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2018年11月

2018年11月30日 (金)

「仔豚の丸焼き・コチニーリョ」 母乳を飲んで2週間で料理となる!

 
セゴヴィア名物料理 仔豚の丸焼き 「 コチニーリョ Cochinillo Asado 」

を食べようと,  その専門レストラン ホセ・マリア Jose Maria にやって来た。







01.      店のショウウインドウに 仔豚が飾られている。

生れて2~3週間の乳呑み子だ。  眉間の赤いマークは電気ショックの跡


瞬殺は仔豚のためでもあるが、 

暴れることで 肉が固くなるのを防ぐためでもある。

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02.      メダルを首にかけたホセ・マリア氏、 2002年には専用の

仔豚牧場を作り 安定的に高品質の仔豚ちゃんを生産している。


因みに 1930年代にコチニ―リョを創案したのが ローマの水道橋そばの

レストラン・Candido。  コチニ―リョ・レストランの印しを 初めて

地図 Map上に登場させたのは Candidoだが、  後発組とは言え 


Google Map上にアイコンを登場させたのが Jose Maria と言われている。

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03.     仔豚は3~4kgまでの大きさで、 生後 母親の母乳しか

飲んでない時期のもの。  結局牧場では  出産から母乳まで 

むしろ母豚の成育環境に 大きな注意が払われていると言えそうだ。

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04.     さて7時半頃のレストランは閑散としている。 通常ディナーは

9時頃から始まるからだ。    私達は無理を承知でお願い入室、 

前菜などからゆっくりと 時間を稼ぎながら過ごした。




ある旅行サイトで、  セゴヴィアのレストランで 7時に入店を断られ

7時半に出直したが メニューは持って来ず サービスも悪く放っておかれた、 

との日本語クレームが載っていた。      



一方あるアメリカ人ルポライターは 郷に入っては郷に従え、 どんなに

飢え死にしそうなくらいお腹が空いても starve to die !  9時まで待とう!

それまでは どうせメニューもサービスも貧弱に決まっているから ・・

と書いていた。

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05.       仔豚の丸焼きがやって来た。

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06.      先ずは背骨から 手足へ、  10秒以内に手際よく

サックサックとお皿で切り分けるのがプロの業。  ナイフより皿の方が 


真上から力が入り 軽快でダイナミックな作業が出来るし、

お客にとっても 特別なアトラクション感が得られる ・・

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07.      皮がパリパリ 肉は柔らかく美味しかった。  しかし、

物珍しさを凌駕するほどの美味しさか、というと まあそれほどでもない。



因みに 切り分けたあと お皿を床に放ってガッチャーンと割る儀式、

いつでも どこでもやる訳ではない。    あれ、相当破片が飛び散る !



破片の掃除がしやすい部屋、 大人数や団体が相手の時、 しかも

どこの国とは言わないが、 カメラを構えたり キャーキャー大騒ぎで

喜びそうな観光客が来た時、 接客のプロは適格に判断するに違いない。

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(      尻尾もチョロッと 巻いてます )







08.       この日は仔豚の6分割のうち 2ピース分18ユーロ、

前菜やスープ ハモンイベリコ ワイン デザート等々 60ユーロほど。

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09.      いつの間にか お客が満杯になっていた。 


料理やワインのメニューを読み込む姿は 受験生のように真剣だ。 

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10.     満腹を抱えつつ帰路に就く。 ここはイタリアンレストラン。  

あとでネットで調べたら スゴい酷評が載っていた。  



真偽のほどは別として、 旅行の場合は一発勝負だから なるべく

美味しいレストランに当たりたいものデス ・・・

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11.        仔豚を食したあと、、、    牛革、、、 靴屋のショウウインドウ

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12.        翌朝 セゴヴィアの街角で、  
 

世界ネコ歩きじゃあないけれど 

なんだか ネコがいるとそれなりの雰囲気が出るものです。

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13.       次回は 石畳の古い街並みを歩いて 

街の西端、  アルカサル城を訪ねます。

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生れて2週間  ママのおっぱいだけ飲んで 人間の料理になる子豚ちゃん ・・




