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2019年7月

2019年7月26日 (金)

王宮で白馬の古典馬術・ウイーン少年合唱団 シェーンブルンの庭園


ハプスブルク家が 13世紀後半から20世紀前半まで 600年間

暮らした 「 王宮 Hofburg 」 は、 代替わりの度増改築され 

今や 18の棟が入り組む一つの街のようになっている。




 

01.     全体では2500室以上に及ぶ宮殿だが、 

皇帝の部屋などコースで見学する部分と、 

博物館や乗馬学校・国立図書館・王宮礼拝堂など 

個別に訪ねる部分とがある。  



王宮の外壁を飾る芸術作品、 アートの腕を磨く絶好のオブジェだ!

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02.     街と王宮は境めが無いので  王宮の広場を斜めに

ショートカットすれば ウイーンっ子達も早めに家路に着けるかも ・・・

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03.   「 スペイン乗馬学校 Spanische Reitschule 」 1572年

マリアテレジアの父親が作った 世界最古の乗馬学校。 

強靭なスペイン種馬を導入したことからこの名が付いたと言う。

 

白馬がワルツのメロディに乗って 古典馬術の演技を披露する

公演がある。     VIPのお客様はシャンパンでお出迎え !?

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04.    ワルツが響くと 豪華なシャンデリアが青くライトアップされ 

上昇する。   そして馬たちが登場。 ( 演技は写真NG )



美しいメロディをバックに人馬一体でステップを踏む。 

これぞ 歴史と訓練が育んだ 優雅な貴族文化そのものだ。

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05.   「 国立図書館プルンクザール Nationalbibliothek Prunksaal 」

20万冊以上の蔵書を持つ 豪華絢爛 ” 世界一美しい図書館 ”。



天井の華麗なフレスコ画には 迫力ある群像 絵に描いた!バルコニー

今にも落っこちそうな人々、     だまし絵の面白さ満載だ。

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06.   図書館ホールの中央部に立つ神聖ローマ皇帝カール6世像。


オスマントルコ戦争関係 ・ マルティン・ルターの宗教改革関係の蔵書、

豊かな印刷技術を示すカラフルな挿絵付き楽譜 など

さすがハプスブルク家、 貴重且つ膨大な収蔵品の数々だ。

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07.    「 王宮礼拝堂 Burgkapelle 」 でのミサコンサート。

王宮礼拝堂のミサで ウイーン少年合唱団が歌うというので 

取りあえず 最前列の切符を買った。


ウイーン少年合唱団は 1498年創設と言うから 相当な歴史だ。

現在は東洋系の子も数人在籍している。

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08.     しかし 注意すべきだったことは、 これはあくまで

ミサであってコンサートではないという点だ。  少年たちは4階の

天井桟敷から文字通り天使の様に歌うばかりで 姿は見えなかった。



正面祭壇では ずっと国立オペラ座合唱団のおじ?さんたちが歌い、

やっとミサの一番最後に 

少年たちが ’ 地上に ’ 降りて来て一曲歌ってくれた。



ご覧の通り 指揮者も 4階と連携を取りながらの熱演だった !

もし少年合唱団が目当てなら 4階の切符を買うと良いらしい ・・

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 *    *    *



 


09.    さて次は 「 シェーンブルン宮殿 Schloss Schonbrunn 」


市街の南西部に建つこの宮殿は 17世紀に離宮として建てられ 

18世紀中ごろ マリアテレジアの肝いりで 最高に美しく仕上げられた。

 

マリーアントワネットもフランスに嫁ぐ15歳までここで生活し      

6歳のモーツアルトもここで 女帝に演奏を披露したと言う。

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10.     宮殿の部屋数は1441室もある。 模型の部分だけでも

馬鹿でかいが、 この何十倍と言う広さの庭園に囲まれている。



宮殿内は写真はNGだったが 豪華と言う点ではベルサイユと同じだ・・

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11.  宮殿南側に ネプチューンの泉と軍事的記念碑・グロリエッテ

が聳えている。    丘を登って行くにも30分はかかる広大さだ。

植物園など経由で 観光プチトレインで回るのもいいだろう。



この日、   腰まで届くウエーブの金髪に白い肌、

何とも形容しがたい 一風変わった女性が 丘から降りて来た。


豊かな毛量とスカートの中に尻尾を隠し持つ 摩訶不思議な

森の妖精フルドラが思い出され、 眼を離すことが出来なかった !

