« プラハ カレル橋 聖人が橋から投げ落とされた場所はここです | トップページ | クトナー・ホラ 納骨礼拝堂 骸骨アート・人骨シャンデリア »

2020年6月12日 (金)

プラハ 旧市街広場・ヴァーツラフ広場 スラブ魂ってどこか違う!


01. カレル橋の塔をくぐって 旧市街側に来た。

振り返ると 搭には聖人像が飾られ 

橋側と表情が異なっている。


右手がカレル4世像。 遠景がプラハ城。

01_20200611155001




02. 引き続き、 歴代の王がプラハ城へ向けて

華やかな戴冠パレードを行った ’王の道’ を辿る。

02_20200611155001




03.  狭いカレル通り、古い建物が建ち並ぶ。

03_20200611155001




04. いよいよ 「 旧市街広場 」 に着いた。

左手が旧市庁舎、 奥に 尖った2本の塔が際立つ

ディーン教会 (1135年創建)。


美しく華やかな広場に 世界中の観光客が集まり

互いにぶつかりかねないほどの賑わいだった!

04_20200611155001





05. 市庁舎には 15世紀から今日まで動いている

「天文時計」 がある。 上は 地球を中心に太陽と月

星々が回る形で 1周で 1年の月日時を示し、


下は  カレンダリウムと呼ばれる黄道12宮と

農村での四季の作業を示す暦を示している。

 

時計の左側、レンガ色の建物には 旧市街の紋章と 

”プラハ 王国の首都” という文字がある。

05_20200611155001

 



06.  市庁舎は 何世紀にもわたる改修、

第2次大戦後の修復などを経て、 様式や装飾が

それぞれ異なる建築物の集合体となっている。

 

奥の白黒のスグラフィット装飾 (だまし絵)の

棟も 市庁舎の一部だ。

06_20200611155001

 



07. ’大道芸’  台に立つ前に打ち合わせ ・・

07_20200611155001



 

08. 15世紀 チェコに於ける宗教改革の先駆者

「ヤン・フス像」。 敬虔なキリスト教徒だったフスは

ローマ教会の堕落を激しく批判し 信念を貫いたため、

異端として1415年、ここで火あぶりの刑に処された。


フス像は 没後500年を記念して、

1915年に造られた。

08_20200611155001



 

09.  こちらは 旧市庁舎の少し南方、

ヴァーツラフ広場。 現在 プラハ随一の繁華街だ。    

 

何とも平和な風景だが、 実は この広場 1968年

チェコの民主化を弾圧するため ソ連を中心とした

ワルシャワ条約機構軍の戦車が大挙して侵攻した場所。



結局 ”プラハの春” は挫折の憂き目を見た。

09_20200611155001

 




10. ここに押し寄せた鉄の塊 戦車の轟きは

威圧的で 如何にも恐ろしいものだっただろう。  



しかし、 20年後の1989年 100万余の

プラハ市民がこの広場に集まり、 いわゆる

”ビロード革命” 無血の民主化が 果された。

 

正面の国立博物館まで750m 幅60mの

ヴァーツラフ広場は、 チェコの歴史の変遷を

物語る大きな舞台、 生き証人なのだ。

10_20200611155001



 

11.  広場の近くに こんな場所もあった。


1787年10月にモーツアルト自身の指揮で

オペラ・ブッファ 「ドン・ジョヴァンニ」 が

初演されたエステート劇場と、 主人公・夜這いの像。

 

プラハで 翌年発表したフィガロの結婚も好評で 

モーツアルトはご満悦だったらしい。



1910~11年 プラハに滞在したアインシュタイン

大学で講義したり 相対性理論の構想を練ったり、

このカフェで友人達と会い ヴァイオリンを弾き、

有意義な日々を過ごしたという。

11_20200611155001



 

12. かつて王宮があった場所に 市民の為の

催し物を行う目的で 1911年に建てられた

「 市民会館 」。



内部には スメタナ・ホールという音楽会場が

あるが、   何と言っても 内装・外観共に、

アルフォンス・ミュシャなど チェコの芸術家が

施した 華麗なアール・ヌーボー装飾が素晴らしい !

12_20200611155001

 



13. この市民会館に隣接してあるのが 「火薬搭」。

1475年建造の城壁の一部だが、  17世紀に

火薬倉庫として用いられたことで この名が付いた。



実はこの火薬搭こそ 歴代の王がプラハ城へ向けて

華やかな戴冠パレードを行った ’王の道’ の

出発地点だった。

( 私が辿った行程とは逆になるが 、、 )

13_20200611155001




私には、

モーツアルトが 実際この街を歩いたことも

感動だったし、  パリやアメリカで成功を納めた

画家A・ミュシャが 結局 晩年はチェコに戻り、 

スメタナの我が祖国を聞いて触発され 

20年がかりで描いたという連作 「スラブ抒情詩」

を描いた街に 来られたことも感動だった。

 



音楽でも絵画でも スラブ魂って どこか違うんです!

 

 

 

*    *    *    *    * 

 

 

 

« プラハ カレル橋 聖人が橋から投げ落とされた場所はここです | トップページ | クトナー・ホラ 納骨礼拝堂 骸骨アート・人骨シャンデリア »

チェコ プラハ」カテゴリの記事

コメント

bellaさん、こんばんは(^o^)/!
今回もプラハですね。ほんの3~40年前までは激動の歴史だった街、今はすっかり平和な街のようですね。
どの写真を見てもとてもきれいな街並みで、私も訪れたくなります。
20年ほど前の単発ドラマ”青年は荒野をめざす”の中で、プラハが紹介されていました。その時の印象もあり、無理だろうけど行ってみたい街の一つです。

今夜も楽しいバーチャル旅行、ありがとうございました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« プラハ カレル橋 聖人が橋から投げ落とされた場所はここです | トップページ | クトナー・ホラ 納骨礼拝堂 骸骨アート・人骨シャンデリア »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリー

リンク先

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック