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2017年8月

2017年8月25日 (金)

「アンコール・トム」 大らかでハンサム・観世音菩薩の四面塔


栄華を極めた クメール王朝最後の都市跡 「 アンコール ・ トム 」

アンコールは ’ 町 ’ を、 トムは ’ 大きい ’ を意味する。


その名の通り 大きく豪華、 そしてとにかく個性的な都城だ。







01.   アンコールトム入口 「 南大門 」 に向かって左手には

ナーガ (蛇神) を引く神々の列が続く。 (54体)



アンコールトムは 一辺3kmの正方形の環濠と城壁に囲まれており

この道は その濠をまたいで 中央仏教寺院まで通じている。

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02.   道の右手には ナーガを引く阿修羅の列が並ぶ。(54体)



神々と阿修羅は、  仏教世界の中心にそびえる山 ・ メール山に準えた 

バイヨン寺院に 蛇を巻きつけ、  互いに引き合い、

大海に見立てた環濠 (海乳) を撹拌し、 そこから良き収穫物を得ん

とする説話  ’ 乳海撹拌 ’ を  表現しているとか ・・



屈強そうな石像が ズラリと並ぶのに ちゃんと話の筋立てが

あるのに驚いた。 

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03.     これが そのメール山 ( 須弥山 しゅみせん ) の具現化、

アンコールトムの中心にある 「 バイヨン
寺院 12C末 」 だ。 


神々が ここに降臨し、 ここに住まわれるという。

空高く林立する仏塔は いかにも霊峰の如し ・・

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04.       バイヨンは 丸い中央祠堂を 

四角い第一回廊、第二回廊が取り囲んでいる。   周囲には


聖池と呼ばれる池や 崩れたままの石の積み重なり などがある。

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05.      柱列をくぐって進むテラスも、 光が差し込まない

地下空間もあり、  伽藍内部の構造はかなり複雑で迷路のようだ。

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06.   回廊の各所には 様々な物語を表すレリーフが彫られている。

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07.  アンコールトムのハイライトは 「 観世音菩薩の四面塔 」 だ!  


四面に菩薩の顔が彫られた塔が テラスに49、 塔門が5 ある。

合計216面の色々な表情の顔が居並ぶ様は 壮観で、

南国的な大らかさがあふれている。

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08.    これが 最も有名な観世音菩薩。 なんともハンサムな!

と言いたいところだが、 菩薩はその成り立ち、呼称、役割などにより

男性的であったり 女性的であったりする。



日本画でも 美しい衣をまとった 慈愛に満ちた母のような菩薩に

ちょろっとヒゲがあるのを見つけ ハッとすることがある。



歴史と地域による差異 、、 その系譜は複雑だが 

バイヨンの菩薩は  男性そのものだろう。

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09.    というのも、 堂内の各所に彫られた 微笑みの女神 

「 デバダー 」 の この上なく女性的で美しい曲線美と比べたら


ここの観世音菩薩群は まさに男性以外の何物でもない。

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10.    「 パプーオン 11C 」 3層からなるピラミッド型寺院。

かつては50mあって バイヨン寺院より高かったといわれる。 


2mの円柱が3列になって支える 「 空中参道 」 は

地上と天界をつなぐ虹の架け橋とされる。

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11.    「 ピミアナカス 11C 」     9つの頭を持つナーガが

女身となって棲み  クメールの王は毎夜ナーガと交わらねばならず、

一度でも怠れば 王は早死し 王国には災難が降りかかるという伝説の場。



左は らい病に冒されたライ王の像。   病魔に冒され 王の肉体が

崩れる一方で 壮大なアンコールトムと観世音菩薩が完成していく様を 

三島由紀夫が戯曲に著しているそうだ。

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12.     「 象のテラス 」 蓮の花を鼻で摘む象の列柱


造形的にも奇抜で魅力的だ !   人々に敬愛される象の像は 

城内のあちこちで 多用されている。

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( 左側  ライオンとガルーダが一体化した聖獣ガジャシンハ )






13.    「 勝利の門 」  かつて 戦いに勝利した兵士たちが

ここを通って凱旋した。   この門にも観世音菩薩の四面塔があり、 

象の像もしっかり両側に控えている。

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アンコール ・ トムを見物し、 この門から退場したあと

次の訪問先 タ ・ プローム へ向かった。




同じ仏教といっても 日本の 侘び寂びの世界と異なり

直截的でダイナミック、 


南国のエネルギーをまともに浴びた  一日となりました。  







゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2017年8月18日 (金)

「アンコールワットの日の出」「シェムリアップ」「高床式住居」






01.    早朝、夥しい人々が集まり 同じ方向にカメラを向けている。


視線の先は !?

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02.    ここは アンコールワットの敷地内 西参道聖池前、 

伽藍の向こうに 朝日が昇ろうとしていた !



