カプツィーナ皇帝納骨所 仲良き夫と眠るマリアテレジアの豪華な棺
ウイーンのカプツィーナ教会の地下にある ハプスブルク家の墓所、
「 カプツィーナ皇帝納骨所 Kaputinergruft 」 には
12人の歴代皇帝・18人の皇后を含む138体の棺と
4つの遺灰壺 5つの心臓壺が安置されている。
01. 「 エリザベート・クリスティーネ Elizabeth Christine 1750没 」
マリアテレジアの母親の棺。 中央に彼女の肖像を掲げる天使、
棺の四方に弔意を表す精霊が 配されている。
中でも 深い悲しみをうかがわせるベールを被る像が印象的だ。
02. 「 ヨーゼフ一世 Joseph I 1711没 」
マリアテレジの父親の棺。 骸骨が頂く王冠は権力の象徴。
10のセクションに分かれた地下納骨所の中で、 棺の装飾は
時代が新しくなるに連れシンプルになる。 しかし ハプスブルク家が
勢力を拡大しつつあったこの時代の棺は 実に華やかだ。
03. 時代は逆行するが、 この墓所で最も古いのが
「 アンナ・フォン・チロル 1618没 」 の獅子足型の棺。
続いては、 何度も 画家ヴェラスケスによって描かれた王女
「 マルガリータ・テレジア Margarita Teresa 1673没 」 の棺。
マルガリータは 22歳で亡くなるまで 6子の妊娠・出産を経験し
身体はボロボロだったと言う。 黄色い花が手向けられた 彼女の
棺を前に 愛らしく幼い王女のその後の生涯に思いを馳せた。
04. これが 「 マリアテレジア Maria・Theresa 1780没 」 の棺。
想像を絶する豪華で華やかな棺だ!
棺という概念を超えており 芸術作品そのもの。
しかも興味深いのは、 王侯の身でありながら 一般庶民の夫婦のように
仲むつまじく一つの同じ墓に収まっている。 殆ど聞いた試しがない。
05. 「フランツ一世 Franz・Stephan 1763没」 とマリアテレジア
は 当時珍しい恋愛結婚で結ばれ 夫婦仲もすこぶる良好だった。
男5人 女11人 合計16人もの子供を 毎年のように産み続け、
早死にする子もいたものの、 ブルボン家一族等との婚姻によって
戦争によらず ハプスブルク帝国の勢力を広げる原動力と成したのだ。
マリアテレジアは 夫の死後も女帝として国政に関わる一方、
最後の十数年は 黒い喪服を着続けた。
06. 子供達のうち15番目が かのマリーアントワネットだ (下)。
フランスに嫁いだあと 娘の生活態度や浪費癖について 頻繁に
心配の手紙を送ったマリアテレジア (上) だったが、
娘の悲劇的最後を見ずして世を去ったことは
不幸中の幸いだったかも知れない。
07. 一方 「 Joseph 2世 1790没 」 の棺はシンプルだ。
母親マリアテレジアも かなり先進的な考え方の持ち主だったが
それを上回る ’変わり者’ つまり啓蒙専制君主と呼ばれたのが
長男・ヨーゼフ。
普通保守的であるはずの君主が自ら近代化を進め、 農奴を解放、
諸派の宗教上の平等を定め、 学校や病院を創設し、近代化に
努めたのだ。 飾り気のない棺はそんな彼に相応しいかも知れない。
08. 04.とは反対側から棺を見る。
右手コーナーには マリアテレジアの家族たちの棺が並んでいる。
09. マリアテレジの第三子 「 Maria Caolina 1741年 」
世継ぎとなる男子でなく 期待外れにも女子だったため 親は大変
がっかりしたというが、 この 1歳で旅立った愛らしい子の寝姿像には
親の深い愛情が感じられ、 私はことさら胸打たれたものだ。
右下の小さな棺は マリアテレジアの第一子 Maria Elisabeth 7歳
10. ヨーゼフ2世の最初の妻 「 Maria Isabella 1763没 」(右)
ヨーゼフは美しい彼女に一目で恋に落ち、 義母マリアテレジアにも
ことさら気に入られたマリア・イザベラだったが
天然痘と出産の肥立ちにより 22歳の若さで亡くなった。
* * *
ヨーゼフ2世の二番目の妻 「 Maria Josepha 1767没 」(左)
夫のヨーゼフ2世は 悲しいかな 最初の妻・美女だったイザベラを
生涯愛し続け、 背が低く太っていて不美人だったヨーゼファには
目もくれなかったと言う。
ヨーゼファも28歳で天然痘で亡くなったが 夫は葬式にも現れなかった。
この美しい棺からは想像もできないような 切ない悲話である ・・
11. さて 多くの皇帝の棺を通って 8番目のセクションへ。
ハプスブルク家の勢力地図も広がり、諸々の経緯でメキシコ皇帝となった
「 マクシミリアン Maximilian 1867没 」、
政情不安が渦巻くメキシコの治世に身を投じたものの 僅か3年で
メキシコ内戦の狭間で 共和国軍に捕らえられ銃殺されてしまった。
メキシコから逃げ去らなかったロマンチストの皇帝に、
労働者や農民・貧民にまつわる進歩的改革を果たしたマクシミリアンに、
今でも多くの花が供えられている。
( マネによる絵が有名だ。 実際は 射手とはもう少し離れていた。)
12. いよいよ近代に入り、 三人の家族のセクション、
「 かの美しき皇女エリザベート Elizabeth 1898没 」
「 その夫フランツ・ヨーゼフ一世 Franz-Joseph I 1916没 」
そして息子の 「 皇太子ルドルフ Rudolph 1889没 」 が並んでいる。
三人の人生は それぞれ興味深い逸話に満ちており、
また 回を改めて出直した方が良いかも知れない。
13. 美の追求に人生を掛けたエリザベートは 今日でも大人気。
花やリボン、 I love you などのメモ書きが添えられていた。
ハプスブルク家の歴史は偉大過ぎて 墓所を回ってもただため息が
出るばかりだった。 一族のあいだでも 似たような又は同じ名前が
繰り返し使われ 混乱することもある。
少々予習して来ても良いし またはぶっつけ本番でも
ウイーン来訪の折りは この墓所だけは絶対見逃さないで欲しい ・・
* * * * * * *
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コメント
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bellaさん、こんばんは(^o^)/!
ハプスブルク家の名はもちろん、中世ヨーロッパで栄華を誇ったことも聞いたことはあります。教会の地下にこれほど立派な納骨所や棺があるとは?!どの棺も、棺というより”芸術品”ですね。
マリア・テレジアの名も聞き覚えはありますが、どのような方だったかは・・・???です (^_^;;ハズイ!マルガリータは22歳までに6人もの妊娠・出産で体はボロボロ・・・なんだか悲しくなります (;_;)グスン!かの有名なマリー・アントワネットもこのハプスブルク家出身だったのですね。勉強になります(^_^;;ヘヘッ!
今夜も楽しいバーチャル旅行、ありがとうございました!
投稿: 慕辺未行 | 2019年7月20日 (土) 23時42分