カナダからの手紙 英国の香り

2012年11月16日 (金)

「アッパー・カナダ・ヴィレッジ」  植民地に逆襲されたイギリスは・・

1783年、 独立戦争を経て  英国から アメリカの独立が叶ったのに、 

英国人であり続けたいと望んだ「 王党派・ロイヤリスト 」が 

アメリカからカナダに 集団で移住した後の生活を再現したのが ここ アッパー・カナダ・ヴィレッジ

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さて、 北米大陸は そもそも ” 西欧諸国の植民地として ”

西洋史に 本格的に登場してきました

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01.  例えば 英国のピューリタンたちが  かの有名な ”メイフラワー号 ”で 

マサチューセッツに やって来たのが 1620年、 しかし 実は その十数年前から

フランスとイギリスによる アメリカの植民地化の熾烈な争いが 始まっていました

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(  セント・ローレンス川から 運河が引かれている  )







02.  まず 先陣を切ったのが(1534年) フランス 

英国に支配権を奪われるまでの100年余、 ミシシッピ川を軸とした ” ニュー・フランス ” は

フランス国王 直轄の植民地として  南部のフロリダ半島まで達し、

  
  

ニューオーリンズに生まれた ”デキシーランド・ジャズ ”も

フランスのリズム ” カドリーユやラグタイム ” をルーツとして 生まれたものなのです

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一方イギリスは、 フランスに70年ほど遅れたが

東海岸の ニューハンプシャーからジョージアにかけて 13州の植民地を持つに至り、

イギリス流の緩やかな統治の元 貿易を軸とした植民地は それなりに活況を呈していました

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(  赤が イギリス統治の13植民地  ピンクが フランス領  黄色が スペイン領  )

(  植物染料で染めた 羊毛を紡ぐ娘   )






03.  しかし、1763年  英仏7年戦争で 敗北したフランスは 

北米の仏領植民地を イギリスに 泣く泣く割譲することになる




それから250年、 一たん カナダを手に入れたイギリスは 今も完全には手放していない

イギリス連邦に加盟する独立国家として エリザベス女王が カナダに ”君臨”しており、
 

まさに カナダは ”アメリカ的な国 ”ではなく ” イギリス的な国 ”である 証しです 

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04.  さて、 アメリカ13州が独立した後、 

なお イギリス側に立っていた「 王党派 Loyalist 」の人々は

13植民地の人口の 3分の1、 125万人に達していました

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(  かぼちゃを 賽の目に切って、 干しカボチャ  )







05.  彼らは 嫌がらせやリンチを受け、 さらには 家を略奪され 財産を没収され、

命からがら、 あるものはイギリスへ戻り、あるものは国外に逃げたのです



特に、土地の無償供与が約束された カナダへは 約8万人が渡ったとされます

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06.   王党派を中心とした 前代未聞の大規模な人口移動により、
 


原住民は別として もともと無人に近かった カナダの土地が、  ほとんど一夜にして 

” 白人が住む オンタリオ州 となった ” という訳 ・・・

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( 有力者の家は 小作農と比べると 豪華な作りでした~







07.  五大湖以北の 「 アッパー・カナダ 」 の町々には  ロンドン、 パース

ケンブリッジ、 リッチモンド、 ストラトフォード、 ヨーク(現トロント) 等々、

直接 イギリスを想起させる 名前が ずらりと並んでいます ~ 

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(  村では  牛ばかりでなく、 豚くんたちも飼育されておりましたよ  )







08.  さて、 ここ カナダ村の広い園内は 馬車で移動・見物することが出来る

当然、馬たちの ”落し物 ”も !   ご愛嬌ですね ・・


電信・電報などをキャッチする電波塔は 
当時から 新聞記事のネタともなる 貴重な情報獲得手段でした

奥の白い教会は クライスト・チャーチ

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09.  ところで、 現在の強大なアメリカが 東海岸の わずか13州から出発したとは 正直 驚きですが、 

