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2019年11月

2019年11月29日 (金)

札幌大倉山ジャンプ台  昭和新山は不気味な赤い溶岩ドーム!

 

01.  ここは 1972年の冬季オリンピック札幌大会 

で ジャンプ競技が行われた 「大倉山ジャンプ台」。

石狩平野と札幌の街が 遠くで白く輝いていた。



標高307m、やっぱりすごく高い!  こんなところを

高梨沙羅ちゃんなど現役のジャンパーは飛んでいるのだなあ !

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02.  展望台では 歴代のスキー板や写真の展示があった。


大スクリーンの臨場感ある動画に乗せられて

ジャンプやリュージュの シミュレーション体験も出来る。

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03.   5万人の観客が収容出来る。

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04.   実際に選手が使うリフトに乗ったのだが 

結構な急勾配だった。  途中 コーチが降りる場所、

飛型を採点する審判員棟 選手が飛び立つ踏切台などを通過した。

 


近年 K点は123m設定だが 伊東大貴の最長不倒

バッケンレコード 146mの印しがあった。

選手にとっては 非常に名誉なことだろう !

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*    *    *

 

 


05.   さて 次は洞爺湖有珠山ジオパークの中にある

「昭和新山」 を訪ねてみる。  
 

昭和新山がニョキニョキと 頭上に盛り上がって来た時 

麓の壮瞥(そうべつ)町の人々の恐怖は如何ばかりだったろうか!

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06.   有珠山ロープウエイ乗り場付近には

昭和新山をバックに 記念撮影するスポットがあった。

 


昭和新山は 平らな農耕地帯に 1944年 (昭和19年) 

年初から まず地震 湧水の温度上昇 地表の隆起が起こり、


6月の小噴火 続いて45年9月まで17回の大噴火があり、

ようやく全活動停止後 こんな不気味な溶岩ドームが残された。

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07.   昭和新山は もともと有珠山のカルデラ外輪山の

一角に出来た山で、 有珠山山頂駅行きのロープウエイに乗ると

窓から 昭和新山の横腹を間近に眺めながら進むことになる。

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08.   1945年と言えば第二次世界大戦のさ中で 噴火の

ニュースは一般には伝えられず、 詳しい観測も行われなかった。


そんな中 地元の郵便局長だった三松正夫は 新山の克明な

成長観察記録 ・ ミマツダイヤグラムを残し、 かつ30m以上も

隆起し 溶岩ドームと変わり果てた農民達の土地も買い上げた。



つまり 昭和新山は三松の私有地であり、

私有地が 天然記念物に指定された例は 世界でも珍しいと言う。

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09.  山頂駅の展示館の大スクリーンで 噴火の様子 

三松正夫の活動・功績などが 詳しく伝えられていた。


昭和新山の左手には洞爺湖が見える。

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10.  洞爺湖の反対側にもう一つ 「有珠火口原展望台」

があり、 有珠山山頂や山裾の噴火口跡から 

白い煙が幾筋も立つのが見て取れた。



標高733mの有珠山は 20世紀に4回大噴火し

現在でも活火山Aランクに入っている。  過去の噴火では

多くの犠牲者が出たが、 2000年の噴火では死者はゼロ、


過去の教訓から多くを学び 災害を軽減する知恵が

世代から世代へ受け継がれた結果だと言う。

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11.  さて 帰り道 黄緑色に輝く不思議な川に出会った。

北湯沢温泉郷の長流川(おさる川) にある 「白絹の床」。


川底の色がとても印象的だったが、  チラチラと輝く

白糸が舞うような水流の輝きが ネーミングの由来らしい。

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12.   当夜は 支笏洞爺国立公園内、 

洞爺湖に面したホテルに泊まった。 


食後の余興で タヒチアンダンスショウがあった。

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13.  筋肉モリモリ ワイルドなダンスのあとは 

記念写真タイム。 有名スターではないのに 彼ら・彼女らの

屈託ない明るい魅力と サービス精神に乗せられて 

みんなも 私も 代わる代わるカメラに収まった。

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このダンスチームは 毎晩このホテルでショウを行うそうだが

彼らは昼間は何をしてるんだろう、 何カ月滞在するんだろう 、、


余計な心配 ・ 憶測が 頭をよぎった ・・・

 

 

 

 

 

 *    *    *    *    *

2019年11月22日 (金)

サッポロビールとジンギスカン 時計台は札幌農学校のものだった!

 

01.   ここは札幌市内 「 サッポロビール博物館 」

積まれたビール樽には 何と書いてあるのでしょう!

         ( 答えは 一番最後に )

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02.    1876年(明治9年)、 北海道の開拓事業の

一環で開かれた麦酒醸造所は 現在 北海道遺産に指定され、 

サッポロビール博物館となり 賑わっている。

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03.    開拓館の2階ケッセルホールで ジンギスカン

料理をいただいた。 ホールに鎮座していた 大正元年製造の

巨大なビール仕込み釜・ケッセルが とても印象的だった!

