モントリオールとケベックシティ ”私は忘れない”

2013年2月 1日 (金)

ケベック・シティ 大都会の隣に ” 大瀑布とグルメの島 ”

ケベック・シティの夕暮れ時、 丘から港を見下ろすのもロマンチック、、

古い建物の壁を染める 夕日もロマンチック、、、



                                                     

01.  「 クリスマス・デコレーション・ブティック La Boutique de Noel de Quebec 」

クリスマスのオーナメントは ドイツやフランスなど欧米の国々で ” 季節もの ”ではなく ”通年商品 ”、

玩具や文具と同様 一年を通して 人々が必要としています!

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02.   ケベック・シティで一番有名なレストラン 

「 オーザンシアン カナディアン Aux Anciens Canadian 」(写真左下)は

17世紀の古民家を改装したもので、 屋根は 雪が積もりにくい 急こう配になっている



お客が一杯で 入れません! 早めに予約しておくべきでした   

樹木が 大砲の弾を食べてしまっている・・   私も 何でもいいから 早く食べたいもの!

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03.   レストランが居並ぶ サン・ルイ通り Rue St-Louis 夕方6時ごろ、

さすが北国   観光客の出足が早い! 



8~9時ごろからスタートする スペインやイタリアのように のんびり構えていたら 食いはぐれます~

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04.   結局 連日 「 イタリアン 」となりました・・ 
 



日本人にとっては 世界中で ”中華 ”は 便利な食事ですが、

西洋人にとって ”イタリアン ”は 最近はどこでも かなり受け入れられています~

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05.   さて、次は 郊外に出かけましょう~   ケベック・シティから北へ 車で20分、

「 モンモランシー滝 Chute Montmorency 」
  

滝の上にかかる橋を歩く人影が 見えますか ~

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06.   吊り橋は 滝が 今まさに 落下しようとする地点に作られている

じっと見つめていると 吸い込まれそう・・・  



アメリカ五大湖全ての水の流れを一身に集めて たゆとう大河、セント・ローレンス川、

「 モンモランシー 」の流れも 当然のように そこに合流します

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07.   落差83メートル、 ナイアガラの滝が53~55メートルですから 高さでは負けていない !

冬季は ほぼ結氷するので、アイスクライミングの聖地となるらしい



山奥でなく 大都会のすぐ側に このような雄大な大自然が控えている・・  

” それこそカナダ ”  なのです!

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08.   次は セント・ローレンス川に浮かぶ島、 「 オルレアン島 Ile d’Orleans 」


前回の記事では ケベック・シティ側から この島を見遥かしましたが

今回は その逆、オルレアン島から ケベック・シティを眺めます~



向って左側が ケベック・シティの 「 オールドタウン 」、 

右半分が 高層ビルが立ち並ぶ 「 ニュータウン 」だということが 見て取れる

真冬はこの川が 凍結し、世界が一変! 馬車やソリなどで渡れるようになるということです 

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09.   島に渡る 唯一の橋、1.74kmの「 オルレアン橋 」が作られたのが 1935年

それまでは いわば ” 閉ざされた島 ”だったので、都市化せず 昔のままの 

古い生活様式が 残っている訳です

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( モンモランシー滝の水流が セント・ローレンス川に 合流する地点に オルレアン橋があります )







10.  島民は 主にフランスのブルターニュやノルマンディから 移住したものが多く、

17~19世紀の古い家屋が 600軒ほど残っている 


   

家の真ん中に 暖炉、チムニーがあるのが 典型的なスタイルですが、  

最近は 写真のように 
美しい別荘が 建ち並ぶようにもなっている

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11.   主に農業が盛んで、 この島の野菜・果物は ケベック・シティの市場で売られます


島のあちこちに 直売所がありますが 

この日は 特に ”お子様、夢の一日 ” と題した 移動遊園地が 開かれておりました

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12.  「 オルレアン島 」は 長さ34km、幅8km・・

私たちは ひたすらのんびりと 光を浴び風に吹かれて、 島一周のドライブを楽しみましたが



今や 島は 地元の産物を使った味自慢のレストランがたくさんある ” グルメの島 ”となっているので、 

ゆっくり滞在するのも一案です!   