 

その後、アメリカは  フランス領、スペイン領、メキシコ領を 次々 手に入れ、
 

ついには ゴールドラッシュに沸いた 西海岸のカルフォルニアに 触手を伸ばし、

約70年で 今日の 大きなアメリカの姿に 近づいていきました




しかし 独立して強くなると 今度は 支配者だったイギリスと アッパー・カナダを舞台に 

何度か闘いましたし、 国内でも 南北戦争という試練を くぐり抜けることになります

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(  ダンス  )  






10.    自分の植民地だったアメリカに 逆襲され、苦しめられることになったイギリスは

自戒も込めて、  その後、アイルランドを含む 英国本国からの移民を奨励し、

カナダを 一層 イギリス色の強い植民地とすることに努めました




もともとイギリスの植民地政策は  そこを ” 治める ” ことではなく、

そこから 本国にとっての生活必需品や 貿易資源を ” かっさらう ” ことでしたから

現地を 本質的に イギリス化する必要はなかったのです



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余談ですが、大英帝国が世界中に植民地を持てた一因は 兵隊さんたちが 粗食に慣れていたから、

という説もあります    ましてや 現地にイギリス文化を持ち込もうなどという

アイディアは無かったかもしれません

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(  パン屋さん、靴屋さん、紡績・フェルト布工場 染めの原料・べにばな  )







11.   しかしながら カナダについては、別でした

かつての アメリカ13植民地のように 急激な民主化が起きないよう 
 



階級制度を設け、 地位や特権に対して 忠誠心を煽り、

” 些細なことから重要なことまで、 英国流の習慣や流儀、原則を教え込むため ”

あらゆる配慮が払われたと言うことです




こうして アッパーカナダは  保守的傾向が強いまま 今日に至っていますが

大都市となると その辺は どうなのでしょうか ・・・ 

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12   大都市と田舎では きっと大きく異なるに違いありません !

それから カナダで 忘れてならないのが フランス系住民 !


100年以上も フランス人として生活して来たのに、 ある日から イギリスの支配を受け・・・

それでも どっこい、フランス語とフランスの精神を忘れなかった フレンチ・カナディアン、、、



そんな 街と人とを 訪ねてみたいものです

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(  ダンスがスンダ あと、  薔薇の垣根越しに 彼らは 散っていきました ~ )


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次回は 仏語圏 、モントリオールへ向かいます

 

2012年11月12日 (月)

「アッパー・カナダ村」 フェルメールの絵のように穏やかな・・・


セント・ローレンス川の上流域、 コーンウオール Cornwallの西、22kmあたりに

「 アッパー・カナダ村 Upper Canada Village 」 というものがある


それは

1860年代の カナダ、オンタリオ州地域にあった建物と人々の生活を そっくり再現した歴史村、

その村に潜入して タイムスリップ、、 ”150年前の素朴なカナダ人 ”に 出会ってみませんか~

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01.  時は1784年、独立戦争で アメリカが 英国から独立を勝ち取ったにも拘わらず、 

なお イギリス人として生きたいと願った多くの避難民が アメリカからカナダに 逃げて来て

このあたりに 自分たちのコロニーを作ったのです

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02.  彼らは 家を建て、農場を作り、学校や病院を設立、

”初期の産業 ”と呼べるものまで起こし、 近代まで 穏やかな英国流の生活を続けて来ました

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(  鍛冶屋   作業の手順や 道具など 当時のままの姿  )







03.  しかし 時が流れ、 やがて 1950年代になると、 

セント・ローレンス川の水運( St.Lawrence Seaway )のキャパシティを上げようと、 

川底を掘り 川幅を広げる工事と 水力発電所の建設が アメリカとカナダの合弁事業で 着手されました

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(  箒作り  )