アンコールワット伽藍の ちょうど真裏から太陽が出れば言うことないが、


富士山の頂上に日が沈む ’ダイヤモンド富士 ’ も 年に2回しか

チャンスがない訳だから、  海外旅行でのこと 贅沢は言えない 。。。 

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03.     少し東へ進むと 蓮池に ’逆さ伽藍 ’ が写った。

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04.     広い敷地全体に 朝から何百人もの人が集まった。


当然のように 観光客目当ての出店がズラリと並ぶ。

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05.    殆どの観光客は 実は 「 シェムリアップ Siemreap 」

という 遺跡群巡り拠点の街から 早起きしてやって来たのだ。  

 

約3000円の ’ 日の出を見るオプショナルツアー代金 ’ を払って

来ているグループもある。

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                              (  賑やかなシェムリアップ )






06.   シェムリアップには 数々のホテルやレストラン、マーケットが あり

 シアヌークのロイヤル ・ レジデンツもある大きな街だ。


しかし メインストリートをはずれると 街はいたって庶民的。  

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07.       日用品が並ぶ店先の道路には舗装がない。

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08.   大通りの建物の看板、  ’ ウエルカム to パリ・ゲストハウス ’

’ サムスン・国の誇りをあなたの手に Galaxyスマホ ’

’ セレナ・レザー25%オフ ’      などなど 見て興味深い !

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09.    ところで シェムリアップから各地の有名な遺跡群へは

10km前後、  観光バスか こんなトゥクトゥクで出かけることになる。



このトゥクトゥクはきちんと整備されているようだ。  彼の商売道具は 

彼の宝ものであり 同時に彼の部屋なのかも知れない。



今度トゥクトゥクに乗ることがあったら 天井を見てみよう。

こんなハンモックが こっそり仕掛けられていないかな、 と。

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10.   さて、カンボジアの地方では こんな高床式住居が目に付いた。


ずっと住め、と言われたら無理そうだが、 

風景としては 何とも懐かしくのどかだ。  危うい木橋を渡ってみたい。

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11.   この地域では ロリュオス川、シェムリアップ川からの

洪水もありうるし 雨季のスコールでも簡単に家が水没しそうだ 、、  



高床式なら風通しもいいだろうし 疫病の蔓延も防げそうだ 、、

階下で 牛などの動物を飼ったり 道具類もしまえるだろう 、、  



カンボジアでは 理にかなった住まい方と言えそうだ。 

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12.    最後に ここは 「 バンテアイ・スレイ遺跡 」



カンボジアの宗教は 内戦時 受難の時を経て来たが

現在は 国民の9割が ” 上座部仏教 ” に帰依しているという。


橙色の僧衣を纏った 僧侶にあちこちで出会った。

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13.     カンボジアでは  成年男子による一時出家は

最高の功徳とされ、  特に 可愛らしい少年僧が 家族を代表して

修行に出る話は テレビのドキュメントで何度か目にしたことがある。

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      ( 左側 東洋のモナリザと言われるデバター像 )




一枚の布を法衣として身にまとう手順は 複雑極まりない。

そういうことも含め、 彼らは一から全てを修行しているのだろう。



彼らのような存在が 当たり前のものとしてあるカンボジアに

社会の進歩度合とは関係なく   敬意を抱いてしまう。  







:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+
   

2017年8月11日 (金)

「ロリュオス遺跡群」 必見!アンコールワットの原形



カンボジアのアンコール遺跡群から15km程離れたところに

アンコール王朝より 300年以上も前に栄えた

「 ロリュオス遺跡群 」 がある。


遺跡群のうち 今回は 代表的な3つの遺跡を訪ねた。






01.      その1つめ、  「 ロレイ遺跡 」  893年建立 


かつては巨大貯水池の中央の小島に建っていた寺だが、

今はすっかり水が干上がり 煉瓦造りの遺跡も今にも崩れそうだ。


修復保護の足場が組まれていた。

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02.    4基の塔の祠堂が交差する中心に 「 リンガ 」 が立っている。

リンガから 砂岩製の樋伝いに聖水を四方に流す儀式が行われたという。



八ヶ岳山麓の武田信玄の分水嶺と意味は異なるが 

クメールの農業を支える 王都の優れた治水技術をアピールすべく 

そのまま宗教儀式に採り入れたのかも知れない。

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03.      くびれた胴と丸い胸を持つ ほほえみの女神デバター、

反対側には 半ズボン姿の逞しい金剛力士像もあった。 


漆喰が剥がれた煉瓦部分と比べて 像の白い漆喰の保存状態が良い。

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04.      「 アンコール ・ レガシー ・ アカデミィ 」

世界的な援助の団体によって運営されている小学校


ロレイ村では 内戦後も貧しい暮らしが続き、

人々の就業率は低く 文盲率は高い。


子供たちはといえば 両親のどちらかがいない子、

特に軍に召集された父親を失った子が多いという。



こうして 学校で学ぶ機会が得られた子供たちの背中を

傍目から見るだけで 幸せが感じられる ・・

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05.    ロレイでは 一部の人は 建設土木か観光の仕事に

就いてはいるが 多くは 零細農業に細々と携わるだけだという。


彼の才能が 
アーティストの職業として成り立てばいいと思うが ・・

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( 牛の皮に 影絵芝居(スバエク) の 人型を彫っている )