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12.      庭園の一角に 華やかなバラのアーチがある。


”  自撮り姫  ”

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13.      「  シェーンブルン動物園 Tiergarten 」 1752年

マリアテレジアの夫フランツ一世が作った 世界最古の動物園。


当時は  庶民の、でなく 皇帝夫妻のための動物園だった。

中央には夫妻が動物を眺めながら朝食を取ったパビリオンがある。 



しかし今では パンダもいるし、 展示方法に工夫があり

ヨーロッパのベスト動物園に選ばれ人気だと言う。   

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多分 動物園としては 質量共に上野動物園の勝ちだろうが

何はともあれ ハプスブルク家宮殿の庭にある動物園だ。



マリアテレジアのご威光には 

さすがの上野動物園も負けるかも知れない ・・・・・ ^&^

 





 

*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

2019年7月19日 (金)

カプツィーナ皇帝納骨所 仲良き夫と眠るマリアテレジアの豪華な棺


ウイーンのカプツィーナ教会の地下にある ハプスブルク家の墓所、 

「 カプツィーナ皇帝納骨所 Kaputinergruft 」 には 


12人の歴代皇帝・18人の皇后を含む138体の棺と 

4つの遺灰壺  5つの心臓壺が安置されている。





 

01. 「 エリザベート・クリスティーネ Elizabeth Christine 1750没 」


マリアテレジアの母親の棺。 中央に彼女の肖像を掲げる天使、 

棺の四方に弔意を表す精霊が 配されている。   

中でも 深い悲しみをうかがわせるベールを被る像が印象的だ。

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02.      「 ヨーゼフ一世 Joseph I  1711没 」

マリアテレジの父親の棺。 骸骨が頂く王冠は権力の象徴。



10のセクションに分かれた地下納骨所の中で、  棺の装飾は

時代が新しくなるに連れシンプルになる。 しかし ハプスブルク家が 

勢力を拡大しつつあったこの時代の棺は 実に華やかだ。

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03.      時代は逆行するが、 この墓所で最も古いのが

「 アンナ・フォン・チロル 1618没 」 の獅子足型の棺。




続いては、 何度も 画家ヴェラスケスによって描かれた王女

「 マルガリータ・テレジア Margarita Teresa 1673没 」 の棺。  
 

マルガリータは 22歳で亡くなるまで 6子の妊娠・出産を経験し

身体はボロボロだったと言う。  黄色い花が手向けられた 彼女の

棺を前に 愛らしく幼い王女のその後の生涯に思いを馳せた。

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04. これが 「 マリアテレジア Maria・Theresa 1780没 」 の棺。 
 

想像を絶する豪華で華やかな棺だ!

棺という概念を超えており 芸術作品そのもの。

 

しかも興味深いのは、 王侯の身でありながら 一般庶民の夫婦のように

仲むつまじく一つの同じ墓に収まっている。 殆ど聞いた試しがない。

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05. 「フランツ一世 Franz・Stephan 1763没」 とマリアテレジア

は 当時珍しい恋愛結婚で結ばれ 夫婦仲もすこぶる良好だった。



男5人 女11人 合計16人もの子供を 毎年のように産み続け、

早死にする子もいたものの、  ブルボン家一族等との婚姻によって 

戦争によらず ハプスブルク帝国の勢力を広げる原動力と成したのだ。



マリアテレジアは 夫の死後も女帝として国政に関わる一方、

最後の十数年は 黒い喪服を着続けた。

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06.  子供達のうち15番目が かのマリーアントワネットだ (下)。


フランスに嫁いだあと 娘の生活態度や浪費癖について 頻繁に

心配の手紙を送ったマリアテレジア (上) だったが、 
 

娘の悲劇的最後を見ずして世を去ったことは 

不幸中の幸いだったかも知れない。

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07.   一方 「 Joseph 2世 1790没 」 の棺はシンプルだ。
 

母親マリアテレジアも かなり先進的な考え方の持ち主だったが

それを上回る ’変わり者’ つまり啓蒙専制君主と呼ばれたのが

長男・ヨーゼフ。


普通保守的であるはずの君主が自ら近代化を進め、 農奴を解放、

諸派の宗教上の平等を定め、 学校や病院を創設し、近代化に

努めたのだ。 飾り気のない棺はそんな彼に相応しいかも知れない。 

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08.        04.とは反対側から棺を見る。 


右手コーナーには マリアテレジアの家族たちの棺が並んでいる。

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09.    マリアテレジの第三子 「 Maria Caolina 1741年 」 


