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2019年9月

2019年9月27日 (金)

「マイセン磁器」私の趣味ではなかったが、気高さに敬意を表します

旧東ドイツ ドレスデンの北東15kmに位置するマイセンの

「 国立マイセン磁器製作所 」 を訪ねた。



 

 

01.   まずは 制作の実演エリアに入った。


磁器は陶器と違って ゆがみも個性のうちなどと言えないから

大部分は工場で厳密な規格を持って作られるはずだ。


ろくろによる手び練りでは きっと特別な作品が出来るだろう。

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02.   こちらでは 花びらや人形の手足など 

小さく繊細なパーツを作っている。

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03.    型押ししたり、 一片の粘土から指先で器用に

小花を生み出しては並べる作業を 見せてくれた。

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04.  次は染付だ。「 ブルーオニオン 」と呼ばれる図柄。

中国模様のザクロを 玉ねぎと勘違いしたと言われる。

 


280年もの歴史がある伝統的デザインで、それぞれの模様が

豊穣 長寿 男性(陽)女性(陰)健康 高潔などの意味を持つ。

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05.    花はマイセン磁器にとって重要な図柄だ。 

全部で36種の花がリスト入りしており、 組み合わせによって 

一つ花 二つ花 ・・・五つ花といったブーケが作られる。



写真では 一つ花スタイルのポピーが描かれる順番を見せている。

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06.    オレンジと緑の粉末小瓶が転がっている。 溶剤で

それを練りながら絵付けする。  右上は四つ花 左下は五つ花。

 


プラントハンターが活躍したのが主に18C, それより以前に

チューリップやバラ ポピー 朝顔 アネモネ パンジー 矢車草

スミレ 勿忘草 すいせん マーガレット スイートピー あやめ

など、 36種の古典的花々が 既に生活に根付いていたと思うと

花の歴史の深さにも敬意を払わずにいられない。

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*   *   *   *   *   *

 

 


07.    2階は博物館となっている。  マイセン白磁は

どっちみち王侯貴族のものだから、テーブルウエアばかりでなく

花瓶・時計・人形などの装飾品分野も 大いに発展した訳だ。

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08.   中国 日本 インドなどからは図柄を導入し、

アラビアンナイト 妖精王オベロン シェクスピア劇などからは

魅力的な立体造形を作り上げた。 

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09.    アールヌーボースタイル、 キリスト教聖人、

ワトーの貴族趣味の絵画からも インスピレーションを得ている。

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*   *   *   *   *   *

 

 


10.    さて 最後は売店コーナーへ。

  
36種のいわゆる古典的マイセン図柄の花々は ぺインターが

勝手に描き変えることもなく、300年間定型で守り通されて来た。


例えばバラと言ったら これ、だ。      因みに、

 


マイセンと言えど 大量生産出来なければ世界に向けて輸出は

できない。 そこで相当早い段階から マイセンは転写シール

によるプリント絵付け アクアチンタ aquatinta を開発した。

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11.   しかしアクアチンタと言えど 相当なお値段だ。


一つ花のポピーが 税込749eur、 中段 二つ花が646eur

三つ花が749eur、  下段 金ぴかコーヒーセットが799eur。

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12.  話は脱線するが ポーセリン・白磁の絵付けスタイル

には 大雑把に分類して ヨーロピアンとアメリカンがある。


ヨーロピアンが 古典的で静的な図柄なのに対して

アメリカンは 絵画的でダイナミックな図柄 の場合が多い。

技法・溶剤・筆も ヨーロピアンとは大きく異なる。

 


今回マイセンで ”自然主義 ” という 少しアメリカンに

近いデザインの陶板画が飾られていたので 私は驚いた。 

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13.     古典的バラとは明らかに違う 

” 自然主義ローズ柄カップ&ソーサー(左上) ” も

売られていた。  輸入品を日本で買うと10万円以上になる。  

 


私の手持ちのイギリス製大衆向けカップ (他の3点)

ぐらい安ければ 買わせていただきたいのですが・・!

