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2018年4月27日 (金)

「ポルト」 エッフェル社のドン・ルイスI世橋 ・ポルトで九死に一生!


                     ポルトガル北部・ポルトの旧市街は 「ポルト歴史都市」 として


世界遺産に登録されている。      






01.     日常の街角で こんな素晴らしい教会に遭遇する。

「 Capela das Almas教会 」  18世紀の初めに造られた

ポルトで最も美しい教会の一つだ。   



地下鉄駅に近く、 通勤を急ぐ現代のサラリーマンとの対比が面白い。

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02.      総面積360㎡の外壁が 15,947枚のアズレージョタイルで

埋め尽くされたのは1929年のこと。  見事な出来栄えだ !  壁画には
  

アッシジの聖フランシスコ 聖女サンタ・カテリーナの生涯などが描かれている。

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03.     街行くポルト人は 髪が黒みがかった褐色で、 少年たちは

どの子も カッコいいサッカー選手になれそうな風貌だ。

03
                                                      
                                                                                      (  マント姿は大学生  )







04.     さて ドロウ川を挟んで  南岸から北岸を望む、


これが ポルトの代表的風景。

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05.      ドロウ川にかかる 「 ドン・ルイスI世橋 」

スペインからポルトガルを経て 大西洋に至るドロウ川は全長897km、 

ポルト市内では 新旧6つの橋が架っている。 



このドン・ルイスI世橋は エッフェルの弟子によって1886年に造られた

2階建ての鉄橋で、  橋の真ん中に電車が走り 

両側の歩道では 自転車が気持ちよさそうに行き交っていた。



手前側にはワイン醸造所が並び、 有名なポートワインの樽を乗せた小舟が 

観光用に停泊している ( 写真07 )

05







06.   上流には エッフェルが1877年に建てた 「 ドナ・マリア・ピア橋 」 

がある。     実はエッフェル社は それまでにヨーロッパの国々に 

たくさんの鉄橋を架けて来た。     



エッフェル塔が建てられたのが1889年、 かの有名なエッフェル塔は 

いきなり生まれた訳でなく、  こうした 数々の美しく強い橋が 

その実績・礎となったと言えるでしょう。




つまり、  世界に誇るフランス工業と科学技術の高さが

古来からの石の塔 石の橋に代わり、  風圧 重力への強度があり

しかも 地上に縛り付けられていた人間を高みへと開放出来て

さらに軍事上の用途にも適応できる鉄骨構造物を 生み出して来たのだ。

06
    






07.      話は変わるが、  今回我々がポルトに到着した際、 

九死に一生を得た出来事があった。 


ホテルの車庫に車を入れる寸前、 30cmもあろうかという工事用ボルトが 

いきなり 空から爆音と共に車に飛び込んで来たのだ !




ボルトは 後部座席左側の窓を突き破り、 左ハンドルの運転者・夫は

それこそ百分の一秒差で命拾いをした。

07
 タクシーの運転手さん )






08.      幸いなことに、 ホテルの部屋の改修工事をしていた職人が

すぐに飛び出してきてボルトの誤発射を認め、 工事責任者も率直に詫びた。



のらりくらり はぐらかされることだってあり得たが、 若い社長さんが紳士的で

物分かりが良く 英語も話せたため、 補償・修理を含め 代車として

観光タクシーも手配してくれた。 



ニコニコと愛想のいい運転手は 慣れた口調で 観光スポットを案内し

トヨタやホンダ、ニッサンなどの名を挙げ 日本びいきをアピールしていた。

08







09.  こんな細い道路の 左側の建物の最上階から ボルトが飛び込んできた。


    とんだ ポルトPorto の洗礼、 いえ ボルトbolt の洗礼でした !

09







10.       ここが Santa Catarina 通りに面した 

1921年創業・ポルトの老舗カフェ 「 Cafe Majestic 」,
 朝と夜の顔。        



世界で最も美しいカフェ トップ10に入っているが、  

カフェと言っても 豪華なメニューで食事を楽しむことも出来るし、 

一杯のコーヒーでくつろぐことも出来る。

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11.     かつてこのカフェには 作家 政治家 芸術家 思想家など

街のインテリが集い 思想・情報を交換し合うたまり場だった。     



今日では 人々がコーヒーやチョコレートケーキをはさんでおしゃべりし、 

食事をし、 時には静かに読書する場だ。  ちょっぴりお洒落をして来ると

この優雅な雰囲気の中で 自然と振る舞いがエレガントになると言う ・・

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12.      このカフェも 時と共に廃れ 忘れ去られた時代もあったが、

1994年に内部の改修が施され、 アールヌーボースタイルに彩られた

ベル・エポック時代の雰囲気を取り戻し、 再び繁盛店となったのだ。



今や有名となり 観光客が多く押し寄せてはいるが、  地元の人たちも

喧騒を避けるように 時と場を選んで ( カフェの裏手にテラスもある ) 

優雅なカフェ・タイムを楽しんでいるらしい。



因みに ディナータイムにはピアノの生演奏があり 素敵なムードだった。

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13.        「 ボリャオン市場 」 


生鮮品から日用雑貨まで あらゆるものが揃っている。 

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カフェ・マジェスティックで  私がいただいたディナーのご馳走も


彼らが運んできたお肉が使われていたかも知れない !! 








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ポルトガル北部 ポルト ギマランイス ブラガ」カテゴリの記事

コメント

bellaさん、こんばんは
全文読んで・・・いやぁ~よくぞご無事でした
車のガラスが割れるほどのボルトが飛び込んできた時は、一瞬「何が起こったの?」か分からなかったことと思います。本当に「九死に一生を得る」と感じた瞬間だったこと、窓が割れた車の写真を見て伝わってきました。

エッフェル塔がエッフェルが設計し建てたことは知っていましたが、それ以前にこのような実績があったのですね。初めて知りました。また一つ勉強になりました。
地形に合わせて2階建ての橋に造られている・・そのアイデアが素晴らしい!!
街の様子とレストランがものすごくお洒落な雰囲気なのに対して、08の写真の住宅街の様子に庶民の暮らしを垣間見る思いです。学生たちの服装もわりと地味で「ポルトは”郷愁を誘う街”なのかなぁ・・・?」という印象を受けました。

今夜も楽しくバーチャル旅行させていただきました。
ありがとうございました。

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