ノルマンディ(フランス)

2011年10月29日 (土)

モンサンミッシェル名物 「オムレツ」のお味

 

モンサンミッシェルと言えば、 「メールプラールのオムレツ」が 有名ですね

そもそもは、「プラール母さんが考案したオムレツ」が その始まりでした

( L'Omulette de la Mere Poulard )

                     

01.  さて、当地での 宿ですが、

 
モンサンミッシェルの島内に 重い荷物を運び入れるのも大変だから、と

モンサンミッシェルの ”対岸にあるホテル”に 
予約しておきました 

              

 



しかし、、 ホテルのパーキングに着くと、 時を同じくして
 

日本人ツアーの大型観光バスが、 後からあとから どんどん到着してきたのです

 

なんとなく 胸騒ぎがしましたが、、  案の定、 

 

団体客のために部屋を譲り、 代替えのテルに行って欲しいと、 

 

レセプションのマドモアゼルに 言われてしまった !!

            




こういう時は ちゃんと主張しておかないといけない

bellaめの人格が ’フランスバージョン’に切り替わる

 

「3ヶ月も前からの予約客に対して失礼ではありませんか~! 云々・・・」

しつこく食い下がったが

 



マドモアゼル、 「 あの メールプラール なんですけど~~!」と 困惑顔 ・・・


( つまり、本当は 喜んでもらえる話じゃあないか、、、 

同じ価格で、倍近い値段のホテルに 泊まれるのよ、 という意味 )

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( 画面中央の灯りが漏れている メールプラールの部屋に宿泊 )


 
02.   そういう訳で、 図らずも 

かの 有名な 「メール プラール ホテル」に 泊まることになった


しかし、島内のホテルは  
どこも とんでもない急坂に建っている 

エレベーターもない 4階の部屋まで 螺旋状の階段を 昇り降りすることになった

 

ただし、交渉の甲斐あってか、 ホテルでも最高ランクの、

かつて 多くの有名人が泊まった 
’スイートルーム’が あてがわれた

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03.  早速レストランに降りて行くと、 

 

メール プラールで食べたり、泊まったりした 有名人の写真が ずらり、壁いっぱいに 飾られている

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04.  こうなったら 「オムレツ」を食べない訳にいかない

でも コースで 結構なお値段!  ( ワイン込みで 2人 150ユーロ )

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     ( 壁の一部は モンサンミッシェルの岩肌が むき出しとなっている )






05.  オムレツは 底の深い 丸いフライパンで焼かれるので、かなり分厚く 大きい



肝心のお味は・・・   え~と、味がない!      まあ、ほのかな バター味・・・


”基本に忠実に” プレーンオムレツを 注文したけれど、

これから お召し上がりの方々には、

ハム入りとか、海老入りとか の ” 変化球 ”を お勧めします~!

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06.   さて、牢獄の時代が終わり、 巡礼などが 再び始まった頃、

モンサンミッシェルに 渡って来る人々の スケジュールは

とにかく、潮の干満に左右された

潮が引けば、 深夜でも明け方でも 旅人はやって来る



      



そんな時、とりあえず 人々の胃袋を満たそうと

常備の暖炉の火で オムレツを作ったのが プラール母さん


( 母さんといっても、  アンヌ プラールは  当時、

結婚したて(1873年)の うら若い奥さんdしたが ・・・ )

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07.  ボーイさん、あんまり若いので、聞いてみたら 16歳

フランスには 医者などと全く同じように、「 インターン制度 」がある

要するに 現場で実地の経験を踏む制度だ

コックさんになるのは 当然大変だが、

 

フランスでは 給仕を含むホテルマンにも 学校制度がしっかり確立されている

 

有給だったり無給だったり、食事・宿舎付きだったり、

インターンには いろいろなケースがあるらしい

 

いずれにせよ、 有名レストランでのインターンほど 競争倍率が高い

そのまま 就職に結びつくこともあるからだ

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08 .    さて 通りに面した 調理台では  「 チャッチャッチャッチャ!」 

リズミカルな音を立てながらの オムレツの泡立て作業が   

観光客の目の前で 四六時中行われる

 

            


私  「腕が疲れませんか~?  一人前 だいたい玉子は何個ぐらい使うの?」

 

泡立てマン君  「 全然疲れませんよ~  何個分かなんて わかりませんね ・・」

 

そうだと思います~、  泡立てマンはひたすら 泡立てて、 焼く人はひたすら焼く

 

毎日、毎日、 勘と目分量でこなしていく、、、

伝統とは そういうものでしょう !