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さて、今回で ” カナダ東部 セント・ローレンス川沿いの旅 ”は 終了です


最後は やはり ” メープルの朱赤と カナディアン・ブルー ”で 閉めとするのが一番でしょうか・・!


お読みいただき ありがとうございました



                           

次は 、 bellaのドライブ旅日記 「 ヨーロッパ編 」 が続きます~~

2013年1月25日 (金)

ケベック・シティ 陸軍22連隊のマスコットは山羊とビーバー 由来はな~に?

世界遺産に登録されている カナダ、ケベック・シティの オールドタウン(歴史地区)のうち 

昔のケベック市民は たいてい 「 ロウワータウン 」と呼ばれる 川沿いに住んでいました


                                             



01.  というのも、 岩肌がゴツゴツした「 アッパータウン 」には 教会や軍隊、行政府などはあったものの、

とうてい 普通の人が住めるような場所ではなかったからです ・・

今はこうして ケーブルカーで 楽チンに 往復できますが~ !

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02.  その後 富裕な商人たちが ようやく街の活性化に着手、 高級住宅街が出来始めましたが

北米大陸横断鉄道の開通に伴い 建設された(1893年~) この豪華ホテル

フェアモント・ル・シャトー・フロントナック・ホテル Faimont Le Frontenacの出現で

ケべック・シティは ようやく ” この上なく魅力的な 風景画のような街 ” となりました

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03.  「 アッパータウン 」は 城壁で ぐるりと囲まれており  

東側が セント・ローレンス川の断崖、 西側には 外敵の侵入に備えた3つの門があります

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04.  「 市庁舎 Hotel de Ville 」と その向いの公園では 

ハロウィンを前に それらしい 楽しい飾りが 彩りを添えておりました

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05.  「 要塞博物館 Musee du Fort 」

1759年 イギリスとフランスの間で繰り広げられた激戦の模様を ジオラマと音声で 解説してました~

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( 右上: 英軍と仏軍が戦った広大な敷地、 今は ”戦場公園 ”となっています )









06.  さて、ケベックでの敗戦を機に フランスは カナダを英国に割譲せざるを得なくなりました


行政の高官や軍人は  さっさとフランスに帰ったのですが  

帰るあてもない 貧しい市民や入植者は ただ そこに居続けるしかありませんでした




今でこそ、ケベック・シティは ”フランス系住民が住む お洒落な街 ”などと 評されますが、

当時の入植者は、 母国フランスでは お金に貧したもの、孤児や犯罪者、位の低い兵隊など

いわば ”はぐれもの扱いされた人々 ” が多かったとも言われています

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07.   さて フランス領を手に入れた英国ですが、 もともと 経済活動や貿易の基盤とするのが目的でしたから

フランス人たちに英語を押し付けたり、 英国流の文化・生活を根付かせるようなことはしませんでしたが



8万人近いフランス人の扱いには 手をこまねき、

不穏な住民運動などが起きないよう、 むしろ フランス語文化を温存する方策に出たのです



プロテスタントの英国ではありましたが カナダ人のカトリック信仰に干渉しないことも 保証しました

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( 似顔絵描き、カリカチュア Caricatures  風刺画または滑稽漫画という意味 )









08.  しかしながら 確かにフランス人たちは 激しい弾圧は免れたものの、

実際は 体のいい ” ネグレクト ”を 蒙った と言えそうです ・・




フランス系カナダ人は 小学校を出るとすぐ働きに出、 ひたすら社会の底辺に置かれ、、

イギリス系カナダ人より あらゆる分野で、地位も収入も ずっと低いままの時代が続きました

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( ピアノ、ギター、サッカーなど モデルさんそれぞれの得意分野を 絵の中に描きこんでいますよ~ )








