北仏画家の町

2017年6月 9日 (金)

「ボーム・レ・メッシュー」フランスの最も美しい村、「ルー川の泉」は世界の起源?


   スイスとの国境近く、フランシュ・コンテ地方に フランスの最も美しい村の一つ

「 ボーム ・ レ ・ メッシュー Baume les Messieur 」 がある。


アクセスはあまり便利でないが、その分 素朴な美しさに満ちている。







01.        ジュラ山脈の西のへり 切り立つ白い石灰石の岩壁の裾に

ボーム・レ・メッシュー村があり、  ’ 絵のような風景 ’ が点在していた。

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02.   ’ ボームの袋谷 Cirque de Baume ’ と言われる 圏谷 (カール) は


とりわけ活発な水の作用で 石灰石の層が浸食され 

数億年かけて出来上がったものだ。

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03.     不便な?地域には たいてい 教会や大きな修道院が開かれるものだ。


「 サン・ピエール大修道院 Abbaye Saint-Pierre 」 には 9世紀来の歴史がある。

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                                    (    下段が修道院    )






04.         ここでは 人の姿はあまり見かけなかったが 

草を食む乳牛の群れが 人里のぬくもりをそれとなく伝えていた ・・



道路幅いっぱいを占拠しつつ 牛舎に帰る群れ 、

我が車窓を ゆったりすり抜ける立派な体躯に 惚れ惚れした !!

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05.      ボームの岩山展望台から 見事なボームの袋谷を見渡すことが出来る。



盆地を取り囲む ジュラ山脈の石灰質の岩壁が 見事な馬蹄形を呈している。 

内側は 長年の水の浸食で ドカ~ンと崩落したらしい。

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06.     馬蹄形の一番奥のところに 「 テュフの滝 La cascade des Tufs 」

がある。        残念ながら水量が豊富な時期ではなかったが 

垂れさがる鍾乳石が  滝を作った時間の長さを感じさせた。



時空を探検しよう! と 洞窟や鍾乳洞潜入のポスターがあちこちに出ていたが

気楽なな見物向きでなく、  きっと それなりの準備がいることでしょう・・

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07.        再び  ボーム・レ・メッシュー村の風景を ・・



人影がなくとも、 煙突の煙や 祈りの道祖神に ホッとさせられる。

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08.    何の変哲もない田舎の川、、、  クールベの故郷オルナンのように 

ここも 美しい風景画のインスピレーションが得られる穴場かも知れない。

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09.      ここには エアシャワー種の親仔牛がいて しばらく見とれました ・・

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10.         さて、 画家クールベの故郷オルナン近くに戻ると 、、

保育所の子供たち  牛とおんなじ、  道路も土も草も友達です。



” 日本って知ってるよ、 僕は英語も出来るさ、 one two three ----ten !  ”


"  名前はなあに、って英語で聞いて! My name is Jullian . I have a sister.  "


フランス人の子でも 英語が出来ると嬉しいんデスネ !

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11.        「 ルー川の泉 Source de la Loue 」

オルナンに 美しい風景と恵みをもたらす ルー川の源泉がここにある。



200mほどの 切り立つ断崖の洞窟から ほとばしり出る湧水、

ミシュランガイドの三ツ星、 ジュラ地方の奇観の一つに数えられている。

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12.      当然 クールベも この風景を描いている。



左手には 水車小屋らしき建物が建っている。  当時の電力事情からしたら

これだけの水勢は 貴重な動力源だっただろう。

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13.      最近観光用にやっとバス便が整備されたようだが、 当時にしたら

用事がない限り誰も近づかない  手つかずの さらに辺鄙な場所だった。



しかし 画家クールベは その暗く湿った不思議なムードと 

尽きることなく湧き出ずる水源の力強さに魅了され、  


頻繁にここを訪れ 13枚もの水源の風景を描き残した。

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クールベは  ありとあらゆる人間が 例外なくそこから生まれいずる


女性性器 「 世界の起源 」 という絵を描いているが、




ありとあらゆる存在物が 水を源として存在し得ることを思えば


この水源洞窟こそ  ’ 世界の起源 ’ だと思ったに違いない ・・・  









・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 

2017年6月 2日 (金)

クールベの故郷オルナン これぞ水辺の風景画!


  一般的な旅行先としては あまり有名ではないが、    フランス北東部 

ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ地方に位置する 「 オルナン Ornan 」 は 


画家クールベの故郷として 絵画愛好家などに 知る人ぞ知る地となっている。






01.       「 ギュスターヴ・クールベ美術館 Musee Gustave Curbet 」


この ルー川 la Loue 沿いの風景は  物静かな 奥深いオルナンの魅力を

百の言葉より雄弁に物語っている。

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02.       街の中心にある 「 オルナン橋 Grand Pont d'Ornans 」  

その両側に、 心に沁みる ルー川沿いの水辺の風景が広がる。    



街の背後に迫る白い崖も オルナンには欠くべからざる美しい舞台背景だ。

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                       ( 橋の突き当りが 宿泊したホテル )







03.          橋の南側      水鳥が遊んでいる ・・

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04.           朝靄に包まれて ・・

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05.        橋の北側    オルナンと言えば これが看板風景だ。

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06.        こんな美しい街も 半世紀に一度ぐらいは災害に見舞われる。


市役所 (写真上左) に 1953年の大洪水の写真が掲示されていて、

川岸の水位計にも その爪痕が記録されていた。

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07.      ホテルの窓から 町並みやオルナン橋が見えた。  


そして窓の日除けには 印象的な言葉が、    ”  夢  午睡  怠惰  ”

如何にも フランス人らしいつぶやきだ ・・・

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08.      実は ルー川は フランスでもマス釣りの名所として知られていて

宿泊したホテル・ド・フランス は 入漁料を扱う元締めでもある。


ディナーは当然マス料理、  メイドがテーブル脇で身を開きサーヴしてくれた。


ところでクールベも 釣られた ” 瀕死のマス ” という絵を描いている。

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09.      さて、 ルー川を南側に辿ると 一層趣のある景色が待っていた。


これぞ 水辺の風景画 !

