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2018年3月

2018年3月30日 (金)

「北ポルトガル・ブラガ」 焼き栗の匂いと古き佳きポルトガル!

 

  旅情漂うポルトガル北部の街、、 リスボンなど大都会とは趣を異にする 

古き佳きポルトガルがそこにある。 



今回は かつての宗教都市 「 ブラガ Braga 」 を訪ねます。






01.    18Cに建てられた街の門 「 アルコ・ダ・ポルタ・ノヴァ 」 を通って

旧市街に入ると、

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02.    メインストリート 「 ソウト通り 」 に 如何にもポルトガルらしい

年季の入った装飾タイル アズレージョが施された建物が並んでいた。

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03.     ストライプ模様の木漏れ日に 香ばしい匂いが立ち込める。    


焼き栗屋さんだ !

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04.     かつてブラガには大司教座が置かれ、 中世から近世にかけて 

ポルトガル第一の宗教都市だった。    「 カテドラル Se 」 は 

12Cに 初代ポルトガル国王アルフォンソ1世の父と母によって建立されたもの。

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05.   ” リスボンは楽しみの街 (東京?)、 コインブラは学びの街 (京都?)、 

ポルトは働きの街 (大阪?)、 そしてブラガは祈りの街だ ” と言われる。



数多くの教会が建ち 名だたる巡礼の地だったブラガが

日本で言えば どの街にあたるかすぐには思い浮かばないけれど ・・・・・ 

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06.     内部には キリスト昇天を表した大祭壇の他  いくつかの

見事な礼拝堂があったが、  大司教の生涯を描いたアズレージョの壁画は

如何にもポルトガルらしいものだった。

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07.       再び 街中で、、    右手は売り物件です ~

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08.      若い人達と比べて、 熟年層のお出かけスタイルは

比較的保守的だ。    ヨーロッパ先進国の 垢抜けたファッションの波が 

ここにはまだ充分届いてないような気もしたが、



ナザレの女がいつまでもナザレの女でいるように、 ブラガの女も含め

ポルトガルの女は ずっとポルトガルの女でいて欲しい。

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09.     「 旧大司教館と中庭の噴水 」  現在は 国王自筆の文書や

大司教のミサ典書など 30万冊以上の貴重な文書が収められている図書館。



赤いポストも ポルトガルノスタルジーだ !

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10.       「 コインブラス礼拝堂 」 16C  


コインブラス家個人の礼拝堂(左) は薄い青のアズレージョタイルで覆われている。

右側の邸宅は 色付きの透かしレリーフが美しい。

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11.       再び 街中で、、 

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12.     「 レプブリカ広場 」 写真下  噴水のある大きな広場は

博物館やホテル ショッピングセンターなどに囲まれ いつも人で賑わっている。



アクセサリーの露天商、 お客さんがイヤリングを試着中、

アフリカの木彫り像の店では 店主が赤ちゃんの子守り中。

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13.      街を出ようとした頃、 またいい匂いが漂って来た ~


彼らは こうして栗を焼いては 人々の小腹を満たすばかりでなく

心もあったかくしていそうだ。

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世界中を席巻しているマクドナルドがやって来ていても



この ’ ソウルフード ’ は 別物なのかもしれない。 








゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2018年3月23日 (金)

今日の絵画 ポルトガル 「 赤肌のコルクの木 」 

 
   
今日の絵画 「赤肌のコルクの木」 油彩


Photo




コルクは ポルトガル・スペイン・南フランス・イタリアなど地中海沿岸に 

群生しているが、 ポルトガルが 世界の70%のコルクを生産している。

しかも 収穫や伐採は勝手に行えず、 公有地・私有地を問わず

国の管理下にある。 




コルクは まず植えてから25年間はじっと生育を待ち、

25年たって初めて樹皮を剥ぐことが出来る。

しかも やっと採取した ’ バージンコルク ’ は ゴツゴツと目が粗く、

よい製品を作ることが出来ない。




初収穫後は 9~10年周期で樹皮が剥がされ 収穫されるが、

ワインの栓になるような良いコルクは  植えてから最低でも34年を

待たねばなければならない。

( 収穫年次の末尾が 樹皮にマークされる。




木の寿命は200年~150年といわれているから、

その間に、一体 何回収穫できるだろうか ・・・




ところで、皮を剥がれたコルクの木は 美しい赤を呈している。

痛々しいとも 若々しいともとれるが、 現地では 恥ずかしがって

頬を染める ’ 恥ずかしの木 ’ と呼ばれているそうだ。




しかし 最初の25年、 その後10年おきにしか収穫できないなんて

気の長い話だ ・・

それでも このコルク樫のドングリをエサとして 樹下で

豚や羊、牛などの放牧を兼ねれば 何とか効率が得られる。







そういう訳で 赤裸のコルクの木と羊の群れ、そして 無口な羊飼い


私が出会った ちょっと心に沁みたポルトガルを絵にしてみました ~









...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

2018年3月16日 (金)