09.  さて、話は 現在のこと・・    ケベック・シティに 駐屯しているのが

「 カナダ陸軍第22連隊 Royal 22m Regiment Canadien Francais」、
 

その駐屯地が カナダ最大の「 星形要塞 シタデル La Citadelle 」です

                      

実は  この連隊には ” 2つのマスコット ” がいる  

一つは 衛兵交代式の時 衛兵と共に登場する 角を金色に染めた < 山羊 bouc >

どうして山羊が 式典に登場するようになったか 由来は定かでないが、 

そもそもは アメリカ独立戦争時、 英軍駐屯部隊に ”山羊の方から ” ふらっと付いて来たらしい 
 

その後 部隊と山羊の付き合いが続き、ヴィクトリア女王に 部隊の山羊が献上されたこともあったという

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現在の山羊には 名前が付いており、 1955年の初代から数えて 

10代目の ” バティッス君 Batisse ” だということまでわかっている




                       






10.   もう一つのマスコットは 

シタデルの門に掲げられている 連隊エンブレムの < ビーバー castor > 

どうして 連隊の象徴がビーバーなのでしょう・・・?


ここの「 衛兵交代式 」は カナダで唯一 フランス語で執り行われるというのに 

衛兵の恰好は 英国バッキンガム宮殿の衛兵そのものだし、 ここの名誉総司令官も エリザベス女王だ

そのくせ?! エンブレムには 

”Je me souviens 私は忘れない(フランスとフランス語を) ”と掲げている ・・・


いろいろなファクターが 入り混じり、  カナダの内情は 実に 複雑です~ !

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( トレゾール通り Rue du Tresor  常時 画家たちが自分の絵を売っている )








11.  ここで 歴史を振り返ってみると 

そもそも カナダに侵攻したヨーロッパ人の 関心を引いたものは まずは「 タラ 」でした

今日の英国のファストフード ” ポテト アンド チップス (ポテトと白身魚のフライ) ”は 

この「 タラ 」があってこその 伝統でしょう!




英・ 仏・ ポルトガルなどは カナダの最良の漁場を荒らしまくったあと、 

引き続き 「 木材 」に目をつける。   そして その後が 「 毛皮 」でした


                          

とりわけ ビーバーの毛皮は 理想的な帽子 ”ビーバーハット ”の素材であったため、

”シルクハット ”に取って代わられるまでの間に、 一説に50万頭というビーバーが乱獲され、 

ビーバーは 絶滅の縁へと追いやられました

                          



因みに、 特定の日以外 肉食をしないはずの聖職者が、 尾の形から ”ビーバーを故意に魚類と認定し ” 

食したことも 乱獲の一端となったという話もあります~~ !

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そう言うことで ビーバーにとっては 誠に迷惑で 悲劇的な数百年ではありましたが

ケベックにとっては ビーバーは 直接・間接 莫大な富をもたらした 恩恵の小動物だったのです



 

体は小さくとも、 木を倒し、ダムを築き、森の形を一変させるほどの実力がある「 ビーバー 」を採用した

連隊のエンブレムから 様々なカナダの歴史が読み取れそうです・・・




                       




12.    さて、 最近のカナダ ケベック州の繁栄ぶりは 周知のごとく ですが

” 私は忘れない、 ジュ ム スヴィアン、 Je me souviens ”なんていう カッコいい標語は、

恐らく フレンチカナディアンが 市民権を回復し 教養と地位を獲得するようになったあかつきに、

ようやく 声高に発するようになったものに違いない・・


因みに 自動車のナンバープレートに 番号と共に この言葉が併記され始めたのは 1978年のこと!