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10.       プロ・アマ問わず 画家が押し寄せる景勝地は数々あれど


オルナンは クールベの故郷と言うことを忘れても、  

美しい風景画のインスピレーションが得られる穴場だ と思う。

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11.       ギュスターヴ・クールベ  (1819 - 1877) は 

オルナンの裕福な地主の子として生まれ、 21歳で パリに出る頃には 

デッサンなど 十分な絵の基礎を身に着けていた。



また人間としても なかなか気骨ある人物として成長したようだ。  



書簡によると    ” 僕は今15歳。 僕は常に自由の中で生きて来たし、

自由のまま人生を終わりたい。  そして僕が死ぬ時 こう言われたい。  

彼はどのスクールにも どの教会にも どの団体にも 

どのアカデミーにも 属さなかった。 


彼が属した ’ 自由体制 regime liberte ’ 以外には ・・  ”

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12.    クールベは 現実世界をそのまま描く レアリズムの旗手と言われ、


「 オルナンの埋葬 」 では    誰一人有名人が登場しない 

名も無き田舎町の葬儀を まるで貴族の葬送のように壮大な絵画に仕上げた。



赤い服の聖職者は酒に酔って赤い顔をしているし、 縦に掘られた墓穴は

誰も死を逃れられぬと言いたげに 絵を見る者に向かって口を開けている。


背後の白い岩壁こそ 聖地ではなく、 外ならぬオルナンの証し。

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「 画家のアトリエ 」 では 彼は自分の芸術生活を寓意的に表現している。


画家本人を中心に 右側には 自分を支える ’株主’ つまり

友人や労働者たち、 芸術を愛好するものたちを配し、


左側には  芸術を解さず 野卑な別の世界で生きる民衆、

政治家やブルジョワジーなどの搾取者、 無知なる批評家など

死によって生きる人々を 配している。







13.       クールベは美形の血筋に生まれ アラブやトルコを思わせる

彫りの深い風貌だった。    魅力的な自画像を数多く残しているが



オルナンの街角 とあるショウウインドウ、 

とりわけインパクトのある一枚を飾っていた。

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いずれにせよ 画壇や批評家から激しく非難された彼の芸術と


彼の心に激しく渦巻く情念のバックグラウンドに



こんなに美しく こんなに静かな故郷、 オルナンがあったことが 


不思議でもあり、 逆に 何故か納得してしまうのではある ・・・









。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。

2012年3月15日 (木)

画家カイユボットの人生は ”連戦連勝!”

ギュスターヴ カイユボット G.Caillebotteは

 

自身も画家でしたが、 当時 まだ売れない印象派の画家たちを
様々な形で支援した パトロンでもありました

 

改装なった 新しいオルセー美術館のお披露目で、

カイユボットの名も 改めてクローズアップされているようですが、、、

 

  drama                   drama

 

01. カイユボット(1848~1894)は 
繊維産業で財を成した 父親の遺産を 弱冠25歳で相続

 

印象派の画家の絵を買い取り、生活費を援助し、絵の具代を出し、
アトリエを借り上げ、 印象派展開催の費用も捻出し ・・・

 

それは、  お金があるからそうした、というより

同じ画家としての深い洞察と理解 友情からの 信念の行動でした

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02. 前回の記事、ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」の
絵の中でも カイユボットが登場しておりましたが、

 

彼が セーヌ河畔の ”レストラン、メゾンフルネーズ”に
 

足繁く通ったのには 実は 理由がありました

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( 上「セーヌの川岸」 絵の具に ポプラの種が混ざっており、
戸外で制作されたことが わかるという )

 

 


03. 彼は一流の画家でしたが、
多分にお金持ちということも あってのことでしょうが

 

大変多趣味な人で、 遺産相続の3年後には、 切手収集と

 
当時新しいスポーツとして人気のあった ”ヨット” を始めました
 

が、 趣味と言っても 彼の場合、桁が違います  eye !

 

つい最近までは 画家としてより、”切手収集家”として
世界的に有名だった程ですし、

 

レガッタ型のヨット競技 Voilier de regates に出場すれば 連戦連勝!  

結局 フランスチャンピオンになり、

パリヨット連盟(CVP)の副会長まで 登りつめています

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( ヨットや レガッタの絵も たくさん描いています )



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04. さて、 カイユボットは ”ヨットレーサー”として成功を収めると
 

今度は どうしても 自分の手で船を作りたくなる 

 

リュス造船所 Chantier Luce と言う名の、
近代的設備を備えた 本格的造船所を作る一方 

 

ここセーヌ河畔の シャトゥ Chatou のボート工房にも
”ヨットビルダー” として 足繁く通って来た

 

隣の ”メゾンフルネーズ”には ワインと美味しい食べ物があり

ボート気違いの!? フルネーズオヤジさんがいるし
 

画家仲間もたくさんやって来る 

場所としたら もう最高でしょ!!

