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2020年2月

2020年2月28日 (金)

マンダレー 最後の王朝・旧王宮 川岸に住む人・川砂を採る人


ミャンマーのほぼ中央部に ミャンマー第2の都市

「 マンダレー 」 がある。    当時のビルマが

英国の植民地となるまで ここに王朝が置かれていた。

 

 

 

01.   「 旧王宮 」、    1858年に即位した

ミンドン王は それまでアマラブラに置かれていた首都を

マンダレーに移すことを決め 王宮を始め仏塔や寺院など

壮大な建物を 街のあちこちに建設した。

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02. この旧王宮は第二次大戦で焼失後 復元された

もので、見事な外観だが 内部に見るべきものは少ない。


英軍が奪った当時の財宝の一部は ロンドンの

ヴィクトリア&アルバート美術館に収蔵されている。


それに 現在も 大部分は軍事施設となっていて 

観光客が入れるのはごく一部分だけだ。

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03.   これがミンドン王。  ’ 王様と私 ’、

シャム王を演じた 渡辺謙に似た風貌だ !

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04. 1885年 王宮完成の僅か24年後 後継者

ティーボー王の時代に 宮殿は英国の支配下に置かれた。


当時インドシナ半島は ヨーロッパ列強による植民地化が

進んでいて、 イギリスはインドに続いてビルマまでを 

フランスは カンボジャ ラオス ベトナムを獲り、 

緩衝帯的存在となったタイは 植民地化を免れた。

 


ティーボー王は捕えられインドに幽閉され 王朝は消滅。

今でもインドのラトナギリに王の子孫が住んでいると言う。

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05.  王宮は 一辺が3kmの正方形をしていて、

高さ8mの城壁と 幅70mの濠に囲まれている。


五層屋根の建物が 中央王宮、

手前の白い建物は 王が使ったプール。


赤い屋根が 碁盤の目のように整然と並んでいて、

いにしえの奈良の都 さらに長安が 頭に浮かぶ。

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06.   ミャンマー伝統の巻きスカート ・ ロンジー、

若いお嬢さんたち ウエストも細くスラッとしている!


ロンジーは筒状になっていて 身体を通したら 男は前 

女は横で 余った布を締めて固定させる。

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07.   マンダレーの市街地も 碁盤の目のように

東西南北規則正しく 整然と区割りされているが、


通りの店々からは 東南アジアの国らしく

雑然としたエネルギーが溢れ出している。

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08.  ホテルの窓からも コンクリートのビル、

仏閣、 門前のゴミ、 そして手押し屋台など 

渾然雑多なものが 目に入った。

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09.  さて 王宮の西方にはエーヤワディー川が

流れているが、 川岸に なにやら生活の匂いがした。

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10. 川岸にしゅんせつ船が停泊し 川砂を採っている。

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11.   川底から パイプで土砂が吸い上げられ,

砂は残り、 水分は再び川に流れ帰る。

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12.   砂山を背にした土手には 鍋 バケツ等が

ずらりと並び、すっかり ’自宅の ’ 台所と化している。

 


川岸の小さな小屋群は もしかして 川砂を採る人々の

家だろうか・・        いずれにせよ、  


川沿いに 無断で!?暮らす 人々がいるようだ。

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13.   このあと 160年の歴史を持つ木橋、

ウー・べイン橋に 夕日が沈むのを見に行く。

 


バスの日除けの青いガラス越しに 乗合トラックが

並走するのが見えた。  お坊さんの一群だ ・・

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どんな木橋だろうか ・・・


どんな夕日が見られるだろうか ・・

 

 

 

*    *    *    *    *

 

 

 

2020年2月21日 (金)

ミャンマー・インワ 女たちは船を待ち、男たちは馬車で待つ


ヤンゴンに次ぐ ミャンマー第2の都市がマンダレーだ。

そのマンダレーの南20kmに かつて王都として栄えた

小さな村 「 インワ 」 がある。

 

 

 

01.  「 インワ 」 に行くには 橋がないので

エーヤワディー川の支流を 渡し船で渡らねばならない。


船着場では 何やら大勢の若い女性たちが待っていた。


折り返しの客たちか とも思ったが、     

実は彼女ら 鋭い視線で、 地元民に混じって

船に観光客が乗っているか 値踏みしていたのだ。

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02.   彼女たちは ほっぺに ’タナカ’ を塗って 

お洒落に着飾った物売りだった。 籠からアクセサリーや

ストラップ小物などを出して、売らんかなの態勢に入る。


いざ出番、 赤ちゃんを 同行の夫に託す者もいる。

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03.  靴を履いているのが観光客、草履が地元民。


大声で幾らいくらと 多分値段を言っているのだろうが、 

彼女らの隊列を無事くぐり抜けることで精一杯 !