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しかも その標語は 今や イギリスに向けて発しているのではなく、

” カナダ国家 ” に対して ” 独立の機運高まる ケベック市民 ”が発しているのだ、という点も 

注目しておかなければならないでしょう・・・ 




                      


上の写真は 手前が アッパータウンで 城壁も見えますね

画面奥が 急激に川幅を広げる セント・ローレンス川のど真ん中に浮かぶ 中の島、

オルレアン島です~

次回は  そのオルレアン島などを 訪れます 

2013年1月18日 (金)

カナダ・ケベック・シティ 明日も来たい「 シャンプラン通り 」

カナダ ケベック州の州都 ケベック・シティ Quebec Cityは

セント・ローレンス川の向こう岸に フェリーで15分で渡れる程、 川幅が狭い地点に築かれている


ケベック・シティを過ぎるあたりからは、 セント・ローレンスの川幅が どっと広がり、

海水が交じることもある。  運がよければ 潮吹く くじらの姿が見られるほどなのだ 



つまりは 交易上も 要塞としても、 目が行き届く便利な場所に 街が発展したと言えそうです

  ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。





01.  世界文化遺産にも登録されている 「 ケベック・シティ歴史地区 」が

セント・ローレンスの川面に その雄姿を映している         因みに、



ビルが立ち並ぶ いわゆる新市街は この歴史地区の裏手に 碁盤の目のように広がっています

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02.   その ” 歴史地区 ”は 「 ロウワータウン」と 「 アッパータウン 」に分かれていますが

今回は 川岸に近い 「 ロウワータウン 」を ぶらぶらしてみます~~

「 アッパータウン 」の方を 見上げると ケベック・シティの メルクマール、

” フェアモント ・ シャトー ・フロントナック ホテル ”が そびえている !

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03。    ” 転んで落ちると 首の骨が折れてしまうほど急坂だ ” という意味の

「 首折り階段 」付近から、 市内観光の目玉 「 プチ・シャンプラン通り 」が 始まります

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04.  プチ・シャンプラン地区 Quartier du Petit Champlain は

北米でも最も古い繁華街と言われ、17世紀には、港に直結した交易所として 既に町が出来上がっていました

時間帯によっては  押すな押すなの人並みですヨ !

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05.  カナダらしい 木彫や毛皮のお店もありますし、お洒落な小物やアートの店もあります  

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06.   老若男女を問わず、人は皆 この通りに吸い寄せられる・・ !?

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07.  通りの中ほどには 公園があり、 ミュージシャンが音楽を奏で、 ホッと一息 

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08.  ” 要塞都市 ケベック・シティ ”と言うだけあって、 街は、要するに” 崖 ”に作られている

従って、あちこちに 階段や坂道があって それがまた 一層趣きを増しているのかも知れない

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( ケベック・シティのシンボルたる フェアモントホテルが こうして あちこちから確認される訳です~ )



                                





09.  メープル ・ タフィ (メープル水飴)は  2カナダドル 

このあたりは 冬場は零下20~30度まで下がる 極寒の地、  家庭でも

新鮮な雪の上に シロップを流して スティックに飴を巻き取って食べるらしいけど、、、


 

  
お店で売ってる このタフィも  甘くて美味しかった~!!

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10.    フランス人探検家 シャンプラン Champlain が 1608年 初めてここに

植民地住居を建てたという ケベック・シティ発祥の地、 「 ロワイヤル広場 Place Royale 」



この巨大な壁画には ケベックの生活と歴史が 四季の変化と共に描かれている 

絵の下の方は 一種のだまし絵になっていて、 観光客も 絵の一部となることがありますよ・・・

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「 勝利のノートルダム教会 Eglise Notre-Dame des Victoires 」は ↑

連戦連敗のフランス軍が 辛うじて イギリス軍に勝利した際の 記念の教会

” キス・シーン ”は だまし絵でなく ホンモノ です!       ^&^


この他 街のあちこちの建物に かっこいい壁画が描かれていますので、 是非訪ねて見てください・・

                      





11.  夕方 灯りがチラチラ灯る頃、 豪華客船が 港から出て行く

街にドッ~と繰り出した クルーズ船のお客たちも、 いつしか船に戻り、 夕食のあと

楽しかった ケベックシティの夢でも見ながら すやすや眠るのでしょうか ・・・ 

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12.    さァ~て わたしも 

あの ” フュニキュレール Funiculaire (ケーブルカー) ” に乗って

「 アッパー・タウン 」にある ホテルに 帰るとしますかッ ~~

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私は  明日もまた プチ・シャンプラン通りに 来てみたい!