人間はいろいろな命の恩恵で生きていけるのですね ・・









★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2018年11月23日 (金)

「セゴビア」 ローマの水道橋・仔豚の丸焼き料理屋に入店

 

  独特の魅力的な景観に恵まれた 「 セゴビア Segovia 」 は


               マドリッドの北西87km、 日帰り旅行で マドリッドから足を伸ばしても


                  絶対損のない 価値ある世界遺産登録の古都だ。







01.     「 ローマの水道橋 Acueducto Romano 」


1世紀 トラヤヌス帝の時代に フエンフリーア山脈から水を引くために

造られたもの。     20世紀まで実際に使用されていた。

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02.     まるで 旧市街の城門のようにそびえる巨大な水道橋は

長さ813m 一番高いところで29mある。

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03.     地元民・セゴビア―ニ、 花を持ってどこに行くのでしょう。


水道橋は2000年もの間、 激動の歴史図と人々の何気ない日常生活

両方を見下ろして来たと言えそうだ。

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04.     水道橋の足元の広場には  レストランや土産物屋が並び

観光客がいつも大勢詰めかけている。

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  (左上は セゴビア名物・仔豚丸焼き料理専門のレストランCandido )







05.   セゴビアの歴史地区は 標高1000mの三角形の岩山にある。


東側に前出のローマの水道橋、  真ん中に大聖堂、  西側に 

’ ディズニーアニメ・白雪姫 ’ のモデルとなったアルカサル城がある。

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    ( 写真は アルカサルから 大聖堂方面を写したもの )







06.      「 セゴビア大聖堂 Catedral 16C 」


安定感のある堂々たる形状と色合い、 金色のスカートの裾を広げた

優雅な貴婦人の佇まいから ’ 大聖堂の貴婦人 ’ と呼ばれる。

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07.      「 サン・マルティン教会 Iglesia de San Martin 12C 」


教会の傍には 階段でつながった二つの小さな広場、 いくつかの貴族の館

があり、 セゴビアの中世時代を彷彿とさせる素敵な界隈だ。

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08.     サン・マルティン教会の歩廊ポーチの  レース模様と

動物が彫刻された柱頭もいい。      教会の向かい側のホテルに

泊まったこともあり、 忘れ難いスポットとして私の脳裏に刻まれている。

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09.      さて 10月末夜7時頃  灯りの付いた水道橋界隈を

散歩しながら  レストランに向かった。

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10.    大聖堂近くのレストラン 「 ホセ・マリア Jose Maria 」 。


水道橋そばの レストラン・カンディードは立地が良すぎるため !? 

怒涛のように 日夜観光客が押し寄せるが、 

ホセ・マリアは 地元民にも愛されている老舗 ら・し・い 。 

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11.     セゴビア名物と言えば 仔豚の丸焼き料理 ・ コチニージョだ。


” 可哀想 ! ” はさて置き  やはり食べておかねばならない。

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12.     ドアを開けると バーカウンター前はラッシュアワー並の混雑!

そもそも スペインのディナーは9時過ぎから。  7~9時はバータイム。



ナイフ・フォークがセットされたテーブルは正式な食事となり チャージが

付くし、  ビールやワインやつまみは 一杯毎各自で決済するので

自ずと立ち飲み ・ フリーウオーク となる訳だ。

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13.     何はともあれ みんな楽しそうだし 仕事を終えてホッとしている。


皆さんのただ中を ” オラー ” と ニッコリ挨拶しながら 

奥のレストランホールへ向かった。

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  メインの仔豚丸焼き料理が出てきたのが 夜9時半、



せっかちの日本人だけれど、 飲み物や前菜などをのんびり突っつきながら 


何とかメインまで 時間を持ち応えた夜でした ・・                  





つづく








☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

2018年11月16日 (金)

「死者の谷・ロスカイドス」 たまにはスペインの影を踏んでみて!


