ドイツ「 古城街道 」

2013年5月25日 (土)

ハイデルベルクから行ってみたい町 キララ、美しいドイツの宝石

ハイデルベルクから 是非足を延ばしたい 二つの町がある

それ程 有名ではないけれど、 行ってみたら オ~~っとため息が出ること請け合いです!


一つは「 ヒルシュホルン Hirschhorn 」、もう一つは「 ヘッペンハイム Heppenheim 」

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01.   「 ヒルシュホルン 」は ハイデルベルクの東 19km、 

ネッカー川が激しく湾曲するあたり、  1200年頃 ヒルシュホルン家によって作られた町

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(  丘の上が 「 ヒルシュホルン城 」  )







02.    「 ヒルシュホルン城の塔 」の 急こう配の階段をよじ登り てっぺんまで行くと  

ネッカー川に面した美しい眺望が開ける

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03.     実はこの古城、  今はホテルとなっている



ホテルの25部屋のうち、  特に 新婚さん向きの 

ロマンチックな天蓋ベッド付き  ”ハ二ムーンスイート(174ユーロ ) ”が ここの自慢です

 
新婚旅行に ハワイやニューカレドニアもいいけれど  「 ヒルシュホルン 」はいかがでしょうか!



日本のテレビで取り上げられて以来、 お客の半分以上が日本人ということで

ホームページも 独・英・日本語ですから コンタクトしやすいかもしれません・・

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(  手前が 人気の 「 ヒルシュホルン古城ホテル 」の テラスレストラン )







04.     いわゆる大企業が 財力を以って開発するリゾートホテルとは また一味違う 

ドイツの歴史の重みと地の利を そのまま生かした古城ホテル、 そしてこの景観


  
   

こればかりは 参りました、、、 畏れ入りました、、、 

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05.    町の郊外で 蚤の市

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06.    どんなものが売られているか 見て回るだけでも 楽しいものですね

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07.    さて、 次の 「 ヘッペンハイム 」は 小粒ながら 宝石のように美しく 可愛い町


ハイデルベルクから北へ27km、 ダルムシュタットまで続く 古くからの山岳道路

「 ベルクシュトラーセ Bergstrasse 」の 中間点に位置している

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(  マリアの泉  )









08.    マルクト広場に面した 「 ヘッペンハイム市庁舎 」

木組みの家々で囲まれた この美しい広場、   やはり これぞドイツ !

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09.    ヘッペンハイムは、 408もの 保護文化財に指定された文化記念物が 

オールドタウンに ギュッと集中しているので 見て回りやすい

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10.      ” ライン盆地の東端 ” に位置している 「 ベルクシュトラーセ 」街道

 
 

ライン渓谷に向かって なだらかに傾斜している日当たりのよい地勢のため  日照に恵まれ、 

他の地域にさきがけて 果樹の花が咲くことで有名だとか ・・ 

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11.     ” ライン盆地の西側 ”には ぶどう畑が連なる 有名な「 ワイン街道 」がありますが


ここヘッペンハイムにも 小さいながら葡萄畑があり、   ベルクシュトラーセの恵まれた季候と 

肥沃な土壌によって 『 ヘッペンハイマー・シュロスベルク 』という 極めて品質の高いワインを産出している

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12.      丘の上にあるのが  「 シュタルケンブルク城 」

カール大帝によって割譲されたこの地を守るために 1065年に 築かれた中世の城塞

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ところで、 ヘッペンハイムには、 中世の頃より ユダヤ人が暮らしており、  既に 当時から  

教会による ユダヤ人迫害が行われ、 近代においても ユダヤ人排斥運動が 繰り返されて来たと言う


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とりわけ、 何万と言う人々が命を落とした 「 ダッハウ強制収容所 」の外部施設が ヘッペンハイムに作られ、

収容者たちは ガス室へ至る道程の途中駅として そこから ダッハウなどの強制収容所 又は他の殺害施設へと 

送られて行ったそうだ



こんな美しい町にも 第二次大戦の暗い影は及んでいたのです ・・・ 

2013年5月17日 (金)

「うるわしのハイデルベルク」 何故かロマンチック・・!