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05. カイユボットは モネと共に ジベルニーの温室で

園芸、 特に ”ランの栽培” にも没頭したという

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( 睡蓮やランの絵も 描いています )

 

 

  art                 art

 

06. さて、カイユボットの最高傑作は 何と言っても
この 「床を削る人々 Raboteurs de parquet(1875年)」

 

パリきっての高級住宅街 ミロメニル通りの アパルトマンの
この一室は カイユボット自身の部屋でした

 

労働者を主題としたこの絵は ”賤しい”ということで

サロン展で落選の憂き目を見るが、 後の印象派展で日の目を見る

 

今日では オルセー美術館の最重要絵画の一枚ですから
カイユボットの執念が実ったと 言えそうです!

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07. パリの街並みを バルコニーから描いた絵も 魅力のひとつ

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( オスマン通り )







08. さて、カイユボットは 1880年から住み始めた 
セーヌ河畔の町、プティ ジュンヌヴィリエ Petit-Gennevilliers で
 

人生の最も充実した時期に、45歳の若さで
  

園芸作業中 肺溢血のため 突然死亡してしまう (1894年)

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( イタリアン通り )






09. カイユボットには 若死にの予感があったのかどうか・・ 

1876年 自分が28歳の時 弟ルネが26歳で死亡した2日後に
 

ルノワールを実行役に指定した 「遺言状」を書いている  (注)

 

ピサロ、モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、マネの、計68点を、

フランス政府に(つまりルーブル美術館に)遺贈するという内容でした

 

しかし、実際 彼が亡くなったあと、この遺言状が
すぐさま 実行に移されることはなかった

 

”ろくでもない” 印象派絵画の 受け取りを拒否する国と
  

印象派を既に理解し始め 買い上げを要求する 一般市民との攻防を

新聞は 1年にわたって センセーショナルに報じた

 

これを 世に ”カイユボット事件”という

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( これらの傑作は 全てカイユボットが 蒐集したもの )





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10. 現在のオルセー美術館が ミッテラン大統領の肝いりで

”オルセー駅”から 改装されたのが 1986年
 

”終着駅をルーブル”と指定したカイユボットの夢とは少し違うものの、

 

ルノワールや彼の弟の尽力で、 コレクションが散逸することなく

最終的に 今日のオルセー美術館に収納されたのは

カイユボット自身にとってばかりでなく

印象派そのものにとっても 実に大きな意味があったと言えるでしょう
 

 

このコレクションがあったからこそ クオリティの高い近代絵画が

一般市民から寄せられ、収集家から委託され 雪だるまのように

大きくなって行ったのです


まさにカイユボットコレクションは 「真珠貝の真珠の核」でした!

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( カイユボットの子供たち、ではありません・・ ↑
弟マルシャルの子供たち、ジャンとジュンヌヴィエーヴ
 

長い巻き毛のジャンは男の子ですが、一定の年齢まで 女の子のようにして育てる、、
いかにも上流階級らしい カイユボット家の姿が見られます )

 

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11. カイユボットには 
シャルロット・ベルティエ(Charlotte Berthier)という恋人がいました

 

彼の急死で 結婚という形には至りませんでしたが
 

カイユボットに ”売約済み”だったかもしれませんね!

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( 女性は シャルロット )

 

 

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多趣味で 才能豊かだったカイユボットは
 

絵画はもとより どの分野でも ”連戦連勝!”

 

”ヨットデザイナー” としてのキャリアは 非常に短かかったけれど

彼のヨットの性能は あっという間に フランスの競技船舶の最高の域に達し、

彼の作ったヨットは 1900年のオリンピックにも出場している

 

しかしながら、 彼の人生において 最も大きな勝利は

 
今日の印象派絵画の価値に 早くに 気付いた

”目利きの勝利” だったかもしれません

 

しかも 遺言通り 国家買い上げまで成就させて、

あの世で カイユボットが言っているかもしれません

 

「 ほ~ら 言った通りでしょう 僕の勝ちですね!!」って

  pen                pen







(注)「私が所有している作品を、国家に寄贈する

 

ただし、受け入れられたとしても
屋根裏部屋や、地方の美術館に置かれるのではなく、

 

リュクサンブール(当時の近代美術館)へ、そして後にはルーブルへ
収められることを 切に希望する」

 

≪ Je donne a l’Etat les tableaux que je possede;

 

seulement comme je veux que ce don soit accepte
et le soit de telle facon que ces tableaux n'aillent
ni dans un grenier ni dans un musee de province

 

mais bien au Luxembourg et plus tard au Louvre,≫

 

2012年3月 8日 (木)

ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」 舞台はメゾンフルネーズ


今回は ルノワールの傑作 「舟遊びをする人々の昼食」が描かれた
 

セーヌ川のほとり、 << シャトゥ Chatou にあるレストラン、
 

メゾンフルネーズ Maison Fournaise >>

を訪ねます

 

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セーヌが蛇行する パリ西側の郊外は 今や首都への通勤圏, 

一部は住宅地となり 一部は工業地帯となりましたが
 

古き良き時代にあっては、 印象派の画家たちが 

こぞって 岸辺の町々で 絵を描いておりました

  art                    art

 

 

01. ここ セーヌ河畔の シャトゥ Chatouにも 

マネ、 モネ、 シスレー、 ピサロ、 カイユボット、 クールベなど 
多くの画家が来ていますが

 

本日の主人公は <<ルノワール Auguste Renoir>>

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( ルノワールは シャトゥで 30作以上の絵を描いています )

 


02. 実は、 シャトゥ近くの とある町の
”ルノワール通り”に 私たちの友人が住んでいます
 

「 前から気になっていたのだけど、ルノワールって
まさか ”あの”ルノワールのこと~ ?」
 

「 もちろん、”その”ルノワールよ 」

 

そういうことで、二つ返事、  有難いことに、

日本人が ウロウロと 場所探しに苦労することもなく、 

 

ルノワールの「 舟遊びをする人々の昼食 」の舞台 

”メゾンフルネーズ ”に 案内してもらうことになりました !