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正直言って マイセン磁器は 

私の感覚にはピンと来ない部分もあったが



マイセンの歴史の長さ、 気高い気品だけは 

しっかり感じ取らせていただきました ~

 

 




*    *    *    *    *    *    *

 

2019年9月20日 (金)

「マイセン」 錬金術師を幽閉して作り上げた白磁・双剣マークの変遷

白く上品な磁器で世界的に有名な 「 マイセン Meissen 」 は 

ドイツ東部 ドレスデンの北西15kmにある街だ。




 

01.    マイセンはエルベ川沿いにあり、 船による材料・製品の

運搬が容易な上、 白い磁器の原料・カオリンが採れるザイリッツ鉱山

が近郊にあることで、        今日まで300年 

磁器産業のブランド価値を失うことなく 繁栄し続けてきた。

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02.    チェコの山岳に発し ドイツ東部を流れて北海へ注ぐ

エルベ川は 全長1091km、 大きな国際河川だ。


ドナウ河等と同様、増水による氾濫・堤防決壊を繰り返したが 

直近 2013年の氾濫では  ベルリンと他の都市を結ぶ

殆どの高速鉄道網が遮断され 大きな被害が出たらしい。  
  

木造ではこうは行かないが、  石造りの建物の壁に

最も古いものとして 1734年の洪水の水位が記されていた。

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03.       「 アルブレヒト城 Albrechtsburg 」


中国の景徳鎮や日本の伊万里など東洋磁器の屈指の蒐集家だった

ザクセン選帝侯アウグスト強王は 白磁に憧れ、 錬金術師ヨハン・

フリードリッヒ・ベトガーを監禁して 磁器製造の秘法を研究させた。



ベトガーは苦心惨憺の末 ようやく1709年 白磁製法を解明、

1710年 ついにヨーロッパ初の硬質磁器窯 「マイセン」 が誕生、

ドレスデンに 「 王立ザクセン磁器工場 」 が設立された。



同年 工場はここアルブレヒト城内に移され 製造が開始されたが

その製法が漏れないよう 厳重に機密保持がなされたと言う。

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04.    死力を尽くして開発に成功したベドガーは  やっと

幽閉を解かれるかと思いきや、 次は染付の複製を命じられる。

しかし 彼の命は尽き果て 37歳の若さでこの世を去った。



彼の数奇な幽閉物語は 後世に語り継がれているが、 

銅像やプレートにも  彼の苦難を偲ぶいたわりと

未知なるものへの挑戦を讃える言葉が添えられている。

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             ( 白磁の原料となるカオリン石、 アルブレヒト城南側は修復中 )

 



 


05.     「 国立マイセン磁器製作所 Meissen Porcelain Factory 」


館内には マイセン磁器の博物館と   制作過程を見せる見学用工房、

実際に製品が買える販売コーナー   マイセン食器によるカフェ等がある。

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06.     博物館の外壁に ’ マイセンマーク ’ の

初期から今日までの変遷がディスプレイされていた。  



双剣をX型に組み合わせた形は 時代ごとに微妙に異なり 

ペインターのサインが添えられる場合もある。

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07.     日本の書道ではないが、  マイセンマークの筆順 ・

払いと止め を想像すると楽しい。  剣のツバ部分の払いも 

上から下から色々だ。     磁器の染付けは筆で行うから

当然 書道のような 書き順 ・ 筆さばきがあって 然るべきだろう。

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08.         さて、館内を探索する前に 腹ごしらえをしておこう。

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09.       レストランの入口は狭そうだが   看板には  

中に自転車を止めるスペースや ビアガーデンがあると書いてある。 

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10.     メニューは ドイツだからあまり深く考えることはない。

野菜スープ ザワークラウト ソーセージ ジャガイモ そしてビール

いつもの料理で充分美味しい ! 