ライン川の支流 ネッカー川の岸辺に ハイデルベルク Heidelbergの町が広がる

”ハイデルベルク ” という名前の響きは 何故か とてもロマンチック ~




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01.   ハイデルベルクには 1386年創設のドイツ最古の大学があり、 文学者や詩人、作曲家など

訪れた多くの才人が この美しい町から インスピレーションを得たという

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02.   まずは 高台にある 「 ハイデルベルク城 Schloss Heidelberg 」を訪ねます



13Cに プファルツ選帝侯の居城として建設、その後 増築が繰り返されて来たこの城 

結局は 数々の歴史的事象に淘汰され、  今日は ほぼ廃墟に近い姿で 残っている

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(  ディッカートゥルム(太い塔)1533年 付近から 町を見降ろす人々

上の 01.は  ここから撮りました~     )
 









03.   さらに 数段高所にある 「 見晴らしのテラス Scheffelterrasse 」からも 

大パノラマが開ける




世界のあちこちの観光地には  こんな感じの横文字の落書きが あふれていますが

”国辱的だ”と 何度か報道されたお陰か 幸い 日本語の落書きは 最近少ない様な気がします~

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04.   ここから見る ハイデルベルク城は  まるで ” 壁だけが残っている ” かの如し !

右側が 精霊教会 Heiliggeist Kirche、 左側が イエズス教会 Jesuiten Kirche

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05.   城は 三十年戦争や プファルツ継承戦争などで 見事に破壊されて来た訳ですが 

この深い堀は 昔は鹿などの動物を放し飼いにして楽しみ、 戦争時は水を張って敵の侵入を防いだものだという
 

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この城の地下部分には 木樽としては世界一の 「 ワイン大樽 Grosses Fass 」があり

領内から年貢として取り立てたワインが 22万リットルも入っていたが、  ポンプ仕掛けのお陰で

貴婦人でも ワインを容易に汲み上げられたという



樽の前にいる人形は イタリア出身の 「 小人の道化師ぺルケオ 」   1日18本のワインを飲み 

人をからかうのが好きだった彼、  ある日ある人に ワインの代わりに水を勧められたが 

一口飲んだ水の 余りのまずさに驚いて 死んでしまったということです !

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06.   城の東南の角にある 「 崩れた塔 Gesprengter Turm 」

1693年 フランス軍の凄まじい攻撃があった際 仏工兵隊が仕掛た発破によって 爆破されたもの





当時のまま置かれた 無残な姿が  妙に印象的でしたが、     なんと あのゲーテが 

この塔の残骸の有り様が 何とも美しい! と スケッチに描いたことから 話題が話題を呼び、

一度見てみたいという観光客が わざわざ来るようになったということです !

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07.    町のメインストリート 「 ハウプトシュトラッセ Haupt St. 」

丘の上には 先ほどの 「 見晴らしのテラス 」が見える

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08.    学園都市として有名な この町には 今日でも 多くの優秀な学生が集まっていて 

ハイデルベルク大学は 8人のノーベル賞受賞者を 輩出しています

因みに  京都大学ゆかりのノーベル賞受賞者も 8人ですが ・・

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09.     町全体が大学構内のようなハイデルベルクでは 例えば酒場も 学生には 治外法権ということで 

警察の手が及ばず、 酔って喧嘩をしたり 羽目をはずし過ぎた学生の処分は 古来より大学の手で行われました

そうした 学生を収容したのが 「 学生牢 Studentenkarzer 」 1712~1914年



バンカラをよしとした学生達は 学生牢に入ることを 寧ろ名誉とし、 ウイットとユーモアにあふれた落書きや

哲学めいた文を壁に書き、 当時流行していた シルエットによる自画像も 描き添え、 

なんとか 自分の ” 名誉の痕跡 ”を 残そうとしたのです

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10.    ” 生活芸術家 ” という看板が出てました ~  

さらに  ” 写真を撮るなら ここに小銭を入れてね ”という張り紙もありましたよ

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11.    「 アルテ・ブリュッケ Alte Brucke 」 を渡り 対岸にやって来ると  

緑豊かな丘の中腹に 「 哲学者の道 Philosophenweg 」なる小道が 続いていた



ゲーテばかりでなく ヘーゲルや ヤスパース、 マックスウエーバーなど 多くの哲学者もここで暮らし 

この道で 思索研究にふけったことから そう言う名前が付いた ということ ・・

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12.    対岸から眺めると、  「 ハイデルベルク城 」は  なんと 

それらしく形が整った 立派なお城に見えるではありませんか !

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ところで どうして「 ハイデルベルク 」という名前には ロマンチックな響きがあるのでしょう・・・

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ハイデルベルク大学の学生となった ドイツの架空の小公国、ザクセンーカールスブルグ公国の皇太子、

カール・ハインリヒと、   彼が下宿した ネッカー川のほとりにある 旅亭リューダー館の主人の 姪っ子

ケーティとの悲恋を綴った 戯曲 「 アルトハイデルベルク (マイヤー・フェルスター作)」  が

ベルリンで 初演されたのが 1901年、 



日本人外交官と ドイツ人美少女との悲恋を扱った 森鴎外の短編 「 舞姫 」が書かれたのが1890年、

雰囲気は全く違うが いずれも 戦前の 日本の文学青年や 戯曲ファンの心を深く捉えた作品でした





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映画の「 ローマの休日 」や 「 王様と私 」もそうですが、 王様や王女の 平民との恋は 

