オールド・バガン 竹を編んで暮らす人々・映画「ビルマの竪琴」
1000の仏塔、3500の仏教建造物が点在するバガン、
その中央部に位置するのが ” オールド・バガン ” だ。
01. 12C バガン朝時代 ここに王宮が築かれ
城壁がそれを取り囲んでいた。 当時の城壁が
一部残っている。 王宮自体は新しく再建されたものだ。
02. かつて城壁には12の門があったが 唯一
この 「 タラバー門 高さ8m 」 だけが残っている。
重厚な煉瓦造りの城門の両側に 町の守護神・ナッ神
( 左が兄 右が妹 ) が祀られている。
03. オールド・バガンには 壮麗な仏教遺跡が
数多く点在している。 中でも 「 タビィニュ寺院
1144年、65m 」 はバガンで最も背が高い建物だ。
04. 「 ピタカタイ 」 は 律蔵、経蔵、論蔵、
の三蔵経からなる仏典を 納めた書庫だった。
05. さて、 数ある仏塔の中で 最も美しいとされるのが
「 アーナンダ寺院 」。 正方形の本殿の四方に 拝殿が
付属するシンメトリックな構造と、 上品なアイボリーが
均整のとれた美しさを放っている。
06. 本堂の中心部に それぞれ東西南北に向けて
4体の10m近い ’過去四仏立像’ が配されている。
南・北側の立像は 1090年当時のものだが
東・西側のは 200年前に再建されたものだ。
見上げる先の大仏は 神々しく 手の届かぬ存在だが、
大仏の足元に鎮座ます座像は近い。 身体中に金箔を貼ることで
参拝者は 願いや感謝を伝え 功徳を積むことが出来る。
07. さて、かつて王宮のあった オールド・バガン地区が
考古学保護区となったことで、 住んでいた人々は強制的に
ニュー・バガン地区に移住させられたと聞くが、 城壁の
外側では 人々は 何千と言う仏教遺跡と共存して
今でも 普通に日常生活を営んでいる。
08. 仏塔のまわりで市が開かれ、 仏塔の塀に
洗濯物を干し、 仏塔の夾竹桃で 食堂の日除けを作る。
09. 村人が住む地区を散策してみると、
水溜りが光る土の道路 、、 竹で編んだ塀 、、
10. 日本の、 昭和の、 夏、 みたいな ・・
11. 竹を編む暮らし ! 風が村を渡る ・・
12. ところでミャンマーは 英国の植民地だった頃
ビルマと言った。 第二次世界大戦時 日本軍は英国軍と
熾烈な戦いを強いられ、 戦況悪化により 多くの日本兵が
命を落とし、 鉄条網に囲まれた収容所に送られた。
最悪の激戦地だったバガンに 日本兵の慰霊塔が
建っていた。 ” 弓部隊戦没勇士碑 ” とか
” 元総隊長河原右内謹書 ” などと記されている。
13. 映画 「 ビルマの竪琴 」 の舞台は ヤンゴンの
南東部モン州という設定だが、 一度もビルマに来たことの
なかった作者、 場所より 寧ろ 戦時下の人間の精神に
重点を置いて作品を書いたのではなかろうか。
映画も 1956年と1985年の2回作られているが、
2度とも 戦後の混乱が続いていたビルマでは とても
映画の撮影などが出来る社会情勢ではなく、 実際は
一部 日本の熱海 そしてタイで ロケが行われたと言う。
スー・チーさんが 一応自由の身となった今日ですら
ミャンマーは 真に安定した体制下にある訳ではない。
とある仏塔に レストランや 展望デッキが作られ
観光客が楽しめるようになっている。
幾千の仏塔が 夕日に染まり、 やがて闇に沈み、
その幾つかが ライトアップされるまでを 見た。
映画 「ビルマの竪琴」 を知っている心には
ビルマの竪琴の音色は 感慨深いものだった ・・・
* * * * *
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コメント
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bellaさん、こんばんは(^o^)/!
今回もミャンマー・バガンの街ですね。
凄く立派な寺院のすぐ裏には、庶民の暮らしが息づいているところが、らしいですね。
市の様子や暮らしを見ていると、インドやネパールを始めて旅したときの光景を思い出します。
”日本の昭和の夏”・・・確かに古き良き昭和の匂いが感じられます。3~40年代頃かな?
ビルマの竪琴、ビデオをダビングしていましたので、自宅で何回も見た映画です。
三角山で負傷した水島上等兵が捕虜収容所があるムドンの街まで歩いて行くシーン、その途中で見たたくさんの日本兵の屍、心の葛藤・・・。
この映画の話は実話ではなく作られた話と聞きましたが、もしかしたら本当にそのようなことをした日本兵がいたかもしれませんし、今も現地に慰霊碑が残っていること、感慨深いですね。
投稿: 慕辺未行 | 2020年2月16日 (日) 21時15分