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01. ミキモト真珠島の近く 鳥羽港から
伊勢湾フェリーが出ている。 伊良湖崎へ
向かう ’知多丸’ に 車ごと乗り入れた。
02. 車から出て 広い客室に上がると
お客はまばらだった。 鳥羽湾のホテルや
観光施設をかすめ 船は伊勢湾へと乗り出す。
03. 航路は 伊勢湾の入口の一番狭い所を
進む 20km余 55分の旅だ。
答志島 菅島 神島伝いに進み、 間もなく
伊良湖崎港・いらござきこう に到着した。
04. 接岸すると 客室から足早に車に戻った。
陸上競技のスタートのように 車内で待つ
この瞬間が とても楽しくてワクワクする !
伊良湖岬は 三河湾と遠州灘の間に伸びる
渥美半島の突端に位置するが、 目指す
ホテルは またその突端に建っていた。
05. 三方を海に面して 海抜百メートルの
高台に鎮座する 「伊良湖ヴューホテル」、
予約しておいた 特別室の大きな窓の下に
約1km砂浜が続く 「恋路が浜」 が見えた。
06. あまりお天気が良くなかったが、
それが幸いして! 劇的な光と雲の天体ショー
が広がり、 しばらく それを窓から楽んだ。
07. 天然のスポットライトに浮ぶのが
三島由紀夫の小説・潮騒で有名な 「神島」。
伊勢湾の入口で 激しい自然現象にまともに
晒される 周囲400mほどの小島だが、
観光と漁業を営む住民が325人程住んでいる。
08. ホテルの屋上から 遠州灘と伊勢湾
三河湾 渥美半島などの絶景が一望できる。
放送局のライブカメラや自治体の防災カメラ
も設置されており、 東海地方のニュース・
天気予報が この屋上からの映像を元に
放映される。 特に台風が来たら大活躍だとか!
09. 好天でも風が強く 私の髪は激しく
乱れたが、 台風の時の暴風雨が どれ程
狂暴なのか 想像もつかない・・
10. 伊勢湾を航行するタンカーやタグボート、
さらに 「神島」 のカルスト地形崖も見えた。
三角形に突き立つ神島は このカルスト地形
の他、 八代神社 神島灯台 監的哨
神島漁港などの観光スポットがあるが、
11. 屋上からは 綺麗に整地された農地も
見えた。 そもそも ここ渥美半島には 大きな
川が無く、 古来より 水資源に恵まれない
干ばつの被害が深刻な地域だった。
雨ごいをしたり 井戸や水道を設置したり
あらゆる試行錯誤が長く続いたが、 近年になって
からの 決定打が 「豊川用水」 だった。
12. 「豊川用水農業水利事業」 が始まったのが
昭和24年、 宇連ダムや豊川用水を造り
100km先の最終調整池 画面奥の 「初立池」
まで やっと水が届いたのが 昭和43年。
それ以来 見事な温室栽培農業が花開き、
なす きゅうり いちご メロン ぶどう
花き類など 相当な生産高をあげている。
13. さて、伊良湖ヴューホテルは さすが
立地が素晴らしく お勧めの宿だ。
食事も美味しかった。 が、 豪華メニュー
をさて置いて 私が 何度もお代わり
に走ったのが 絶品 ” あおさラーメン ”。
そう言えば 伊勢志摩の特産は
真珠とアオサのりだった。
真珠は買えなかったが アオサのりはお腹に
いっぱい貯めて 帰りました~~
* * * * *
01. 参宮線鳥羽駅や鳥羽水族館の近く、
伊勢湾に浮かぶ小島 「ミキモト真珠島」
に これから 連絡橋を渡って入る。
02. 1893年(明治26) 御木本幸吉が
世界で初めて真珠の養殖に成功したのがこの島だ。
真珠博物館 御木本幸吉記念館 などがあり
’真珠と真珠王’ の全てを知ることが出来る。
03. 入場すると いきなり 海女の実演が
始まると言うアナウンス。 見逃すまいと
急いで海辺の特設スタンドに走った。
04. 昔は海女が海底に潜りアコヤ貝を採取し
核入れした貝を再び海底へ戻し、赤潮や台風時
には 貝をいち早く安全な場所に移すなど、
海女は真珠養殖には欠かせない存在だった。
05. 昔ながらの白い磯着の海女たち
好天とは言え 11月の海風に吹かれ、
見てる側の方が ブルっと震えた!