スペインと言えば 燦々と光り輝く陽光、 フラメンコと闘牛など

明るい観光立国をイメージする。         しかし、

その光が強ければ強いほど その影は深く暗いもの。   



今回訪れたのは 死者の谷と呼ばれる内戦のメモリアル大聖堂。






01.    マドリッドの北西およそ50km、 グアダラーマ山系の只中

’ 死者の谷 ロスカイドス Valle de los Caidos ’ に 

スペイン内戦の死者の鎮魂のため建設された巨大バシリカがある。

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                              ( 絵葉書から )






02.     「スペイン内戦」 は1936年に勃発。


左の人民戦線共和派には マドリード カタルーニャ バレンシアなどの

工業地帯の市民 知識人 労働者 共産主義者 アナーキストが含まれ、


右のナショナリスタ派には アンダルシア カスティーリャ ガリシアなどの

保守的地盤を代表する大地主 カトリック組織 そして 軍部が含まれた。

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               (  雪山が連なる高原地帯を走ってバシリカに向かう。 )







03.      2年8ヶ月にわたった悲惨極まりない内戦は  

ファシスト軍が主力だったフランコ将軍が率いる右派が 素人の即席部隊・

人民戦線を形成した左派を圧倒し、 1939年 勝利のうちに終結した。

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              ( やがて 巨大なバシリカが 遥か彼方に姿を現した。 )







04.      バシリカに到着したが、 馬鹿デカくて 1枚の写真には

とても収まらない!   1940年~1958年に 岩山をくりぬいて

建造されたこの岩窟聖堂の奥行きは262mもある。
 

因みに 世界最大級のバチカンのサンピエトロ寺院が 211m。 
 

山上に建つ十字架も高さ150mという とてつもない大きさだ !

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05.      さて ここからは 不本意ながら ウイキペディアや他の

現地サイトからお借りした写真です。     
 

長らく種々の激しいテロが続いたスペインであるし、 左派・右派の怨念が

未だ漂うこのバシリカ、   入り口では 飛行機搭乗と同じく X線による

ものものしく厳しい身体検査が行われ 写真などもっての外だった。 



私も普段の聖堂巡りとは一味違う緊張感に襲われたものでした。

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06.    この内戦では およそ60万前後の死者が出たと推定されている。 


このうち 戦闘による死者が 10万から15万、  それに対して

テロや処刑による死者が 30万から40万人にのぼるという異常さ。


フランコ側・右派によって牢獄や強制収用所に入れられた者の数も

200万人以上といわれている。

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07.     同じ国の同胞が殺しあった 悲惨且つ壮絶な記憶は

今日のスペイン人の心に どれほど深い傷跡を残していることだろうか。

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                                               (  右下は フランコ将軍の墓 )







08.     ところで 当初他国は内政不干渉を標榜していたが、
 

ヒットラーとムッソリーニが やがて公然と武力干渉、  内戦の最中

1937年4月26日、 スペインバスク地方の小都市 「 ゲルニカ 」 を 

ナチスドイツが 前触れもなく無差別に空爆してしまう。



パリでこの報を聞いたピカソが、  かねて人民戦線政府より依頼

されていた パリ万国博覧会スペイン館の壁画として

急遽 その爆撃を主題に描き上げたのが この有名な 「 ゲルニカ 」 だ。

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                                        ( フランコ将軍の葬式 )







09.      さて、 ここには 戦闘による兵士と市民の4万余の遺骨が

敵味方を問わず収められているのだが、 なんとフランコ将軍自身の遺体も

1975年 堂内に収められた。 



内戦終了後 権力を手にした独裁者フランコが、 傷ついた国民を癒し 

敵味方に分かれた国民の精神的融和を図るという 政治的意図での

’ 合祀 ’ だが 


これほどまで巨大なバシリカだ。  フランコ自身の権威と業績を

後世にも伝えたいという 個人的な思惑もあったに違いない。

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10.       聖堂の外に出て やっと一枚写真が撮れた。

ここに祀られているのは 右派だろうか、 左派だろうか、、

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11.      フランコは実権を握って以降 ” 歴史上誰よりも多くの、