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09   朝食は 行ってみて驚いた! 殆どが日本人

「モンサンミッシェルに泊まるツアー」 だそうです

 

係りのお姉さんによると、 

「お客の数は 1番はやはりイギリス人、 2番が日本人、3番がドイツ人」 だとか

 

「 日本人は本当に もの静か、 食べるのも早い、 さ~っと引き上げます 

あなたたちのように おしゃべりして行く方は滅多にいませんよ 」

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10. ここに来た有名人、  サインが読めた人だけでも

 
ニクソン米大統領、 ソ連のゴルバチョフ、
イギリスの王様、アラブの王様

 

エレノア ルーズベルト、 サッチャー首相 ミッテラン仏大統領

 

 

画家の ブュッフェ、 藤田継冶、  イヴサンローラン、トロツキー、 日本の高松宮

 

その他、映画俳優、 歌手、 文学者 ・・ etc      枚挙に暇がない

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しかしながら、 皮肉なことに、  近年は 私のような ”普通人”も 泊まる訳だし、


団体旅行が盛んになって以降は

 

有名な 「メールプラール」ではあるけれど、 有名人の足は 遠のいているかも ・・

本当のセレブは、

  
もしかして もっと奥まった さらなる秘密の花園に 宿泊するようになっているかもしれませんね・・・!

                     

以上で 3回の モンサンミッシェル編 は終了です

 

次は 「ブルターニュ」へ まいります

2011年10月24日 (月)

モンサンミッシェル 牢獄とヴィクトールユーゴーと

モンサンミッシェルの おおざっぱな歴史ですが、、、

8世紀初めに 小さな礼拝堂の建設が始まりましたが

10世紀には ベネディクト派の修道院が出来、 その頃から
 

中世の「祈りと巡礼のメッカ」となりました    しかし、

14世紀には 英仏百年戦争が起き  「軍事的要塞」となり、

フランス革命では 「牢獄」となり、 宗教とはかけ離れた役割を演じていましたが

19世紀後半に 景勝地として脚光を浴び始めると、

瞬く間に 「世界的な観光地 モンサンミッシェル」となった という次第です~~

                   







01.   山の上に行くには ざっと3つの道があります

 

商店が連なる 賑やかな グラン リュー Grand Rue 大通り

(と言っても 曲がりくねる細い路地)を 行く方法と、

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02.   海沿いの城壁を渡って行く方法(写真 ↓)、

それから 
ふもとからほぼ垂直に 教会へ向けて小道を ’よじ登る’方法 とがあります

 

(どれも 結局は ある地点で合流するのですが・・・)

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03. いずれにせよ、登って、登って、登って、 登りまくらねば~!! 

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04.  2列になった円柱が リズミカルに続く 美しい「回廊 Cloitre」

修道士たちが 歩きながら瞑想したという 、、、

 

奥にそびえるのが 「修道院付属教会 Eglise Abbatiale」

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05. さて、モンサンミッシェルの北側の部分は、 

上の「回廊」も含めて、 ゴシック建築の傑作、 ラ・メルヴェイユ La Merveille (驚嘆)と呼ばれている

 

写真左側の「回廊」の天井も、右側の「大食堂」の天井も 木で出来ていますね

下の階への 重量の負荷を軽くするためらしい

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( 真ん中は「騎士の部屋」 )

 

ところで、「 驚くほど素晴らしい! Merveilleux ! 」と 感嘆の声を上げた人物こそ

 かの 有名なヴィクトール ユーゴー でした 



                      






06   さて、18世紀には 牢獄だったモンサンミッシェル

内部には 鉄格子のある部屋、独房(今は封印されている)や、かつての死体置き場、などがある

 

ところで、 囚人と言っても
 

劣悪な環境で 重労働を強いられ 命を落とした者もいれば、

絵のように、家族が出入りしたり、看護人付きの囚人もいたらしい
 


ある意味 ”袖の下”が 通用する世界でもあったのでしょう

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07.   荷物の上げ下ろしに使われた滑車

なんと、囚人達が この中に入れられ、その肉体で車輪を回したという

ロープを巻き上げようと 死力を尽くした囚人達のうめき声が 聞こえてきそうです ・・・・

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08.   さて、話は その ヴィクトール ユーゴー Victor Hugo のこと


彼は 思想問題から ナポレオン3世の追捕を逃れるべく、1851年から 19年間も

ジャージー島 Jersey や ガーンジー島 Guernseyに 亡命していました

(モンサンミッシェルの北西 80~120kmにある 英領の島々)

しかし、 亡命と言っても、ボロボロの服を着て、、、 などと 想像したら大間違い!