とりわけ 多くの人々にアピールする ロマンチックな題材と言えるでしょう



最近も スペインやオランダの王室で そんなロマンスが 実際あったのも記憶に新しい

そういう訳で 「 ハイデルベルク 」と聞いただけで ” ロマンチックな思いが 胸にあふれ出す ” 人々が 

今でも 日本に結構多いのは 「 アルトハイデルベルク 」 という作品の影響が

あるからかもしれない ・・・ 

 

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対岸から見る ハイデルベルク城の表側の姿が  後世の人たちの努力で 美しく整えられたことは

” ロマンチック・ハイデルベルク ” の魅力を守る上で 本当に良いことだったと思う ・・・



しかしながら、   側で見る古城は 実際は 廃墟と化していた !     

が、  一見 空しいと感じるはずのその姿は  不思議な魅力に満ちており 力強ささえたたえていたのです
 

”  古城は 死してなお芸術的であり  ロマンチックだった !!  ”




一度は このロマンチックなハイデルベルクを訪ねてみても いいかも知れませんね ・・・

 

2013年5月 4日 (土)

「バード・ヴィンプフェン」 粘って≪ 東山魁夷 ≫と同じ写真を撮りました!

「 バード・ヴィンプフェン Bad Wimpfen 」は  ハイデルベルクの南東 約40km、

かつて 神聖ローマ帝国の皇帝の城があった 「 ドイツ古城街道 」の小要塞都市




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01.    川岸に樹木が生い茂る ネッカー川 Neckar 流域には 数々の城がそびえており、

河川輸送の大動脈である ライン川とつながっている為  この川の交通量は多い

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02.    かつて ヨーロッパ中を支配した 神聖ローマ帝国には 定まった首都がなく 

皇帝は帝国内の幾つかの拠点を移動しながら 領土内を統治していました   その拠点の町を 

「 カイザーシュタット 」と呼び、 皇帝が滞在した城を 「 カイザープファルツ 」と呼びますが

 

その 「 カイザープファルツ 」が ここにあったのですから 一応 凄い町だったと言えるでしょう!

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03.    現在は 観光客が 大挙して押しかける様な 派手な町ではありませんが

そんな 神聖で! 静かな町に惹かれたのが 日本画家 ≪ 東山魁夷 ≫




町の象徴とも言える 「 青の塔 Blauer Turm 」から俯瞰した 切妻屋根の美しい町、 

望遠でやっと捉えた そのほんの小さな一角を 東山は ≪ 静かな町 ≫という 絵にしています

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04.    こちらが、 町の中心の マルクト広場 Markt-platz から見た「 青の塔 」 

この塔には 監視哨があり 20世紀半ばまで 絶えることなく 番人が住んでいたそうです

予約ナシでしたが この広場に面した ホテル・ヴァインマンに 飛び込みで 部屋を取ることが出来ました

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(  塔の手前は 市役所 Rathaus  )









05.    ホテルの部屋の窓から 福音派教会が見えましたが、 鐘の音もよく聞こえました




各時報毎、  さらに15分間隔で 教会の鐘が鳴るのですが、 その鳴らし方が 15分、30分、45分と

それぞれ厳密に異なっていて  さすが 律儀で正確なドイツ人気質だことと、妙に感心しました bell

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06.    町の人たち・・   観光客とは 一目で違いがわかりますね ・・

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07.    旧市街の通りには 美しい木組みの家々が並んでいます

バード・ヴィンプフェンは 「 下の町 Wimpfen im Tal 」と 「 上の町 Wimpfen am Berg 」に

分かれていますが、  中世のたたずまいが残っているのが 上の町


特に 下の町の「 塩田 」では 製塩産業が 富をもたらし、

「 塩泉 」は 温泉療法のセラピーにも役立つとして、 1835年には 公衆浴場やホテルが開業、

加えて 当時  鉄道が敷かれたことから、 ますます観光事業が盛んとなったという経緯がある




それで 近世 経済的に発展したバード・ヴィンプフェンでしたが、 上の町、オールドタウンの方は 

幸い戦災も免れ  ” 時が止まったかのような 中世の趣き ”を そっくり残しているのです

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08.   木組みと言っても 日本の木造とは違います ~

ほら、木枠の内側に ぎっしりレンガが 詰め込まれているでしょう ・・・

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09.   下の町にある「 聖ペテロ ・ 聖パウロ司教座教会 」に付属する 中庭回廊 1350年頃 