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03. ところで、  私は ずっと以前から
 

この絵に 特別な関心を 抱いておりました

 

それは 美術館でたまたま立ち寄った 高校生の作品展でのこと・・・

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「舟遊びをする~~」の 部分模写が 30作ほど並んでいた 

顔つきも帽子も襟も それぞれ微妙に違っていて 実に面白かった

 

本物はどんな風だったかしら・・
家に帰ってすぐ 画集を開いて確認

 

登場人物の話など 読み進めるうちに

いつかは メゾンフルネーズに行くぞ! と心に決めてしまった

 

 

  wine                 wine

 

 

04. これが 「 舟遊びをする人々の昼食 」
( Dejeuner des Canotiers ) 1881年 

登場人物は 全て実在で どれが誰か 名前もわかっている 

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画面左手 子犬と遊ぶのが ルノワールの妻アリーヌ

その後ろの麦わら帽が このレストランの主人 アルフォンスフルネーズ

手前右が 画家カイユボット

その向こうが 女優 エレン アンドレ      etc・・・・・

 

  yacht                     yacht

 

05. 現在の”メゾン フルネーズ Maison Fournaise”

レストラン、小美術館、土産物コーナーなどで構成されている

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06. 絵の中のバルコニーは セーヌに突き出しているものと
私は 勝手にイメージしてましたが
 

建物は 川岸から少し離れていました

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07. この2階部分が 件のバルコニー 

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08. モーパッサンの短編には 何回か この ”メゾンフルネーズ” が
登場しているそうですが
 

単なる舟遊びの場だっただけでなく 文化的社交場として

大きな役割を果たしていた訳です

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09. 毎年、9月の第三日曜日、フランス文化遺産の日には
ここ ”メゾンフルネーズ”に 19世紀の衣装を纏った人々が集う
 

「船遊びをする~~」 の画面構成通りに 人物を配置すると ↓

 
これも又、 フランス的で お洒落な試みですね

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10. ジベルニーの 蓮池がある <モネの庭>も 
一時は 人手に渡り 荒れ果てていましたが、

     
”メゾン フルネーズ”も 例外ではありません

 

1906年に 50年の営業歴史の幕が下ろされた後 荒れるがままだった建物を
 

1979年に シャトゥ市が買い取り、改修、

 

文化遺産として 新しい形の ”メゾンフルネーズ”が 1990年に再開されました
 

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11. ところで この ”メゾンフルネーズ ”は、セーヌの中州、細長い島の中にある

 

パリの西側では セーヌが2本に分かれたり 一本になったり
変化に富んだ 岸辺の風景が続きます ・・・
 

画家にとっては たまらないロケーション! 

 

この地域に 多くのインプレッショニストたちが 集ったのも

当然のことだったかもしれませんね

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12. こちらは 中州の もう片側のセーヌ川 

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蛇足ですが、 ”メゾンフルネーズ”のオヤジさん 
アルフォンス・フルネーズは もともと船大工、
 

熱心に ボート作りに励んだばかりでなく、
 

鉄道の開通で パリからアクセスし易くなった愛好家の為に 

貸ボートを提供し、   速さを競うレガッタ競技や、

みんなが楽しめるフェスティバルを開催し、、、

 

言ってみれば ” ボート馬鹿 ”でした!

 

 

一方、 美味しいフランス料理を作り、客をもてなし、レストラン運営を軌道に乗せ、 

パリからの観光客、 画家や文化人たちのハートを捉え
 

心地よい溜り場となし、、、

 

ボートのことで頭が一杯のアルフォンスを 支えたのが

 
まさに 妻、 娘(特に画家たちのモデルとしても愛された)、

そして息子でした

 

  spade                   spade

男の夢 と ”メゾンフルネーズ ”

 
絵に描いたような <<家族愛の場>>でしたし、 heart01

 

不朽の名作「 舟遊びをする人々の昼食 」を生み出した 

ルノワールを取り巻く人々の友情や人生を乗せた<<舞台>>でもあったのです

2012年1月10日 (火)

ゴーギャンには インディオの血が流れていた?!