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04.   工場直送の生ビールとジンギスカン、 550席もある

レトロな巨大ビヤホールの雰囲気と相まって お味は最高でした。

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05.    博物館では 創業当時から今日までの歴史を

6Kシアターの大画面などを使って 興味深く見せてくれた。


時代物の瓶ラベルは 古き良き時代を彷彿とさせる。 

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06.   時代を映すレトロなポスターも 魅力的でした~

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07.   ガイドツアーの最後に 黒ラベルの試飲をした。 


美味しい注ぎ方の実演があったが、 気がそぞろだったのか

そのポイントを 私はすっかり忘れてしまった !

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*    *    *

 

 


08.   さて、次は 札幌のシンボル 「 時計台 」。


131年の歴史があるこの時計台、実は札幌農学校に付属する

歴史的な建物だった、 と知って 私は大変驚いた。
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09.  正式名称は  「 旧札幌農学校演武場 」。

クラーク博士の提言で、学生の兵式訓練や入学式・卒業式などを

行う中央講堂として 1878年農学校に建設され、 その後


農学校の移転時に 札幌市が時計台を買い上げ 

現在地点まで100m程南に 曳家されたものだ。

 


時計台内部の展示コーナーでは 農学校の歴史解説が満載で、

なるほど そういう事情だったのかと納得させられた。

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10.    札幌農学校では   西欧の技術 学問の習得や

自然科学 人文科学 聖書学など 広範囲に及ぶ全人的教育を目指し、

多くの授業は英語によって行われた。


この演舞場の演壇でも 学生たちの流暢な英語のスピーチが

飛び交ったようだ。  多くの優れた卒業生を輩出した農学校、

当時 熱風のような知識欲が渦巻いていたに違いない。

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11.   1892年(明治25年)の 札幌大火のとき 

学生は 屋根に登り 必死に布で火の粉を払い類焼防止に努めた。


明治の後期には 柾ぶき屋根から鉄板屋根へと改修されている。

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12.   ところで 1878年ホイラー教頭の時代、 搭時計が

ニューヨーク市のハワード時計商会に注文されたのだが、 

翌年 到着してみると予想以上に大きく、 演舞場を改築して

収めるまで一年かかったという。

 


外からは ロマンチックな文字盤だけの時計に見えるが

時計を動かすおもりと鎖を含め 実質5階分の高さがある。 

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13.   今日まで 時計台は 札幌のシンボルとして、

また市民の心の故郷として、 美しい鐘の音を響かせて来た。


もっとも 当初2.5kmも響いた音も 文明の騒音が立つにつれ

届く範囲を狭めているようだ 。。
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                                   ( 実物兄弟時計も展示されている )

 

 

2020年のオリンピックでは  マラソンコースが

この時計台、北海道大学構内、赤レンガ旧本庁舎などを

どうやら 通りそうな気配だ。


楽しみにテレビを見るとしよう !!

 

 

 

01.の 樽文字に 書かれているのは

「 麦とホップを製す連者(れば)  ビイルとゆふ酒に奈(な)る 」


斜め読みして下さいね。

 

 

*    *    *    *    *

2019年11月15日 (金)

札幌 北大のポプラ並木・大野池 札幌農学校の面影がありました

秋の北海道・札幌の旅、 今回は北海道大学を訪ねてみる。


来年のオリンピック、 マラソン・競歩が札幌開催となり、

当初マラソンコースが 北大の構内を通る能性もあったが、

そこまで足を伸ばさず、 コース整備 運営費 警備の効率上 

より狭い範囲を周回するコース案になりそうだ。

 

 


01.   ロマンチックな響きを持つ 北大のシンボル、

「 ポプラ並木 」 は 理学部と工学部の間を西側に進んだ 

農場の南端に 約300mほど続いていた。

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02.  2004年9月の台風の暴風で 大学構内と植物園の

樹木約2500本が倒れた。 かねてより倒木の危険性があり、

立ち入りが禁止されていたこのポプラ並木も 51本のうち

19本が根元から折れ 8本が傾いてしまった。

現在80mほどは散策できるが 柵の向こう側には入れない。

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03. 写真マップ上で 青印は無事、赤印が倒れたポプラだ。


ポプラ並木の再生事業は活発な議論の末、 活かすことが

出来そうな 30トンもあるポプラ2本をクレーンで立て直し、

それ以外はポプラの枝を土中に埋め込み 

育てた若木の植樹を行い 育成途上だと言う。 

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04.  札幌農学校以来の130年の歴史は何とか紡がれたが、

「 平成ポプラ並木 」 も農場の北側に 別途作られている。

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            ( 写真は散策できる80mの区間 )