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10.   1182年に 神聖ローマ皇帝 赤髭王バルバロッサが 築いた「 皇帝城カイザープファルツ 」は

実際は 現在 殆んど崩壊していますが、    ネッカー川の土手に沿って 

当時「 皇帝の間 」があったとされる場所に  アーチの窓付きの壁だけが ひっそりと残っています



たった一面の 赤い壁ではありますが 歴史の重みと寂寥感が感じられました ~

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日本画家 ≪ 東山魁夷 ≫も 彼の絵の左手に この壁を しっかり 描きこんでおりますよ・・ downwardleft









11.    ≪ 古都遠望 ≫ 東山魁夷 1971年

東山は 暮色に包まれた美しい中世の古都にすっかり魅せられ、「 中世の景観を損なう何ものも加えられてない

ことに 驚きの目を見張らずにいられなかった 」と述懐しています



作品は ” 東山ブルー ”の淡いフィルターがかけられ 冷静で厳粛な構成の中に 豊かな詩情を漂わせている 

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12.   さて これが ネッカー川越しに見る 実際の風景、 スカッと明るい切れ味です 
    

バードヴィンプフェンは ” ドイツで 最もスカイラインのシルエットが 美しい町 ”とされています




実は この写真、橋の中ほどに 一時停車して車から撮ったもの  後続の車にクラクションを鳴らされました   sweat01  

焦りましたけど  この景色の余りの素晴らしさに 何としても撮らずにいられなかった !

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それから1年ほど経ったある日、 

東京国立近代美術館の「 東山魁夷展 」で  この絵に ばったり遭遇しました sign01

それまで 東山魁夷が バードヴィンプフェンを描いていたとは 全く知らなかったのです・・・! 





  

折しも 日経新聞では 日本画家の千住博が  ” 詩魂の一点 ” として 

特に  この ≪ 古都遠望 ≫を 紹介していました 




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あの時、 ≪ 東山魁夷 ≫と同じまなざしで、 ≪ 古都を遠望 ≫する 写真を撮ることが出来て

後続の車に ブーブーッと 煽られながらも 粘った甲斐があったと言うものでした !!

2013年4月28日 (日)

「シュヴェービッシュ・ハル」 ドイツの魅力が詰まった町で フランス人のこ洒落た挨拶

シュヴェービッシュ・ハル Schwabisch・Hall は 

団体客が押し寄せるような 派手な町ではないけれど ドイツの魅力がギュッと詰まった町

ケルト時代から 塩水鉱泉から塩が生産され、 12世紀 神聖ローマ帝国時代からは 

Hallerという帝国通貨が鋳造され、 以来 「塩」と「銀貨」で 栄えて来ました 

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01.   コッヒャー川の谷沿い 急峻な土手に築かれたこの町、 町全体が坂道だらけ・・

マルクト広場 Markplatzでは 「 聖ミヒャエル教会 StMichael 」の大階段が

さらに 上へと伸びている

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02.   聖ミヒャエル教会(15C)の 53段もある巨大な正面階段では  夏、古典文学劇が上演される   

' 宝塚 ' ではありませんが 役者が登場したら 映えるでしょうね~~

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(  写真左は 市庁舎 Rathaus(18C)  右は 珍しく四角い形をした噴水 Marktbrunnen

罪人を縛り付けた 「 晒し台(右端) 」もある  )








03.   町には 15~16Cの木骨組みの家が いくつか残っていますが

左側の切妻の家も 町の3分の2が消失したという 1728年の火災を 幸い免れたものの一つ

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04.   シュヴェービッシュ・ハルは 今でも塩水が湧いており 塩水浴場 Solebad が人気ですが

大学や各種の職業学校も充実していて  学生たちが 結構目立ちます

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05.   聖ミヒャエル教会にも ドイツ特有の 木彫りのキリスト磔刑像(1494年)がありました



金と彩色が施されていますが、  左から右へ 三つのキリスト受難の場面を追っていくと

聖母マリアの絶望の姿に 胸打たれるものがあります

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06.   地下墓地内の ’カタコンベ ’  ガラスを通して 上から覗けるようになっている
 



因みに オーストリアの人気観光地「 ハル・シュタット 」にも、塩と関係した単語「 ハル 」が付いており

やはり 塩の生産が行われ、 カタコンベには 同じく ペインティングされた綺麗な骸骨が 並んでいました

古来 同じ文化圏だったということでしょうか  ・・

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07.   さて 美しい木骨組の家々が建ち並ぶ コッヒャー川 Kocher には 

このような 屋根付きの歩行者専用の木橋が 幾つか架かり なかなかの趣きです

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08.   伝統的な木骨組みの家々ですが 3階あたりまでは 基礎部分が石造りとなっていて

洪水にも耐えられそう ・・  一番奥の大きな建物は「 ノイバウ Neubau 」と呼ばれる 昔の武器庫



ところで ”木組みの家 ”は 日本人としては心惹かれますが 日本の木造と同じと思ったら 間違い !  