06. 実演が終わり、 ふと見やると
立派な御木本幸吉の像が 建っていた。
07. ミュージアムの方には 親しみやすく
且つ 信念の人といった幸吉の姿があった・・
鳥羽のうどん屋の長男として誕生した幸吉は
さまざまな商売を経験するなかで、もともと
志摩の名産だった真珠の魅力に着目、
試行錯誤・艱難辛苦の末 真珠養殖に成功した。
08. 館内では 真珠の養殖に関する全てが
実物やパネル写真で紹介されていた。
09. ところで幸吉が立派なのは 真珠養殖
に成功したばかりでなく 続いて 真珠産業を
開花・育成したことだった。
彼が興した真珠産業は 国内やがて海外にも
真珠を日本の宝飾として認知させ、 例えば
真珠島を訪れる 世界中の王侯貴族 政治家
学者 聖職者 芸術家 スターたちが
こぞって 日本の真珠に跪まずいたのだ。
10. 私が一番感心したのは この三角形。
核入れされたアコヤ貝のうち50%は死滅。
不良品が22%、 真珠となるのが28%、
価値ある花珠と呼ばれるのはその5%のみ。
この三角形は 人生の様々な場面に当て
嵌まる気がして、 わが身につまされた。
11. 展示された真珠の宝飾作品の数々
12. 一辺600mの四角いミキモト真珠島、
橋が架けられたのは1970年(昭和45)。
古き佳き昭和の風景だ。 博物館や記念館等
立派な施設は 昭和から平成にかけ整備され、
観光・産業・教育を三位一体とした観光施設
ミキモト真珠島が 完成した。
13. 実は 私は
”真珠の一粒でも 買いたいものだ! ”
という下心があって ここにやって来た。
ところが 写真の通り 立派な建物
高級そうなショッピングプラザ、
リング ネックレス アクセサリー
お高くて とても手が届かない。
私の下心、 空想は 見事に砕かれた。
でもそれが当たり前、
ネットショッピングとは訳が違うのです!
* * * * *
01. 三重県志摩町 リアス式海岸として
名高い 風光明媚な 「英虞湾 あごわん」、
「横山展望台」 から望む。
02. 何層かになっている 展望台の
何処から見ても 湾内に浮かぶ60余の
島々の風景は 聞きしに勝る絶景だった!
03. 湾内には 青海苔(アオサ)や
真珠の養殖棚が浮かび、 美しい風景の中に
人々の日々の営みが見え 一層魅力的だった。
04. スペイン帆船型遊覧船 「エスペランサ号」
で 賢島に沿って湾内をクルーズ。 穏やかな
内海のせいか デッキでも余り寒くはない。
05. 今 こうして真珠養殖が盛んだが、
この海では 奈良時代から 阿古屋貝で育つ
天然の真珠が採れていたそうだ。
横浜で外国商人が扱う ケシ粒ほどの
伊勢志摩産真珠が 驚くほどの高値で
売買されていたと言う。
06. その様子を目の当たりにし
刺激を受けた御木本幸吉が 百数十年前
から 真珠の養殖に心血を注いだのが
この 「ミキモト真珠養殖場」。
丘に建つ民家が 彼の住まいだ。
07. さて、英虞湾に浮かぶ 「賢島」 は
何といっても 2016年5月開催の
「伊勢志摩サミット」 で有名になった。
赤矢印 サミット会議場となった志摩観光ホテル
緑矢印 日本の事務方の基地となった
パークホテルみち潮
手前の 「大月真珠」 は 御木本幸吉の技術を
さらに発展させた 大月菊雄の養殖場。
今日でも 真珠輸出額業界一位の企業だ。
08. クルーズでは 途中 「出口真珠」 に
接岸し、 養殖の技術を見学し 買い物する、
のがコースとなっている。 しかし10分間
しかなく あわただしいことこの上なかった!
09. それでも 養殖の工程を 目で
確かめられ、 とても興味深かかった。
10. 貼ってあったポスターも役立った。
60余の島々のうち 人が住んでいるのが
賢島 間崎島 横山島 の3島で、
中でも 「賢島」は 橋も鉄道もあり、
志摩観光の重要な拠点だということが
ポスターでよく分かる。
中央が サミットのあった志摩観光ホテル
11. 余談だが クルーズ船の操舵室、
コンピューター制御なのだろうか、
一見オフィスのデスクのようだ。
12. 英虞湾の夕焼けも名物の一つ。
私達のエスペランサ号も
夕日に真っ赤に染まりつつ着岸した。
13. 私のホテルは サミットで 日本の
事務方の基地となった パークホテルみち潮。
目の前に湾が開け 心行くまで落日と日の出
を楽しんだ。
今思えば サミットに来た世界の首脳たち、
何とも懐かしい面々だ! 安倍さんは元より
オバマ メルケル キャメロン トルドー、
時代は何と速く過ぎ去るのだろう。
せっかくなので 彼らが滞在した
志摩観光ホテルに 泊まりたかったが、
宿代・レストランが めっぽう高かった上
島の高台にあって 目の前が海、という訳
ではなかったので まあ、
こちらの選択も悪くなかったでしょう・・
* * * * *
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