04.  これにより、流域の8つの村が 水没することとなり、

それら ”失われた村 Lost Villages”と その周辺から 建物が移築保存され 

生活を丸ごと再現したのが 「 アッパー・カナダ村 」なのです

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(  ブリキ職人  )







05.  当時、この新聞社のオーナーは 一人で 何役もこなさねばなりませんでした~



自分の足で取材して 記事を書く、 鉛や木製の活字を1個づつ並べて版木に割付けし、

そして 一枚一枚、手で刷っていく・・・  まさに 八面六臂の活躍です   



しかし、海外のニュースは 他の新聞記事から拝借しなければなりませんでしたし、 

ローカルニュースには しばしば この新聞社のオーナーの私見が 反映されたということです

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06.  ところで、 ”アッパー” とは 五大湖以北を含む セント・ローレンス川の ”上流”という意味で

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カナダの東海岸の地図上では、 下の方にあるのが アッパー・カナダ 

上の方にあるのが ロウワー・カナダ ということになります~   ^&^

(  木工所  )







07.  糸紡ぎ、洋裁、刺繍、キルティングなどの ’実演風景 ’もありましたが、

実演というより、 むしろ 本当にそこに人々が暮らしている 日常の一コマに出会う、という

自然な雰囲気でした ・・・

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(  裁縫学校  )






08.  私たちが訪れたのは 10月初旬で、 村の中は 結構ひっそりとしていましたが

古き佳き時代を懐かしむ カナダ人やアメリカ人が 

40ほどの建物が点在する 60エーカーの この村に、シーズン中は18万人も 訪れるという



とりわけ 学校行事の一環として 子供たちには この上ない体験授業となり

牛の乳搾りも 人気の作業だそうですよ

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09.  ここ カナダ村は、ミシュラン・ガイドで 

” 訪れるべき 北米の歴史的観光スポット ベスト・テン ”に入っているし、

他に並ぶものもない 北アメリカで最も優れた修復事業として「 国際観光賞 」も得ている

日本で 古いものを保存した場合、出来るだけ 人から隔絶して厳粛に保存するか

または 逆に  賑やかな人寄せアトラクションで 派手に人をもてなす場合とがある

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そういう意味では このカナダ村は アトラクションとしては 拍子抜けするほど地味かもしれないが

手に触れることのできる 平凡な日常が そこはかとない香りを漂わせる 

” フェルメールの絵画の境地 ”を 感じさせました ・・・

 

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10.  当時の小学校、   男女は 左右別々の壁際に 座りました

” 七歳にして 席を同じゅうせず ”は 日本だけではなかったのですね~

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11.  ところで、セント・ローレンス川を しゅんせつ・整備したことで、 その後

より大型の貨物船やコンテナ船が 航行できるようになったが

ドイツの「 ライン川 」でも 実は 同じことがありました




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かの有名な ” ローレライの岩 ”の流域で 船の難破事故が多かったのは 

なにも 怪しく妖艶なローレライが 手招きしたからではなく、

あのカーブは もともと 航行の難所だったのです

暗礁を 爆破・しゅんせつした大工事のあとは、 大型船も 無事航行できるようになり、

最早 ローレライの出番はなくなった という訳です

( ローレライの岩から ライン川を見下ろす風景は いずれ「ドイツ編」でお目にかかります~ )

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(  水車小屋  )

12.  ごう音轟く ナイヤガラ瀑布の一滴が オンタリオ湖、 セント・ローレンス川、を経て

こんな穏やかな 水車小屋の裳裾を濡らす・・・  素敵な 水の旅路デスネ ・・・

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広い敷地です  次回も「 アッパー・カナダ・ヴィレッジ 」 を回ります ~~

2012年11月 6日 (火)

カナダ リドー運河とサウザンド・アイランズ ”水の風景画”


