「フランスの洪水ビフォー・アフター」「ハンサム顔のビフォー・アフター」
5月~6月にかけて フランスやドイツを襲った洪水のニュースをTVで見るにつけ
世界のあちこちで起こる異常気象が気になるこの頃です。
01. パリでは セーヌ川のプロムナードを水没させ、 いくつかの有名な
橋の足元を今にも襲いそうな濁流を見て 私はハラハラしたものでした。

02. しかし 深刻な被害は パリより南に下った地域に多く出たようだ。
ここは 第一回目のサミット会議が開かれた町 「 ランブイエ Bambouillet 」
慣れない手漕ぎボートに四苦八苦する警官たちの動画もアップされてました。
03. さて 私の心配が的中したのが パリの南西27kmあたりにある
「 シュヴルーズ Chevreuse 」 という町。
長年の友人が住んでいて 一体どうなったか気になっておりました。
04. ごく普通のパリの郊外の町だが 緑地や住宅地のはざ間を様々な姿を
見せながら走る 「 イヴェット川 R. Yvette 」。 その風景は 本当に魅力的だ !
花の季節になると 岸辺を花で飾るコンクールも行われる。
05. 蓮の葉が浮かぶ川面に面して 昔の洗濯場がある。
絵の題材としては 願ってもないロケーションで、 多くの画家が三々五々訪れる。
06. さて この石橋を渡って少し北上したところに、 住まいとは別に
フィリップ達の庭がある。
07. 石塀に囲まれた百坪ほどの草地に リンゴやサクランボの果樹
バラや紫陽花が 点々と植えられている。 収穫のための庭というより
遠くに教会や マドレーヌ城が見える まさにカントリー的な寛ぎの庭だ。
08. その庭がこんな有様だ ! イヴェット川が氾濫することは
たまにあるけれど 庭まで水に浸かったことは初めてだと言う。
正に 洪水による ” 庭のビフォー ・ アフター ” には 驚かされた。
09. ところで この庭は フィリップの母親ドニのものだ。
ドニ一家は 長くパリに住まい、 夫のリタイア時に シュヴルーズに引っ込んだ。
パリ時代の二人は美女・美男の親子と言えるでしょう。
10. シュヴルーズ時代のドニは 私のような家は ’ メゾン・ド・デュー
神の家 ’ と言うのよ と語りつつ、 バカンスの度 年に何十日も孫たちを預かり、
一方 教会での様々な奉仕活動や スキー板ではなく かんじきを履いての
雪山の踏破に意欲を燃やした。
パリ時代の黒髪 白髪となったシュヴルーズ、 ドニのビフォー ・ アフターも感慨深い。
11. 一方フィリップの中年姿も なかなかイケている。 今や立派な建築家だ。
妻ドミニクは パリで歴史資料図書館で働いていたが 仕事の関係で資料を探しに来た
フィリップと知り合い結婚した。 フィリップにとっては再婚となるが ・・
ドミニクに聞いてみた。 フィリップと結婚した理由は?
フィリップの顎を撫でつつ 即答した。 ” ハンサムな顔 ! ”
あの栗色の髪の少年が ロマンスグレーとなった ビフォー・アフターの姿も
ある種の感動だ。
12. さてこちらは 日本での話。 サンドラ一家とフィリップ一家は
シュヴルーズで 家族ぐるみの仲良しだ。 サンドラは今日本で働いている。
サンドラの日本びいきの度合いは図抜けている。 日本語を聞いて話せるばかりか
読み書きも出来る。 夏目漱石やよしもとばなな等も愛読書だ。
スーパーインテリと言って差し支えないだろう。
サンドラは一家で南アフリカで暮らした後 シュヴルーズにやって来た。
事業に成功した彼女の親は金持ちだ。
しかし、 彼女が日本に来るにあたって 親の援助は一切ない。
彼女は東京でちゃんと働き 自立している。
如何にもフランス的な親子関係に ただ感嘆するばかりだ。
13. ところで、 サンドラに ’ フィリップってハンサムよね~ ’ と呟いたら
大笑いされた ! ’ ああいうのハンサムって言わない。 ’
今どきの若い子の好み ロックバンドの誰それなどと 名前を聞いても
分からないだろが、
取りあえず ” 男性のハンサム顔のビフォー ・ アフター ” っていうのがある、
と言う事だけは 思い知ったのでした ~~
シュヴルーズも今は水が引き なんとか平穏な日常が戻ったようだ。
来年の イヴェット川沿いの花のコンテストが楽しみだ !

