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02.    モンサンミッシェルと並んで ’ 是非行ってみたい人気観光地 ’ となったこの地域に 

多国籍の観光客が 大勢 押し寄せていました ~ 

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03.     ディズニーランドの シンデレラ城のモデルとなったと言われる

「 ノイシュヴァンシュタイン城 Schloss Neuschwanstein 1886年 」




この城を作った ルートヴィヒ2世は、  約1km離れた ホーエンシュヴァンガウ城の窓から  

望遠鏡で 城の工事の進捗状況を観察したという                           ところで、




ノイシュヴァンシュタイン城は 歴史的には結構最近の建物で、 鉄骨造り、当初からエレベーターや電話が備わており

 ’ ほぼ現代建築だった ’ と言えるのではないでしょうか

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04.    治世を等閑にし 芸術に耽溺していたルートヴィヒは、 

ワーグナーのローエングリンの場面を描いた居間、タンホイザー伝説を彷彿とさせる庭など

一般的な城の概念からかけ離れた ” マニアックで夢のような城 ” を
築こうとした


発注先が 建築家でなく 舞台装置家や画家だったということからも その異常さが窺えます




ディズニーランドに真似されたこの城ですが、 こちらこそが既に 本家 ” シンデレラ城 ” だったとも言えそうです 





前回城の中に入ったので 私は今回は遠くから眺めるだけにしましたが、 私が訪れた3カ月後、 13年にわたる


改装工事が終了し( 昨2013年 )、   このシートが取れ 今は 白亜の美しい姿が見られるそうですよ ! 

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05.      実際のところ、  こんな君主 ” 狂王 ” に付き合う政府や国民は たまったものではない。 



ルートヴィヒ2世が この城で暮らしたのは わずか170日。 1886年6月10日 ミュンヘンから派遣された 

政府委員会によって 王の廃位が通告され、  その3日後  王は シュタルンベルク湖で

医師のフォン・グッデンと共に 謎の死を遂げている。  他殺説も自殺説もあり、 ミステリーのままだ  ・・・

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(   城を東側から眺めています    こちら側は 嘘のように静かでした!   )    








06.     フッセンの東側 町を巻くように流れる レッヒ川



オーストリアとの国境付近に 「 レッヒ滝 Lechfall 」がある。  雨上がりで 濁流が 渦巻いていた

普段は 青く澄んだ水が 段々になった堰を サラサラと流れ落ちている

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07.    川は この先の 水利を目的とした人工湖 フォルゲン湖 Forggensee に向かっている

岩肌には 水利開発に寄与した マクシミリアン2世の像。       変わった 男性トイレでした ~ !



こんな水流を見ていたら きっとトイレに行きたくなりますよね !?

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08.     「 リンダーホーフ城 Schloss Linderhof 」 ( 1869~1879年築 )

狂王 ルートヴィヒ2世は  森に覆われた アマルガウの谷間にも こんな小宮殿を建てている 



360度 見渡す限り 目に入るのは深い緑だけ ・・  イタリアの別荘をモデルに 池やテラス 噴水・花壇を

中心軸に沿って配置しているが、 谷間の斜面を利用したことで ひときわハイセンスな立体感が生れている

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09.     この頃 オリエントの物語や ドイツの英雄伝説などに憑りつかれていたルートヴィヒは

モロッコ風の家や パリ万博で購入したムーア風のあずまやなどを庭に配置し、 そのムードに浸ったという

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10.    しかし 宮殿の内部はもっと凄い。  基本的には ヴェルサイユ宮殿を模したと言われるが

贅を尽くした内装は、 未だ現役として使われるマドリード王宮と並んで 豪華さは一番かも知れない



ルイ14世 ルイ15世 ポンパドール夫人 デュバリー夫人などの肖像画や胸像に ルートヴィヒは 

毎日 挨拶をして回ったという

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(  この宮殿に入るにも 長い行列を作る必要があります  )