カナダの首都 オタワから  リドー運河沿いに南下すると

ナイヤガラ瀑布が流れ込む オンタリオ湖 Lake Ontarioに ぶつかる




この 全長200キロ余の 世界遺産「 リドー歴史街道 Rideau Heritage Route 」は

運河と言えど その大部分が  自然の湖や川を利用して 水路がつながっている



川と滝、水門や跳ね橋、森と大小の湖水、 そこかしこが 美しい水の風景画でした


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01. そろそろ 夕方の6時過ぎ、  ホテルを見つけなくては・・・

この日は リドー運河のほぼ中間点にある スミス・フォールズ Smiths Falls 泊 

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02.  がんばって早起きすると 朝日が眩しい !  川面に靄がかかる

朝になって 初めて気が付いたが  ホテルの目の前の散策路は 

3つあるこの町の水門のうち 最も大きな コンバインド水門 Combined Lockに面していた

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03.  水門の向こう側で 待機している船の水面、 相当高いですね~

水門から解き放たれた 小舟、 なんだか 小躍りして進んで行く! っていう感じ・・

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ところで ここスミス・フォールズは「 王党派 Loyalist 」の人々が移住し 発展させた町



したがって、 イギリス風の暮らし方が垣間見えたとしても 不思議ではありません

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04.  朝食には 食パンと玉子にソーセージ、これにトマトが付けば まさに英国の朝食そのもの・・ 

お昼のホットドッグも パンが柔らかい     イングリッシュ・パブも健在だ

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05.  さて、ここが 

オンタリオ湖に面し 水運で栄えて来た 水の都 「 キングストン Kingston 」

イギリス領時代は 対米国の要衝として 重要な役割を果していた

白亜の石灰岩が用いられた 歴史的建物が多いので、 

” ライムストーンシティ ” とも呼ばれている

 

キングストンは 1841年から 3年間 カナダ連邦の首都だったが、

” 首都が こんなにアメリカに近いのは問題だ ”と、すぐに その座を他に譲ることになった経緯がある

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(  市庁舎 )







06.  キングストーンの
郊外にある 「 フォート・ヘンリー Fort Henry 」 は

1812年の 米英戦争時、 アメリカからの攻撃に備え 造られた砦だが 

今では ガン・パレードや 大砲・デモンストレーション、 衛兵交代式などを見せる 観光地となっている

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ところで イギリスのロンドンなど 大都市では 夜になると ” ファントム・ツアー ”なる余興がある



案内人が 観光客を引き連れて、 ” ほら あの窓から王妃の亡霊が~~ ”などと 怖がらせながら

街の 歴史的逸話にまつわる場所を巡るのだ    

突然 足元を指さされたりすると、 お客が キャ~~っと 悲鳴を上げて 後ずさったりする sweat01



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まあ、英国人のオカルト好きは 有名だが、 やはり ここ フォート・ヘンリーも さすが英国流、

”恐怖の砦 ”なる エンターテインメントが かかっていた

しかし、残念なことに 衛兵交代も 恐怖の砦も 9月までで終了

カナダの秋は足早だ・・・  日本の観光シーズンとは ずれているのでご注意を !



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07.  さて、 キングストンを後にして いよいよ、  オンタリオ湖に源を発し、

カナダとアメリカの発展の礎となった大河「 セント・ローレンス川 St.Lawrence River 」を

辿ることになります~

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08.  「 セント・ローレンス川 」の 源流部には 80kmにわたって 大小の島々が点在している

実際 995から 1010の島があるらしいが、 

その名を 「 サウザンド・アイランズ The Thousands Islands 」と言い、

一大観光地となっている

( ドレッシングの ”サウザンド・アイランズ” も ここの名に因んでいるそうだ )

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川岸からも 島々が見えるが、 クルーズ船に乗ると、 個性的な島の数々を

もっと近くから 楽しく見て回ることが出来る

日本から ” 紅葉 と サウザンド・アイランズを巡るツアー ” もあるそうですが  楽しそう~!