社会のありとあらゆる分野に 権力を介入させた独裁者 ” となった。
 

彼を称賛する人もいただろうし、 彼を憎み嫌う人たちもいただろう。


取りあえず 加害者たる独裁者と同じ聖堂に祀られたくないと感じる人々も

多かったに違いない。 

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2018年 戦争犠牲者からフランコを切り離すため

フランコの遺骨を掘り出す法案が可決されたと言う。




本当にそれが実行されるのかどうか 気にかかるところだ 、、、






眩く明るいスペイン観光ばかりでなく、  たまには こんなふうに


スペインの影を踏んでみることも 必要かも知れない。








゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2018年11月 9日 (金)

最古の大学都市「サラマンカ」、美しきマヨル広場・話題の宝庫

 
    スペイン北西部のサラマンカ Salamanca には ヨーロッパ最古の大学が

ある。  気品漂う由緒ある都市だが、  マドリッドから少々遠いこともあり

スペインらしい華やかなツアーのコースには含まれないことが多い。







01.     私も ポルトガルからの帰り道、 通りすがりの観光客だった。


夕食に立ち寄ったマヨル広場の レストラン・アサドール、  

壁一面を飾るアズレージョタイルの芸術的な絵柄に感心させられた。 

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02.    ほぼ地元の人たちばかり。  夜9時頃だが まだ立ち飲みタイム。

座ってちゃんと食べ始める気配がない。

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03.    美しい黄金色の石造りのファサードに囲まれたマヨル広場に

面したホテルにチェックイン。   世界一美しい広場の一つとされるが

生憎の雨だった。  しかし 濡れた敷石に反射する光がまばゆい ・・

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04.     翌朝のカフェテリアの風景、  そしてショウウインドウ、

文化的で知的な大学都市のムードが 人々からもはっきり伝わる。

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05.    「 旧カテドラル Catedral vieja (12C) 」    内部に 


13Cのフレスコ画 53面に区切られたレターブル宗教画 大司教の墓など

見るべきものが多々あった。

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06.      「 貝の家 Casa de las Conchas (15C) 」 

約400個のホタテ貝の装飾をまとっている。   ホタテ貝は聖ヤコブを


象徴しており、 当然ながら サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼への

敬意をあらわした建物だ。   ( サンチャゴ=サント・ヤーゴ=聖ヤコブ )

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               ( 内部 : 透かし模様の入った欄干を持つ繊細なアーケード )







07.     「 新カテドラル Catedral Nueva (16~18C) 」

旧カテドラルの隣に増築された。 内部はスラリと天に伸びる列柱が見事。

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08.    さて、サラマンカの真髄は 「 サラマンカ大学 Universidad 」。

12~13Cの創設で 天文学・神学・哲学・法学研究のメッカだった。


今日でも 学生数約32,000の総合大学として 知の都の礎となっている。

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09.     講堂(上) には ブリュッセル製のタピストリー ゴヤによる

王の肖像画が飾られ、  礼拝堂(右下) には神学者・教授だった

ルイス・デ・レオン ( 08.の銅像 ) の遺灰が収められている。


音楽教授サリナス師の教えた講義室(左下) には荒削りのベンチが

並んでいる。 学生が直接床に座っていた当時にしては贅沢な設えだった。

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10.     「 マヨル広場 Plaza Mayor 」 の中心となる建物の

左翼部が今はホテルとなっている。  宿泊した部屋は3階だった。

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                        ( 右翼部に 後出のカフェ・ノヴェルティがある )







11.     宿泊日10月31日は たまたま ’ エル・マリケロ祭 ’ だった。


太鼓や笛を鳴らして人々が広場に集まる。  そして白馬にまたがった

’ エル・マリケロ El Mariquelo ’ が 私の部屋の下までやって来た。  


彼は07.の新カテドラルの塔のてっぺんまで 外壁梯子を登るんだとか ・・  

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  ( 写真左下は オフィシャルサイトから )







12.     1755年のリスボン大地震の惨憺たる有様が サラマンカまで

伝わると、 人々は恐れおののくと同時に サラマンカが無事であったことは

神のご加護と感謝、  エル・マリケロなる勇者が 塔をよじ登り、

太鼓をたたき人々を勇気づけたのだとか ・・



この朝は 雨どいから雨水がこぼれるほど 強い雨が降っていた。

神経質な日本人と違い、滅多に傘をささない彼らが 雨傘の花の下で

ダンスをして 笛太鼓をかき鳴らす。  テレビカメラマンも必死だ。

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13.    この後 この ’エル・マリケロ’ が 塔に登ったかどうかは

わからないが、 英雄が雨なんぞに負けるはずもないだろう  !