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11.     食後 再び通りに出ようとしたら 二つの眼と目が合った。

ポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿でも 

屋根に設えられた2つの眼が じっとこちらを見下ろしていた。

 


詳しい建築様式はわからないが、 壁に耳あり障子に目あり、

監視社会だった東ドイツでは ” 屋根に目あり ” かも知れない。

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12.     ところで 「 聖母教会 Frauenkirche 」 のカリヨン

( 組み鐘 ) は マイセンの磁器の鐘で出来ている。

写真下は マルクト広場。  

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     ( 時間の都合で訪ねられなかった。  いずれもウイキペディアから )

 



 

13.     いよいよ 国立マイセン磁器博物館に入ってみる。

真っ白いドレスを着た大きな女性像が迎えてくれた。 



大きい焼き物ほど 焼成時に壊れやすいと言うし 

ドレスを飾る小花も 何万粒にもなるだろう。  

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磁器を買って帰るつもりは 端からなかったが 

何年も頭で想像していた ’ あのマイセン ’ に

本当にやって来たと、 我ながら 驚きつつ入場した ・・ 

 

 

 

 


*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

 

2019年9月13日 (金)

今日の絵画 「 Nina 」 三つ子の魂百まで

 

 

私の友人がある権威ある画家に   ” 子供のことは どうしても

可愛く描こうとしてしまうから 子供の絵は描いてはいけない ”

と注意を受けたそうだ。

Nina1





 

一瞬、へえ~ 子供ってそんなに可愛いかなあ、っと私は思った。

三つ子の魂百までと言うように、 子供は良きにつけ悪しきにつけ

大人の人格の あらゆる萌芽を既に備えている。

 

Nina2







つまり 悩んだり 疑ったり 嫌悪したり 嫉妬したり 怠けたり

悲しんだり 騙したり くじけたり 盗もうとしたり 、、、

殆どの負の要素を5歳にもなれば どんな子も経験しているものだ。

Nina3

 

 

子供の絵を描かないのでなく、  大人と同じように 

子供ながらの 表裏の個性と人格が現れるよう描くのが 

画家の手腕なのかも知れない 、、、

 

 

っということで 今回は まるで逆らうかのように!?

思いっきり可愛く描いてみた !  やっぱり私は手腕不足だから 、、

 

でも、    もしかして 

光と影の具合で 子供の感情が違って見えるかも知れない

 

 

 

 

*   *    *    *    *    *

 

 

 

 

2019年9月 6日 (金)

「ポツダム会談」が開かれた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」の赤い星


ポツダム会議が開かれたことで有名な 「 ツェツィーリエンホーフ宮殿

 Schloss Cecilienhof 」 は ポツダム郊外の ユングフェルン湖と

ハイリガ―湖に挟まれた 風光明媚な半島部にある。

 

 

 

01.     ツェツィーリエンホーフ宮殿は 1917年に当時の皇太子

ヴィルヘルム・フォン・プロイセンが 自ら鍬入れをして建設が始まった。


この館には皇太子妃 ・ ツェツィーリエの名が 冠されている。

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02.    ウイルヘルムがツェツィーリエ妃と結婚したのが1905年、


ツェツィーリエは 1917年 工事がまだ完了してないこの宮殿に

6人目の子供を出産するため (2年に1度の出産!) 入城した。

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03.     しかし 以後二人は安泰でこの地に暮らした訳ではなく、


1918年の君主制崩壊によって ウイルヘルムは財産没収・抑留・

亡命・ 条件付き居住権の再獲得・ ヒットラーナチスへの傾倒など

変わりゆく時代の狭間で 流転の人生を送った。



ツェツィーリエ妃とはほぼ別居状態で 最後に二人が会ったのは

末っ子のツェツィーリエの結婚式だった。

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04.     「 ポツダム会談 」 という戦後処理会議が 

君主の愛の巣のはずだったこの宮殿の名を 歴史に刻んだのだ。



*       *



ソ連のスターリン 米国のトルーマン 英国のチャーチル 三巨頭が 

1945年7月17日  ツェツィーリエンホーフ宮殿に入り 

以後13回に及ぶ会議 Potsdam Conference がスタートした。

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05.     第二次大戦の戦後処理は 国土割譲や賠償金をめぐり

戦勝各国の思惑が交叉し、    ポツダム以前にも テヘラン会談

ヤルタ会談・ベルリン会議などで 幾度も協議が重ねられて来た。

 