 


ガーンジー島では 青い海を見晴るかす 立派な白亜の豪邸に 

夫人と息子など 家族連れで暮らしていた

 

( 奥さんは 嫌気がさして 途中で パリに帰ったらしいけど )




                     






さて、 豪邸とは別の邸宅に 愛人ジュリエットを住まわせていた V.ユーゴーは

ある時、彼女を伴って モンサンミッシェルに 旅行をする

その時、彼は モンサンミシェルの 美しさに驚嘆し、

フランス文化にとっての 特別な意味を 深く悟ったのです

愛人旅行も 意義あるものだったと言えそうです ・・

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( ガーンジー島、 ヴィクトール ユーゴーの邸宅 )

ところで、 ユーゴーは 長く服役した ジャン・バルジャンを主人公とした 「レ・ミゼラブル」を

1862年に書き上げたましたが、


1863年に牢獄としての役割を終えたあと 

手付かずで放置されていたモンサンミッシェルの姿が  小説のヒントとなる 

独特なインパクトを 与えたのかも知れません・・・



                     





その後、 V.ユーゴーは モーパッサンなどと共に、

モンサンミッシェルの文化的価値を認め、整備・保護を提唱する ’キャンペーン’ を展開する

今日のモンサンミッシェルの ’繁栄ぶり ’は、 

彼らの努力の結晶の賜物と 言えるかもしれませんね !

                     



09.  さて、現実のモンサンミッシェルに戻ります~

 

お土産やさんにて、  北京の田舎から出てきた彼女は

ここで働きながら フランス語の勉強をしている

 

中国から出てきて2年半、一度も国へは帰ってないとか・・

店仕舞い、床の掃除から、レジの金額合わせまで、任された仕事を キチンとこなしているようでした

 

中国人と日本人が フランス語で会話して、一瞬 アジアンチックな心が通じる、、、

 

一粒の 旅のスパイスでした~~

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10.   当夜の宿は モンサンミッシェル名物 オムレツの発祥店

「ホテル メール・プラール 」 !

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オムレツが どんな味だったか~~

 

                     



 

詳しくは 次回 モンサンミッシェル パート3 にて   ^&^

               

2011年10月18日 (火)

モンサンミッシェルへ渡る一本道 今昔話し

             



北フランス ノルマンディ地方にある  「モンサンミッシェル Mont St. Michel」 は

日本人に 最も人気のある観光地の一つではないでしょうか

                





01. 島内のホテルに泊まったので、 島に一番近い駐車場に 車を止めることが出来ました

足元から見上げるその威容は さすが世界遺産!

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02. 昔のモンサンミッシェル、 乗り物、 人々のファッション、

いろいろ 見比べてみて下さい~    何故か 楽しいデスネ

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03. 虹が出ました! 

島へ通じる一本道は、 結局 今や 駐車場となっています

 

一番奥は キャンピングカー専用の パーキング

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04.  昔は 上げ潮時は 海の孤島となったけど、

こうした堤防や駐車場のせいで、  大量に砂が堆積するようになってしまった




          




現在 砂を掻き出し、海水が満ちるよう 工事を行っている

将来は 観光客は 2km手前に車を止め、シャトルバスで送迎されることになる、

らしい が、 いつの日に完成するやら・・

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05. 8世紀 この島に、 まず礼拝堂が、 次いで 修道院が建てられ、

以後 多くの巡礼者で賑わうようになった  が、



しかし 混迷する歴史のはざ間で、

18世紀には この修道院は ついに 「牢獄」となる



        




見ての通り、陸から程よく隔てられたこの島、

多くの 政治犯や反体制の人々を隔離するには 恰好の場所だった

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06. 話は 突然  南仏に飛びますが ・・・

ここは デュマの小説 「 岩窟王 」で有名な イフ島 Chateau d'If 

 

南フランス、マルセイユの町から 船で20分ほどだが、

ここにも 多くの政治犯、宗教的犯罪者が 投獄されていました
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海の孤島でしたから、 囚人の監視には打ってつけ、、

 

さらに、 食料や物資の移送、役人の出入りなどのためにも

” 適当に本土に近かったので ”、 牢獄として 便利だったのかもしれません

 

                      





いずれにせよ、 これら

北仏のモンサンミッシェルも(1862年) 、南仏のイフ島も (1890年から一般公開)、


同じ頃、牢獄としての役割を終えています

               




07. さて、こちらモンサンミッシェル、  お昼近くになると 駐車場は満杯となるが  


満潮時には 駐車場は  海に浸かってしまう


                  



このあたりの海は、 干満の差が激しく  昔は、

 
多くの巡礼者 そして馬が  あっと言う間に潮に飲み込まれ 命を落としたという

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実際、正面から島を見ると 近く見えるので、 

昔、 大した距離ではないと 油断した巡礼者もいたかもしれない

 

霧や雲が立ち込め、 嵐に襲われた日も あったかも知れない、、、


足の速い満ち潮に追いかけられると

2kmという距離は 想像以上に長かったかも知れませんね~ 


                







08.  ヨーロッパンの美術館では よく校外学習の子達に出会うけど、
 

モンサンミッシェルにも たくさんの生徒が来ていました

 

 
とにかく フランスの子供達にとって 
”見て、感動して、学ぶ” 場は 事欠かない

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      (手を振ってみましたよ・・)








09.  英仏海峡に面したこの草地は 大潮の時 潮に浸かってしまう!