世継ぎとなる男子でなく 期待外れにも女子だったため 親は大変

がっかりしたというが、 この 1歳で旅立った愛らしい子の寝姿像には 

親の深い愛情が感じられ、    私はことさら胸打たれたものだ。


右下の小さな棺は マリアテレジアの第一子 Maria Elisabeth 7歳

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10.  ヨーゼフ2世の最初の妻 「 Maria Isabella 1763没 」(右)


ヨーゼフは美しい彼女に一目で恋に落ち、 義母マリアテレジアにも

ことさら気に入られたマリア・イザベラだったが

天然痘と出産の肥立ちにより 22歳の若さで亡くなった。



               *   *    *



ヨーゼフ2世の二番目の妻 「 Maria Josepha 1767没 」(左)


夫のヨーゼフ2世は 悲しいかな 最初の妻・美女だったイザベラを 

生涯愛し続け、 背が低く太っていて不美人だったヨーゼファには

目もくれなかったと言う。


ヨーゼファも28歳で天然痘で亡くなったが 夫は葬式にも現れなかった。

この美しい棺からは想像もできないような 切ない悲話である ・・

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11.    さて 多くの皇帝の棺を通って 8番目のセクションへ。


ハプスブルク家の勢力地図も広がり、諸々の経緯でメキシコ皇帝となった 

「 マクシミリアン Maximilian 1867没 」、 


政情不安が渦巻くメキシコの治世に身を投じたものの 僅か3年で

メキシコ内戦の狭間で 共和国軍に捕らえられ銃殺されてしまった。 



メキシコから逃げ去らなかったロマンチストの皇帝に、 

労働者や農民・貧民にまつわる進歩的改革を果たしたマクシミリアンに、

今でも多くの花が供えられている。

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( マネによる絵が有名だ。 実際は 射手とはもう少し離れていた。)




 


12.      いよいよ近代に入り、  三人の家族のセクション、


「 かの美しき皇女エリザベート Elizabeth 1898没 」  

「 その夫フランツ・ヨーゼフ一世 Franz-Joseph I 1916没 」

そして息子の 「 皇太子ルドルフ Rudolph 1889没 」 が並んでいる。



三人の人生は それぞれ興味深い逸話に満ちており、

また 回を改めて出直した方が良いかも知れない。

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13.     美の追求に人生を掛けたエリザベートは 今日でも大人気。

花やリボン、 I love you などのメモ書きが添えられていた。 

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ハプスブルク家の歴史は偉大過ぎて  墓所を回ってもただため息が

出るばかりだった。  一族のあいだでも 似たような又は同じ名前が

繰り返し使われ 混乱することもある。



少々予習して来ても良いし またはぶっつけ本番でも

ウイーン来訪の折りは  この墓所だけは絶対見逃さないで欲しい ・・

 





*    *    *    *    *    *    *

 

2019年7月12日 (金)

ウイーン驚きのカフェ5選。 トルテ戦争・ザッハートルテのお味は!

ウイーンのカフェ文化は 19世紀半ばから花開き 今や

市内で 600軒を超えるカフェが 軒を連ねている。


カフェと言っても豪華絢爛、 かなりのカルチャーショックが味わえる。

 

今回は 特に有名どころ5軒のカフェを訪れて見た。




 


01.     💓  『 ザッハー Cafe Sacher 』


ザッハーに来たら取りあえず かの有名な ’ザッハー・トルテ’ を

食さねばならない。   ホイップクリームが添えられたトルテの 

中層部にアンズのママレードを挟んだものが正統的レシピだ。



コーヒーはホイップに砂糖を掛けて ジャリジャリと噛みしだく。

ナプキンとフォークの置き位置が独特だ。

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02.     オペラ座近くのザッハーには  今 常に観光客の

長い入店待ちの列ができるが、 当時も 大公や多くの音楽家が

足繁く通う大繁盛店だった。         しかし 



世界大戦後1930年代の不況時、店が傾きかけた際 ザッハーは 

なんと ライバルの カフェ・デーメルに援助を要請した。  

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 ( 新聞のスティックバインダーを模したメニューが有名だ )




 