11.    凝りに凝った演出の最たるものが 「 ヴィーナスの洞窟 Grotte 」 



ワーグナーの楽劇 「 タンホイザー 」 の ヴィーナス山 Venusberg の雰囲気を醸し出そうとして

わざわざ人工的に作ったもの。   金色の小舟が浮かぶ池には 実際白鳥が入れられることもあったという



カラーライティングも含め、 当時も オペラの舞台装置らしく 色々な演出があったかも知れない

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12.     ところで ルートヴィヒ2世と言えば ” 美男 ” で一世を風靡したものでした

私のブログ 「 ミュンヘン ” のん兵衛天国 ”」の回で、 彼のお墓と ハンサムな写真を掲載しましたが、



あんな儚いほどの美男も 肖像画によれば、 晩年は こんな風に太り また歳を重ねたと見えます (上の写真)




噴水の前で 記念写真を撮る彼は もしかして ルートヴィヒの化身かしら ・・

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彼の夢想のために 国民の血税が浪費され 政治も等閑にされた 当時の人々からしたら、 

ルートヴィヒは  呆れてモノが言えないような はらわたが煮えくり返るような存在だったかもしれない。  



しかし こうして いくつものお城と個性的な文化が残った ・・   




歴史とは  いつも いつも 摩訶不思議なもの !!

2014年4月18日 (金)

「オットーボイレン大修道院」かくも華麗で、かくもおどろおどろしい!

南ドイツ、バイエルン州に 「 オットーボイレン大修道院 Ottobeuren 」 がある




旅行では どこの教会も大聖堂も 私は必ず訪れていますが 、いつもブログの記事にするとは限りません

その立派さを伝え切れないからでもあり、 またある意味 どこも同じように見えてしまうからでもあります







01.   しかし 今回の「 オットーボイレン修道院 付属教会 Klosterkirche 」は特別でした  



緑なす丘の上、修道院の広大な敷地に 子供たちが 自転車に乗ってやって来ました ・・・ 

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02.    ” ドイツバロック様式の白眉 ” とされるこの聖堂は 南ドイツの大建築家フィッシャーを中心に

多くの ドイツ人やイタリア人の芸術家を動員して 18世紀に完成しました

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03.     大聖堂の中に入った時 普通は 暗闇に目が慣れるのに数秒かかるものですが、 ここでは 

パッと輝く白い壁がお出迎え、 その華やかで洗練された装飾空間に 目を丸くいたしました ! 

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04.    キリスト教教会の伝統的な習慣とは異なり この教会の身廊は 南北に長く建てられているので

朝日と夕日の時間帯に 日差しが入り込みやすい




堂内は 豪華なロココ調の装飾で覆われ尽されているものの  柔らかい調和に満ちている

白と金を基調に ピンク 黄色 オークル 紫 ブルーグレイなど 色合いがハーフトーンだからかも知れない

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05.        内陣 聖職者席 諸々の祭壇 説教壇 柱 天井 守護天使の像 祭壇画 等々 

見事な造りを このブログで 全てご紹介したいところですが  写真の容量制限があるのが残念です ~ !

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06.     中でも 特筆するとしたら、 天井の 数々のフレスコ画でしょうか ~  



下から見上げられることを前提に、遠近法を駆使して 見事に仕上げられている

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07.     しかし 丸天井の漆喰装飾と絵画が巧みに組み合わされていて、 どこまでが立体の漆喰で

どこからが平面の絵なのか なかなか区別がつかない。   極端な場合、構造上の制約で 真っ平な天井に 

丸いドーム型の騙し絵が描かれることもあるし、  一人の人間の上半身が絵で 足は立体なんてこともある。




目を皿のようにして見てみたいものですね !