こんなところで育てられる羊たち


実は その肉には ほのかな潮の香りがあるとして、珍重される

網に乗せて 直火で焼く 「プレサレ(塩風味の)子羊のロースト l’Agneau Pres-sale」は

絶品です!

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10.  モンサンミッシェルのお土産、 ガレットは  サクサクして とても美味しい

地場の鶏卵と ノルマンディ産のバターを ふんだんに使っているそうな・・

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マダム、抱えるほどガレットを買おうとしています~  お土産に喜ばれるんでしょうネ・・・

 

ええ、 もちろん、 私も買いました!

                 





次回は モンサンミッシェルの島内に 行って見ます~





                    

2011年10月13日 (木)

金刀比羅宮「椿書院」 by 田窪恭治

 

ノルマンディで 「 林檎の礼拝堂 」 を修復したあと、

田窪恭治は 2005年から  香川県金刀比羅宮の書院で 襖に 「椿」の絵を描き始める

 

                                  






01.    私が金刀比羅宮を訪ねた時(2010年)、「奥書院」では 折しも 伊藤若冲の 「百花図」が 公開されていた

 

田窪が 高校生の頃、芸術的啓示を受けたのが この 上段の間に描かれた「百花図」だったと、聞くが

 

確かに、この和室が 意外と狭いだけに、 

” 金色の小宇宙に浮かぶ花々が わが身に降り注ぐような 不思議 ”を 私も味わった

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02.   「表書院」にも、それぞれの部屋ごと、丸山応挙の有名な絵が 鎮座ましていた

(  レプリカは 作ってあるのだろうか・・・  火事が心配・・・  )

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(  絵の中の ほとばしる滝の流れが、  この部屋の左側に 造られた実際の池に

 注ぎ入るという設定となっている )









03.   書院近くの休憩所の 内側と外側に、 田窪が描いた 「椿のタイル画」があった

 

サインは <隼人&恭治田窪>となっている ノルマンディで育った息子が、今や、画家となったのだろう

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04. ポルトガルのあちこちで見られる タイル画 「 アズレージョ 」 ↓

古びたポルトガルの アズレージョと比べると 上の「 椿図 」は やや物足りなかったが

国により、 似合うものが違って 当然かもしれない

 

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                               (  ポルトにて  )






05.    田窪によれば、 原生の藪椿の、 荒々しくも 素朴な群生を

そのまま シンプルに写し取りたかったという

 

成るほど、 ” シンプル ”こそ 日本文化の根底を流れる 基本概念かもしれない・・

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06.     さて、  渡り廊下で繫がる 建物を渡っていくと  その先に

田窪が 製作中の 「 椿の障壁画 」がある 「 椿書院 」 があった

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07.    正直に書きましょう、  ” 何と言う偉大な落書き!  ”
  

もし、このパステル画が ちゃんと額縁に収まっていれば、 それはそれで 美しい絵 となるかもしれない

 

しかし、 藪椿は  木枠も壁もお構いなしに、 白い空間を 自由奔放に伸びていく、、、

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08.   ノルマンディでは、仕事が軌道に乗るまで  3年はかかったらしい

 

芸術上の構想が固まらないとか、お金の問題とか、、、


制作が進まない 手付かずの3年間は  地元の人たちの疑惑の白い目に晒されたという

この人に 本気のやる気が あるのだろうか・・・ と  

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(   椿の写真が 所々に貼ってある     )






09. それと比べたら、 ここは何と言っても母国だし、多分 資金も潤沢だろう

 

金比羅宮に知り合いもいて、” 名士 ” として招聘されたことを思えば

自ずから 田窪さんの気分も 全く違うのではないだろうか・・

” 落書き ”と言ったけれど、 それは 多分 作家の 伸び伸びとした楽しげな気分が
 

絵を通してにじみ出ているからなのかもしれない

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同時代人の感覚より 2~3歩先に行くのが芸術家、

 

百年ぐらい後には この椿図は国宝になっているかもしれない・・・




  

 

                            






 

 

10.    ここは 「椿書院」に面した庭、     遥か彼方に ” 讃岐富士 ”が見える

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この襖絵、どこまで行ったら ’終了’を宣言するのか、田窪自身にもわからないという


 
確かに、描き足そうと思えば 重ねて描けばいいし、 これで終わり、と言えば

そうなのかも知れない






                  

いつ終わるかは 神のみぞ、  いえ、  金比羅さんのみぞ知る、   デスネ!