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09.  家一軒分の ミニミニ小島や お城が建つ豪華な島もあるが、 いずれにせよ、 

洪水に悩まされる日本人からしたら 考えられない風景です !!

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(  白黒の写真は ネットから 借用です  )







10.  キングストンから30kmも走らないうちに 何故か道に迷った

  

ガナノック Gananoque という町の インフォーメーションセンターに立ち寄ると

赤い実を透かして カナディアン・ブルーが輝いていた・・・

道に迷って正解でした   カナダの秋が 目に沁みました~~

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11.  カナダの樹 「 メープル Maple 」は 木全体が 一気に赤くなるのでなく、

一本の木の中で、 緑、黄色、赤へと 徐々に変化していく

このあと 嫌と言うほど メープルに出会うことになるが

ここのメープルが まずは ” 初恋の人 ” ということになりました!

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(  赤い実の向こう側が メープルの木  )





12.  ガナノックにも 川と水門があり、 ほとばしる水の流れは

セント・ローレンス川へと降り注ぎ、やがては 大西洋へと 長旅に出るのです・・

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ところで、「 王党派 Loyalist 」とは

1775年、イギリス本国に対して アメリカの13植民地が 独立戦争を起こした時、

ジョージ三世への 忠誠の姿勢を示し、

 ”  植民地アメリカに居ながら   イギリス側に立った人たち ” のこと


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次回は ” これらのロイヤリストが カナダで作った村の 再現地 ”を 訪れます~

2012年10月30日 (火)

オタワ バイワード・マーケット ” 野菜のパレット ”

カナダの首都、オタワ Ottawa の 

リドー運河の東側にある 「 バイワード・マーケット ByWard Market 」 は 

1840年代から 市民の台所として 親しまれてきました

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ざっと見て回りましたが、  野菜・果物の並べ方が なんとも 見事でしたよ ~


南国の市場などでは 放っておいても 色彩の大洪水 !!     

でも、北国では そうはいきません・・  なんとかカラフルに見せようと 知恵を絞る習慣が、 

無意識のうちに 養われて来たのではないかと 想像しました~

 


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”野菜のパレット ” ご一緒に 眺めてみませんか




01. 赤かぶ と 紫キャベツ

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02.  いんげん

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03.  ズッキーニ と 芽キャベツ

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04.  いちご と セロリ

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05.  とうもろこし と キャベツ         

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06.カラー人参 と きゅうり 

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07.   唐辛子か ピーマンのたぐい?

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08.  アップルタルト と ピーチタルト

ラズべリータルト と ブルーベリータルト  ( ’私が作りました’の写真を添えて)

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09.  人参 と カラーじゃがいも

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10.  日本と ほぼ同じですね 

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11.   ラズベリー と ブルーベリー

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12.    カラフル パプリカ

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こうした可愛い 野菜や果物が 

カナダの それぞれの家庭で どんなお料理に 化ける?のでしょうね~~!




.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.





さて、 次回は オタワを出て   「 世界遺産 リドー運河 」 流域を 南下、

オンタリオ湖に 面した街 キングストンに向かいます~

2012年10月25日 (木)

オタワ街歩き : ”こんにちは メープルシロップさん”


カナダの首都オタワ Ottawa   歴史の浅い街で、 これぞ、と言う特色はないのですが

北国らしく 柔らかな日差しが爽やかで  ホッとさせられました~


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★ 






01.  首都ですから やはり 大きいビルが並んでいますが

何故か 空に溶け込む 透明感がありました~    

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02.  さすがに 中国のトイレのように ”開けっぴろげ ”ではないけれど

空港や駅など 公共の場では トイレは このような形


明らかに防犯のため、、、   ”アメリカ的 ” なものの一つでしょうか・・

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( 足が見えるだけでも 結構恥ずかしいものデス )





03.  2階建ての オープン観光バス、  ロンドンのバスは ’赤’ですが、

冬が長い北国 カナダでは これくらいポップでも 十分イケる!?