さておまけだが、 スペイン北部の街では一緒に写真を撮れるような

こんな像にしばしば遭遇する。

左は小説家ゴンサロ・トレンテ・バリェステル、  右は姓名不詳、、 

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バリェステル像があるのは マヨル広場に面したカフェ・ノヴェルティ。


Cafe Novelty は 1905年の創業以来 街の名士 政治家 作家

芸術家 ジャーナリストなど 文化的インテリ達の寄合場だった。  しかし



スペイン内戦当時 フランコ側の軍事的重要拠点となったサラマンカ、

このカフェも Cafe National と呼ばれるなど 歴史の生き証人として

激動の時代の真っ只中にいた時もあった。       






           




通りすがりの旅行者として 今回のブログ記事は きっとあっさり

仕上がるだろうと思ったのに  結構なボリュームになってしまった ・・



サラマンカ自体が 結局は見所の多い街だったのだ ・・





お付き合いいただいてありがとうございました。








・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2018年11月 2日 (金)

癒しの那須アルパカ牧場 スター系もお笑い系もいる!


栃木県那須町にある アルパカ牧場

気質も穏やかで見た目も愛らしい 癒し系の動物

アルパカに会いに行きました~






01.    君、可愛いネ !

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02.    那須連山を背に ペルーからやってきた500頭の

アルパカがのんびり暮らしている。   しかし もともと


南米アンデスの標高3千メートル以上の高地に住む動物、

那須高原で彼らが定着するまでの10年間は、試行錯誤だったそう。

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03.    こんなヤツもいれば 、、

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04.    こんなヤツもおる

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05.    君たちには お笑いも顔負けだね 

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06.    アルパカは人懐っこく、本来攻撃性はないが

たまにつばを掛けられたり お尻の方から撫でると 

蹴られることもあるらしい。

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07.    ところで 10月のこの日、みんな地肌剥き出し!   


実は毎年6月頃 ペルーから専門スタッフが来て毛刈りをする。

従ってふんわりアルパカに会いたい場合 それより以前に行かないと

モコモコアルパカの最盛期を見逃すという訳 。。

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08.   でもご安心。 毛の生産と共に観光牧場でもある訳で 

一部はふわふわモコモコのままでいてくれる。 


彼らのまあるいお尻に指を入れると ふかーっと沈みます !

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09.   特に子供アルパカは まだ毛を刈られない。


とは言え ウールより細く柔らかく暖かいのが特徴のアルパカの毛、

特に生後0~6ヵ月のベビーアルパカの毛は さらに細く柔らかで、

絹のような肌ざわりと光沢がある高級品になるそうだ。

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10.    こんな親子の姿は癒し以外の何ものでもない。 

パンダのシャンシャン親子にも負けないカナ ・・

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11.    園内には彼らとお散歩できるエリアもある。


一回500円だが、 筆男(右下) ぼたん ショコラ ポッター

など 名前が付いたスター? の手綱を引いてお散歩するのだ。

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12.   スターと言えば この子は以前テレビのコマーシャルに

出ていた「 タラキーくん」。


本場ペルーのアルパカ飼育協会最高責任者に 「世界一の男前」 と

認められ コマーシャルに出ることになったそうだ。

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13.    スターではなくても こんなボサボサ頭の君、

君も愛らしいネ !

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ところで、アルパカは 何の仲間?

アルパカは ウシ目、ラクダ科の動物。


ラクダより小さくてコブもないけれど やっぱりラクダによく似てる。


きっとまた会いに行くからね ・・  





...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

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