2011年10月 8日 (土)

ノルマンディ「林檎の礼拝堂」 by田窪恭治


ノルマンディの片田舎に 日本人によって修復再建された 「林檎の礼拝堂」がある


アーチストの名は田窪恭治、

礼拝堂はサン ヴィゴール ド ミュー Chapelle St.Vigor de Mieux

             






01.     人間ばかりでなく、樹の精霊すら 招き入れそうな   印象的な入り口

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02.  入り口から 後方を望む

 

1500年頃に造られた この礼拝堂は ここ百年ほどは 荒れるがままに 打ち捨てられていた

 


田窪は 1987年から11年間、ここで  そんな礼拝堂の修復再建に取り組んだのです

 

もともと 彼は 日本でも、 額縁という枠、さらに美術館という枠、に捉われず

自然と共生するような 現代アートを 20年ほど手がけてきていました

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03.     田窪は たまたま フランス人の紹介で、この教会を知り、  一目ぼれ

修復を申し入れたが、 
村人から すんなりと承諾が得られた訳ではありませんでした

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(  写真はテレビ番組 「 世界不思議発見!」からの 一場面   )







04.   当初は フランス語も話せない、お金もない、村人の心も掴めない、

八方ふさがりの中 困惑続きでした     そこで 田窪は 一大決心をする


妻と三人の子を連れて フランスにやって来た!   彼の” 本気 ”を 示すためです


( その作戦は 大当たり!!   
いつしか村人は 進んで彼に協力するようになる )

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05.     彼の技法は独創的で   まず壁の表面に鉛を貼り、

その上に 赤、黄、青、緑、白などの絵の具の層を塗り重ねていく


そして壁を引っかきながら、りんごの形を 絵の具の層の中から 削り出して来るのです



「 りんご 」は ノルマンディの大自然から、 田窪が 当然のごとく導き出したテーマでした

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06.
    さてりんごのデザインに 話題が集中しがちですが、 私が 最も感動したのが 「屋根」 !


田窪が 色を付けて焼いたガラスの瓦が 屋根に並べられ、まるで お菓子の家のように可愛い

その 七色の瓦の色が 昼は 礼拝堂の内部を 優しく染め、  夜は 礼拝堂を 奥ゆかしい宝石箱に変える 

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07.    実はこの礼拝堂、盛夏しかオープンしてない

現在は、 3kmほど離れた大きな街、
ファレーズ Falaise の市役所が管理している



ファレーズの市役所に、 期間外だけど カギを開けて見せてくれないかと交渉したところ

OKが出た!   その日、 
担当のミレイユと 3時に現場で落ち合う手はずとなっていた



             


ところが、 日本の有名なガイドブックが言う その村に 礼拝堂はなかったのだ~~  

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08.       本当に 小さな村のあちこちを 探し回ったが 見つからない

村の女の子、郵便やサン、おばあさん、皆 異口同音に教えてくれたのが 「 洞窟礼拝堂 」

 

「 洞窟 」でなく、 「 林檎 」なんですゥ ~~~

                   



近いのに、辿り着けない!  丘から丘へさ迷った

 
尋ねようにも どの村でも 人っ子一人出会わない   眠れる村のようだった !


結局 約束から  1時間も遅れてしまった! 

08(洞窟礼拝堂)

 

 

やっと 辿り着いたが  教会の扉に、ミレイユの貼紙があった  

 

「  3時45分まで待ちましたが、 パリに行く娘を駅まで送らねばなりません

チャペルのカギは マダムドゥボンが持っています  」


 

           



4ヶ月も前から 何度もメールをやり取りし、友情めいたものを感じていたミレイユに

本当に申し訳ないことをしてしまった・・・・

 

                   






09.    チャペルの隣に住んでいる マダムドゥボンは 夏の間 礼拝堂の受付嬢となる

 

彼女が言った   「このあいだ、日本のテレビが来て、このチャペルを撮っていったの

私も多分出るはずよ~」  
それこそ、 TBSの看板番組 「世界不思議発見!」でした



03.の写真の女性が 他ならぬ   マダム ドゥボン

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10.   後日、私は 約束どおり、テレビから写真を撮って、ミレイユに送った

(テレビ局からは ナシのつぶて、DVDなんて来てません、 
ということだったので)

 

マダム ドゥボンが 嬉しそうにそれを見てくれたらしい

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道に迷って 散々苦労したが、

<風景に溶け込む 楚々とした礼拝堂>に 出会い、



とうとう 実際には会えなかったミレイユ共々、 忘れ難い ノルマンディの思い出となった・・・




            

しかし、有名なガイドブックと言えども、 住所が 正確だとは限らないことがわかりました

林檎礼拝堂の住所が 隣村になっていたのです !

