ウイーンと東京でクリムト・シーレを観る。ウイーンで菩提樹に遭う。
ウイーンの 「 ベルべデーレ宮殿 Schloss Belvedere 」 は
フランス人貴族によって1723年に建設された後 ハプスブルク家の
夏の離宮となり、 華やかな歴史を紡いで来たバロック様式の宮殿だ。
01. 1903年に宮殿の一部が美術館となって以来、
国家買い上げの クリムトの 「 接吻 」 は 超目玉作品として
ずっと同じ位置に君臨している。
02. 近年のクリムト人気で 美術館はいつも長蛇の列
季節によっては 何十分も 順番待ちしなければならない。
門扉からの景色が オーストリアの20セントユーロコインの
デザインとなっている。 ユーロは国毎に裏面のデザインが
違うので 気を付けて見てみたい。
03. 折しも 2019年夏 日本とオーストリアの国交樹立
150年を記念して 東京都美術館と国立新美術館 両方で
クリムト、シーレなどの展覧会があった。 実は肝心の
ウイーンで クリムト作品が手薄になっていたらどうしようと 心配も
したが 杞憂だった。 少々の作品放出で本家が貧するはずもなかった。
( フリッツア・リドラーの肖像 )
04. 館内は写真OK。 入場数制限のお陰で
思いの外ゆっくり見られたが、 小学生や青年達の校外学習は
欧州各国の例に似て 相変わらず盛況だった。
05. グスタフ・クリムト (1862~1918 ) の芸術と生涯
については 多くが語られているので ここでは遠慮するが、
このように 顔などは写実的に、 それ以外は装飾的なデザインで
描くのが 正にクリムト的と言える。
「 花嫁 」
06. 「 アダムとエヴァ 」 (左) 美人さんもパチリ!
🎨 🎨
07. 次は エゴン・シーレ (1890~1918)。 彼はクリムトを
師として、 魂をえぐる様な 錯綜的・独特な絵を描いた画家だ。
08. シーレは スペイン風邪によって28歳で早世するまで、
性病で亡くなった父 後年正気を失った母、 のようになるのでは
ないかという恐怖に 常に苛まれていた ・・
09. ベルべデーレ美術館では クリムトへの期待が大きかったが
想像以上に エゴン・シーレの大作が充実していた !
因みに 小品はさらに魅力的なのだが 世界最大のエゴン・シーレ
コレクションを持つ レオポルド美術館は 残念ながら定休日だった ~
「 死と乙女 」
10. 実に暗く汚れた色だが、
それがまた とてつもない迫力を放っていた。
11. さて 私は クリムトとシーレの熱狂的な!?ファンの一人
であるが、 実は 二人の風景画が ことのほか大好きだ。
根暗なシーレの風景画 、 楽天的なクリムトの風景画 、、
自分のスクリーンセーバーはクリムト版で 作ってある。
「 シェーンブルン公園 」
12. キラキラ輝く緑の木々、 細かい筆致で蒔き放たれる
色の点、 クリムトにとっての原風景は 一体何なのか、
私は6月のウイーンを訪れて、 もしかしてこれ? っと気が付いた。
「 公園 」
13. それは 街や公園のそこかしこに植えられていて
6月に黄色い花を付ける ” 西洋菩提樹 ” だ。
丸い葉っぱが 一粒ひとつぶの筆致で、 そこから漏れる幾千の
光の粒と影の集合体が クリムトの風景画の原点ではないだろうか。
お釈迦様のインド菩提樹とは違う ” ウイーンの菩提樹 ” だ
今回 あるオーストリア人が言っていた。
” 菩提樹は 我々オーストリア人の魂の樹です ” と。
6月に 上野と六本木とウイーンを訪れ クリムトとシーレの絵を
存分に鑑賞出来て大変幸せだったが、 私にとって最高の歓びは
黄色い花を咲かせた 光り輝く6月の菩提樹に巡り合ったことだった。
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