今日の西洋の ’ だまし絵 ’ の技術は こうした 歴史的なバックグラウンドの賜物かも知れない

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08.    さて、話変わって  キリストの使徒や聖人たちには その特異な死、非業の死にまつわる

様々な逸話が語られている。   例えば この「 聖セバスティアヌス 」、 



時の皇帝に 裏切りの嫌疑をかけられ、 刑場で 射手たちにより 身体じゅうがハリネズミのようになるまで

矢を射続けられた という伝説が残っている。  しかしその場では 完全な死に至らず、 人に助けられ 


命拾いしたものの、 後年セバスティアヌスは 再び皇帝の命で ’ 死ぬまで ’ 殴打され 命を落とした

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09.     キリスト教には そうした  残酷な逸話に 事欠かないが、


この世の物としては 恐らく最高に美しいであろう 「 オットーボイレン修道院付属教会 」にも

ハッとするような ” おどろおどろしいコーナー ” があった。   聖人の衣装をまとった骸骨だ !

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10.     キリスト教には ” 聖遺物 ” を大切にし  有難がる風習があるが、 

聖人の遺骨をそっくり保存して、 飾り付けるのは その究極の例かも知れない
   




通常 地下のカタコンベには 大腿骨、上腕骨、頭蓋骨などが パーツごとに集められ 山と積まれているものだが  

身体丸ごと保存され 美しい法衣を着せられ、 地下ではなく 地上の大聖堂のケースに収められた聖人たち 

恐らく 百年に一人といった 特別な存在、 相当偉い聖職者だったに違いない !

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11.    ” 骨 ” も 聖遺物ともなれば 美しい装飾品で、 人々が まだ素朴な心情を持っていた時代には

一本の骨をも 本当に有難く 崇めたに違いない ! 

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12.     この大聖堂のそばには さらに大きな修道院の建物がある。 764年には 

ここオットーボイレンに ベネディクト会修道院が創設され 皇帝の庇護のもと 著しい発展を遂げ 



16世紀には世界初の印刷所も開かれ 学問も盛んに行われたという

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観光で大人気の ドイツロマンチック街道のコースからは 少し外れるが、 オットーボイレンまで足を延ばし

” かくも華麗で、かくもおどろおどろしい ”  オットーボイレン修道院付属教会を 訪れて見ませんか ! 

2013年4月21日 (日)

ローテンブルク 「市長の一気飲み」と「極貧が残した中世の美」

ローテンブルク (ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Rothenburg ob der Tauber)は 

南ドイツを  南北に走る「 ロマンチック街道 」と 東西に走る「 古城街道 」の 交わるあたりに位置し 

曲がりくねるタウバー川 Tauberのほとり、 城壁にぐるりと取り囲まれている

 

  club                        club

01.   ローテンブルクは 17世紀の 三十年戦争までは 自由都市として それなりに栄えていました
 


しかし、ルターの宗教改革によって 新教派と旧教派の対立が生じると、
 

それを契機に ハプスブルク家が掌握する各国にも 内紛が起き、 それぞれの事情や利害に左右された  

まるで 宗教的根拠からはかけ離れた戦いが  ヨーロッパ中に繰り広げられて行ったのです



とりわけ 戦の中心地だったドイツは 都市も農村も荒廃し 経済も大きく疲弊しました

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02.  たまたま プロテスタント側に付いたローテンブルクの 三十年戦争に費やした代償は余りに大きく

戦争後 数百年もの間 貧しいまま 再び立ち直ることができずにおりました



その貧しさ故、 町を 新しく城壁の外に拡大することも、 時代の流行にマッチした新しいタイプの家に

建て替えることもできず、 中世の姿のまま 時代から取り残されてしまったのですが、、、

しかし、なんとその極貧のお陰で こうして今日こんなメルヘンチックな町が そっくり残ったのです!

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( ヘルンガッセ Herrngasse     町の要人たちの 旧屋敷が建ち並んでいます )









03.    ”毎日がクリスマス ”という 専門店「 ケーテ・ヴォールファールト 」の前には

年がら年中 クリスマスプレゼントを屋根に載せた車が止まっている ( 写真右下 )

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04.   「 市長の一気飲み マイスタートルンク Mistertrunk 」