いいえ 来るに違いない ・・・


イヤ 絶対 来るゾ !

                      



そんな ケベック・シティ の 日暮れ時でした

2013年1月11日 (金)

カナダのホエール・ウオッチング: 宿のマダムの下着とヘアピース

カナダ東部、 ケベック・シティの北東 200km、

「 セント・ローレンス川 」と ザグネ・フィヨルドで有名な「 ザグネ川 Saguenay 」の合流部に

「 タドゥサック Tadoussac 」という 保養地がある。  昔は毛皮取引で 栄えた町だが

今は < ホエール・ウオッチング >の拠点として 有名だ 

                        

01.  タドゥサックに行くには まず、 タドゥサック湾を フェリーで渡らなければならない

フェリーは 物流の主要幹線上にあるので、トラックも多く、 そのまま 長方形の巨大な橋の形をしている 

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02.  さて 次は いよいよ タドゥサックから 観光船で クジラを見に出かけます

セント・ローレンス川、  最大で 川幅が10kmもあるという

もう ここは 川なのか、、、、海なのか、、、、  見当もつかない!

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03.  船首に 人々が群がる・・

風向きによるのだろうか、 身を切るほど風が冷たいということもなく 順調な滑り出し

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04.  それでも 広い ” 大海原 ”、 クジラを見つけるのは 容易なことではありません



” 潮吹き ”が 手掛かりになるものの、 水面には 一瞬しかお出ましにならない!

操舵室の船長が 双眼鏡でクジラを探しつつ その方角に向うのです・・

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(  ナガスクジラ、ミンククジラ、ザトウクジラ、大きなシロナガスクジラ、 

そして シロイルカが見られるという。  どれがどれか、わかりませぬが・・・ )


                      






05.  < ホエール・ウオッチング >には 大小様々な船が 出航する 

 
因みに クジラを見つけると、 船内のアナウンスが 知らせてくれる

” 皆さん、1時方向をご覧ください~ ” ” 今度は 8時方向ですよ~ ”



つまり 船首の進行方向を 時計の12時として 方角を伝えるのだ

みんな 甲板を右往左往 !   その都度 真面目に取り組むと 疲れますヨ~~

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06.  ハイ、 これは ” 10時方向 ”     本日1番の大物です~~!

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07.  合計3時間余の 航行だったが、 船が帰途に就く頃  

子供たちは 欠伸をしたり りんごを食べたり、 音楽を聴いたり、 おしゃべりに夢中になる

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08.  大人たちも 暖かい船室に入って ホッとタイム

< ホエール・ウオッチング > より < 人間・ウオッチング >でしょかッ  ^&^

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09.  ところで、 実は この前日、タドゥサックに渡るフェリーの港まで着いたものの

とっぷり日が暮れ  真っ暗闇の 海溝に恐れをなした     それに


 

タドゥサックで ホテルがみつかるかどうか 自信がなかったので、

手前の べ・サント・カトリーヌ Baie Ste Catherine という小さな町で宿を探すことにした

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(  セント・ローレンス川と ザグネ川 二つの流れがぶつかるところ、

波が荒立ち 大いなる 自然のエネルギーを感じました !!  )






通りに 宿らしきものはあったが、 夜も7時近い

川沿いの 寂しい町、、、 灯りのない宿、 呼び鈴に応対のない宿 、、、  

やっと1軒の 「 ジット (ベッドと朝食のみを提供する民宿) 」に 人がいた 
 






★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★



おばさんが 部屋と風呂場などを見せてくれたが ~~   私は見逃さなかった !

