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2019年12月 6日 (金)

小樽・ニシン御殿 石狩挽歌・あれからニシンは何処へ行ったやら♪


01.   北の日本海沿岸に押し寄せたニシンの群れは

 
明治時代から昭和中期まで 

留萌・小樽など北海道の水産業を支えてきた。



出稼ぎのやん衆達が海から引き上げた 大漁のニシンが

浜を覆い尽くし、 作業する者もニシンの山に埋ずもれた。

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02. ところが 鰊の魚群は昭和29年に ぱったり消滅する。


それまでの地域の繁栄を偲ばせる 「鰊御殿」が小樽市の北部

の岬に建っている。   明治30年 泊村に建てられた館が 

昭和33年小樽市に寄贈され 現在地に移築復元されたもの。

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03. 写真の白い矢印の先 白い灯台の下に鰊御殿はある。


春先の3~4か月だけのニシン漁で 1年分の生活費が稼げ、 

例えば大正3年頃のある網元の漁場からは 7500トンもの

水揚げ (現在の約25億円に相当) があったと言うから、


ニシン漁はまさに金の成る木、 

沿海地域 そして北海道にとっての花形産業だった。

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04.    御殿の中は広い畳敷き。   当時は

板間 畳間などに区切られて、 様々な用途に使われていた。 

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05.   ニシン漁やニシン加工に使われた道具、

番屋で寝泊まりした人々の生活用具、 

当時の盛況を伝える写真などが展示されていた。 

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06.  観光客 が大漁羽織を試着するコーナーもある。 

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07.   さて、鰊御殿は 大金持ちの網元が 遠来より

一流の棟梁たちを招き寄せ 敷地に住まわせて建てさせた。 

 


出稼ぎやん衆が寝泊まりする単なる番屋とは違い、 

豪雪や風雨に強いのは元より、 本州から取り寄せた檜や 

木目の美しいケヤキ・タモ材が使われ、 廊下は漆塗り、

透かし彫りの欄間まで設わる豪華な木造建築、

そういうものが ”御殿” と呼ばれた。



写真のような 希少な長材も 紛れもない御殿の証しだ。

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08.     1階は 主に作業 ・ 加工場、 

2、3階は漁夫たちの寝室、 中2階には女中部屋があった。

 


魚を扱う作業場は 相当な臭いが漂うため、 次第に

主人たちは別棟に暮らすようになり、 作業場とは無縁の

さらに豪華な別邸御殿も あちこちに建てられた。



小樽市内には 現在料亭として活用されている
 
有形文化財指定の 旧青山別邸・小樽貴賓館もある。

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09   因みに 鰊は食料として珍重されたのは当然だが

冷蔵庫など無い時代、  内臓を取って干した身欠き鰊や

肥料としての 鰊粕(にしんかす)こそが 稼ぎ頭だった。

 


日本海航路を行き交った かの有名な 「北前船」が

北海道から運んだ 昆布や身欠き鰊・鰊粕などは

全国各地で引く手数多、仕入れ値の5~10倍で売れた !

 


昆布は 関西のだし文化を生み、

鰊肥料は みかん・綿花などを育てた。

 


特に大阪・河内での綿花栽培は 肥料のお陰で 

柔軟性と吸湿性に富む優れた木綿を作り出し、 羊毛を

産出しなかった日本の衣類・寝具に革命を起こした。

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10.  さて、水温の変化とか乱獲とか 原因はさて置き、

昭和29年を境に 鰊の群れはパタリとやって来なくなった。

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11.  鰊御殿の建つ高島岬の断崖が 海に伸びている。


私が 北アイルランドの最北でようやく目にした 「柱状節理」、

思いがけず北海道でも 6角柱の節理群に会えた ・・

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12.  ところで話は変わるが、 上の高島岬を 西へ

数キロ行った海岸に 「 オタモイ遊園地・料亭竜宮閣 」

という大人気のリゾート施設が 大昔 あったと言う。

 


昭和初期に開業したこの施設、 一時休業が明け再開する前日

昭和27年の大火により全焼、 わずか17年の営業で廃園、

劇的な消滅を遂げたのだ。 今はトンネルなどが残るだけ・・

 


「 オタモイ 」 は鰊漁産業の盛況と共に生まれた。

そして、

鰊漁で繁栄の絶頂にあった小樽の海岸から 鰊の魚群が

突然消え去ったのと ほぼ時を同じくして

「 オモタイ 」 も人気絶頂時にこの世から忽然と消えた。


兵どもが夢の跡、 切ない話ではある ・・

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13.   実は この ”オタモイ御殿 ”

昔のヒット曲 「石狩挽歌」 の歌詞に出ている。 

今回ブログを書くついでに 私は石狩挽歌を聞いてみた。

” あれから ニシンはどこへ行ったやら ・・・ ”

 


情緒豊かな旋律、  生活や歴史を想起させる歌詞、

日本人好みの侘び寂びに満ちた 想像以上に良い歌だった。

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因みに   本家・北原ミレイの 

野太く投げやりな歌い方も捨てがたいが、


若い頃の 矢代亜紀の歌は絶品だ。 

矢代亜紀ってこんなに歌が上手い って 初めて知った !

 

 

 


*    *    *    *    *

 

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コメント

bellaさん、こんばんは(^o^)/!
♪石狩挽歌♪の世界ですね。若いころ何度も北海道を旅した私にとって馴染みの歌であり、サラリーマン時代は「十八番」と言われるほど同僚とのスナックでのお酒&カラオケでは歌いました。
♪あれからニシンはどこへ行ったやら~ オタモイ岬のニシン御殿も~ 今じゃさびれて・・・♪
(北原ミレイさんのLPレコード、1枚だけ持っています。もちろん”石狩挽歌”も挿入されています)
私は10数回北海道を旅しましたが、このようなかつてのニシン御殿は訪れたことはありません。ご紹介いただいて何となく雰囲気が伝わって来ました。
北海道だけでなく、若かりし頃のサラリーマン時代も思い出しました。
今夜も楽しいバーチャル旅行、ありがとうございました。

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