お洒落な木枠の内側には 大なり小なり 石やレンガがびっしり詰め込まれていて、 

実際は 重量が嵩む武器だって詰め込める仕組み となっている場合もあるのです

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09.   石橋の中央にお堂がありました  その中には 老婆の人形が2体、 

コインを入れると 老婆たちが 人生訓を だみ声で 滔々と語り出す 



よい食事の仕方、よいお掃除の仕方、よい人付き合いの方法、よい趣味の楽しみ方  等々 

「 よりよい人生の過ごし方 」を かなりのブラックユーモアを交えて語っているらしい    

ドイツ人には大受けでしたから !!

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10.   さて その夜のディナーは 小さなレストラン、  満席だったので ドイツ人夫婦(左側)と

相席となりました    彼らはヒトコトも英語を話さず、 ドイツ語での拙い会話となりましたが、

結婚した年と 子供の数が 私たちと 全く同じことがわかりました~~




ふと気付くと あとからやって来た夫婦と 何やら親しげ・・  てっきり 仲のいい友人かと思いましたが

” いいえェ~~ 今知り合ったばかりよッ ” ですって !

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11.    後から来た夫婦は 例の ’ドイツとフランスが獲り合いしたアルザス地方 ’の人で

つまりは ドイツ語もフランス語も ペラペラ、、、 幸運にも 貴重な通訳となってくれました




ついでに このレストランのスペシャリテが 「 鶏のロースト 」だということを 教えてくれたのですが

私たちは 既に別なものを注文してしまい 後の祭り!!

あたりを見回すと ほぼ全員が 鶏肉を食べていました ~~ sweat01

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12.    ドイツ人の旦那さんは 唐草模様の看板、手すりやベンチの足部分などを作る鉄細工の職人さん    

長男が父親の手伝いを始め 多分跡取りとなることが なんとも嬉しく 誇りであるらしい



翌年 夫婦で アメリカ旅行をすると言っていたが  

ドイツは 結構グループツアーが盛んな国、 英語については 心配には及ばないでしょう

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フランス人の方は 旦那さんが54歳、  奥さんは53歳で 介護ホームで働いている 

常時10人程のお年寄りの面倒を見て いろいろ精神的に疲れてしまったとか・・・

それで 20日間の休暇中だそう   ( 見たところ 元気はつらつでしたが ! )

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その翌朝  教会に付属する修道院の前で ばったり このフランス人夫婦に 再び会った

建物の説明などをしてくれたあと 別れ際に フランス旦那、 恭しく私の手を取り 手の甲にチュッとした



こんな地方の片隅で そんな こ洒落た挨拶の仕方が とっさに出るなんて  eye sign01





独仏のはざまにある アルザス地方とは言え、 フランス国籍に戻って もう久しい

”  やっぱり彼らは 生粋のフランス人だ!   ”

・・・ 心の中で 面白がった私でした ・・・
 







2013年4月 9日 (火)

「ニュルンベルク」ナチが裁かれた町、おもちゃと木像彫刻、そしてソーセージ

ニュルンベルクは 重要な交易路が交差する町で、15世紀から16世紀にかけて 繁栄の頂点にありました

ちょうど  芸術や科学 そして職人仕事の粋を 見せつける ’ショウウインドウ ’のような町でした




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01.   ニュルンベルクは  第二次大戦までは ドイツで最も美しい街の一つでしたが

戦争で 変わり果てた姿となってからも、 街のど真ん中を流れる このペグニッツ川 Pegnitz だけは 

川面に緑の影を宿しつつ 美しい中世の面影を留めて来ました~

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( ペグニッツ川を ”またいでいるのが ” 旧市街をぐるりと取り囲む城壁 の一部 ) 









02.   しかしながら、その気高い美しさ故に、 ニュルンベルクは  ヒットラーによって

ゲルマン民族の権威を示す 典型的な舞台装置として、 ナチス党 年一回の全国大会のデモ行進を行う

恰好の場として 選ばれてしまったのです

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03.   ドイツ民族が世界で最も優れた民族だとする 「 ドイツ至上主義 」を唱えたヒットラーは 



この街を 自らが作り上げようとしていた第三帝国の ”イデオロギー上の首都 ”となし、 

ユダヤ人迫害の大義となった 「 反ユダヤ主義の綱領 」を、 1935年 ここで制定・公布した

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歴史上のそんな喧騒をよそに 今日も 静まり返る ペグニッツ川

木製の ヘンカーシュテーク橋 Henkerstegは ロマンチックで デートコースにピッタリですね! 