ポルトガル・ファティマ 「記録写真が示す聖母マリアの奇跡!」

 
1917年、 ポルトガル中部の寒村 「 ファティマ Fatima 」 で 

3人の子供達の前に 聖母マリアが出現するという奇跡が起こった。


中世の話でなく、  まだ生々しい 20世紀の出来事だ ・・






01.      6月のある日 

私達は不思議な雲に導かれてファティマに近づいた。

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02.     奇跡の始まりは1917年5月13日、 聖母 「第1回目の出現」


10歳の少女ルチア、 そのいとこ 9歳の男の子フランシスコ、

7歳の女の子ヤシンタの 3人がいつものように 丘の上で羊番をしていると

正午頃 突然つむじ風が巻き起こり 強い稲光が差し、

純白のドレスの聖母マリアらしき貴婦人が現われた。    彼女は



「 何も怖れることはありません。 今後は毎日ロザリオの祈りを唱えなさい。

これから5ヶ月間 毎月13日の同じ時刻に この場所に現れます 」 と

告げると  光に包まれた雲と共に去った。

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  ( ルチア、 フランシスコ、 ヤシンタ  )






03.       6月13日 「第2回目の出現」


3人の子供達と噂を聞きつけた村人の前に、 聖母は 約束どおり

現れるが、 人々には その姿も見えず声も聞こえない。


ただ ルチアには 「 よく勉強して早く字が読めるようになるように 」 、  

ヤシンタとフランシスコには 「 あなたたちは 間もなく天国に

召されるでしょう 」 と告げた。

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04.     聖母が預言したとおり、 

フランシスコは1年10ヶ月後の1919年4月4日、 

ヤシンタも 2年8ヶ月後の 1920年2月20日に死去している。  



フランシスコは 病気になってからも不満を口にせず 満ち足りた面持ちで

聖母様がぼくを連れて行く、 と言い続け 

肺炎で その短い一生を終えた。



ヤシンタは 体の左側に 膿のあるコブができ、 

実際ドナ・エトテファニア病院に入院、 手術をしたものの

甲斐なく、 やがて兄の待つ天国へと召された。

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    ( 人々は ろうそくを灯し 祈りを捧げる )






05.        7月13日 「第3回目の出現」


7000人に膨れ上がった見物人には 相変わらず何も見えないが、

ルチアには  10月に大奇跡が行われることと、 後に

「 ファティマの大予言 」 と呼ばれる3つの予言が告げられた。



ルチア自身は 後に、カルメラ会に入会して修道女になったが、

この時の 聖母との対話の一部始終を記述した文書を 

1930年に作成している。

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( 聖母が現れた地点に建てられた バシリカ Basilica。

広場の収容人数は30万人 大祭の時は 人で埋め尽くされる。 )