ゴーギャンには 実際に インディオの血が流れていたか、

というご質問をいただきましたので、 
追記させていただきます。

 

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ゴーギャンの家系ですが、、 

父親クロヴィス (1814~49) は オルレアンの農家出身の 新聞記者だったが、

家族を伴って ペルーに亡命する航海の途中、 無念の病死を遂げる。

 


母親アリーヌ (1825~67) は

 
サン・シモン主義 (注) に傾倒した 情熱的な 気鋭の女流作家で、
 

ペルー時代は インカ陶器を熱心に蒐集した。


  

祖母フローラ(1803~44) は   最も初期のフェミニズム運動の闘士で、
 

” 因習から女性を解放し、 抑圧された労働者が平等に幸福に暮らすことが出来る

社会 ” を目指して 活動していた。



       
現代ならいざ知らず、 19Cの女性活動家が一体どんなものだったか 

想像もつかないが、
 才色兼備のフローラは 社交界でも花形だったと言う。 shine 


( フローラを主人公とした小説 『楽園への道』  マリオ・バルガス=リョサ作 

があるらしい。 )

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                    ( 左が 祖母フローラ     右が 母 アリーヌ )



このフローラの先祖が もともと スペイン・アラゴン地方出の貴族で、 

植民地ペルーにおいて  はるか昔から代々、ペルー総督を 務めた家柄でした。





 俗に 男子は母親の影響を受け易いともいいますが、 

これだけ華やかな母方の血ですから、 ゴーギャンは 才能と情熱にあふれたその血を

当然のごとく 濃厚に 受け継いだのではないでしょうか。




その上 ペルーで 原始的 かつ 激しく異彩を放つ インカ文明に包まれて育つうち、 

幼きゴーギャンの体に インディオの血が 密やかに しかし 激しく脈打ちながら 

流れ込んだとしても  
少しも不思議ではなかったでしょう。

 

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実際、ゴーギャンの家族は 長年の統治の間に、  スペイン人と 現地のペルー人、 

それも ” 高貴な アステカ朝の血筋との混血 ” があったに違いないという

” ロマンティックな夢想 ” を  熱烈に信じ込もうとしていたのです。

 

ゴーギャン自身も その妄想に憑りつかれなかったはずがありません・・・ !

 

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本当に ゴーギャンに インディオの血が流れていたかどうかは 別として、 

ゴーギャンが 自らを ” ペルーの野蛮人 ” と呼び、 

生涯を通して、 未開なるもの 未分化で根源的なもの を求めつつ

結局、 タヒチで その人生と芸術を終息させたことこそ 
その何よりの答えだった

のはないでしょうか。





さて、 今回は あえて 白い肌の婦人像を 添付いたします 、、
 

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               ( 「 夜会服のメット 」 1884   ゴーギャンの妻 )

 

 

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        ( 「裸婦 シュザンヌ」 1880   自然なポーズで縫物をする女中)




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                ( 「 セザンヌの静物画の前の婦人像」1890 )





絵画に続き、   こちらは 現代の! ポンタヴェンのご婦人、 

息子さんが かつて、京都在住だったそう。     

日本びいきの 満面の笑みを浮かべながら 話しかけて下さいました~ 

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以上で ブルターニュの ゴーギャンの旅 は 終わりです ~

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(注)

サン=シモン主義とは (ウィキぺ より)

社会の重要な任務は 富の生産を促進することである。
したがって物を生み出す産業階級は 貴族と僧侶よりも重要な要素である。

この生産を営む階級の重視が、サン=シモン主義だということ。

因みに、 サン・シモンは 「  50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人

・職工 の不慮の死は取り返しがつかないが、

50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は 容易に満たすことができる 」

との言葉を公にし、 1819年に告訴されている。 

2012年1月 2日 (月)

ゴーギャン 「黄色いキリスト」は左右が逆!(その2)

ゴーギャン 実在する「黄色いキリスト」(その1)の続きです

 

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07.           「 グロテスクな頭部を持つゴーギャン像 」
 

親指を口に入れ、妙な顔つきの 達磨によく似た焼き物、 

これはゴーギャンが抑圧された自分自身を表現したものだ。

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08.      「 黄色いキリストのある自画像 」 1889年

 

画面の左側に 黄色いキリスト が、 右側には  07.の グロテスクな頭部の焼き物が、 

そして 真ん中に自画像、 という構図 だ。

 

ゴーギャンは 自分の中に 聖なるものを求める 繊細な人間と

粗野なインディオの血が 混在していることを 自覚しており、
 

その狭間で葛藤する様を この構図で 象徴的に表現していると言われる。

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ところで よく見ると キリストが元絵とは 左右が逆になっている。

 

” 鏡を見て描いたから ”、 というのが 定説になっている。 

しかし、 ゴーギャンは あちこちで描いたものを アトリエで再構成する名人でした。

見たものを そのままにしか描けなかったゴッホと 喧嘩になったことは 有名な話。


キリストを左右逆に描くなんてことは 朝飯前だったでしょう。

 


しかも 右側の グロテスクな頭部 は 左右逆にはなっていない。

鏡に忠実なら こちらも逆のはずだ ・・

 

つまり、この混乱した構図こそ 自分を取り巻く 「 聖と俗 」の葛藤を際立たせる 

のに役に立つ、 と彼は考えたのかも知れない。

 

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さらによく見ると ゴーギャンの 左目は爛々と輝き、右目は失望と混乱で 

濁っているかのようだ ・・

それぞれの左右の目を アンバランスに描いている。        そして、

キリストもグロテスクな頭部も 目がアンバランスだ。  全て意識的な作業だろう。





 

09.      さて、これが礼拝堂にある 「 黄色いキリスト 」の 実物の木像で 

首は 向って左側に傾いている。

 

飄々とした作風だが、 それがかえって ゴーギャンに

強いインスピレーションを 与えたのかも知れない。

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10.      ゴーギャンは 座席のどのあたりに座ったのでしょう ・・・

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  ( 目が慣れるまで かなり薄暗い堂内でした。 暗いので 早々に立ち去ってしまう