04.    戦後、1945年11月 戦勝国による 「 ニュルンベルク裁判 」が始まり 

その国際軍事法廷で ナチスの24人の最高幹部と 秘密警察とナチの親衛隊など 8つの組織が 

’戦争犯罪と平和と人道への罪 ’で告発され 裁かれました




 

ヒットラーが華々しい宣伝活動を行ったこの街で ナチが裁かれたのは 皮肉でもあり 又当然でもあったでしょう

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05.   大戦中、この街の九割が破壊されましたが 時を経て それぞれが忠実に復元されています

13~15世紀にかけて造られた「 聖ローレンツ教会 St.Lorenz Kirche 」もその一つ

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06.   聖ローレンツ教会の 内陣の天井から下がっている 「 受胎告知のレリーフ(天使の挨拶) 」は

彫刻家 ファイト・シュトスの傑作として 有名です

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07.   ニュルンベルクの「 ゲルマン国立博物館 Germanisches Nationalmuseum 」 は

ドイツでも最大の展示面積と 多岐にわたる展示内容を誇っており、  実際 何を見たらよいか迷いますが

せっかくドイツに行ったなら、 このような「 木像彫刻 」を見逃すわけに行かないでしょう




日本では 木の仏像は 別に珍しくもないが、 石の文化の西洋で 木彫にお目にかかると 

意外と 不思議な魅力を感じるものです・・・ 

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08.    この博物館の、 聖母や天使、使徒や聖人などの彫像は かなり技巧的なのですが 

同時に写実的で妙に人間的・・    人物の内面や精神性をも 見事に表現している・・ 




ドイツでは 「 木像彫刻 」を見る(追いかける?)旅が成り立つほど あちこちに傑作が多いのです 

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09.   玩具産業が有名だった ニュルンベルクには 「 おもちゃ博物館 Spielzeugmseum 」もある

3階建てだったでしょうか~  所狭しと 様々なおもちゃが並んでいましたが




 
正直言って、  ” 西洋アンティークのドールハウス ”などは 別として

おもちゃ全般は 日本も全然負けていないなあと、感じたものでした ・・

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10.   「 中央広場 Hauptmarkt 」   まさに ここがニュルンベルクの中心地

正面の 「 フラウエン教会 Frauenkirche 」では 正午になると 仕掛け時計が 動き出し、

皇帝と7人の選帝侯の人形が登場する




ドイツの諸都市での こうした仕掛け時計こそ 根本は ’玩具産業の技の結晶 ’なのかもしれません

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11.    広場には 「 美しの泉 Schner Brunnen 」という ゴシック様式の泉水がある

金ピカの 40人もの人物像で飾られており ニュルンベルクの 最も人気のある観光目玉のひとつです


鉄柵に付いている 金のリングを3周回すうちに 願い事をせよ、 と言われています・・

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12.   さて、ニュルンベルクのソーセージは ドイツで一番美味しいといわれるが

炭火で焼かれた 5cmくらいの 香辛料の利いた小型ソーセージが テーブルにやって来た




付け合わせは ザワークラウト, ポテト団子と肉団子, ホワイトアスパラスープなど

典型的なドイツ料理ばかり ・・       ボーイさんは 4か国語を話します



    

何でも イタリア語は ローマに住んでいたから、 フランス語は 彼女がフランス人だったから 

話せるんですって・・       じゃあ 次の彼女は 日本人にしないと・・・!

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余談ですが、 今日 日本人は ドイツのソーセージだって イタリアの生ハムだって フランスのお菓子だって

イタリアのピッツァだって  現地で修行して あっという間に 本場の技術と味を習得してしまう

だから 最近は 日本で食べるものと 現地のものは 驚くほど違っている訳ではない・・

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しかしながら、スペインの生ハムと フランスのバゲットだけは まだまだ 修行の余地がありそう~

もしかして ” 空気そのもの ”が 美味しさの原因だとしたら どうしようもないですけど・・・ !  

 

2013年4月 2日 (火)

「ニュルンベルク」 デューラーが暮らした街 ”憂鬱だっていいんです!”

ニュルンベルク Nurnberg といえば、 サッカーファンには 清武弘嗣の「 FCニュルンベルク 」

音楽ファンには ワーグナーの 「 ニュルンベルクのマイスタージンガー 」

歴史に詳しい人には ナチ戦犯に対する 「 ニュルンベルク裁判 」、、、


そして、何と言っても 絵画ファンにとっての 「 アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer 」が

ニュルンベルクの華と言えるのではないでしょうか

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01.   街の北側 小高い岩山に、 15世紀半ばに完成した神聖ローマ皇帝の城

「 カイザーブルク Kaiserburg城 」が 堂々とそびえています


  

その 主塔 ジンヴェルトゥルム Sinwellturmから眺める ニュルンベルクの風景は 値千金!