これからお出かけになる方は  くれぐれも 住所にご注意くださいませ ~

 



2011年10月 3日 (月)

シードル(林檎酒)と フランスの美しい村



フランスの アルザス地方やブルゴーニュ地方には 
<ワイン街道>があるけど、


ノルマンディ地方には < シードル街道 >Route du Cidre がある

           





01. シードルとは 「 りんご酒 」 のこと

そして、ここは   そのシードル街道沿いの村 「 ブヴロン アンノージュ Beuvron en Auge 」

” フランスの美しき村  Les Beaux Villages de France ” に登録されている

生憎の雨模様  でしたが  ” 美しい村 ” は 雨でも 美しかったです~

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02.    ノルマンディでは 「美しい村」に登録されている村は  実は 数少ない

 貴重な観光スポットです

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03.   主にチーズ、玉子、牛乳などの乳製品を売っている食料品店  (エピスリー Epicerie)

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上のお店 

 

お洒落だなあと思ったら、

 

「日本の雑誌で紹介されました」と、

 

店内に貼り紙がありました!

 
             












04.       「 青いロバ 」 という名前の ガーデニング店

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05.      「オーライ、オーライ!」と 車を誘導してもらって 

 

この店の前に やっと 駐車出来ましたが、  結局、お店で 何も買いませんでした

 

店仕舞いをした夫婦に、  買わずに 申し訳ありませんでしたネ、 と言ったら

「 トンデモナイ~ 」と 笑いながら カメラにポーズまで取ってくれた

 

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06.   さて、下の店では  「シードル」を買いました

フランスといえば ワインですが、 ノルマンディやブルターニュの気候と土壌は ワイン作りに適さない

林檎など果樹は よく育つので ワインの代用として、  また、飲むのは危険とされた生水の代用として

このあたりでは 昔から りんごジュースや りんご酒が製造されてきました

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07.      シードルは発泡酒で、アルコール度は 2%~5%ぐらい  

大きく分けて、 「ドライ Sec」 「ハーフドライ Demi-sec」 「マイルド Doux」の三種がある

値段は 2ユーロから10ユーロぐらいまでで、 とても安い

             


フランス人へのお土産として 一般的にどれがいいか尋ねたところ、

店のマダム、 「ドライにしなさい」と 即答!

 

ドライは 辛くて、酸っぱくて、ツンと来て、色も透明で澄んでいる それこそドライだ!

 

やっぱり フランス人は ” 大人 ” だから  辛口なのでしょうか~~

 

シードルが安いことは フランス人は よく知っているので 一応 一番高い’ドライ’を 8本買った

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08.     下は  ドライでなく ” マイルド シードル ”    

 

一見 林檎ジュースのようだが、甘くはない  でも 林檎の風味が残っていて、何故か癒される

 
初心者には マイルドがおススメかもしれません ~

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09. この日は 道ばたの オーベルジュ ( レストラン付き安宿 ) に泊まったが

 

マダムが、 オーディション番組 あの スーザンボイルにそっくりでした~!

(  こういう時に限って 写真を撮って来るのを忘れて  ・・    残念!   )

09








10.   夕食は ノルマンディ特産の ムールや牡蠣、  肉料理には、  ソーセージを頼みました


          


 

一見美味しそうデショ ・・・  でも 詰め物が おかしい

腸壁みたいな、内臓の皮みたいなものが詰めてある!  今日は ハズレでしょか・・・

 

たまには こんな日もあるのデス~~~

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(   実は この料理は ノルマンディ名物 アンドゥイユ Andouille、

 

豚の胃や腸など内臓、耳などを 腸詰にしたもので、 脂肪分に富み、

 

寒冷地の人々にとって、欠かせない料理です )




 

          





後日談となるけど、 ノルマンディ、ブルターニュと 車で回って、

パリの文化圏近くに戻りかけた頃、

レストランで シードルを注文したら、  フフン、と軽く笑われた 


  

まあ、ぶっちゃけ、シードルは ワインと比べたら 下等な飲み物、

「当店では シードルなんか置いてません」という  皮肉だったかもしれない






しかしながら、   「 
ワイン 」 を蒸留すると 「 ブランデー 」になるように

「 シードル 」 を蒸留すると  「 カルヴァドス 」 になる

高級品ですぞ~!!      ^&^


           

2011年9月28日 (水)

サティの失恋 オンフルール

芸術家たちの天国と呼ばれる オンフルール Honfleurが 魅了したのは  画家ばかりでなく、

 

文学者や音楽家も その例外ではありませんでした

             