 


傍で 我関せず 黙々と 洗濯する者もいた ・・・ 

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04.   次は 馬車が並んで待っていた。 


地図も標識もない田舎道、 散在する仏塔や僧院を

とても 歩いてみて回ることは出来ない。    

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05.   馬車まで 物売りが付いて来た。

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06.   結局 何も買わずに出発した。 

女たちは船を待ち、 男たちは馬車で待つ 、、、

 


船も馬車も土産物も この村の大切な観光資源だから

そのどれかに投資すれば   観光客として

一応役目は果たせたことだろう ・・ 

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07. インワは1364年にシャン族の都となって以来

断続的に 約500年間ビルマ族王朝の都として栄えた所。

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08.   舗装のない田舎道に 古色燦然たる仏塔が

現れたり、 バナナ畑の木漏れ日の影を踏んだり、  

 

古と現を 行ったり来たりする ワクワク感があった。

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09. 王都インワは 数回の敵の来襲や大地震で壊滅、 

他所へ遷都され、 人々の記憶から消えて行った。


とにかく こんな片田舎に 華やかな都があったなんて

想像すら出来ない長閑さだった。

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10.   地元民の足は オートバイと乗合トラック。

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11.  馬車を降りて 有名な僧院やパゴダを見ることは

出来なかったが、   人々の素朴な生活ぶりを

垣間見られたことは 幸せなことだった。

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12.   ところで途中 バナナ刈りを体験した。


バナナの花の根元に グローブみたいな実が育つ。

時期が来ると 実の生る茎ごと切り倒して収穫する。


三段にも実ったバナナの房は ドッシリ重たいが、

地元の人は 右手の包丁で ズバッと切り落とすや

それが地面に落ちる寸前、左手で見事に受け止める。 
 

バナナに傷をつけないための 神業だ !

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13.   さて次は インワの北20kmにある 

ミャンマー第2の大都市マンダレーに移動する。

 


マンダレーのホテルの窓からは

こんな大都会の風景が広がっていた。

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次回も ミャンマー便り 続きます。
  

 

 

 


*    *    *    *    *

 

 

 

2020年2月14日 (金)

オールド・バガン 竹を編んで暮らす人々・映画「ビルマの竪琴」

1000の仏塔、3500の仏教建造物が点在するバガン、

その中央部に位置するのが ” オールド・バガン ” だ。



 

01.   12C バガン朝時代 ここに王宮が築かれ 

城壁がそれを取り囲んでいた。    当時の城壁が

一部残っている。 王宮自体は新しく再建されたものだ。

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02.   かつて城壁には12の門があったが  唯一

この 「 タラバー門 高さ8m 」 だけが残っている。 
 

重厚な煉瓦造りの城門の両側に 町の守護神・ナッ神

( 左が兄 右が妹 ) が祀られている。 

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03.   オールド・バガンには 壮麗な仏教遺跡が

数多く点在している。   中でも 「 タビィニュ寺院 

1144年、65m 」 はバガンで最も背が高い建物だ。 

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04.   「 ピタカタイ 」 は  律蔵、経蔵、論蔵、

の三蔵経からなる仏典を 納めた書庫だった。

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05.  さて、 数ある仏塔の中で 最も美しいとされるのが

「 アーナンダ寺院 」。  正方形の本殿の四方に 拝殿が

付属するシンメトリックな構造と、 上品なアイボリーが

均整のとれた美しさを放っている。

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06.   本堂の中心部に それぞれ東西南北に向けて

4体の10m近い ’過去四仏立像’ が配されている。  


南・北側の立像は 1090年当時のものだが 

東・西側のは 200年前に再建されたものだ。



見上げる先の大仏は 神々しく 手の届かぬ存在だが、

大仏の足元に鎮座ます座像は近い。 身体中に金箔を貼ることで

参拝者は 願いや感謝を伝え 功徳を積むことが出来る。

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                                   ( 大立像は 南側の カッサパ・迦葉仏 )

 

 

 

07.  さて、かつて王宮のあった オールド・バガン地区が

考古学保護区となったことで、 住んでいた人々は強制的に

ニュー・バガン地区に移住させられたと聞くが、   城壁の


外側では 人々は 何千と言う仏教遺跡と共存して   

今でも 普通に日常生活を営んでいる。

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08.   仏塔のまわりで市が開かれ、   仏塔の塀に

洗濯物を干し、 仏塔の夾竹桃で 食堂の日除けを作る。 

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09.     村人が住む地区を散策してみると、

水溜りが光る土の道路 、、  竹で編んだ塀 、、

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10.    日本の、 昭和の、 夏、   みたいな ・・

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11.   竹を編む暮らし !   風が村を渡る ・・

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12.   ところでミャンマーは 英国の植民地だった頃

ビルマと言った。  第二次世界大戦時 日本軍は英国軍と


熾烈な戦いを強いられ、 戦況悪化により 多くの日本兵が

命を落とし、 鉄条網に囲まれた収容所に送られた。

 

 