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04.  大型犬を連れて颯爽と~  なにしろ 国土が広いですからネ    家も広い?

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05.  足早に過ぎゆく カナダの秋、 

ハロゥイン と クリスマスが これからの 長い冬の楽しみ ・・・

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( カナダ訪問時期は 10月前半です  )







06.  かぼちゃにも いろいろ種類があって・・

クリかぼちゃとか ペッパーかぼちゃ   琥珀色かぼちゃとか スイートママかぼちゃ  etc

日本語の看板も見えました~

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07.  こちらも 「 バイワード・マーケット By Ward Market 」での一コマ

カナダには 5000年も前から、  

海で クジラ、アザラシ、魚などを狩猟した イヌイット族、  森林をカヌーで移動した 内陸の狩猟の民    

セントローレンス川流域に定着して とうもろこし かぼちゃなどを育てた 農耕イロクォイ族 などの

” ファースト・ネーションズ (先住民) ”が おりました

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イギリス人の探検家がやって来たのが 1497年、 フランス人がやって来たのが 1534年、

西洋人による カナダ争奪の歴史は 500年も前から繰り広げられていたのです

(  毛皮や羽を素材とした土産物は、 いかにも カナディアン!  )

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08.  バイワード・マーケットには 惣菜屋さんや レストランも 沢山ありました

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                                    ( フィッシュ レストラン )






09.  この日の 夜の食事は  肉・魚・野菜、 なかなかバランスの良いメニューです

とりわけ感動したのが 「 鳥の手羽先 メープル掛け」、 カラッと 香ばしく料理した手羽先に

はちみつや ガーリックなど 6~7種類の ” 仕上げの味付け ”を 選べるのですが

メープルがあまりに美味しくて、ほかに どんな味付けがあったか忘れてしまいました~

旅の初めに 早速出会った  ” こんにちは メープルシロップさん ” でした !

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日本でも 香ばしい手羽先の空揚げや 竜田揚げに メープルをかけて試してみてくださいね 

( 責任は取れましぇん )


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10.  さて、市場では 多種多様な 「 メープル・シロップ 」が 売られていましたが

カナダ旅行では いつ メープルシロップを 買ったらいいかが 問題です

つまり、 ビンが結構重たいので 旅の初めに買ってしまうと 荷物になるし、かといって

帰りの空港の売店では  ローカル色が薄れ、選択の幅が 狭まるし ・・・


旅の後半で ビビビ~っと来たメープルと出会ったら 即 買いましょう!

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11.  工事中の スタジアム   何故か シートが フランス国旗風

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12.  さて、 ” ブーツを履いた コンパス型脚 ” 何組 見つかりますか~~?

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(   10組以上ありますよね・・・     ^&^   ) 

 オタワ つづきます
 

2012年10月18日 (木)

首都オタワ ビクトリア女王に選ばれた水と森の都

 

以前、私は  カナダには アメリカ文化が浸透し、 地理的にも 文化的にも、 

” アメリカと似たような国 ” になっているのかな と想像していました 

しかし、カナダは イギリスとフランスの 開拓と争奪の歴史が刻まれた国 ・・

そして、 アメリカの独立戦争時 英領の植民地として アメリカと戦火を交えた国 ・・


その実態は  想像以上に ” ヨーロッパ的 ” で、 

カナダ独自の文化が しっかり根付いておりました



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今回は まず  カナダの首都、「 オタワ Ottawa 」を 訪ねます~

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01.  オタワ市街は 見事な碁盤の目、 バンクーバーやトロント、モントリオール等もそうですが、

カナダの大都市が 計画的に作られた街だということが よくわかりますね

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02.  オタワ川 Ottawa River を見下ろす丘、パーラメント・ヒルに 

ネオゴシック様式の 壮麗な「 国会議事堂 」がそびえている  


センター、イースト、ウエスト、3つのブロック(それぞれ1865~1877年完成)から成っているが

一部はガイドツアーで見学できる

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03.  「 本会議室 」 イギリスの国会の 対面式構成に よく似ています