06    さて、第1の預言は、 間もなく第1次世界大戦が終結すること

第2の預言は、共産主義の台頭と 第2次世界大戦の勃発だった。

第3の予言の内容は 1960年までは 公に出来ないとされた。 



これらの予言は 聖母がそのような具体的な言葉を発したのではなく、

聖母がルチアに示した暗示と幻影と言葉から 読み解いたものだと言う。

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07       8月13日 「第4回目の出現」


ルチアたち3人は 出現の日を待たずして、人心をたぶらかす行為だ

として 当局に拘束されてしまったので、 約束の場所に行けなかった。

が、 そこには なんと約1万8000人もの群集が集まった。



群集はすさまじい雷鳴と閃光とともに 強烈なイナズマを目の当たりにする。 

地上には虹のような光が満ち、太陽の周囲の雲はさまざまな光を反射した。

聖母は そのような形で 群集に 自らの存在をほのめかせたのだ ・・



一方 子供達は どんなに脅されてもその落ち着いた態度は揺るがず

8月15日に 釈放された。

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08      9月13日  「第5回目の出現」


3人が当局に監禁された話も伝わり、  ますます人々の関心を呼び

群集は3万にも膨れあがる。



この奇跡の正体を暴こうと 司祭達もやって来たが、  彼らの前に 

光り輝く たまご型の球体が現れ ゆっくりと移動するのを目の当たりにすると


あれは天国の乗り物で、 聖母を玉座から この禁断の荒野へ運んできた

’ 聖母の乗り物 ’ だと、 感動しながら 認めてしまうあり様だった。

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09        10月13日 「最後の奇跡」


噂を聞いてヨーロッパ全土から集まった群衆は 7万人とも10万とも言われた。 

その中にはヨーロッパの主要な国の新聞記者、科学者、大学教授の顔もあり

単なるお伽噺で終わらない 多くの証拠写真が残ったのだ。



この日は早朝からの雨で 奇跡の場所コーワ・ダ・イリアは泥沼のようだった。

群集をかき分けながら ヤシンタは警官に抱かれていつもの場所に向かう。

固唾を呑んで見守る人々、、  奇跡なんて嘘だと揶揄する人々、、



正午ぴったり、ルチアが叫んだ。  「 あのお方がいらっしゃいました・・・ 」


先刻からの雨が止み、 黒い雲に覆われていた空が大きく割れると、

突然青空が現れ、太陽が姿を現わすと 奇妙な動きを見せ始めた。

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 (   現れた聖母に祈りを捧げる3人   警官に抱かれて進むヤシンタ 、


聖堂隣り、

奇跡や迫害などのシーンを人形などで物語るミュージアムもあった )







10      子供達にしか見えない聖母の姿 


「 聖母さま あなたがここにいらっしゃることを どうか他の人たちにも 

わかるようにしてください・・ 」   ルチアの要請に応じて 

聖母は 自らの存在を 太陽の変則的な動きで示し始めた。



太陽は 一瞬揺らめいたあと、花火の輪のように回転し、あらゆる色の

光線を振りまくと あたりは虹色に包まれ、幻想的な世界へと化した。


次に 太陽は水平に移動、元の位置に戻ると また回転を始める。

2度の小休止をはさんで 3度目の太陽の色彩放射は一番激しかった。



そして突然、目もくらむような太陽の急降下が始まる。

ジグザグに落下する太陽を見て、群集は凄まじい叫び声をあげ

パニックに陥り逃げ惑う。    しかし 突然太陽は落下を中止、

ジグザグに上昇し もとの位置に戻った。




この大スペクタクルが繰り広げられた時間は 約10分間、

群集は、今起きたことが信じられない様子で 放心状態のままだった・・

この現象は隣町でも見られたと言う。




聖母はこの時 この地に礼拝堂を建てるよう言い残した。

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11.     バチカンは長い時間をかけてこの事件を調査し、

13年後の1930年10月13日、司教書簡 「神の摂理」 の中で、

ファティマにおける聖母の出現は信じるに値し、

ファティマの聖母に対する信心を許可するという 異例の宣言を行った。




ところで 1935年9月12日、ヤシンタの遺体を村の共同墓地から

ファティマの聖堂の墓地に移すために棺を開くと、

遺体はまったく腐敗していなかった。



死後16年・・・ 人々は 不思議な力を感じずにいられなかった・・・

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12     ところで 第3の予言は 一人生き残ったルチアと 

法王のみが知っているとされたが、 2000年になって それは

1981年5月13日のヨハネ・パオロ2世の襲撃を予言したものだったと、

発表された。



九死に一生を得たヨハネ・パオロ2世は マリアの加護に感謝するため

翌年の5月13日 ファティマを訪れている。



しかし、 予言はそのことなのではなく 世界の終末の黙示ではないか、

ローマ法王庁は 教会に都合の悪いなにかを隠しているのではないか、  

といった憶測も 依然流れている。

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  ( バシリカの周りは ホテルやみやげ物屋がならんでいる。

              駐車場の柱の余りの細さにビックリ !  )








13      ルチアは カトリックの修道女として 2005年2月13日

コインブラのカルメル会修道院で  97歳で死去した。    



ルチアは 奇跡の紛れもない証人として 教会からも国からも 

認められた存在であり、葬儀の日は ポルトガルの国の休日となった。

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   (  60歳のルチアと 死後のルチア、  

襲撃後 1982年 マリア像に感謝を捧げるヨハネ・パオロ2世 )





                 



この日、

ファティマで私を迎えた素晴らしい光の雲は 単なる雲には違いないが、



ここポルトガルで、 ここファティマで、 聖母の奇跡があった、、、


ということを想像するに十分な 心に響く舞台装置となりました ~ !











