台湾「台中・宝覚寺 日本人遺骨」「台南・赤嵌楼 日本人修学旅行」
01. 台湾のちょうど真ん中あたり、「台中」
は 人口280万を有する台湾第二の都市だ。
日本の統治時代に 街は碁盤の目状に整備され
今日まで 経済文化の中心地となっている。
02. 街の看板は読めそうで読めないが、
’洗腎’ は透析、 セブンイレブンもあり、
’康是美’ は 健康こそ美なり。
03. 「宝覚寺」 日本統治時代1927年に
建立された 臨済宗派のお寺。 笑顔一杯の
金色の大仏は 布袋風だが弥勒仏と呼ばれて
いる。 日本にない大らかさだ!
04. 老朽化が進んだ木造の宝覚寺の本堂を覆う
巨大な石造りの大雄寶殿は 後から造られたもの。
さて宝覚寺には 「日本人遺骨安置所」 がある。
統治時代に亡くなった日本人の遺骨14000柱
が あちこちの共同墓地から集められた。
05. 一方 大東亜戦争時、大日本帝国軍に
志願または応召によって 従軍した台湾人が
20万余、うち3万3千が戦死したと言う。
戦後しばらく放っておかれた彼らの 英霊鎮魂碑
の建立が 1997年に 日台の有志によって
やっと実現した。
今更ながら 日台の関係の深さが感じられる。
06.次は 人口188万 第六の都市 「台南」
へ移動。 クリーニング屋 ペットクリニック
髪型設計美容室ヘアサロン 鳥料理食堂など、
読めなさそうで 読める!?
07.台南での見どころは 「赤嵌楼せきかんろう」
1624年から台湾を統治していたオランダが
築城した当時は ’ プロヴィンティア城 ’
と呼ばれていたが
清の統治時代になると 「赤嵌楼」 となった。
前の建物が 「海神廟」 後ろ側が 「文昌閣」。
08.大きな石碑を背負った9匹の生き物は
亀ではなく 「贔屓ひいき」 という龍の子共だとか。
09.「赤嵌楼」 の東北側には 築城当時の
稜堡部分 (防衛のため 城から外に向かって
突き出した部分) が保存されている。
10.「鄭成功の像」 1661年に 鄭成功が
オランダ軍を降伏させ 38年に及ぶオランダ統治
を終焉させたことを記念する像。
因みに 鄭は日本・肥前国松浦郡の平戸生まれ
日本名は福松、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった
人物というから 驚きだ!
ここでも 多くの 日本の修学旅行生に遭遇。
11. 制服が微妙にそれぞれ違う。 校名を
聞いたが忘れてしまった。 コロナ前は 相当
多くの学校が来ていたに違いない。
現代も 日台交流は続いているのだ ・・
12. 今回の旅は 図のように
台湾島の主たる街を ぐるりと回った。
台南に続いて 次は 高雄を訪ねます。
13. 最後に おまけのショット。
何か罪を犯した人・・
後ろ姿を, プライバシーに配慮しつつ。
男子トイレで。 用足しはもう一歩前に出て!
水滴が外に落ちないよう。
台湾 続きます。
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