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02.      主搭の足元、 カイザーブルク 城壁内の様子

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03.   城の一部は 自然の岩肌を取り込んで造られています

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   ( 搭に登る 木製の螺旋階段 ) 








4.   カイザーブルクの両端から伸びる城壁が ニュルンベルクの旧市街ををぐるりと取り囲んでいる



大昔の城壁は たいてい 戦争で破壊されたり 街の発展を妨げるからと 取り壊されたりするものですが

ニュルンベルクの城壁は ドイツで唯一 ほぼ無傷で残っている!

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05.  さて、「 カイザーブルク 」の目の前に、   デューラーが  1509年から 

亡くなる1528年まで 20年近く暮らした「 デューラーハウス Durerhaus 」がある

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( 右側の 赤い木枠模様の家が 築600年の デューラーハウス )








06.    デューラー28歳時の「 自画像 」は ミュンヘンの アルテ・ピナコテークにありますが

13歳・ 22歳・ 26歳時の 魅力的な自画像も含め、 

” 自画像を作品として描いた ” 初めての画家だったと 言われており、



作品には 金細工師の子らしく 金彩による AとDの 独特なサイン(モノグラム)が

印されていますが    ” 絵画にモノグラムを記したのも ” 彼が最初だと 言われています 



 

因みに 自分をキリストになぞらえ 堂々と真正面から描いた この構図も 大変珍しく

彼のただならぬ決意が窺えます

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07.   室内の家具や 制作道具などは 当時のまま、、、 

デュ-ラーがここで生活したかと思うと 心が震えました~!

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08.   ところで、 デューラー(1471~1528)は 

ダ・ヴィンチ(1452~1519)や ラファエロ(1483~1520)と ほぼ同時代人


イタリアに2度旅行して、イタリアルネッサンスから 大いなる刺激を受けたデューラーですが  

同時に ダ・ヴィンチやラファエロからも 尊敬を勝ち得て、 書簡などを交わしていたと言う


また マルチン・ルター(1483~1546)とも ほぼ同時代人

    


ルターの宗教改革に共感したデューラーは  ニュルンベルク市が 新教側に付くことを知り、

「 四人の使徒 」という絵を市に寄贈し、ルター訳の聖書の言葉を絵に添えている

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09.    銅版画 「 メランコリア Melancholia 」


深い瞑想にふける女性の背には 翼が生え、  室内には 釘、鋸、鉋などの大工道具、 梯子や砂時計、

痩せこけた犬と童子、 どの列も足すと34になる魔法陣、炎を上げる炉と 水の風景と きらめく彗星と虹




” 名状しがたい不思議 ”があふれた画面だ・・  世の中には 謎を紐解く多くの論文や本が出ていて

ギリシャ哲学、イタリア・ドイツの自然哲学、それらと芸術の融合を 解説してくれている

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しかし、  難しいことは さて置き、

ただ一つ言えることは 登場した人物も道具も 「 憂鬱質の擬人像 」だということ !


人間は ’知性 ’を持ったその瞬間から ’憂鬱 ’という気質を 同時に背負うことになったに違いない

デューラーの この銅版画は ” 憂鬱は人間の証し ” ” 憂鬱だっていいんです! ”って言ってくれる

ある意味 心強い 一枚の絵と 言えるかも知れません ・・・  

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10.    デューラーハウスの窓から カイザーブルクと ティアゲルトナー門広場が見える

窓越しに こんな日常風景を垣間見ながら 彼は 毎日制作に勤しんだのですね~


ところで 「 ティアゲルトナー門 Tiergartnertor 広場 」 には 

奇妙な ” うさぎのブロンズオブジェ ” がある

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11.    このオブジェは  30年ほど前に設置された 現代作家の作品ですが

これは デューラーの水彩画 「 野うさぎ 」1502年を 念頭に 作られている



デューラーのうさぎは 毛一本一本にいたるまで 細密に 卓越した技量で描かれているが 

警戒心と憂鬱さを湛えた その表情は ” 可愛らしいうさぎ ”とは ほど遠い

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ブロンズオブジェの方も、 壊れた木箱に 木っ端と共に押し込められた 大小のうさぎたち 

気味悪く、  
いかにも意味不明!!     ふと気づくと 人間の足がはみ出しているではありませんか~ 

まるで ” うさぎという形をした憂鬱 ”に 人間が押し潰されているかのようだ ・・・


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12.   さて、 今回は  デューラーハウスのすぐ隣のホテルに 宿泊したが