昔 イギリス領カナダの首都候補として、 モントリオール、トロントなど4都市が 熾烈な争いを演じていたが、 

ビクトリア女王の裁定により オタワが首都になった経緯がある (1857年)

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04.  議事堂に付属した 「 国会図書館 Parliamentary Library 」

これも 大英博物館の大閲覧室を模した造りで 円型劇場のように美しい



オタワが首都になった時、「 北極に一番近い きこりの村 」と揶揄されたり、

「 侵略者が いかに勇猛果敢に攻め入っても 途中の森で迷子になり、首都に到達できない」と

アメリカの新聞で 皮肉られたこともあった・・

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05.  中央棟にある 「 平和の塔 Peace Tawer 92m 」 の眼下では 

リドー運河が オタワ川に合流し、  遠方には 首都の眺望が広がる 

オタワ川を挟んで向こう側が フランス系のケベック州、 手前が イギリス系オンタリオ州だ



取り立てて これという取り柄がある訳でない ”毛皮商人の町オタワ”が 首都に選ばれたのも

イギリス系とフランス系の両勢力の 微妙なバランスを取るに 好都合だったからに違いない

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06.  このオタワ川を巡る遊覧船があるという・・  昼の腹ごしらえをしてから乗ることに・・


この地の食べ物は ”海の幸” ”山の幸” バランスが取れていて

明らかに フランス食文化の影響を受けている  

食文化に興味の乏しい イギリスの影響だけなら こうはならなかったかも知れない・・!

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07.  水陸両用車 ” Lady Dive号 ” での遊覧です
 



軍用車の払い下げを受けて始まった、 有名な 米・ボストンの ”Duck Tour”を始め、

最近は 日本各地でも 水陸両用車が走っているが、 

ここの売りは オタワ川のゆったりした大きさと 流れの速さかも知れない

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08.  街中を’タイヤで’走っているあいだに 救命胴衣の説明があった     

そして いよいよ ザッブ~ンと水中に !  バックミラーで見る限り 車体がほぼ水没してる!?


でも~  無事に 陸上に 帰ってまいりましたよ ~~

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09.  船から(いえ、バスから?)見たのは このような パーラーメント・ヒル の景色



丘につづく街の高さと オタワ川の水面には これほどの 高低差があります

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10.  全長202km「 リドー運河 Rideau Canal 」には 24の閘門がある

特に ここ オタワ川との合流地、 オタワ水門には 8つの閘門 Locks があり、

船は 320mかけて 24m 上って行く

一つの閘門当たり 3メートルだから 相当な 高低差になります~ !

 ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。



この運河は 1812年の米英戦争のさなか、 セント・ローレンス川の アメリカと国境を接する部分で

アメリカから 攻撃を受けるのを恐れて、 英国陸軍が オンタリオ湖に抜ける

新たな運河を築いたものだが、 結果的には 軍用より 主に木材運搬に用いられ、


 

流域の 多くの巨木が切り倒されたという 切ない歴史もある

( 木材は せっせと 本国・イギリスに送り出されたという  )

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( オタワ水門       閘門の開閉は 全て手作業で行われる )






11.  登る船があるかと思えば 落ちる滝がある
 



「 リドー滝 Rideau Falls 」は 

グリーン島を挟んで 島の両脇から 豪快に オタワ川に降り注いでいる

それが まるでカーテンのようなので、フランス語の カーテン(Rideau)という名が付いたという

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12.  さて、再び 国会議事堂、  東棟と そのゲート

なにやら ” 顔 ”が 見えませんか~   合計いくつ見えますか~ ?

私には 8~9個 見えるのですが・・


なにしろ 「 オタワは カナダの顔 」ですから      ^&^

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(  次回は 街に出てみます ~  )

 


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