人もいるようですが、 お出かけの節は 入り口に 電気のスイッチがあるので 

見逃しませんように!  )

 

 

 

11.    礼拝堂の裏側、  屋根に 階段があり、恐らく 鐘を突くためと思われる。

 

いかにも田舎風の 素朴な礼拝堂で、 大聖堂にはない 不思議な魅力に

すっかりとりつかれてしまいました。

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12.     ところで ゴーギャンは 政治活動していた父親の亡命に伴い、
 

子供時代 6年間 ペルーのリマで暮らした。
 

スペインの貴族出身だった母親の親戚の リマの大邸宅は 花や果物の香りが漂い、

南国風に華やかに飾り立てられていたという ・・
 
そして、  幼いゴーギャンは 褐色の肌を露わにした召使たちに 

それはそれは熱烈に可愛がられたという ・・


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後年 ゴーギャンが移り住んだタヒチの原形は 既に ここにあったと言えるだろう。

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ところで、 母親は リマで 素朴なインカの陶器を熱心に蒐集し、 

そのコレクションは ゴーギャンに 生涯を通じて 深い影響を及ぼした。

 

” 三つ子の魂百まで ” と言うが、 自らをペルーの野蛮人と呼んだゴーギャンの

人生観も 芸術も、 
その源流はペルー時代にあり、

彼が後に暮らした マルティニックや ブルターニュ そしてタヒチより 早く

リマの影響が彼の魂に宿ったのかも知れない。





 

14.      さて最後に マルティニック時代の絵を取り上げてみたい。
 

「 マンゴーの木の下で 」 1887年 

この絵からは もう既に 後のタヒチが透けてみえるが  実は、この絵の購入者は

ゴッホの弟、テオだった。

ゴーギャンのこの時代の絵に深く感銘したテオは、 自らのコレクションに加え 

その後も ゴーギャンを何くれとなく 支援し続けて行く ・・・

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ところで 蛇足ながら、 ゴッホが尊敬するゴーギャンを アルルに誘ったのは

当然だと 頷けますが、 ゴーギャンの方がその気になったのは 不思議なことです sweat01

当時 ゴーギャンも少なからずテオの世話になり その人柄には充分接していたはずで

南仏の魅力もあっただろうが  恐らく、テオという 後ろ盾に対する 感謝と信頼、

経済的支援が あったればこその決断だったのではないだろうか・・・

 

声をかけられた多くの画家のうち ゴッホに合流しようなどという者は

当時 誰一人、いなかった訳ですから・・・

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オーベール・シュル・オワーズ Auvers sur Oiseで ゴッホの死んだ部屋を訪ね、

フィンセントとテオ兄弟が 並んで眠る墓に詣で、

その後ブルターニュの西の果て ポンタヴェンまでゴーギャンの足跡を追って来ました。




絵画好きには 堪らない旅でしたが  
感慨深いものもありました。

” つくづく、 画家の人生って 一筋縄ではいかないものだなあ ” っと。

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2011年12月28日 (水)

ゴーギャン 実在する「黄色いキリスト」(その1)

ゴーギャンが滞在した ポンタヴェンPont-Aven、 

その郊外に 「 トレマロ礼拝堂 Chapelle de Tremalo 」 がある。 

そこには 「黄色いキリスト」という作品に登場した本物の黄色いキリストの木像があった。

 

 

01.    ゴーギャンは 1888年に 「説教のあとの幻影」 を 描いている。


画面 右端の司祭から 天使と闘うヤコブの話を 聞きながら、
 

ブルターニュの素朴な田舎の娘たちが 心にその情景を思い浮かべている場面だ。

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構図などは 日本美術の影響を はっきり受けてはいるが、 美術史的には 

「黄色いキリスト」 と共に
  内面的な思想を 象徴的に表す絵画の始まりとして

重要な作品と言われる。






 

02.      さて、並木を抜けて 「 トレマロ礼拝堂 」 に やって来ると

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03.    素朴な石のチャペルが 紫陽花とともに ひっそりと待ち受けておりました。

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04.      日本の茶室の ” にじり口 ” ではないが、
 

小さな入り口、  やや屈むようにして 現世から 堂内に入る仕組みだ。

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05.        薄暗い内部は 素朴ながら 美しい設えで、

石造りであっても、 不思議な暖かさを 湛えておりました。

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( 数ある欧州の教会で、 信者でもない私が 
名状し難い 不思議な霊感に 

強く抱きすくめられたのは 
ポルトガル、マリアの奇跡で有名な 聖地ファティマ と

ここ トレマロの 2か所だけでした~ ~  )
 








06. 次の作品は 「 キリスト磔刑図 (黄色いキリスト) 」 1889年

 

ブルターニュの晩秋、 哀愁漂う黄色い丘を背に、 

はっきり祈るでもない うつろな目の農婦たちと 祈りもそこそこに 足早に立去る農夫。
 



中心に 十字架上で 一人 
殉教の意味を自問するキリストの メランコリックな姿、 

それらを 平面的なタッチで 象徴的に 描いている。

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この黄色いキリスト像の元になった実物のキリスト像が 
この礼拝堂にあるのです!

 

このあと  次回の 「 黄色いキリスト (その2) 」 に 続きます



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2011年12月21日 (水)

ブルターニュは ゴーギャン芸術の 揺りかご!