洗面台に ” パンティと ヘア・ピース(部分かつら) ” が ちょこんと 乗っていた

まさか お客が来ようとは 思いもせず、 ちょとした油断があったに違いない・・


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★





10.  翌朝 おばさんは 有り合わせの クレープとメープルシロップの朝食を 用意すると

なんと 私たちと同じテーブルで 一緒に食べ始めた!  ちょっとびっくりしたが 可愛い犬もいたし、

おばさんの 身の上話なども聞いて、 それなりに 小さな宿に泊まる意味があった時間となった

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しかし、このジットには  地下や2階に昇り降りする階段もあって 他に部屋がない訳ではないのに、

私たちの泊まった部屋の クローゼットには おばさんの私物が びっしり入っていた・・

お風呂も おばさんの家庭風呂を使った・・  朝食のテーブルも 別室に立派なものがあった・・

なにか 腑に落ちない  ?   ?




                                    





11.   支払の時 ようやく それが 解明した
    


おばさん、その日からしばらく ケベック・シティに 出かけることになっていたのだ

10月、 カナダでは 観光シーズンが終了する。 したがって しばらく「ジット」を閉めると言う

                   

折しも リビングの ” フォトフレーム”では ボーイフレンドの写真が いろいろと

繰り返し、くりかえし 流れていた・・・

想像だが、 そのボーイフレンドと 会うのではないだろうか~

着ていくスーツが 準備され、 テーブルには 新品の靴も 乗っていた 





洗面所の ” ヘアピースもパンティも ” 旅行前の 女心を物語っていたに違いない・・・!!

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12.  部屋もきれいにして 出発準備万端   そんな時、 泊まろうとしたお客がいた

小銭も入るから 断るのはもったいない。  それで ”プライベート・ルーム ”を 提供したのだ・・・!


旅行には 当然 ワン公も連れていく。  犬の名は 文豪 ヴィクトール・ユーゴーと同じ  ” ユーゴー ”

ボン・ ボアヤージ、  マダム & ユーゴー !

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一日ずれていたら ジットは閉まっていて ユーゴーとも 会うことはなかったでしょう

是非欲しいと頼まれた マダムと ユーゴーのツーショット写真、 

その後、メールに添付して あれこれ たくさん送ったことは 言うまでもありません 

2012年12月 6日 (木)

モントリオールは近代的大都会 そして ”私は忘れない”


カナダ、モントリオール Montrealは トロントに次ぐ カナダ第2の都市、 

パリ以外で、 フランス語を話す人口が 一番多い街でもあります

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。




01.  モントリオールは、 所により川幅が5kmもある 雄大なセント・ローレンス川の中州にある街で

旧港沿いの コミュン通りに  観光用の馬車が ずらりとスタンバイ

  

カラフルな車体に 造花などを飾って お客を待ってマス

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02.  街には 経済・金融・通商のメッカたる  摩天楼がそびえる地域と

聖堂や広場、市場などがある 観光にお勧めの 「 旧市街 」とがあります

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03.  「 外階段 」のデザインが それぞれ個性的で、  ちょっとアメリカ的

地上階の梯子は 泥棒除けに ちゃんと外してありますよ・・  上から降りるための「 非常階段 」という訳!