06.     その2つめ、  「 プリヤ ・ コー遺跡 」  879年 

レンガ造りの6基の祠堂の色と装飾が見事、 ロリュオス遺跡で最古の寺院。


プリヤ ・ コーとは ’ 聖なる牛 ’ という意味だ。

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07.    名の通り 祠堂に向かって3体のナンディ (聖牛) が並んでいた。

さすが 特別な牛だけあって 首輪というかネックレスがお洒落だ。


シンハ (獅子) も強そうな形相で 寺院を守っている。

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08.     その3つめ、  「 バコン遺跡 」 881年


ロリュオス遺跡群の中でも中心的な存在で、 最初のピラミッド型寺院

として知られている。   南国の花の向うで雄姿が待ち構えていた。

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09.     参道の両側の濠沿いに 奇妙な形の欄干があった。

巨大なナーガ (蛇神) のお出迎えだ。


7頭を持つこの蛇は もともとはコブラをイメージしており

強力な毒と共に 脱皮する不死・回生の象徴として崇拝されていた。

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10.     バコンは アンコールワットの原形として知られている。


境内は東西900m、南北700mと、初期クメール王朝の権力を物語る

大きさだ。 階段の両側では シンハ (獅子) が睨みを利かせている。

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11.      レンガ造りの8基の祠堂と共に 
寺院の四方には 飾りを付けた象が配されている。 


象は神聖な動物として扱われる一方、  神々や貴人の乗り物としても 

戦さの戦力としても 重要な存在だった。

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12.     5層の基壇からなるピラミッド型寺院の階段は少々きつい。

途中で 一休み ・・

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13.     様々な 勇猛で力強い動物たちの石像が寺院を守る様子を

見て回った直後に出会った

生身の牛たちは 意外なほど痩せていた ! 



村々では この種の牛が しっかり働いていたので

もともとスリムな体型の、この地方に独特な牛かもしれないが 、、、

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 アンコールワットと周辺の旅、  つづきます。  






゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2017年8月 4日 (金)

「 カンボジア・プノンペン 」 オートバイ天国

 


2016年秋、 カンボジアの首都 「 プノンペン 」 へ 

成田から直行便が飛ぶようになった。


7時間弱のフライトで プノンペン国際空港に降り立った。






01.     11月の平均最高気温は30度くらいだが やはり湿気がある。


プノンペンでは メーター付きのタクシーは まだ特別な存在で  

ターミナルの送迎には トックトック (バイタクシー) が活躍していた。

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02.     市内の公共交通機関は まだ充分には整備されておらず 

バイクが人々の主な移動手段となっている。


道幅いっぱいに オートバイが走る姿は壮観だ !



オートバイに免許は要らないらしいが 確かに教習所のコースなんて

無意味というか、 実践力がモノを言いそうだ。

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03.        自家用車 バス オートバイ そしてトックトックが 入り乱れ、

道を譲り合うのか 奪い合うのかわからないが 何とか前に進んで行く。

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04.         小学校のお迎えもオートバイ。

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05.        ヤシの実屋さん

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06.       道に沿って露店が出ているが  完全に車道側を向いている。

オートバイから降りずに買い物が出来て とっても便利だ !

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07.        これは凄い !  電線の束 

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08.        電線とオートバイと出店 ・・        エネルギーが溢れている。  



手前の女性は妊婦さんではなかろうか ~

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09.        実は カンボジア内戦が終結したのが1991年、

以後 カンボジア経済は目覚ましい発展を遂げて来た。 



しかし、 銀行の近代的なビル前にも 電線の束。  

近代化には まだ時間がかかるかも知れない。

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10.        ズラリと並んだ観光人力車

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11.       人力車、 最前まで 車夫さん達の休憩所でした ~




街の食堂、 人々は店先にオートバイで乗り付けて そのままお食事。

常に駐車場のことを気にしている日本の生活と比べたら

本当に便利で 自由です !



あの頃は 自由に駐車できた 、、 オートバイ天国だったよ 、、   

なんて回想する日が  果たして 彼らにも来るでしょうか ~

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12.    カンボジアは1863年から 隣国のベトナム ラオスとともに 

1953年まで フランスの植民地支配を受けていた。



カンボジア国王一家が現に住んでいる王宮や 国立博物館などが集まる

フランス植民地時代からの美しい街並みは 

「 東洋のパリ 」 と謳われている。



が、 それとは対照的な  雑然としてるが しかし生き生きした

プノンペンの庶民の街を見るのも 楽しいことだ。

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とは言え、 長年の内戦で 多くの銃器が今なお氾濫しており

殺人などの凶悪犯罪も多発しているとか、、

特に 夜間など 外出には注意した方が良いと言われている。








13.      高所から見る市内は 新しいビルの建設が盛んで

日本からもどんどん企業が進出している。



他のアジアの首都のように  新市街と旧市街がそれぞれの

方向性で 整備されて行くのだろうが


いずれにせよ 東南アジアらしい 鷹揚で 明るい 混沌とした魅力を

持ち続けていて欲しい ・・・

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このあと アンコールワットなどの観光に出かけます。







.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
   

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