「  エリック サティ Erik Satie 」も 1866年 ここで生まれている

            



01.    サティと言えば、「 ジムノペヂィ 」、「 グノシェンヌ 」、「 お前が欲しい 」など、

曲名を知らなくても、 そのメロディは 一度は耳にしているはず ・・

01
                     ( オンフルール 旧総督の館)








02.     透明感と静けさをたたえた サティの音楽は 日本人にも大人気です

日本画の あの<余白の趣き>にも似て、 饒舌でない彼の音楽には 癒しがあふれているからでしょうか

02

                                 ( 港と画家 )









03.   美しい この木組みの家で、サティは 12歳まで暮らしました   

 

子供の頃 入り浸っていた教会で、まず、教会音楽の洗礼を受け、

その後 パリで 音楽の専門教育を受けるが、 アカデミズムが 肌に合わず、  すぐに挫折 !

以後、” 高等音楽院卒業 ” というレッテルを持たぬまま   人生の大半を、 

カフェや酒場の ピアノ弾き で過ごしつつ、  独特なああした音楽を作曲していったのです

03

 

傘は サティのトレードマーク    ( サティの生家 )




                         




ところで、 当時にあっては 時代を先取りし過ぎた感のある サティの音楽は

批評家たちや ラヴェルなど ’全うな音楽家たち’の 恰好の攻撃の対象となりました

そうした事情から

一見、  穏やかなはずの彼の音楽には、  実は 世間の無理解と嘲笑に対する 

屈折した激しい自己主張が  悶々と  のたうっていたのです・・・!

           

04.    さて、サティの生家 (Rue Haute 90番地)での インスタレーションは

ちょっと 掴みどころのない モダンアート風の表現でしたが、

 

白いピアノ (YAMAHAマーク!)の自動演奏だけは サティの音楽を 確実に再現しておりました

04

( サティの生家での展示    絵は 恋人だった シュザンヌが描いたサティ  )





彼が 屈折した人生を送ったことは 上で触れましたが、 因みに 彼の曲のタイトルを

目にしたら ビックリですよ~

 

「犬のためのぶよぶよした前奏曲」
「官僚的なソナチネ」
「社交界の名士のためのカンカン踊り」
「いんげん豆の王様の軍歌」
「小さなチューリップ姫のおっしゃること」

 

 

「なまこの胎児」
「干からびた胎児」
「不機嫌な囚人」
「夢見る魚」 

 

「大きな頭の友達が羨ましい~」
「太った木の人形の素描と媚態」
「いやらしい気取りやの 3つの優雅なワルツ」   

 

etc・・・

         

05.    サティは まっとうな音楽教育を受けなかったが  ” 女でも失敗したのです ”

彼に 大打撃を与えた女 
それこそ シュザンヌ ヴァラドン Suzanne Valadon 1865~1938

言わずと知れた モーリス ユトリロ Maurice Utrillo の母親 !



洗濯女の私生児として生まれた彼女は  小さい頃から 独立心旺盛、

 

酒癖の悪い 一筋縄ではいかぬ 気の強い女でしたが、 個性的なその美貌も相まって

モデルとして モンマルトルの画家達に 芸術の養分を与え、また同時に スキャンダルの種を撒いた人物でした

05

                                                          (  シュザンヌとユトリロ )



06.   ルノワールの「都会のダンス」「ブージヴァルのダンス」のモデルが  シュザンヌ

ユトリロが生まれたのは 丁度ルノワールと付き合いのあった頃で、

親子関係もささやかれるが、 今や DNAを調べるわけに行きませんし・・・

06

                             (ルノワール)






07.   彼女が「チビ」と呼んだ ロートレックも 恋人であり、 泥酔仲間であり、

お互いの芸術を認め合い、尊敬する同士でもありました

シュザンヌは モデルだけでなく 自らも絵を描いた女性ですが

  
たくさんの本を借り、芸術上の教養を与えてくれたのが ロートレックだと言われています

07

         (    ロートレックの描いた シュザンヌ    )






08.   シュザンヌ ヴァラドンは、 既に9歳の頃から 紙さえあれば 手当たり次第
 

それらをクロッキーで埋め尽くすような女の子でした

 

(  線の強い 活き活きとした 素晴らしいタッチではありませんか!   ↓  )


            




デッサンを見た ドガも 一目で才能を見抜き、「あなたは我々の仲間です」と 手を差し出す

以後、ドガの手ほどきと 手厚い庇護を受け、 シュザンヌは 一人前の画家となっていく

08

           (   シュザンヌ ヴァラドンの デッサン   )




                 




09    ここで やっと、   エリック サティ Erik Satie の登場となります !
  