最悪の激戦地だったバガンに  日本兵の慰霊塔が

建っていた。    ” 弓部隊戦没勇士碑 ” とか

” 元総隊長河原右内謹書 ” などと記されている。

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13.  映画 「 ビルマの竪琴 」 の舞台は ヤンゴンの

南東部モン州という設定だが、 一度もビルマに来たことの

なかった作者、  場所より 寧ろ 戦時下の人間の精神に

重点を置いて作品を書いたのではなかろうか。

 

 

映画も 1956年と1985年の2回作られているが、


2度とも 戦後の混乱が続いていたビルマでは とても

映画の撮影などが出来る社会情勢ではなく、  実際は 

一部 日本の熱海 そしてタイで ロケが行われたと言う。

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スー・チーさんが 一応自由の身となった今日ですら

ミャンマーは 真に安定した体制下にある訳ではない。

 

 

 

とある仏塔に レストランや 展望デッキが作られ

観光客が楽しめるようになっている。 

 


幾千の仏塔が 夕日に染まり、 やがて闇に沈み、

その幾つかが ライトアップされるまでを 見た。

 


映画 「ビルマの竪琴」 を知っている心には

ビルマの竪琴の音色は 感慨深いものだった ・・・

 

 

 

 

*    *    *    *   *    

 

2020年2月 7日 (金)

ミャンマー・バガン タナカ美人・巨大パゴダでの祈り方


1000の仏塔、3500の仏教建造物が点在するバガン、

その北部に位置する 「 ニャウンウー 」 は

バガン観光  拠点の町だ。

 

 

01.  その 「ニャウンウー」 は 商売の中心地で、

活気あふれる市場では 様々な物が売り買いされていた。



むせ返るような賑わいだが、 よく見ると 行き交う人

ひとりひとりが 淡々と 自分の仕事をこなしている。

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02.   品物を乗せたお盆や果物、

頭や肩で 何と上手に運ぶことだろう !

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03.   ところで女性たち ほっぺに何か塗っている!

白いものを 顔全体に塗っている人もいる。

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04.    これが ” タナカ Thanaka ” だ。


タナカという柑橘系の木を すり潰して 少し水で練ると

日焼け止め ニキビ 美肌など 万能の化粧品となる。  


店では  35年以上モノのタナカの木 すり潰し用石盤 

製品となった タナカクリーム などが売られている。

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05.    肉屋さんも 魚屋さんも タナカ美人だ !



いずれ 資生堂の化粧品がミャンマーを席巻する日が

来るかも知れないが、   ナチュラル志向とか言って

日本人が タナカクリームをつける日もあるかも知れない。

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06.   ミャンマーは とにかく暑いので 移動には

こんな馬車をチャーターすると便利だ。


小柄な馬と民族調の馬車が フォークアート !

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07.   バガンを代表する 4つの巨大黄金の塔の一つ

「 シュエズィーゴォン・パゴダ 」 も ニャウンウーにある。


初期のバガン王朝が 数十年かけて1090年頃建造したもの。

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08.  パゴダの高さは約40m、 四辺のどこが正面とは

決まっていない。 搭の中には釈迦の歯と骨(仏舎利) が

奉納されているとされ 神聖なパゴダの中には入れない。


その代り、 っと言ってはナンだが

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09.  パゴダの四方には 金色の仏が立つ仏堂が備わり、 

民間信仰の35程の神像なども 

そこかしこで 人々を親しく迎え入れる。 


誕生年月や六白金星のようなもので見分ける 参拝者各自の

守護神に 祈りを奉げることで 人々の心は一層満たされる。

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10.   お堂では 釈迦がまだ俗界にいた頃 病人に

出会う場面 粋人に誘惑される場面などが 表されていた。


キリスト教で イエスの生誕 出エジプト 受難 

復活などの場面を 人形で構成するのと似ている。

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11.   白い花飾りとストール、 正装で着飾った

女性信徒の 強い信仰心と意気込みが びんびん伝わる !  

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12.   タイからやって来た巡礼の一団。 当然裸足で、

パゴダの四辺を 祈りながらぐるぐると何周も回るのだ。

 


チベット仏教で 円筒形のマニ車を手でグルグル回すとか、

数メートルの大型マニ車を 押し回しながら祈るとか、

思想は同じことだと思う。


日本の念仏仏教もそうだが 識字率の低い時代、または

地域で、でも 等しく救いが得られた祈りの方法だ。

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13.  お参りを終えた 地元 ミャンマー人の家族。

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パパも子供たちも  ’ タナカ ’ を塗っている。

確かに この顔で 日本の銀座を歩いたら 

人が振り返るだろう。

 

 

でも、 ほっぺにタナカを塗ってもらう時の 子供心は

安心感と幸福感に満たされることだろう ・・




パゴダ と タナカ、  これぞ ミャンマーでした !

 

 

 


*    *    *    *    *

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