1631年 三十年戦争のさ中、 ローテンブルクを陥落させ、意気上がる 皇帝軍の将軍ティリーは 

勝利の証しとして 町を破壊し、議員全員の首も刎ねようとした!  しかし、なんとか急場を凌ごうと 

ローテンブルクの市長が 土地最高のワインを差し出すと、  そのあまりの美味しさに 将軍の心が和み、

寛容さが彼の胸を満たした・・・! ( アルコールの力は偉大です!! )

  wine                    wine



将軍は 大ジョッキー(3リットル4分の1)のワインを 一気に飲み干すものあれば 

この町を助けようではないか と提案した・・・  すると  市長ヌッシュが 見事にこの大技に成功し    

町は救われた!!  町を救った老市長は その後三日間眠り続けたものの 八十歳まで長生きしたそうです

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( マルクト広場にある 市議宴会館の壁の仕掛け時計、 時間になると 窓が開き

左に将軍ティリー、右に老市長ヌッシュが現れ ワインを飲み干す場面が再現される 写真右下 

その時の ワインジョッキーの実物は 博物館で見られます  )









05.   毎年5月 ローテンブルクでは その「 マイスタートルンク 」を再現する祭りが行われる

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06.   皇帝軍と 地元軍の行進が行われ、 広場では さまざまな余興に花が咲く・・

「 マイスタートルンクの再現劇 」は 市役所の中で行われ、それを見るには 前売り券を買う必要があります~

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07.     ところで、 17世紀と18世紀は 極貧の中で細々と暮らしていたローテンブルクですが 

19世紀になると この町の ”古臭い”特異な美しさが 逆に目立つようになり、 保存措置が取られ

この頃から この町を観光目的で訪れるという動きが ボチボチ始まったという

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08.    子供たちは 祭りへ参加して ただウキウキすればいい、と言うものでもないようだ

光が眩しく、 時々 髪が引きつれる・・ 

おめかしは 子供たちには我慢の時、  髪を結う母親たちにも 勝負の時! 

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09.    さて、これが 木彫像の傑作を数々生み出したドイツで 最も有名な 

「 リーメンシュナイダー Riemenschneider 」の作品 

聖ヤーコプス教会 St Jakob にある 「 聖血の祭壇 Heilig-Blut-Altar 」


ユダが背中を見せ キリストと対峙している独特な構図・・  余計なものをそぎ落としていく日本の木像に対し

木で ここまで表現出来るのかというような 迫真の人物表現です


因みに 写真右上、小さな二人の天使が支える柱の丸ガラスの中に キリストの血の滴が保存されているらしい

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10.   13世紀から14世紀にかけて築かれた 城壁 Stadtmauer 

塔屋を含め 完全に保存されているので 歩いて町をほぼ一周出来る

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11.   ローテンブルクは 地図で見ると 可愛い”ワイングラスの形 ”をしている



表通りは 綺麗な街並みだが 裏側では 家庭菜園などが作られていて 

有名な観光地でも ちゃんと普通の暮らしをしているのだなあ、と ホッとする

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12.       因みに 上の「 聖ヤーコプス教会の 西祭壇 」は 「 聖血 」を安置するために

わざわざ作られたものだが、 こうした聖人にまつわる「 聖遺物 」は 古来 多くの教会が

やっきになって収集したものでした


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とりわけ キリスト自身に関するものが 最高クラスとされ、  キリストが磔にされた十字架の一片

キリストがかぶせられた茨の冠、 手足に打つ付けられた釘、 わき腹を槍で突かれた時流れ出た血 などが

最高に尊いものとされる

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しかし 本当に そんなホンモノが この世にあるのだろうか ・・    こうしたものの真贋は 

なかなか決着が付け難いし  中には 科学的検証で 偽物とされたものもある


そんなこんなで カトリック教会も 現在では 聖遺物などには頼らず、”純粋な信仰 ”を奨励している

「聖書」だけを 信仰の拠り所とした プロテスタントの境地に 少し近づいたと言えるかも知れない


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しかし いろいろな聖遺物やら 聖人の骸骨やら キリストの顔が浮き出た布とか マリア像から流れる涙とか

そうしたものを 信仰の拠り所とする人々の心は 人間的でいとおしく、

人間が人間である限り  そうした傾向は 絶対無くならないかも知れませんね ・・・・

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