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04.  モントリオール銀行 ( Banque de Montreal )は カナダ最古の銀行 (1847年)

金の装飾で縁どられたエントランスを入ると ホールに 暗緑色の花崗岩の柱が林立している

業務フロアでは しっかり営業中 !   お金を預けてみたくなる銀行でした~  ^&^

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因みに フランス人に ” モ ントリオール ” と言っても 通じません 

”  モンレアル (王様の山) ” というのが 正しい発音です~~




                                                           





05.  ジャック・カルチエ広場 ( Place Jacques Cartier )

真ん中の塔の先端には トラファルガー海戦で スペイン・フランス連合艦隊を破った 「ネルソン提督像」

右側は 「市庁舎」ですが 工事中のカバーに 建物そっくりのイラストが描かれています

フランスのドゴール大統領が 滞在中に ここのバルコニーから ”自由ケベック万歳! ”と 

演説したことで 有名だとか・・

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06.  ジャック・カルチエ広場の レストランで ランチ    
 

この地域では  ’ ポテト ’と ’ クレープ ’が よく出てきました~

( ポテトは 料理ごとに 全部平らげていたら 太るカモ  )

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07.  アーティスト通り ( Rue des Artistes )



モントリオールは 万国博覧会や オリンピック、 花と緑の博覧会などで 一時代を築き、

モントリオール交響楽団、 オペラ・バレー、シルク ド ソレイユなどの活動もあり、

今や 一大文化圏となっています

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08.  ノートルダム大聖堂 ( Basilique Notre Dame 1824年着工)


モントリオールの信徒全員 (当時の)が 入れたという 大聖堂(3500席)ですが

中央祭壇のブルーの光が印象的で、 両側のバルコニーも まるで劇場のようではありませんか!

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カナダの木材資源の豊富さを活かして 祭壇や回廊の木彫装飾が ものすごく立派、

通常 聖書を題材とするステンドグラスも、 ここでは「 モントリオールの歴史画 」が織り込まれている

7000本のパイプを持つ 世界最大級の パイプ・オルガンの音響効果も 素晴らしく、

モントリオール交響楽団の モーツアルトコンサートや、クリスマスのヘンデル・メサイアコンサートは 

市民にとっての 大きな楽しみとなっているそうだ




古色燦然たるヨーロッパの聖堂と違い、 時代が新しいからこその 実用に即した構造と使い道、 

そして 豊富な資金の裏打ちが垣間見える 大聖堂でした

                                                

09.  さて、 フランス系カナダ人が 人口の3分の2を占めるモントリオールでは フランス語が公用語

しかし、ケベック大学や モントリオール大学は フランス系だが  

毛皮貿易で財を成したイギリス人 ジェームズ・マギルの遺産で創立された マギル大学はイギリス系

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10.   ビジネスで英語を使う人も多いし、スコットランドなどからの移民も多い 

従って イギリス文化も ちゃんと存在感はあるのです ~   

                     




ここは 英国風の ビールの醸造所 兼 「パブ」、 

ちょっと酸っぱい白ビール、 フルーティでほろ苦のブロンドビール、 苦味が濃い琥珀色ビール

キャラメルとショコラのモルトから出来た ほんのりコーヒー味の黒ビール、

現代風のレシピで造った おススメの創作ビール、 まで扱っている

あなたなら どれをお試しになりますか ~~  

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11.  工事中でしたが、  この広場 「 プラス・ダルム Place d’Armes 」の 

仕切りの塀に  ” 1760年、フランス兵 ここに武器を置いた ”と 書かれてありました

1760年とは フランスがイギリスに負け、モントリオールが陥落した年、、、

なんと、 工事塀に 教えてもらう モントリオールの歴史でした~!

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12.  イギリスに支配されて250年、 英国系の文化や人々を 内包しつつも、

ケベック州の フレンチカナダ人は それでもやはり ” フランスとフランス語を忘れずにいるのです ”

                     



街中を走る車の ナンバープレートを見てください

”  私は 忘れない Je me souviens ( フランスとフランス語を・・ )  ”     

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一部の個人が 主義主張を アピールしているのではなく、 

” このフレーズ入りの ナンバープレート ”は お役所が作っているのですから 

まさに 畏れ入りました~ と言うしかありません !


本当に  ケベック州が カナダから 独立する日が来るかどうかは 神のみぞ知る、でしょう ・・

                     

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