札幌大倉山ジャンプ台 昭和新山は不気味な赤い溶岩ドーム!
01. ここは 1972年の冬季オリンピック札幌大会
で ジャンプ競技が行われた 「大倉山ジャンプ台」。
石狩平野と札幌の街が 遠くで白く輝いていた。
標高307m、やっぱりすごく高い! こんなところを
高梨沙羅ちゃんなど現役のジャンパーは飛んでいるのだなあ !
02. 展望台では 歴代のスキー板や写真の展示があった。
大スクリーンの臨場感ある動画に乗せられて
ジャンプやリュージュの シミュレーション体験も出来る。
03. 5万人の観客が収容出来る。
04. 実際に選手が使うリフトに乗ったのだが
結構な急勾配だった。 途中 コーチが降りる場所、
飛型を採点する審判員棟 選手が飛び立つ踏切台などを通過した。
近年 K点は123m設定だが 伊東大貴の最長不倒
バッケンレコード 146mの印しがあった。
選手にとっては 非常に名誉なことだろう !
* * *
05. さて 次は洞爺湖有珠山ジオパークの中にある
「昭和新山」 を訪ねてみる。
昭和新山がニョキニョキと 頭上に盛り上がって来た時
麓の壮瞥(そうべつ)町の人々の恐怖は如何ばかりだったろうか!
06. 有珠山ロープウエイ乗り場付近には
昭和新山をバックに 記念撮影するスポットがあった。
昭和新山は 平らな農耕地帯に 1944年 (昭和19年)
年初から まず地震 湧水の温度上昇 地表の隆起が起こり、
6月の小噴火 続いて45年9月まで17回の大噴火があり、
ようやく全活動停止後 こんな不気味な溶岩ドームが残された。
07. 昭和新山は もともと有珠山のカルデラ外輪山の
一角に出来た山で、 有珠山山頂駅行きのロープウエイに乗ると
窓から 昭和新山の横腹を間近に眺めながら進むことになる。
08. 1945年と言えば第二次世界大戦のさ中で 噴火の
ニュースは一般には伝えられず、 詳しい観測も行われなかった。
そんな中 地元の郵便局長だった三松正夫は 新山の克明な
成長観察記録 ・ ミマツダイヤグラムを残し、 かつ30m以上も
隆起し 溶岩ドームと変わり果てた農民達の土地も買い上げた。
つまり 昭和新山は三松の私有地であり、
私有地が 天然記念物に指定された例は 世界でも珍しいと言う。
09. 山頂駅の展示館の大スクリーンで 噴火の様子
三松正夫の活動・功績などが 詳しく伝えられていた。
昭和新山の左手には洞爺湖が見える。
10. 洞爺湖の反対側にもう一つ 「有珠火口原展望台」
があり、 有珠山山頂や山裾の噴火口跡から
白い煙が幾筋も立つのが見て取れた。
標高733mの有珠山は 20世紀に4回大噴火し
現在でも活火山Aランクに入っている。 過去の噴火では
多くの犠牲者が出たが、 2000年の噴火では死者はゼロ、
過去の教訓から多くを学び 災害を軽減する知恵が
世代から世代へ受け継がれた結果だと言う。
11. さて 帰り道 黄緑色に輝く不思議な川に出会った。
北湯沢温泉郷の長流川(おさる川) にある 「白絹の床」。
川底の色がとても印象的だったが、 チラチラと輝く
白糸が舞うような水流の輝きが ネーミングの由来らしい。
12. 当夜は 支笏洞爺国立公園内、
洞爺湖に面したホテルに泊まった。
食後の余興で タヒチアンダンスショウがあった。
13. 筋肉モリモリ ワイルドなダンスのあとは
記念写真タイム。 有名スターではないのに 彼ら・彼女らの
屈託ない明るい魅力と サービス精神に乗せられて
みんなも 私も 代わる代わるカメラに収まった。
このダンスチームは 毎晩このホテルでショウを行うそうだが
彼らは昼間は何をしてるんだろう、 何カ月滞在するんだろう 、、
余計な心配 ・ 憶測が 頭をよぎった ・・・
* * * * *
« サッポロビールとジンギスカン 時計台は札幌農学校のものだった! | トップページ | 小樽・ニシン御殿 石狩挽歌・あれからニシンは何処へ行ったやら♪ »
「国内旅行 北海道編」カテゴリの記事
- 「積丹半島」 神威岬のシャコタンブルー 奇岩が居並ぶ北の浜辺(2019.12.27)
- 「小樽ガラス館」「昆布館・七日食べたら鏡をごらん」「消防犬ぶん公」(2019.12.20)
- 小樽運河 武骨な倉庫群がロマンチックな名所になった!(2019.12.13)
- 小樽・ニシン御殿 石狩挽歌・あれからニシンは何処へ行ったやら♪(2019.12.06)
- 札幌大倉山ジャンプ台 昭和新山は不気味な赤い溶岩ドーム!(2019.11.29)
コメント
« サッポロビールとジンギスカン 時計台は札幌農学校のものだった! | トップページ | 小樽・ニシン御殿 石狩挽歌・あれからニシンは何処へ行ったやら♪ »
bellaさん、こんばんは(^o^)/!
大倉山、懐かしいです。20代前半の若い頃、冬の北海道を旅しているとき、旧知の旅仲間に誘われ大倉山へジャンプ競技を見に行ったことがあります。夜だったこともあり、とにかく寒かったです。当時の有名なジャンパー(誰だったか忘れてしまいました)も参加していたのですが、期待外れの結果に終わり会場からため息が漏れていたことをかすかに覚えています。
昭和新山は訪れたことはなく、列車から見たことがあるだけです。それだけに、詳しいことは全く知らなかったのですが、今回紹介していただいてとても勉強になりました。まさに日本が戦時中という時に有珠山が噴火しできたのですね。有珠山が近年もたびたび噴火しているのをふと思い出しました。
北湯沢にそのようなところがあるのですか?!かつて北湯沢にユースホステルがあり、何度も訪れたのですが、当時の長流川はそんな色ではなかったような・・・?
タヒチアンダンスのダンサーたち、アララ皆美男美女だらけ w(^o^)w!
今夜も楽しいバーチャル旅行、ありがとうございました。
投稿: 慕辺未行 | 2019年11月30日 (土) 22時41分