城や城壁につづくこのエリア、

つま先上がりの 極端に急こう配な道に 嫌気が差し 2泊の予定を1泊で切り上げてしまった~

穏やかなステイを望むなら 旧市街の真ん中の広場や ペグニッツ川沿いに 素敵なホテルが多々あるが・・

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そんなホテルではありましたが、   メイドさんが 民族衣装でお出迎え

この時期(6月)、南ドイツのお天気は気まぐれ・・・ 晴れていても 急に雨が降って来る・・・

ガーデンチェアのクッションを 慌てて取り込むメイドの姿は 

まるで 中世の 一幅の絵画のようだった






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世界遺産の威容ばかりでなく こんな 何気ない一瞬が 瞼に焼付く、、、、、  

旅とはなんと不思議なもの!

2013年3月22日 (金)

ドイツ古城街道「 古都バンベルク 」は 明るく華やかで女性にお勧め

「 古城街道 」は ドイツ西部のマンハイムから ハイデルブルク、ローテンブルク、

ニュルンベルクなどを通って チェコのプラハまで伸びている

今回は その「 古城街道 」で、中世から栄えて来た「 バンベルク Bamberg 」を訪
ねます




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01.    レグニッツ川 Regnitz の小島が そっくりそのまま建物となっている 

それが この街のシンボル「 旧市庁舎 Altes Rathaus 」 

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02.    隣の中州を囲むように いくつかの小橋がかけられている  

堰を流れ落ちる急流を眺めているだけで 30分は過ごせます・・

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03.   ここは 神聖ローマ帝国 ハインリッヒ二世(1002~1024年)の時代に

宮廷がおかれ 司教都市としても発展した街ですから 歴史の古さは太鼓判でしょう



1237年に完成した 大聖堂 Dom と 

その内陣にある「 バンベルクの騎士像 Bamberger Reiter 」 は芸術的価値が高く必見

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ところで 日本で 「 バンベルク交響楽団 」と言う名を 見聞きする機会はとても多いですね

そこの指揮者の ブロムシュテットさんは 日本のN響の 名誉指揮者でもあり、

’ドイツもの ’を 得意とした時代のN響を 支えて来た一人と言えそうです

( ’フランスもの ’を得意とする デュトワさんが来てから N響の守備範囲も 一層広がりましたが・・ )



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04.    18世紀に改造された 風変わりな建物、 川の真ん中に建っている あの「 旧市庁舎 」の入り口

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05.    ファサード一面に  雰囲気ある壁画が描かれている

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06.    旧市庁舎の川下側の橋からは レグニッツ川岸に建ち並ぶ 古い漁師町の屋根が明るく輝いて見える


このあたりが 「 小ヴェネチア地区 Klein-Venedig 」 と呼ばれているところ

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07.     ウンテレ橋 Untere Brucke

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08.    小さな橋の上 人々が それぞれ思い思いに過ごしています



’橋の上で輪になって踊ろよ ’ という歌もありますが、  

朝市が開かれたり、 待ち合わせをしたり、 闘いの攻防線となったり、 ヒロインが身を投げたり、、 

西洋の橋は いつの世も 社会の縮図と言えそうですね

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09.    橋の右手に建つ像は ハインリッヒ二世の妻 「 クニグンデ皇后 Kunigunde 」

彼女には 「 クニグンデの神明裁判 」という逸話がある


クニグンデを罠に陥れんとして ” 彼女の貞操は汚れている ”という訴えが なされた時、

彼女は 赤く焼けた’こて’を踏んで 身の潔白を証明したという

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時代は違いますが、  バンベルクは ” 魔女狩り ”の中心地のひとつでした

クニグンデのように 難を逃れた人もいましたが、 悲劇的運命から逃れられなかった 人も多く

17世紀初頭の4年間だけで、 300人もの人々が 拷問を受け 薪の上で焼かれたということです

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10.    旧市庁舎から大聖堂にかけての界隈は ウキウキとそぞろ歩く人々でいっぱい

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11.    バンベルクには、 400年もの伝統がある「 クリッペ Krippe 」

(受胎告知や キリスト生誕などにまつわる聖書物語を 人形などで構成した 大小様々な飾り付けや置き物 )が

有名ですが、 そんなもの 高くて手が出ません ! sweat01



地元の焼き物、 黄色とブルーの 小さい花瓶を買いました~

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12.    それから、 旅の思い出に  版画を一枚買いました



D・Toblerという人の絵から 版画を起こしたもので ”婚礼の祝辞 ”というタイトル

お洒落した人々や 楽隊が集う めでたい婚礼の一場面は 

まさに 私の旅に花を添える 素晴らしいお土産となりました~

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ドイツ  「 古城街道 」 つづきます~

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