03.       💓 『 デーメル Cafe Konditorei Demel 』


デーメルは 助ける代わりにデーメルでもザッハトルテを作る権利を

獲得する。       しかし やがて両家の代が替わると 

正統的 オリジナル・ザッハートルテをめぐり 裁判が起こされ、  



ザッハーとデーメルの間に ” トルテ戦争 ” なるものが

延々10年も 続いたのだ。

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04.      現在は 玉虫色の決着で 両者に製造・販売が

認められていて 互いは良きライバルであり続けているが、



かつて 皇妃エリザベートが 毎日のようにデーメルに使いを出し

ケーキを届けさせたことが縁で得た 

’宮廷御用達菓子商 K.u.K. Hofzuckerbacker ’ の看板は

とりわけ デーメルにとっての誇りだろう。

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  ( ザッハーを助けた時代の女主人 アンナ・デーメル考案の 

’アンナ・トルテ’ 右上  )

 





05.     💓  『 カフェ・ツェントラル Cafe Central  』


かつてハプスブルク家の宮殿だった建物内にある 宮殿カフェ。 



高い天井、 幾重にも重なる梁のアーチ が美しい。  所どころに 

フランツ・ヨーゼフ皇帝と皇妃エリザベートの肖像が飾られている

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06.     世紀末思潮・芸術が流行した19世紀末 このカフェは 

レーニン ヒットラー トロツキー フロイト クリムトなど 

政治家・知識人・文化人等が 寄り合う場所だった。



ウィーンを代表する作家ぺーター・アルテンベルクは 

通いつめた挙句 郵便の宛先住所をこのカフェに変えてしまったと言う。 

今や人形となって 店の入口でお客を迎えている。

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07.      アルカーデンホフと呼ばれるヴェネチア風の中庭と 

階段の造作が美しい。   このカフェでは、多くの映画が撮影され

ウィーンを舞台にした映画 「クリムト」 でもここが出て来るそうだ。

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08.     💓 『 ゲルストナー Gerstner  』


ウィーン国立歌劇場横の カフェ・ゲルストナー、  かの

エリザベート王妃が こちらも大のお気に入りだったことから 1873年

’ K.u.K.宮廷御用達菓子店 ’ の称号が与えられている。

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09.     ふかふかの高級椅子で ケーキをいただく3階サロン、 

ガラステーブルには 天井の見事な寄木細工模様が映り込み、 

周囲は 金箔の宮廷装飾が施された豪華な柱や壁が取り囲む。

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10.     階段で1階に降りると ケーキの売店がある。

見るだけでも 目の保養になる。          ところで、


前出のウイーン菓子の代名詞 ザッハートルテのお味は ?!  

ちょっと濃いめ ・・・  やっぱり日本人はあっさり系がいいかも。

 

600軒のうちの5軒ではあるけど、    ウイーンでは 

ここゲルストナーのケーキが 一番美味しかったと言えそうだ。

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11. 💓 『 ウィーン美術史美術館内カフェ Kunsthistorisches Museum 』


世界で一番美しいカフェ と呼ばれている。
 

ホール席から 八角形のドーム天井を見上げたり、 女王様のように 

バルコニから見下ろせば、 どこもかしこも優雅な美しさに満ちていた。

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12.     美術館には ブリューゲルやフェルメール、アルチンボルト

クリムトなど 有名な絵が目白押しだ。    日本でなら行列必至の

フェルメールも 何気なく壁に架かっている。



それにしても 中世の豪華な設えは 絵の雰囲気にマッチしている!

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13.     この美術館内カフェは 08.の ゲルストナーがもともと

監修していたそうで、 今も ゲルストナーの味に近いと言う。

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シーズン中は どの有名カフェでも 時には中国人の長い行列

が出来ていたり、   観光客の喧騒が漏れたり、、

地元民は 別の隠れ家カフェに逃げ込んでいるかも知れない。





私も ウイーンのカフェを5か所も巡る悠長な旅はもうしないだろう。



観光シーズン前 ある年3月の旅、 

素晴らしいウインナーメモリーでした !