。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚
 

2018年3月 9日 (金)

フラノスキー場・サホロスキー場 さすが雄大な北海道!


  パウダースノーで有名な北海道のスキー場、


’ 雪の風景画 ’ には 美しさと寒さが溢れている。






01.      「 富良野スキー場 」 から

白樺樹林越しに見る 対岸の風景は 本当に清々しい。

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02.     雄大な純白の峰々は  「 十勝岳連峰 」 。


十勝岳連峰は 主峰十勝岳 (2,077m) を中心に、 美瑛富士  美瑛岳

前十勝岳などが ほぼ一列に並ぶ火山連峰だ。

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03.      手前の町が ドラマ・北の国からの舞台となった 「 富良野 」。 


名前の響きがロマンチックで、 山裾に広がるラベンダー畑でも有名だ。

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04.      十勝岳は活火山で 安政から昭和まで噴火を繰り返している。


現在も 白い水蒸気噴煙が出ていて 監視カメラも作動している。 

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05.     リフトやゴンドラが 何本か設置されている。 

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06.      その上質なパウダースノーは 世界的に有名だ。

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07.     シーズン中は日本人より外国人の方が多いくらいで、
 

  最近はオーストラリア人が多いと言う。  

独特な英語の発音ですぐに分かる。

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08.     滞在は右手の 新富良野プリンスホテル。  町は

観光基地として夏・冬 通年楽めるよう、

いろいろな魅力を提供している。   

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09.     さてこちらは富良野の東南、 北海道のほぼ真ん中にある

「 サホロスキー場 」、     

こちらも 水分の少ない軽く上質なダウン・スノー が有名だ。  


今年 北斜面に上級者コースが開設され

こちらも 外国人に人気だそうだ。



ゴンドラの3本支柱が独特で印象的 !

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10.      眼下に広がるのは 十勝平野。


冬季、 日の入り・日の出に幻想的なサンピラー (光の柱) が

見えることがあると言うが、  気温マイナス15度以下という条件がある。

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11.    2月のこの日、 マイナス15度に行ったかどうかはわからないが


美しい樹氷を見れば 震えるほど寒いことは確かです ~

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普段、ストーブが消えたら 寒い寒いと嘆くのに  スキーとなると

厳寒の地に いそいそ出かける旦那様の気が知れません ・・・



bella は こたつで丸くなる ~          




 (   Photoed by bella-danna )








゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2018年3月 2日 (金)

 コシヒカリの里・上越国際スキー場から純白の冬山風景

 
春の嵐が吹き荒れ 冬に別れを告げる頃となりました。


そんな中、 改めて 美しい日本の冬山風景に触れてみたい ・・・







01.  新潟県南魚沼市 上越国際スキー場から望む対岸の山々。

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02.     新潟に向かう車窓から 「 妙義山 」

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03.     煙を吐く 「 浅間山 」

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04.     これが上越国際スキー場の滞在基地、 立派なホテル群

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05.     「 八海山 」 と 「 巻機山 (まきはたやま) 」

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06.     「 巻機山 」 と 「 大烏帽子山 」 「 朝日岳 」 など


平地部は 米所・南魚沼の田園地帯。

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07.     左手の山が 「 八海山スキー場 」 。

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08.     遥か遠くに連なる 平標山など県境の山々。

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09.     針葉樹を配した 丸い山の稜線も面白い。

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10.     そしてこれが 上越国際スキー場のゲレンデ。

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緑に覆われ、 豊かな水分を蓄える 美しい日本の山々。

地元に住んでいる方々のご苦労は計り知れないものだと思うけど、


名峰と里山と田園が共存する こんな絵のような風景は 

世界でも滅多にないのではと思う ・・・






特に ’ 白いベールをまとった風景画 ’ には

ただ感動するばかりで、  気分がスカッとした次第でした ・・

       
ところでたまたま 新潟の魚沼コシヒカリ米が 28年続いた特Aランクから

Aランクへ降格したというニュースがあった。

地元は衝撃を受けたことだろう。




しかし こんな美しい田園で育まれるお米だから 
 
きっと 間もなく特Aに復活するに違いない !








( 因みに これらの写真を撮ったスキーヤーは bella-dannaです ^&^ )




゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
   

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