クトナー・ホラ 納骨礼拝堂 骸骨アート・人骨シャンデリア
「クトナー・ホラ」 はプラハから東へ65km、
13~16世紀に繁栄した 世界遺産の古都だ。
街の東側にある 「セドレツ納骨礼拝堂」 では
4万人分もの人骨が 見事に飾り付けられていた。
01. 他のカタコンベで見たこともない
ユニークなデザインは 芸術的でさえあった !
チェロ型の紋章に 様々なオブジェが見える。
骨盤が骸骨の襟になっており、少女や花も見える。
02. 人骨シャンデリア。
骸骨で出来た 天国への天使の階段。
03. 入り口の十字架飾り、 見事な大型盃、
松葉杖や子供の人形も見える。
骸骨も 幼児から大人まで大きさを揃えているようだ。
ロープ状の骸骨レース飾りの先端にも
骨タッセルが下がっている。
04. 納骨堂はこの墓地教会に付随している。
この辺りは 何百年間も 戦争や疫病で亡くなった
人達の共同墓地だった。 ある時
どんどん広がる墓地の整理の一環として
人骨の分類分け 飾り付けが始まったと言う。
05. 骸骨には殺傷痕、手術の跡なども
見受けられる。 何万体の骨の山から
同じ部位を集め 鉄籠に整然と積み重ね、
あるものには 芸術的なオブジェとなる運命を与え、
そうした作業には どれほどの
時間とエネルギーが必要だったことだろう !
06. 教会の後見 シュヴァルツェンベルク家の
依頼で 発掘 仕分けが始まったと言うが、
多くの根気強い作業者に加えて、 活動の中心に
とてつもなくオリジナルな芸術的才能を持つ
’ 骸骨アーティスト ’ がいたに違いない!
07. 地下の納骨堂には 臨時に架けたと
いう風な 木の渡り板を歩いて入った。
たまたま 何かの工事中だったかと思いきや、
まだまだ 辺りに夥しい人骨が埋まっており
当分は 発掘作業が続くのだと言う。
百年後には またデザインの異なる
別のホールが出来てるかも知れない。
* * *
08. 次は街の東側にある
「 聖バルバラ教会 1388年創建 」 に移動。
クトナー・ホラは 13Cに良質の銀が発見されてから
繁栄が始まり、 王立造幣局が設立され、
国王がしばしば滞在するほどの立派な街となった。
この教会も プラハに負けじと対抗して建てられたものだ。
09. 天井に描かれた絵も美しいが、
豪華祭壇の中心に据えられた ’最後の晩餐’ の
食卓を囲むイエスや使徒達の 見事な銀の衣装は
さすが 銀の特産地ならではの重厚感を放っていた。
10. 教会から 街の美しい風景が望めた。
左側は 旧イエズス会大学、 画面の奥には
鉱山博物館がある。 当時の銀鉱跡も保存され
ガイドツアーで見学できる。
11. 教会内には 17Cの炭鉱労働者像や
貨幣鋳造職人たちの フレスコ画があった。
聖バルバラは 石工 消防士 鉱夫など 鉱山や
火を扱う危険な場所で働く人々の守護聖人だ。
プラハに次ぐほどの栄華を築いたクトナー・ホラも
16Cに銀が枯渇し始めると共に 街は衰退した。
銀の切れ目が 街の繁栄の切れ目だった ・・
12. 教会の外は 相変わらずの好天だ。 緑地に
何やら 高級そうなワンちゃん達が集って来ていた。
13. 私・日本人に対してはとても好意的だったが
いかんせん 犬種についての会話はチンプンカンプン、
ボルゾイなど 頭が小さく 痩身で 脚が長く 背が高い
要するに 人間で言ったらスーパーモデルみたいな
カッコいい高級犬種の 特別なお集まりだったらしい。
カタコンベにも 色々な作り方があって、
旅行先で それらを見て歩くのも 一興だ。
生々しく悲壮な死と カタコンベの骸骨たちの間には
時間空間の隔たりと共に 大きな概念の差がある。
どうせなら セドレツ納骨礼拝堂みたく
アーティスチックな装飾法も有りだろう ・・
* * * * *
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コメント
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bellaさん、こんばんは(^o^)/!
・・・いやはや、ビックリしました (゚o゚)ナニッ!
このような礼拝堂があるとは?!死後、埋葬されたものの発掘・仕分けされこのようなアートに生まれ変わったのですね。これらの故人たち、喜んでいるかな?それとも・・・いろんな考え方があるでしょうね。
チェコスロバキアという国がそれぞれ分離独立して、もう2~30年経つでしょうか?「プラハの春」と呼ばれて以来、平和が続いているのが何よりです。
今夜も楽しいバーチャル旅行、ありがとうございました。
投稿: 慕辺未行 | 2020年6月21日 (日) 00時03分