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ポール ゴーギャン P.Gauguinが ブルターニュ、

ポンタヴェン Pont-Avenにやって来たのが 1886年

 

5人も子供を設けた妻、メットとの生活が 既に破綻した後でした

 

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01. アヴェン川 L’Avenは 結構な急流で
ポンタヴェンの町に 流れ込んでいく

 

ゴーギャンの いわゆる ”ブルターニュへの逃避” は


 
パリ画壇の潮流への嫌悪も あったし、
 

素朴でプリミティヴな 当地の風景と人間への憧れも
あってのことでした

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02.コンカルノーに シニャックなどが来ていたように、

ここポンタヴェンにも 毎夏、多くの画家が やって来ていました

 

絵心をそそる風景が そこかしこにあったし、

 

民族衣装の働く女たちが 気軽にポーズを取ってくれるのも

画家にはたまらない魅力でした

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03. 生活費が安く、安心して暮らせる町 ポンタヴェン、

 

ゴーギャンは 当時 芸術家の溜り場となっていた

安宿の旅籠 「グロアネック」を 常宿としていた 

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( パンション(食事付き宿) グロアネック )

 

 

 

04. アヴェン川のほとり、 洗濯場 Lavoir

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05  ここにも 洗濯場が・・・

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06. ゴーギャンは その後 パリに帰るが、

作品は売れず 飢餓状態が続いたため、  

 

”砂漠のような”パリを離れて、 1887年、

今度は ” マルティニック諸島と パナマへ逃避 ”する

 

しかし、パナマ運河で働くも 僅か15日で解雇、

所持金も使い果たし

おまけに 赤痢とマラリアにやられてしまう

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07 マルティニックで描いた エキゾチックな風物の絵の方は

 

ひょっとして パリの収集家の目に 新鮮に映るかも知れないと
期待するが

 

結局 見事に無視される!

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( 町の中心あたりの アヴェン川  建物は共同トイレ )

 

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08. 肉体と心と、満身創痍のゴーギャンを受け入れたのが

再びのブルターニュ、 ポンタヴェンでした

 

1888年、エミール・ベルナールなどと共に

 

「ポンタヴェン派」の画家として、
 

数々の有名な絵を描いたのは この頃です

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09.次に、有名な ” アルルでの ゴッホとの共同生活 ”に
踏み切ったのが 1888年の10月、

 

僅か3か月で 二人の関係は破綻する

 

狂気のゴッホに対して、 理性のゴーギャンと 言われるが

ゴーギャンにも 言いたいことは 山ほどあっただろう

 

その ザワザワと波立つ感情を 懐深く受け止めたのが 

またしても ブルターニュ

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( アヴェン川には 多くの水車があり
ここの風景を ゴーギャンが描いています downwardleft )

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10. さて、ゴーギャンは 1890年まで
 

ポンタヴェンで 数々の傑作を描き、 その後、

 

パリ生活を経て、いよいよ ” タヒチ ” へ向うことになる

10週間の船旅の後、タヒチに到着したのが 1891年6月

 

その後のタヒチでの生活は
 

多くの作品と共に よく知られるところです・・

 

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ところで このアヴェン川は、 町を出てから

徐々に その川幅を広げ、


直線で約6km先 大西洋へ 洋々と流れ込む

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ゴーギャンに
 

画家魂を満足させる 豊かな画題を提供したのも ブルターニュ

 

傷ついたゴーギャンを 幾度となく抱きしめたのも ブルターニュ

 

ゴーギャンが タヒチという大海原の向こうに 夢を託すと

発想させたのも

もしかして、このアヴェン川だったかもしれません

 

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「 ポンタヴェン 」 こそ 

” ゴーギャン芸術の 揺りかご ” だったでしょうか・・・

2011年12月14日 (水)

「クレープ」と「ガレット」は ブルターニュが発祥の地 

ブルターニュ発祥の食べ物と言えば  「クレープ と ガレット」 ですが、

「クイネット Kouignette」も 忘れてはなりません

 

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01.   城壁で囲われた島 Ville close、コンカルノー Concarneauに有名な 「ショコラトリー」が あります

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( Maison Georges Larnicol )






02. ここで売られているのが 「クイネット」 

プレーン、アーモンド、アプリコット、塩キャラメル、サクランボ、チョコレート、レモンなど 味付けは16種もありますよ

 

どんなお味かと言うと・・・    しっとりした菓子生地が 渦巻き状に巻かれていて・・ 

日本では 西洋菓子のブームが 次々来てますね   「クイネット」も 候補の一つでしょうか~

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( 写真   上が クイネット、  下は メレンゲ菓子 )

 

 

03.      これ全て チョコレート    力作ですね~!

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04.     このお店のモットーは      「お菓子作り 技術は情熱なり」 

「セルフサービス」の貼り紙もあります

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05.       さて、 寒冷なブルターニュの土地は 痩せていて
 

ワインの代わりに 「シードル」が 作られ、小麦の代わりに 「蕎麦」が 作られて来ました

 

今日でも ブルターニュに足を踏み入れると、

ホテルやレストランから フランスらしい あの「 バゲット 」は パタリと姿を消す
 

(   もちろん いわゆる ” パン ” は出ますけど  ・・・  )

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( サンマロにて 露店のクレープ屋さん )

 



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06.   昔、 ブルターニュの人々は  蕎麦を 「蕎麦がき」 や 「粥」にして 食べていましたが 

ひょんなことから、それを 熱い小石 Galetの上で 焼いて食べると 美味しいことを 発見した

 それが、ブルターニュの名物 「 ガレット Galette 」 になった訳 !