05.   ポプラ並木の入り口に 新渡戸稲造の胸像があった。

もちろん 

クラーク博士の胸像も 歴史の原点・農学部近くに建っている。

 


因みに 初代クラーク像(1926年)は 大戦の金属回収令で

献納され、 現在の二代目は1948年復元されたものだ。

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06. さて北大キャンパスには 文系・理系学部 諸々の研究部

の建物が広大な敷地に点在し、 多くの学生が自転車やバイクで

行き来していた。  雪の積もる冬は通学形態が一変するらしいが。

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07.    正門とその近くにあるクラーク像、

構内のメインストリート 1.5kmの銀杏並木(写真右下)。

10月初旬 木々はまだ青かった。



1876年に開校した札幌農学校が 1907年に

旧制東北帝国大学農科大学に組みしたのを記念して建てられた

木造校舎 「 古河記念講堂 (左下)」 は国指定有形文化財だ。

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08.    札幌農学校の卒業生、 内村鑑三 新渡戸稲造

有島武郎などの有名な文化人は元より、 教育や政治で活躍した者、


地理学 農学 昆虫学 植物学 土壌学 土木工学などの分野で

功績を遺した者など  クラーク博士の蒔いた種は着実に実った。

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09.   さてここは 「 大野池 」。   泥臭い湿地をここまで

美しく再生したのが大野和男工学部教授だったんだそうだ。



制服の女学生と共に 美しい水辺を散策すると、 まるで

昭和の小説の世界にいるような錯覚に陥った。

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10.    秋の澄み切った大気 戯れる光と水 ・・

池を一周するのが どれ程楽しかったことか! 
 

仏国のモネの庭に劣らない 絵画の世界にいる様でもあった。

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11.  北大の近くの 「 北海道庁赤レンガ旧本庁舎 」。

1888年建設で 国の重要文化財に指定されている。

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12.  北大も含め 付近の公園も澄み渡る光の中にあった。



ただ、テレビによれば  今日の札幌の天気は吹雪 ! 

灰色の空の下 街全体が凍えて見えた。

とても同じ街には見えなかった。  

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( 一枚の葉が人の身の丈ほどある植物 ! )

 

 

 

13.       赤レンガ旧本庁舎の池。

北国の冬が長い分 こんな絶好の日和は値千金に違いない。

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北大キャンパスは 東京ドーム38個分もある。  訪ねたのは

ほんの一部だけだ。  全体を知るには学生になるしかない!? 

 


オリンピックのマラソンコースは 恐らく

効率上 無難な設定になるだろう。 

こんな美しい札幌は静かに思い出の中に仕舞っておきたい。 

 

 

 


*    *    *    *    *




2019年11月 8日 (金)

人造湖に浮かぶモーリッツブルク城 遊びの為にこんな立派なお城を!

01.  「 モーリッツブルク城 Schloss Moritzburg 」 は

ドレスデンの西15kmにある。 



1546年 ザクセン公モーリッツにより狩猟の館として建てられ

1733年 アウグストゥス強王によって狩猟館離宮として改築された。

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02.   1730年 改築の前に 城の周囲を掘り下げて

人工の湖を作るという大工事が行われ、 城は湖の水面に浮かぶ 

現実離れした優雅な佇まいを見せることになった。


四方に同じ形の丸屋根の塔が建ち  

南北と東西の景観は それぞれほぼ相似形となっている。

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03.        入城門

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04.   馬車に乗って 湖の周囲を巡ったり  1.4km先の

レトロな蒸気機関車の鉄道駅へ往復するのも一案だ。 
 

入城門手前には 立派なマイルストーンが立っていた。

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05.   唯一 相似形を破るのが西側にあるチャペル。

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06.      狩猟用の館だけあって 

テラスの各所に 狩人と猟犬の像が立っている。

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07.   ラッパ兵と猟犬の像・1660年は 特に印象深かった。

兵隊の足元、 忠実に しなやかに付き従う犬が愛らしい。 

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08.    像の持ち物や帽子・服装が それぞれ違う。

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09.    城内は 現在は博物館となっている。 特に

食堂の壁を飾る 一頭づつ形が違う 65の赤鹿の角は壮観だ。 


当時大勢の客人を招いたという食堂、

テーブルセッティングは 18Cのマイセン磁器。

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10.   周囲の森には 多種多様な狩猟の獲物がいたはずだが

今では 草をついばむ鴨の群れにとってパラダイス !

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11.  ドレスデンから足を伸ばすに人気のモーリッツブルク城、


人造湖も含め 当時の王様 よくもまあこんな立派な遊び場を作る

権力・財力があったものだ、と感心させられた !