草臥れたコートと型崩れした黒い帽子、丸眼鏡、 手にはいつも雨傘

変人としか言いようの無い 風采の上がらぬサティと

 

シュザンヌが どうして付き合うことになったかは 定かではありませんが、


あっという間に シュザンヌの側に ” 倦怠の風が吹く ”     

わずか 6ヶ月足らずの愛人関係でした !

09

             ( シュザンヌ ヴァラドン  「 ユッテルの家族 」   )







10.    その半年に、 300通以上の 賛美と懇願のラブレターが サティからシュザンヌに送られたが、

その多くは 開封もされず、   歴史の闇に消えていきました

          



その時の サティの失意と苦悩は 如何ばかりとは思うが、


以後、サティは 一切 女体に触れることなく 生涯を閉じたほど それは 深い心の傷となりました

彼の臨終の時まで アパルトマンの彼の部屋に 誰一人、 友人すら足を踏み入れることはなかったと言う

10

                            ( オンフルール)   








サティにとっては シュザンヌ ヴァラドンとの恋は ” 世紀の大失恋 ” であったが、

シュザンヌにとっては ” かすり傷 ” みたいなものだったかも知れない



息子のユトリロが 長じたあとも、 

シュザンヌは  息子より3歳若い、  息子の親友の画家と結婚し、  離婚する

そして、 死ぬまで 恋は続いた・・

                 



とまれかくあれ、 シュザンヌは、恋多き人生から 力強い油絵の大作を 次々生み出し、、、

サティも  今日世界中でもてはやされるような 魅力的な音楽を世に残し 、、、


恋とは・・・ そして芸術とは・・・    いやはや なんと 甘くて にがいモノ!!


2011年9月23日 (金)

木の教会って見たことありますか~ オンフルール

                                    





01.   パリ方面から  ラ・ロッシュ・ギュイヨン城 Chateau de La Roche Guyon などを眺めながら   セーヌ河岸の 白い石灰岩の道を辿ると、   やがて、 

イギリス海峡に面した   セーヌの河口の町  「 オンフルール Honfleur 」 に着く

01








02.    旧港に面したこの風景は  古今東西、プロ・アマを問わず、 

芸術家たちの魂を虜にして来ました    一種の 「 風土病 」 だそうですよ~


オンフルールが 惜しみなく与える霊感で、
芸術家は みな オンフルール病に罹り
 

’その気’に なってしまう らしいのです

02







03. さて木で出来た教会って 見たことありますか~

港に面して建つ 美しい家々の向こう側の 二つの屋根、   あれが 

木造の サント・カトリーヌ教会 Eglise Sainte Catherine です!

03








04.    ノールウィ、ポーランド、ルーマニアなどには 幾つか木造教会があるらしいけど (写真は ウィキぺから )

 

木立に囲まれて佇む 可愛らしい お伽の国の教会のようですね~!

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05. 一方、 このオンフルールの サント・カトリーヌ教会は  西ヨーロッパでは 本当に稀な 

大型の「丸ごと木造教会」です    何故
、このような珍しいものが ここにあるのでしょうか~

05








06.      15C 百年戦争がどうにか終結し、英軍が引き上げると、

全ての石工や建築家が 荒廃した町の再建のため 召集される

造船技術に長けた 町の船大工たち 「斧親方 Hoche Maitre」は 居ても立ってもいられない
  

石工たちの手が足りないなら 俺達がやる、 一刻も早く 神への感謝を表わしたいと

こぞって 進んで  教会の建設に着手したのです

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( 左手の、「 鐘楼 」は 教会から独立した とても珍しい 「一本立ち鐘楼 Clocher isole 」で

今も鐘撞き人が 中に住んでいます  )

        




07.    さすが 船大工たちの見事な作品、  ” 船底型 ”の天井が 2列に並んでいます 

天井が 木で出来ている教会は ヨーロッパでは 無い訳ではありません

ただ、 基礎以外 側壁も含め ” 丸ごと木造 ”  という点が 珍しいのです~

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08.     日本人にとっても やはり 木はいいですね~

しかしながら  500年もの間、 よく火事にならなかったこと・・・!

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09.   生憎の雨模様でしたが、  たくさんの観光客が この教会を 訪れていました

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10. ところで、 教会の入り口、 ハンディキャップのある人が  一風変わった乗り物に 乗っていました

 
 

貼り紙には   「 事故に遭って、側頭骨を骨折しました
 

それ以来、左耳の難聴、平衡感覚の喪失に悩まされています

私達を’ 助けてください!  レストランの食券でも構いません 心から感謝します! 」

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ヨーロッパでの、 物乞いのかたちは さまざまですが こういうスタイルは 初めて・・

 

        

ネコちゃんたちにも   聖人カトリーヌのご加護がありますように~~

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