 



 

*    *    *    *    *    *    *

 

 

 

 

 

2019年7月 5日 (金)

シュテファン寺院で石打ちの刑を偲ぶ。大観覧車で異臭の思い出。


ウイーンのランドマークと言えば 「 シュテファン寺院 」 だ。

近年一気に増えた観光客が 引っ切り無しに大聖堂の内外を

そぞろ歩く。     厳かな礼拝はいつ行われるのだろうか。







01.   聖堂ではちょうど 女声合唱隊が聖歌を披露していたが、


頭上6m辺りに 見たこともない不思議なオーナメントが 

吊り下げられていた !    雲か岩か 隕石か 、、、  
   

辺りの人に聞いてみたが 一向に埒が明かない。

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02.  結局 現地の詳細なウエブサイトで その秘密を探り当てた。 
 

つまり、 ’石打ちの刑’ で殉教した守護聖人シュテファンを偲んで 

天空を1332個の石のオブジェで埋め尽くしたのだと言う。



昨今の環境配慮に沿って プラスチックは使わず紙だけで作られた

このアートワークは  3月6日 ’灰の水曜日’ から 6月10日

’聖なる土曜日’ まで飾られ、 受難節やイースターなどの節目には 

紫や赤のライトアップがされたらしい。

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              ( 中央祭壇の右手で 男声合唱隊が出番を待っていた )




 


03.   そもそも キリスト教の聖人は 激しい苦痛と共に殉教した者が

多く、  サン・シュテファンはその最初の殉教者に列せられている。


矢によって射抜かれたセバスチャン、 ネロ帝の迫害により

逆さ十字架で殉教したペトロ、 火炙りの後刺殺されたポリュカルポス



彼らの死は 後世の信者たちの信仰のよすがとなり、 

絵画彫刻など 芸術の題材ともなって来た。  シュテファン寺院で

遭遇したオーナメントも   2000年も後世の信者たちの

殉教者への現代的敬愛の表現法だ と思うと大変興味深い ・・

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      ( 有名な石の説教壇 右下で身を乗り出しているのが作者本人)

 





04.       シュテファン寺院の印象的な外観

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05.       南塔は343段の階段で、 北塔はエレベーターで

登ることが出来る (当然こっち)。    色タイルで葺かれた屋根の

デザインが美しい。 左はオーストリアの国章 右はウイーン市の紋章。


1950年は第二次大戦後 教会が再建された年だ。

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06.       ウイーンは観光馬車の街 、、、  

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07.      6月のこの日 気温は35度。  焼けつく熱さだ。
  

馬だってやってられない!

御者が馬や道路に水を撒いて 暑さを凌いでいた。

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08.      ウイーンの馬車の職場です。

 馬たちの働きを見てあげて! 

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09.       私のウイーン来訪は3回目、  
 

失礼ながら 昔は自ら目立とうとしない田舎都会だったウイーンが 

今や晴れやかに観光都市を自認している感がある。 

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10.     パリ同様 ほぼ全世界の観光客が押し寄せてはいるが、

特に、 近場の日本から旅行先をシフトし始めた中国の人々に 

ウイーンも占拠されかかっているかのようだった。

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11.  シュテファン寺院界隈で 学生が街の絵地図を手描きしていた。

ウイーン名物 「 プラター大観覧車 」 を組み合わせる者もいた。



観覧車は 1897年 皇帝の即位50年を記念して建造されたもので、

オーソン・ウェルズの 「 第三の男 」 や ジェームス・ボンド映画

などの 重要な場面で登場している。

設備は当時のまま 何も変わっておらず 貴重な文化財だ。

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                              ( 映画  第三の男 から )






12.    大観覧車に付いているワゴンはかなり大型で 定員が16名。

私の昔の記憶によれば  確か 手すり際に立ったまま 

ウイーン市街やドナウ運河の眺望を楽しんだと思う。   



ただ、 その時乗り合わせた西洋のご婦人方の 脇の匂いが強烈で、

広々したワゴンではあったが  むせかえるような異臭だけが

大観覧車の思い出となって残っている ・・・!

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             ( ペスト記念柱 ペスト大流行終結を神に感謝して建設されたもの )





 

13.     ペスト記念柱の手前、 多くの観光客が水を汲んでいた。

5月は18度に届かぬ寒さだったそうだが、 6月は熱波が来て暑かった !

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ホテルや目抜き通りの店は別として そもそも冷房という概念が無い。


灼熱の街路から逃げ込んだレストランで 扇風機すらない密閉熱地獄、、

あちこちで経験した今回の 中欧旅行でした 。





( 因みに 中欧とは 昔、東欧と呼ばれた地域のこと。 
 

世界の勢力地図がどんどん変化し、 もっと東にヨーロッパが

広がったことが そのネーミングの理由らしい。 )

 






*    *    *    *    *    *    *

 

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