メンバーも ヤルタ会談後 4月にルーズベルト大統領が病死した為 

米国代表はトルーマンとなり、  チャーチルが7月の選挙で労働党に

敗北した為アトリーに代わった、 という経緯がある。

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06.     会談の中心議題は 敗戦国ドイツの非ナチ化

ドイツからの賠償取り立て  ドイツ東部国境画定などだったが、

特に 米英とソ連の意見が対立し、会議は難航を続けた。



一方 日本はこの時点でもまだ徹底抗戦の構えを貫いていた ・・



*      *

逆船底のような梁天井を持つ この皇太子一家のサロンが

全体の会議場となり、    バロック様式の豪華な階段が 

報道陣の格好の撮影場所となり、数々の歴史的写真が残された。

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07.     ところで、 会談に際して 3か国の代表団には

入口を別々にした領域が割りふられ、  計36部屋に必要な家具は

ベルリンやポツダムの諸宮殿や別荘から持ち込まれた。

 


ソ連の執務室は 赤いサロンと呼ばれる皇太子妃の書斎だった所。


ベルリンはソ連の占領地域内だったため  ソ連はホスト国として 

他に 皇太子妃の音楽サロンや洒落た船室型のサロンなど

米英よりは広い範囲を使いまわした。

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08.     イギリスの執務室は 皇太子の喫煙室だったところ。


喫煙の機能が備わった部屋だが、 パイプをくわえた姿が良く似合う

チャーチルが 選挙敗北後この部屋に現れることは無かった。

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09.     アメリカの執務室は 皇太子の図書室だったところ。

現在は暖炉の設えとシャンデリアが変わってしまっている。

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10.    皇太子夫妻は この宮殿に住まう前 衛生管理が充分

行き届かない館に住んでいたと言う。   その為だろうか

皇太子の浴室 (左下)、 皇太子妃の浴室 (右下) には 

気配りが行き届き 見るからに清潔・機能的な部屋となっている。

 

 

ベッドルーム (上段)、 朝食ルーム (中段)、 二階にある

これらのプライベートゾーンは   想像では  流石に会議中

代表団などによって浸食されなかったのではないだろうか。


会議の行われた一階部分には 充分な部屋数があったからだ ・・

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11.    1945年7月26日に発表されたポツダム宣言では 

日本に 軍隊の無条件降伏 武装解除 国土の占領 日本の領土を

4島に限定  戦争犯罪者の処罰 などの諸条件が突きつけられたが、


とりわけ 天皇制の維持に関する確証が得られなかったことで

日本側は それまで同様 無条件降伏の提案を無視した。  




一方 既に実験を済ませ 軍事上の切り札として原爆を所有していた

アメリカは これらを受諾しなければ 即刻日本を全滅させると迫った。

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12.     原爆使用については 7月24日 既にトルーマンから 

許可が下りていた。      日本政府のポツダム宣言無視により 

ついに 8月6日広島に、 9日長崎に、 原爆が投下されたのだ !  

 


8月15日 日本の天皇は歴史上初めて 国民に向けて

降伏を宣言する玉音放送を行った ・・・

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13.    日独伊降伏受け入れによって 第二次世界大戦の終戦

処理は済んだが、 実はポツダム会談自体は大きな失望のうちに終了した。 

 


ヒットラーに抵抗するという共通基盤が無くなった時  米英ソは 

互いの世界観や政治システムが全く異なっていることに気付いた ・・・


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それは新たな冷戦の始まりだった。

ソビエト連邦をリーダーとする共産主義国と アメリカをリーダーとする

資本主義国との対立関係が鮮明となり、 これまで 何十年も

数々の危機的ニュースが世界中にもたらされて来た。

 

しかし 今や 世界はもっと恐ろしい これまでとは質の違う冷戦が

あちこちで起きている。


ツェツィーリエンホーフ宮殿中庭に輝く ゼラニウムの花が作る

ソ連の赤い星は まるで 古き良き時代の思い出のように見えた。

 

 

 


( 古い時代の写真は ツェツィーリエンホーフ宮殿内の展示物、

小冊子から引用しました。 

入場料にエクストラのお金を払えば写真を撮ることが出来る。  )

 

 

 

 


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