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*    *    *

 

 

12.    さて モーリッツブルク城からの帰り道、 たまたま

入れ墨のパパとママを見かけた。 入れ墨があっても優しい

パパとママ、  そして 幸せそうな赤ちゃん。

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13.   今回の 日本でのワールドカップラグビーでも

あまたの入れ墨ラガーマンが来日した。



入れ墨の良し悪し 好き嫌いは別として、 

押し寄せる世界の文化の波を 

日本文化がどう受け止めるのか 見ものではある ・・・

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ドレスデン・マイセン編は これで終わりです 

 


*    *    *    *    

 

 

 

2019年11月 1日 (金)

ツヴィンガー宮殿とアルテマイスター絵画館 あの有名な天使がいた!


ドレスデンにある 「 ツヴィンガー宮殿 1719年 」、 

もともとは レジデンツ城と濠の間にあった広い空き地だった。
 

そこが 庭園や果樹園、騎馬試合場となり やがて楕円形の庭を

囲むような形で 見事なドイツバロック様式の宮殿が作られた。

 



 


01.   ほぼ長方形の建物を縦割りしたような風景。

あと半分が左側にもあるので ツヴィンガー宮殿は結構広い。



一見フランス風の 宮殿・幾何学模様の4つの噴水池と庭園だが、 
 

実際 17C後半 建築家ペッペルマンとアウグストゥス強王自身が 

パリ・ローマ・フィレンツェ等を旅行、 見聞して得た知識や

感動を基に設計された宮殿なのだ。

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( 矢印のパビリオンには 

マイセン磁器製の鐘40個で構成されたカリヨンがある )

 



 


02.  マイセン焼きのカリヨン(上)と ニンフの浴場上部(左下)


黒い王冠と双頭のワシを頂く 「 クローネン門(右下) 」 は

アウグストゥス強王がポーランド王となった記念に建てられたもの。

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03.      「 ウォールパビリオン 」


アウグスト強王が構想をスケッチしたという 華やかで

魅力的なこの建物は ツヴィンガー宮殿の象徴的存在だ。

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04.    宮殿の西側は濠に面している。 


黒い王冠のクローネン門の足元に 橋が架けられている。  

敵の来襲など有事に備え 

簡単に落とすことが出来るよう 木製の橋となっている。 

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05.   四辺形の宮殿の東側の棟、王冠の門の向かい側の

建物が 「 アルテ・マイスター絵画館 」 となっている。



1945年2月のドレスデン爆撃で 宮殿は深刻な被害を受けたが、 

王たちが蒐集した作品群は 秘密の洞窟に移管されほぼ無傷だった。

 


しかし作品は 絵画を捜索・発見したソ連軍によって モスクワや

キエフに持ち去られ、 東独に返還されたのは10年後のことだった。


爆撃後5日間のストーリーが 「 ドレスデンの五日間 」

という1961年の映画に 描かれているそうだ。

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                               (  絵画館入り口  )



 


06.     世界で最も有名な ラファエロの天使たち 

この絵画館にいました !

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07.    1754年に ラファエロの 「 システィーナの聖母 」

が加えられ この絵画館コレクションの価値がぐっと増したと言う。

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08.   世界に数少ないフェルメールの絵もある。 


「 窓辺で手紙を読む女 」、  売春宿を描いた 「 取り持ち女 」

の方は フェルメールにしては珍しい風俗画だ。

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09.  ジャンエティエンヌ・リオタール 「 チョコレートガール 」

世界で最も有名なパステル画の一つ。



現代では 写真みたいな写実画は 決して珍しくはないが、

1745年当時 白磁やコップを本物のような質感で、しかも

パステルという エッジの立たない画材で描いたことは 

大変な技術だった ! メイドの清潔感もよく表現されている。

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10.    レンブラント 「 ガニメデの誘拐」 1635年 


両腕を食いちぎられ オシッコを垂らして苦痛に顔をゆがめる子、

連れ去るのは ゼウスの化身・巨大な爬虫類を身に宿らせた大鷲。


詳しいストーリーが知りたくなる 不思議な絵だ ・・

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11.    ジョルジョーネ 「 眠れるビーナス 」 をはじめ

ルーベンス ティツィアーノ プッサン ホルバイン 等

歴史的名画の枚挙にいとまがない。

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12.   名画の森から抜け出て 外気を吸って ホッと一息

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13.   夕方 オペラ座の前を通りかかると 

ソワレー(夜の部) の演目を待つ 大勢の人々がいた。 

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西洋音楽の鑑賞には 出演者 劇場という要素に加えて

観客も 意外と重要なファクターだ。



高価でなくとも それらしく胸を大きく開けたドレスのご婦人

普段着に 洒落たジャケットだけ羽織った年配の紳士 、、、

フランス語や英語 そしてドイツ語が飛び交う客席 、、

 


出演者・劇場・観客 三位一体が整った音楽観賞は一味違う。



 

私も このまま オペラ座に紛れ込みたいものと思ったけど ・・

 




 


*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

 

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