 

ガレットは そば粉と塩と水だけで 生地を作り、

そこに ハムやチーズ 野菜、玉子などを乗せる 惣菜系の食べ物なのです

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07.    やがて、そば粉の代わりに 小麦粉を使い、牛乳 バター 玉子 砂糖などを

混ぜて 生地にしたものが 今日の 「 クレープ Crepe 」 となったのです

 

クレープは ご存じの通り、  甘いお菓子系と 塩味の惣菜系と、両方あります

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( 私は 写真のように マロンペースト、アップルなど もっぱら菓子系のクレープばかり 食べ歩きました! ) 






08.   ところで 「ガレット」は  もう一つ別なものを 指すことがあります
 

いわゆる ” 丸く平たい 焼き菓子のガレット ” のこと

 

そう言えば  モンサンミッシェルのお土産も ”ガレット ”  でした

 

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ゴーギャンが活動した町、ポンタヴェンにある 

この 「Traou Mad」 という店のガレットは とても有名で、お客さんもたくさん来てました~ 

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09.     「 Traou Mad 」社のガレット、  「 ガレット ド ポンタヴェン 」 は 

イメージキャラクターに採用したゴーギャンの絵と相まって 今では 広く その名が知られています

 

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1975年には「Les Galettes de Pont-Aven」  という映画も作られていますが 

芸術的な意味で? 女性の美しいお尻を崇拝する アル中気味の画家の話で、 

いかにもフランス的な映画です~!

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10.    ところで、「Traou Mad」は ブルトン語で 「良きこと」を 意味する単語らしい
 

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Traou Mad社の この商標登録図は upwardleft

 

ゴーギャンが 1888年に描いた 「 ブルターニュの少女たちの ロンド(輪舞) 」 という絵です~

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日本でも お洒落な食べ物として  すっかり定着したクレープ、

 

本来は ブルターニュの 貧しい食糧事情から  発展してきたものだったのですね
  

 

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2011年12月 6日 (火)

「囲われた町 コンカルノー」 と 画家シニャック

ブルターニュといえば やはり ” 海 ”、

 

今回は 海に面した、  と言うより 「  どっぷり海の中にある町 コンカルノー 」を 訪れます

 

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01.    「 コンカルノー Concarneau 」 は
 

口を開けたワニのような形のブルターニュ半島、 その下あごの部分にあたる 港町

 

日差しの輝きは 南仏に負けてません !  sun

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02.    「  コンカルノー 」は 島全体が城壁で囲まれており、
 

14世紀に、  継承争いの内戦や イギリス軍の侵攻があった時

その城壁が 大きな役割を果たしたのだという

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03.       真ん中の小島が 城壁で囲われたコンカルノー downwardleft

 

Google Earthで この俯瞰の姿を見たとたん、  どうしても行ってみたくなったのです !

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( 現在は 当然ながら その小島ばかりでなく 回りの地域全体が コンカルノー市になっています )

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04.       島を囲む 城壁の入り口       潮が満ちています・・・・・

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05.       潮が引きました  ・・・・・

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06.        そして また 潮が満ちて  ・・・・・

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07.        また 潮が引いて   ・・・・・

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昔から コンカルノーは  豊富な魚介に恵まれた漁港として 活況を呈してきましたが

 

近年でも トロール船や 貨物船が出入りし、

多くのヨットが停泊する 大西洋側の重要な港となっています

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08.        島の中は 現在は 観光が中心です ~

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09.       シードル ( りんご酒 )は もともと グラスでなく 「 陶器 」で飲むのが 正式
 

ムールは 貝殻をピンセット代わりにして  身をつまむのが 正式です~

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10.      お二人とも リタイア組み   
左側の紳士は 元エールフランスのパーサー

ヨットで生活し、 週に3回は このレストランに来るという  ( なんと優雅なこと ~~~ )

 

実は 彼には 我々の ’ 夫婦喧嘩 ’の一部始終を 隣のテーブルで 聞かれてしまった  

でも 日本語でよかった~~~ sweat01 sweat01 

国際派の ’ パーサー氏 ’も さすが 日本語はわからないと言ってました~  ホッ! happy01

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11.    ところで 多くの画家が コンカルノーで絵を描いているが

海辺や港の風景、ヨットなどを好んで描いた画家  「 ポール シニャック Paul Signac 1863~1935 」 

彼が ここ コンカルノーを見逃すはずがありません

 

彼は 1891年にコンカルノーに滞在 ( 1925年にも再来している ) 

輝く海と帆船の 独特の明るい「点描画」を仕上げたのち、

 

所有するヨット 「オランピア号」を 自ら操縦して  南仏サントロぺに向ったという

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( 左 「 コンカルノー港 」ブリジストン美術館蔵、  右上 「 朝の静けさ 」 右下 「 夕べの静けさ 」    )

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実は シニャックは あのゴッホに  ゴーギャン同様、 アルルに来るよう 勧誘を受けていた 

実際 その話には乗らなかったが、  ゴッホの 「耳切り事件」のあと、 シニャックは
ゴッホの見舞に行っている

 

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ところで、「 コンカルノー 」の近くには 「 ポンタヴェン 」 という町があり 

ゴーギャンを筆頭に  「ポンタヴェン派」という画家グループが 活動していました

 

 

南フランス同様  北フランスでも、  いろいろな画家たちの人生が


網の目のように 複雑に 絡み合っていたのです・・・

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「ブルターニュ」 つづきます

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